資料年表:新藤兼人

資料年表:新藤兼人<作業中

1912
0422
1950
09 新藤監督:松竹映画「長崎の鐘」完成。 C
1952
0515 近代映画協会による「原爆の子」映画化。広島市で吉村公三(制作)、新藤兼人(脚本・監督)ら、「原爆の子友の会」メンバーと初打ち合わせ。 C
0707 原爆傷害者懇談会(広島市基町・朝日ホール)。新藤・乙羽信子らも出席。 C
08 「原爆の子友の会」、新藤監督の映画「原爆の子」制作に協力した会員5人を除名にするなど内紛。 C
1953
0429 「原爆の子」(新藤監督)、カンヌ国際映画祭グランプリ受賞を逸す。 C
1956
0212 英映画協会、「原爆の子」(新藤監督)を1955年度世界優秀映画の国連賞受賞作品に決定。 C
1957
02 西ドイツで上映中の「原爆の子」(新藤監督)、反戦映画として軍当局に没収される。 C
1958
09 映画「第5福竜丸」(監督:新藤・主演:宇野重吉、乙羽信子)撮影中 C
1959
02 映画「第5福竜丸」(近代映画協会・新世紀映画の共同製作、監督:新藤)、広島市の帝劇で特別試写会。 C
 1982
 0331  『広島市公文書館紀要 第5号』
有田嘉伸「 新藤兼人の人と作品 」
 「新藤兼人資料目録」
1983
01  『追放者たち -映画のレッドパージ-』(岩波書店)
 0310 『日本名作映画76選』(佐藤忠男著、広島市映像文化ライブラリー編、広島市教育委員会)
1985
 0905  『小さな窓から』(朝日新聞社) U
 1996
 0614   『追放者たち -映画のレッドパージ-』(岩波書店 同時代ライブラリー)
 1998
 0220  『弔辞』(岩波新書、) U
 1980
 0315 『私の足跡 : 独立プロ三〇年のあゆみ(新藤兼人映画論集 1)』 (汐文社, 1980.3) U
 1981
09 『仕事場の出会い : 監督とはシナリオとは女優とは(新藤兼人映画論集 2)』 (汐文社, 1981.9) U
1988
0420 『さくら隊散る』(未来社) U
0420 『さくら隊8月6日 広島で被爆した若き新劇人たち』(岩波ブックレット No.114) U
1993
1006 『青春 新藤兼人の足跡1』(岩波書店) U
2002
1103 文化勲章発令・宮中親授式
2003
0411 「原爆の真実を残す 広島で90歳対談 映画監督・新藤兼人さん・元本社カメラマン・松重美人さん」(『中国新聞』20030411) C
2004
0721 『シナリオ人生』(岩波新書) U
2010
1220 『広島県現代文学事典』(岩崎文人編、勉誠出版)<佐藤武・記> U
2012
0529 没。享年100歳。
 0531  「新藤兼人監督が死去 反戦貫き人間愛描く 100歳」(『中国新聞』20120531、串信考・記)
2022
0413 広島市映像文化ライブラリー、新藤兼人生誕110年記念の特集上映開始。(『中国新聞』20220402)