年表:平和教育(1971年)

 

71 01 09 広島県被爆教師の会(石田明会長)、中学生向け英語・平和教育教材「Let’s Cry for Peace」刊行
71 07 06 広島市教委、「平和教育の手引き」試案・小学校編を作成。市内全校に送り意見を求める
71 07 06 東京都被爆教師の会結成
71 08 04 「原爆爆牲国民学校教節と子どもの碑」、広良市平和記念公園前緑地帯に完成。碑に納めた過去帳には子供七百七十四人(死亡推定二千人)、教師百三十一人(同二百人)記入
71 08 06 山田広島市長平和宣言。「すベての国家は、いっさいの軍備主権を人類連帯の世界機構に移譲し、解消すベきでおる。まず、すべての戦争の即時停止と核不使用協定の早急な実現を要請し、次の世代に戦争と平和の意義を正しく継承するための平和教育が
71 10 09 埼玉県浦和市立高校、文化祭を開催。-11日。映画「ヒロシマ・ナガサキ-1945年8月」の上映や被爆資料の展示をおこなう。
71 10 17 原爆被爆教師の会全国連絡会結成。石田明会長。平和教育の全国的展開などをきめる.
71 11 02 修学旅行で広島を訪れた埼玉県浦和市立高校の生徒30人、市内の宿舎で広島商業高校・広島女学院高校・廿日市高校3校の生徒13人と交流。
71 12 07 原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会が追悼集「流灯」刊行

 

年表:平和教育(1961~1970)

年表:平和教育(1961~1970)

事項
1967 06 20 広島女学院大学で学生対象に原爆特別講座始まる。テーマ「八月六日の意味するもの」。同大宗教委主催
1968 07 01 広島市教委、原爆・平和問題に関する特別授業実施を決める。8・6を中心に一時間程度
1969 03 26 広島県被爆教師の会結成。県内小、中、高校教員、退職教員などが参加。平和教育の推進が目的
69 04 20 東京都青梅市の都立農林高校定時制4年生50人、修学旅行で広島を訪問。同校は3年前から修学旅行で広島に来ているが、今回初めて被爆者を囲み懇談。
69 06 19 鳥取市での日教組三十六回定期大会、原爆教育推進を運動方針に掲げる
69 07 05 広島県教組の原爆・平和教育教材「ひろしま」出版
69 07 16 広島県教委、原爆・平和教育指導指針をまとめ各学校に通知。「原爆の日の意義を理解させるとともに、いっそう平和を願う心情や態度を育てる」
69 07 19 広島市立荒神小学校で原爆・平和教育。被爆教師の体験と同校制作のスライドで
69 07 28 広島県教組、同県被爆教師の会編集の被爆教師の体験記「未来を語りつづけて」出版
69 08 02 広島市、第2回平和を語る市民集会を開催。テーマ「被爆体験の継承と平和教育」。
69 10 18 吉川清、原爆慰霊碑前で東京電気大学高校工業科2年生340人に原爆の惨状などを話す。
1970 10 18 東京電気大学高校工業科2年生344人、修学旅行で広島市を訪問。今回が10回目。高橋昭博広島県被団協理事の話を聞く。

 

年表:平和教育(~1960)

年表:平和教育(~1960)

