京都大学原爆災害総合研究調査班遭難記念碑
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
京都大学原爆災害総合研究調査班遭難記念碑
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広島市公文書館開館30年講演会(2007年9月29日)
占領下における被爆者医療活動-医学博士・都築正男資料から
宇吹 暁(広島女学院大学)
はじめに
1972年2月3日、日赤に重藤文男院長を訪問。
都築著『医学の立場から見た原子爆弾の災害』借用。
1978年6月11日、80年11月17日~18日、都築家資料調査。
1994~96年度 科学研究費補助金
1995年12月23日、広島大学公開講座「原爆医療法制定前の被爆者問題」。
Ⅰ 占領下における被爆者医療活動
『広島大学公開講座・被爆50年-放射線が人体に与えた影響』
(広島大学1995.10.01)<資料1
Ⅱ 都築資料の概要
広島市寄贈(1981年7月6日)点数
書簡・葉書53点、論文247点、講演要旨27点、写真19点、雑誌17点、調査票9点、地図9点、その他264点 計645点 <『広島市公文書館紀要 第5号』(広島市、1981.03.31)>
『広島新史 資料編1(都築資料)』(広島市、1981.03.31)
目次<略>
Ⅲ 都築正男をめぐる現在
1.文献
1.文献
| No. | 発行年月日 | 書名 | 著者・編者 | 発行所 |
| 1959.07.21 | 原水爆時代-現代史の証言(上) | 今堀誠二 | 三一書房 | |
| 1972.03.31 | 広島県史・原爆資料編 | 広島県(編) | 広島県 | |
| 1979.07.25 | 広島・長崎の原爆災害 | 広島市・長崎市原爆災害誌編集委員会(編) | 岩波書店 | |
| 1980.08.06 | 桜隊全滅-ある劇団の原爆殉難記 | 江津萩枝 | 未来社 | |
| 1981.03.31 | 広島新史・資料編Ⅰ-都築資料 | 広島市(編) | 広島市 | |
| 1981.03.31 | 広島市公文書館紀要 第5号 | 広島市(編) | 広島市 | |
| 1981.04.05 | 都築正男研究業績目録-都築正男大人命20年祭 | 広島市史編纂室(編) | 都築正和 | |
| 1982.11.10 | 長崎原爆体験-医師の証言 | 調来助・吉沢康雄 | 東京大学出版会 | |
| 1986.08.11 | DDT革命-占領期の医療福祉政策を回想する | サムス,クロフォード、F.、竹前栄治(訳) | 岩波書店 | |
| 1990.10.18 | 核と共に50年 | 木村一治 | 築地書館 | |
| 1995.03.30 | 漱石の脳 | 斎藤磐根 | 弘文堂 | |
| 1995.10.01 | 広島大学公開講座・被爆50年 -放射線が人体に与えた影響 |
広島大学 | 広島大学 | |
| 1997.02. | 原爆被爆者対策史の基礎的研究―原爆被爆者対策前史 1945年(昭和20)~1953年(昭和28)資料集― | 宇吹 暁 | 宇吹 暁 |
2.今堀誠二の評価
占領軍と日本人科学者:サムス、アレン、ケリー、 ジュノー
『原水爆時代-現代史の証言(上)』、『広島県史・原爆資料編』、(『広島・長崎の原爆災害』)、『広島新史・資料編Ⅰ-都築資料』
3.検閲
「所謂『原子爆弾傷』に就いて-特に医学の立場からの対策」(『総合医学』、1945年10月1日)
<ゲタバキ部分あり。「昭和20年9月8日米国原子爆弾損害調査団を案内して広島市へ向ふ時記す」>
4.調査データのプライオリティ
