袋町国民学校

袋町国民学校

 『広島原爆戦災誌』(第4巻)64頁
 学校再開の状況
疎開児童たちは、広島市内の各家庭が破壊されたままであったから、帰広させる訳にもゆかず、その目安もつかないままに、疎開先で日を過した。しかし、こうしているうちに縁故者が疎開地を訪れ、ほとんどの児童を引取っていった。
九月も終るころ、引取手のない児童を内田常吉訓導が引率して帰広することになった。しかし、この引揚げも容易ではたくて、芸備線は水害のために寸断され、徒歩連絡するところが多く、朝、三次駅を出発して、広島駅に到着したのは、夕方電灯のともるころであった。
 昭和二十一年六月になり、やっと開校の運びとなった。当日登校した児童は三七人、教職員は三人である。開校を知らせる方法は、教職員が自宅から持参した紙に開校する旨を書き、弁当の一部を糊の替りにして、焼け石や塀に貼りつけて連絡方法とした。登校児童が少ないのは、学区内に居住者がごく僅少のためであるが、後には、市周辺部に寄寓している児童も開校を知って、遠くから通学するようになり、次第にその数を増した。教職員が少ない理由は、生存者の少ないことは無論ながら、市内に教職員が居住しようにも住む家がないのと、教職員各自の事情によっては、勤務する学校を何処に選んでもよいという内諾を、当局から得ていたため、市内の学校に奉職するものが少なかったためである。
いざ開校はしたものの、教室は荒れ放題で、教具・教材は一物もなく、その日から教職員の努力で、すべてを造り出さなければならなかった。各自が硯・墨・筆を持ち寄り、板を探してきて墨を塗り、焼釘を石で打つなどして黒板を作り、ムシロを敷きつめ、その上に石炭箱を並べて、机の代用とするといった急造教室を造り上げた。
 2015年8月1日
 第39回袋町地区原爆死没者慰霊祭 同慰霊夏祭り
  出典:『被爆70周年記念事業 原爆死没者慰霊式典の記録』(広島市、2016年1月)

 

 

原爆少年サッカー魂 W杯サッカー日本の礎

『原爆少年サッカー魂 W杯サッカー日本の礎』(今子正義著、南々社、2014/05/25)

内容

まえがき
1 原爆後の高校サッカー王国広島への苦闘 11
原爆で一瞬にして壊滅した広島市の中心部 12
九死に一生を得て地獄を見た原爆少年たち 13
ピカドンから逃れた蹴球少年・長沼健 14
中学2年生の被爆体験・下村幸男 16
神が生かしておいた蹴球少年 21
被爆体験のあるサッカーの名選手たち 22
被爆から17年後に樹立した栄光の記録 27
2 サッカーを絞技とした名門ライバル校の復活 29
終戦・日本が無条件降伏 30
広島の名門校の被害状況 31
再起から授業再開 34
原爆少年たちの胎動 35
蹴球班の再建 36
ないない尽くしの練習 39
3 高校サッカー広島の黄金時代幕開け 47
中等学校のサッカー大会再開 48
学制改革で全国高等学校蹴球選手権大会となる 49
原爆後のサッカーライバル校の戦績 50
〈年次別>1946年(昭和21)~1963年(昭和38) 50
〈学校別〉①広島大学附属高校 ②国泰寺高校 ③修道高校 ④山陽高校 58
4 ライバル4校の全国大会熱戦記 63
広島大学附属高校 64
国泰寺高校 97
修道高校 104
山陽高校 162
5 原爆少年の生い立ち 175
長沼 健 177
渡辺 正 180
宮本輝紀 185
小城得達 190
森 孝慈 196
6 メキシコ・オリンピック奇跡の銅メダル 209
監督と主力選手4人は原爆少年たち 210
日本代表選手レギュラーメンバーのプロフィール 212
銅メダルへの戦績 213
手記/宮本輝紀 森 孝慈 219
7 日本サッカー協会殿堂入り 223
日本サッカー殿堂 224
殿堂入りした5人の原爆少年たち 225
各人の掲額肖像レリーフと人物史 225
8 戦前の広島サッカーライバル校 231
文武両道の名門校の歴史、伝統、遺産 232
広島一中/蹴球部創設者 松本寛次 233
広島高師附属中/蹴球部創設者 出射栄 234
修道中/初代部長 秋山元英 235
山陽中 236
広島サッカーの偉大な先輩たち 238
広島一中/野津謙 山崎芳樹 小畑実 渡部英麿 重松良典 福原黎三 238
広島高師附属中/手島志郎 野沢正雄 長沼健 244
修道中/藤田正明 銭村健次 下村幸男 248
9 広島サッカー功労者のメッセージ 253
広島県サッカー協会 小城得達会長 254
広島県サッカー協会 重松良典顧問 266
参考文献・資料 270
あとがき 274
備考

 

移民 中国新聞創刊100周年記念企画

『移民 中国新聞創刊100周年記念企画』(中国新聞「移民」取材班著、中国新聞社、1992/09/20)

内容

タイトル 分担
はじめに
1 ハワイ編 島津邦弘
ハワイ 「真珠湾」半世紀のうずき 4
ビッグアイランドの盛衰 20
日系社会のきずな 40
2 北米大陸編
アメリカ 田城明
ピクチャーブライド 56
強制収容を免れて 71
土に生きて今 87
3世の時代 102
カナダ 西本雅実
故郷パウエル街 124
日系再生へ 147
3 中南米編
ブラジル 西本雅実
 デカセギ 166
「赤い土」に挑んで 188
もう1つのニッポン 204
ペルー 小野増平
混迷いつまで 226
パラグアイ 小野増平
沼隈移住団の35年 250
アルゼンチン 小野増平
パンパに生きる 274
ドミニカ 高本孝
夢破れ募る望郷 290
メキシコ 高本孝
流浪・再移住 辛苦の軌跡 298
4 アジア・オセアニア編
旧満州 佐田尾信作
「王道楽土」の幻 306
祖国はいずこ 320
フィリピン 井上浩一
ニューカレドニア 田城明
コロニーの忘れ形見 336
オーストラリア 田城明
 白豪主義を超えて 360
鉱山の島の1世紀 376
5 ニッポン編
ニッポン
遠来の隣人たち 398
「ガイジン」と呼ばれて 413
デカセギ引受人 429
絆求めて 443
あとがき 455
資料編 460
人名索引

 

広島県立第二中学校慰霊碑

広島県立第二中学校慰霊碑

 

建立年月日:1961(昭和36)年8月6日
場所:広島市・平和記念公園
[正面]慰霊碑
[正面右下]
戦災並に原爆にて戦没された、元広島二中職員生徒三百五十二名のなつかしい名簿を此の碑の裏面に記し、永久の思い出と慰霊のよすがと致したいと思います。

昭和三十六年八月六日遺族一同

 

 

 

広島県立第二中学校歌碑

広島県立第二中学校歌碑

建立年月日:1953(昭和28)年8月6日
場所:広島市・平和公園
正面
なくさめの言葉
なけれはたた泣かむ
汝かおもかけと
いさをしのひて
元広島二中校長 古田兵衛
裏面
嗚呼 昭和二十年八月六日
学徒動員作業中戦災並に原爆により教官七名生徒三百四十三名平和の礎となる
昭和二十八年八月六日
広島県立第二中学校
遺族一同建之

 

 

 

広島市立本川小学校原爆慰霊碑

広島市立本川小学校原爆慰霊碑
建立年月日:1995(平成7)年11月3日
場所:広島市立本川小学校

 HIC506b
 HIC506c
 『広島原爆戦災誌』(第4巻)57頁
 全焼して、外郭だけになった校舎は、被爆翌日から陸軍衛生隊が来て、西校舎一階に臨時救護所を開設した。終戦以後は、長崎五郎医師らが引継ぎ、大芝国民学校臨時救護所に移るまで、治療活動をおこなった。
昭和二十年八月二十一日の臨時校長会によって、本校児童は暫定的に己斐国民学校に通学させたが、その数は全く不明である。しかし、昭和二十一年二月二十三日に学区内有志の協力によって、本川および広瀬の両学区を併せ、本川校舎内に復帰して授業を再開した時、教員は四人、児童数は約六〇人程度であった。
 2015年8月5日
 第20回本川地区原爆死没者慰霊式典
 第33回本川地区原爆死没者慰霊盆踊り大会
 出典:『被爆70周年記念事業 原爆死没者慰霊式典の記録』(広島市、2016年1月)

 

 

広島大学原爆死没者追悼碑

広島大学原爆死没者追悼碑
建立年月日:1974(昭和49)年8月6日
場所:広島市千田町
(裏面銅版)
昭和二十年八月六日、広島に原子爆弾が投ぜられた。
一瞬、莫大な破壊を生じ、無数の 人命を奪ったのみならず、その被害は長く今日に及び、身心の傷痕なお癒ゆることがない。
本学前身諸学校のうち、広島文理科大学、広島高等学校、広島工業専門学校、広島高等師 範学校、同附属中学校、同附属国民学校、広島女子高等師範学校、同附属山中高等女学校、 広島師範学校、同附属国民学校、広島県立医学専門学校、広島市立工業専門学校は当時市 内に所在し、直接被災した。
その教職員並びに学生生徒児童は学校の内外において死傷し、 また後遺症により没した者多きを数える。
爾来星霜三十年を経て、被爆により死没せられ た人々を悼む心吾人において益々ふかく、核兵器を憎み、その完全な廃絶と、世界恒久の 平和を願うこと切なるものがある。
ここに有志相はかり、建碑して追悼の意を表するとと もに、広島大学が人類平和の確立に敢然寄与すべきふかい学門的責務を負う所以を永久に 銘記する。
昭和四十九年八月六日

広島大学学長  飯島宗一撰
元広島大学学長 井上政雄書

広島女学院と共に 広瀬ハマコ先生文集

『広島女学院と共に 広瀬ハマコ先生文集』(広瀬院長退任記念事業委員会、1974/11/20)

内容

頁章節
001 先生の女子教育と平和への熱意 森戸辰男
004 所感 松本卓夫
006 私の知る広瀬ハマコ先生 山川道子
Ⅰ-1 幻を見る人々…1
最上の贈物…5
8月6日原爆慰霊式の祈り…6
ゲーンズ先生と信仰…8
広島におけるルーズベルト夫人の横顔…13
ハワイ真珠湾を訪れて…15
国連を訪ねて…18
訪米所感…20
アジア旅行の中から…24
手…28
山に登れ…30
待つ心…32
日本手拭…34
一本の木…36
この頃の教育に思う…38
私学の存在意義…40
新しい人間像を求めて…42
創造・破壊・救い…44
文化の日の意義…46
Ⅰ-2 聖和女子大学の発足にあたって…49
広島大学第1回卒業式祝辞…53
Ⅰ-3 意義ある人生への門出…56
現代に生きる婦人の役割…61
教師像について…73
幼児の遊び友だちとけんか…81
幼児の宗教教育…86
思春期と教育上の問題…98
日本の宗教…106
Ⅱ-1 広島女学院と私
Ⅱ-2 創立65周年記念式並びに就任式挨拶…154
創立80周年記念式式辞…160
創立85周年記念式式辞…165
1964年3月大学卒業式告辞…171
1970年3月大学卒業式告辞…175
Ⅱ-3 広島女学院新聞復刊の辞…179
ゲーンズ先生と女学院精神…181
ゲーンズ先生の表彰…183
幼稚園の復興にあたって…185
校章を心に刻む…187
大学開学20周年を迎えて…190
試練に耐えられる学院に…192
院長退任にあたって…194
年譜…197
あとがき…214

