『[重要文献・資料集]1977 核兵器廃絶と原水爆禁止運動の国民的統一をめざして』(原水爆禁止日本協議会 19770706)
目次
章 | 節 | 見出し | 備考 |
1 | 原水爆禁止世界大会 | ||
1 | 第19回原水爆禁止世界大会・核兵器完全禁止の国際協定締結をめざす長崎アピール(1973・8・10) | ||
2 | 第20回原水爆禁止世界大会・一般決議(1974・8・7) | ||
広島から全世界へよびかける–核兵器完全禁止国際協定実現のための行動を(1974・8) | |||
3 | 第21回原水爆禁止世界大会・ヒロシマ・アピール(1975・8・7) | ||
一般決議(1975・8・7) | |||
日本代表団の決意と訴え(1975・8・7) | |||
被爆者への援護・連帯の活動を強めよう(1975・8・7) | |||
東京大会の決議(1975・8・1) | |||
長崎大会の決議(1975・8・9) | |||
4 | 第22回原水爆禁止世界大会・決議(1976・8・6) | ||
国際連合への要請(1976・8・6) | |||
第5回非同盟諸国首脳会議への書簡(1976・8・6) | |||
日本代表団決議(1976・8・6) | |||
東京大会の決議(1976・7・31) | |||
長崎大会の決議(1976・8・9) | |||
2 | 原水爆禁止運動の到達点と国民的統一の展望 | ||
1 | ビキニ被災23周年73年三・一ビキニデー全国行動中央集会 | ||
日本原水協報告(1977・2・27) | |||
決議(1977・2・28) | |||
2 | アメリカ合衆国 J・カーター大統領への公開質問状(1977・3・1) | ||
3 | 福田内閣総理大臣への公開質問状(1977・3・1) | ||
4 | いまこそ原水爆禁止運動の国民的統一と統一世界大会を実現しましょう(1977・4・4) | ||
5 | 日本原水協第111回常任理事会決定(1977・4・4) | ||
6 | 77年三・一ビキニーデー決議実践、原水爆禁止運動の国民的大統一と原水爆禁止統一世界大会の実現をめざす運動の柱 | ||
7 | 日本原水協第43回全国理事会決定(1977・4・23~24) | ||
1976年度の運動総括 | |||
1977年度運動方針 | |||
3 | 原水爆禁止運動の発展と国民運動 | ||
1 | 全人類を敵とするアメリカの核政策(1976・9学習資料第4集) | ||
2 | 日本原水協の運動の歴史とひろがりつつある新しい展望(1976・9 学習資料第4集) | ||
3 | 原水爆禁止の国民運動を前進させるために(1976・5学習資料第2集) | ||
4 | 市区町村原水協の組織と運動の確立・強化(1976・5学習資料第2集) | ||
5 | 76年度原水爆禁止国民平和大行進のとりくみに関する総括・全労働省労働組合―(1976・9) | ||
参考資料 平和行進総括票の意見一覧 | |||
6 | 核兵器のない世界をめざして―初期世界大会の宣言決議にみる―(原水協通信1975・11~1977・4連載) | ||
4 | 核兵器廃絶をめざす内外の運動の発展 | ||
1 | 核兵器禁止をねがう科学者フォーラム特別決議(1975・7・13) | ||
2 | 被爆30周年広島国際フォーラム特別決議(1975・8・4) | ||
3 | 広島・長崎被爆30周年にあたり、日本宗教者からのアピール(1975・8・6) | ||
4 | 第25回パグウォッシュ・シンポジウムにさいして、湯川、朝永両氏が発表した宣言(75・9・1) | ||
5 | 国際平和ビューロー(IPB)主催のブラッドフォード(イギリス)会議 | ||
世界軍縮会議へむけてのよびかけ(ブラッドフォード提案) (1974・9・1) | |||
6 | 核兵器不拡散条約再検討会議に提案された附属議定書案と決議案(1975・5) | ||
7 | 第21回原水爆禁止世界大会への国連事務総長ワルトハハイム氏のメッセージ(1975・8) | ||
8 | 軍縮と社会正義のための米大陸横断平和行進、8月6日のよびかけ(1976・1) | ||
9 | 核軍拡競争の終結と世界軍縮のための国際フォーラム・ヨーク宣言(1976・4・1) | ||
10 | 核兵器使用禁止条約(案) (1976・8) | ||
11 | 核廃絶へ橋頭堡-平和に生きる権利・平野義太郎―(1976・8・1) | ||
12 | 第5回非同盟諸国会議、軍縮に関する決議(1976・8) | ||
13 | 第31回国連総会、全面完全軍縮に関する決議(1976・12・21) | ||
14 | 平和勢力世界フォーラムについて(1977・1・14~16) | ||
