広島市のHPにみる平和行政の枠組み

広島市のHP(2019年12月25日閲覧)にみる平和行政の枠組みhttp://www.city.hiroshima.lg.jp/www/genre/1001000002088/index.html

原爆・平和
画像 原爆ドーム、平和記念資料館、原爆の子の像、平和記念式典
トピックス 令和元年度 平和関連行事一覧表
平和宣言【令和元年(2019年)】
広島逓信病院旧外来棟の見学のご案内
ピックアップ ピースツーリズム
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後障害について
高熱火災による被害
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平和への誓い
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核兵器廃絶に向けた取組 平和への取組
2020ビジョン
平和首長会議
「核兵器禁止条約」の早期締結を求める署名活動
広島・長崎講座
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国際平和拠点ひろしま構想推進連携事業
広島市特任大使(ひろしま平和大使など)
2019年4月17日平和首長会議の取組に係る説明会
被爆体験や平和への思いの共有 被爆体験の継承・伝承
折り鶴と「原爆の子の像」
折り鶴に託された思いを昇華させるための取組
被爆建物等の保存・継承
平和記念施設保存・整備方針
広島平和記念資料館
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平和学習 広島での平和学習(修学旅行等)
平和教育
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平和関連事業等 平和記念式典
平和関連法令
核を巡る世界情勢等
原爆と平和に関するQ&A 被爆前の広島について
原爆の投下について
原爆被害の実相について
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折り鶴に関すること
核兵器等に関すること
その他
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岩国基地対策 米軍機低空飛行の目撃情報
平和関連リンク 広島平和文化センター
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日本非核宣言自治体協議会
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広島・長崎の記憶~被爆者からのメッセージ(朝日新聞社)

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平和関係施設調査研究委員会資料

平和関係施設調査研究委員会(1984年5月11日設置)宇吹所蔵資料

No. 年月日 資料名 形態
19840511 平和関係施設調査研究委員会<設置>
0 1989∼ 平和関係施設調査研究委員会ワーキンググループ  File
0-1 19891102 平和関係施設調査研究委員会・ワーキンググループ合同会議
平和関係施設調査研究委員会・ワーキンググループ合同会議資料
資料1  平和関係施設調査研究委員会・ワーキンググループ研究員名簿
資料2 平和と軍縮に関する国際的な研究機関の設置について-これまでの経緯
資料3 平和と軍縮に関する国際的な研究機関の広島設置に関する要望・提言の状況
資料4 平和と軍縮に関する国際的な研究機関の設置年次計画
資料5 平和と軍縮に関する国際的な研究機関の設置元年度事業計画
資料6 平和と軍縮に関する国際的な研究機関の設置元年度事業実施スケジュール
資料7 平和と軍縮に関する国際的な研究機関の広島設置について-基本構想のたたき台
資料8 平和と軍縮に関する国際的な研究機関必要人員数、延床面積
資料9 平和と軍縮に関する国際的な研究機関の組織図(案)
0-2 198912 「平和と軍縮に関する国際的な研究機関」の設置について-基本構想のたたき台(第1次改定分)(平和関係施設調査研究委員会・財団法人広島平和文化センター)
0-3 199005 「平和と軍縮に関する国際的な研究機関」設置基本構想(案)(平和関係施設調査研究委員会・財団法人広島平和文化センター)
0-4 199005 「平和と軍縮に関する国際的な研究機関」設置基本構想(案)(平和関係施設調査研究委員会・財団法人広島平和文化センター)
0-5 199006 「平和と軍縮に関する国際的な研究機関」設置基本構想(平和関係施設調査研究委員会・財団法人広島平和文化センター)
1 19870331 国立平和研究所広島設置の構想(案) 冊子
2 19910107~  平和に関する国際的な研究機関(三菱総合研究所)  File
2-1 19910107 「平和に関する国際的な研究機関」基本計画検討懇談会開催のお知らせ(三菱総合研究所⇒宇吹暁)
2-2 19910118 第1回基本計画検討懇談会(広島部会資料)
2-3 「平和に関する国際的な研究機関」設立当初の研究対象の具体例
2-4 [ご参考]「「平和に関する国際的な研究機関」設置基本計画策定調査 中間報告用資料(株式会社三菱総合研究所 1990年12月」
3 19910304 「平和に関する国際的な研究機関」基本計画検討懇談会開催のお知らせ(三菱総合研究所⇒宇吹暁)
3-1 19910315 第2回基本計画検討懇談会(広島部会資料)  綴
3-2 [ご参考]「「平和に関する国際的な研究機関」設置基本計画策定調査報告用資料(株式会社三菱総合研究所 1991年3月」  綴
4 19910331 「平和に関する国際的な研究機関」設置基本計画策定調査報告書(株式会社三菱総合研究所) 冊子
5 19910331 同上 <要約版> 冊子
6 19910331 「平和に関する国際的な研究機関」の設置について(市長室)  File

