雑誌反核1965
月 | 誌名 | 著者「タイトル」 | 備考 |
01 | 現代の眼 | 編集部「記録・原潜寄港の2年間」 | |
02 | 歴史学研究 | 朴慶植「地平洋戦争における朝鮮人強制連行」 | |
02 | 歴史学研究 | 総合部会 原水禁運動をめぐって | |
遠山茂樹「戦後平和運動の歴史」 | |||
峰岸純夫「第10回原水爆禁止世界大会参加記-とくに階層別集会『科学者協議会』を中心に」 | |||
深谷克巳「平和運動と歴史学」 | |||
0301 | 日本読書新聞 | 日高六郎「人間の威厳と人間の連帯-大江健三郎氏の『ヒロシマ・ノート』が訴えるもの」 | |
0419 | 日本読書新聞 | いいだ・もも「<美しい雲>と戦後 俳優座〔ザ・パイロット〕を観て」 | |
0419 | 日本読書新聞 | 「連載 ドキュメント ヒロシマ八月六日(6) | |
05 | 歴史学研究 | 清水知久「第2次大戦終了期アメリカのアジア政策」 | |
07 | 歴史評論 | 今堀誠二「歴史への旅 パールバックとエドガー・スノー」 | |
07 | 歴史評論 | <アンケート>危機に想う 2 | |
今堀誠二「核兵器使用反対運動を」 | |||
太田秀通「」、永原慶二「」、増井経夫「」 | |||
石井金一郎「許しがたいくりかえし」 | |||
直木幸次郎「」、門脇禎二、鈴木良、平野義太郎、、、、、 | |||
07 | 歴史評論 | <ものみやぐら> | |
1、ベトナム・・・ | |||
2、ベトナム・・・ | |||
3、ベトナム・・・ | |||
4、ベトナム・・・ | |||
5、日本史資料センター問題、東京で第1回公聴会 | |||
学術会議人文科学特別委員会主催 | |||
0711 | 朝日ジャーナル | アーサー・ハーザック「アメリカの戦争・平和グループ」 | |
連載 1965年7月11日~8月29日 Vol.7 NO.28~36. | |||
08 | 科学朝日 | 特集 広島・長崎原爆から20年 | |
08 | 科学朝日 | 杉原芳夫「原爆症をめぐる二つの立場」 | |
08 | 科学朝日 | 「長崎原爆症の実態」 | |
08 | 科学朝日 | 熊取敏之「ビキニ被災者の臨床医的経過」 | |
08 | 科学朝日 | 塚本憲甫「国連科学委員会におけるその後の討議」 | |
08 | 科学朝日 | 藤井正一「原子爆弾と建築物」 | |
08 | 科学朝日 | 岸田純之助「核軍縮の協定を急げ」 | |
08 | 放送RCC | 私の戦後20年 | |
深川宗俊 | |||
小林みさを | |||
蜂谷道彦 | |||
08 | 放送RCC | 編集部「原爆特集番組を顧みて」 | |
●原爆特集番組一覧 | |||
0802 | 日本読書新聞 | 渡辺一衛(『方向感覚』同人)「市民派の独自性-異なる様式のままの統一を」 | |
0807 | 図書 | 三好徹「原爆に忘却の麻酔はきかない 4冊の原爆書から」 | |
0809 | 日本読書新聞 | ”ヒロシマ”と私 大江健三郎『ヒロシマ・ノート』を読んで 第3回「私の読書ノート入選発表」 | |
日高六郎「応募作を読んで 4つの典型的視角-問題の所在そのものを暗示する」 | |||
入野忠芳(25歳・画家)「共有されるべき原点 ヒロシマは特殊だろうか?否!」 | |||
遠藤昭己「」、吉村敬一郎「」、斎藤酉子「」 | |||
0809 | 日本読書新聞 | NEWS 「8・15を迎えるにあたっての訴え 平和と民主主義の理念を再確認するため」 | |
0813 | 週刊朝日 | ヒロシマの影いまだ消えず 原爆病院重藤院長のみてきた20年 | |
0830 | 読書新聞 | 小久保均「続日本教育探検(5)ある被爆少女」 | |
09 | 現代の眼 | いいだ・もも「市民民主主義運動の論理と心理」 | |
0906 | 日本読書新聞 | 石田郁夫「”原爆の死者”との対話 被爆記録が今日に語りかけるもの」 | |
11 | 文化評論 | 中根博「被爆者問題とテレビ番組」 | |
11 | 文化評論 | 第11回原水禁世界大会のあとに(その1) | |
北西允「広島の被爆体験と原水禁運動のあゆみ―一知識人活動家のおぼえがき」 | |||
11 | 文化評論 | 第11回原水禁世界大会のあとに(その2) | |
山代巴「一つの補足―『この世界の片隅で』を編集して | |||
12 | 現代の眼 | 汐見太郎「道徳再武装運動の謎」 | |
12 | 現代の眼 | 峠三吉「ユートピア・ヒロシマ」1946・7・20 | |
中国新聞懸賞募集「ユートピア・ヒロシマの建設」応募作品1等当選作 | |||
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