『ナガサキを考える 被爆50周年原爆平和報道記録』(長崎新聞社、19960701)
内容
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発刊にあたって(長崎新聞社報道部) | ||
被爆50周年は「長崎を地球最後の被爆地に」と叫び続ける地元紙にとってその責任と使命を問われる重いテーマでした。原爆の生き証人である被爆者の平均年齢はすでに65歳。被爆百周年という次の節目を迎えられる被爆者はほとんどいない、という厳然たる事実があるからです。週1ページ企画の「ナガサキを考える」シリーズは、被爆地長崎が抱える原爆・平和問題を洗い出し、読者に提起すると同時に、記者自身が現場で問題点を今一度とらえ直そう、と始めました。若手記者が原爆取材に飛び込むきっかけになれば、との期待もありました。被爆遺構、援護法、平和教育、原爆語り部、戦争責 任などのテーマでほぼ毎週掲載、被爆51周年の現在も続け原爆、平和間題のページとして定着しました。このシリーズの中から数多くの連載が生まれました。被爆50周年の一年間に取り組んだ原爆平和関連の企画物は報道部だけでも20シリーズに上ります。 このたび、長崎新聞が被爆50周年に取り組んだ原爆平和企画を記録する冊子を発行する運びとなりました。「ナガサキを考える」を中心に社説、文化面企画などを加えた内容で、企画の背景を分かりやすくするため、一般記事の一部も入っています。スクラップ集となりましたが、行間に長崎新聞社の記者の平和への思いを込めています。学校で、地域で、原爆平和を考える資料に活用していただければ幸いです。 |
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01 | 社説<1995年> | |
被爆50周年を迎えて 長崎はいま何をなすべきか(1月1日) 長崎から核廃絶の一歩を(6月11日) 遠く険しい核廃絶への道(6月17日) 核兵器廃絶に新たな運動を(8月9日) 長崎に艦船は似合わない(9月15日) |
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第1部 ナガサキを考える 被爆50周年を前に | ||
1994年 | ||
忘れ去られたもう一つの鳥居(5・8) 危機に直面-援護法制定運動(5・15) 修学旅行に見る中学校の平和教育(5・22) 国連軍縮広島会議を終わって(5・29) 減少する「語り部」(6・5) いつ出る厚生省見解i残留プル報告書棚上げ状態?(6・19一) 埋もれゆく被爆体験集(6・19) ずさんな戦後処理浮き彫り(6・26) 心に刻めるか戦争責任(7・3) 実現できるか被爆者援護法(7・10) 各界の声を集めンンポー長崎平和大集会(7・24) 核軍縮を求める二十二人委員会(7・31) 学年一体で取り組み―長崎・横尾小平和教育(8・7) 長崎平和推進協会発足十二年目の課題(8・21) 故岡正治氏が残したもの(8・28) 教師27人中国の旅(9・4) 保存か再開発か住吉トンネルエ場跡(9・11) 国家補償の援護法をめざして(9・18) 建て替え進む国際文化会館(9・25)高校の平和教育(10・2)国家機密のベールー旧三菱兵器製作所(10・9) 運営基盤揺れる放影研(10・16) 援護法で自、社協議「均衡論」めぐり難航(10・23) 米・スミソニアン博物館原爆展「投下の正当性」に懸念(10・30) 8・9登校定着しない北松地区(11・13) 非核自治体宣言県内実施二割弱、全国四十五位(11・20) 政府と野党の思惑先行―援護法審議入り(11・27) 被爆資料は貸し出しすべきか―米スミソニアン原爆展計画修正(12・11) もう一つの悲願一「被爆地域是正」(12・18) |
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1995年 | ||
