松元寛
まつもと・ひろし | 1924****生20030605没 | 享年78歳 | 英文学者。 広島大学名誉教授。原爆で母を喪う。 |
資料年表:松元寛
年月日 | ||
1924 | 朝鮮京城(現在のソウル)に生まれる。 | |
1955 | ||
0830 | 『歯車 第1号』(歯車発行所) | |
松元寛「 犬」 19 | ||
1960 | ||
0515 | 『60+α 文学雑誌 第1号』(文化評論出版) | |
松元寛「 太宰治の文学-その可能と限界-」…18 | ||
1961 | ||
1001 | 『安芸文学(安藝文学) 第10集 記念特集号』(安芸文学同人会) | |
松元寛「現代文学の条件 」35 | ||
1201 | 『ひろしまの河 No.4』(原水爆禁止広島母の会) | |
特集 被爆地の原水禁運動はどうあるべきか | ||
1963 | ||
1215 | 『不死鳥 第5号』(広島大学職員レクレーションの会) | |
松元寛(文学部)「我が青春」 …4 | ||
1965 | ||
0901 | 『放送RCC 第47号』(ラジオ中国) | |
松元寛『ひろしま20年の足跡■文学の歩み 』 34 | ||
1966 | ||
0510 | 『安芸文学(安藝文学) 第20号記念特集号』(安芸文学同人会) | |
松元寛「同人雑誌の十年」 6 | ||
0801 | 『広島通信No.2』(広島県詩人協会) | |
松元寛(広島大学助教授)「被爆の証人〝原爆ドーム〟の保存を」 | ||
1968 | ||
0601 | 『広島通信No.10』(広島県詩人協会) | |
松元寛「原爆慰霊碑文再読」 | ||
0615 | 『歯車 第1号』(歯車の会) | |
松元寛「評論 現代における致し方ない正しさ」2 | ||
0801 | 『放送RCC 第91号』(中国放送) | |
松元寛「連載=道■幻想としての道」 20 | ||
1970 | ||
0610 | 『歯車 第19号』(歯車の会) | |
松元寛「パラダイス・ロード」 78 | ||
0620 | 『<八月六日>を描く 作品集』(原民喜 [ほか] 著、文化評論出版) | |
松元寛「解説」 | ||
1110 | 『安芸文学(安藝文学) 第29号』(安芸文学同人会) | |
松元寛「言語と映像の境目」…2 | ||
1230 | 『歯車 第20号 1970年冬』(歯車の会) | |
松元寛「崩壊」127 | ||
1971 | ||
0731 | 『ヒロシマ・25年-広島の記録 3』 | |
松元寛「 被爆体験の風化」 160 | ||
1130 | 『歯車 第21号 1971年秋』(歯車の会) | |
評論 高橋和巳の覚え書 松元寛 70 | ||
1973 | ||
0525 | 『歯車 第23号 1973年春』(歯車の会) | |
松元寛「シェイクスピアー一つの前書と喜劇についての覚書」 65 | ||
0625 | 『ヒロシマの意味』(小黒薫編、日本評論社) | |
松元寛「 八・六、広島の意味するもの」 133 | ||
1101 | 『わがまち、ひろしま 都市めぐりシリーズ 1(広島文化叢書 , 6)』(広島文化出版) | |
1975 | ||
0601 | 『歯車 第27号 1975年春』(歯車の会) | |
「ハムレット」覚書…松元寛 12~21 | ||
1976 | ||
0901 | 『平和科学研究通信 Vol.1 No.2-3』(広島大学平和科学研究センター) | |
<研究の記録>中野好夫氏を囲む座談会 松元寛 4 | ||
1977 | ||
0910 | 『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』(広島大学原爆死没者慰霊行事委員会) | |
「文科学関係(横田輝俊、磯貝英夫、松元寛)」257 | ||
1978 | ||
0520 | 『平和研究 第3号 日本国憲法 国内体制と平和』(日本平和学会) | |
〔書評〕松元寛「『ヒロシマで教える』(NGO被爆問題国際会議広島専門委員会・広島平和教育研究所 共編 )」 | ||
1979 | ||
0301 | 『平和科学研究通信 Vol.2 No.3』(広島大学平和科学研究センター) | |
松元寛「平和と教育」 1 | ||
0518 | 松元寛「第17章 原点としてのヒロシマ」(『平和研究ノート』山田浩・森利一編、広島大学総合科学部国際関係論教室) | |
1980 | ||
0925 | 『平和学講義』(森利一・山田浩編、勁草書房) | |
1981 | ||
1001 | 『平和を研究する』(広島大学放送教育実験実施委員会) | |
第3回 人間の幸福と平和-シエクスピアの喜劇とユートピア文学- 松元寛 10月25日(日)21 第4回 危機的状況における文学(1)-悲劇と人間の希望- 松元寛 11月1日(日)29 |
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1982 | ||
