広島通信第37・38・39・40・41・42号(1973) 「広島通信の会」刊〈作業中〉
第37号(1973年2月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
1 | 湯崎稔 | 「原水爆被災資料センター」設立の意義 | |
1 | 深江福吉 | 姫金神 | |
2 | バーバラ・レイノルズ | 日本の皆さん、ありがとう | |
2 | 杉本春生 | 平和という語 | |
2 | ヒロシマ日記 | ||
3 | 東より西より | ||
立岩敏夫 佐藤 嵐 松下恭一 佐藤和子 | |||
3 | 島 匠介 | 雪の朝 | |
4 | 大原三八雄 | 流れの岸に佇って「H兄のみ霊に捧げる」 | |
4 | たさか・かずお | 野呂山よ-1933年黒瀬生れの人の子の詩- | |
4 | 受贈書誌 | ||
第38号(1973年4月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
1 | 佐々木雄一郎 | 私の広島日記 | |
2 | 中西洋一郎 | 選挙と平和を考える | |
2 | 北村 均 | 作品「炎」にそえて | |
2 | 「平和をぼくらのものに」 | ||
2 | ヒロシマ日記 | ||
3 | 北村 均 | 炎 | |
3 | 東より西より | ||
3 | 河内正臣 | ||
3 | 二井サワエ | ||
3 | 原田周治 | ||
3 | 米沢田鶴子 | ||
4 | 安達元彦 | 「 愛のうたヒロシマの子」演奏の後で | |
4 | 佐藤 嵐 | 戦前の列に | |
5 | 森島信子 | 八月の旅・追想 | |
6 | 書評: 北村均詩集「自虐的終章」について | ||
6 | 杉本春生 | 書評: 高垣太刀子詩集「砂の音」 | |
6 | 長岡弘芳 | 英文原爆体験記よ 祝福をうけ-「give me water」 | |
6 | 受贈誌書 | ||
6 | 編集部より | ||
第39号(1973年6月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
1 | 四国五郎 | かたまり | |
ABCC特集 | |||
1 | 志水清 | 私たちは考える | |
2 | 古浦千穂子 | ABCCとは… | |
2 | 森下弘 | ABCC幻影 | |
2 | ヒロシマ日記 | ||
3 | 山科清 | 原爆死体解剖No.1の山科清元軍医にきく | |
3 | 石井健吉 | 広島平和記念公園 | |
3 | 大原三八雄 | 木下尚江著作集第一巻『足尾鉱毒問題』解説 天野茂著 | |
4 | 末野 忍 | タカコンベを訪ねて | |
御手洗旬江 | 宮本田鶴子随筆集「坂道」を読んで | ||
4 | 吉本田鶴子詩集「崖っぷちの風景」 | ||
4 | 受贈書誌 | ||
4 | 〈あとがき〉 | ||
第40号(1973年8月)内容
特集 ベトナムは終ったのか 広島のダオさん 原田東岷 戦争の申し子 宮本田鶴子 「ベトナムは終った」と、誰が言っているのか- 鈴木正穂 ヒロシマ日記 私のなかのベトナム-ダオさんに- 大原三八雄 ベトナムは書けない 服部 治 人いきれたぎる巷で 原子東語 「原爆体験記」はここにも 吉田菊枝 梨の花 金井 直 東から西から 久保川操 寺田行志 宮崎由紀 編集部 碑銘詩心の眼 たさかかずお 戦災供養塔を守る佐伯敏子さんのこと 今堀誠二氏から 書評 「ヒロシマに生きて」を読んで 山崎久恵 新刊紹介 〈あとがき〉 |
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第41号(1973年11月)内容
素朴な祈りに-一篇の詩をこそ 森島信子 二十八年 清水高範 28年目のヒロシマ 藤枝良枝 28年を経験する神奈川県の被爆者活動 原田周治 ヒロシマ日記 れんらくちょには明日がある 橋本福恵 東西南北 秀村君子 清水久江 長崎だより 関口良雄 八月 石井健吉 新刊紹介 杉本春生 〈あとがき〉 |
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第42号(1973年12月)内容
見えるものよりも見えないものに 桑島玄二 アブラぎった鰯 大原三八雄 原爆と印象と記憶 縄田二郎 国敗れて山河なし 四反田五郎 ヒロシマ日記 ガラス微塵 山本節子 電光直板 東より西より 立岩敏夫 吉田菊枝 わたしの〝ヒロシマ〟 原田周治 新刊紹介 あとがき |
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止