 

 

 

広島平和文化センター刊行物一覧(宇吹所蔵)

広島平和文化センター刊行物一覧(宇吹所蔵)

発行年月日 書名 備考
19770331 平和の推進(昭和51年版)
1983(昭和58年版)、
1988(昭和63年版)~1997年版(平成8年度事業)
19771220 ヒロシマ・原爆・平和 平和教育冊子No.1
広島平和文化センター編刊・渓水社(発行所)
19780720 ヒロシマ読本 小堺吉光著
19790320 平和  国家・核・教育 平和教育冊子No.2
19821120 国際連合の話 桑原輝路著 平和冊子No.4
19840331 軍備と軍縮の歴史 山田浩著 平和冊子No.5
19851025 平和事典 勁草書房(発行所)
19880331 原爆被爆者は訴える 被爆証言集 平和冊子No.6
煙石二三枝 犠牲者の遺骨の前で読経
川本義隆  人間らしく生きる世界を
小松キクエ 未だ骨もないわが娘を思う
小松清興  アウシュビッツとヒロシマがだぶる
笹村弘志  運動場に蚊帳を吊って子どもの世話を
高橋昭博  「ヒロシマ」で生きることの意味を問う
寺前妙子  苦悩を越えて強く生きよう
松重美人  生き地獄にシャッターが切れず
松原美代子 讃美歌で心の安らぎを
山岡ミチコ 米国で27回の手術を受ける
山根力男  課員全員が死亡する上原敏子      外国人の原爆被害について
19910930 平和研究入門 松尾雅著 平和冊子No.7
19920325 平和記念式典の歩み 宇吹暁著 平和冊子No.8
19930331 平和学を創る 構想・歴史・課題 岡本三夫著 平和図書No.9
19940331 ソ連・ロシアと世界平和 岩田賢司著 平和図書No.10
19950331 東欧の歴史と民族問題 林忠行著  平和図書No.11
19960331 開発と貧困-豊かさの中の貧しさと、貧しさの中の豊かさと 竹内常善著 平和図書No.12
19970331 軍縮への道 1995年版・国連軍縮年鑑 国際連合著      石栗勉訳
19970331 (財)広島平和文化センター20年誌―センターの歩み
19980331 冷戦後の世界と米中関係 中逵啓示著 平和図書No.13
19980331 国際社会と人権 水上千之著 平和図書No.14
19990331 哲学の21世紀-ヒロシマからの第一歩 嘉指信雄著 平和図書No.15
 19990331  平和と交流  1998年版(平成9年度事業)
~  2006年版(平成17年度事業)

ひろしま平和の歩み(1968年)

