県(区・市)民運動の展開

「日本における原水爆禁止運動の出発~1954年の署名運動を中心に~」(『広島平和科学5』広島大学平和科学研究センター、1982)

目次
はじめに
1 原水爆禁止決議
2 原水爆禁止運動の開始
3 県(区・市)民運動の展開
4 原水爆禁止署名運動全国協議会
5 原水爆禁止署名運動の意義

 

3.県(区・市)民運動の展開

 

5月9日に結成された水爆禁止署名運動杉並協議会は.署名を目的として結成された先駆であるとともに,「草の根運動」を展開した最初の団体であった(1)。杉並区では,すでに,ビキニ被災事件の報道後,「署名運動は自然発生的、かつ散発的に,民主団体,婦人団体,魚商組合というようなところからはじめられていた」(2)。4月17日の区議会の水爆禁止の決議は,これらの動きか結実したものである。

杉並協議会の結成意図は,区議会決議をうけて,「杉並区を中心に水爆禁止の署名運動をおこし、これをさらに全国民の署名運動にまで発展させ」よう(杉並アピールより)というものであった。区内の諸層から超党派的に選ばれた実行委員によって展開された署名運動は,「関係者さえ予想しなかったほどの成果をおさめ,6月29日現在で,暑名総数は,実に杉並区の総人口(39万)のおよそ7割にあたる26万8,956名の多きをかぞえるにいたった」(3)。

杉並協議会の運動は,これまで,運動の主体が婦人であったことおよび超党派的に進められ,区民の過半数の署名を獲得したことによって評価されている(4)。しかし,それらとともに,重要と思われるのは,区議会の決議という形で表わされた区民の意志を単にそれだげにとどめず,改めて区民の署名の結集として再び表現した点である。武蔵野市や世田谷区の場合,それぞれ3月27日と30日に市(区)議会が決議をおこなっている。ところが,署名運動を展開するのは,6月下旬以降のことであった(5)。世田谷原水爆禁止署名運動本部事務局長は,「原水爆被害の増大と杉並区の運動に刺激され」、区議会が署名運動を開始したと述べている(6)が,このことは,杉並区の運動が「議会の決議にもとづく原水爆禁止の署名運動」のモデルであったことを示すものである(7)。

杉並区の運動が,区議会決議をうけて,署名運動の超党派組織を結成するという経過をたどったのに対し,同じ時期に起った広島県の運動は.まず,超党派組織は,原水爆禁止大会のために結成され,大会の要請で,市および県に決議をさせ,その後,署名運動を開始するという経過をたどっている(8)。前述のように,4月21日の第6回婦人会議広島大会が契機となり,5月15日に,原水爆禁止広島大会が開催され,原水爆禁止の宣言とともに,原爆障害者救援のための特別保護法制定を求める決議が採択された。大会後の5月20日の常任世話人会は,運動の今後の発展のために,原水爆禁止県民連動連絡本部を設置することを決め,具体的な運動として県下全域にわたる署名運動の展開,広島県議会・市議会への決議の請願などを申し合せた。広島市・県議会は,この要請をうけ,それぞれ,5月25日,28日に原水爆禁止決議および原爆障害者治療費全額国庫負担に関する決議をおこなった。広島での署名運動は,6月4日から始まったが.8月6日までの2カ月間で89万8,000(全県民の42%)の署名が集められた。

東京・広島以外の地域での運動の詳細は詳らかではないが,原水爆禁止署名運動全国協議会の結成大会における各団体の代表の報告によれば,つぎのようなものであった(9)。

秋田県=7月上旬,秋田市議会が決議。その後,3日間全市にわたる署名運動で10万を集める。8月5日,全県協議会を結成,県議会議長が会長となる。
北海道=警察署長,CICの団体を除く全団体で協議会を結成。
大阪=幅広い形で連絡会を結成。100以上の団体が参加。7月26日現在で40万の署名。
島根=8月5日,世話人会が発足。6日県下より約1千名が集まって県民大会。県連合婦人会で署名をまとめる。
一応,対人口比で30%以上の署名を集めた県を「県民運動」の展開されたところと考えるならば(10)、広島県(47.4%)以外にも,東京都(40.8%),長野県(39.5%),島根県(38.8%),山口県(44.3%)で,県(都)民運動が展開されている。また.次表のように,全国各地で,市(区)民運動が展開された。

