『街と暮らしの50年-被爆50周年 図説戦後広島市史』(高橋衛監修 被爆50年記念史編修研究会、広島市総務局公文書館、19960331 )
頁 | 執筆等 | |
刊行によせて | (高橋衛) | |
第1部 写真でみる50年 | ||
003 | 1995年 平和宣言 | (平岡敬) |
006 | 広島の戦後は8月6日に始まった | |
017 | 被災調査と放射線障害 | |
019 | 占領軍と広島 | |
027 | お母さん僕はここに立っています | |
029 | 槌音が響き、街はよみがえる | |
033 | 家が建ち、笑顔がもどる | |
035 | 活気みなぎる駅前ヤミ市 | |
041 | 空から見た復興、昭和22年 | |
043 | 広島 2年目の夏 | |
048 | 街並みがよみがえる | |
051 | 街を考える | |
053 | 街並みを変える | |
059 | 一人もれなく投票だ | |
061 | 平和をデザインする | |
065 | 太田川改修工事 | |
069 | 市民の暮らしと住宅の戦後史 | |
073 | 復興した街 | |
075 | 郊外の都市化 | |
077 | 変わり行く都市空間 | |
079 | 新しい住・商空間 | |
081 | 戦後史のなかのランドマーク建築 | |
083 | 市民の台所をささえる | |
085 | 届かなかったはしご車 | |
089 | 都市圏の拡大と水道事業 | |
091 | ごみ非常事態宣言をこえて | |
095 | 市財政やりくりの記録 | |
097 | 政令指定都市への移行 | |
099 | 産業の復興 | |
101 | 朝鮮戦争特需から造船ブームへ | |
103 | 復興を実感した広島博 | |
105 | 自動車工業の戦後 | |
107 | あこがれのマイカー | |
109 | 高速経済成長と特産工業 | |
111 | 造船不況から航空機生産へ | |
113 | 統計でみる生活の一面 | |
115 | 農村のくらし | |
119 | 海辺のくらし | |
121 | まちのくらし | |
139 | 原爆ドームのある風景 | |
141 | 祭りと市民 | |
145 | 子どもの笑顔に未来が見えた | |
157 | 狭められた子どもの空間 | |
159 | ぼくらのまいにち | |
165 | 戦後スポーツのスタート | |
167 | たのしい運動会 | |
169 | 東京五輪から市民スポーツへ | |
171 | 輝かしき学校運動部 | |
173 | カープを見つめるひとびと | |
177 | 広島アジ競技大会 | |
181 | 原爆を描く | |
183 | 美術館 | |
185 | 美術展と美術賞 | |
187 | 原子雲の下の文学 | |
191 | 演劇半世紀のドラマ | |
195 | 市民と音楽 | |
199 | チケット50年 | |
203 | 地域のなかの公民館 | |
205 | 映像のなかの広島 | |
207 | 姉妹都市の歴史 | |
209 | カメラ少年の8・6 | |
211 | 原爆犠牲者の追悼 | |
213 | 被爆者援護 | |
217 | もえあがる反核運動 | |
219 | 広がる反核の波 | |
221 | 広島を訪れた外国人 | |
223 | 被爆体験を知らせる | |
225 | 体験を伝える | |
227 | 継承運動が広がる | |
229 | 被爆建物さまざまなその後 | |
231 | 新聞社会面のヒロシマ | |
233 | 切手の中の原爆 | |
235 | 町の中の「平和」 | |
239 | 平和記念式典のあゆみ | |
241 | 50年目の8月6日 | |
第2部 50年おもなできごと | 247~ | |
1945 | 8月6日のカメラマンたち/戦禍につづく冷風禍一枕崎台風/被爆直後の新聞報道 <残っていた戦時中の防火水槽 > | |
1946 | 復興審議会の設立と役割/本通商店街のあのころ一中山良一の遺稿から/食糧メーデー <雑草を食べて飢えをしのぐ > | |
1947 | 町内会・部落会・隣組の廃止一政令15号と市民生活一/初の公選市長・浜井市政の発足/「原爆十景」の選定 < 机がほしい、窓ガラスがほしい! > | |
1948 | 児童文化会館の建設/サマータイム/広島で生まれたエスキーテニス <戦後初のプロ野球試合 > | |
1949 | フロイド・シュモーと「ヒロシマ・ハウス」の建設/ノーマン・カズンズと国際精神 養子連動/海外布住者からの復興援助 <市民を悩ませた衛生害虫 > | |
1950 | 天気図がはじめて新聞に掲載される/開かれなかった平和祭/評判が悪かった平和祭/原爆ドームの史跡指定決議 <紙しばいが免許制になる > | |
1951 | 文化行事が盛んになる/第6回国民体育大会の開催 < 盗まれた平和の鐘> | |
1952 | 原爆死没者慰霊碑と碑文/戦後広島の演劇と広島民衆劇場 <バタンコの登場 > | |