大橋成一(元陸軍軍医学校教官・少佐、宇品陸軍救護病院副院長)、井深健次(元陸軍軍医学校校長・中將)宛の書簡(1953年5月3日付)の中で原子爆弾災害調査報告集の中に軍関係者の名前が掲載されていないことを指摘。(「広島県史原爆資料編」)。
大橋書簡=「当時の軍関係者の研究分担者の名前が掲載されて居らず、大学の先生方等のみの名があり、之のレポートが大学の先生方によって主になされた如く誤解される恐れがあると愚考致します。」
5.政府機関
予防衛生研究所、文部省、厚生省研究班、
6.広島・長崎の医療関係者
*都築正男報告(新聞発表)『中国新聞』
1945.9.4 9.5 11.25 1946.5.22 12.21
『広島県史・原爆資料編』(広島県、1972.03.31)
*公開治療
*松坂義正(広島)、調来助(長崎)
*学研調査団資料 調査票
7.被爆者
1945年8月13日、仲みどり(移動演劇団桜隊の女優)、広島で被爆後、東大都築外科に入院。24日、仲みどり、東大病院で死亡。30日、東大医学部教授都築正男ら調査団、来広。
1956年4月15日、東京の原爆被災者の会(事務局長松尾明人)、東京で、原爆被災者の集いを開催(東京・群馬・神奈川などから約100人参加)。都築博士による講演。被災者対策の充実・促進などを申し合わせ。
「畑とし子」=<東京の日赤で都築博士の治療を受ける>『あの日から生きて生きて』(1986年2月20日)
宗藤尚三=<被爆場所:1.3キロ自宅。大学生。日赤・似島・庄原日赤で治療。庄原では都築の診断を受ける。>『いのちの塔-広島赤十字・原爆病院への証言』(1992年6月10日)
『放射線影響研究の10年』(文部省科学研究費(総合)「放射線の影響」研究班、196503)
目次
| 事項 | 執筆者 | 備考 |
| はしがき | 桧山義夫(東大農教授) | |
| 前篇(時代別) | ||
| ビキニ以前 | 田島英三(立大理教授) | |
| 原爆症 | 渡辺漸(広大原医研所長) | |
| ビキニ事件 | 桧山義夫(東大農教授) | |
| 国連科学委員会 | 田島英三(立大理教授) | |
| 後篇(分野別) | ||
| 物理関係 | 山崎文夫(理研主任研究員) | |
| 化学関係 | 三宅泰雄(東教育大教授) | |
| 生物と遺伝 | 田島弥太郎(遺伝研部長) | |
| 環境放射能汚染 | 桧山義夫(東大農教授) | |
| 医学関係 | 宮川正(東大医教授) | |
合衆国戦略爆撃調査団報告書(森祐二訳、広島平和文化センター刊)一覧
| No. | 書名 | 著者 | 出版年 | |
| 3 | 広島、長崎に対する原子爆弾の効果 | 総務部 | 1987/02/15 | |
| 9 | 民間防衛報告No.1 広島現地報告 | 1983/03/24 | ||
| 13 | 広島および長崎の保健・医療部門に対する原子爆弾の効果 | 医学調査部 | 1987/02/15 | |
| 14 | 日本人の戦意に与えた戦略爆撃の効果 | 戦意調査部 | 1988/11/20 | |
| 60 | 広島市に対する空襲の効果 | 都市地域部 | 1984/03/31 | |
| 92 | 広島に対する原子爆弾の効果 | 物的損害調査部 | 1983/03/24 | |
米国戦略爆撃調査団
アメリカ合衆国戦略爆撃調査団は、1944年11月3日にルーズベルト大統領の命令により設置された。もともとドイツにたいする戦略爆撃の効果の調査を目的として設置されたものであるが、対日戦の終了した8月15日に、トルーマン大統領の要請を受けて、対日戦における空襲の効果を調査する部隊が編成された。定員は、文官・士官兵合わせて1150名という大規模なもので、9月初め東京に本部を設け、大阪・名古屋・長崎には支部が、また日本各地、太平洋諸島、アジア大陸には移動支部が置かれた。
