資料年表:郭沫若
年月日 | 事項 | |
1892 | ||
1116 | 中国・四川省に生まれる。 | |
1955 | ||
0215 | 『世界の良心は発言する 世界平和集会議事録』(平和擁護日本委員会編、五月書房) | |
郭沫若(中国)の演説 119 | ||
0619 | 原水爆禁止世界大会広島準備会、郭沫若ら70人に大会招請状を発送。 | C |
1215 | 郭沫若ら15人(中国科学学院訪日学術視察団)。 | C |
広島来訪。原爆慰霊碑参拝。広島大学で「平和共存」のテーマで講演。 | ||
★郭沫若との碑文論争というのは★ [原爆慰霊碑の]碑文は、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」でしょう。それを、「繰返させませぬから」とすべきだと言われるんです。そこで私が、「NO MORE WAR, NO MORE HIROSHIMA とか、中国への侵略に対するお詫びというのが、「過ち」という中に入っているんです。つまり、中国への侵略を繰返しません、という祈りが入っているんです。我々は、それをみなさんに知ってもらいたい。それが広島の心です」と言うわけです。すると向こうは私の顔を見ながら黙ってしまいました。それは、私が慰霊碑に案内した時、言いました。慰霊碑に参拝して、資料館の前まで歩いて行って、そこで、ふっと振り返って、慰霊碑にもう一度お参りするでしょう、ちょうどその時です。 出典:「まどうてくれー藤居平一聞書」『資料調査通信1981年12月号』(広島大学原爆放射能医学研究所) |
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1958 | ||
0716 | C | |
1225 | 『軍縮と国際協力のために ストックホルム平和大会の記録』(軍縮と国際協力のための世界大会日本準備会編、日本平和委員会) | |
郭沫若(中華人民共和国)「平和運動は戦争という病気を予防し治療する運動である 」81 | ||
1959 | ||
0630 | 『戦後平和運動史』(熊倉啓安著、大月書店) | |
郭沫若演説の意味するもの…166 1 郭沫若演説の誤ったうけとり方…166 2 郭沫若演説の内容…167 3 郭沫若演説の積極的意義はどこにあるか…169 |
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1964 | ||
0720 | 『世界人17人の提言 地球を破滅させるな』(読売新聞社) | |
中国は孤立しない 263 医者と病菌は共存できぬ 郭沫若 |
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1978 | ||
0612 | 死亡。享年85歳。 | |
1982 | ||
1231 | 『南京大虐殺 決定版』(洞富雄著、現代史出版会) | |
残虐事件の責任 155 郭沫若・林語堂・スノーの日本人告発 |
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1988 | ||
0815 | 『戦略爆撃の思想 ゲルニカ-重慶-広島への軌跡』(前田哲男著、朝日新聞社) | |
第4章 真珠湾への道(1941年) 郭沫若の怒り 317 第5章 爆撃の下で周恩来とその同志 郭沫若『屈原』の初演 39R |
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1991 | ||
0515 | 『中国往還』(小林文男著、勁草書房) | |
3 抗日戦争期、重慶の文化運動-郭沫若・文工会の理念と行動に関する覚書き- 244 | ||
2006 | ||
0810 | 『戦略爆撃の思想 ゲルニカ、重慶、広島 [新訂版]』(前田哲男著、凱風社) | |
「郭沫若、妻子を日本に残して抗日戦に加わる」 176 | ||
2009 | ||
0310 | 『大空襲三一〇人詩集 1937~2009年』(鈴木比佐雄、長津功三良、山本十四尾、郡山直編、コールサック社) | |
郭沫若「最も怯備な者こそ最も残忍だ」20 | ||
止