ピカ研の指摘により作成した正誤表(20200704現在)
作成:宇吹 暁
年月日 | 書名 | 頁 | 誤 | 正 |
19710806 | 広島原爆戦災誌 第1巻 | |||
19710906 | 広島原爆戦災誌 第2巻 | |||
19711006 | 広島原爆戦災誌 第3巻 | |||
216 | 広島中央電話局(1.0km) | 広島中央電話局(500m) | ||
19711106 | 広島原爆戦災誌 第4巻 | |||
888上 | 田原伯 | 幻吉 | ||
19711206 | 広島原爆戦災誌 第5巻 | |||
19720331 | 広島県史 原爆資料編 | |||
19840329 | 広島県史 年表 | |||
19880325 | 広島県戦災史 | 116 | 天主閣 | 天守閣 |
19800715 | 原爆被災学術資料センター蔵 原水爆関係資料目録(Ⅰ)1974年4月~1978年12月 | |||
「お国がつくる見本の本 学者用 税立図書館」 | ||||
19850301 | 原爆被災学術資料センター 原爆関係蔵書目録(Ⅱ)1979年1月~1983年12月 | |||
多数の指摘 | ||||
19900731 | 原爆被災学術資料センター 原爆関係蔵書目録(Ⅲ)1984年1月~1988年12月 | |||
多数の指摘 | ||||
1985 | IMAGES FOR SURVIVAL <Exhibition of American and Japanese Peace Posters> | |||
19890401 | 図説広島市史 | 172 | 「広島平和記念都市建設法」は、広島市民の平和への決意の結実であるとともに国内外のノーモア・ヒロシマズの声の象徴である。 この法に基づく広島の復興と市民のたゆみない平和への努力を基盤として、今日の広島市は国際平和文化都市を目指して進んでいる。 |
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なぜか | ||||
172 | ピカドン(昭和25年8月刊) | (昭和25年8月6日刊) | ||
172 | 原爆詩集(昭和26年9月刊) | 原爆詩集(昭和26年9月20日刊) | ||
173 | 『アサヒグラフ』 原爆特集号 | 『アサヒグラフ』 原爆被害の初公開 | ||
174 | (写真15)原爆被災全体像調査のための市民集会 (所蔵者・提供者等)中国新聞社 |
(所蔵者・提供者等)金井・幻吉 | ||
174 | (写真17)平和公園 | (写真17)平和大通り | ||
226 | グアム島<「原爆投下機はグアム島発進!? 図説広島市史に誤記」『中国新聞19920331』 | |||
255 | 峠三吉「一九六五年のヒロシマ」(昭和二十一年八月二日) | 峠一夫 21.12.1 | ||
1992 | 原爆文献にみる戦後史 平成4年度広島市公文書館常設展示 | |||
1992 | 都築・弓野資料にみる占領下の原爆災害調査 平成4年度広島市公文書館常設展示Ⅱ | |||
多数の指摘 | ||||
19960331 | ヒロシマの被爆建造物は語る | |||
098 | 『ニューヨーカー』 | 使用了解を | ||
308 | 李将軍 | |||
365 | 原爆被災資料総目録1.2.3 | 原爆被災資料総目録1.2.3.4 | ||
383 | ピカ研究所提供 | ピカ資料研究所 | ||
386 | 年表広島 | 年表ヒロシマ | ||
19960331 | 被爆50周年 図説戦後広島市史 街と暮らしの50年<本なし、ピカ研メモのみ> | |||
19990726 | 原爆手記掲載図書・雑誌総目録 1945-1995 | |||
Ⅶ | 田原伯(ピカ研主宰) | 田原幻吉(ピカ研所長) | ||
Ⅹ | 1収録基準(5)改版? | (内容変更)=改訂 | ||
Ⅹ | 2収録期間(1)1945年8月~1995年末 | |||
Ⅹ | 2収録期間(2)確認できる最も古い手記=1946年2月 | 逆あがり、1945.8.31大田洋子 | ||
Ⅹ | 3記載事項(2)多重者 | 多重者=記入法 | ||
Ⅹ | 3記載事項(5)所蔵 原医研・国会図 | 所蔵 原医研・国会図・以外 | ||
003 | [0011] | |||
013 | [0106]<[]内は一連番号>原爆詩集 所蔵:国会図 | |||
014 | お父さんを生かしたい―平和を叫ぶ子らの訴え | 残念もう少し?四集5冊、三集5冊、10冊 | ||
031 | [0284]<発行年月日日=19580401> | <発行年月日日=195606> | ||
201 | [2015]原爆を吊ってあった落下傘 | |||
289 | <19880331上原敏子> | ? |