調査は、民事・経済・軍事の3分野の柱からなっていた。民事では、民間防衛・医療・戦意の3部門が設けられ、日本の防空に関する計画・組織・機関・設備・訓練、疎開、医療に関する人員・組織・施設および食料・栄養事情・環境衛生、空襲により発生した死傷・疾病および一般市民の戦意が調査された。
経済研究では、石炭・石油などの基礎資料、航空機・船舶をはじめとする軍需生産、電力・化学・機械・建築・運輸などの産業基盤、労働力の利用とその能力の崩壊過程が調査されるとともに、東京など九都市に関しては、都市経済が分析対象とされた。
軍事研究では、将官26名・佐官67名の陸海軍人にたいする詳細な尋問がなされ、対日戦の各戦闘における航空機の役割を中心に、各作戦あるいは各兵器の成果が調査された。また、日本の軍事的技術も細部にわたり検討された。
調査は、12月初めまで続けられ、108巻の報告書がまとめられた。報告書によれば、1944年6月から1945年8月15日の期間に日本の500以上の攻撃目標が爆撃を受けた。これらの大半は特定の工場や施設であったが、66の都市は、特定の目標ではなく全市域が爆撃の対象となった。また、爆撃の結果、一般市民の3分の2以上が警戒警報を含めた空襲を経験し、5分の1が家屋に損害を受けたとしている。人的被害については、原爆攻撃を含む空襲による死傷者の数を約81万名、そのうち約33万名が死亡したと推定している。
民事の戦意部門では、日本全国60地点から4075人の一般市民を抽出して面接調査を実施した(実際に面接できたのは3135人)。これは、日本人を対象に実施された初めての科学的な世論調査であった。
面接調査により、空襲が日本人に、勝利への疑いや敗北は確実との感情をもたらし、戦争継続意志を喪失させたことが明らかになった。戦意部門による面接調査の目的は、空襲が日本人の戦意に及ぼした影響にあったが、あわせて8月の降伏から面接時までの日本人の意識や生活状態についても聞き取っている。それによると、日本の降伏についての反応は(複数回答)、「残念、悲嘆、失望」(30%)、「驚き、衝撃、当惑」(23%)、「救済感、幸福感」(22%)などであった。また、調査時における生活状態への不満の理由として(複数回答)、「食糧不足」(85%)、「他の物資不足」(38%)、「インフレと闇市」(29%)、「実業、賃金不足、劣悪な仕事」(17%)などがあがっている。
日本政府や科学者は、原爆被害の一部を除いては何ら被害の体系的な調査・研究を行なっていなかった。医学調査部門の報告書は、「空襲死傷者に関する情報のきわ立った不足はほとんど信じられないほどであった」と述べている。敗戦日本の混乱の中でなされたアメリカの大規模で科学的な調査の結果は貴重なものである。とはいえ、この調査は、結局のところ軍事目的からなされたものであり、ここから調査団が引き出そうとしたものは、戦略爆撃の効果と今後の教訓であった。報告書の結論は、戦略爆撃により、原爆攻撃・ソ連の対日参戦・日本本土上陸作戦がなくても1945年末までに日本の降伏がもたらされていただろうというものであった。
『マンハッタン:陸軍と原爆―第2次世界大戦中の合衆国陸軍:特別研究』(Vincent C. Jones著、合衆国陸軍軍事史センター、1985年刊)
目次
| 部章 | 見出し | 備考 |
| 序言:1939年までの原子力の歴史 | ||
| Ⅰ | 原爆開発任務の始まり | |
| Ⅱ | 核分裂物質の生産 | |
| Ⅲ | 支援活動 | |
| Ⅳ | 原爆 | |
| Ⅴ | 原爆開発任務の完了 | |
| Ⅳ | 原爆 | |
| 24 | ロスアラモスの兵器プログラム | |
| 25 | 兵器開発と実験 | |
| 26 | 日本への原爆投下 | |
| 原爆投下部隊の準備 | ||
| 原爆使用の決定 | ||