 

 

文献:広島女学院

文献:広島女学院

書名 著者 発行所 発行年月日 備考
所蔵:G=広島原爆資料館、U=宇吹
創立七拾周年記念誌 加納哲雄編 広島女学院 1956/10/01 G
ゲーンズ先生物語 小田切快三編 広島女学院 1966/10/01 G
広島女学院創立八十周年記念写真集 広島女学院 広島女学院  1966/10 GU
8月6日と文学 [広島女学院大学]文芸部員編 広島女学院大学文芸部 1967/06/10 G
広島女学院原爆被災実態調査報告書 昭和20年8月6日広島女学院に在籍の生徒を対象とする 広島女学院大学学生自治会、広島女学院原爆被災実態調査委員会 広島女学院大学学生自治会、広島女学院原爆被災実態調査委員会 1970/06/25  G
広島女学院創立85周年(1996-1971) 田中一郎ほか 広島女学院創立85周年記念事業委員会 1971 U
夏雲 広島女学院原爆被災誌 広島女学院教職員組合平和教育委員会編 広島女学院教職員組合 1973/04/01  G
広島女学院と共に 広瀬ハマコ先生文集 広瀬院長退任記念事業委員会 広瀬院長退任記念事業委員会 1974/11/20  GU
同労者 広島女学院教職員組合二十年史 広島女学院教職員組合編 渓水社 1975/03/20   GU
夏雲 広島女学院原爆被災誌 改訂版 広島女学院教職員組合平和教育委員会編 広島女学院教職員組合 1976/04/01   GU
Summer cloud : a-bomb experience of a girls’ school in Hiroshima (revised ed.) ed. by Hiroshima Jogakuin Jr. & Sr. High School English Department ; 広島女学院中高英語科 Sanyusha Shuppan ; 三友社出版 19760806

19980720

2011/08/06

GU

 

九拾年の歩み 広島女学院創立90周年記念誌編集委員会編 広島女学院 1976/10/01 G
World’s Knowledge of Hiroshima-二つのEncyclopaediaの記述を追って 調査報告 植木寿子、谷洋子、鳥養陽子 広島女学院大学英文学会 1979/09/01  G
ここも神のみ国なれば 「宣教師マクミラン先生に聞く」編集委員会 広島女学院大学 1980/03/10  G
夏雲 広島女学院原爆被災誌 改訂第2版 広島女学院教職員組合平和教育委員会 広島女学院教職員組合 1980/07/01  G
中原史子記念平和文庫目録 1980 広島女学院大学図書館 広島女学院大学図書館 1980/08/06  G
夏雲 広島女学院原爆被災誌 改訂第3版 広島女学院教職員組合平和教育委員会 広島女学院教職員組合 1985/08/01 G
創立者砂本貞吉先生 リレーフ除幕を記念して 広島女学院 広島女学院 1986/09/30  G
目でみる広島女学院の100年 写真による100年史作成委員会編 広島女学院 1986/10/01  GG
広島女学院と共に百年 広島女学院同窓会 広島女学院同窓会 1986/10/01 G
夏雲 広島女学院原爆被災誌 改訂第4版 広島女学院教職員組合平和教育委員会 広島女学院教職員組合 1987/08/06  G
回想の牛田山 希望を天の星につなげよ 今石益之 サイマル出版会 198711 U
わたしたちの広島女学院 ユングフラウ代表 今西美代編 溪水社 [渓水社] 1988/06/10  GU
霊は人を生かす 松本卓夫の生涯 加藤裕子編 加藤清光 1988/09/30   GU
夏雲-逝きしものへのレクイエム 広島女学院編 被爆記録フィルム製作委員会 1991/06/01 G
広島女学院百年史 広島女学院百年史編集委員会 広島女学院 1991/10/01   GU
広島女学院百年史年表 広島女学院 広島女学院 1991/10/01  GU
桑田変じて蒼海となる 続・回想の牛田山 今石益之 今石益之 199401 U
証言集―被爆記録映画「」製作を支えた 199508 U
世界平和の現実とその課題 大里巌編 広島女学院大学 19960330 U
広島女学院百十年史年表 広島女学院百十年史編集委員会 広島女学院 19971001 U
Beautiful Saviour 広島女学院大学クワイヤOG会 広島女学院大学クワイヤOG会 1999/10/01 G
夏雲 広島女学院原爆被災誌 改訂第9版 広島女学院教職員組合平和教育委員会 広島女学院教職員組合 2001/04/01  G
ゲーンズ先生 ヒルバーン 広島女学院 20020320 U
ライラックは生きていた ある宣教師のヒロシマ物語 キャサリン・ジョンソン著 ジョン・F・ラッシィ編 上野信子, 池田チヅ子訳 溪水社 [渓水社] 2002/11/15 G
Joint Seminar 2003 : May 28 – June 3 2003 Hiroshima Jogakuin University ; 広島女学院大学 Hiroshima Jogakuin University 2003/01/01  G
ヒロシマとの出会いⅡ フェリス女学院中学校・高等学校 フェリス女学院中学校・高等学校 2005/01/01 G
平和を祈る人たちへ 広島女学院同窓会被爆60周年証言集 被爆60周年記念証言集編集委員会 広島女学院同窓会 2005/08/06 GU
For those who pray for peace ; 広島女学院同窓会被爆60周年証言集 ed. by Editing Committee of Memoirs of the A-bomb 60th Anniversary ; 広島女学院同窓会被爆60周年記念証言集編集委員会 Hiroshima Jogakuin Alumni Association ; 広島女学院同窓会 2005/08/06 G
広島女学院この10年の歩み 広島女学院120年史編集委員会編 広島女学院120年史編集委員会 2006/10/01  GU
小さき者への大きな愛 広島女学院ゲーンス幼稚園の歴史とM.クックの貢献 広島女学院創立120周年を記念して 広島女学院幼児教育史刊行委員会編 広島女学院 2006/10/01  GU
広島女学院120年史年表 広島女学院  2006 U
広島女学院大学の世界遺産学 広島女学院大学生活科学部生活デザイン・情報学科 広島女学院大学総合研究所 2008/02/28  GU
広島女学院を創立した人たち 今田寛 広島女学院 20080229 U
平和と共感 2008年度(第2回)広島女学院大学国際シンポジウム報告書 広島女学院大学総合研究所 20081220 U
Summer cloud : a-bomb experience of a girls’ school in Hiroshima (revised ed.) ed. by Hiroshima Jogakuin Jr. & Sr. High School English Department ; 広島女学院中高英語科 Sanyusha Shuppan ; 三友社出版 19760806

19980720

2011/08/06

UG

 

原爆の声 今石元久(編・著) 溪水社 20090611  U
平和を祈る人たちへ 広島女学院同窓会被爆60周年証言集改訂版 被爆70年記念 被爆70年記念証言集編集委員会編 広島女学院同窓会 2015/08/06 G
栗原貞子論 反戦・反核・平和を掲げ行動する詩人として 松本滋恵著 広島女学院大学大学院 2019/02/18  G
光に向かって這っていけ 核なき世界を追い求めて サーロー節子、金崎由美著 岩波書店 2019/07/23 GU

 

 

 

 

広島文団連ニュース1970~2020

『ヒロシマを刻む 広島文団連ニュース1970~2020』(広島県文化団体連絡会議、21210122)

内容<作業中>

No.
19700310 深川宗俊、村上忠人、
19710704 第2年度新役員
19720112 001
19720613 005
1973
1974
1975
1976
19771001 006 文団連ニュースの復刊
19780201 009
19790101 016
19800131 024
1981 034
1982 043
1983 051
1984 056
1985
1986 060
1987 064
1988
1989 069
1990 071
1991 073
1992 076
1993
1994 078
1995 080
1996 083
1997 086
1998 090
1999 093
2000 094
2001 095
2002
2003 098
2004 100
2005 101
2006 102
2007 105
2008 109
2009 110
2010 113
2011 116
2012 118
20121115 120
120 四国五郎さんの絵画の保全と保存について
120 「文団連を担った人びと」中川秋一さん<1980年11月11日病没>
2013 121
20140413 124
124 四国五郎顧問逝去
20140722 125
125 四国五郎さんを偲ぶ会
2015 127
2016 129
20170411 131 「2017ヒロシマ学習」宇吹暁「ヒロシマの過去・現在・未来」
20170906 132 「第34回とうろう集会(20170730)」
20180223 133
20190421 134 「第36回とうろう集会(2018)」江種祐司「今伝えたい―被爆証言 命の限り」
20200619 135 2019年度広島文団連第44回定期大会(0421)
135 「ヒロシマ学習2019」アーサー・ビナード
20200507 136 「ヒロシマ学習2020」宮崎園子記者(朝日)
136 「第36回とうろう集会(20190803)」山田寿美子「原爆孤児として生きて」
20200619 137 2020年度広島文団連第45回定期大会(0517)
137 <特集>コロナと文化~コロナで変化したこと~

『劇団月曜会機関紙 復刻版』

『劇団月曜会機関紙 復刻版 第1集 1960年2月➡1984年9月』(1985年1月10日刊)

<作業中>
この日この地でこの人と
広島の地で歩みつづけた演劇グループ 25年の足跡
NO. 発行年月日 備考
1959 劇団月曜会結成
01 19600201
02 196103
03
04
05 19610925
06
07
08 19620201
09 19620615
10 19630225
11 19630420 劇団創作劇の第1弾!峠三吉没後10年記念作品「河」3幕7場脱稿
12
13
14 1964 平和運動の新しい高まりの中で 生まれ変わった河 8・6公演から書き直しまで
15 19640508 原爆投下から安保体制まで ”河”ようやく完成 ぼう大な歴史的素材ととりくんだ1年半
16
17
18
19 19670301
20 19670620
21 19670802
22 19671110
196802 「芸州世直し一揆」(赤旗びらき上演)
197006
1970 「ひろしまの冬」(労演例会)
1971 劇団月曜会第10回公演「呑んだくれ」
1973 劇団月曜会第12回公演
河 劇団月曜会第13回公演 1973年作品
22 19740120 「劇団月曜会上演ニュース」
23 19750210 「劇団月曜会上演ニュース」
24 19760101 「劇団月曜会上演ニュース」
25 19760501 ひろしまは幻影と化したか 「閃光の遺産」劇化にあたって
劇団と原水禁運動―「文化大集会」について考える―
26 19760701
27 19770201
28 19770601
29 19780401
30 19781101
31 19820801
32 19821001
33 19840801
34 19840901 平和と文化の集い 今、ひろしまを考える(岩井史博)