事項
1950 10 26 三原市西小学校、修学旅行で広島を訪問。原爆孤児にと630円を中国新聞社に寄託。
1951 04 05 順宮・清宮、修学旅行の途次、広島入り。供養塔、原爆記念館、御便殿、ABCCなどを視察。[天皇]
51 06 29? 広島市教育委員会、市内小中学校在学中の孤児71人の境遇調査結果まとめる。原爆で父を失った者は、小学校25.8%・中学校32.9%、母を失った者小学校30.6%・中学校34.9%。
51 08 17? 広島市教育委員会、5月に調査した市内小中学生の身体検査の結果を公表。被爆児童と非被爆児童の間に身長・体重・胸囲とも差がないことが判明。
51 11 02 長崎市立城山小学校子供会、第2回平和記念式を「あの子らの碑」前で開催。
51 11 22 広島市教育委員会、原爆犠牲学徒・教職員数を調査、犠牲者9505人と発表。
1952 02 25 長崎市立山里小学校、自主教育研究会に合わせて「永井博士と浦上の子ら」遺品展を開催。
52 03 04 長崎市立城山小学校、教育心理学専門家を招き、原爆学級編成について協議。
52 03 08 長崎市立城山小学校、同校入学予定児童の身体検査を実施。うち、原爆被災児童36名に対しては別個に知能検査を実施。
52 04 04 長崎市立城山小学校入学式。新入学児童259人(うち被爆児童40人)を対象に原爆学級2クラスを編成。
52 04 07 広島の原爆当日に生まれた3人、小学校に入学。
52 08 08 広島市の児童・生徒代表2人、長崎市平和祈年祭に出席のため長崎入り。
52 08 10 長崎市城山小学校で広島の生徒を迎えて被爆児童座談会を開催。
52 11 01 長崎市山里小学校、5年生以上の児童約600名で「あの子らの碑」第3回設立記念式を開催。
1953 02 26 長崎城山小学校、原爆学級開設(1952年4月)から1年間の研究発表会を開催。関係者約50名が参加。被爆児(183人)は知能が劣る、疲労回復が遅い、普通児より胸囲が小さい、などの結果が報告される(長崎日々)
53 02 27 長崎市城山小学校教諭道口マチ子、冊子「原爆児の記録」をまとめる(長崎日々)。
53 03 05? 長崎大学医学部小児科教室、城山小学校の原爆児の知能調査に関連し、4月から医学的調査を2年計画で実施することを決定。(長崎日々)
53 08 05 広島市己斐小学校、「平和のつどい」を開催。4年生以上600名の児童が平和への誓いを新たにするとともに、校内72名の原爆孤児たちを慰める。
53 10 19 大阪府教育委員会、映画「ひろしま」を教育映画として推薦しないことを決める。
1954 11 02 長崎市山里小学校、「あの子らの碑」設立5周年記念式を開催。約1000人が参列。(長崎日々)
1955 03 22 広島大学附属東千田中学校、1954年4月から実施したユネスコ実験教育「原爆と平和」の結果をまとめる。
55 06 16 広島市PTA連合会、本年度事業計画として原爆被害児童の健康管理実施など決定。
55 08 06 長崎市教組・県高教組、平和教育研究集会を国際文化会館で開催(~9日)。九州各県から約700人が参加。清水幾太郎が講演。(長崎日々)
55 11 02 長崎市立山里小学校、あの子らの碑設立6周年平和祈念式を挙行。同校生徒約2000名が参列。平和の誓いを宣言。(長崎日々)
1956 01 21 広島市・幟町中学校2年佐々木雅弘(禎子兄)、同1年万代紀子(禎子友人)、原爆症で死亡した佐々木禎子をテーマに県下中学校弁論大会に出場、それぞれ2位・1位に入選。(毎日新聞)
56 04 18 修学旅行中の名古屋市の淑徳高校生徒10人、広島赤十字病院の原爆症患者を見舞う。(朝日新聞)
56 05 30 平和を築く児童生徒の会、広島市での全国連合小学校長会で、原爆の子の像建設趣意書を配布し、協力を要請。(読売新聞)
56 05 30 第8回全国連合小学校長会、広島市で開催(-31日)。
56 07 13 長崎市内小中学校長理事会、勝山小学校で開催。全校生徒に原水爆禁止世界大会のため白バラ募金に協力させることを申し合わせる。(長崎日々)
56 07 14 「平和をきずく児童生徒の会」、総会開催(約100人参加)。原爆の子の像建設募金は150万円を達成。原爆障害者慰問などについて打ち合せ。(毎日新聞)
56 08 06 名古屋市淑徳高校生徒、原爆症患者にと慰問品を寄贈。今年で3年目。(朝日新聞)
56 11 07 広島女子商学園生徒、広島原爆病院を慰問。(読売新聞)
1957 04 23 愛知淑徳高校の生徒代表4人,修学旅行の途中に広島原爆病院を慰問.
57 07 05? 長崎市城山小学校の原爆学級をテ-マとした教育映画「長崎の子」(共同映画社)、完成。
57 08 09 長崎市城山小学校、平和祈念式を挙行。
57 11 05 広島市内の私立崇徳高校の教員・生徒308名、九州一周旅行の帰途、長崎の原爆公園で犠牲者に献花し、誓いの言葉をささげる。
1958 02 15 核兵器禁止高校生連絡協議会、核兵器禁止高校生集会を東京神田・教育会館で開催。都内・神奈川・埼玉から約300人が参加。
58 03 02 巣立ちゆく原爆学級の子ら すくすく成長 普通の子より成績よい
58 03 20 長崎県内の小学校で卒業式。長崎市城山小学校でも原爆の子ら36人が卒業。
58 03 30 兵庫県伊丹高校の修学旅行生、生徒から集めた被爆者への見舞金5,000円を長崎日日新聞社に届ける。
58 06 17 名古屋市の椙山高校3年生230人の女子学生、修学旅行で長崎入りし、原爆病院の入院患者を慰問。
58 10 22 高知大学教育学部附属中学校3年生の修学旅行生一行110人、長崎入り。平和公園の祈念像前で黙祷・「原爆許すまじ」合唱の後、被爆者の体験談を聞く。代表10人が原爆病院に折鶴を届ける。
58 11 03 京浜女子短期大学附属高校の生徒3人、修学旅行の途中、長崎日日新聞社に原爆病院入院患者あての千羽鶴を寄託。
1959 06 13 東京の私立大妻女子高校の修学旅行生約500人、広島市平和記念公園の「原爆の子の像」に千羽鶴を捧げる。
59 06 20 長崎県小長井中学1年2組の代表5人、原爆病院への千羽鶴5箱を西日本新聞諌早支局に寄託(「西日本」)
59 07 07 広島県教組、広島市内で委員会を開催。-8日。8月6日に夏休暇中の児童・生徒を招集し、学校毎に「平和の祈り」を捧げることなどを協議。
59 07 25 長野大学附属小学校生徒ら5人、千羽鶴を広島市に送る。映画「千羽鶴」を見たのが契機。
59 08 09 長崎市城山小学校、校庭で慰霊祭を挙行。在校生1470人が参列。(「西日本」)
59 08 09 長崎市純心女子学園演劇部30人、原爆リズム劇「白い雲のかげに」を同校講堂で上演(「西日本」)
1960 04 30 宮崎西中学校修学旅行団(340人)、千羽鶴を長崎原爆病院の患者に届ける。
60 08 06 広島県三次市三次小学校の生徒約30人、広島市平和公園の「原爆の子の像」建立の契機になった佐々木禎子の墓(三次町の専法寺)に千羽鶴を捧げる。
67 06 20 広島女学院大学で学生対象に原爆特別講座始まる。テーマ「八月六日の意味するもの」。同大宗教委主催

 

昭和史を学ぶ高校生たち

『昭和史を学ぶ高校生たち』(亀井博編著、平和文化 、19900720)