ひろしま平和の歩み(広島平和文化センター編・刊、19680801) 目次

執筆者
山田節男(広島市長)
まえがき 「平和の歩み」編集委員会
改訂版19730806発行。以下の目次・情報は改訂版
資料提供のための座談会出席者=伊藤正子、大原三八雄、河本一郎、金井利博、桑原英昭、谷本清、升川貴志栄。その他の協力者=浜崎左髪子、増田勉、浜野千穂子。
1 原爆被災救援の活動 庄野直美
被爆直後の応急措置
隣接の各地から 救援隊
一〇日後でも死体散乱
救援者も放射能の犠牲に
すばやかった科学者の活動
内外からの救援金
ケロイドの治療
広島原対協の発足
原対協の事業の内容
市が被爆者調査の試み
医師の治療活動の開始
全国的な救援活動
生活救護への道開く
被爆者による救済活動
原爆被害者の会
大きな運動の流れの中へ
広島県原爆被害者団体協議会
日本原水爆被害者団体協議会
統一を貫く日本被団協
医療法は一三回改正
被爆者特別措置法の制定
2 原爆孤児・孤老の救済活動 今堀誠二
投げ出された孤児・孤老
涙の記憶しかない兄弟たち
あらゆる悲境に耐える
広島子どもを守る会
新しいおかあさんができた
石井好子やダークダックスも
家族四人が全滅した子
浮浪者となった少年
一〇歳の少女の受難
学童疎開から帰ってみると
連帯のいとぐちをつかむ
あゆみグループの誕生
中野教授夫妻が親がわり
被爆の体験を訴えて歩く
諸外国からも激励の人々
さまざまの困難にぶつかる
日常の中から平和をめざす
全市民の支援の中で
3 平和祭のあゆみ 今堀誠二
二二年に第一回の平和祭
慈仙寺鼻で平和宣言
マッカーサーもメッセージ
全世界に反響を呼ぶ
爆音にかき消された第二回平和祭
占領軍の禁止命令
過去帳の奉納始まる
ビキニ被災で盛りあがる
三〇年から全国に式典中継
4 平和記念施設の歴史 今堀誠二
広島市民と七つの川
永久平和めざす丹下構想
平和大学
平和図書館の夢も
平和都市建設法が実現
迷える霊の供養塔
ハニワの家を型どった慰霊碑
ヒロシマの焦点原爆資料館
狭くなってきた記念館・公会堂
新生広島の百メートル道路
国民運動でドームを保存
5 外国人による活動 庄野直美
 ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」
平和請願一〇万人運動
原爆孤児精神養子運動
ヒロシマ・ピースセンターの活動
原爆乙女をアメリカで治療
シュモー・ハウスを一九戸建設
ドイツから平和の鐘
仏人モーリス氏の「広島憩いの家」
ヨット「フェニックス号」と広島
ベトナム人への支援も
レイノルズ夫人と世界平和巡礼
ウ・タント総長に白書を要望
ワールド・フレンドシップ・センター
6 世界連帯の活動 小谷鶴次
戦争そのものの絶滅を
国連加盟への市民運動
二六年に国連協会県本部
加盟後の普及活動
アウシュヴィッツとの連帯へ
七万キロを平和行進
三八年にアウシュヴィッツ委
世界連邦運動の展開
二四年に連邦運動スタート
二七年に世界連邦アジア会談
市民の意志で「広島宣言」
海外にも大きな反響
一〇万人署名をもとに平和都市宣言
戦争放棄の精神を決議
「世界連邦」の県宣言
西日本大会ではドーム保存支持
サーバス友の会
市民代表の欧州訪問
7 文化・報道関係の活動 小谷鶴治・今堀誠二・庄野直美
「中国文化」で原爆特集
栗原貞子の「生ましめん哉」
壊滅した中国新聞の再刊
正田篠枝の「さんげ」
原民喜・大田洋子の作品
押収された「ピカドン」
峠三吉の反戦運動
若い画家たちと平和美術展
ガリ版刷りの「原爆詩集」
映画「原爆の子」作成
日本ペンクラブも平和宣言
続々と被爆体験記
若い作家らの活躍
「広島の詩」が海外に反響
平和の原点を考える
さらに体験の発掘へ
8 原爆被災・平和問題に関する研究活動 小谷鶴治・今堀誠二・庄野直美
 直後の医学者の活動
専門家による療養方針
プレスコードで資料手放す
悪条件下でも研究続く
ABCCの調査活動
講和とともに発表の活発化
広島の科学者の自主研究
市の機関も研究を助成
三六年に広島原爆医療史
自然科学の原爆白書
広大原医研が活動開始
社会科学の研究活動
国際平和の諸研究から
広島大学に平和問題研
学生グループの活動
二八年に「広島大学人の会」
被爆者の心理・生活の調査
「談話会」の発足と活動
9 民間団体の初期における諸活動 今堀誠二
二四年に平和擁護の第一声
ストックホルムアピールの反響
文化団体も活躍
朝鮮戦争下も続く
原爆被害者団体の結成
宗教団体も独自の活動
努力の積み重ねに期待
10 市民による特殊な平和活動 庄野直美
原爆体験記を発刊
原爆の子友の会の活躍
原爆の子の像
これはぼくらの叫びです
折鶴の会が発足
現在も活動
原水禁広島母の会
会誌「ひろしまの河」発行
運動の分裂が与えた影響
談話会の発足
原爆白書運動の胎動
政府による白書製作を提言
平和七人委も強く要望
日本学術会議も起つ
白書をすすめる市民の会
胎内被爆者を守る「きのこ会」
ベトナム戦傷孤児の救援
さまざまの市民運動
11 原水爆禁止三団体をめぐる動き 庄野直美
 ビキニ被災事件
反核の叫び全国に広がる
広島の婦人の動き
国家保障を求める決議
東京杉並の婦人たち
下から支えられた運動
重さ一二五キロの署名簿
原水禁広島県協議会
原水禁世界大会の発想
中央と広島の運動の相違点
広島は原体験から出発
第一回原水禁世界大会
場外にあふれる参加者
歴史的な広島アピール
右翼団体の妨害も
広く具体的な運動へ
被爆者援護の方向へ
平和行進も始まる
安保問題で離脱騒ぎ
第一回目の分裂起きる
第二回目の分裂起きる
広島県民の使命訴える
被爆者援護の請願続く
第九回大会は県原水協が運営
超党派の市民運動も進む
―平和の歩み― 年表
執筆者: 小谷鶴次、今堀誠二、庄野直美