『民族の星』の中の原爆被害

『民族の星』の中の原爆被害

創刊号 1950.10.10

原爆紙芝居で千票集まる
東京貯金統一委員会の渡辺富成君ら5名(3名女性)は休日で賑う上野公園で丸木、赤松両氏の「ピカドン」の紙芝居をしながら原爆の恐しさを訴え1日で1040票もの平和署名をかくとくした、子供を抱いた主婦や動物園見物の子供たち、美術展帰りの人たちが感激した面持ちでわれ先にと署名した、なお同委員会では都内各地でこれをおこなう(連合)

第2号 1950.10.16

原爆を忘れえない人たちの 秋の夜語り
10月5日から5日間、爆心地の五流荘で開かれた、丸木位里、赤松俊子両氏の大作「原爆之図三部作展覧会」を好評裏に終えたので、両氏と来広中の詩人壷井繁治氏を囲む座談会が八日夜もたれ、30数名の人たちの秋にふさわしい夜物語りがつずけられた、会は数編の原爆詩の朗読の後、原爆詩人の峠三吉氏の司会で始められた
自分の問題として
峠   壷井さんはこの絵ははじめてでしようか
壷井  一部作は東京で、二部、三部作は始めてです、東京では幾分誇ちょうがあるので はないか、と聞いたが、広島でこれを見て批評が間違っていることがわかった、 実に大した仕事だ、所がこれがまだ一般に切実に自分自身の問題として感じず、 原爆の絵から大きなものを引出すまでに行っていないのが残念だ、やがては自分 自身のこととして考え出すことは明かだ
原爆之図の動機
峠   あのような絵を書こうとした思いつきは?
赤松   前から群像を書きたいと思っていた、何となく明るい健康なものが画きたかっ た、ちょうど原爆が落ち丸木の父、姪、友人たちが50人も死んだ、それを悲し み、追憶しようと思う気になり、前から画こうとしていたこととぴったりした、 人間は自分達が裸になってその姿をまね、友人に頼み、三部全体に200人の人 間を画いた、一人終るたびにこれで一人、これで二人死んだという気持ちになっ た、広島の死者は23万といわれるが一生かかっても画けないことがわかった、 画いているうちに正体がわかって来、それを追求することで原爆の罪悪が身にし みた
峠   今後やはり続ける?
赤松  東京では誇ちょうというし、広島ではもっとひどかっというので、当時の状態を もっと追求し、五部作位までつずけたい
モチーフの問題
増岡  木材その他のものが扱っていないが
赤松  木や瓦、トタン屋根など画いたが、ちっぽけな感じなので、人間ばかり画いた、 画家の主観だから、いろい問題があるが、長崎の鐘でも原子雲だけ、広島の写真 は産業奨励館のドームなどで、これが原爆の跡としてのみ大衆の先入観になるの がくやしかった
峠   赤松さんのハッキリ意識せぬままに仕事を始めた点、あなたの最近の詩論と関係 あると思うのですが、
壷井  木材その他のモテイフは人間の憎悪の強くでている画から、見る人の頭に描けば よい、詩でいえば感動の点から、やはり木材などはいれぬ方がよい
坂本  合作は困難と思うが
赤松  意見のちがいなども原爆のあまりにも大きな前ではケンカする気にもなれぬし、 それよりももっと大きい共通した原爆に対する怒りがあった
坂本  個性その他の解決は
赤松  気があえば出来る、夫婦という関係にあるので同じ環境、目的に向っていたこと が成功させた
平和は行動で
峠   東京では展覧会で平和運動として何をやったか
赤松  平和署名、一日平均千票でした、署名する婦人の中にはアメリカへ原爆を落して やれという人がいたが、どこに落してもいけないことだ
峠   芸術家が一しょにやれば大きな平和運動がやれる
壷井  平和運動をやらねばならぬ状態になっていることを認識し、この呼びかけの出来 る人が一人二人と拡がってゆかねば戦争反対の運動は起きない、そういう意味で 両氏の巡回展は大きな力となる、平和問題はなんらかの形で行動化することが大 切だ
峠   私は広島の特殊性によりかかるわけではないが、今夜の感銘を母胎にして、どん な困難の中でも人間の平和と幸福のための皆さんと一しょに努力したい

第3号 1950.10.21

感激の2700票 「原爆之図」展会場で
(既報)丸木、赤松両画伯共同製作になる「原爆之図三部作展覧会」は10月5日より4日間にわたって爆心地の文化会館で開かれた、戦争を憎み悲劇を再びくり返すなと叫ぶ感激的な画を観覧した氏人々は、同所で行った民婦協広島支部準備会の平和投票に続々署名を行い、2662票があつまった

世界の動き 平和のため斗う世界の婦人
[前略]▽ソ同盟、世界大会代表に婦人が続々えらばれている。又、ソヴェト反ファッショ婦人同盟委員長マリヤ・ネギスチェンコは15日モスクワ放送を通じ日本の婦人に次のようによびかけた。
私は大田洋子の作品(屍の町)を胸をたぎらせながら読んだ。日本の婦人のみなさん、再び広島、長崎の悲劇を許してはならない。平和を守るためにSアピールに署名し世界大会代表をえらんで下さい。

第4号 1950.10.26

平和展でソ連紹介 上下・府中両高校
(福山)広島県芦品郡上下高等学校、府中高等学校ではそれぞれ10月20日-25日、11月3日15日の記念祭に『平和展』会場をもうけ、原爆写真、ソ同盟の発展ぶりを学生、一般市民に紹介すると共に、Sアピール平和投票を行う、これは同校の文化班、新聞班の平和への情熱のほとばしり出たもので、植民地的風潮の中で注目されている

第5号 1950.11.1

斗いの歌声よ! 平和の歌声や! 広島・われらの詩の会
われらの詩の会機関誌-ことば-「かつて山上で奏でられいた孤独な自我の歌は、既に寂しい嘆きのようにうすれて今や歌がと絶えざるためには人民の魂が鳴り出でねばならぬ時がきた……」これは同会主幹峠三吉氏(32)の詩人生活の発展そのままを現している
われらの詩の会は同氏を中心に昨年11月「働くものの中から新しい歌を」の呼びかけに集った 県下勤労詩人廿数名が発起人となり力強く発足した
その第1の仕事は勤労者を奴隷にする内外タイ廃的植民地的文化に抗して勤労者の生活を真実に詩い、新しい社会への欲求を歌う創造活動で、「われらの詩」も現在8号を数えるまでに成長した
だが同会はただ詩のみに止ってはいなかった、この魂の歌は実践的活動を始めた生活苦にあえぐ勤労者に希望の詩を送り、その中から次々と歌う人達のサークルが出来、今同会の指導下にあるサークルは既に30を越え独自の活動を行うまでになった、又会は進んで国際婦人デーのシュプレイコールや原爆座談会、メーデーなどに参加した、さらに歌は労働者の斗いの中で起った
……もっと強く  もっとはげしく斗え  斗うんだ  電鉄の兄弟よ
動脈が切れたあとの  うつろな街すじを  いかりの一色に  ぬりつぶせ……
会員の一人は6・15広島電鉄のストをうたい、これは同会編集の辻詩と共に電鉄労働者に感動をもって迎えられた
斗いの歌声よおこれ  平和への歌声よおこれ
Sアピールに応えた「われらの詩」平和特集号は全国の文化人に高く評価された数日前から数回のカッ血で病床にある峠氏は「われわれは原爆禁止、戦争反対のため更にうたいつずけます、これは30万の原爆犠牲者と世界平和愛好者に応える義務です」と語っている(T)

第7号 1950.11.11

原爆の悲劇忘れるな 公判廷で平和戦士さけぶ
(三次)広島県双三郡三次町の8・6反戦デモで不当検束された平和の戦士9名のうち山脇・瀬羅両君の公判は31日三次区裁でひらかれた、電産、芸備自動車などの職場からおしかけた200名の傍聴者は法廷をうずめたが山脇君は、5年前に学徒動員中に見た原爆被害者がいかに悲惨であったかを訴え、「戦争に反対し平和を守る運動がなぜ悪い外国の戦争に奉仕するものこそ日本民族を亡す売国奴だ」とはげしく供述すれば前4列の一婦人はたまらなくなってすすり泣き、満廷われるような拍手におどろいた下井検事は小声で罰金3万円を求刑した、当局はこの日もその特高的正体を見せ傍聴席に私服警官3名をもぐらせたが、たちまち見破られて引ずり出された

第8号 1950.11.16

平和委1万結成へ 全国平和擁護会議開く
6日全国代表100名が集ってひらかれた平和擁護全国大会は、プラーグ・アピールを確認した後、当面の活動方針として△平和投票をもっと精力的につずけ4千万票の目標を達成すると同時に平和をまもる会をどしどし開き平和戦線をひろげ強めて斗う戦線にする、組織方針として△1万の平和委員会をつくり、1千万人を組織することを当面の目標とし工場、経営、農村、町内を基礎にあらゆるところに平和委員会を組織するとの決議を行い、世界大会代表を選出(別稿)次の諸項目を満場拍手のうちに確認した
①全国的な平和投票デーの実施②世界大会委員会の日本視察の要請③標語募集④各政党への協力申入れ⑤世界労連日本評議員団の申れ受諾⑥「原爆の図」の全国的開催⑦活動のおくれている地方へ奮起を要請

中下委員長日本代表に 広船
世界大会への日本代表の氏名は次のとおり
◇知識人…大山郁夫、箕作秋吉(作曲家)畑中政春
◇中央団体代表…亀田東伍(大化学)松谷仙次郎(全新聞)市川鏡次(全自労連)山口寛治(全逓)益田哲夫(全自動車)後藤甲吉(私鉄総連)江藤肇(三井船舶)小倉金吉(富士三鷹)熊倉啓安(全学連)
◇地方代表20名(氏名略)尚地方代表に選ばれた中下氏は「もう今からでは飛行機でいってもまにあわぬ」と前おきし「原爆を体験した広島の労働者として全世界に原爆禁止を訴えようとの希望もいろいろ努力したのですが行けませんでした残念です」と語った

広島で戦没学生慰霊祭 原爆被災者遺族も呼かけ
(広島)別稿戦没学生記念会広島支部では近く戦没学生慰霊祭を開く計画を進めている、慰霊祭には戦没学生遺族、原爆被災者遺族を中心に平和を望む人々によびかける、又同日は映画「きけわだつみの声」、「平和への意志」阿部行蔵氏-広島市出身、都立大学教授、牧師-の講演が予定される

われらの集い 戦没学生記念会広島支部
「原爆のため2人の小さな子供はみにくいはげ頭の不具者となり、私はつんぼとなって毎日悲しい日を送っています、戦争はこりごりです、原爆のおそろしさはいうまでもありませんが、食糧に困ったことが私の心の中には忘れることができません……」広島市千田町の田村としえさんは戦争の悲惨さをこのように語っている
戦没学生記念会はこのような戦没学生や原爆被害者の遺家族を中心に、心から平和を望む人々によってつくられたもので、今まで戦没学生の手記「きけわだつみの声」出版をはじめ多面的な活動を行ってきた、朝鮮動乱以後戦争挑発者の手先のブルジョアジャーナリズムが「平和」を口にすることが何か悪いことでもあるかのような空気をあふりたて、日本の若い生命を再び侵略戦争へかりたてようとしているとき、広島文理大今堀教授を中心に平和への熱情にもえる学生たちは、圧迫をはねのけて戦没学生記念会広島支部を結成した、近く同支部主催で同会理事阿部行蔵氏の講演などともに戦没学生慰霊祭が行われる、この人々の平和への意志は必ずや原爆の地広島の「生きのこった人々」の胸に死んだ人々の切々たる「わだつみの声」をひびかせ「長い長い夜であった、星の見にくい夜ばかりであった」という述懐を永遠にしないですむ日をかちとるであろう