目次

はじめに
刊行によせて
ヒロシマの心いつまでも-継続は力なり 高橋昭博
広島平和文化センター事業部長
いまヒロシマは-「ヒロシマ研究旅行」によせて 植野浩
ヒロシマ学習証言センター世話人代表
1990年のヒロシマ 澤野重男
安田女子高校教諭
1 ヒロシマ研究旅行
広島の感想/広島に行って感じたこと/広島研究旅行報告/「ヒロシマ」研究旅行を終えて/広島で考えたこと/広島研究旅行を終えて/広島との出会い/ヒロシマは生きている/広島研究旅行と私/広島を訪れて/広島旅行の後/「広島原爆の旅」を終えて/広島から帰って/研究旅行で学んだこと/広島旅行を終えて/「ヒロシマ」を感じて/平和を祈る/広島へ行って
2 父母の戦争体験を聞く
戦争体験を間く/「戦時中の体験」を聞いて/父母の戦時中記/戦争体験を聞く/母の戦争体験を間く
3 戦争加害を考える
横浜事件について/日本の戦争加害者としての側面を考える/戦争と女性/「三光」/「特別高等警察」について/朝鮮人強制連行/天皇制/「悪魔」の残した教訓/第七三一部隊について/国防婦人会にみる女性の戦争協力/「南京大虐殺」にみる日本/「大東亜共栄圏」という言葉による加害について/平頂山事件を知って/「沖縄戦」は人間性を奪った/戦争と女性
4 祖父母・父母、そして私の昭和史
わが家の昭和史/私の昭和史/私の父の昭和史/私の祖父母たちの昭和史/私の父母の昭和史/私の祖母の昭和史/私の昭和史/父の昭和史/私の祖母の昭和史/わが家の昭和史/私の昭和史/私の父の昭和史/祖母の昭和史/私の昭和史
5 社会科特別講座「昭和の歴史」にとりくんで 亀井博
5-1 学校の紹
5-2 なぜ「昭和の歴史」という講座を設けたのか
5-3 「昭和の歴史」講座の内容
5-4 生徒の昭和史についての知識
5-5 なぜ、ヒロシマを選んだのか
5-6 「ヒロシマ研究旅行」の事前学習としての「原爆学習」
5-7 ヒロシマでの学習と活動
5-8 日本(軍)の戦争加害の問題を考える
あとがき
亀井博
法政大学女子高等学校教諭

こだまするうた 第2集

『こだまするうた 第2集 ヒロシマを語りつぐ高校生』(安田女子高校・社会科学研究部編・刊、19810212 )

目次

はじめに 沢野重男(安田社研部顧問)
【詩】41年1月5日(名越操)
【連帯のことば 】「木の葉のように焼かれて」編集委員(名越操・久保美津子)
<グラビア>白島・いま・むかし
第1部 安田学園の被爆体験
*先生の手記
*先生の談話
*さんの手記
*先生の見た「八月六日」
第2部 「屍の街」の被爆体験
わしが「原爆の絵」を描いたわけ (*=東白島町内会長)
親父もおふくろも原爆で死んだ (*=西白島町内会長)
忘れるもんじゃね、苦しみを( **=白島九軒町内会長 )
長寿園は兵隊さんの死体の山 ( **=白島北町内会長 )
広島中が燃えてみんさい (*)
原爆で命ひろうてもその後が苦しかった (*)
戦争は絶対にしてはいけません (*)
くげんを受けるとはああいうもの (*)
第3部 こだまするうた―生徒の声
「平和の尊さ」 (*)
文樹ちゃんは私たちです (*)
思い出(*)
原爆ドーム (*)
私の三年間(*)
在校生の感想文
第4部 資料
安田女子高等学校社会科学研究部の歩み
安田女子高等学校社会科学研究部こだま会発足について
安田女子高等学校社会科学研究部こだま会会則(案)
安田女子高等学校社会科学研究部卒業生(こだま会)・在校生名簿
新聞に報道された社研活動の中から
あとがき
「こだまするうた」第1集目次
<まえがき> 「こだまするうた」ができるまで
<聞きとり調査について>
<聞きがき> 白島の被爆者に聞く
 1 Aさん 若い世代へ
2 Iさん まるで木の葉のように
3 K・Iさん 夫はいまも見つからない
4 T・Iさん 長寿園の黒い雨
5 Oさん これ以上私たちのような被爆者をつくらないで
6 Kさん 平和な生活がいちばん
7 S・Tさん 夫をさがしもとめた日々
8 Tさん 灰色の世界
9 Fさん 一日も早く援護法を
10 Hさん 今も原爆症の不安
11 Yさん 碑文の心のように
12 A・Yさん 家内は布団ごと飛ばされた
<こだま―1976年のクラブ活動と社研部員の声>
<あとがきにかえて> 社研顧問のまとめ

空白の学籍簿

『空白の学籍簿 1979』(翠町中生徒会報告書編集委員会編、広島市立翠町中学校生徒会、19800110)

目次

章節
はじめに
「生徒会執行委員長」
「学校長」
1 学校の歴史から学ぶ
1-1 軍都広島の歩みとともに
1-2 祖先の人たちの生活
1-3 第三高等小学校の誕生
1-4 8月6日前後のようす
1-5 満蒙開拓青少年義勇軍
2 慰霊塔と構内慰霊祭
2-1 第三国民学校慰霊塔
2-2 構内慰霊祭
3 第三国民学校の被爆実態を明らかにする運動
3-1 運動の起り
3-2 昭和53年度の運動経過
3-3 昭和54年度の運動経過
4 被爆の実態
4-1 被爆当日の状況
4-2 生存者の証言
4-3 生存同期生の座談会
4-4 遺族の証言
4-5 市立第二高等女学校について
4-6 韓国人生徒の犠牲について
5 生徒の感想
5-1 昭和52年度生徒会長
5-2 本年度生の感想
第三国民学校被爆死生徒名簿
第三国民学校被爆死職員名簿
広島市立第二高等女学校被爆死生徒名簿
広島市立第二高等女学校被爆死職員名簿
おわりに 竹内***(第三国民学校の被爆実態を明らかにする運動推進委員会委員長)
報告書編集委員 生徒(4名氏名)
職員:坪井直・空辰男・切明春子・砂小田秀春・松島圭次郎・松井久治

 

 

 

21世紀への平和と創造

『21世紀への平和と創造 摩擦を乗り越えて、若者へのメッセージ』(嶋矢志郎編著、溪水社、19980707)