| 原爆投下 | ||
| 日本の降伏 | ||
| 原爆の効果の調査 | ||
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| 広島大学原医研・疫学部門の抄読会(19920914) 宇吹報告(「マンハッタン:陸軍と原爆」)用レジメ。 |
| マンハッタンは、陸軍航空軍の7月26日の命令[ハンディ発スパーツ原爆投下命令]の実行にあたり、重要な協力的役割を担った.トップレベルでは、グローブズ将軍が、ワシントンのアーノルド将軍のスタッフとの接触、テニアンの彼の代理(カークパトリック大佐、7月31日からはファーレル将軍)、キング提督から太平洋戦域の海軍司令官たちと原爆投下業務を調整することを任されたパ-ネル提督を通して、投下部隊全体に影響力を保持していた. ファーレル将軍は、進行中の日本への原爆投下の準備を調整するようグローブズから特命を受け、中部太平洋に到着した.ファーレルは.まずグァムに降り、ルメイ将軍(この直後に合衆国陸軍戦略航空軍参謀長に就任)とニミッツ提督と協議を行った.テニアンに移動してからは、ファーレルは、パ-ネル提督とパースンズ大尉を訪問した. ファーレルは、かなりの時間をパ-ネル提督と過ごした.パーネルは、第1技術支隊が7月の間にテニアンで行った集中的な活動について詳細に語った.同支隊は、第509部隊の他の部門と海軍の協力で、爆弾、特にリトルボーイの部品の組立とテストのための技術的能力を蓄え、緊惷時における硫黄島での再装填の能力のチェックを慎重に実施していた.更に、パースンズは、彼が新たに組織したプロジェクト技術委員会の役割についてもファーレルに語った.その役割とは、ガン型および内破型両タイプの複雑な最終テストと組立に関して、彼が計画し、陸軍航空軍の部門と協力することを援助することであった. 両タイプの爆弾の部品とアクティブ原料[ウラン]は、原爆投下部隊が実際に使用する直前に、テニアンの支隊に届いた.まず、リトルボーイのものが届いた.部品とU-235の大部分は、7月中旬にロスアラモスを出発した.それまでは、ロバート・R・ファーマン少佐(グローブスのワシントンの司令部から派遣された特別プロジェクト将校)、ジェームズ・F・ノーラン大尉(ニューメキシコ実験場の主任軍医将校)の厳重な管理下にあった。<以下未入力>
|
原爆被害調査概要(直後)
出典:宇吹暁「原爆医療法制定前の被爆者問題」( 『広島大学公開講座・被爆50年-放射線が人体に与えた影響』(広島大学、19951001)
広島県内市町村(地図)
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白島・二葉の里地域
| 町内会名 | 主要建物・事業所 |
| 西白島町 | 安田高等女学校
洞門寺 |
| 白島西中町 | |
| 白島北町 | 工兵補充隊(旧工兵第五聯隊) |
| 白島中町 | |
| 白島東中町 | |
| 東白島町 | 白島国民学校
県立広島工業試験場 広島逓信局 逓信病院 妙風寺 禿翁寺 万行寺 円光寺 光明院 白島信用組合 |
| 白島九軒町 | 心行寺
正観寺 宝生院 薬師院 碇神社 |
| 二葉の里 | 饒津神社
鶴羽根神社 明星院 東照宮 第二総軍司令官畑大将宅 |
主要建物・事業所(基町地域)
| 所在地 | 部隊名/通称号/部隊長名/ |
| 旧留守第五師団司令部 | 中国軍管区司令部/-/中将藤井祥治/ |
| 通称二部隊旧歩兵第二聯隊 | 中国軍管区歩兵第一補充隊/(西部)中国第一〇四部隊/中佐須藤重夫/ |
| 通称六部隊旧野砲兵第五聯隊 | 中国軍管区砲兵補充隊/(西部)中国第一一一部隊/中佐川副源吉/
|
| 通称一〇部隊旧輜重兵第五聯隊 | 中国軍管区輜重兵補充隊/(西部)中国第一三九部隊/少佐田島権平/