第9号 1950.11.21

広島で戦ぼつ学生慰霊祭
(広島)既報=戦没学生記念会広島支部では26日午後1時半から、広島市千田町広島高師付属小学校講堂で戦没学生慰霊祭を開く、同日は広島支部結成大会につずき、阿部行蔵氏=同会本部理事、東京四谷教会牧師=の“平和への意志”の講演、映画「きけわだつみのこえ」の上映を行う
なお同祭準備会では戦没学生遺族をはじめ、原爆被災者家族を招待しており、一般学生市民の多数参列を要望している

第11号 1950.12.1

平和と生活と教育とを 婦人は求めてやまないのに
師走の風はつめたい、とくに家計をあずかり正月ぐらいはあったかく暮らして…と日夜思案する婦人にとってはなおさらである、こうした中で日本の独立と世界の平和確立のため、職場や家庭を豊かにするため活躍する婦人の姿をひろってみよう
日本で唯一の民主的な婦人団体、婦人民主クラブは岡山、広島、福山、下松、防府、鳥取と支部が結成され平和署名かくとくに活動している。[中略]広島支部は12月2日結成されるが丸木・赤松両画伯による”原爆の図”展覧会で2000票の署名をはじめ職場でもおこなっている。このように婦人の平和への熱情は次第に高まっている。[後略]
第12号 1950.12.6

戦没学生記念祭中止 あいまいな理由で会場拒否さる
【広島】既報=さる26日広島市で行われる予定の戦没学生記念会広島支部主催の戦没学生記念祭は開催日の迫った19日突如「講堂を修理するためお貸し出来ません」と広島高師附属小学校からことわられたためやむなく中止することになった、この講堂使用についてはすでに主催者と附小側とは了解がついていたものだが、このたびの使用中止については不明朗なものがあり、戦没学生遺族をはじめまじめな市民の批判の声が高い

第15号 1951.1.1

1951年を!   峠三吉
先頃この病院で、どうしたはづみか高圧線が切れたことがある。闇の中でボッと青白い光が閃めきその近くにある病棟の窓を瞬間に照した、眠りかけていた私はぎょっと半身を起した、胸がどきどきしていた、硝子に映った枯木の枝も丁度あの「幽霊の手」だった。私は確かにあの8月6日の閃光の恐怖が今でも私の心に生生しく刻みこまれ反射作用のように現れることを経験した。
翌朝同じ病棟の人人にそれとなく話しかけてみたが大部分の人は別に記憶にもとめていないようだった、唯、広島で原爆を体験した2、3の人のみがはっきりその光を覚えていた。その人たちは突差にベットから降りたり、そのまま眠れなかったりした。
無理もない、私たちはこのように近近とあの光線に照されたら、たとい微傷だに受けなくても、もう1週間か10日の命であることをあまりにもよく知っている然もその光線はあの朝だって何の予知する方法もなく実にいきなりひらめいたのだ。此の恐怖は原爆を受けた人間でなければ本当に分ることは出来ないだろう。
みんな広島で20万ほどの人間が1発の原子爆弾で死んだ事を知っている、然しそれは概括的な事実のみであって、もしこの現実に直面したら何人であろうとどう哭してもしきれぬであろう実感を受とることは出来ぬこれを知っているのはあの時広島に居た人間のみだ
1950年12月1日、米国大統領が北鮮の戦いに原爆を使用するかもしれぬと声明したことが伝えられた。続いて英、仏、等における反対の動きと世界中の衝動が伝えられた。
私は待った。人類史上最初に原爆の洗礼を受けた広島の人人の地獄の光りを潜った良心が、全世界の善意にむかって何らかの意思表示をするのを、否!いかなる所にいかなる理由があろうとも絶対に再びこの災禍を人間の頭上に浴びせるべきではない、と叫ばざるを得ぬ広島市民の、自分で触れるのさえ怖しい悲痛な意思表示がされるのを待った
然し遂に、ジャーナリズムのちょっとした動き以外広島市民からは何の叫びもあげられなかった。
私たちは智識によって、原子爆弾が大急ぎで造られつつあることを知っているそれが使用され得る條件が日日高まりつつある国際情勢と、その渦中に位置しようとしている日本であることをも知っている。
1951年はどうかそれを知っているだけでなしにそれに対して私たちが自分の頭で考え、自分のハートで感じ、自分の言葉でものをいう人間であることを示す年にしたい。そして広島の人間、あの光線の恐怖を刻みつけられている人間でなければ出せぬほどの力を平和のために、原子力戦争の破滅から人類を救うために発揮しうる年でありたいと思う。 (詩人)
第27号 1951.3.6

”原爆の悲劇を忘れぬ” 広島の青年学生 平和アピール
【広島】この日広島市の青年、学生はけつき、メーデー、8・6反戦カンパニヤえの火ぶたを切った。
広島反戦青年同盟準備会は国際ビルで集会を開催、最初に原爆をうけた広島市の青年として『原爆禁止』『再軍備反対』のアピールを出す等を決定した。
広島大学=広大皆実分校で約20名が参加、われわれ広島の学生は広島に投下された原子爆弾の痛ましさを忘れることは出来ない、われわれは平和を欲する」と集会の名をもって、朝鮮ヴェトナム学生へメネセージを送った。
広島文理大でも午前10時より午後5時まで同学図書館で、ソヴエト写真展を催し数百名を動員。

積極的に全面講和投票 広島県反学同準備会ひらかる
【広島】広島県反戦学生同盟準備会は25日広大皆実分校で、文理大、広大、忠海、国泰寺、船入、戸手、府中、尾道東、西、世羅(欠席)の諸高校の代表が集まり、来る4月20日を目標に結成大会をひらくことを決定、全面講和投票を積極的に行うことになった。

広島のメッセージを下さい 国際婦人デーメルボルン祝賀会から
2日付中国新聞によれば、オーストラリアのメルボルンにある国際婦人委員会書記デイス・ヘジャー女史から広島市長あてに次のような便りがきた。
3月8日は現在世界的な婦人デーとなっている。メルボルンの国際婦人デー祝賀委員会では、軍備廃止を論議するためレーク・サクセスに特別世界婦人大会を招集するよう国連に勧告する。男子は世界的会合をもつ機会がありながら未だ戦争を追放できません。いまや近代戦の残虐性は戦争そのものを追放するに十分な理由を与えています。
と婦人の平和問題に関する世界的会合の必要と戦争反対を訴え、国際婦人デーに「世界的な」広島からメッセージを送ってほしいと結んでいる。

第28号 1951.3.11

スクラム◇原爆体験記、原爆に関する詩集、写真、絵画など、この恐るべき大量殺りく兵器禁止の訴えとなる生々しい原稿を募ります。前線兵器としても使用できるなどと外電も報じている今日、5年前がまた昨日のことのように脅えて感じているはずの、原爆体験はぜひ本紙を通じてもう一度世界の人たちに訴えて下さい。

第29号 1951.3.16

広島の全婦人は 原爆の禁止を叫んでいる 国際婦人デー集会で全世界に訴う
(広島)広島婦人民主クラブ主催の国際婦人デー記念集会は、8日午后7時より広島市国際ビル二階で、“ふきのとう”の著者山代巴さん、広島県労書記長松江氏を迎えて開催され、約70数名が参加した。
大会では一、平和と独立のための中・ソを含む全面講和、二、講和後には占領軍に帰ってもらいましよう、三、広島の婦人は原子兵器の使用禁止を望みます、四、戦争えの道再軍備反対、五、再びわが夫わが子を戦場に送るな、六、戦争のための税金反対、七、平和のために全世界の婦人と手をつなげ等のスローガンを決定した、ついで松江氏の「平和を守れ」の講演、山代巴さんの「広島市の婦人が平和を守るために全世界の婦人に呼びかけねばならない」の講演があり、民主婦人クラブ、朝鮮女性同盟代表の挨拶がなされた。とくに朝鮮女同代表の1月5日、全世界の婦人えのアピールが朗読されるや、参加者の中からすすり泣きの声が聞え、全参加者に帝国主義者に対するはげしいにくしみとともに平和を守らねばならないとの大きな感めいを与え、「戦争準備のための強制送還反対」のスローガンを満場一致で追加した。続いて幻燈会、レコード・コンサートの後、平和問題の討論会に移り、メルボルンの国際婦人会委員会書記エデイス・ヘジャー女史より浜中広島市長えの、3・8国際婦人デーに平和のメッセージを下さい(本紙27号)との呼びかけに答えること、大会の決定スローガンについて浜中市長に対し代表6名を送出して交渉することを決定した。尚本大会の名で前記メルボルンよりの呼びかけ及び朝鮮民主女性同盟のアピールに応答文を出すことを決定した。

第30号 1951.3.21

原爆使用を断固拒否 長崎大学学生 世論調査に決意示す
(長崎)原爆により学園を壊滅させられ、多くの師、友、先輩を失った長崎大学では、さる2月反戦学生同盟および同盟機関紙「平和」編集部の手で全学生の世論調査が行われたが、原爆使用反対94%、全面講和支持96%、日本の軍事基地化反対91%、進歩的教授追放反対96%という結果で、全学生が戦争と単独講和を断固として拒絶していることが示された、調査の内容と結果次のとおり[略]

メルボルンからの手紙 ”そんなものは知らぬ”
広島市長の暴言に怒る 婦人デー代表
(広島)既報メルボルンよりの手紙について(本紙27号)8日ひらかれた広島市国際婦人デー大会は代表者6名(うち朝鮮女性3名)をえらんで9日市長に面接、①メルボルン婦人からの平和へのよびかけをどう処置したか、②朝鮮人強制送還反対などを抗議した、市長は「メルボルンからの便りは知らなかった」とあわてて渉外課から探し出し代表の要求で朗読したが、代表に責任を追求されて「私のところへは何百通という外国からの手紙がくるから一々返事できない。平和のよびかけでも相手の性質をよく調べなければ」「原爆々々というがそんな抽象的なことでは」など市民の平和への熱意を侮辱した言をはき、代表ははげしく抗議の後国際婦人デーの意義を説いておくればせながら早急に市長のメッセージを送ることを約束させ、全文は市民に公表させることにした。

