『沖縄人民党の歴史 付=党史年表 1947~1973』(沖縄人民党史編集刊行委員会、19851115)
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刊行にあたって(瀬長亀次郎)1985年9月 | |
<前略> 人民党の闘争を抜きにして沖縄の戦後史は語れない。これは人民党を好きな人も好きでない人もひとしくみとめていることである。 人民党の歴史の教訓は第一に、日本民族の真の独立を達成しなければならないということである。独立を奪われた民族が、アメリカ帝国主義の抑圧と圧制、搾取と強奪などだえがたい苦しみを強要されたことを県民はひとしく肌で感じとっている。 第二に、安保条約=日米軍事同盟の鉄鎖をたち切って、平和、民主主義と基本的人権、人間らしいくらしをかちとること。 第三に、核基地のもとでの沖縄県民の不安と恐怖からの解放である。核兵器の全面禁止・廃絶、この人類の死活にかかわる緊急な政治の中心課題を実現するために、反核国際統一戦線の一翼をにない、県民のなかに原爆死ノー、生存を、の統一戦線をきずきあげること。 あの「ひめゆりの塔」の碑には、「いはまくらかたくもあらん やすらかに ねむれとぞいのる まなびのともは」と、また広島の原爆碑には「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」と刻まれている。 このことを思うとき、日本の平和の原点はまさに沖縄と広島、長崎である。この原点をふまえ沖縄戦終結、広島、長崎原爆投下四十年のこの年を核兵器廃絶への転換の年にしなければならない。 「沖縄を日本とアジアの侵略の拠点から平和のとりでにする」という初心にたち、強大な県党組織をつくりあげる決意をあらためてのべ、むすびにするものである。(一九八五年九月)。 |
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01 | 沖縄人民党の創立と初期のたたかい |
02 | 日本復帰方針の確立 |
03 | サンフランシスコ体制の始動 |
04 | 弾圧の激化と”島ぐるみ”土地闘争の高まり |
05 | 瀬長那覇市政と民主主義擁護、祖国復帰運動の発展 |
06 | 軍事的植民地的支配の新段階と県民運動の前進 |
07 | 専制支配の強化とそのもとでの共闘と分裂 |
08 | ベトナム侵略戦争の拡大と大衆闘争の高まり |
09 | 革新共闘の発展と三大選挙の勝利 |
10 | 日米共同声明路線反対闘争の発展と国政参加選挙の勝利 |
11 | 核も基地もない沖縄をめざして |
12 | 科学的社会主義の党に向かって |
年表 |
止