吉野源三郎
| よしの・げんざぶろう | 18990409生19810523没 | 享年82歳 | 雑誌「世界」初代編集長。日本ジャーナリスト会議初代議長(1955年2月19日)。「被爆30周年国際フォーラム」の代表世話人。1977被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人。 |
止
吉野源三郎
| よしの・げんざぶろう | 18990409生19810523没 | 享年82歳 | 雑誌「世界」初代編集長。日本ジャーナリスト会議初代議長(1955年2月19日)。「被爆30周年国際フォーラム」の代表世話人。1977被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人。 |
止
岡本直正
| おかもと・なおまさ | 1921生20120523没 | 岡本直正 | 享年91歳 | 広島大学原爆放射能医学研究所所長(第3代 1970.4.1~1977.3.31)。 |
資料年表:岡本直正<作業中>
| 年月日 | |||
| 1921 | 生 | ||
| 1967 | |||
| 0330 | 岡本直正 「放射線被爆が胎児に及ぼす影響 -中性子照射による心臓並びに大血管系の形成異常 」(『原子爆弾後障害研究会講演集 第7回』218) | ||
| 1969 | |||
| 0620 | 岡本直正「原爆症認定の問題点 病理の立場より」(『原子爆弾後障害研究会講演集 第9回』22) | ||
| 1970 | |||
| 0401 | 広島大学原爆放射能医学研究所所長(~1977.3.31)。 | ||
| 19730806 | 『原爆の記録ヒロシマ―米国返還資料から』(中国新聞社) | ||
| 「人体傷害」(岡本執筆) | |||
| 1977 | |||
| 0910 | 『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』(広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会) | ||
| 岡木直正「原爆放射能医学研究所における将来計画と協同研究への歩み」61 | |||
| 2012 | |||
| 0523 | 没 |
止
『小さな窓から』(新藤兼人著、朝日新聞社、1985/09/05)
内容<作業中>
| 頁 | |||
| 009 | 夫婦とは 9 | ||
| 012 | 男と女 | ||
| 15 | 台所革命 | ||
| 18 | 母の思い出 | ||
| 21 | 加害者はだれか | ||
| 24 | 姉の地平線 | ||
| 27 | アメリカ製日本人 | ||
| 30 | ぜんそく考 | ||
| 33 | ある結婚 | ||
| 36 | 父の肖像 | ||
| 39 | 酔いどれ妻 | ||
| 42 | ライバル | ||
| 45 | 雪が舞う | ||
| 48 | 三匹の猫たち | ||
| 51 | ふり向いた女の目 | ||
| 54 | ある少女の出発 | ||
| 57 | 荷風忌 | ||
| 60 | 恩師 | ||
| 63 | 兄の生涯 | ||
| 66 | 家 | ||
| 70 | 足跡 | ||
| 74 | 三文役者 | ||
| 77 | 砂漠の中の森の町 | ||
| 80 | 青春の町 | ||
| 83 | 子どもたちよ | ||
| 87 | 生き証人 | ||
| 90 | 紫陽花のひと | ||
| 93 | ああ離婚 | ||
| 96 | 朝顔 | ||
| 100 | 原爆を落とした男 | ||
| 103 | 八月十五日 | ||
| 106 | 俺はあとでいいよ | ||
| 110 | 溝口忌 | ||
| 114 | 墓のある場所 | ||
| 117 | あるカメラマンの一生 | ||
