市民の関心(平和式典への関心)

平和式典への関心

(1)市民の関心

広島市は、1950年(昭和20年)2月、平和祭についての原爆体験者の世論調査(市調査課「広島原爆体験者についての産業奨励館保存の是非と平和祭への批判と希望に関する世論調査」49年10月実施)の結果を公表した。「いままでの平和祭についてどう思うか」との問いにたいして、「今の通りでよい」と答えた者は23%にすぎず、67%の者は「今の通りではいけない」と答え、その理由として、「お祭りさわぎすぎる」(64%)、「関係者だけで形式的だ」(14%)「ムダな費用で意義ない」(14%)などをあげた。また、「これからの平和祭に対する希望」としては、61%が「地味にやる」と答え、「お祭りのようにやる」との答えは25.5%にすぎなかった(「中国新聞」50年2月11日)。この結果は、広島市民が、平和祭に必ずしも満足していなかったことを示している。
1954年以降、原水爆禁止運動が全国的に展開されるようになり、平和記念日前後に広島で大会を開催するようになった。大会参加者の多くが、平和式典に参列したことにより、式典は全県的あるいは全国的性格を帯びるようになった。一方、8月6日の平和祭や大会に困惑し、この日を静かに過ごしたいという気持ちは、市民の間に根強く存在していた。広島市は、50年3月2日、広島市議会の「8月6日を平和の日として国民の祝祭日に加えられるよう要望の件」という決議(49年2月1日)の趣旨を具体化するため国会に提出する草案を完成した。しかし、この草案にたいして、8月6日は祝日ではなく、「全市民の哀悼の日」、「なくなった人々をしのび、平和を祈念する日」とすべきであるとの投書が新聞に寄せられた(「中国新聞」50年3月16日、6月14日)。こうした市民の声は、原水爆禁止運動が高揚する56年には、組織的な動きに発展した。同年4月19日、宇野正一、相原はる、島本正次郎ら5人は、つぎのように呼びかけた。
・・・さて、「原爆の日」のあり方について例年8月6日には、平和祭が行われ原水爆禁止、世界平和運動等いろいろな集会が催されて居りますが、一方では競輪、モーターボートも開催され、一部の市民は祭日気分になり、一部の市民は犠牲者の供養をし、一部の市民労働組合はメーデーの二番煎じの様な行事をやる等の状態であって、何か原爆被災の地広島市民の原爆投下の悲しき日の送り方としてそぐわぬものを感じますので吾々発起人有志を以って種々協議の結果、8月6日を「犠牲者に対する追悼自粛の日」と  して市民各戸に半旗(弔旗)を掲げて27万人の犠牲者に対し哀悼の意を表する市民運動を致し度いと思います・・・
(宇野正一など「(協議会への)案内状」56年4月19日)
1956年6月13日には、宇品地区原爆被害者の会(会長相原はる)が同様の主旨の請願書を広島市議会に提出した。第5回原水爆禁止世界大会の開催された59年には、この動きは、大きな広がりを見せた。広島県宗教連盟は、7月の理事会で世界大会に連盟として参加しないことを決めるとともに、8月6日を「この日の追憶を新たにして亡き人々へ心から敬弔の意を表明するとともに、平和開顕の念願をさらに強調するため」「全市各戸ごとに弔旗を掲げる運動」を提唱した(広島県宗教連盟、広島市仏教会、広島県神社庁など「趣意書」)。
平和式典の性格は、1952年以降、「慰霊」と「平和」の両面を持っていた。8月6日を祈りの日にとの声は、「慰霊」の側面の強化を求めたものと理解できる。これとは逆に、60年安保改定反対闘争の高揚を反映し、60年の式典に対しては、「平和」の立場からの批判が表面化した。60年7月29日、全日自労広島分会の代表は、浜井広島市長に、この年の県・市共同主催の式典が、来賓中心である、一部勢力の一方的な政治行事化するおそれがある、8月6日が単なる“祈りの日”に後退するのではないか、などの危惧を申し入れた。また、7月31日の広島県原水協の全県協議会でも「知名士を招いて、単に“祈り”の行事に後退したもので原水爆禁止の目標や行動が不明確だ」との批判が出されている。
平和式典に対する市民の関心は、占領期と1960年前後を除き、表面化することはなかった。1967年以降、広島市市長室公聴課に寄せられた意見の統計によれば、67年以降5年間に「原爆」、「平和」、「慰霊碑文」については、それぞれ233件、201件、74件となっているが、平和式典に関するものは9件にすぎない(広島市市長室公聴課「市民の声」)。
1960年代後半から、マスコミが原爆に関する市民の世論調査を行なうようになった。中国新聞の調査(68年)は、被爆者、非被爆者500人ずつの計1,000人を対象として実施されたが、67年の平和式典への出席状況に対する回答は、「参加した」は32%(被爆者)、20%(非被爆者)であり、「公園には出かけたが式には出ない」は、10%(被爆者)、12%(非被爆者)であった。RCC(70年実施、対象者520人)、NHK(72年実施、対象者1,000人)の調査では、8月6日の過ごし方が質問されたが、「記念式典に出席する」(RCC)、「平和記念式典や慰霊祭に参加した」(NHK)との回答は、それぞれ11.5%、11.6%であった。また、NHKが、1975年からも5年ごとに同様の世論調査を実施しているが、その結果は、表9のとおりであった。
中国新聞の調査では、式典への参加者が多いが、NHKとRCCの調査では、式典に参加する市民の割合は、ほぼ1割にとどまっている。また、NHKの継続調査の結果は、年の経過とともに、「『原爆の日』と関係なく過ごした」の割合が増加するのと逆に、「式典などへの参加」は、確実に減少している様子を示している。
NHKによる継続調査の結果によれば、市民の半数以上が8月6日に「祈り」という行動を行なっているが、このことは、市民の多くが、式典に参加はしないものの、この日に対して無関心ではないことを示している。このような市民の消極的関心は、平和式典の存廃についての態度にも現れている。1968年の中国新聞、75年と80年のNHKの世論調査の結果によれば、「やめたほうがよい」との回答は数%にすぎず、87%から96%の市民は、「平和式典を続けるべきだ」あるいは「形を変えて続けるべきだ」と回答している。式典を「形を変えて続けるべきだ」との回答は、1968年の中国新聞の調査では、被爆者で11%、非被爆者で16%であり、75年のNHKの調査では25%、80年のNHKの調査では20%であった。
式典の改善策については、広島市の平和文化推進審議会(1967年12月発足)の中で、様々な意見が述べられている。ここでは、式典の形式主義、形骸化、マンネリ化が批判され、「被爆者を全面に出すべき」、「被爆体験継承の場に」、「平和宣言に具体的な内容を盛り込め」などの具体的な改善策が出された。広島市は、こうした批判を踏まえ、式典にさまざまな工夫を加えてきた。しかし、世論調査の結果が示しているように、式典への参加者の減少傾向と原爆の日への無関心層の増大傾向を止めることはできていない。