年表:レイノルズ夫妻

年表:レイノルズ夫妻<作業中

Y M D NEWS1
51 6 24 アール・レイノルズ(人類学者)、ABCC顧問として来広。
52 8 12 第7回日本公衆衛生学会(於札幌)で、ABCCのレイノルズ博士、被爆児童の発育調査結果報告。
56 11 3 バーバラ・レイノルズ、初めて広島を訪れる。(「ヒロシマ巡礼」)
58 6 11 レイノルズ一家のヨット「フェニックス号」、米のエニウェトク核実験に抗議するため、米ホノルル港を出港。広島の三上仁一も参加。23日、アメリカ沿岸警備隊の監視船に停船を命じられる。(「ヒロシマ巡礼」)
60 6 9 レイノルズ一家のヨット「フェニックス号」、横浜港に入港。
60 8 6 「原爆の子追悼のつどい」(第3回)、広島市平和公園の原爆の子の像の前で開催。約200人が参列。レイノルズ夫妻も。
61 8 9 原水禁世界大会出席の米国代表団「代表団員のアール・レイノルズ博士(広島女学院大客員教授)を代表団から除名する」と発表。7月30日、広島で開かれた全労系の原水禁全国討論会で日本原水協を批判したのが理由。
61 8 9 レイノルズ、記者会見で語る。「原水協にたいする一番大きな不満はアメリカや西欧陣営の核武装だけを問題にして、ソ連や中国にたいしてはなにもふれないことだ」
61 8 12 東京新聞「原水禁運動に望む-真正の平和集会を-目標失った原水協」(E・レイノルズ)
61 8 15 アール・レイノルズ、核兵器禁止・平和建設国民大会(東京)に特別来賓として出席し、これまでの原水禁運動を批判。
61 9 6 アール・レイノルズ(広島女学院大客員教授)、ソ連の核実験に抗議するためウラジオストックヘ抗議航海する計画を発表。
61 9 8 朝日新聞「こんどはソ連へ-レイノルズ博士、核実験に抗議-家族同伴ヨット航海で」
61 9 09? アール・レイノルズ、広島に国際平和科学研究所を設立する計画を発表。
61 9 19 ソ連核実験抗議のためウラジオストクへ向かうレイノルズ一家の壮行激励会、流川教会牧師・谷本清の提唱により広島平和公園で開催。広島市原爆被爆者協議会・広島青年連合会・全労地方会議・広島県宗教連盟など11団体から約150人が参加。(「ヒロシマ巡礼」)
61 9 21 中野清一広島大学政経学部長・谷本清流川教会牧師、レイノルズにソ連核実験抗議航海を思いとどまるよう説得。
61 9 22 法務省、旧ソ連の核実験抗議のためウラジオストクに向かうレイノルズの再入国申請を拒否。
61 9 24 フェニックス号、ソ連ヘ。アール・レイノルズ一家、ソ連核実験に抗議するためヨットでウラジオストックヘ向け広島港を出帆。市民500人が見送り。
61 10 7 メアリー・マクミラン、桑原英昭、谷本清ら30人、レイノルズを支援する「フェニックス会」を結成。
61 10 29 レイノルズの核実験抗議船〃フェニックス号〃ナホトカ入港を拒否され博多港に帰港。
61 11 12 レイノルズ夫妻ら、広島市に帰る。
61 11 15 アール・レイノルズ、核兵器禁止・平和建設国民会議の結成大会に出席し挨拶。(産経)
61 12 25 バーバラ・レイノルズ夫人と長女ジェシカ、原爆の子の像の前で平和祈念断食を行なう。
62 1 22 レイノルズ夫妻、「ヒロシマ平和巡礼計画」を発表。
62 2 4 ヒロシマ平和巡礼代表に松原美代子、英宏昌決まる。[レイノルズ]
62 3 10 「ヒロシマ平和巡礼」のバーバラ・レイノルズ、松原美代子、英宏昌、広島を出発。13日、羽田を出発。(「ヒロシマ巡礼」)