| 120 | N君の仕事 | ||
| 123 | 竜安寺門前町 | ||
| 126 | 雨の日の朝 | ||
| 129 | 裏切りの心 | ||
| 132 | 無声映画の詩 | ||
| 135 | 栗ごはん | ||
| 139 | 私は脱がない | ||
| 143 | 遠足 | ||
| 146 | 風の中の三味線 | ||
| 149 | あなたに従います | ||
| 152 | めしを食ったか | ||
| 156 | 同窓会 | ||
| 159 | 現代風俗 | ||
| 162 | 結婚しない女 | ||
| 165 | 友ありて | ||
| 168 | 蔵の中 | ||
| 171 | 正月餅 | ||
| 175 | D氏の碑 | ||
| 179 | ふるさとの声 | ||
| 183 | 幕切れは | ||
| 187 | 縄文の足跡 | ||
| 190 | 人間の姿 | ||
| 194 | 女ひとり | ||
| 197 | あによめ | ||
| 201 | 役者根性 | ||
| 204 | おもちゃ | ||
| 207 | 水ぬるむ | ||
| 210 | ひいばあさん | ||
| 213 | はんてん | ||
| 216 | あとがき | ||
| 1984年1月8日~85年3月31日、連載。 | |||
止
資料年表:新藤兼人<作業中>
| 1912 | ||
| 0422 | 生 | |
| 1950 | ||
| 09 | 新藤監督:松竹映画「長崎の鐘」完成。 | C |
| 1952 | ||
| 0515 | 近代映画協会による「原爆の子」映画化。広島市で吉村公三(制作)、新藤兼人(脚本・監督)ら、「原爆の子友の会」メンバーと初打ち合わせ。 | C |
| 0707 | 原爆傷害者懇談会(広島市基町・朝日ホール)。新藤・乙羽信子らも出席。 | C |
| 08 | 「原爆の子友の会」、新藤監督の映画「原爆の子」制作に協力した会員5人を除名にするなど内紛。 | C |
| 1953 | ||
| 0429 | 「原爆の子」(新藤監督)、カンヌ国際映画祭グランプリ受賞を逸す。 | C |
| 1956 | ||
| 0212 | 英映画協会、「原爆の子」(新藤監督)を1955年度世界優秀映画の国連賞受賞作品に決定。 | C |
| 1957 | ||
| 02 | 西ドイツで上映中の「原爆の子」(新藤監督)、反戦映画として軍当局に没収される。 | C |
| 1958 | ||
| 09 | 映画「第5福竜丸」(監督:新藤・主演:宇野重吉、乙羽信子)撮影中 | C |
| 1959 | ||
| 02 | 映画「第5福竜丸」(近代映画協会・新世紀映画の共同製作、監督:新藤)、広島市の帝劇で特別試写会。 | C |
| 1982 | ||
| 0331 | 『広島市公文書館紀要 第5号』 | |
| 有田嘉伸「 新藤兼人の人と作品 」 | ||
| 「新藤兼人資料目録」 | ||
| 1983 | ||
| 01 | 『追放者たち -映画のレッドパージ-』(岩波書店) | |
| 0310 | 『日本名作映画76選』(佐藤忠男著、広島市映像文化ライブラリー編、広島市教育委員会) | |
| 1985 | ||
| 0905 | 『小さな窓から』(朝日新聞社) | U |
| 1996 | ||
| 0614 | 『追放者たち -映画のレッドパージ-』(岩波書店 同時代ライブラリー) | |
| 1998 | ||
| 0220 | 『弔辞』(岩波新書、) | U |
| 1980 | ||
| 0315 | 『私の足跡 : 独立プロ三〇年のあゆみ(新藤兼人映画論集 1)』 (汐文社, 1980.3) | U |
| 1981 | ||
| 09 | 『仕事場の出会い : 監督とはシナリオとは女優とは(新藤兼人映画論集 2)』 (汐文社, 1981.9) | U |
| 1988 | ||