15 | ICDP(軍縮と平和のための国際連合)の声明(1977・2) | ||
16 | 資料・軍縮特別総会についての日本政府見解(1977・4・15) | ||
17 | アメリカでの核兵器第一撃放棄決議案など(75) | ||
18 | 核兵器相互先制不使用条約案(1976・11・25) | ||
19 | 関係年史 ヒロシマ・アピールと核廃絶の国際的潮流 | ||
5 | 核兵器完全禁止国連要請派遣運動とその成果 | ||
1 | 国連要請、日本原水協代表団の成果にたって原水爆禁止運動の新たな前進を(1974・12・14) | ||
2 | 核兵器全面禁止国際協定締結、核兵器使用禁止の諸措置の実現を国連に要請する各界代表団派遣についての お願(1975・10) |
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3 | 国連要請国民代表団の帰国にあたって(1975・12・14) | ||
4 | ワルトハイム国連事務総長の声明(1975・12・8) | ||
5 | 核兵器完全禁止・国連要請第二次国民代表団の活動について(1976・10・27) | ||
6 | 国連事務総長への書簡(1974・11・12) | ||
7 | 国連事務総長への手紙(1975・12・8) | ||
8 | 国連事務総長への手紙(1975・10) | ||
6 | 「被爆問題国際シンポジウム」について | ||
1 | 国連非政府組織(NGO)軍縮特別委員会第22回会議決議(1976・2・3) | ||
2 | 国連NGO主催「被爆の実相のその後遺・被爆者の実情に関する国際シンポジウム」 (仮称)支持のよびかけ(1976・12) | ||
3 | 被爆の実相とその後遺・被爆者の実情に関する国際シンポジウムについての経過説明その1 (1976・9・1) | ||
経過説明その2(1976・9・20) | |||
経過説明その3(1976・12・23) | |||
経過説明その4(1977・2・21) | |||
4 | 「被爆問題国際シンポジウム」について世話4団体覚書(1976・10・2) | ||
5 | 「被爆問題国際シンポジウム」の準備状況について | ||
(1977・5・10・ICDAニュース」No.1より) | |||
7 | 被爆者援護法制定と非核三原則の立法化 | ||
1 | 被爆者援護法の大綱―日本原水協の提案(1973・4・18) | ||
2 | 地方自治体が制定すべき原爆被害者等援護条例の要綱(1975) | ||
3 | 日本原水協・非核三原則の立法化についての要綱 | ||
4 | 日本共産党・核兵器禁止法案(1973・4・23) | ||
5 | 資料・原子力基本法-抜すい―(1955・12・19法律186号) | ||
6 | 参考資料 | ||
①核積載艦船の日本領海通過に関する政府統一見解(1974・12・25) | |||
②領海拡大についての政府決定(1977・1・26) | |||
③国際海峡に関する政府統一見解(1977・2・23) | |||
8 | 原水爆禁止運動の国民的統一のために | ||
1 | 広島・長崎アピールー五氏アピールー(1977・2・21) | ||
付・核廃絶をめざす」運動とその展望 | |||
2 | 日本共産党と総評との合意事項(1976・12・27及び77・02・17) | ||
3 | 被爆の実相と後遣を究明し、これを世界に広め、核兵器を廃絶するために、すべての宗教者が協力することを心から訴えます。(1977・3・1) | ||
4 | 地婦連・日青協の声明(1977・4・9) | ||
5 | 原水爆禁止世界大会に関する協力要請-総評議長・槙枝元文氏から―(1977・4・27) | ||
総評議長・槇枝元文氏への日本原水協の回答(1977・5・13) | |||
6 | 統一世界大会開催に関する件申入れ―日本山妙法寺・国際部長佐藤行通氏から―(1977・5・9) | ||
日本山妙法寺の申し入れにたいする日本原水協の回答(77・5・13) | |||
7 | 日本原水協声明―原水爆禁止統一世界大会と運動の国民的統一の実現を願う―(1977・5・13) | ||
8 | 統一世界大会開催に関する件申入れ―日本山妙法寺国際部長佐藤行通氏から―(1977・5・14) | ||
9 | 日本原水協第2回在京榿当常任理事会の決定事項(1977・5・20) | ||
10 | 5・19合意書―原水爆禁止国民会議代表委員・森滝市郎氏、原水爆禁止日本協議会理事長・草野信男氏―(1977・5・26) | ||
11 | 日本原水協拡大常任理事会決議(1977・5・26) | ||
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