|
| 中国第一〇四部隊内 | 中国軍管区通信補充隊/(西部)中国第一二一部隊/大尉富岡善蔵/
|
| 広島城北側 | 中国軍管区教育隊/-/少佐柳生峯登/
|
| 京口御門 | 広島聯隊区司令部/-/少将富士井末吉/
広島地区司令部/-/少将富司末吉 |
| 偕行社内 | 特設警備第二五一大隊/中国第七一六一部隊/少将世良孝熊/ |
| 中国第一〇四部隊内 | 広島地区弟二四特設警備隊/(甲神部隊)中国第三二○六○部隊/中尉三原清雄/ |
| 西練兵場北側 | 広島第一陸軍病院/-/軍医少将元吉慶四郎/ |
| 太田川左岸三篠橋下 | 広島第二陸軍病院/-/軍医大佐木谷裕寛/ |
| 三篠橋東詰 | 広島陸軍病院看護婦生徒教育隊/-/衛生大尉花房光一/ |
| 広島城跡 | 第五九軍司令部/山陽三二二〇〇部隊/中将藤井祥治/ |
| 基町 | 第五九軍第二二四師団司令部/赤穂第二八三二九部隊/中将河村参郎/ |
| 中国第一〇四部隊内 | 第五九軍歩兵第三四〇聯隊/赤穂第二八三三○部隊/中佐友沢兼夫/
独立混成第一二四旅団砲兵隊/鬼城第二八三六八部隊/大尉山本信夫 |
| 中国第一二一部隊内 | 第二二四師団通信隊/赤穂第二八三三五部隊/大尉吉光保夫/
独立混成第一二四旅団通信隊/鬼城第二八三七○部隊/中尉戸井功 第一五四師団通信隊/護路第二二七〇八部隊/大尉富依英男 |
| 中国第一三九部隊内 | 第二二四師団輜重隊/赤穂第二八三三六部隊/中将河村参郎/
第一五四師団輜重隊/護路第二二七〇七部隊/少佐萩原国雄 |
| 中国第一一一部隊内 | 第一五四師団砲兵隊/護路第二八三五六部隊/-/ |
| 基町(電車通り北側) | 中国憲兵隊司令部/-/憲兵大佐瀬川寛 |
出典・参考サイト:http://hiroshima-letters.net/archive/shiryo.htm
主要建物・事業所(本川地域)
| 町内会名 | 主要建物・事業所 |
| 空鞘町東 | 空鞘神社 |
| 空鞘町西 | |
| 鷹匠町表町 | |
| 鷹匠町中町 | |
| 鷹匠町裏町土井之内 | |
| 鍛治屋町 | 本川国民学校 |
| 左官町 | 本覚寺
清住寺 |
| 塚本町 | |
| 十日市町 | |
| 北榎町 | |
| 榎町 | |
| 猫屋町 | 光道国民学校
|
| 油屋町 | 妙教寺 |
| 西大工町 | |
| 堺町 |
出典・参考サイト:http://hiroshima-letters.net/archive/shiryo.htm
中島地域
| 町内会名 | 主要建物・事業所 |
| 中島本町 | 簡易保険局
|
| 天神町(北) | 教念寺
清岸寺 天満宮 公設市場 |
| 天神町(南) | |
| 材木町 | 浄宝寺
慈仙寺 中島勧商場 中島集産場 米田物産(元大正屋呉服店) 水上警察/中島派出所 西警察署/中島派出所 伝福寺 妙法寺 浄円寺 誓願寺 慶蔵院 安楽院 |
| 木挽町 | 西福院木
福寿院 持明院 |
| 元柳町 | 森永製菓支店 |
| 中島新町 | 瀬川倉庫
西応寺 広島市農業協同組合 |
| 水主町上 | 広島県庁
広島県警察官講習所 広島県病院 (与楽園 武徳殿 |
| 水主町中 | 市立中島国民学校
住吉神社 巣守鑑札工場 |
| 水主町下 | 地蔵堂
仏教説教所 |
| 吉島羽衣町 | 帝国兵器
呉陽鉄工所 |
| 吉島町 | 東亜産業株式会社 |
出典・参考サイト:http://hiroshima-letters.net/archive/shiryo.htm
主要建物・事業所(国泰寺地域)
| 町内会名 | 主要建物・事業所 |
| 国泰寺町 | 広島市役所(19660331)
広島市公会堂 大林組 広島日本基督教会 |
