ヒロシマ四十年 森滝日記の証言

『ヒロシマ四十年 森滝日記の証言』(中国新聞社編、平凡社、19850710)

内容

1 運命の日、8月6日 1
一瞬の閃光、右眼を失う 3
爆死体累々、地獄絵の町 7
病床に続々、知人の安否 10
皇国の栄信じた、被爆前への悔恨 12
終戦を宣する「玉音放送」に号泣 16
帰郷、肉親に再会し、心安らぐ 18
郷里、敷地の里で療養生活 20
反核へ「慈の文化」を説く 25
2 反核への道 第1回原水禁世界大会まで 29
戦後最初の仕事、学園の広島復帰 31
天応奉迎、広島再建へ励ましのお言葉 33
「広大平和問題研究会」設立に奔走 36
平和を訴え、「原爆の子」出版 36
原爆孤児へ愛の手「精神養子運動」 40
ビキニ海域の水爆実験で日本漁船被災 43
原水爆禁止署名、広島県で百万人 46
広島平和大会へ、広範な草の根結集 48
「広島原水協」を結成 50
女性の語り部、欧州で平和訴え 52
大衆主導の大会めざし、広島準備会 55
共産圏代表への入国ビザが難航 57
原爆投下の日、第1回原水禁世界大会 59
3 世界への訴え 連帯を求めて 65
「日本原水協」発足、反核の新たな母体 67
保守を含め、広島市原水協を結成 69
映画「生きていてよかった」が好評 71
援護法制定めざし、広島県被団協を結成 73
第2回原水禁世界大会、長崎で 76
長崎と連帯、日本被団協が発足 78
原爆医療法が成立 81
英の水爆実験阻止めざし、市民大会 83
米英ソへ国民平和使節 86
ノーベル賞作家ラッセル卿を訪問 91
ゲッチンゲン宣言の科学者と交流 93
第4回原水禁世界大会、東京で 95
第5回世界大会、東西緊張背景に 98
4 分裂の軌跡「いかなる国」巡って 105
「60年安保」の年 107
当局から圧力、被団協への補助金カット 109
反安保に全国でデモ 原水協も「非常事態宣言」 111
第6回世界大会 平和へ戦う姿勢 117
援護法の成立求め、国会請願 121
民社・全労系が別組織「核禁会議」結成 124
地婦連などから体質改善迫らる 126
第7回世界大会、内部対立深まる 129
ソ連が核実験再開、抗議の可否で激論 131
米ソに核実験中止訴え、市民大会 133
「いかなる国」問題で社共が対立 136
基本原則貫く、社党・総評路線の色濃し 138
大学に辞表出し、米核実験再開に抗議 140
「悟り」精神的原子の連鎖反応こそ力 143
第8回世界大会のさなか、ソ連が核実験 反対巡り、社共激しく対立 145
社会党系団体で、原水禁国民大会 156
「いかなる国」問題で安井理事長ら辞職 160
地方原水協の統一要求、中央を動かす 162
部分核停条約巡り、新たな対立 第9回世界大会、事実上の分裂に 167
第9回世界大会 分裂のドキュメント 昭和38年8月1日~7日 182
5 被爆地の願い 国は責任を認めよ 185
被団協にきしみ、原水協脱退論が再噴出 187
原爆裁判判決、原爆投下は国際法違反 189
ビキニ・デー広島集会、政党色排して 191
被災三県原水協の連絡会議発足 194
昭和39年夏の大会、3つの分裂集会に 196
被災白書運動、国に被爆実相の解明迫る 198
「原水禁国民会議」が発足 201
停年退官の最終講義で決意披露 204
昭和40年夏も3つの大会 206
日本被団協理事長、初の選挙に 209
原爆ドーム保存へ、新たな市民運動 212
つるパンフ、援護法運動の理論的支え 215
援護法制定めざし、国会請願行動 218
シンポジウム「ヒロシマを考える」 220
42年夏の3つの大会へ中ソ不参加 222
厚生省被爆者調査「一般と差異ない」 225
被爆者特別措置法成立、要望と隔たり 227
統一行動への道を手探り 230
援護法制定めざし、衆参両院で訴え 234
44年夏、原水禁沖縄大会 239
6 風化に抗して 核なくなる日まで 243
70年安保の年迎え、決意新たに 245
安保自動継続抗議に77万人 247
被団協理事長辞任、集団指導体制へ 250
ヒロシマ会議、核時代から脱却の道を 252
被爆者援護法、またも廃案に 254
8月6日、佐藤首相の初出席巡り賛否 257
岩国基地に核貯蔵庫? 撤去求め集会 260
ベトナム和平協定調印さる 262
密航韓国被爆者に裁判で被爆者手帳 265厚かった原爆症認定の壁、桑原訴訟 267
米国依り被爆資料返還、28年ぶり公開 269
中ソ核実験にも反対、共産党方針転換 272
原水禁と原水協、ともに原則に固執 274
仏、5回も核実験市民が座り込み 276
またも葬られた、援護法案 279
学者・文化人の会が再構築を訴え 282
ラロック証言、核の日本持込み暴露 284
7 統一への模索 苦しみを乗り越えて 287
静岡ビキニ・デー、12年ぶり社共合流 289
非核太平洋会議、諸民族が結集 292
援護法、時間切れでまたもや廃案 294
県労の統一呼びかけ、不調に終わる 296
社共対立し、中央でも御破算 298
禁と協、原子力平和利用でも異なる立場 301
NGO反核シンポ開催へ、日本準備委 303
統一めざし、総評と共産が合意書 305
被団協、14年ぶりの統一行動 307
「年内めどに統一を実現」 5・19合意書までの苦悶 310
原水禁内部よりの批判、一身に 318
禁・協の代表、協議始める 320
NGOシンポ、被爆実相に認識深める 322
52年夏、14年ぶりに統一世界大会 325
初の国連軍縮特別総会、日本から5百人 330
53年夏、再び統一世界大会 333
54年ビキニ・デー、広島で統一集会 335
7人委、現行2法の再検討開始 337
政府見解「国に補償の義務なし」 340
7人委意見書、期待裏切る内容 被爆者たちより、失望と怒り 342
ローマ法皇、広島から「平和アピール」 348
ライシャワー元大使、核持ち込みを証言 351
語り部の旅、欧州の草の根運動と連帯 354
ヒロシマ行動、核廃絶へ20万人 356
核実験報道翌日の座り込み、20年目に 359
第2回国連軍縮特別総会へ、100万人のデモ 361
57年夏、原水禁大会に3万人 364
森滝さんと私
バーバラ・レイノルズ 367
ペトラ・ケリー 369
記録 原水禁運動の歩み -ヒロシマを中心として- 371
日記の公開について 森滝市郎 378
あとがき 中国新聞社 編集局長 尾形幸雄 380