62 3 19 「ヒロシマ平和巡礼」のバーバラ・レイノルズ、松原美代子、英宏昌、米サンフランシスコに到着し、記者会見。
62 4 11 ヒロシマ平和巡礼、国連本部で米ソ代表に核兵器禁止を訴える。[レイノルズ]
62 4 11 「ヒロシマ平和巡礼」の松原美代子、英宏昌、米ニューヨークの国連本部を訪れ、バンチ事務次官らに核実験禁止への努力を要請。[レイノルズ]
62 4 23 英核兵器廃止運動主催の大行進、ロンドンに到着。野外大会で、「ヒロシマ平和巡礼」の松原美代子、英宏昌が挨拶。[レイノルズ]
62 4 30 「ヒロシマ平和巡礼」の松原美代子、英宏昌、ジュネーブに到着。[レイノルズ]
62 5 1 平和巡礼の広島原爆被災者松原美代子・英宏昌, 18カ国軍縮会議開催中のジュネーブでゾーリン・ソ連代表と会見. 広島平和行進委員会のメッセージを手渡す.[レイノルズ]
62 5 2 平和巡礼、米代表にも核実験停止を訴える。11日のタス通信, メッセージが軍縮委の公式文書として配布されることになったと報道.[レイノルズ]
62 5 26 広島平和巡礼委員会、タイム誌に抗議電報。[レイノルズ]
62 6 19 「ヒロシマ平和巡礼」のバーバラ・レイノルズ、松原美代子、英宏昌、共産圏諸国に向けストックホルムを出発。(「ヒロシマ巡礼」)
62 7 27 「ヒロシマ平和巡礼」の松原美代子、英宏昌、広島に帰る。[レイノルズ](「ヒロシマ巡礼」)
62 7 29 ヒロシマ平和巡礼、広島に帰る。ソなど14カ国訪問。[レイノルズ]
62 8 3 ヒロシマ平和巡礼報告会。広島市・平和記念館で。[レイノルズ]
62 9 3 アール・レイノルズ広島女学院大学客員教授、エブリマン3号でソ連核実験に抗議するため広島を出発。
63 10 8 広島・長埼世界平和巡礼実行委員会開く。委員長原田東岷、副委員長バーバラ・レイノルズ決まる。
64 1 8 広島・長崎世界平和巡礼実行委員会(原田東岷委員長)、4月の世界平和巡礼第2陣のメンバーを決定。志水清広大原医研教授ら4人。[レイノルズ]
64 1 17 広島・長崎世界平和巡礼団の広島関係メンバー決まる。志水清(広島大学教授)ら15人。[レイノルズ]
64 3 28? 世界平和巡礼が携行する英文『原爆被害の実相』完成。[レイノルズ]
64 4 11 広島市キリスト教連合婦人会と日本基督教婦人矯風会広島支部員ら20人、平和巡礼資金の街頭募金を広島市内で実施。-12日。[レイノルズ]
64 4 16 第2回広島・長崎世界平和巡礼団、広島を出発。(21日羽出発)。広島市・平和記念館で結団壮行式。松本卓夫団長、団員:バーバラ・レイノルズ、松原美代子、小佐々久仁子、庄野直美、副島まち、森下弘、阿部静子、高原弘子、吉田チエ、河本時恵、満井晟(中国新聞記者)ら40人。2カ月をかけ、欧米・ソ連などを回る予定。(「ヒロシマ巡礼」)
64 4 20 平和巡礼団庄野直美(広昆女学院大学教授)の米国入国査証交付が保留。[レイノルズ]
64 4 29 米、平和巡礼団庄野直美に入国査証発行。[レイノルズ]
64 5 5 平和巡礼団が米ミズリー州インデペンデン市で、トルーマン元米大統領と会見。「広島、長崎両市の代表に会えてうれしい。二度と悲劇の起きないことを心から望む。あのときは原爆投下の決定をくださざるをえなかった。[レイノルズ]
64 5 28 平和巡礼団、米上下両院合同原子力委員会で訴える。「いかなる理由があろうとも原水爆の使用は許せない。原子力は人類の繁栄のために使ってほしい」[レイノルズ]
64 6 11 平和巡礼団、ウ・タント国連事務総長と会見。国連放射能科学研究所が原爆の影響を研究するよう要望。[レイノルズ]