| 雑魚場町 | 広島県立第一中学校
(19540425、19540803、19621016、19740501、19940933) |
| 小町 | 市立浅野図書館
控訴院 国泰寺 白神社 玉昭院 中国配電株式会社 |
| 立町 | 崇徳教社 |
| 猿楽町 | 産業奨励館
日本赤十字社広島支部 |
| 細工町 | 広島郵便局本局 |
| 横町 | |
| 鳥屋町 | |
| 塩屋町 | |
| 尾道町 | |
| 播磨屋町 | |
| 平田屋町 | 安田銀行 |
| 革屋町 | 三井銀行
帝国銀行 |
| 研屋町 | |
| 新川場町 | 戎禪寺
妙慶院 正清院 等覚院 延命院 本照寺 海雲寺 源勝院 聖光寺 金龍寺 禪林寺
|
| 紙屋町 | 芸備銀行
住友銀行 |
| 大手町一丁目 | 西警察署
千代田生命ビル |
| 大手町二丁目 | |
| 大手町三丁目 | |
| 大手町四丁目 | |
| 大手町五丁目 | |
| 大手町六丁目 | |
| 大手町七丁目 | 大手町国民学校 |
| 大手町 | 三和銀行 |
| 袋町 | 袋町国民学校
日本銀行 頼山陽記念館 富国生命ビル |
| 鉄砲町 | |
| 中町 | 広島県立第一高等女学校
(19781333、19950733、20011228) |
| 中電話局 |
出典・参考サイト:http://hiroshima-letters.net/archive/shiryo.htm
書誌1974
| 書名 | 著者 | 発行所 | 発行年月日 |
| 災害の行動科学 : そのとき人はどう行動するか組織はどう対応すべきか | アレン・H.バートン | 学陽書房 | 197411 |
| Communities in disaster : a sociological analysis of collective stress situations | |||
雑誌論文
| 著者 | タイトル | 掲載誌(編集、発行所) | 発行年月日 |
2020年12月(日録)
| 日 | できごと |
| 02 | 桜が丘の倉庫で米国戦略爆撃調査団関係資料を閲覧。 |
| 02 | ヒロシマ遺文への投稿=「書誌1974」、「書誌1971」、「主要建物・事業所(国泰寺地域)」、「主要建物・事業所(中島地域)」、「主要建物・事業所(本川地域)」、「主要建物・事業所(基町地域)」、「主要建物・事業所(白島・二葉の里地域)」、「広島県内市町村(地図)」 |
| 03 | 泉美術館「没後5年 明田弘司写真展 昭和を歩く」。10月23日~12月13日。観覧。 |
| 03 | ヒロシマ遺文のTOP頁の大幅変更の試み。 |
| 04 | 桜が丘の倉庫から米軍調査団関係資料を自宅に移動。 |
| 04 | ヒロシマ遺文への投稿=「原爆被害調査概要(直後)」、「マンハッタン:陸軍と原爆」、「米国戦略爆撃調査団」 |
| 05 | ヒロシマ遺文への投稿=「合衆国戦略爆撃調査団報告書(森祐二訳)一覧」、「放射線影響研究の10年(文部省科研研究班)」、 |
| 06 | ヒロシマ遺文への投稿=「占領下被爆者医療活動(都築正男資料から)」、「京都大学原爆災害調査班遭難記念碑」 |
| 07 | 広島県の市郡町村別被爆関連データを検討。 |
| 07 | ヒロシマ遺文への投稿=「核に灼かれて 安芸地区被爆の記録」、「許すまじ被爆体験記(広島市原被協井口支部)」 |
| 08 | 呉市立図書館。1965年の中国新聞の閲覧をしようとしたが、利用不可とのこと。 |
| 08 | 真珠湾攻撃(12月8日未明、ハワイ時間12月7日)79周年。 |
| 08 | ヒロシマ遺文への投稿=「ふるさとふくしまひろしま-金崎是画集」 |
| 09 | ヒロシマ遺文カテゴリー「広島原爆被災白書(地域) 」関連資料の整理。 |
