楮山ヒロ子

楮山ヒロ子

かじやま・ひろこ 生19600405没 享年17 広島で被爆。急性リンパ性白血病のため広島市民病院で死亡。<投稿>

資料年表:楮山ヒロ子

年月日 事項 備考
出典:C=『中国新聞』
1960
0405 急性リンパ性白血病のため広島市民病院で死亡。 C
0505 広島「折鶴の会」、原爆ドーム保存のための署名と募金運動開始を決める。楮山ヒロ子が日記(1959年8月6日)「あの痛々しい産業奨励館だけがいつまでも、恐るべき原爆を後世にうったえてくれるだろう」と記していたのが動機(「アンヘルの名とともに―河本一郎小伝」)。 C
0806 原爆の子の像(広島平和記念公園)前で追悼の集い(3回目)。広島子どもを守る会「あゆみグループ」、レイノルズ夫妻など約200人が参列。楮山ヒロ子の日記(1959年8月6日付)紹介。 C
1967
0804 広島「折鶴の会」、楮山ヒロ子の日記を中心に同会の歴史をつづった「爆心地」を発刊。 C
1994
0802 楮山ヒロ子の日記、広島原爆資料館へ寄贈へ。 C
2011
0331 2012年度からの中学校用教科書の検定に合格した歴史教科書(東京書籍)、楮山ヒロ子の日記をきっかけに60年代に広がった原爆ドーム保存運動などを紹介(山本洋子・記者)。 C
2019
1215 『原爆ドームと楮山ヒロ子』(寺田正弘、中村秀次、吉村勝文著、原爆ドームと楮山ヒロ子の会刊)