64 6 11 広島・長崎世界平和巡礼団、国連ウ・タント事務総長に,国連が原爆被災者の実態を調査し,その結果を世界に知らせるよう要望.[レイノルズ]
64 6 26 広島・長崎世界平和巡礼団、モスクワに到着。[レイノルズ]
64 7 4 広島・長崎世界平和巡礼団帰国。ナホトカから横浜ヘ。米、ソ、ヨーロッパなど8カ国150都市訪問。松本卓夫団長「広島・長崎の名はよく知られているが、後遺症などの実態はほとんどわかっていない。被爆者の生の声は〃生き証人〃として大きな感動を与えた」[レイノルズ]
64 7 5 広島・長崎世界平和巡礼団、広島に帰る。6日、広島平和記念館で帰国報告会。[レイノルズ]
64 7 6 平和巡礼団の広島市民への帰国報告集会。[レイノルズ]
64 7 33 談和会、7月例会.庄野直美,平和巡礼の報告をおこない,原爆被害者の調査を国際的規模で実施することの重要性を提案.[レイノルズ]
64 8 09? レイノルズ夫妻、離婚。
65 4 16 中国新聞「私はなぜ広島に帰ったか」(バーバラ・レイノルズ)
65 5 4 世界平和巡礼団(広島・長崎の被爆者グループ)、「米はベトナムから撤退せよ」とジョンソン大統領へ抗議文送る。[レイノルズ]
65 5 17 広島・長崎平和研究会(三十九年春、欧米各国を回った平和巡礼団関係者で組織、庄野直美幹事長)、周恩来中国首相に核実験反対の抗議文送る。[レイノルズ]
65 7 19 広島・長崎世界平和巡礼団、ジョンソン米大統領へ送ったベトナム戦争にかんするの要望書への返書を受け取る。「核兵器の使用は現段階では軍事的必要がない」[レイノルズ]
65 8 7 ワールド・フレンドシップ・センター(世界友情の家)の発足。広島と世界の平和を求める人との提携センターで、バーバラ・レイノルズが提唱。事業内容①生活困窮被爆者のための福祉事業②外国の平和活動家に生活・研究の場を提供④平和にかんする
65 10 12 ワールド・フレンドシップ・センター、理事会を開催。被爆孤老施設の開設を決める。[レイノルズ]
65 10 23 ワールド・フレンドシップ・センター(広島市南観音町)開所式。被爆孤老3人が入園。[レイノルズ]
67 3 28 広島から出港のアール・レイノルズ博土の反戦ヨット、フェニックス号、北べトナムのハイフォン港着。医薬品(一万ドル相当)を北ベトナム赤十字社に贈る
69 3 21 米平和運動家バーバラ・レイノルズ女史が広島を離れ帰国
74 7 15 山田広島市長、来年中に原爆被爆資料の海外での展示を実現したいとの意向を市議会で明らかにする。7月末、ノーマン・カズンズ、バーバラ・レイノルズ、ノエル・ベーカー、エディタ・モリス、ダニロ・ドルチに協力を要請。
74 9 2 山田広島市長、米のバーバラ・レイノルズからオハイオ州ウイルミントン大学で来年被爆資料展を開くとの回答を得たことを明らかにする。
75 5 18 平和運動家バーバラ・レイノルズ、ロサンゼルス市で在米被爆者援護のための募金活動開始。
75 8 1 「広島、長崎30年後-ウィルミントン会議」。米ウィルミントン大学で五日まで。バーバラ・レイノルズ提唱。被爆者代表も出席。フォード米大統領と三木首相に核廃絶の努力を要請するメッセージ送る
75 10 3 中国新聞「この人:バーバラ・レイノルズ-広島市の特別名誉市民章を受ける米人」
75 10 15 バーバラ・レイノルズ(米平和運動家)に広島市が特別名誉市民章
77 7 30 このほどNGOシンポ参加のためバーバラ・レイノルズ来広。
77 8 2 広島市特別名誉市民レイノルズ女史、NGOシンポ参加のため来広中、広島市長を訪問。