| 10 | 桜が丘へ。倉庫の原爆モニュメント・原爆遺跡関係資料を自宅に持ち帰る。 |
| 10 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島中央保健生活協同組合」、「壁―未解放部落原爆被害者の手記」、「原爆と未解放部落-いのちあるかぎり」。 |
| 11 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島部落問題研究会」 |
| 19 | ヒロシマ遺文への投稿=「平和を―被爆から75年を行きぬいて」 |
| 21 | 年賀状投函。 |
| 24 | ヒロシマ遺文への投稿=「書誌2020」 |
| 26 | 10:00自宅発-豊栄経由-11:50向原・丸山公園-向原町被爆者慰霊碑―13時中岡宅-16時帰宅 |
| 27 | BS1スペシャル『アウシュビッツ 死者たちの告白』(再放送2020年8月16日に放送)22:00~13:50(110分)視聴。 |
| 28 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島県内市郡別人口推移(1944・45・46)」、「向原町原爆被爆者慰霊碑」、「広島市勢要覧 昭和21年版 復興第1年号」、 |
| 29 | ヒロシマ遺文への投稿=「関連市町村の状況(広島原爆戦災誌)」、「新編広島県警察史」 |
| 30 | 過去の写真データの確認と整理。自宅2階書庫の整理と掃除。 |
| 31 | 被団協新聞(1500円)・原水協新聞など(3840円)代金を郵便振込。 |
| 31 | ヒロシマ遺文のTOP頁の更新 |
広島地図(あき書房復刻版)
| 資料名 | 発行者 | 発行年 | 備考 |
| 復興前後の廣島案内図 | 2008/01/25 | ||
| 廣島市綜合圖鑑[広島市綜合図鑑] 復刻 昭和24年復興中の廣島 あき書房 | 2009/06/10 | ||
| <以下未入力> | |||
廣島地図(あき書房復刻)
| 資料名 | 発行者 | 発行年 | 備考 |
| 廣島市地名索引 | 廣島灣要塞司令部編著 | 19820920 | |
| 廣島市案内記 復刻 昭和四年当時の地図と営業別住所入明細図 | 2006/11/10 | ||
| 復興前後の廣島案内図 | 2008/01/25 | ||
| 大日本職業別住所入明細圖 地図で見る 造船の街 豊田郡木ノ江町・安芸の小京都 賀茂郡竹原町 大正15年発行の復刻 | 2008/11/25 | ||
| 廣島商業地図 軍都と廣島 附厳島全図[広島商業地図]復刻 明治34年4月新版 | 2009/08/25 | ||
| <以下未入力> | |||
「黒い雨―降雨地域住民に被爆者手帳を 第1部」(『赤旗(連載)』1980年、40回)、「同 第2部」(1981年4月14日~7月28日
<『黒い雨』(広島県「黒い雨」・自宅看護」原爆被害者の会連絡協議会、19820111)に収録される>
内容
| 1部 | 1980年 |
| 回 | 見出し |
| 1 | 8月6日その日 太い棒のように なぜ、このような雨が |
| 2 | 気象かえた原爆 火災で巨大な雨雲 爆撃で複雑な作用発生 |
| 3 | 証言 |
| 4 | ひょうのように |
| 5 | 放射能 |
| 6 | 雨戸についた泥 |
| 7 | ヒロシマ西方では |
| 8 | 原因不明の鼻血 |
| 9 | 死んだ子ども |
| 10 | 被災調査 |
| 11 | 江波山の気象台 |
| 12 | 被爆と気象台 |
| 13 | 白色の朝顔 |
| 14 | 煙と雲と |
| 15 | 枕崎台風 |
| 16 | 台風と原爆 |
| 17 | 二男の脱毛 |