目次

発刊に寄せて 田中隆荘(広島市立大学学長)
21世紀の平和と創造的多様性-摩擦を乗り越えて、若者へのメッセージ
Ⅰ-1 基調講演:新しい「始まり」へ向けて―21世紀への助走
シモン・ペレス(イスラエル前首相)
(1)日本の成功は未来への道標 (2)イスラエルと日本とロシアと (3)中東の和平構築への道 (4)新しい「始まり」へ教育投資を
Ⅰ-2 パネル・ディスカッション:創造的多様性を求めてー摩擦の克服へ
(コーディネーター) 嶋矢志郎嶋矢志郎(広島市立大学国際学部教授)
(1)苦しみを知る国に希望 大江健三郎(作家)
(2)憎悪を克服して核廃絶を 平岡敬(広島市長)
(3)核疑惑に抑止力効果を期待
(4)狂気を許さぬ正気の核管理を
(5)力点を戦争から経済・教育へ
Ⅰ-3 質疑応答
日本は中東和平へ経済と教育で貢献
(1)心の中にマンデラが生きている
(2)政治と宗教は区別すべきもの
(3)戦争を望む者は一人もいない
(4)人の心の中に平和の砦を
 21 世紀の平和秩序を求めて一国連と日本の役割-
  Ⅱ-1  講演
 前国連事務次長.広島市立大学広島平和研究所所長明石康
 (1)過去への正しい評価と反省
 (2)混沌の渦中で未来に期待
  (3〕日本の国連.平和主義の壁
 (4)増大するNGO
の活躍の場
(5)国連の強化で国際社会を進化
 (6)総合安全保障へ多彩な創意
 (7)文化相対主義の国際観を
 Ⅱ-2  質疑応答
国際社会が日本に期待する平和貢献の役割
(1)人権と人道、並行的に第三の道で
(2)民主化支援は自力更生の手助け
(3)世界連邦への土台づくりが先決
(4)アジアの信頼醸成は二一世紀の課題
(5)日本人の国際公務員採用枠は広き門
「平和」概念の位相とパラダイム転換
嶋矢志郎(広島市立大学教授)
Ⅲ-1 「平和」概念の位相と変容
(1)失って初めて知る平和価値
(2)絶対平和と相対平和のはざま
(3)改革と統一による平和の功罪
(4)軍縮による平和の限界
(5)道義による平和への期待
(6)東西で異なる語源の本義
(7)「神前法後」と「法前仏後」の違い
Ⅲ-2 「平和」思想のパラダイム転換へ向けて
(1〕生き残りへ基軸文明の転換を
(2)人類を惑わした西欧型の平和観1
(3)無差別大量殺戮への麻痺
(4)進化しない世界恒久平和への歩み
(5)世界に広がるバルカン化の風
(6)危機脱出へ地球的な統合と再生
付録
Ⅳ-1 ペレス氏のスピーチ(英文)
Ⅳ-2 用語解説
あとがき

 

 

 

ドキュメンタリー原爆遺跡

『ドキュメンタリー原爆遺跡 -ヒロシマの子の爆心地レポート』(広島高校生平和ゼミナール・広島県歴史教育者協議会・広島市教職員組合編、平和文化、19880701)

目次

刊行によせて
森田俊男(日本平和教育研究協議会代表委員)
序文
横山英(広島大学名誉教授・広島高校生平和ゼミナール校長)
原爆遺跡マップ
電車運転系統図
[楽譜]核の時代ヒロシマの子は
グラフ原爆遺跡
1章 被爆樹の記録
樹木の被害状況(大亀信行)
01 基町の被爆エノキ(沢野重男)
02 広島城のユーカリ(衛藤裕華)
03 平和公園のアオギリ(岡田邦子)
04 鶴見橋の被爆ヤナギ(坂本そのみ)
05 縮景園のイチョウとケヤキ(田丸綾子)
06 天満小学校のプラタナス(二宮孝司)
2章 爆心建造物の記録
建物の被害の概況(村井誠吾)
01 広島大学理学部一号館(村井誠吾)
02 広島赤十字病院(村本秀樹)
03 日本銀行広島支店(河本俊雄)
04 旧制広島第一中学校(福永誓)
05 中国電力(杉本麗次)
06 原爆ドーム(三宅昌子)
07 頼山陽文徳殿九輪の塔(水津素行)
08 広島銀行銀山町支店(小川周作)
09 旧広島管区気象台(木本安彦)
10 旧広島中央放送局(村井誠吾)
11 本川小学校(小西、松井)
12 広島市役所(加藤知之)
13 広島貯金支局(新谷博美)
14  逓信局と逓信病院(岡田邦子)
3章 川と橋の記録
橋は見ていた(高橋信雄)
01 猿猴橋(門田令子)
02 元安橋(村上敬之助)
03 旧観音橋(辻隆広)
04 御幸橋(高橋信雄)
05 京橋(高橋信雄)
06 万代橋(高橋信雄)
07 荒神橋(大西五巳)
4章 寺と社の記録
神社・寺院・墓石などの原爆被害に因んで(沢野重男)
01 白神社(大盛真子)
02 慈仙寺(正路順子)
03 禿翁寺の六地蔵(井口博美)
04 興禅寺(前田賢二、古川暢之、皆川直史)
05 広瀬神社(田丸綾子)
06 光隆寺(新谷博美)
07 西向寺(為平新吾)
08 三滝寺と原爆無縁墓(河岡陽子)
09 本願寺派広島別院(吉川徹忍)
10 被爆親鸞聖人像の台座(沢野重男)
11 清住寺(渡辺雅恵)
平和について考え、行動する高校生とともに
光寺重信(光隆寺住職)
友情と団結のある未来を
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の言葉より
解説(1):相原和光(元広島YMCA総主事)
解説(2):野口由松(元広島教区長、司教ドミニコ)
5章 旧軍全滅の記録
広島市内の旧軍関係施設について(高橋信雄)
01 大本営と広島城周辺の旧軍施設()
02 広島陸軍兵器支廠
03 陸軍被服支廠
04 宇品陸軍糧秣支廠
05 広島第二陸軍病院
06 比治山陸軍墓地
07 宇品線
08 似島
09 金輪島
調査を終えて 高校生の感想
あとがき(高橋信雄・沢野重男)