市(区)民運動一覧

県名 市区名 署名団体名 署名数
の対人口
比(%)
署名の
現在日
北海道 小樽市 小樽市 62.2 10. 2
美唄市 美唄市議会 49.9
秋田 横手市 原水爆禁止横手市民運動本部 51.4 8.31
秋田市 原水爆禁止運動秋田市協議会 40.5 8.15
大館市 大館市原水爆実験及び使用禁止同盟 34.3 8.31
宮城 石巻市 石巻原水爆禁止署名運動協議会 50.6
古川市 古川市原水爆禁止の会 33.0
福島 磐城市 磐城市原水爆禁止運動促進会 57.8 11.20
常磐市 常磐市原水爆禁止運動世話人会 53.7
郡山市 原水爆禁止運動郡山地方連絡会議 45.2
茨城 古河市 古河市原水爆禁止運動世話人会 62.5 12. 4
東京 中央区 中央区原水爆禁止運動特別委員会 115.5 10. 5
千代田区 千代田区議会,区役所,各種団体 108.4
杉並区 水爆禁止署名運動杉並協議会 69.2
世田谷区 水爆禁止署名運動世田谷本部 68.8 8.25
港区 原水爆禁止署名運動港区協議会 68.5
豊島区 原水爆禁止署名運動豊島区協議会 58.9 8.31
武蔵野市 原水爆禁止運動武蔵野協議会 58.6 10.8
目黒区 原水爆禁止署名運動日票区本部 55.1
中野区 原水爆禁止署名運動中野協議会 52.7 10. 2
渋谷区 原水爆禁止署名運動渋谷区協議会 50.9 10.20
立川市 立川平和協議会 49.3
新宿区 原水爆禁止署名運動新宿区協議会 47.8
台東区 原水爆禁止台東協議会 46.9
三鷹市 三鷹市婦人団体連絡協議会 39.7 9. 1
品川区 原水爆禁止運動品川区協議会 38.6
神奈川 逗子市 逗子市原水爆禁止促進協議会 58.7 10.23
茅ケ崎市 原水爆禁止運動茅ケ崎地区協議会 41.1
秦野市 秦野地方原水爆禁止の会上曽屋支部 30.3 10.23
山梨 都留市 山梨県都留仏教会 45.0
長野 上田市 上田市原水爆禁止運動協議会 60.2 10. 4
滋賀 彦根市 原水爆禁止署名運動彦根市連絡協議会 59.1
山口 下関市 下関市 40.6 9. 1
福岡 直形市 原水爆実験使用禁止運動直方市協議会 86.8

出典:「原水爆禁止署名数全国集計」1954年12月14日現在及び1955年8月4日現在

ところで,市(区)民運動34件のうち,27件は,ビキニ水爆被災事件を機に結成されたと思われる原水爆禁止団体である。これらの名称の付け方によれば,①原水爆禁止運動団体(15件),②原水爆禁止署名運動団体(10件),③原水爆(実験および)使用禁止団体(2件)の3種の団体が存在するが.この3種の団体名の差がそのまま各種団体間の運動の差とは考えられない。しかし,当時,原水爆禁止運動が一部では署名運動に限定されていた事実を示すものではある。

名称からみて,水爆実験の反対に限定した目的を持つ団体が極めて少ないことは,注目されるところである。原水爆禁止署名運動杉並協議会の結成時の名称は.前表のように水爆禁止署名運動杉並協議会であった。また,そのアピール(杉並アピール)には,広島・長崎への言及はみられるものの,訴えの根拠は,あくまで「死の灰」による原子病の恐ろしさと,「死の灰」まぐろ廃棄による日本国民の栄養源の不足である(11)。なお,つけ加えるならば,杉並アピールは,「原爆」が欠落している(12)のみでなく,「平和」も用いられていない。それは,「今,平和運動というと,とかく色がついているかのように誤解されやすい傾向をもつから」,「区民の誰もが安心して参加できるように」との配慮からであった(13)。このように,意図的に目的を限定して出発した杉並の運動でさえ,運動開始後,直ちに,「水爆禁止」団体から「原水爆禁止」団体に変化していることは,「水爆禁止」ではなく,「原水爆禁止」すなわち「核兵器全般の禁止」が当時の運動の普遍的な課題であったことを示すものである(14)。

1)安井郁は,すでに当時,「草の根」という表現を用いている。前掲『民衆と平和』76頁。
2)水爆禁止杉並協議会・安井郁「静かなる署名運動」(『改造』1954年8月号)。
3)水爆禁止杉並協議会・安井前掲論文。
4)『岩波講座日本歴史23』260頁(岩波書店、1977年)など。
5)「原水爆禁止署名運動東京都懇談会議事録(要旨)」1954年9月6日。
6)1954年9月6日に開催された懇談会での発言。
7)杉並の一婦人は,東京平和大集会世話人会において,「議会の決議にもとづく原水爆禁止の署名運動を,議会が先頭に立って行うようにさせる努力が必要である」と提案している。西尾昇「地方議会と平和」(『平和』1954年7月号)。
8)この経緯に関する資料は,広島市編『広島新史資料編』(1982年)にまとめてある。
9)「原水爆禁止署名運動全国協議会結成大会議事録」(1954年8月8日)より道府県の代表の報告のみ摘出。
10)人口は,総理府統計局『昭和30年国勢調査報告第1巻』(1956年)による。以下同じ。また,署名数は1955年8月4日現在である。
11)『ビキニ水爆被災資料集』536-537頁。
12)この点は,今堀前掲書10頁に指摘されている。
13)水爆禁止杉並協議会・安井郁、前掲論文。
14)団体名ではないが,広島の5月15日の大会は,水爆禁止広島市民大会として発起されていた(1954年4月22日付準備会案内状)が,実際には,原水爆禁止広島市民大会として開催された。