『原爆死の真実―きのこ雲の下で起きていたこと』(NHKスペシャル取材班、岩波書店、20170725 )
目次
| 章 | ||
| 1 | きのこ雲の下の二枚の写真 | |
| 原爆投下三時間後の写真 | ||
| 「涙でファインダーがくもった」 | ||
| 御幸橋は壊滅地帯の出口だった | ||
| コラム① 「地獄の再現」は、証言者がいたからこそ実現した | ||
| 2 | 橋の上には凄惨な光景が広がっていた | |
| 少女は動かなくなった赤ちゃんを抱いていた | ||
| 「どこに逃げればいいのか」それだけを考えていた | ||
| 瀕死の重傷を負って | ||
| あれは「死の前の光景」だった | ||
| コラム② 私たちは八月六日、御幸橋を通った | ||
| 3 | 写真にはどのような”痛み”が写し出されているか | |
| 「科学の力」で原爆の実相を浮かび上がらせる | ||
| 人間が感じる最大の痛み、”フラッシュ・バーン” | ||
| 写真は”原爆の非人道性”を物語る | ||
| 放射線による影響は出ていたか | ||
| コラム③ 対談 熱傷の専門家×原子核物理学者 | ||
| 4 | 橋の上は、命を救う最前線だった | |
| 御幸橋は、救護の拠点となっていた | ||
| 広島に入った特攻兵を皮肉な運命が待っていた | ||
| 命の選別が行われた | ||
| 似島に運ばれて | ||
| コラム④ 水をあげるか、あげないか。それは究極の選択だった | ||
| 5 | 私は友を置いて橋へと逃げた | |
| がれきの下で校歌の合唱が始まった | ||
| 橋の上にいたのは、一〇代の少年少女たち | ||
| 最大の犠牲者は中学生だった | ||
| 悔いを抱えて | ||
| コラム⑤ 写真が写し出す”悲しき物語” | ||
| 終章 | 原爆は市民の上に落とされた | |
| 公表になぜ七年もかかったのか | ||
| 世界で唯一の写真は、訴え続ける | ||
| 「被爆の真実」は伝わっているか | ||
| コラム⑥ 差別を超えて | ||
| あとがき | ||