『ヒバクシャ―ともに生きる 第1号』(原爆被害者相談員の会、1982年12月11日)
機関誌
『ヒバクシャ―ともに生きる』発行。1982年12月11日創刊
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
01 | 河合幸尾( 代表) | 発刊にあたって | |
原爆被害者相談員の会に期待する | |||
04 | 志水 清 | 相談員の会に期待する | |
05 | 相原和光 | 平和への強いタネまき | |
06 | 伊藤直子 | 広島の被爆者の役割は大きい | |
07 | 栗原秀雄 | 被爆者から学ぶ | |
08 | 中村征之 | 期待を背負うワーカー | |
10 | 若林節美 | 原爆被害者相談の発足と一年間のあゆみ | |
16 | 久保浦寛人 | 「原爆被害者証言のつどい」について | |
18 | 高田素子 | 「原爆被害者証言のつどい」に参加して | |
19 | 胡明憲二 | 一日カメラマン | |
20 | 三村正弘 | 基本懇答申と第二臨調答申の関連について | |
25 | 畠山護三 | ワーカーとしての知識と経験を生かしたい | |
25 | 城谷正子 | 〔短歌3首〕 | |
事例報告 | |||
26 | ソーシャルワーカー・T | 1 病床からの意見陳述―被爆者に血の通った行政を | |
30 | 加藤礼子 | 2 苦悩を背負って | |
34 | 高橋文枝 | 3 被爆後詩を書きつづけて―両徳玉夫さんのこと― | |
江崎須賀子 | 4 「やっと生活保護が受けられた」来談者からの手紙 | ||
明田 勇 | 5 三十六年目の原爆手帳 | ||
中津泰人 | 解説 被爆者健康手帳とは | ||
44 | 座談会 | 相談員の会の歩みを振り返って | |
44 | (1)はじめに | ||
江崎須賀子(司会) | |||
若林節美 | |||
45 | (2)生みの苦しみ | ||
槙 繁 | |||
一 泰治 | (広島YMCA) | ||
46 | (3)相談員は | ||
相良カヨ | |||
宗像房子 | |||
47 | (4)弁護士の立場から | ||
島方正幸 | |||
二国則昭 | |||
48 | (5)被爆者の立場から | ||
蔵田和子 | |||
木村千代子 | |||
相談員の会の担い手として | |||
52 | 井上慰江 | 原爆被害者相談に参加して | |
53 | 桶舎洋子 | ボランティアとしての責任は | |
54 | 立神志伸 | 福祉労働者としての姿勢に学ぶ | |
55 | 河宮百合恵 | 夫婦参加を志向して | |
56 | 山田寿美子 | 第二日曜日の朝 | |
57 | 活動日誌(81・6~82・11) | ||
<1981年6月の項>研究会「医療法前史、県被団協の結成をめぐって」 宇吹暁さん | |||
62 | 基本懇答申についての解説・見解 | ||
66 | 資料:原爆被爆者対策の基本理念及び基本的在り方について 1980年12月11日 | ||
71 | 編集後記(正田恵子・江崎須賀子) | ||