| 0420 | 『さくら隊散る』(未来社) | U |
| 0420 | 『さくら隊8月6日 広島で被爆した若き新劇人たち』(岩波ブックレット No.114) | U |
| 1993 | ||
| 1006 | 『青春 新藤兼人の足跡1』(岩波書店) | U |
| 2002 | ||
| 1103 | 文化勲章発令・宮中親授式 | |
| 2003 | ||
| 0411 | 「原爆の真実を残す 広島で90歳対談 映画監督・新藤兼人さん・元本社カメラマン・松重美人さん」(『中国新聞』20030411) | C |
| 2004 | ||
| 0721 | 『シナリオ人生』(岩波新書) | U |
| 2010 | ||
| 1220 | 『広島県現代文学事典』(岩崎文人編、勉誠出版)<佐藤武・記> | U |
| 2012 | ||
| 0529 | 没。享年100歳。 | |
| 0531 | 「新藤兼人監督が死去 反戦貫き人間愛描く 100歳」(『中国新聞』20120531、串信考・記) | |
| 2022 | ||
| 0413 | 広島市映像文化ライブラリー、新藤兼人生誕110年記念の特集上映開始。(『中国新聞』20220402) | |
止
『女たちの八月十五日』(相賀徹夫編、小学館、1985/08/01)
内容<作業中>
| 頁 | |||
| 勤労動員 | |||
| 重兼芳子 4 | 十七歳の特攻隊 | ||
| 郷静子 18 | 戦時下の女学生 | ||
| 教師として | |||
| 大村はま 32 | 千人針と学校工場 | ||
| 石牟礼道子 42 | 赤い苦瓜 | ||
| 戦時下の結婚 | |||
| 佐藤愛子 56 | 坩堝の中の女たち | ||
| 萩原葉子 69 | 苦しかった毎日 | ||
| 飢餓と耐之 | |||
| 原邦子 84 | 葦ヒロシマを歌いたい | ||
| 塚文子 100 | 戸飢えの記憶 | ||
| 松谷みよ子 114 | 軍国少女の敗戦 | ||
| 学童疎開 | |||
| 中川李枝子 130 | 家族一緒に暮らしたい | ||
| 疎開 | |||
| 早船ちよ 144 | 本を焚く | ||
| 官憲とのたたかい | |||
| 山代巴 162 | 仲間づくりと戦争 | ||
| 空襲 | |||
| 高木敏子 177 | 父、母、妹を失って | ||
| ヒロシマとナガサキ | |||
| 竹西寛子 192 | 時の縄 | ||
| 林京子 206 | 九日から十五日へ | ||
| その日“八月十五日” | |||
| 住井すゑ 220 | 愛する故に戦わず | ||
| 引揚げ | |||
| 藤原てい 236 | 新京脱出 | ||
| 吉田知子 252 | 父を残して引揚げる | ||
| 戦後の窮乏 | |||
| 田中澄江 267 | ゆきてかへらぬ | ||
| 上坂冬子 282 | 敗戦で得たもの | ||
| 次の世代へ | |||
| 大庭みな子 296 | 私をこう言わせるもの | ||
止
大庭みな子
| おおば・みなこ | 19301111生20070524没 | 享年76歳 | 作家。広島県立賀茂高等女学校在学中、原爆のきのこ雲を西条町より望見。8月末~9月、広島市に救援隊として動員される。『広島県現代文学事典』(瀬崎圭二・記) |
資料年表:大庭みな子<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1930 | ||
| 1111 | ||
| 1972 | ||
| 0501 | 大庭みな子(芥川賞作家)、雑誌『潮』原爆特集の取材で広島市を訪問。 | C |
| 2007 | ||
| 0524 | 没。享年76歳 | |
| 2010 | ||
| 1220 | 「大庭みな子」(『広島県現代文学事典』〈瀬崎圭二・記〉、勉誠出版) | |
| 2016 | ||
