「被団協」新聞に見る 被爆者運動の動向

 「被団協」新聞に見る被爆者運動の動向

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日本原爆被害者団体協議会の機関紙「被団協」は、同協議会結成後1976年5月1日に「全国各地の被爆者組織や被爆者と日本被団協をつなぐ」(「創刊にあたって」)ことを目的として創刊された。同紙は、その後、79年6月号(第6号)より月刊化し今日に至っている。同紙は、タブロイド版4面ないし8面の小さなものであるが、原爆被爆者の動向あるいは原爆被害を基盤として国内外で展開された諸運動に関する情報量は、一般紙のそれを大きく上回っている。

ここに紹介するのは、「被団協」の紙面から可能な限り事項を拾い出して作成した年表である。同紙から拾える事項は、それ以前にもさかのぼることができるが、情報量の価値からみて、省略した。「被団協」が月刊化した79年6月は、ちょうど厚生大臣の委嘱により原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇と略称)が設置された時期と重なる。その点からみれば、この年表は、基本懇以後の原爆被害をめぐる諸動向を被爆者運動の立場からの整理として読むことができる。

 

1976(昭和51)年~1978(昭和53)年 1979(昭和54)年
1980(昭和55)年 1981(昭和56)年 1982(昭和57)年

(追記)

政府の被爆者対策は、被爆30周年(1975年)後、予算面では大きな前進を示した。その背景には、米国返還資料展(73年~)・市民の手で原爆の絵を展(75年~)などの盛況に見られた原爆被害に対する世論の関心の高まり、74年12月以降の野党共同の被爆者援護法案の国会提出攻勢(保革伯仲を背景とした)、石田・孫訴訟の原告勝利判決(76年7月・78年3月)などを指摘することができる(宇吹「予算からみた原爆被爆者対策の変遷」・ヒバクシャ-ともに生きる・所収)。一方、日本の被爆者運動も、1977年のNGO被爆問題シンポジウムや翌78年の第1回国連軍縮特別総会および原水爆禁止1978年世界大会を契機に大きな盛り上がりを見せた。こうした社会状況の中で、設置されたのが基本懇である。

追加

 

1983(昭和58)年 1984(昭和59)年 1985(昭和60)年 1986(昭和61)年
1987(昭和62)年 1988(昭和63)年 1989(平成元)年 1990(平成2)年
1991(平成3)年 1992(平成4)年 1993(平成5)年 1994(平成6)年
1995(平成7)年 1996(平成8)年 1997(平成9)年 1998(平成10)年
1999(平成11)年