資料年表:藤居平一<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
1915 | 0807 広島市の銘木店の長男として誕生。 | |
1922 | 広島高等師範学校附属小(碧空会)に入学 | |
1928 | 同付属中学校入学 | |
1935 | 平壌飛行連隊整備隊に入る | |
1939 | 航空兵中尉に任じられる | |
1941 | 満州国の航空通信第一連隊の第一大隊本部付 | |
1943 | ||
02 | 満州国の航空教育隊に転属。日本へ復員。 | |
04 | 早稲田大学専門部商科に入学 | |
1127 | 篠崎美枝子と結婚 | |
1944 | 日本鋼管横浜鶴見造船所に勤労動員 | |
1945 | ||
0806 | 原爆投下で、父完一、妹、二人の甥などを失う | |
1946 | 早大卒。家業の銘木店を継ぎ、広島県銘木森林組合(現広島県銘木事業協同組合)を設立。組合長に就任 | |
1947 | 日本銘木林産組合(その後全国銘木連合会に改称)を設立。副会長に就任。早大校友会広島県支部幹事長。広島高師同窓会のアカシア会設立を提唱。 | |
1949 | 近隣に神崎保育園を設立し、後援会長に。 | |
1951 | 早大商議員に就任し、晩年まで務める。 | |
<以上1915~1951年の事績は『人間銘木―藤居平一追想集』> | ||
1954 | ||
1955 | ||
1956 | ||
1959 | ||
1965 | ||
1981 | ||
1201 | 『広島県原水協・日本被団協年表(稿)1954~1958』(宇吹暁、広島大学原爆放射能医学研究所) | |
1982 | ||
0126 | 「まどうてくれー藤居平一聞書(1)」(『資料調査通信 5号』広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室)【〈聞き手〉宇吹暁、〈聞書作成〉石田典子・寺井裕子】 | |
0226 | 「まどうてくれー藤居平一聞書(2原水爆禁止世界大会)」(『資料調査通信6号別冊』広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | |
0331 | 「まどうてくれー藤居平一聞書(3原爆被害者の救援と組織化)、資料、藤居メモ(1)1955年11月~56年3月」(『資料調査通信7号別冊』広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | |
0531 | 「まどうてくれー藤居平一聞書(4広島県被団協の結成)、資料、藤居メモ(2)1956年3月~7月」(『資料調査通信8号別冊』広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | |
0630 | 「まどうてくれー資料特集」(『資料調査通信9号別冊』広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | |
『資料調査通信9号別冊1』 | ||
『資料調査通信9号別冊2』くずれぬ平和を 8・6広島大会、被害者大会議事録[抄] | ||
『資料調査通信9号別冊3』第2回原水爆禁止世界大会議事速報[抄] | ||
1983 | ||
1031 | 「まどうてくれー藤居メモ(3)1956年8月~9月」 | |
『資料調査通信25号別冊1』(『広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | ||
「まどうてくれー資料特集」1956年8月~9月」 | ||
『資料調査通信25号別冊2』(広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | ||
1130 | 「まどうてくれー資料特集」1956年10月~12月 | |
資料1:藤居メモ 資料2~8:日本被団協の発行文書 資料9~15:藤居故人・日本被団協に寄せられた書簡 資料16~26:原爆被害者救援をめぐる動向) |
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『資料調査通信26号別冊2』(広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | ||
1223 | 「まどうてくれー藤居メモ」1957年1月~2月 | |
資料1~4:藤居あて書簡 資料5~11:日本被団協結成後初めて開かれた全国代表者会議の資料。 資料12~23:藤居故人あるいは日本被団協に寄せられた書簡 資料24・25:日本被団協に関する新聞記事 |
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『資料調査通信27号別冊1』(広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | ||
1984 | ||
0127 | 「まどうてくれー藤居メモ及び関連資料資料」1957年3月~5月 | |
資料1~6:藤居あて書簡、 資料7:藤居論文 資料8~23:日本被団協および広島の動向を示す資料。 資料24~32:広島原爆障害研究会、日本原水協などの諸団体資料。 |
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『資料調査通信28号別冊1』(広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | ||
0229 | 「まどうてくれー資料資料」1957年3月~5月 | |
1957年8月 12日 開会総会 13日 階層別協議会 14日 分科会 15日 閉会総会 |
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1996 | ||
0714 | 病のため死去。80歳。藤居銘木株式会社を閉店。 | |
1997 | ||
0417 | 『人間銘木 藤居平一追想集』(藤居美枝子) | |
**** | 『広島平和科学』(広島大学平和科学研究センター、1997) | |
船橋喜恵「原水爆禁止世界大会「第一回」 : 藤居平一氏に聞く」 | ||
2006 | ||
0703 | 『被爆者運動50年 生きていてよかった<1>~<5>』(『中国新聞』西本雅実編集委員~20060708) | |
2011 | ||
0708 | 『まどうてくれ 藤居平一・被爆者と生きる』(大塚茂樹、旬報社) | |
0723 | 大塚『まどうてくれ』出版記念会。リーガロイヤルホテル。宇吹。出席者:大塚夫妻。木内洋育(旬報社社長)。河野一郎(中国新聞文化事業社専務取締役)。阿部静子、池田精子(広島県被団協副理事長)、村戸由子。舟橋。若林節美。石田。松井。安藤。澤野。森田裕美。・・・ | |
2次会:吉田治平(広島市南区皆実町1丁目平和住宅自治会)、籔井和夫(中国新聞経営企画局担当局長兼メディア企画室長)。・・・ | ||
0726 | <出版記念会報道>(RCC-N6 被爆者救援運動の原点)「まどうてくれ 藤居平一・被爆者と生きる」 06:41~06:47 | |
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