| 0612 | 東広島青少年オーケストラ、「ひがしひろしま音楽祭」で、被爆の惨状をつづった大庭みな子のエッセイの朗読を取り入れた演目を上演。(『中国新聞』20160609、森岡恭子・記) | |
止
佐藤月二
| さとう・つきに | 19090215生19880522没 | 享年79歳 | 元広島大学教育学部教授。広島県史跡名勝天然記念物調査委員(1947年2月~)。1949年当時、原爆ド-ムの保存を主張。著書『むさしあぶみ』(溝本積善館、19720215)。 |
資料年表:佐藤月二<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1909 | ||
| 0215 | 生 | |
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||
| 1988 | ||
| 0522 | 没 | |
止
『炎の墓標 被爆体験記』(〔双三郡〕三和町原爆被爆者友の会被爆体験編集委員会 編・刊、1984/08/06)
| 序にかえて……三和町被爆者友の会会長 村上弘 | |||
| 出版によせて……三和町長 冨野井利明 | |||
| 被爆体験記 | |||
| 1 | その朝わたしは広島で | ||
| 1.床屋の椅子に坐った途端に……戸政志六 1 2.牛田の山中に三日間かくれて……為平忠志 2 3.私の被爆体験を詩に託して……村上弘 3 4.学徒動員で被爆……坂田尚也 5 5.そのとき私は長崎で……広田進 6 6.長女三女も後遺症で逝く……金光村一 8 7.絶対に許せない憤り……前金茂 9 8.死んだ母の乳房にしがみつく乳児……細美数人 11 9.少年の日のショック……大平昭義 12 10.薬も包帯もない……広田正子 13 11.満身ガラスの破片で……笹岡寛 14 12.鶴見橋下へ飛び込んで……森村納 15 13.動員学徒の頭上に火の玉……伊藤トミコ 16 14.河土手で一週間暮らす……金光み弥 17 15.忘れるな.あの日の出来事……鍛治川道夫 18 16.少年の日の悲痛な思い出……前岡一敏 19 17.その日の救護活動……政岡義人 20 18.野宿して被爆者の治療に従事……長尾和子 20 19.原爆.あの日の記憶をたどって……毛利恭典 21 20.言語に絶する生き地獄……山田省三 22 21.戦争のない平和な社会を……今谷美代子 23 22.爆弾で皆んな死んだげなーと……近村春子 25 23.姉の声が耳に残る……信原妙子 26 24.学徒動員として……竹川義則 26 25.母と妹を失って……中田美智子 27 26.真赤に焼けた大砲のような物を見た……松山政子 28 27.意識を失って一か月……後藤アツコ 29 28.生き地獄から這い出て……宗末綾子 30 29.死体にガソリンをかけて……行政繁子 31 30.建物が頭上にのしかかって……梶川一女 32 31.歩きつづけて井原まで……大平春子 33 32.同僚をたづねて……光原哲夫 34 33.妻の安否を気遣いながら……大平高雄 35 34.可部線を横切って三滝へ……恒森徳 35 35.砂雨の中を逃げる……増井季子 36 36.一部始終をこの目で……渡辺聡 37 37.近距離の被爆……難波アサノ 38 37.おびえた長い一日……佐藤フジエ 39 39.後頭部の髪は抜けて……後藤初人 40 40.起きてみると隣の人は死んでいた……梶谷幸夫 41 41.被爆者の訴え……寺川年行 42 42.中隊毎に工兵隊近くの竹やぶに行け……松山定夫 43 43.体験を通して世界平和を祈る……光森一 44 44.背中に電気の焼けつく熱さを……佐藤連 45 45.主人を送り出して……為平房子 46 46.学校の運動場は火葬場と化す……藤原佐恵子 46 47.灰かぐらのように舞い上って……山崎益夫 47 48.防空壕で命拾い……長尾薫 48 49.隣家の親娘の手を引いて逃れたが……宍戸開・宍戸チエ子 49 50.旧福屋の一階で被爆……倉東亀雄 50 51.江波の三菱造船所で……広川武司 51 |
