「車の両輪」論
(原水爆禁止日本協議会「第六回全国理事会議事及決定事項」1958.3.11)<抄>
このようにして第一回世界大会では感情的であったにせよ救援運動の方向が大きく打ち出されたのであって、事実この大会以后世間の被害者に対する関心は急速に高まり、被害者自身もはげまされて立ち直りはじめた。この大きな動きは一九五六年八月ナガサキにおける第二回大会において更に強められ理性化され「日本原水爆被害者団体協議会」が発足するに至った。この間にあって、救援運動と禁止運動は切りはなせない関係にあり、車の両輪の如く、噛み合って進められなければならないことが広く確認され、また事実をもってそれは示されて来た。