原爆モニュメント物語

『原爆モニュメント物語』(広島県歴史教育者協議会編、平和文化、19840727)

目次

003 序文(高橋磌一)
007 まえがき
012 平和記念公園地図
013 『嵐の中の母子像』 あの日、広島の母たちは
027 『中島本町平和の観音像』 失われた町
047 『広島平和都市記念碑』 軍事都市広島
063 『広島市立第一高等女学校慰霊碑』 駆り出された女学生たち
079 『原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑』 焼かれた夏休み
093 『安佐郡川内村温井義勇隊慰霊碑』 後家村
107 『韓国人原爆犠牲者慰霊碑』 二重の犠牲者
121 『原爆供養塔』 肉親を呼ぶ遺骨
135 『峠三吉詩碑』 その日はいつか
151 『原爆ドーム』  ヒロシマのシンボル
167 『原爆の子の像』 ヒロシマの子
181 『似島』 平和を学ぶ子どもたち
195 『原爆犠牲ヒロシマの碑』 頭と心とからだで学ぶ
216 出典・参考文献
219 あとがき
1984年5月3日 平和憲法の誕生を記念する日に
223 執筆者紹介
大西五己、忍岡妙子、川島孝郎、沢野重男、滝本尚、中野斉子、中村一秀、松木鶴美、宮本聖子、村上敬之介、村上真理、門田令子

 

 

ヒロシマの旅-碑めぐりガイドブック

『ヒロシマの旅-碑めぐりガイドブック 』(編集:広島平和教育研究所・広島県原爆被爆教職員の会・広島県高校原爆被爆教職員の会、監修:広島県歴史教育者協議会・「ヒロシマの碑」建設委員会・広島県高校生平和ゼミナ-ル、発行所:平和文化、発売元:汐文社、19830623)

内容

はじめに ヒロシマを学ぶことの意味 松元寛
02 ヒロシマの旅 ―原爆モニュメントめぐりモデルコース・解説
04 原爆ドーム
06 原民喜詩碑
07 爆心地
08 原爆犠牲ヒロシマの碑
10 広島平和都市記念碑
12 原爆の子の像
14 原爆供養塔
15 嵐の中の母子像
16 原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑
18 峠三吉詩碑
20 全損保労働組合被爆20周年記念碑
21 韓国人原爆犠牲者慰霊碑
22 モニュメント案内(2)
24 原爆遺跡案内一覧
28 広島市内慰霊碑所在地図
30 歌集 原爆を許すまじ
31 歌集 青い空は
32 おわりに
32 原爆学習文献一覧
<裏表紙>平和公園マップ

 

軍縮教育資料集

『平和・軍縮教育資料集 ユネスコ主催・軍縮教育世界会議をめぐって  増補改訂版』(19810720)

注:『軍縮教育資料集』(軍縮教育研究会編、 日本原水協国際部訳 、軍縮教育研究会刊、19800701)の増補改訂版

 

目次

はしがき
『平和・軍縮教育資料集』の発行にあたって
1 ユネスコ主催・軍縮教育世界会議
軍縮教育世界会議の報告と最終文書
付属文書1
2 軍縮教育世界会議の関係文書
独自の学習分野としての軍縮教育の展開―分析序説-アレッサンドロ・コラディーニ
IPRA(国際平和学会)平和教育分科会ー軍縮教育の現状と勧告
軍縮の追求におけるマスメディアの役割―ショーン・マックブライドー
軍縮・平和教育にかんするNGO(ユネスコ)集団協議の結論と勧告
NGO軍縮特別委員会・軍縮教育作業グループ責任者フランク・ヒィールドの報告
軍縮教育世界会議準備のための専門家会議・最終報告
3 参考資料
国際理解、国際協力、国際平和のための教育、並びに人権、基本的自由についての教育に関する勧告(1974年・第18回ユネスコ総会)
平和と国際理解の強化、人権の促進並びに人種差別主義、アパルトヘイトおよび戦争の扇動への対抗に関するマスメディアの貢献についての基本的原則に関する宣言
国連軍縮特別総会・最終文書の序文、宣言および行動計画の第99~107項(1978年5~6月)
平和に生きる社会の準備にかんする宣言(1978年・第33回国連総会)。
1980年代を軍縮の10年とする宣言(一九80年・第35回国連総会 )
4 マス・メディアの分野における日本代表の報告
核軍縮教育とヒロシマ・ナガサキ、そしてマス・メディア―民放労連・松尾武久氏の報告
出版労連・教科書対策委員会議長・村本実氏の報告と提案(要旨)
5 ユネスコ主催・軍縮教育世界会議への日本NGO代表リスト

原爆の子 見よ!戦争の惨苦を!

『原爆の子 見よ!戦争の惨苦を!-広島の少年少女・魂の叫び』(日本労働組合総評議会情報出版部、19520803)

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序文
長田新(日本教育学会会長・日本子供を守る会会長・文学博士)
私は「原爆の子」を24万7千の犠牲者の供養として出版させていただいたのです。
あとがき
肥川治一郎
「総評に結集されている320万労働者大衆」、「105篇」の中から「32篇を選んで教文シリーズ第1集とし」
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第25回原水爆禁止似島少年少女のつどい

第25回原水爆禁止似島少年少女のつどい
1998年8月5日

予約が必要だったが、当日飛び入りで参加させてもらう。全国から集まった小・中学生とその保護者300人が参加。
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9時10分、第8こふじ丸、宇品港出航
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 慰霊祭(平和養老館前)11時~
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 山中高女の生徒もこの慰霊碑に祀られている。
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 似島野戦病院衛生下士官として、この島で救護活動に従事した方が大阪からかけつけてお話して下さった。
 昼食後
似島小学校講堂
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 交流会での歌唱指導
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 戦争に果たした似島の役割と、自らの被爆体験を語る江種祐司先生