|||
| 2 | 安否をたずねて広島へ | ||
| 1.耳に灼きついたB29の爆音……石丸辰美 53 2.従姉の家族を捜し求めて……佐々木正人 55 3.元の職場は原爆ドーム……児玉美智子 57 4.軍人だった夫の影を求めて……田中モモヨ 58 5.思い出したくないあの日の出来事……大山八重子 59 6.疎開児童の親はいずこに……山本隆司 60 7.地獄のような光景だけが残る……曲田ハマヨ 61 8.重傷の隣人救援に馬車を挽いて……岡田益太郎 62 9.死者の山の間で一夜をすごす……日南義男 63 10.白骨の山に合掌……寺光忠之 64 11.被爆の姉.迎えの馬車上にて死す……実広守 64 12.義弟の遺骸を求めて……重信多作 65 13.兄弟の安否をたずねて……児玉盛円 66 14.知人を尋ねて……平田ハナエ 67 15.竹やぶの中に夫の部隊がいた……恒森カスミ 68 16.夫の骨と信じて持ち帰る……渡辺ハルヨ 68 17.妹の遺骸を捜し求めて……和泉清子 69 18.近所の娘さんの遺体を掘り出す……山本一男 70 19.被爆者の姿が忘れられない……本川英子 71 20.憲兵だった夫を捜し求めて……佐々木キミエ 71 21.近所の娘さんをさがして……佐々木コユミ 72 22.三滝分院の弟をたずねて……川崎忠志 73 23.夫の遺体を求めて四度五度……佐々木ヲアイ 74 24.兄をたずねて広島から庄原へ……森川艶子 75 25.義弟の安否をたずねたが……黒川フジコ 76 26.人類最大の悲劇……児玉福一 77 27.曳光性特殊高性能爆弾と発表……徳川清子 78 28.召集を受けて歩兵第二部隊入隊の朝……長尾和文 79 29.何も知らされず航空機部品を運んで……森川道子 80 30.一発の爆弾の威力……増田初一 81 31.三十八年間原爆症に苦しむ……後藤〓 [食部に誉] 81 32.夫を捜して劫火の中を……中村マサコ 82 33.知人をたずねて歩き廻る……行原ノブコ 83 34.交代勤務で直爆から免がれる……田上時夫 84 35.帰還兵を馬車で迎えに入前……後藤正俊 84 36.帰郷していたのが幸運……益田一枝 85 37.十六日.甲種合格入営の弟と共に……福原俊壮 86 38.一望焼野原と美しい安芸の小富士と……益田浅枝 87 39.無名の遺骨と共に供養塔に眠っている妹……木原二男 88 40.入隊の日は終戦の日であった……中丸正利 89 41.農繁休暇のお蔭で命ながらえて……細美半二 90 42.兄の再召集日は原爆の日……竹間スミ子 91 43.むすび・草履をもって義弟さがし……細美ヤス子 93 44.必死に救いを求める重傷者を見て見ぬふりして……土井毅 94 45.二日間日帰りで探し求めた主人は……塚本ハルミ 95 46.捜し求めた父との対面は火葬場で……間弓澄子 97 47.救いを求められても何もできなかった悲しさ……福間只四郎 100 48.思い出したくない.考えたくない……長尾緑 101 49.遺体の髪と袖を切り取って帰る……山本勝己 102 50.八月十四日召集令状で……渡辺光明 104 51.見ぬ人には話しにならぬ……平野忠之 105 52.原爆と私……時丸卓爾 105 53.原爆病院で死んでゆく友から……細美繁人 106 54.放心状態のある婦人の思い出……上岡武雄 107 55.捜し出して連れて帰った人は二日後には……山本利美 109 56.背中一面ざくろのようになった伯母……和田トモエ 110 57.今.母が死んだと泣きすがる妹……片岡貞子 111 58.学徒動員高女生に付き添って……難波護 113 |
|||
| 3 | 救援活動に従事して | ||
