原水爆禁止世界大会第2日(<1955年>8月7日)第五分散会
出典:『原爆許すまじ 原水爆禁止世界大会の記録』(原水爆禁止世界大会日本準備会情報宣伝部編・刊、19551028)
内容<作業中>
第五分散会 | <藤田ビル> 78 | ||
原爆被害者約20名を含め250名が出席。地元広島準備会主催の原爆被害者との懇談会。会場内で5ブロックにわかれ、被害者を囲んで話しあい。
原爆投下当時の地獄のような情景、治療面・生活面でも放置、ABCCが治療をせずに全くモルモット扱いをしていることに対するはげしい憎しみ。 吉川清さんがABCCの日本人職員の給料が厚生省からでている話をきいた岩手県の婦人の話。「私の主人は原子病で医療扶助で治療を受けているのですが、治療費がかさむから扶助をうちきるといわれた。今の話をきいて国民を犠牲にするいきどおらざるをえない」とかたり、今日は主人の代りに出席したのだとのこと。 どの代表もみな被害者からきいた実相に、医者や学者からきいたときよりもずっと原爆の恐しさを感じ、心の底から原子兵器の禁止をしなくては、苦しい生活をしている原爆被害者に愛の手をさしのべなくては、と思った。 昨年2月に発病し、12月ついに12歳で死亡した愛児儀江さんの写真を抱いた岩本さんの姿は目立ったが、京都大学で仏文学を教えているジョン・ピエール・オーンイコールヌ氏(仏人)も熱心に懇談していた。 子宮ガンの検査のためマスイをかけられて無断に一部を切りとられた婦人のはなしには一同、にえたぎるような怒りを禁じえなかった。 |
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9時50分から議事、吉江千賀子(婦人平和協会)、吉田資治(産別)、小宮市太郎(福岡市議)の各氏を議長団に送出。 | |||
被害者懇談会での感想が各グループ代表から発表 | |||
瓜生(尼崎代表) | |||
山崎(京都代表) | |||
杉本(三重代表) | |||
秋谷(全農林代表) | |||
奥山(山形代表) | |||
二岡(京都代表) | |||
宮野(東京三多摩代表) | |||
浅井(熊本代表) | |||
(広島婦人団体連絡協議会代表) | |||
(沖縄奄美青年) | |||
砂川(東京三多摩代表) | |||
山口(東京西部代表) | |||
池田(焼津代表) | |||
下条(福岡代表) | |||
秋山(全農林代表) | |||
古末(国民救援会代表) | |||
(島根代表・原水協) | |||
鮎川(山梨代表) | |||
島本(広島代表) | |||
議長 | 午前中色々の階層の人から熱心な討議ああった。初めての人もいるが、その人を皆で援助するようにして、皆で話しあいを統一させていきましょう。 | ||
(大阪代表) | |||
斎藤(東京文京区林町南町内会) | |||
(岩手代表) | |||
松沼(福岡代表) | |||
(北海道釧路代表) | |||
(富山代表) | |||
中島(東京三多摩代表) | |||
オーンイコールヌ(京大教授) | |||
議長 | 生々しい体験を外国代表の方に聞いていただく。 | ||
岩本夫人 | |||
岡崎しず子 | |||
議長(付言) | 彼女は口唇の整形手術をやってあれだけの形にもどった。 | ||
横川の松井 | |||
田辺(広島準備会) | |||
吉川清 | |||
(質問) | 放射能禍の遺伝について | ||
瀬戸(日赤産婦人科医師) | |||
堀井(愛媛平和運動連絡協議会) | |||
議長 | 具体的な方策について述べてほしい。 | ||
(富山代表) | |||
(江戸川代表) | |||
上山(長野代表) | |||
田中(北海道代表) | |||
浅井(熊本代表) | |||
村上(広島代表) | |||
広島府中市長 | |||
鳥取代表 | |||
伊沢(富山代表) | |||
岩本 | |||
吉川 | |||
草間(東大助教授) | |||
質問 | ABCCの撤去についてどう考えるか? | ||
草間(答) | 日本人の手で治療を行う | ||
広島代表 | |||
次いで朝鮮代表の発言 | |||
議長 | 今迄の討論のまとめ | ||
(1)国際緊張を和らげる | |||
(2)被爆者の救済を具体的に進める―その人達の登録や、社会保障を政府に要望せよ、この被爆の惨状を世界に知らせること | |||
(3)今後の運動の進め方として次のことがいわれた。 | |||
帰ったら部落の隅々まで報告し、運動の組織をつくる。 | |||
誰もが自由にこうした会議に参加していけるように運動を進める。 | |||
官民公同の運動を進めよう | |||
ABCCを一日も早く撤去せよ。 | |||
第六分散会<広大付属小学校講堂> 90 | |||
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