増岡敏和
ますおか・としかず 2010年7月28日没 享年82歳
8月6日(1945年)には海軍の予科練(飛行機練習生)で松山航空隊に入隊、8月6日頃は軍隊疎開で愛媛県の南部の深浦町にいた。敗戦の数日以内に広島市に帰る。祖母、母、長妹(原爆死)、次妹被爆弟たちは学童疎開中。
資料
年月日 | タイトル | 形態・メモ |
19560601 | 請願書(広島県原爆被害者団体協議会) | |
19920911 | 増岡⇒ 吉川生美 | 書簡 |
吉川生美⇒ 宇吹 | 書簡 | |
19920923 | 増岡⇒ 吉川生美 | 葉書 |
19921006 | 宇吹⇒吉川生美 | 書簡(控) |
同上同封資料『東友文庫5 「ヒロシマ・ナガサキから何を学ぶか」被爆45周年連続学習講座 第5集 被爆者・国民は何をしてきたか』 | ||
19921030 | 宇吹⇒増岡 | 書簡(控) |
19921105 | 増岡⇒ 宇吹 | 葉書 |
19940712 | 増岡持参資料 | 紙1枚 |
「不屈の原水禁・被爆者運動前史―「占領期の広島」手控え」 | ||
19930124 | 1992年度久保医療文化研究所講演録(久保医療文化研究所) | 冊子 |
第68回講演会(19920314)増岡敏和「広島における反原爆文化運動の原点」 |