第41号 1951.5.21

日本教育学会総会有志 平和を五大国で協議せよ 全世界の学会に”平和宣言”
(広島)日本教育学会第10回総会は5月3、4日の両日広島市広大附属小学校講堂で、全国百数十名の会員が集ってひらかれたが、4日評議会員城戸幡太郎氏より再び世界の学会へ日本の教育学者の平和のよびかけを送ることが提案され、議長についていた同学会会長長田新博士は一たん閉会を宣した後参加者全員で同問題の審議に移った。
評議員宗像誠也氏は昨年東京での第9回総会における平和宣言の反響について「国内は勿論外国から大きな反響があり、とくにアメリカの有力な諸学会からその趣旨は当を得、堂々として立派なものであると激賞し衷心から支持する旨回答があった」と報告、城戸評議員よりふたたび平和宣言を出す趣旨について説明があったのち、長田会長が「人間の理性を信ずる教育学者としてわれわれは絶対に戦争に反対する。米ソ英中仏の五大国は国際的紛争を平和的に解決するため協議してもらいたい。」との有志一同の宣言文を朗読するや多数拍手をもって賛成、退場のさい3分の2以上が正式に署名した。この宣言は直ちに国内各団体に配布され、英訳文を世界の各学会及び有識者に送る手筈となった。

鐘盗まれ塔こわされる「平和」広島
(広島)広島市中島本町の平和の塔は22年8月6日以来毎年8・6反戦記念日はもとより平和を望む市民、民主団体の集会が常にそのもとでひらかれていたが、昨年の反戦記念日に民事部が一切の平和の集会を禁止して以来市当局はその管理を放置し、そのため3月には塔上の「平和の鐘」が盗まれるなど市民の憤慨をかつていたが、同塔を原爆反対の旗じるしとしてますます高まる戦争反対の空気に、市当局は同塔一体[ママ]を観光用の公園にすることを計画、10日遂に同塔のとりこわしにかかった。

第42号 1951.5.27

長田博士も署名
(広島)既報=世界の学会に訴える平和宣言を発した日本教育学会の会長長田新博士(広島文理大教授)は15日同氏宅を訪れた広島平和委書記局員のさし出したベルリン・アピール署名用紙に、「これはいいことです」と進んで署名した。

第43号 1951.6.1

8月・原爆都市広島で平和祭を開催 祭典準備会、全国の青年学生にアピール
【広島】8月5日より19日までベルリンで開かれる第3回世界青年学生平和祭にこおうして、広島の青年学生は7年前人類が最初に原爆を体験した広島市で広島平和祭を挙行することを決定し、祭典準備会はその準備をすすめているが、このほど全国の青年学生につぎのようなアピールを発した。
すべての青年学生及び平和愛好者の皆さん!
われわれはベルリン世界青年学生平和祭を諸民族の友情と連帯性の強化に寄与するものとして心から歓迎するものです。
われわれは世界平和祭に参加し、その準備活動をおこしていくとともに、原爆の都、広島においても、全国によびかけて広島平和祭を開催することを提唱したいのです。そしてこのことは充分注目すべきことだと考えます。
われわれはすべての青年、学生、平和愛好者に対し、「広島の悲劇をくりかえすな! わだつみの悲劇をくりかえすな! 平和にために団結せよ」という祭典スローガンを支持して、この祭典にぜひとも参加するよう訴えます。!
第3回世界青年学生平和祭万才!!
広島平和祭万才!!

広島平和祭の多彩なプログラム
(広島)広島平和祭祭典準備会は全中国の青年、学生に対しベルリンの世界青年学生平和祭に次のようなプログラムで参加するようよびかけている。
平和を守る斗いの記録、写真(原爆、斗争、民族風景等)作品(文学、絵画、研究論文その他)出版物等の編集出品、ベルリン平和祭及び各国青年学生とのメッセージ交かん。
さらに同準備会は広島平和祭に対しつぎのようなプログラムを発表し、祭典スローガンを支持するよう団体個人によびかけている。
(文化プログラム)△文芸雑誌展示会△詩、小説コンクール△文芸講演会△映画会△音楽会△演劇発表会
(スポーツ)△野球大会△バレー大会(講座)文化講座、巡回講座(展覧会)△美術展△現代ソヴェト展△日本学生運動史展

第45号 1951.6.11

広島の反戦詩をベルリンへ
(広島)8月5日より19日までベルリンで開催される世界青年学生平和祭に対し、広島市の「われらの詩の会」では峠三吉氏を中心に「広島の悲劇をくりかえすな」を全世界に訴えるため、昨年より集められた反戦詩歌をまとめて近日中に出品参加することになった。

太田洋子氏を囲んで座談会
【広島】2日夜、「われらの詩の会」主催で太田洋子氏を囲む座談会が開かれ約40名集った。原爆の悲惨を体験した作家太田氏や詩人峠三吉氏は、戦争か平和かの問題をぬきにした創作活動が現在では全く考えられないことやベルリン・アピールの意義などを語りあった。

第46号 1951.6.18

反戦平和よう護八月斗争開始さる 広島で8・6平和大会
広島16団体実行委、全国にアピール
〔広島〕8・6を全日本平和擁護者の断固たる斗いの日とせよとの広島平和擁護委員会のよびかけで、4日広島市基町国際ビルに集った広島県労など別項の16団体代表は、8・6平和擁護全国代表者会議実行委員会を結成、全国の労組、民主団体、平和擁護者に別項のアピールを発し、次のような基本的方針を決定して8・6への斗いを大きくすすめることになった。
一、大会スローガン
再び原爆を落すな
5大国(米、ソ、華、英、仏)は平和條約を結べ
対日講和のための5大国(米、ソ、華、英)外相会議をひらけ!
二、このスローガンの下に全国の平和擁護勢力を8・6に結集し、広島では人民大会およ び全国代表者会議をひらく。
三、このために全国の平和擁護者にアピールするとともに、あらゆる機会に8・6の意義 を浸透させ準備に全力をあげる。
四、とくに同じ原爆罹災都市長崎の市民によびかけ両市の平和愛好市民の強力な提携の下 に斗う。
広船代表は西重の組織を通じて直ちに長崎造船によびかけると発言、全建設代表も21日琴平でひらかれる全国大会で訴えることを約した。
なお既報同実行委員会と青年平和祭準備委員会および8・6婦人大会は緊密に協力しながら、それぞれの立場から独自にそれぞれの層を8・6へ結集することになっている。

広島の悲劇をくりかえさないために アピール(全文)
8月6日-広島の市民が仕事にとりかかった午前8時15分、その1秒前まで青白い原子雲の下で焼き殺され、焼けただれた幽霊のさまよい燃え移る家の下敷になって助けを求めながら死んでいく地獄図が広島にくり拡げられようとは誰が想像しただろう。その8月6日を広島の市民、否全人類は永遠に忘れ去ることはできない筈です。その日が6度めぐってきます。
原爆を世界で最初にうけた広島の私たちは今こそ全世界に向って強く叫びます「戦争はいやだ」と。そして戦争を望む一握りの人々にたいして強いいきどおりと憎しみを感じていますしかしその広島の上空には爆弾をつんだアメリカの飛行機が飛び、地響をあげて45輛の特別貨物列車は西へ西へと走り去っています。あたかも広島市民の希望をうち砕くかのように………。だがすでに私たちは弱くないことを知っています。平和は私たちの力で守れることを知っています。
私たちは再びめぐり来る8月6日を世界人類の幸福のために意義あらしめようと準備しています。すなわち私たち広島の市民は「広島の悲劇をくりかえすな」「5大国の平和協定を結べ」「4大国の外相会議をひらけ」というスローガンの下に結集し、8月6日を期して平和擁護人民大会ならびに平和擁護全国代表者会議を原爆の地広島で開催するよう準備をすすめています。
特に同じ原爆の犠牲になった長崎の市民の皆さん。私たちは皆さんがこの私たちの企てに心から賛成して下さることを確信します。
さらにこの原爆の都で私たちが行おうとしていることがいかに偉大であり、平和のためどれだけ貢献するかを正しく判断され、広島の一大平和カンパニアを中心に各地でカンパニアを計画し実行されるよう、広島の市民は全国の平和愛好者に訴えます。(後略)
1951年6月4日
8・6全国平和擁護大会実行委員会
広島県労働組合協議会 西重広島造船所分会 全建設中国四国総支部
国鉄刷新同盟 反戦青年同盟 反戦学生同盟 広大平和擁護委準備会
朝鮮人解放救援会 われらの詩の会 新日本文学会広島支部
広島平和擁護委員会 西條平和擁護委員会 舟入平和擁護委員会
広島平和の斗士団 婦人民主クラブ広島支部 日ソ親善協会広島県連

第48号 1951.6.27

星座
桜木町国電丸焼事件のむごたらしさを、広島の原爆体験者は「問題ぢぁない、原爆のことを思えば」という△本紙新年号で広島の詩人峠氏の挨拶文中、電光でハッと8月6日の閃光を思い出した、それを感覚したのは沢山いる入院患者中4、5名の広島の人で、なかには目がさえて眠れなかった人もあると書いている△このように広島の人々の脳裏から原爆のむごたらしさは永久に忘れることの出来ないものとなっている△戦争屋どもは、広島市民が8月6日を記念し「広島の悲劇をくりかえすな」と叫ぶことがそれほどこわいのか8月6日に行われる罹災者の供養を今年はあわててすでにやり、平和塔をこわし墓標はでたらめな都市計画の下にうずまり、広島市から何一つ平和、原爆のあとかたをなくしようと必死になっている△しかし本紙にけいさいされた吉田氏に詩「墓標」はなくすることは出来ない、そしてこの「墓標」は必ずや広島の子供達をして全市に平和のシンボルとしての墓標をつくろうとの力をよびさまし、更に全市いたるところに、「原爆をつかうな」「平和を守ろう」との記念碑から集会から巨大な斗争がもり上って来るだろう。

第49号 1951.7.1

準備進む広島青年平和祭 準備委既に30団体を結集
(広島)広島の青年平和祭準備会では20日の第2回準備会までにすでに次の卅団体を結集、別項のようなプログラムに従って活動をすすめている。準備会事務局では近く全世界の青年および全国の青年へのアピールを出すべく準備中。
△参加団体-広船青年部、全建設中国四国総支部青年部、広島平和擁護委、宮打村平和擁護委、舟入平和擁護会、安芸郡反戦青同、朝鮮青年協議会、広大学友会同文研、同哲学研、同社研、新日本文学会広島支部、人民文学広島友の会われらの詩の会、安芸郡演劇サークル、広島電鉄青年部、全銀連広銀支部、全電通広島電報局支部、広島郵政局、国鉄広島地方本部、同第一、第二、工機部各支部、同己斐分会、日通広島県支部、同広島支店分会、全商工広島支部、広島市役所職組
△文化プログラム
①全国に作品募集中のコンクール(〆切7月20日)
☆文芸雑誌展-皆実町広大学友会事務局あて、広大文研、「世代」が共催。
☆小説-皆実町3丁目松尾忠あて、審査は文学会中央が担当。
☆詩-平野町第3平和アパート内われらの詩の会。
②文芸講演会-新日本文学会。全学連(中央)で講師団を準備中。
③映画会-「戦争と平和」など。全建設で映写機、会場を引受けている。
④スポーツ-市側の7月末の野球大会との共催やバレー大会を準備中。
⑤ソヴェト展-日ソで準備。
⑥音楽、コーラス-放送局、エスポワール文化協会、国鉄と交渉中。
その他演劇、討論会、美術展、学生、労働運動史展などの準備がすすんでいる。
△東京、大阪、九州など各地の青年も参加の準備をすすめているとの報告があり、6月末には長崎、東京の青年代表が準備のため来広する。