被爆者の「自分史」(1・15) 被爆遺構保存ピンチ(2・19) 近づくNPT会議、国連軍縮会議長崎会議(2・26) 記念事業は市民参加型に―長崎市の被爆50周年記念事業(3・5) 「語り部」のインド平和の旅(3・12) あの日の惨状伝えたい―恵の丘原爆ホーム原爆劇(3・19) 軍縮会議プレ会議(3・23) もっとアジアへ、情報発信(3・26) 外国人の意見ノート、文化会館(4・2)どうなる原水禁運動―(4・9) 語り部続け26年、証言の会(5・21) NAC平和大使(5・28) 被爆地にもう一つの顔、兵器生産(6・4) 原爆、日米にギャップ(6・11) 国連軍縮長崎会議閉幕(6・18)シンポ(7・4) もう一つの語り部、バスガイド(7・16) 県議会・市議会50年決議(7・30) 平和宣言の50年(8・13) 追悼の碑歩こう(8・20) チェルノブイリ、生かせ被爆地(8・27) 被爆地是正、相次ぐ決議(10・1) 国際司法裁判所(10・29) 核実験抗議の座り込み(11・12) 外国人被爆者コーナー(11・24) 教育研究集会(12・3) 市長語録(12・10) |
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1996年 | ||
大学の役割(1.・7) 核兵器国際法違反・古川教授に聞く(1・14) フランス世論、ミホ・シボさんに聞く(1・21) 学ぶべき広島の行動力(1・28) 抗議の旗降ろさず(2・4) 海外に平和通訳ネットワークを(2・11) 絵筆に託す体験継承(2・18) 共通理解へ問いかけ(3・10) |
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第2部 原爆平和企画報道 | ||
1994年 | ||
「消えた国家補償」(5回) | ||
1995 | ||
語り継ぐナガサキ「原爆の子」(4回)(1・1) 語り継ぐナガサキ「原爆孤児」(6回)(1・25) 語り継ぐナガサキー千恵子の日記」(5回)(3・14) 遠い碑(8回)(1・31) 被爆遺品展示せず、「溝は埋められるのかI(6回)(2・7) 「生きていてごんめねI(8回)(5・17) 「届けナガサキの声」(2回)(6・8) 動員被爆の少年少女たち・第1部(5回)(6・6) 動員被爆の少年少女たち・第2部(10回)(6・11) 平和市長の16年(19回)(6・9) 無言の告発(15回)(6・6) 被爆遺構ワイド(6・21) 平和の礎(3回)(7・4) 広がる米原爆展論争(5回)(7・8) アメリカ人の原爆観(12回、学者の意見)(7・18~30、8・6) 原爆論争-米の歴史家こう見る(8・6) アジア人の原爆観(10回)(8・1~10) 夏雲の丘(20回)(7・15~8・30) 平和を伝えて(7回)(7・21) 山里小学校「50年目の鎮魂」(3回) 「焦燥の夏」(5回) 「夢の祖国」(7回) 「怒りの南太平洋」(8回) 「断絶に向き合った被爆者たち」(6回) 「核を裁く」(4回) |
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1966年 | ||
「揺れる被爆国」(1~15) | ||
資料編 | ||
1994年 | ||
援護法実現へ(11・3)
援護法―消えた「国家補償」(11・3) 公聴会(12・1) |
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1995年 | ||
国連軍縮長崎会議(開幕、声を世界に、アンケート)(6・13) フランス核実験再開(シラク大統領発表)(6・15)会議閉幕((6・17) 沖縄50年(6・24) ピースサミット(6・25) スミソニアン、エノラ・ゲイ展開幕(6・30) 米艦船受け入れ、市長が表明 韓国で原爆展(開幕、反応)(7・26) 天皇訪問(7・27) |
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山里小学校 | ||
被爆50周年平和祈念式典 | ||
終戦記念日アンケート | ||
終戦記念日 | ||
中国核実験 | ||
フランス核実験 | ||
フランス核実験強行 | ||
フランス核実験 | ||
フランス核実験 | ||
ブルーリッジ長崎入港 | ||
市長を証人申請 | ||
フランス核実験 | ||
市長、国際法違反を明言 | ||
フランス核実験 | ||
1996年 | ||
フランス6回目核実験 シラク大統領核実験停止宣言 核なお二万発、廃絶の叫び世界へ 忘れないあの惨禍、人も街も消え |
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止