資料年表:サイド・オマール<作業中>
年月日 | 事項 | メモ |
1926 | ||
0728 | 誕生 | |
1943 | ||
*** | 南方特別留学生として来日。当時17歳。 | |
1944 | ||
*** | 広島高師文科興南部に入学。 | |
1945 | ||
0806 | 興南寮で原爆被爆。 | |
0830 | 帰国のため上京途次に京都で発病、京大附属病院入院。 | |
0903 | 午後11時57分、死亡。出典:『生死の火』 | |
1957 | ||
0817 | S・M・アルサゴフ(シンガポールに住む哲学者)から広島市に依頼の手紙。弟のサイド・オマールの死亡証明書が欲しい。 | C |
1964 | ||
0516 | サイド・モフシン・アルサゴル(オマールの兄)らマレーシア人留学生2人の遺族、広島市を訪問。 | C |
1974 | ||
0903 | オマールの「墓を守る会」(園部健吉代表世話人)発足。円光寺(京都市)での法要に飯島宗一広島大学長らが参列。 | C |
1975 | ||
0806 | 『生死の火 広島大学原爆被災誌』(広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会) | |
4 留学生 339 | ||
サイド・オマール・ビン・モハメッド・アルサゴル | ||
1980 | ||
1031 | 『被爆南方特別留学生オマール少年の墓(思い出の記 第3集)』(園部健吉著、圓光寺) | |
1982 | ||
0515 | 『天の羊 被爆死した南方特別留学生』(中山士朗著、三交社) | |
1991 | ||
0525 | 『日本の原爆記録13 煉瓦の壁 長崎捕虜収容所と原爆のドキュメント、天の羊 被爆死した南方特別留学生』(家永三郎・小田切秀雄・黒古一夫、日本図書センター) | |
1993 | ||
0420 | 修学院小学校6年生(京都市)、マレーシアの南方特別留学生オマールの足跡をたどり平和学習。 | C |
0905 | アザー・アジズ(南方特別留学生オマールの妹)広島訪問。留学生寮「興南寮」跡などを巡る。 | C |
1994 | ||
0210 | 『オマールさんを訪ねる旅 広島にいたマレーシアの王子様』(早川幸生編、かもがわ出版) | |
0419 | 修学院小学校(京都市)6年生166人、修学旅行で広島を訪問。 | C |
0822 | 土井たか子衆議院議長、訪問中のマレーシアで、アザー・アジズ(南方特別留学生オマールの妹)と対面。 | C |
1995 | ||
0806 | 『ヒロシマ五十年 或る少年兵の回想』(小笠邦久著、蝸牛社) | |
5章 回想 254 オマール忌 305 | ||
0815 | 『京都・左京の十五年戦争 戦時下を生きた人々』(平和と民主主義をすすめる左京懇談会編、かもがわ出版) | |
被爆南方特別留学生サイド・オマール 早川幸生 113 | ||
08- | 京都原水爆被災者懇談会(世話人代表=永原誠・京都橘女子大教授)、オマールをいのぶ反核ビデオ「オマールさんをしってますか?」を製作。永原の父は留学生の「興南寮」の寮監で被爆死。 | C |
1996 | ||
0810 | 『アジア戦時留学生 「トージョー」が招いた若者たちの半世紀』(藤原聡・篠原啓一・西出勇志著、共同通信社) | |
南方特別留学生名簿 289 | ||
2002 | ||
0211 | 『東南アジアの弟たち 素顔の南方特別留学生 改訂版』(上遠野寛子著、暁印書館) | |
2003 | ||
0505 | 『京都修学旅行ハンドブック 学び・調べ・考えよう』(京都平和・国際教育研究会編、平和文化) | |
第5章 洛北を歩こう 53 4 一乗寺・修学院周辺一詩仙堂 59 圓光寺 59 コラム「被爆南方特別留学生サイド・オマール」62 |
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2011 | ||
0822 | 『共に生きる ブルネイ前首相ペンギラン・ユスフと「ヒロシマ」 = Asia living together』(橋本明著、財界研究所) | |
第6章 父に会いたくて故郷へ サイド・オマールの死 144 |
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2014 | ||
1030 | サイド・オマールの墓が校区にある修学院小学校6年生(京都市)94人、修学旅行で広島市を訪問、興南寮跡(オマールの被爆の地)で平和集会。 | C |
2015 | ||
0301 | 『ヒロシマが泣いているフクシマが泣いている ドキュメンタリー映画『ブラックラストワン』拾遺』(古田博一著、あいり出版) | |
ヒロシマが泣いている 001 1.オマール氏との出会い 002 玉音放送現代語訳/『広島は泣いている』 2.被爆直後の広島とオマール氏慰霊 018 ◇インタビュー:平塚哲夫先生 3.オマール氏の治療 020 ◇インタビュー:濱島義博先生 4.京都原爆被爆者の会の活動 オマール君の墓 022 一 端源山圓光寺に/ 二 広島から京都へ/ 三 園部兄弟の熱意と多くの協力者/ 四 看護の老婆とともに…/五 京都府原爆慰霊碑に合祀/ ◇インタビュー‥平塚哲夫先生 間奏資料 ヒロシマ・ナガサキ以後今日まで 054 |
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0416 | 「[特集]南方特別留学生 来日75年」<原爆投下時、広島にいた南方特別留学生>(『中国新聞』20180416、山本裕司) | |
1113 | 南方特別留学生故 オマールの慰霊(園部敏江)や語りつぐ活動(新見博三)をしている2人に広島大学・学長特別表彰。 | C |
2018 | ||
0301 | 『史学研究 第299号』(広島史学研究会) | |
平野裕次「被爆した南方特別留学生と戦後の日本社会 一九五〇年代半ばから一九六〇年代半ばまでの時期を中心として」 | ||
1109 | 「マレーシア出身オマールさん 被爆留学生しのぶ縁 墓のある京都の児童 中区でつどい」(『朝日新聞』宮崎園子記) | |
1224 | 「被爆死の南方特別留学生オマールさん 京都で広がる継承の輪」(『中国新聞』山本祐司・記) | C |
2019 | ||
0201 | 「『記者縦横』南方特別留学生 継承を」(『中国新聞』山本祐司・記) | |
0216 | 「被爆留学生のお話を聞く会」、被爆した南方特別留学生について学ぶ研修会を原爆資料館で開く。 | C |
0806 | 『オマール王子の旅 広島で原爆に遭った南方特別留学生』(古田博一 作、藤原飛鳥 絵、あいり出版) | |
0814 | 「帰国かなわなかったオマールさん 被爆死の留学生語りつぐ 京都・埋葬された寺周辺の住民ら」(『朝日新聞』宮崎園子記) | |
0902 | 「南方留学生のヒロシマ 苦悩にじむ手紙・はがき 交流あった栗原さん 資料館に寄贈」(山本祐司・記) | C |
2021 | ||
1208 | 『語り継ぐヒロシマ・ナガサキの心 下巻』(京都「被爆二世・三世の会」編、ウインかもがわ) | |
ヒロシマ編 33 早川幸生…被爆南方特別留学生サイド・オマールさんを訪ねる旅 …391 |
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