第50号 1951.7.6

B・アピールを支持 全建労全国大会
全建労全国大会は20日から22日まで四国琴平に代議員90名傍聴者40名が参加してひらかれ、組織、賃金、税金、国土復興、平和擁護などの51年度斗争争方針を決定したが、執行部の一般報告で提案されたベルリン・アピール署名運動は満場一致で支持され強力に進めることを決議、とくに各組合幹部がよく勉強して自信をもって一般組合員に浸透させることが強調された。広島代表は8・6をめざして原爆犠牲者追悼の平和記念碑建立運動をすすめていることを報告すれば会場は原爆反対の空気でわき立ち直ちに全国で基金カンパをおこすことがきめられた。2日目は平和擁護と国土復興、賃金と税金、組織の3分科にわかれて討議したが、平和擁護の分科会では△ソ同盟の理解が不足しており社会主義の理解を深めねばならないこと、△単独講和は講和ではなく絶対に結んではならないこと、△ベルリン・アピール署名の強化などの結論が出され、国土復興は具体的な対策案をつくって、農民、市民と共斗することをきめた。

第55号 1951.7.26

連日平和の集会 広島市 8月反戦平和行事きまる
〔広島〕8月平和擁護斗争の中心地広島市での計画がこのほど各主催団体からその一部が発表された。
8・6大会実行委員会主催で、6日午前平和擁護人民大会(全広島市民を中心)午後平和擁護全国大会開催なお同日全建労平和慰霊祭YMCA平和慰霊祭が挙行される。
8月5日=反戦青年同盟中国地方結成大会。夜は青年交歓会(予定)
10日=在日朝鮮人中国地方少年団大会。
15日=国鉄広島地方委主催の平和祭。
広島平和祭々典委員会はつぎ計画を決定した。
7月29日=阿部行蔵氏平和講演会(27日三原、28日昼西條、夜呉、30日三次)
7月30日=新協劇団“潮ざい”(予定)
8月21=鈴木共子ヴァイオリン独奏会、宅孝二ピアノ独奏、園部三郎解説(29日岡山、30日府中、31日尾道、8月3日山口、4日宇部)
8月11日=文芸講演会、佐々木基一、花田清輝、野間宏。
8月12日=平和祭芸能コンクール(各組合、民主団体出演、音楽、演劇、舞踊等)

広島平和祭 コンクール作品募集
〔広島〕広島平和祭祭典委員会ではベルリン世界青年平和祭に呼応し諸種の行事を行うが、文学関係準備会で創作コンクールを行うことになり、広く次の規定で作品を募集している。
△詩、小説、戯曲、シナリオ、短歌、俳句
△テーマは平和について多くの人に訴え、希望を与えるもの
△選者-追って発表
△〆切-八月末(新日本文学中国地協雑誌「海燕」に発表
△送り先及び問い合わせは広島市皆実町三
広島大学教養学部学友会内広島平和祭典委員会へ

第56号 1951.8.1

ふたたび原爆を落とすな!
(写真説明)
①1945年8月6日、原爆投下直後広島市御幸橋付近(爆心地より約1粁半)
②母親にだかれた火傷の子供
③一瞬、死の街と化した広島市
④火傷の子供
⑤電車内の惨状
⑥ここまで母子来たが、力つき死亡
⑦街路にて(以上広島市)
⑧長崎市稲佐嶽中腹よりみた同市の全景

主張 八・六大会に結集せよ!
1945月8月6日! それは日本帝国主義の崩壊が、ソ同盟対日戦参加数日後にひかえて、既に決定的であったにもかかわらず、世界で初めての原子爆弾がアメリカの手によって広島に投下された。一瞬30万の生命は失われ全市は破壊と叫喚のなかに叩きこまれた。
7度回り来る8月6日!広島の街には戦火の跡はまだ生々しく、悲愁の想ひなお昨日の如く新たなるにもかかわらず、世界は再び原爆の恐怖にさらされている。朝鮮における1ケ年に及ぶ干渉戦争は世界幾億の平和をのぞむ人々の決意によって、原爆の使用を防止し、漸く平和的解決への曙光が見出されたとはいえ、幾百万朝鮮人民の生命と財産が奪い去られ破壊された。
[以下略]

8・6への態勢成る 準備会20団体、全国へアピール
〔広島〕8・6平和大会準備会は既報の広島県再軍備反対共斗委参加団体のほか金属山口支部、岡山窯連、朝鮮民戦、41団体を結集した平和祭祭典委代表など約20名が広島県労会議室に集ってひらかれ次の方針を明確にし実戦への態勢をを整えた。
①8月6日は次の大会をひらく
原爆記念平和大会(午前10時、基町市民広場)
原爆記念平和擁護全国大会午後1時広島市荒神小学校
②共斗委提案の3スローガン(既報)の第3項は情勢の切迫から「サンフランシスコ単独 講和会議反対、4大国会議にもとずく全交戦国による対日全面講和会議の即時開催」に 改め、3スローガンの下にできるだけ廣はんな大衆を結集する。
③このスローガンの下に参加せぬ中立的平和運動に対しても積極的に協力し、戦争屋とそ の手先の偽瞞的平和運動を徹底的に暴露する。
④広島青年平和祭には緊密に協力する。
25日準備会参加のため労組、民主団体は連名で全国の労組、民主団体へ招請状を送り、 全広島の市民および全国の平和愛好者へのアピールを発した。
広船、国鉄第二支部、全建労中四国、全商工中国、尾船、尼鉄呉、三車、東洋工業、広島自労、同県労協、笠戸ドック、長門鉄道、小野田炭鑛、桜山炭鑛、金属山口支部、岡山窯連、岡山自労、広島平和委、山口県平和委、岡山県平和を守る、会、中国地方朝鮮統一民戦委員会外。
なお市の指導する平和協会は「祈りと反省」をスローガンとして6日午前8時半から集会をひらき、リ最高指令官、吉田首相らのメッセージその他で市民大会へ参加するよう積極的によびかける。

第59号 1951.8.11

連日平和集会を決行 広島 悪質な弾圧妨害に抗議
(広島)広島市の8・6平和カンパは、しつように繰返される当局の妨害の中で平和擁護者の抗議斗争とともに堂々開催されている。広島平和祭28日プーク公演で開始、会場妨家で予定が1日のびたが350名が集った。
29日は阿部行蔵氏の講演が行われたが、これも予定の会場を警察が妨害、前日になって変向した。
原爆犠牲者追悼独奏会 1日夜の鈴木共子氏の原爆犠牲者追悼ヴァイオリン独奏会は、またまた会場が開催前日になって断わられ会場を五流荘(爆心地)に変更したところ、警察は会場変更届を受付けぬと届出時間が過ぎたことを理由に拒否して来た。会場を引受け五流荘主人に対しても警察が何回も貸すなと脅迫的干渉を行った。こうした悪質な弾圧のなか五流荘で約200名が集まった。
八・六大会にも干渉 3日朝に到って平和擁護全国大会の集合届責任者、広船労組委員長角田氏の所へ数名の警官が押しかけ「届出は受理しない」理由は昨年6月のウイロビー書簡に該当すると妨害にのりだした。これに対し大会準備会では直ちに抗議を行うとともに、参加団体によびかけ一大抗議斗争に立ち上っている。

第60号 1951.8.14

8・6平和大会の勝利万歳 この力を桑港会議の陰謀粉砕へ 平和斗争に輝かしき発展  労働者の指導歴史的決議 弾圧・分裂けり1500・140団体結集
8月6日、広島市荒神小学校で原爆記念全国平和会議が、中国、関西、九州、四国、名古屋、東京など各地から140団体を代表する1500名が集り盛大に開会された。この会議が7・7再軍備反対労働者会議に結集した労働組合により指導されたことは特にわが国平和擁護運動の前進に重大な意義をもっている。
会議は午後1時半広船八木氏の挨拶、国鉄広島第二支部金子氏司会で始り、議長団に関西平和委大津氏、広船角田委員長、金属山口支部谷口委員長が推され、来賓挨拶、メッセージ、祝電披露の後、事務局松井県労書記長の一般報告が行われとくにB署名運動の推進、平和戦線の統一、目前に迫った桑港会議の粉砕が強調された。ついでこの報告にもとずき別項の決議などを採択し、各地方代表の報告で豊富な体験が交換され、とくに戦線統一に討論が集中、結局別項事務局の見解をわずか反対四の圧倒的多数で可決した。かくて平和勢力が正しいスローガンの下に結集できたこと、戦線の正しい統一方針が明らかにされたこと、さらに労働者階級を統一の中心においた平和愛好者の実力によるスト、デモなどの力で桑港会議を粉砕すること、これらはすべて全世界の平和勢力との固い結合によってのみ成功的にかちとりうること等大会の画期的意義が結語として満場一致確認され全員固いスクラムでインターナショナルを高唱し成功的勝利をかちとり閉会した

広島からのアピール
平和の敵の弾圧と妨害の中から
広島に眠る廿四万の声なき人々のねがいにこたえて
いま日本の支配者は、日本を再軍備し、軍事協定を締結し、日本を永久に外国軍の掌中にゆだねるたくらみをもって桑港講和会議を開こうとしている。
われわれがこれを許すならば、世界の平和は脅かされ日本民族は永久に屈辱の歴史をたどるであろう
広島の悲劇をくりかえさぬことをねがい、原爆の日を記念して広島に結集した全国の平和擁護者は、世界の恒久平和と民族の独立を求める全人民諸君に訴える。
平和を脅かし民族を滅亡に導く桑港会議に反対せよ
米・ソ・英・中四国外相会議にもとずく全交戦国参加の対日講和会議即時開催を要求せ よ
1951年8月6日 於広島 全国平和会議

採択されたメッセージ
緊急動議で満場一致採択されたメッセージ、決議抗議などは次のとおり
▽四大国をはじめ全世界の国々へ単独講和反対のアピール▽ベルリン世界青年学生平和祭祭典委員会への挨拶▽朝鮮人民、同人民軍中国義勇軍へのメッセージ▽トルーマン、ダレス、リツジウェー、吉田首相などへの抗議▽松川事件犠牲者への激励および法務総裁らへの抗議▽八月九日長崎平和大会へのメッセジ▽奄美大島沖縄へのメッセジ▽朝鮮民主主義人民共和国の対日講和参加要請
全国から祝辞
この日次の団体から来賓として挨拶、祝辞が述べられた(敬称略)
△平和擁護日本委亀田東伍△平和の戦士団阿部行蔵△関*平和委△慶応大平和委△朝鮮民戦中国地方委△朝鮮少年団△日共臨時指導部鈴木市蔵△青祖戦・全学連中執△東京平和会議△全愛協・新日本文学壷井繁治△労農党広島地本△反青同中国地方委△日共関西統一委△婦人民主クラブ△日共中国地方委内藤知周△広島市長濱井信三(代)松川事件鈴木被告ほか5氏他に関西青年婦人代表者会議、民青同、全統会議、日帰同、大阪朝鮮民戦対策委、大阪朝鮮学連、東大反戦学同経済学部班、筑豊民青同(挨拶省略、団体名のみ)また産別会議、筑豊地区平和促進委、小野田地区労、仙台平和戦士団、新日本文学神戸支部、布施生擁同、八尾生擁同からはメッセジがよせられ、原爆記念茨城平和大会、九大教職組連合会、茨城平和と独立戦士団、全倉庫住友、全銀連近畿支部青婦人部、全建設中四国鳥取総支部、埼玉平和委、仙台統一同盟、愛知平和大会8・9長崎原爆記念行事実行委などからは祝電