 

原水爆禁止少年少女のつどい

原水爆禁止少年少女のつどい 第1回 1974年8月6日

開催状況

年月日 備考
01 19740806
『原水爆禁止少年少女のつどい感想文-1974年広島=似島での記録』(原水爆禁止日本協議会、19750806)
02
03
04
05
06 3団体(広島市教職員組合・広島県新婦人の会・広島県子どもを守る会)で実行委員会を作り運営を開始。
07
08
09 旧暁部隊の方々から被爆者救護体験を聞く。
10
11
12
13
14
15 1988
『似島 廣島とヒロシマを考える』(原水爆禁止似島少年少女のつどい実行委員会< 事務局=広島市教職員組合内>、19880701)
16 1989
17 1990
18 1991
19 1992
20 1993
21 1994
22 1995
23 1996
24 1997
25 19980805 宇吹参加
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原爆を許すまじ 音楽平和教材伴奏集Ⅰ

『原爆を許すまじ 音楽平和教材伴奏集Ⅰ』(広島平和教育研究所編、教育芸術社、19870101)

目次

はじめに 広島平和教育研究所(編集/江種祐司・広野昭彦)
<直接的平和教材>
01 原爆を許すまじ 浅田石二作詞 木下航二作曲(林光編曲)
02 青い空は 小森香子作詞 大西進作曲
03 夾竹桃のうた 藤本洋作詞 大西進作曲
04 死んだ女の子 ナジム・ヒクメット作詞(飯塚広訳詞) 木下航二作曲(中井ひろの編曲)
05 にのしま 源田えり作詞 大西進作曲
06- 東京大空襲
06-01 炎の夜 山川啓介作詞 いずみたく作曲
06-02 母たちそして子どもたち 山川啓介作詞 いずみたく作曲
06-03
06-04 焼け跡の結婚式 門倉さとし作詞 いずみたく作曲
06-05 無人の時計屋 山川啓介作詞 いずみたく作曲
06-06 涙のあと 門倉さとし作詞 いずみたく作曲
06-07 さきちゃん 門倉さとし作詞 いずみたく作曲
06-08 おしっこの唄 門倉さとし作詞 いずみたく作曲
06-09 焼けた防空頭巾 門倉さとし作詞 いずみたく作曲
06-10 昔を語ったそのあとで 山川啓介作詞 いずみたく作曲
07 明日への伝言 山川啓介作詞 いずみたく作曲
08 とべよ鳩よ マトウソフスキー作詞(日本の歌声代表団訳詞) ドナエフスキー作曲(工藤吉郎編曲)
09 さくらよ 山本奈美作詞 山本奈美作曲
10 ひびけ ひろがれ 丸山亜季作詞 丸山亜季作曲
11 折鶴のとぶ日 小森香子作詞 浜名政昭作曲
12 川面に 藤本洋作詞 いずみたく作曲(木下そんき編曲)
13 ひろしま平和の歌 重園贇雄作詞 山本秀(みのる)作曲
<芸術的一般教材>
01 森は生きている 広渡常敏作詞 林光作曲
02 十二月の歌 S.マルシャーク作詞(湯浅芳子訳詞) 林光作曲
03 小麦色の娘 シュベドフ作詞(関鑑子訳詞) ノビコフ作曲
04 高くかかげよ 木村次郎作詞 丸山亜季作曲
05 ふるさとのうた 木村次郎作詞 丸山亜季作曲
06 伝説の広場の歌 林光作詞 林光作曲
07 自由なる大地へ 坂本秀樹作詞 位田勉作曲
08 ジョン ブラウンの歌 アメリカ民謡作詞(関鑑子訳詞) アメリカ民謡作曲
09 歓喜 訳詞者不明 シューベルト作曲
10 心さわぐ青春の歌 L.オシャーニン作詞(関忠亮訳詞) A.パフムートワ作曲
11 一つのこと 斎藤喜博作詞 丸山亜季作曲
12 前線にも春がきた ファチャーノフ作詞(東大音感合唱研究会訳詞) セドイ作曲
13 魔法の鈴 (伊藤武雄訳詞) モーツァルト作曲
14 ピオネールは木を植える ドルマトウスキー作詞(桜井武一・井上頼豊訳詞) ショスタコービチ作曲
15 グローリア 久野静夫作詞 モーツァルト作曲(市川都志春編曲)

 

 

被爆二世として生きる

『被爆二世として生きる』(広島県教職員組合・広島県教職員組合被爆二世の会編、平和教育研究所、19951015)

目次

001 発刊によせて
石田明(全国原爆被爆教職員の会)
109 被爆二世問題とは何か
横田秀明(広島県教職員組合被爆二世の会)
115 被爆二世運動年表

 

被爆建造物をたずねて

『被爆建造物をたずねて 平和学習のしおり』(広島平和教育研究所・広島県原爆被爆教職員の会編、広島平和教育研究所出版部 、19910801 )

目次

被爆建造物とヒロシマ案内
ヒロシマ原爆被爆建造物「広島からヒロシマまで」
被爆建造物をたずねて 平和学習のしおり
01 国前寺と広島駅周辺
02 福屋倉庫
03 福屋 八丁堀
04 広島アンデルセン
05 袋町小学校
06 日本銀行広島支店
07 国泰寺高校(旧制県立1中)
08 広島大学理学部1号館
09 広島電鉄本社変電所と路面電車
10 御幸通り
11 日本通運出汐倉庫
12 比治山陸軍墓地
13 広島城周辺の旧軍事施設
14 基町の被爆エノキ
15 原爆ドームと平和公園

 

 