0621 | 『広島長崎修学旅行案内 原爆の跡をたずねる 岩波ジュニア新書48』(岩波書店) | |
1983 | ||
0731 | 『広島通信 No.68 終刊号 ヒロシマの継承 1983.07.31』 | |
松元寛「この持続を大切に」 | ||
0801 | 『日本の原爆文学 15 評論/エッセイ』(「核戦争の危機を訴える文学者の声明」署名者編) | |
松元寛「不毛でない文学のために 」267、「原点としてのヒロシマ」 396 | ||
0830 | 『平和学講義 新訂版』(山田浩編、勁草書房) | |
松元寛「第15章 原点としてのヒロシマ、ナガサキ――その意味を考える視角――」 270 | ||
1984 | ||
1101 | 『平和研究 第9号 ヒロシマ・ナガサキの平和秩序の探求』(日本平和学会) | |
松元寛「ヒロシマとナガサキ-その意味を考える視角」44 | ||
1987 | ||
0101 | 『広島平和科学 9 1986年』(広島大学平和科学研究センター) | |
松元寛「核抑止戦略を支えるもの」1 | ||
1990 | ||
0630 | 『ひろしま新時代 21世紀への可能性を探る』(香川不苦三著 中国新聞社編、中野出版企画) | |
人間のための都市へ(ひろしまへの提言) 広島修道大学教授 松元寛 86 | ||
1993 | ||
1201 | 『けんみん文化 1993.12 12月号第9巻第9号』(広島・県民センター文化情報課) | |
「広島人物誌 松元寛」 8 | ||
1995 | ||
0501 | 『平和文化 No. 113』(広島平和文化センター) | |
講師-広島修道大学人文学教授 松元寛 | ||
0720 | 『ヒロシマという思想 「死なないために」ではなく「生きるために」』(東京創元社) | |
1996 | ||
0301 | 『思想の科学 No.39』(思想の科学社) | |
松元寛「原爆を落としたアメリカ ヒロシマの世界化とは」 10 | ||
1998 | ||
0520 | 『広島長崎修学旅行案内 原爆の跡をたずねる 新版』(岩波ジュニア新書 , 300) | |
0720 | 『梶葉かじのは 梶山季之文学碑記念 通巻6』(「梶葉」刊行委員会(梶山季之文学碑管理委員会)) | |
黒い雨-彷徨の周辺- 文沢隆一 3 | ||
1999 | ||
1215 | 『戦争の死 戦後の死』(廣岡尚利、 叢書見る) | |
松元寛 切明悟 小久保均 寺島洋一「思い出」 | ||
2000 | ||
0501 | 『平和運動センター通信 第19号』(横原由紀夫、広島県平和運動センター) | |
・日朝国交回復の早期達成を! 1 ・「主張・論壇」民主主義の「御作動」? 松元寛 2 ・「主張・論壇」これこそ民主主義の誤作動(2)松元寛 3 |
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2002 | ||
0507 | 『碧空』(海老根勲、大牟田さんをしのぶ会) | |
大牟田さん、どうして…松元寛 15 | ||
2003 | ||
0605 | 死亡。 | |
0617 | 松坂義考「松元寛さんを悼む」(『中国新聞』20020617) | |
0714 | 『けさや昔の夢のおもかげ 稲賀敬二回想集』(稲賀敬二 [著]、稲賀久美子) | |
松元寛「稲賀さんを悼む」457 | ||
0726 | 岡馬十充「ヒロシマの思考力に力 松元寛さん」(『中国新聞』20020726) | |
0915 | 『考えるとは乗り越えることである 好村冨士彦遺稿・追悼集』 | |
松元寛「好村さんに」 472 | ||
1210 | 『湾 文芸同人誌 第23号』(藤本仁) | |
悼・松元寛先生 77 | ||
2004 | ||
0430 | 『歯車 第42号 2004年春』([歯車の会]) | |
松元寛 肖影 拾遺 天皇とヒロシマ 3 50年後のヒロシマ、ナガサキの意味 5 -科学依存の現代生活「悲惨」は背中合わせー 漱石の英文学 7 はぐれ英語教師・戦中派 17 世紀末の八月六日に 42 -核廃絶を「日本の声」へー 今世紀最後の原爆忌に 44 -多様な反戦運動と連携深め次世代へー 追懐 ヒロシマの退廃 小久保均 49 わが師友 松元寛さん 吉田正勝 54 神様の次に偉い方 松原三和子 56 過ぎ去らない過去からの声 杉山毅 58 -冬城浩さんを悼むー 松元さんのこと 立川昭二郎 73 大野俊三「落葉樹」回想 佐野豊 74 松元寛略年譜 78 松元寛著作目録 80 [歯車]総目次 81 |
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2010 | ||
1220 | 『広島県現代文学事典』。槇林滉二「松元寛」。 | |
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