| 18 | 気象人気質 |
| 19 | 26インチ |
| 20 | 爆心の決定 |
| 21 | 郊外でも |
| 22 | 提案 |
| 23 | 聞き書き |
| 24 | 報告書の作成 |
| 25 | 一枚の図 |
| 26 | 特別被爆者 |
| 27 | 特別被爆地域 |
| 28 | 住民の運動 |
| 29 | 片手落ち |
| 30 | 急性症状 |
| 31 | 健康調査 |
| 32 | みなしひばくしゃ |
| 33 | 反響 |
| 34 | 指定の矛盾 |
| 35 | 踊る見出し |
| 36 | 政府交渉団 |
| 37 | 妻の死 |
| 38 | 土壌調査 |
| 39 | 現地調査 係官を派遣せよ 当時の状況聞いて |
| 40 | 燎原の火 本格的救済運動へ 署名も急速に広がる |
| 2部 | 19810414~19810728 |
| 1 | 報告集会 線引きの矛盾つく 初めての住民組織発足 |
| 2 | 山やまを越えて 村上さんええ話でした 大歓迎、和気あいあいの懇談 |
| 3 | 行政の光 手帳交付の相談も 集会後に質問や意見続出 |
| 4 | 健康調査 |
| 5 | 陳情 |
| 6 | 請願 |
| 7 | 広がる請願 |
| 8 | 大きな流れ |
| 9 | 出発点 |
| 10 | 残留放射能 |
| 11 | 相生橋 熱戦うけてから36年も 残留放射能を調査 |
| 12 | 核分裂生成物 |
| 13 | 突然の死 |
| 14 | 第五福竜丸 |
| 15 | ブラボー爆弾 |
| 16 | 死の灰 |
| 17 | 広島の死の灰 |
| 18 | 政府の調査 |
| 19 | 対照地区 |
| 20 | 参院社労委 緊張”走る”渡辺質問 残留放射能の対応策は |
| 21 | 参院社労委 強い放射能を含む 少雨地域も特別指定を |
| 22 | 夏の大要のように ”被爆地”と認めよ 1市4町1村で署名2万 |
| 23 | 画期的な夏 初の原水協調査団 住民からの訴え次つぎ |
| 24 | 証言の重み 北側にも大雨が・・・ 不合理な”線引き”ただす |
| 25 | すすむ運動 被爆地指定の声新た ”核兵器ノー”の声とともに |
| 連絡協議会役員一覧 | |
島外科(原爆爆心地)
現在:消滅・新築
爆心地からの距離:0メートル
所在地:中区大手町1丁目5-25(細工町)
構造/階数:レンガ造/2階建
米軍撮影写真
島病院の表玄関 崩壊した島病院
参考資料
1.原爆投下目標
2.原爆爆心地(広島)
『大田洋子文学碑建立記念誌 1978・9』(岩崎清一郎編、[大田洋子文学碑]建立委員会事務局、19780925)
| 頁 | ||
| 口絵<いしぶみと大田洋子関係> | ||
| 01 | お礼 | 建立代表 斎木寿夫・栗原貞子 |
| 02 | 追憶・大田洋子 ―文学碑建立に際して | 佐多稲子 |
| 08 | 大田洋子文学碑について | 大原富枝 |
| 11 | 記録・資料 | |
| 11 | 碑文の由来 | |
| 12 | 爆風の中の碑 | 四国五郎 |
| 14 | 大田洋子略年譜 | |
| 18 | 記録・資料 | |
| 18 | 大田洋子文学碑建立についてのお願い | 安芸文学内 建立委員会事務局 |
| 20 | 協賛者 | |
| 23 | マスコミ関係のご協力 | |
| 25 | 経過報告 | 事務局・岩崎清一郎 |
| 29 | 除幕式に寄せられた祝電 | |
| 30 | 通信のなかから | |
| 34 | 募金協賛・御芳名録 | |
| 47 | 会計報告 | |
| 48 | 楽譜”少女たちは” | |
| 除幕式<於・中央公園/昭53・7・30> | ||
内容