決議(要旨)
世界で最初に原子兵器が使用された8月6日を記念し、広島に結集した日本全国の平和擁護者は世界平和と日本民族の独立のため次のことを決議する
一、世界が再び広島の悲劇をくりかえさぬため、原爆の使用が永久に禁止されなければな らない
二、世界平和を強化し国際安全を保障するために、米、ソ、中、英、仏の5大国が平和協 定を締結することを要求する
三、世界の平和が現に破られている朝鮮問題が速かに平和的解決に向うため、全関係諸国 の会議が開かれ外国軍隊が朝鮮より撤退し、朝鮮人民が自らの手でその国内問題を処理 できるようになることを要求する
四、国際協定と日本人民の意志をふみにじり日本の再軍備を進め、特定国との軍事協定に より日本に外国軍隊駐在を許すあらゆる企図に反対する、この企図を実現するために計 画されている桑港会議にたいしては平和と独立のため断固反対して闘わねばならぬ
われわれは日本を戦争と奴隷に導くニセの講和会議ではなく米、ソ、英、中四国外相会 議にもとずく全交戦国との講和会議の即時開催を要求する
五、以上の要求実現のため全日本の平和と独立を求める人民大衆が一致団結し、その隊列 を拡大強化し世界の平和擁護陣営との固い連絡をもって平和と独立の闘いを進めなけれ ばならぬ。平和と独立の戦線は思想、信教、政党の如何を問わず広汎に結集さるべきで あり分裂主義者が反共平和戦線をつくりあげようとする企図は、平和の敵の手先たる役 割を果すものとして粉砕しなければならぬ
六、この会議は平和の敵の摯ような弾圧と妨害の中で140団体が正式に代表を送るほか、 1500名の平和擁護者を集めて決行された平和擁護者の固い団結を何ものも妨害し弾 圧しさることができないことをこの会議は実証した
われわれは、この会議の成果にたち平和と独立のためこの決議を実践し発展させることを、広島の地下にねむる24万の声なき人々に誓うものである
1951年8月6日
於広島 全国平和会議
命かけ平和を闘いとらん 朝日両民族のスクラム・爆発したデモ
6たびめぐりきたる原爆の日、ここ広島の荒神町小学校には、朝から各地の平和愛好者たちがぞくぞく集ってきた。遠く東京、名古屋からまた九州から関西から、むし暑い夜汽車にゆられながら人々は集ってきた地元中国地方は勿論、山陰の人人も山を越えて集ってきた、人々の数は開会時遂に140団体、1342名に達した。
労働者がいる、学生がいる、婦人が、農民が、少年が、そして老人も、あらゆる階層、年令の人がそこにいる
官憲の度重なる干渉、妨害と、新聞、ラジオを総動員した逆宣伝をけちらして人々は後から、後から原爆の閃いた日と同じカンカン照りの街路を会場え急ぐ 原爆記念全国平和会議!校門前に大書きされたビラ、逞しい若者たちによって武装警官から守られた講堂、あの日の追憶も新に再びしのびよる帝国主義者共の戦争の魔手を、命かけてはねかえさんと決意の眼をかがやかし、千余の人々は今会議の開会を待っている、労働者が沢山いる、7・7再軍備反対中国地方労働者会議に結集した広船以下20いくつの労働組合の人々はこの日も逞しい推進力だ
原爆を落とした奴によっていままた美しい故国を打ちこわされ、肉親を殺された在日朝鮮人が、これも年若い人々を混えて、民族の悲しみと怒りと闘いえの決意にもえて集っている
もうすぐ開会だ
会議は1面所報のごとく祝辞、報告、討論とすすめられた、午前中の屋外集会を禁止した戦争屋の手先共は、この会議にも弾圧の牙をといでいた、会場には刻々敵の動静が報告され緊迫感があふれている、1人も帰らない、ぎっしりと講堂の土間に坐りこんだ平和擁護者たちは真剣だ、意義なし、そして万雷の拍手が全員の平和えの誓いと決意を高めて行く、こっそりもぐりこんだ分裂主義者はそのみじめな正体を見事にバクロされた、彼等によって一時ひきおこされた混乱は、全員の整然たる拍手の波の裡に間もなく平静に帰し、挑発を排し、き然たる態度の中に画期的な重要な諸決議が可決されて行く、全国平和会議は完全に闘い取られた、勝利したのだ、平和は遂に弾圧に打ち勝ったのだ
松江県労書記長の結語の後、全員は一せいに立ち上り1600の堂を圧するインターの大合唱が始まった皆んなガッチリと腕をくんでこの平和の大集会の勝利の喜びと感激にあふれている、合唱が終り万歳が終っても人々は帰らない
突然校庭の方でワッショワッショのかけ声が起った去りかねた人々が一団となってジグザグデモや始めたのだ*見る見る内に皆んなデモに加わった、「平和」「独立」「ワッショ」「ワッショ」デモの波は校門をのりこえ広島の街に溢れ出し、全市を平和と独立の闘いの坩つぼに化せしめるほどに逞しくつずく
午後7時、全員は整然と校庭に集合大会スローガンを斉唱、世界平和勢力と日本の平和擁護者の闘いを祝して再び万歳と拍手の波、原爆の日の広島の夕空にその鼓動が高く長く尾をひいて歴史的な会議は終った
長崎で平和集会を弾圧
広島に呼応して、同じ原爆の残虐な殺りくをうけた長崎でも8・9平和集会が準備されていたが、平和勢力の結集を恐れた平和の敵どもは8・9より8・15にいたる間集会を禁止し平和勢力に弾圧を加えてきた

動員きかぬ総評平和大会
平和会議実行委の数回に及ぶ統一申し入れを拒否して行われた、総評主催の分裂「全国労働者平和会議」は特定の人々だけの入場を許してこの日10時から児童文化会館で行われた。入場者約800、その半数近くは折柄当地に集った日教組中央委員の人々で、実際の動員は少かった。
会議は型の如く進められたが、一般に低調であいさつも提案もただ原爆の悲惨さと平和えの悲願を強調するのみで何ら具体的な活動方針にふれずわずかに日教組岡委員長の、アジア諸国の反対をおし切って日本は孤立して単独講和の途を進みえない、再びわだつみの悲劇をくりかえしてはならないとの発言が、満場の共感をよんだことが参加者の中に真面目な平和愛好者のいることを示した程度で、議事進行の不馴れに野次が乱れ飛んでいた
最後に恒常的平和運動機関の組織と全権団えの平和決議文手交が提案されたが、拍手低調で3度採決をとる有様で集った人々の中には会場にまかれた国鉄広島第二支部の、平和の戦線統一を訴えるビラ等に見入っているのが多く全くお手盛速成平和会議の感があった

市の慰霊祭
朝8時半から広島平和協会主催の慰霊祭が相生橋の平和広場で開かれ、米空軍の飛行機から花束が投下されたり、首相のメッセージで単独講和が強調されたりした

二挺拳銃で原爆供養
この日の広島の市街は、花束をもった遺族の姿が方々に見られ一しお人の心に平和への願いをきざみつけたが、一方米空軍岩国基地の朝鮮出撃50回以上という「歴戦の勇士」24名がオーマン大佐らに引卒されて市主催慰霊祭に出席した後市内見学を行い、射撃の名手ケニー・ダンカンが二挺拳銃を手に白馬にうちのり市内をカッ歩し、許された唯一の街頭デモが日の丸を先頭にし行進曲に歩調をそろへたボーイスカヴトであった

第61号  1951.8.21

長崎でも8・9平和集会
〔長崎〕長崎原爆投下の8月9日を平和と独立えの前進の日にしようとする「8・9長崎原爆記念行事実行委員会」主催の諸集会は売国的官憲により「その筋」の名の下にすべて禁止された。
9日浦上の爆心地で挙行予定の長崎県平和擁護大会を禁止、弾圧した市警派、午前9時市内医師会館でひらかれた長崎県平和代表者会議にも警官隊を派遣し、福岡、佐世保、などからも参加した代表たちの抗議を無視して強引に解散させ、同所で開催予定の午後の平和祭、夜の平和大会も引きつずき弾圧した。会議参加者は日共九州地方統一委星野力氏らを市警に送って抗議するとともに別会場で平和活動者会議をひらき、当日の大会および会議に送られた全統会議、福岡県平和懇談会、九学連などの祝電、メッセージを発表したのち5大国平和協定締結、桑港単独講和会議粉砕を中心とする今後の活動方針をきめ全国、全世界の平和愛好者に一そうの団結を訴えた「長崎からの訴え」を採択した長崎文化サークルは当日夜市内農民会館で新日本文学会中央委員大西巨人氏らを迎えて「平和と文学の夕」をひらき、多数の聴衆がつめかけたが血に狂った当局はこれにも警官隊を派遣して弾圧、長崎文化サークルは直に全市民に抗議ビラを配布し、市内職場大衆のふん激は高まっている。

『平和の斗士』の中の原爆被害

『平和の斗士』(アカハタ中国総局)の中の原爆被害(者)