| 1.高射砲陣地から射撃命令を持つ……佐藤月二 117 2.勤労奉仕隊から被爆者救護へ……仁科美代子 119 3.ラバウルから帰って……上陰政義 120 4.着のみ着のままで救護活動を……岡野ミヨ子 121 5.被爆者を病院に運んで……岩見秋人 122 6.負傷者のうめく被爆地獄を歩き続けて……寺川調江 123 7.警防団出動命令により……谷重柳一 125 8.被爆死者を焼く苦悩……佐々木佐一 126 9.猛暑と悪臭の中の奉仕活動……水野義夫 127 10.警防団員として出動……松山春二 128 11.警備隊員として動員されて……渡辺頼己 128 12.軍の救援活動に参加して……今谷昇 129 13.海軍工廠から派遣されて……豊田丈三 130 14.会社の命令で救援に……矢井好 131 15.防衛隊の非常召集により救援に……山根静間 132 16.警備隊として救援に出動……児玉升雄 133 17.看議隊に属して……佐縁馬信子 134 18.農業会職員の救護活動……長尾博子 135 20.暑さと悪臭の中で……細美春江 136 21.いつもの通り迎えた朝なのに……小島文子 137 22.赤チンキで○印と×印……山崎正行 138 23.在郷軍人として被爆軍人の収容に……新川護 139 24.ダルマのようにふくれた死骸……栗橋鎮雄 140 25.生死の境に叫ぶ被爆者の食事を担当して……佐々木美佐子 141 26.重患から番号をつけて宇品倉庫に運ぶ……信政則人 143 27.役場より救援出動命令……岡光久夫 144 28.東練兵場にテントを張って救援……中村広登 145 29.死んだ母親の胸の下に生きている幼児……田上竹一 146 30.お寺で見た地獄絵を現実にみる……佐々木雪江 147 31.出張の日の出来事……山田実徳 148 32.死んで行く被爆者の看護に明けくれた二週間……石丸清子 149 33.荘ばくとした真暗闇の中で……桃田辮 151 34.あの時の悲惨さがよみがえる……殿重稔 151 35.傷口から蛆がはい出る……中森玉子 152 36.隣保班から救護活動に……殿重清 153 37.警察署の自動車で広島へ……津川義一 154 38.婦人会にも出動命令がくだる……殿重シゲ子 155 39.岡竹隊の遺骨を抱いて……小川行登 156 40.学徒動員で救護活動に……若林悦子 157 41.焼け残った建物は救護所に……難波真一 158 42.海軍衛生学校から救援に……岡光次郎 158 43.日赤病院等の電気取付工事に……今谷恵 159 44.今も消えない.被爆患者のあの叫び……吉田光枝 159 45.敵機の中を縫って.再召集に向う……松本徳勝 161 46.水!水と叫ぶ声が今も耳底に……田中角美 162 47.警防団員として出動……寄宗文夫 163 48.私の心に悔だけを残して……山田芳江 164 49.止められている水をコッソリと……福原アサ子 165 50.悠々と飛ぶ十四機の敵機……益田静磨 167 51.猛暑と渇水の救援活動……蔵谷照男 168 52.世羅防衛隊大原隊員として……細美寿一 170 53.平和な日々を迎えて……津島アキミ 172 54.戦争の悲劇を二度と繰り返さないためにも……橿原寿子 173 55.死体を集めて焼く救援活動……佐々木昭二 175 56.看護婦の見習のような女学生……長尾鈴子 176 57.板木診療所で救護にあたる……中原花子 177 58.入院中私は看護婦に早変り……竹川真佐子 179 59.死にゆく患者を団扇で扇ぐ……新川スミ子 180 60.太陽をにらんで死んで行く人たち……素利昭三 181 61.私の被爆体験記……福馬君子 182 62.消防団の救護班で広島へ……貞広幸夫 184 63.被爆死体火葬用燃料輸送に従事……森川清 185 64.挺身隊から救護活動へ……難波ユキ子 186 65.米軍偵察機の下で救護作業……福馬博美 187 |
|||
| 4 | 焦炎の街を通過して | ||