被爆教職員ここまで生きてきて

『被爆教職員ここまで生きてきて 被爆40周年を記念して』(原爆被爆教職員の会全国連絡会編・刊、19880310)

目次

はじめに 石田明(全国被爆教職員の会 会長)
1 被爆教職員の会結成へ-自らの体験を教え子に語り伝え
1 未来を語りつづけて(広島県被爆教職員の会結成)11
2 二度と悲劇をくりかえさないために(広島高校被爆教職員の会結成)16
3 沈黙の壁をやぶって(長崎被爆教職員の会結成
2 どのような課題を背負ってきたか-平和教育を創り出す力
平和教育運動
(1)広島から平和教育の創造
1 組織的にとりあげた平和教育 27
2 広島平和教育研究所の設立 34
3 とりたてた平和教育とカリキュラム 45
4 修学旅行生への証言活動
(2)広島(高校)の平和教育運動
1 会結成以後の原爆、平和教育推進について 73
2 これからのわたしたちのつとめ-高校生の批判に応える
(3)長崎からの平和教育運動
1 初期の平和教育運動 94
2 平和教育運動の復活と抵抗と創造
(4)全国被爆教職員の会結成と行動
くらしといのちを守るために
(1)被爆教職員の健康管理と権利の確立について 109
(2)修学旅行ヒロシマ学習への対応について 112
(3)広島(高校)被爆教職員の会結成と活動 112
(4)長崎県被爆教職員の会活動
《資料》これが人間のすべてをうばった原爆の実相-原爆死没者に関する中間報告の要点
3 被爆40周年にたって
(1)ヒロシマの心と教育 広島・空辰男 155
(2)池子弾薬庫米軍住宅建設阻止闘争について 神奈川・矢納直彦 162
(3)沖縄の反戦平和のたたかい 沖縄・栄野川安邦 166
(4)あの時、私は-40年を生きてきて
(被爆40周年ヒロシマ・ナガサキ被爆教職員・ヒロシマの集いから)177
4 ここから被爆教職員は生きる
忘れられない8月9日 福岡・豊田千五穂 193
広島原爆記念日にあたって 福岡・小川武志 198
被爆の洗礼の下で 熊本・小高盛穂 210
一日もはやく被爆者援護法を 長崎・岡本博 214
被爆を体験した私が残せるもの 広島・峠岡邦英 218
原爆と私 広島・田邊智恵美 223
ちぎれかけた左腕 広島・占部成人 226
あの日から四〇年 広島・入沢庄平 228
原爆の日に想うこと 広島・林美喜雄 231
集団疎開 広島・渡部みさを 233
被爆体験を語りつぐ 広島・浅野知恵子 246
広島のまほうつかい 広島・沢井充子
■原爆被爆教職員の会全国連絡会会則

 

 

世界の平和・軍縮教育 1982年国際シンポジウム報告書

『世界の平和・軍縮教育 1982年国際シンポジウム報告書』(WCOTP・日教組報告書編集委員会編、勁草書房、19830710)

目次

刊行のことば 槙枝元文
世界の平和・軍縮教育 1982年国際シンポジウム
序章
広島アピール 19821029 軍縮教育国際シンポジウム
第1部
第1章 シンポジウムの意義と課題-全体会議挨拶・報告
沈黙を守らずに声をあげて語ろう ジェームス・キリーン
被爆国の国際的責務を自覚して 槇枝元文
国際教育分野におけるユネスコの活動 ヤハイル・カバチェンコ
第2回国連軍縮特別総会後の国連と軍縮教育 ヤン・モーテンソン
勝利は必ずや私たちのものに ヴィクター・シュー
第2章 全大陸から
戦争をさばく良心を アルフレッド・バッド
平和を望むのなら平和を準備せよ ギー・ジョルジュ
資源を飢えと無知の克服のために  シー・アビブーラエ
平和・軍縮のために勇気を サミュエル・ベロ
子どもたちに何を語るべきか  ウィラード・マックガイヤー
核時代に人類の生存をかけて 橋口和子
近・現代史教育を強化しよう ワー・スト
真実の軍縮と世界平和のために(メッセージ) 中国教育工会全国委員会
軍縮教育-ソ連の経験から- ユーリ・ニキホロフ
第3章 国際組織から
今こそ人権と平和の教育を ジャン・ドバール
今日の世界における軍縮教育 アンドレ・ドルベー
IFFTU第13回世界大会決議の意義  フレッド・ヴァン・ルーウェン
平和・軍縮のための教育者の国際的協議を ダニエル・ルトロー
第4章 二つの学会から
平和・軍縮教育-3つの視点 大田堯
国家主義をのりこえて 福島新吾
第5章 ヒロシマの心を世界に 荒木武
世界の恒久平和実現を 竹下虎之助
ヒロシマからの提言 栗野鳳
長崎の平和教育を省みて 坂口便
人類が生きのびるために  岸槌和夫
ヒロシマからの証言(メッセージ) 石田明
世界の先生たちへ(メッセージ) 広島女学院高校3年生
第6章 二つの提言-招待者発言-
勇気と忍耐を-平和・軍縮をめざして- 宇都宮徳馬
人類の平和と真の発展を求めて  永井道雄
第2部
第1章 平和・軍縮教育をめぐって〈第1分科会〉
〔基調報告〕
この分科会の課題-ユネスコ80年「軍縮教育十原則」の追求を- アンドレ・ドルベー
〔討論〕
平和・軍縮教育と教材選択の自由を ギー・ジョルジュ
“国防論信仰”の克服を-憲法教育の意義- 太田一男
軍縮をすべての子どもに テリー・ハーンドン
貧困・人種差別をなくすとりくみを デビッド・トンキン
原爆を原点に-日本の平和教育の展開と課題- 梶村晃
父母とともに原爆の学習と継承を  山川剛
教育学上の問題として-残酷さの教育、戦争史学習の意義- ロバート・バーカー
子どもたちに平和な世界を-第3世界の直面する課題- ワジュデイ
世論の喚起でカリキュラムに S・エスワラン
子どもの心に偏見ではなく連帯を-超大国の支配の中で- シュー・チャラン
〔分科会報告(草案)をうけて〕
軍縮教育の機は熟した-核凍結の市民の運動と学習を土台に-  ウィラード・マッガイヤー
重ねて残酷さを教えることについて  ロバート・バーカー
残酷さを教えねばならない-だが分析的考察へ向けて- デービッド・トンキン
核戦争の危機の認識を-軍縮教育十原則を自覚的に- 庄野直美
平和と民族の自決の教育を-日本人と連帯し、教訓に学ぶ- 朴光沢
軍事基地の撤去の課題を-非核地帯設定とともに- 大田昌季
第2章 平和・軍縮教育の教材開発をめぐって〈第2分科会〉
〔基調報告〕
日本の平和教育の具体的とりくみ 福島昭男
〔討論〕
教職員・学生の交流を深めよう  ウォーターハウス・ワイワイ
世界の三分の一の文盲がいる アバニ・ボラル
どうして非暴力のエレメントを教えるか ジャック・スミス
二度と戦争を繰返すな コンラッド・バクヤク
たとえ命を賭しても平和を  ホアン・アンブロシオ・サビオ
軍備拡大の最大の被害者は途上国 トッサ・クペソー・カングニ
軍隊のない国から訴える マルコ・アントニオ・バランテス・ヴェガ
弾圧をはねのけ教師を再教育 マットス・トッタ・ザヒヤ
考え方のプロセスに参加する教え方 ホアン・ルイ・フェンテス
急がれる教材開発 サーロン・せつ子
先生が変わらなければ生徒を変えることはできない 栗原貞子
教材の開発は教師・親の手で フレッド・ヴァン・ルーウェン
広島の三つの顔を教材に 空辰男
近・現代史の教育を強化すること プン・ティン・チー
軍人にも一般教養を ギー・ジョルジュ
安全保障は軍備撤廃によってのみ  森滝市郎
あらゆる教材の活用と開発をすすめよう キャシー・ブロック
第3章 平和・軍縮教育を自覚的に〈分科会報告と総括発言〉
〔第一分科会報告〕
平和・平和軍縮教育の原則をめぐって-教員団体の責務- ジョージ・リース
〔第二分科会報告〕
平和・軍縮教育の教材・方法の創造的開発を マットス・トッタ・ザヒヤ
〔総括発言〕
平和と人類の道を選ぶ意志を-教職員の責務- ノーマン・ゴーブル
資料
日程および参加者名簿
あとがき

