『川は知っている 安野発電所と宇品港における中国人殉難記録』(日本中国友好協会広島県連合会、19730815)
内容
頁 | 見出し | |
02 | 中国人の連行を閣議で決定 広島で七百余人を使役 | |
03 | 安野発電所工事の状況 空腹・重労働・栄養失調 | |
07 | 殉難者の調査・慰霊、遺骨の送還 | |
08 | 原爆で5人が殉難 | |
11 | 宇品港で荷役に酷使 2名が殉難 | |
11 | 日中両国民の有効と不再戦のために | |
日中友好協会の慰霊事業経過 | ||
年 | ||
1953 | ~調査、慰霊、収骨事業開始。 | |
1958 | 2月、安野発電所関係26柱の慰霊祭。 | |
1958 | ||
1960 | ||
1963 | 11月、李徳全女史を団長とする中国紅十字会代表団を迎え、平和記念館で殉難者の慰霊祭。 | |
1967 | ||
1969 | ||
1972 | ||
1973 | 2月、『川は知っている 安野発電所と宇品港における中国人殉難記録』をガリ刷にて出版。 | |
1973 | 6月、 | |
1973 | 7月、安野発電所殉難現地調査。宇品関係者訪問調査。 |
止