| 1.学校報国隊の腕章をつけて……還来地忠子 189 2.被爆者の責務を痛感……平岡苗香 190 3.呉海軍施設部へ徴用されて……片岡守 192 4.負傷者のうずまく広島駅での九時間……片岡ミツエ 193 5.闇の広島駅での長い一夜……佐々木咲江 193 6.学徒動員から帰郷中死体と骨の山に勧奨………佐々木佐和子 195 7.原爆白内症に悩む……後藤敏子 196 8.女子挺身隊解除の帰途……渡辺信子 197 9.「海ゆかば」を歌い終わって……米沢繁子 198 10.空襲に馴れた私もこれは……原田武清 199 11.余生をがん張りたい……安川敏子 200 12.広海軍工廠を解除されて……箕岡照子 201 |
|||
| 5 | 村役場の対応の思い出 | ||
| 1.対応の思い出……片岡輝雄 203 | |||
| あとがき……207 | |||
止
『平家納経の世界』(小松茂美著、六興出版、19761226 新装第1版)
内容
| 章 | |||
| 1 | 平家納経の成立ドラマ 11 | ||
| 謎みちた女神 11 法華信仰と「平家納経」 15 平家勃興の波に乗って 20 祖父正盛・父忠盛のこと20 清盛登場 27 実説ご落胤27 十二歳の次官殿29 安芸守平清盛の霊 夢31 栄達の血塗道32 二条帝現説と立太子騒動35 長寛二年における清盛の心情 38 怨霊騒ぎと皇子誕生38 忠通の死40 関白・基実の幼 な妻42 頼長の子・師長を夜宮44 帝の皇子誕生46 崇徳院の崩御51 願文の内容54 筆者は清盛64 “他 人を以って名と為す”74 櫛筆の謎84 厳島繁昌記 87 厳島詣での大流行87 名花・厳島の内侍たち96 平家 の落日102 佐伯景弘という男111 厳島内侍発願説の虚構 121 |
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| 2 | 高く、広く、大きく―平家納経と歩んだ三十年 127 | ||
| 死神と美神の出合い 127 手習い草紙 128 死の淵に立って 133 その名を恋人のごとく 137 一冊の古本 139 「平家納経」を見る 141 無知の蛮勇 146 生涯のことば 152 「伊都岐嶋千僧供養日記」 155 厳島文書を読む 157 『いつくしま』を刊行 161 上京、池田亀鑑先生 163 念願の博物館勤務 171 |
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| 3 | 不思議な本 175 | ||
| 4 | 王朝の女性の夢を追って 190 | ||
| 5 | 王朝の教養と和洋書道の源を探る 197 | ||
| 6 | 栄華と末法におののく美の殿堂 213 | ||
| 7 | 子筆額の成立へ 227 | ||
| 王朝のこころ十選 247 三十六人家集(貫之集上)247 木彫一字金輪坐像249 普 賢菩薩像250 扇面写経251 金銅秋草文薫炉252 伴大納 言絵詞253 藤原行成筆白氏詩巻254 秋草文壷255 平等 院鳳鳳堂256 戸隠切257 |
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| 人と書とのかかわり 対談/小松茂美・松井如流 259 | |||
| 小松茂美・丸夫妻の世界―編集部編― 273 | |||
| 後記 282 |
小松茂美
| こまつ・しげみ | 19250330生20100521没 | 享年75歳 | 古筆学者、美術史学者。広島で被爆。「死の淵にたって」(『平家納経の世界―国宝の謎を推理する』(六興出版、19861226)pp.133-136。 |
資料年表:小松茂美
| 年月日 | ||
| 1925 | ||
| 0330 | 山口県岩国市生まれ | |
| 1938 | 崇徳中学校(旧制、現崇徳高校)進学。 | |
| 1942 | 柳井中学校(旧制、現山口県立柳井高校)卒業。広島鉄道局勤務。 | |
| 1945 | ||
| 0806 | 広島駅近くの庁舎内(爆心地から1.7キロ)で原爆被爆。 | |
| <作業中> | ||
止