鎮魂之碑

鎮魂之碑

建立年月日:1975年8月
場所:広島市・比治山公園・陸軍墓地
(正面)
HIC124A
HIC124b
(正面)鎮魂の碑
友よ 安らかにねむれ
兄等 修羅の巷に逝きて三十年
祖国存亡の秋に 少年学徒の身をもって馳せ参し 人類史上例をみない被爆によってこの地にねむる

瀕死の身をいとわず友の安否を訪ねし兄等
混迷のまにまに痛恨の思いをのこして散華せし友よ
兄等ののこした痛哭の思いは生きのひた吾等の心に今なおうずく

ここ同期の友等相集い 兄等在りし日の至純を追慕し いまわの声を継承しとわの平和を誓う
安らかにねむれ 若き日の友よ

(裏面)爆死者名簿(原文左横書)
由来記
船舶特別幹部候補生は 第二次大戦の末期 風雲急を告げる戦局打開のため志願応募した学徒少年兵で 若潮部隊と称されていた。主力は海上挺身戦隊として小型舟艇に爆雷を搭載し 先輩は比島及び沖縄に出撃千有余名の者が散華していった船舶通信隊補充隊特別幹部候補生隊は小豆島での基礎教育後広島に転属 *と称した輸送船舶の通信用員として 千田町
国民学校を宿舎にして教育を受けていた
八月六日 朝の点呼中校庭で被爆 帰営中の三期生を含め 全員が重軽傷を負い特幹隊は壊滅の状態に陥ちた
各施設に収容されたものの 終戦の混乱で治療もままならず 旬日のうちに数十名の者が散華していった
昭和四十五年以来生存者有志相集いこれら友の惨死を風化させるにしのびず 相はかりて還らざる友の冥福を祈り あわせていまわの声を継承し とわの平和を誓って鎮魂の碑を建立するものである

昭和五十年八月吉日元船舶通信隊補充隊特別幹部候補生隊
若潮千通会有志一同建之

若潮千通会