2号 1950.7.17
原爆で広島市民はこのように死んで行った[写真1葉]
3号 1950.7.23
8・6反戦平和大会に結集 平和投票15万 広島平和ようご委で
原爆投下の8月6日をまじかに迎えた広島平和擁護委員会では14日実行委員会をひらき、さきに決定された6日の平和よう護大会、1日から10日までの平和よう護週間を討議、6日の大会は午前10時から平和広場で行い各労組、民主団体にひろく参加をよびかける、6日までを第1期として平和投票15万を集める等を決議した、なお原爆体験記の出版も計画されている
6号 1950.8.3
世界幾億人民の叫びに応え 原子兵器の禁止 広島市民8・6大会に総けっき
全国から青年大挙2千名参加
帝国主義者どもの第3次世界戦争へのしつような兆発と、恐るべき非人道的な原子戦の危機のさ中、20数万の原爆犠牲者を出した広島市で、5たび迎える8月6日、「原子兵器の禁止」を叫んで市民総けっきの反戦平和大会が、佐久間教授(広大)四竃牧師(教会)岩宮副委員長(県労協)菅原校長(安芸高女)を常任委員とする広島市平和よう護委員会で準備されている同委員会は27日全国の平和愛好者に対し次のような招請状をおくった
原爆が広島に投下されてから5年、またまた戦争への危機はせまっております、この危機を前にして人類殺りくの武器、原子兵器を禁止せよとの叫びは全世界幾億万の人々の熱望となっています、わが広島平和よう護委員会はこの8月6日を期して平和よう護原爆禁止のための市民総けっきの日とすべく左の日程で平和大会を開催します、尚当大会には全国各種代表、特に青年代表2千名の大挙参加も予定され既に海外からも深い関心が表明されています
一、日時8月6日10時半
一、場所 平和広場
一、順序 △開会 △議長選出 △メッセージ △大会宣言決議 △行進
7号 1950.8.6
再び広島の悲劇を繰返すな 八.六をストで斗え 全労連各単産に訴える
全労連では1日の幹事会で「反戦平和月間」について次の要請を各加盟組合に出す事をきめた
(1)それぞれの條件に応じて8月6日はスト、職場大会、デモで斗い、戦争反対の決議をすること
(2)ストや大会のできないところは全員1分間の黙とうをすること
(3)最初に原爆を投下された8月6日午前8時15分(広島)、また8月8日午前11時2分(長崎)にはあらゆる工場、列車、電車は一斉に汽笛、サイレンを吹鳴すること
(4)この斗争の中で全員ストックホルム・アピールに対する平和投票を行うとともに平和擁護委員会の組織運動をすすめる
8・6大会に中止警告 この暴圧と断呼斗え 広島平和委・県労協声明を発表
3日広島平和擁護委員会主催の平和擁護市民大会の許可願に対し西署長は受理を拒否し、大会をあくまで行うならばウイロビー少將の覚書にてい触するおそれがあるとの「警告」を発した、これに対し4日直ちに委員会を開き平和の希望を表明することさえこばまれる重大な事態と暴圧に対して断固斗うよう訴える声明を発表した、県労協でも同日執行委員会を開き、全国の労働者と広島市民に断固弾圧反対斗争に立ち上れとの声明を発表し直ちに市警本部へ厳重抗議した
八・六大会によす      川村よしお
“けうは三き きのうは七きとんだ とうちゃん”
そうだ 戦争にゆくひこうきだよ 一機で二十万にん 母ちゃんたちを
殺した数こうきだよ
みんなくろ焦げになっても こぶしを木のこぶしのように握りしめ
まぶたのめくれた眼のタマで 空をニラみながら死んでいた
そのなかで 折れた腕をぶらさげ はだかで泣いていたおまえ
母ちゃんも どこかできっと こぶしを握り眼をむいて ちくしよう!と 死んだのだ
いちにんでも多く殺すようにねらい 出勤と隣り組のかり出しで 女もとしよりも
集ったところをみはからい 豚のように殺された あのあさ
死にかけたけが人たちも 自動車のばくおんでさへ にげようと
収容所の木のベットから ころげ落ちた あの ひと殺しの 飛行機!
けんじよ こわがるな
おまえが数えるように ヒロシマのにんげんはみな 心のなかで けうも何機
あれがとんだかを知っている
夜はこっそり たくさんとぶのを しっている
その影が くろい羽根のように 心の底に積み重なって ゆくぞ
おばあちゃんも おじいちゃんも だんだん拳をにぎってゆくぞ
あのゴム人形のような 銅像のような かみの毛も皮膚もない ひとたちのように
拳をにぎり 眼をとび出させてゆくぞ
そのとき そのときが来たら けんじよ
はっきり知れ! だれが原子ばくだんをどんどんつくり だれがまたひとごろしの
戦争をおつぱじめているかを
だまされるな うそにのるな そのやけどの痕のある まゆげにつばをつけて
よく 飛行機をかぞえておけ
8号 1950.8.9
論説 8・6平和擁護斗争
日本を軍事基地としての朝鮮の民族解放斗争に対する帝国主義者の侵略戦争のまっただ中、5年目にめぐりきたった広島原爆投下の日、広島の青年、全中国から集った青年が中心になって、平和擁護人民大会がもたれた
8・1にはじまる反戦平和擁護週間は全中国で斗われたが、8・6を頂点として各地でデモ、大会が組織された、これらの大会は、すべて、官憲の野ばんきわまる弾圧の中でもたれたことは特別に重要である
広島では、一切の平和のための集会が禁止されたばかりでなく、事前に市警は数万の弾圧恐はくのビラを号外として配布し、ラジオは3日間にわたって3時間おきの恐はく放送をやり、当日は全県下から2千の警官を動員し、さらに千余の警官を待機せしめた正に彼らのいう「平和都市広島」は、何千の武装警官によって街頭を固められた戦時的状態を出現した、しかも平和集会がもたれるや「暴動が起った」というデマ放送をやり市民を不安動揺せしめた
平和擁護大会はこのような敵の弾圧をけってもたれ、戦争反対、原子兵器禁止のストックホルム・アピトルの支持、アメリカ帝国主義打倒、日鮮労働者提携万才、朝鮮の解放斗争支持を堂々と決議し、数万のビラを配布し、市民に多大の感銘をあたえた
いまや「平和」そのものを最もおそれているのはアメリカ帝国主義者であり、日本におけるその番犬であることがきわめて明確である、彼らはつねに口で平和をとなえ、平和の仮面をかぶって、あたかもソ同盟を先頭とする平和勢力が侵略者であるごとく宣伝しているが、実に彼らは、彼ら自身が数十万を殺りくした広島で、死亡者を追悼する数万の大衆を武装警官とラジオで恐はくし、原子兵器の禁止と戦争反対を訴える平和のための集会を3千余の武装警官隊で弾圧したことをみても、彼らこそ平和愛好人民の殺りく者であり、第2次世界戦争を兆発する火つけ人であることがあきらかとなった
さらに重要なことは、いまや平和は、労働者を中心とする広はんな愛国人民大衆の平和への欲求の結集、組織によって、戦争放火人-アメリカ帝国主義者とその日本における番犬との決然たる斗争なしには断じて守り得ないことは明らかである
平和擁護の斗争こそが帝国主義者を戦りつさせる当面の中心課題であることはいまや明白である、ストックホルム・アピールの飛躍的な拡大と工場を中心とする平和擁護委員会の組織の拡大は当面最も重要な斗いであることを銘記しなければならぬ、歴史的な8・6平和擁護大会の決議はいまこそ全中国、全日本で実せんされねばならぬ
平和を愛する全世界の人民へ 八月六日広島平和擁護委員会 平和宣言
8月6日、広島平和擁護委員会は心から戦争を憎み平和を愛する全世界の人民に対し要旨次の宣言を発表した
心から戦争を憎み平和を愛する人々よ!5年前の本日午前8時15分、わが広島市に原子爆弾がさく裂しました、この恐るべき非人道的な殺りく武器のもと、しかばねと焔の中にあって、われわれ生き残った者の全身からしぼり出された戦争への憎しみと平和への熱願が現在では全世界幾億の人々の平和をかちとろうとの固い決意の中に置かれていることをみて限りない喜びと勇気とをおぼえるものであります
平和こそ現在われわれが斗いとるねうちのある最大なものとなりました、世界をおおう反戦の巨大なさけびの中で、孤立した戦争放火人達は平和に関係のあるものの一かけらも抑圧しないでおれないのであります既に極東の一角では銃火が交えられ、原爆使用の論議がされているさ中、広島市民は原子兵器の無條件禁止を要求するストックホルム・アピールがわれわれの悲痛な要求と完全に一致するものであり、これに署名することがわれわれの光栄ある義務であり、そしていく億の平和署名は必ずや新しい戦争をそ止し、原子兵器の使用を禁止することを確信します
われわれはどのような困難なる條件のもとにあろうとも、諸君とのより堅いていけいにより、平和を守る斗争の飛躍的発展を期するものであります
☆再び広島の惨かをくり返すな!
☆戦争反対、平和擁護運動の偉大なる進展万才!
反戦ビラをよみ入る広島市民 平和を叫んだ20万犠牲者を忘れるな
武装警官数千の恐はく下広島市
その日の広島市民-福屋デパートの周辺はガリ刷りの小さなビラで一ぱいだ、それを拾って泥をおとししわをのばし丹念に読む勤人学生達-チョゴリ姿の朝鮮人のお婆さんは、きけばわざわざ平和大会に参加しようと思って出てきたそうで弾圧に屈せずビラをまいた日本の青年たちの気持も祖国で斗っている人民軍戦士の気持もまったく同じだとビラを大切にもちさった△電車の中では、例年のお祭騒ぎの行事が今年はなくてよい、だがこの警官隊が広島市を占領した恰好ではどうして何十万の犠牲者がめい福できるかと憤がいの声がきかれた
各国で大々的に行事 世界民青連発表 8月6日にS署名成果発表
(連合)パリの世界民青連本部はつぎのように発表した
S・アピールにたいする署名の第1回集計が広島に原子爆弾が投下された第5回記念日にあたる8月6日に発表されることになっている、△8月6日を国際的に平和斗争の日とする準備をすすめている国が多く、米国労働青年同盟会長はつぎのような文章を発している「われわれは平和のために働いているすべてのものにたいしリーフレットやポスターやデモによって広島の日を記念するよう要求する、われわれは広島の日を記念することによって独立と民族解放の運動に加えられている帝国主義の犯罪的政策をばくろすることができるのだ」△フィンランドの青年は8月6日に終る1週間をとくに平和署名週間とし、西ドイツの青年は8月4、5、6日をドイツ青年の平和斗争デーとして宣言し、オーストリアおよびチュニジアの青年も同様な計画を発表している
ソヴェト1億2千万を署名
平和ようごソヴェト委員会の発表によれば8月1日までに1億1527万940名のソヴェト人民が署名した
中国で1億を目標
中国ではS・アピールにすでに5千万人以上が署名し1億以上目標をめざしている
弾圧下1万5千のデモ ニューヨーク 「ノーモアヒロシマ」大会
(連合)既報ニューヨーク労働平和会議のノーモア・ヒロシマ大会は2日デモを禁止されたが、当日は1万5千名の平和戦士がユニオン・スクエアで平和をまもり対韓援助に反対するというスローガンの下に平和デモを行った、警官は馬上からこん棒をふりまわして大衆を解さんさせようとしたが、デモ参加者は「われわれは平和をのぞんでいる」「原子爆弾禁止」を叫びながら行進をつずけた
モスクワ放送 6日プラウダ 「ヒロシマ」と題する記事
6日付プラウダは、「ヒロシマ」と題する次の如き記事をけいさいした
アメリカ帝国主義者が広島に原子爆弾を投下してから今日で5年目になる、平和擁護世界会議常任委員会機関誌「平和擁護」はこの爆撃の野ばんな意図をバクロし爆撃瞬間の広島の人口は31万2千であったが爆撃終了后は、3分の1が生残っただけで家屋の9割がうちこわされた、更にアメリカ側の報告を引用し広島と長崎が投下の対象となったのは両市とも人口が稠密なことをのべている、つずいて今年5年目に発表された広島・長崎青年の全世界へのメッセージをあげ日本では7月末までに150万以上のS・アピール署名が集まり、その后ますます増加している、日本平和を守る会では4千万の署名を目標にしている
10号 1950.8.15
モスクワ放送 広島8・6斗争の模様報道
11日モスクワ放送は広島の8・6平和大会の模様をつぎのように報道した
東京から上海に達した報道によれば、アメリカが広島に原子爆弾を投下した日8月6日、この都市は事実上戒厳状態にあった、警察当局は勤労者の集会も含めあらゆる集会を禁止した、彼らは治安維持の名の下に2千名の警官を動員したが、この計画的弾圧にも拘らず愛国者たちは平和ヨーゴを叫んで2カ所で集会を行った