広島市商同窓会

広島市立商業学校・広島市立造船工業学校
原爆戦没者慰霊碑

建立年月日:1963(昭和38)年8月6日

場所:広島市・平和記念公園

撮影日:2015年8月6日 08:59 撮影:宇吹暁
CIMG5582 (2)

(正面)(原文右横書き)

慰霊碑

(裏面)

建立発起人総代
広島市商同窓会々長 堀江守
同     副会長 平岡繁穂
同 同   大田広一
遺族代表      宮本卯三郎
広島市立造船工業学校原爆戦没者(略)
広島市立商業学校卒業生戦没者(略)

〔左側碑〕

碑文
青天の霹靂とはまさにこのことであった
昭和二十年八月六日午前八時十五分 われらの郷土広島は ただの一発の原子爆弾によってこの世ながらの地獄を現出し一瞬にして壊滅した
われらが母校広島市商は当時造船工業に転換を余儀なくされていたのであるが 当時学徒動員市内建物疎開作業に出動中の生徒二七〇名付添職員三名もまた 全滅の悲運に遭った
われらは年少の諸君の清純熱烈な愛国の至情に想いを至し 可憐悲痛全くいうべき言葉を知らない
われらここに殉難生徒職員各位の諸霊の冥福を祈り かくの如き悲劇の再び人間の手によってくり返さしめざることを誓うとともに 併せて今次大戦を通じて戦列に参加し 奮戦苦闘武運拙くも散華して護国の鬼と化した多数の旧市商同窓生各位の英霊をも弔うべくこの碑を建立し われらの微衷を永く後世に伝えんとするものである
昭和三十八年八月六日
広島市商同窓会 造船工業学校遺族
広島市商業高等学校長 田中浩造
撰文

〔右側碑〕(原文左横書き)

原爆戦没者慰霊
原爆死没者(五八名人名略)
戦争死没者(一〇一名人名略)

〔説明柱〕

広島市商業学校
広島市造船工業学校
原爆戦没者慰霊碑標