78 7 19? 米ウィルミントン大学ヒロシマ・ナガサキ記念文庫の世話役バーバラ・レイノルズの後継者決まる。
78 8 18 広島大学で、国際平和科学会開催。(19日まで)米レイノルズ博士ら出席。
78 8 21 レイノルズ博士、長崎市で「平和運動の歩み」と題して講演。
80 8 4 平和運動家バーバラ・レイノルズ、来広。
82 4 15 SSD2に向けての平和キャラバン、ロサンゼルスで活動開始。(原爆展を開催しながら米大陸を横断。)被爆者松原美代子、バーバラ・レイノルズらが参加。
82 11 22 米の平和運動家バーバラ・レイノルズ、来広。広島市長と懇談。
83 3 17 米の平和運動家バーバラ・レイノルズの自伝刊行のため、長崎県の翻訳家、来広し取材。
84 12 11 米の運動家、バーバラ・レイノルズ「84ワンダー・ウーマン賞」(社会活動などに業績のあった女性に贈られる)を受賞したことが判明。
85 4 22 広島市、今夏の平和祈念式に特別名誉市民ノーマン・カズンズ、バーバラ・レイノルズを招待することを決定。
85 5 17 米の平和運動家バ-バラ・レイノルズ、戦争抵抗者連盟(本部:ブリュッセル)の第24回平和賞を受賞。
85 8 3 バーバラ・レイノルズさんを囲む会、広島市で開催。
85 8 3 米のノーマン・カズンズ、バーバラ・レイノルズ、フロイド・シュモーら、平和祈念式に参加のため来広。 4日、広島市長を表敬訪問。
86 11 28 元広島女学院院長松本卓夫(被爆者)、死去。1964年に広島・長崎世界平和巡礼団団長として各国を歴訪。[レイノルズ]
88 12 26 広島市の特別名誉市民で米の平和運動家バ-バラ・レイノルズの健康状態がすぐれないことが判明。ワ-ルド・フレンドシップ・センタ-、激励の手紙を送ることを呼び掛け。
90 2 11 米の平和運動家バーバラ・レイノルズ、死去。1951年に来広し、18年間広島市に滞在、1962年に広島・長崎平和巡礼団を組織するなど平和運動に貢献。
90 2 24 米の平和運動家バーバラ・レイノルズ(11日に死去)をしのぶ「記念会」、広島市で開催(ワールド・フレンドシップ・センタ-主催、約80人参加)。
90 3 31 山田信蔵(被爆者)、死去。故バーバラ・レイノルズに日本語を教えたのが縁で、1964年に第2回世界平和巡礼に参加。
90 4 29 長崎の証言の会、米の平和運動家バ-バラ・レイノルズさんをしのぶ会を長崎市で開催(約30人参加)。
90 8 7 ワールド・フレンドシップ・センター、創立25周年の集いを広島市で開催(35人出席)。同センターは、1965年にバーバラ・レイノルズが設立。
90 9 14? 故バーバラ・レイノルズの蔵書類(約100冊、被爆体験記集など)、米国原爆被爆者協会に寄贈。
94 6 05? 広島市の医師原田東岷、バーバラ・レイノルズとノーマン・カズンズの偉業を綴った単行本『平和の瞬間』(勁草書房)を出版。
95 2 11 ワールド・フレンドシップ・センター、創立者のバーバラ・レイノルズを追悼するピアノリサイタルを広島市のエリザベート音大で開催。約500人が参加。
98 1 11 広島の反核運動の先駆者で米国の人類学者アール・レイノルズ、死亡。
98 1 23 中国新聞「文化:レイノルズ博士の死に思う(原田東岷)」
98 3 7 ワールド・フレンドシップ・センター(広島市内)、レイノルズ夫妻を偲ぶ会を開催。約20人が参加。
98 7 09? 広島市の医師・原田東岷、バーバラ・レイノルズ夫人とノーマン・カズンズの活動記録「平和の瞬間」の英訳版「MOMENTS OF PEACE」を出版。