年表:小西のぶ子(抄)

「小西のぶ子年表」(『炎の巡礼者 ヒロシマの母 小西のぶ子遺稿集』所収)

月日 事項 備考
1906 1025 草津(現在広島市西区)に生まれる。父・小西末吉、母・ヨリ。
1928 日本大学専門部社会科にて三木清に学ぶ。
1941 広島電鉄社会福利課勤務(寮母)
1945 0806 広島にて被爆、一子満義(13歳)を失う。
0926 応急の事務室の黒焦げ電車の中で三木清の獄死を知る。
0927 原爆症で動けなくなる。※蝸牛吟社の同好となる(緑雨の号)。
1949 広島電鉄労組婦人部長、私鉄総連中国地方婦人部長。
06 日鋼争議を支援。
1950 0716 広島電鉄労組「勅令311号」違反容疑で家宅捜索、8名逮捕。
1002 平和擁護広島大会に峠三吉と共に議長団として参加。
1023 広島電鉄労組38名のレレッドパージ。姪の安部礼子婦人部長と共に広電を追われる。行商で妹和子と峠三吉の生計を支える。
1951 婦人民主クラブ広島支部設立。
1952 原爆被害者の会結成に参加。
※『われら母なれば(原爆体験記)』に「腐爛地蔵」発表―エスペラント語翻訳で世界に紹介される。
1955 0806 第一回原水禁世界大会に準備委(県婦協三役)として参加。於広島。
1956 第二回原水禁世界大会に被爆者代表として参加。於長崎。
1959 原水禁母の会結成。
※女性俳句誌『黒雨以後』に参加。
1960 安保闘争、婦人民主クラブとして国会闘争に参加。広大生逮捕者の救援活動
1961 『ひろしまの河』発刊、編集担う
1962 原水禁常任理事。
1965 母ヨリ失う。
1966 サルトルに出会う。
1967 『ひろしまの河』に宋年順聞き書きを発表。
※沖縄返還運動で訪沖。
1968 原子力空母エンタープライズ佐世保寄港阻止闘争に参加。
東北・北海道へ援護法制定要求行動50日行脚(巡礼に参加)
1969 0806 無期限スト封鎮中の広島大砦の八・六広島反戦集会に参加。
0818 広島大砦決戦の救援で活躍。
1970 0805 広島被爆者青年同盟結成に協力。
1971 0415 天皇来広糾弾闘争に参加。
0806 佐藤来広糾弾闘争に参加。
1010 全国被爆者青年同盟結成に協力。
中国訪問団(婦民)に加わる。
12 高陽病院建設全国キャラバン支援。
三里塚闘争に参加。
1972 0801 高陽病院(第一診療所)開設。
反公害、婦民運動、反弾圧闘争などに活躍。
婦民創立25周年に参加。
1974 戸村一作選挙応援。
1975 壱岐遺骨収集に加わる。
三里塚百万人動員中四国実行委員会結成、事務局長となる。
0417 三里塚現地集会に参加。
0622 反戦陂爆者の会結成、会長となる。
12 俳句集『腐爛地蔵』出版。
1978 0226 『腐爛地蔵』出版記念会。
1980 脳血栓で倒れる。
1981 草津南町義勇隊の碑建設。
1982 宮岡砂川反対同盟行動隊長の葬儀出席後北富士に行く。
反核行動(広島、大阪、東京)に参加。
『地獄絵』発刊。
1984 0910 骨折、脳血栓で入院(小山外科)。
1985 03 三里塚現地集会参加(最後)。
0805 8・5婦民集会参加(最後)。
11 入院(記念病院)。
12 退院。
1986 06 入院(加川外科)。
1987  0207 午前7時50分逝去(享年80歳)。