年表:イワクニとヒロシマ 1965年~<作業中>
年月日 | できごと | 備考 |
出典 『中国新聞』= 特記のない場合 [イワクニ]=『基地イワクニ~日米安保のはざまで~』(中国新聞社、19960802) |
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1965 | ||
02 | 米軍、北ベトナム爆撃(北爆)開始。ベトナム戦争に本格介入。[イワクニ] | |
06 | 第1海兵航空師団の司令部や第12飛行大隊(2個中隊)など基地の主力、南ベトナムに移駐。 | |
1966 | ||
08 | 岩国日米協力会、不景気でベトナム帰休兵受け入れと第7艦隊寄港促進の署名運動。革新団体は反対署名。 | |
1967 | ||
03 | 基地に女性海兵隊員6人配属。海兵隊上級幹部も家族同伴認める。 | |
1968 | ||
05 | 基地開放デー。ベ平連、ベトナム戦争反対や脱走を呼びかけるビラまき。 | |
06 | 反戦学生ら250人、基地周辺で基地撤去デモ。警官と衝突、3人逮捕。 | |
1969 | ||
0718 | 米海軍岩国基地のF4Bファントム戦闘爆撃機が岐阜県美濃加茂市の山林に空対空ミサイル「スパロー」1個を誤って落とす。同基地は「核装備はしていない」。 | |
08 | 第1次ベトナム撤兵で、ファントム中隊が岩国に帰還。 | |
1970 | ||
03 | ベ平連、岩国で本格活動始める。基地に反戦米グループ誕生。 | |
1971 | ||
0310 | 1942年、世界で初めて核連鎖反応実験に成功した米シカゴ大の黒鉛ウラン型原子炉の黒鉛の一部を、米軍人が原爆資料館に寄贈。米海兵隊岩国基地のカール・スミス少佐「原子力開発の歴史を知る一助に」 | |
1116 | 衆院沖縄返還協定特別委員会。社会党の楢崎弥之助、「岩国市の米軍岩国基地に核兵器が貯蔵されている疑いがある」と政府を追及。 | |
1117 | 米軍岩国基地で、楢崎弥之助(社会党)が指摘した「赤色」の弾薬プレートが黄色に塗り替えられる。 | |
1117 | 衆院沖縄返還協定特別委員会。福田赳夫外相、「米政府に確認した結果、岩国に核兵器はないとの返事」との答弁。 | |
1118 | 米海兵隊岩国航空基地のバンキャンペン司令官、記者会見。核貯蔵を間接的に否定。B52の飛来も否定。 | |
1119 | 森滝市郎広島県原水禁代表委員ら15人、米軍岩国基地を訪れ「核兵器、毒ガスの即時撤去、基地自体の撤去を要求する」と抗議。 | |
1122 | 森滝市郎ら社会党系の原水禁団体、被爆者団体が米軍基地司令官との面会を求め基地前で座り込み。 | |
1122 | 成田知巳社会党委員長、国会内で記者会見。「楢崎弥之助氏が岩国基地に核・生物・化学兵器部隊が存在する証拠を入手」と発表。資料は基地電話帳の記述。 | |
1122 | 朝枝俊輔岩国市長・岸本孝二山口県副知事、バンキャンペン岩国基地司令官と面会、核疑惑をただす。 | |
1124 | 防衛庁、「米軍岩国基地を調査した結果、基地に核・生物・化学兵器はなかった」と発表。 | |
1209 | 米軍岩国基地でこの3月にヤギ10頭を飼い、一晩で全部が死んだ事実が分かる。基地側は「野犬にかみ殺された」と発表。 | |
1218 | 岩国市体育館で米女優ジェーン・フォンダさんら自由劇団(FTA)の反戦ショー。ベ平連主催。約1000人の米兵が参加。 | |
1982 | ||
1128~29 | 中国5県の原水協、平和委員会、安保破棄・諸要求貫徹実行委員会主催「82年岩国基地平和行動」。 | |
『広島民報』No.854(19821114) | ||
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