静岡県原水爆被害者の会<作業中>
結成総会 1959年7月26日
第五福龍丸乗組員(二三人)の組織化
『朝日新聞(夕刊)』(一九五五年八月三日)
[焼津発]ビキニ退院患者二十二人で結成されている”福龍会”は、来る六日から広島市で開かれる原水爆禁止世界大会への出席問題につき二日話合った結果、元第五福龍丸漁業長見崎吉男さん(二九)=焼津市鰯ケ島=を患者代表として送ることを決めた。
『朝日新聞』(一九五五年八月四日)
見崎の大会参加は取りやめ
ビキニ水爆実験被災者と原水爆禁止運動の出会い
55 08 17 静岡県の広島大会参加者ら30人と県評・母親大会準備会の代表ら、会合を開き、原水爆被災者救援運動を起こす、この会を原水爆禁止静岡県連絡協議会として存続す
るなどを決定(アカハタ)。 122 06 H 0826
杉山秀夫『核兵器廃絶の日まで』(一九八五年)三五-三六頁
昭和三十二年の第三回原水爆禁止世界大会に高教組の代表として参加出来た。
第四回の世界大会の参加のときは、自ら被爆者であることを名乗り、県評の目にとまり、県内に被爆者組織をつくる発起人を引受けたのである。この時、県評は既に百人以上の被爆者名簿を入手していた。
その中から数名の発起人を選び、三十四年三月十五日に、被爆者十七名(広島十二名、長崎一名、ビキニ四名)が集まり、第一回準備会を開き、結成へむけて大きくすべりだしていった。そして四月には日本被団協と県原水協の協力のもと、県内五四五名被爆者の内、名簿の明かな者二九七名(ビキニ被災十一名を含む)に対して実態調査を行い、五月末迄に一五七通の解答を得た。
止