広島県宗教連盟
略年表
年月日 | 事項 | 備考 |
19450806 | 被爆直後、爆心地に近い慈仙寺(現在の原爆供養塔付近)の境内は、臨時火葬場となり、そこには、氏名、年齢、性別などほとんどわからない痛ましい無数の死体が運ばれ火葬されました。 | |
194601 | 広島市宇品神田三丁目養徳院住職 国居道憲氏、呉市西辰川町白蓮寺住職 吉川元晴氏らが原動力となって、広島市戦災死没者供養会が設立され、名誉会長に浅野公爵、会長に広島市長が就任 | |
19460429 | 慈仙寺鼻に供養塔を建設することを決定 | |
194605 | 「広島市戦災死没者供養塔」建立。卒塔婆を形どった高さ6mのもの(木材不足のため張りぼて) | |
供養塔完成後の約1週間、広島県仏教連合会、供養会、町会連盟、広島市、広島県は在広各新聞社の後援で戦災死没者遺骨収容大供養週間とし、各町内会は、遺骨収集作業日とし、自主的に区域内の遺骨を収容し、追善供養を執行。 | ||
194607 | バラック建ての納骨堂と礼拝堂が市民の喜捨により建立。 | |
19460806 | 供養塔前で各宗派合同の慰霊祭。以後、毎年開催 | |
1950 | 広島市戦災死没者供養会を「広島戦災供養会」に改組。新供養会は、地元各界から選ばれた民間組織となる。以後、毎年の慰霊祭は、供養会主催により8月6日、朝6時15分から執行。 | |
195507 | 50m北寄りの現在地に新供養塔を建設。大きさ:直径16m、高さ3.5m。表面に芝生を植える。 | |
以上の出典:『原爆供養塔ができるまで – 広島市公式ホームページ 』(原爆供養塔ができるまで – 広島市公式ホームページ https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/atomicbomb-peace/15507.html | ||
19960806 | 『広島県宗教連盟「戦後五〇年」誌 平和と慰霊・追悼の歩み』刊行。 | |