失った日から-原爆・引揚・教育・戦中の暮し体験記

『失った日から-原爆・引揚・教育・戦中の暮し体験記 』(広島県退職婦人教職員の会戦争体験記編集委員会、19861022)

内容

発刊に寄せて 空辰男(広島県教職員組合 執行委員長)
はじめに 森本喜代子(広島県退職婦人教職員の会 会長)
抑留そして引揚げ-敗戦の混乱の中で-
失った日から  高松キヌヨ /夫は現地召集で北満の戦場へ  藤本ツヤ子  /満州の修羅場に病癒えず  阪田セツエ  / 引揚者の姉  久保井ミツル  / 飢えと乾きと恐怖と  江口昌子  / 三十八度線を越えて  永井安子 / 国語教師として四年半  樋田美和 / 海岸線を引潮にそって  金子雪美 /  出産前零下二十度の海辺を  村上愛美  / 行きます の一言を残して  中岡梅代  / 別離の悲しみ  亀山芳枝  / 身も心も朽ち果てて  浜岡千代子
火傷の熱き教え子なりき-被爆体験・救援活動の記録-
番号になってしまった骨たち  樫木静子  /青春を襲ったケロイドに死を  半田孝江  /かぼちゃ の味  藤野美奈子  /ひとりだけの火葬  吉川哲子 /4 瞼に焼けつく郊外での体験  吉川昌子  /うじが連なって出てきた  藤川トシ子  /教室内は生地獄  吉宗英子  /火傷の熱き教え子なりき  八尾井弘子 /何処で命つきたか  甲斐美重子  /祖母から孫へ  下岡好枝  /一滴の涙もこぼれなかった  井岡清子 76 / なにひとつ語らず  渡辺ツユ子
君を縊ったその綱の端を-戦時下の学校教育-
負けないと信じて  小林恵美子  / 栄養補給を山羊乳で  宮本イズミ / 東の空が真っ赤だ  森本喜代子  / 厳寒も素足で-教師一年生  山口妙子 / 養護教諭として  平林艶子  / 教師として出征兵士の妻として  奥とわ  / 空襲のあいまを縫って学校へ  岡野聖子  / 前線もなく銃後もなく  秦三枝  /戦争と増産作業と疎開児と  立石ハルエ  /右向け右!  豊獄満起子  / 一堂に会して竹槍訓練  広沢綾子 /戦争さ中を教員生活  長岡キヨコ  /毒ガス島へ教え子を  奥田澄江  / 砂にしみ込む水のように  阿川智子  /騙されていた教育  前田典子  /戦中のこと  久保美智子  /勝つことを神国を信じ込まされ  宮崎瞳  / 青春のすべてを費やして知った  野曽原登美恵  /戦時下の生活  三上末美 /奉安殿は未婚の女子の守る所  佐伯静子 124 / 戦争まっただ中の学生生活  高垣ミエ子  /ススメススメヘイタイススメ  高橋郁子 /
楽しかるべき日々を失って-学童集団疎開-
飲まず食わずで七十余軒 井岡清子
欲しがりません勝つまでは-戦時下の暮し-
お父さん!帰って来て!-家族の想い-
降りそそぐ焼夷弾の下で-空襲の日々-
呉市大空襲の夜 渡辺美智子
わが青春死線を越えて-従軍看護婦の軌跡-
あとがき