1953 | 原爆文学論争 <ラ・パンセ像の出現> | |
1954 | ビキニ事件と原水爆禁止運動/被爆体験記の刊行が活発化 <中国大動物園の盛況> | |
1955 | 文化施設の落成/戸坂・中由・井口3村の編入合併 <本通りのオーニング倒壊> | |
1956 | 「原爆の子の像」の建立/原爆乙女の渡米治療 <テレビ劇場の登場> | |
1957 | 百メートル道路と供木運動/交通事故の激増とノークラクション運動/バスセンターの開業 <第1回春季赤ちゃんコンテスト > | |
1958 | 広島復興大博覧会の開催 <平和公園でホタル狩り > | |
1959 | ごみ焼却場の建設が始まる/ホノルル市との姉妹都市縁組 < 放水路工事で魚ピチピチ > | |
1960 | 原爆ドームの存廃論議/フェニックス号、広島に帰る <ユースホステルの開所 > | |
1961 | 広島空港の開港/「20歳の直言」募集始まる/戦後最大規模のメーデー <レジャーブーム到来> | |
1962 | 「交通地獄から「交通戦争」へ/「二都物語」の波紋 <広島市の動物園 > | |
1963 | 38年豪雪と過疎化の波/失業対策事業の45年 <ヘルスセンターの隆盛 > | |
1964 | 山陽本線の電化/原水禁運動の分裂と新しい展開 <東京オリンピックの聖火リレー> | |
1965 | -66 三篠川の氾濫/陸上自衛隊の観閲行進/広島民衆駅の落成と開業/的場町河岸の強制立ち退き執行 <しぐさの社会史> | |
1967 | -68 「原爆スラム」の火災と再開発/原爆ドームの保存工事完成/「原爆白書」運動と原爆被災資料広島研究会 <ミニスカートの大流行> | |
1969 | -70 大学紛争と広大統合移転/原爆記録映画を市民の手で <大阪万博の大盛況 > | |
1971 | -72 昭和40年代の広島市の公害/安佐動物公園の開園 <ポケベルの登場> | |
1973 | -74 広域合併の推進/米国からの被爆資料の返還 <歩行者天国} | |
1975 | -76 ごみ非常事態宣言/広島市植物公園の開園 <マンガブーム再び> | |
1977 | -78 ひろしまフラワーフェスティバル/広島市西部開発事業の展開 <市民菜園が大人気 > | |
1979 | 文化行政の展開 <アメリカの「船上デパート」寄港> | |
1980 | -81 政令指定都市広島の区名の決定/反核運動の新しい波10フィート連動/被爆瓦の発掘と「ヒロシマの碑」建立運動 <ドルトムント路面電車が広島に > | |
1982 | -83 反核20万人集会/相生橋の架けかえ工事/段原再開発の工事が始まる <週休2日制始まる> | |
1984 | -85 原爆死没者慰霊碑の改築/第1回ワールドカップ・マラソン広島大会/第1回国際アニメーションフェスティバル広島大会 <ハレー彗星を観る> | |
1986 | -87 旧国鉄宇品線の廃止/アストラムラインの建設 < 平和記念ポストが平和記念公園に> | |
1988 | -89 築城400年を迎えた広島城/海と島の博覧会開幕 <広島市現代美術館の開館 > | |
1990 | -91 アニメと反核/台風19号の襲来 <「カラオケ花見」の自粛を > | |
1992 | -93 米スミソニアン原爆展問題/新広島空港の開港毎 <サメ騒動 > | |
1994 | 広島アジア競技大会の開催/広島市立大学の開学 <カラカラ天気に泣く> | |
1995 | 広島市の被爆50周年記念事業 <ヒロシマエバヤマザクラ> | |
特論 | ||
323 | 1.占領下の広島 | 中川剛 |
325 | 2.プレス・コードとヒロシマ | 好村富士彦 |
327 | 3.講和条約と広島 | 宇吹暁 |
329 | 4.広島の復興をどうみるか | 石丸紀興 |
331 | 5.60年安保と広島 | 宇吹暁 |
333 | 6.戦後建築の変遷過程 | 杉本俊多 |
335 | 7.生活者からの都市づくり 阪神大震災から被爆後50年を考える | 船場正富 |
337 | 8.戦後市政の特質 | 中川剛 |
339 | 9.高度経済成長と市民生活 | 高橋衛 |
341 | 10.広島の美術50年 | 金田晋 |
343 | 11.広島と音楽 | 広島と音楽 |
345 | 12.市民の活動にみる 広島のアイデンティティ | 嶋陸奥彦 |
347 | 13.教室不足のなかの戦後教育 | 菅井直也 |
349 | 14.戦後の社会教育 | 新見豊 |
351 | 15.レジャーとスポーツの現在 | 新井貞光 |
353 | 16.被爆者援護とこの50年 | 宇吹暁 |
355 | 17.次の半世紀へ継承を考える | 石田信夫 |
357 | グラビア・50年目の広島 | |
379 | 写真図版リスト | |
382 | あとがき | (松林俊一) |
再版(20010731) | ヒロシマの音楽「一本の鉛筆があれば…」CD付 |