原爆被害:時時刻刻(1945年8月14日)
日 | 時刻 | 事 項 |
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14 | 07:00 | 「700島田中佐宇品船司ニ到リ連絡ス」(陸軍省広島災害調査班行動表) |
14 | 08:00 | 「中国軍作命甲第21号 中国軍管区部隊命令 8月14日0800 広島 中部軍管区防疫部派遣班(村江中尉以下16名)ハ広島到着ト共ニ広島地区司令官ノ指揮下ニ入ルヘシ 中国軍管区司令官」(『中国軍作命甲綴』) |
14 | 10:30 | 「一、十時三十分長官河田警部帯同市内救護状況視察ノ為メ出張セラレタリ 零時十分帰来衛生課長招致左ノ如キ指示アリタリ」(広島県「戦災記録」) |
14 | 10:50 | 「臨時閣議開催の後10時50分より全閣僚、枢密院議長、両総長お召しを受け、御前会議が開催せられた」「午後1時より更に閣議開催せられ、詔勅案を審議し、これを奉呈したが同11時御詔勅発布せられた」(「東郷外相口述筆記」)。 |
14 | 14:30 | 「一、十四時三十分長官ハ会計課長帯同産報道場ニ出向カル 舎ノ状況下見ノタメナリ 十七時帰来総監府(副総監、副参事官)宿舎申込ノタメ全部ハ入レナイガ一部ノ移転ハ可能ト認ム」(広島県「戦災記録」) |
14 | 15:30 | 「中国軍作命甲第23号 中国軍管区部隊命令 8月14日1530 広島 一、独立電気第3中隊ノ1小隊、大阪第二陸軍病院派遣救護班ハ広島地区司令官ノ指揮下ニ入ルヘシ 二、広島第二陸軍病院長ハ救護班1ケ(長以下約10名)ヲ差出シ広島地区司令官ノ指揮下ニ入ルヘシ 三、広島地区司令官ハ第1項、第2項部隊ヲ併セ指揮スベシ 四、指揮転移ノ時機ハ8月15日零時トス 中国軍管区司令官」(『中国軍作命甲綴』) |
14 | 23:00 | 東郷外務大臣「「ポツダム」宣言の条項受諾の件」(在瑞西・加瀬公使、在瑞典・岡本公使宛) |
14 | r | <調査報告書>呉廠砲実部西田亀久夫(海軍技術大尉)・坂巻喬(海軍技術大尉)「長崎市空襲被害概況調査報告」 |
14 | r | <調査報告書>技術院松前参技官「新型爆弾ニヨル広島市被害状況調査報告」 |
14 | r | <調査報告書>呉鎮守府衛生部「8月6日広島空襲戦訓(第3報)」、「第4報」 |
14 | 「午後調味料蔬菜等の配給に当る。仲々徹底せず。知事閣下の命により戦災患者の給与に付特別の考慮を払ふ。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記) | |
14 | 「御園生教官一行福田教授等来島ス」(陸軍省広島災害調査班行動表) | |
14 | 理化学研究所仁科芳雄・阪大浅田博士、広島現地調査結果発表。使用された爆弾は原子爆弾であり、被爆中心地は放射性物質が広く撤布されており、身体に悪影響を及ぼすため長期滞在は危険である。(読売報知新聞) | |
14 | 朝日新聞、「敵の非道を撃つ」との社説を掲げ、アメリカの原子爆弾投下を非難。 | |
14 | 長崎県知事「空襲被害状況並ニ災害応急対策ニ関スル件第8報」(「長崎原爆戦災誌」5) | |
14 | 「一、本日ノ本部宿直員左ノ通」(広島県「戦災記録」) | |
14 | 「海医校小松、太田両中佐帰還ス」(陸軍省広島災害調査班行動表) | |
14 | 「一、義勇隊本部長ヨリ左ノ通告知アリタリ」(広島県「戦災記録」) | |
14 | 「御園生少佐(陸医校)以下4名放射線研究班並ニ福田教授以下3名ノ火傷調査班派遣セラル」(陸軍省広島災害調査班状況報告) | |
14 | 「海医校小松中佐来島ス」(陸軍省広島災害調査班行動表) | |
14 | 「中国軍作命甲第22号 中国軍管区部隊命令 8月14日[不明] 広島 一、岡山地区赴援隊ハ通信班及救護班ヲ残置シ主力ヲ以テ原所属ニ復帰スベシ 中国軍管区司令官」(『中国軍作命甲綴』) | |
14 | 「御園生少佐以下9名8月14日朝似島到着」(陸軍省広調班速報9) | |
14 | 「8月14日、似島ニ於テ焼却セル屍体ノ骨ニツキ放射能ヲ検シ最高自然状態ニ於ケル放射能ノ強度ニ比シ約10倍強度ノ放射能ヲ存スルヲ認ム」(陸軍省広調班速報9) |