碓井静照
うすい・しずてる | 201209没 | 享年74歳 | 広島県医師会会長、IPPNW(核戦争防止国際医師会議)日本支部長などを歴任。第67回(2010年)中国文化賞(中国新聞社主催)。8歳の時被爆。 |
資料年表:碓井静照<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
1937 | ||
** | 広島市牛田本町生まれ | |
1945 | ||
0806 | 8歳のとき、原爆被爆。 | |
1989 | ||
0720 | 『ヒロシマ医師のカルテ』(広島市医師会) | |
座談会:あの日 (小山綾夫・横山滋・福原照明)67 | ||
碓井静照 「私と原爆」 147、「核戦争の危機-第3回大会」282、「’89年広島大会開催決定の瞬間」314、 | ||
川堀耕平・福原照明・茶幡隆之・碓井静照「IPPNWによせ」 338 | ||
1992 | ||
0130 | 『核戦争防止国際医師会議日本支部報告 平成4年1月30日(その1)』(IPPNW日本支部) | |
日本支部1990年度報告 碓井静照 4 | ||
0130 | 『核戦争防止国際医師会議日本支部報告 平成4年1月30日(その2)』(IPPNW日本支部) | |
「安全保障の共有と健康のための地球規模のコミュニケーション」をテーマに日本支部から30名参加 碓井静照 10 | ||
IPPNW「ソ連共和国非核化教育キャンペーン」準備会議に出席して 碓井静照 67 | ||
0130 | 『核戦争防止国際医師会議日本支部報告 平成5年1月30日』 | |
(1)ロシアウィンターキャンペーン(医療援助募金)について ボストンIPPNW執行委員会報告 碓井静照 7 |
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(4)IPPNW代表団による旧ソ連邦非核化教育キャンペーンに参加して 碓井静照 14 | ||
中国、北朝鮮(DPRK)韓国、日本によるIPPNW アジア太平洋地域会議のための準備会議開催 碓井静照 22 |
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IPPNWボルゴグラード支部活動について 碓井静照 36 | ||
ヒロシマからの教訓-第3回IPPNWアジア太平洋地域会議に於ける講演- 福原照明 48 | ||
朝鮮半島の非核化と日本のプルトニウム保有について -第3回IPPNWアジア太平洋地域会議の位置づけ- 碓井静照 64 |
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1995 | ||
0806 | 『消えた十字架』(ガリバープロダクツ刊) | |
1996 | ||
0701 | 『エドナ・ライル夫人の死』(ガリバープロダクツ刊) | |
第1章 ミンスク(ベラルーシ)への旅 13 | ||
1998 | ||
0806 | 『語り継ぐ夏 Abolition 2000をめざして』(ガリバープロダクツ刊) | |
2002 | ||
0329 | 『ニューヨーク午後の日射し 続ヒロシマ2001』(ガリバープロダクツ刊) | |
2004 | ||
1212 | 『哀しみの虹 ある美しき韓国女性の死』(ガリバープロダクツ刊) | |
2007 | ||
1008 | 『シアトルからの手紙』(ガリバープロダクツ刊) | |
2009 | ||
0331 | 『核戦争防止国際医師会議日本支部報告 平成20年度(2008年度)』 | |
2.IPPNW日本支部理事会・総会・広島県支部総会 柳田実郎 2 | ||
・日本支部長挨拶 碓井静照 5 | ||
0911 | 『ピョンヤンの春 望春-北朝鮮の核廃絶と被爆者医療』(ガリバープロダクツ刊) | |
2012 | ||
0127 | 『放射能と子ども達 ヒロシマ、チェルノブイリ、セミパラチンスク、そしてフクシマ』(ガリバープロダクツ、20120127) | |
0509 | 没。享年74歳。 | |
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