ヒロシマの証言(広島平和文化センター)

『ヒロシマの証言 平和を考える』 (広島平和文化図書刊行会編、日本評論社、19690806)内容

編-
山田節男(広島市長)
森脇幸次(編集委員長)
庄野直美(執筆総括者)
『ヒロシマの証言』刊行にあたって
1 被爆体験
1-1 原爆が落ちた時 原子雲の外から/原子雲の下で
1-2 生きながらの地獄図 炎と雨の中で/炎の街にはいる
1-3 廃墟と屍の街
1-4 原爆投下の状況 予想もできなかった/原爆投下は警告されていたか/なぜ原爆は投下されたか
1-5 平和のねがい 被爆者の声 /被爆体験をどう受けとめるか
2 被爆者と市民の生活史
2-1 原爆孤児 0年ぶりの茶の間/原爆直後の孤児/孤児の生活/アメリカの精神養子運動/広島子どもを守る会
2-2 原爆障害に悩む人びと 広島の涙 /ピカドン傷/きのこ雲の下より
2-3 原爆孤老 行くところなし/さかさごと /現実の対策
2-4 原爆を作品に書いた人たち 原民喜/大田洋子 /阿川弘之/原子爆弾特集号 /正田篠枝/詩の発表 /峠三吉 /反戦詩歌集/「歌集・広島」と「句集・広島」/原爆と小説/
2-5 立ち上がった人びと 木片を探す少年 /晴れたある日 /愛の手
2-6 報道関係の努力 報道と権力 /平和運動と報道/原点をさぐる
2-7 身近で遠い被爆者たち 核の島・沖縄の273人/被爆した朝鮮人
2-8 平和教育への道程 驚くほど空白な平和教育 /平和教育の初期 /平和教育の窒息/広島の平和教育/教室での平和教育/「現代っ子」の平和意識 /平和教育への立ち上がり
3 被爆者救援と平和への努力
原爆タブーの時代・それでも広島は屈しなかった
1945年(昭20) 原爆投下/被爆後の応急措置/付記
1946年(昭21) 平和復興祭/広島市青年連合会/付記
1947年(昭22) 平和祭と平和記念式典/ABCC/付記
1948年(昭23) ヒロシマ・ピース・センター/付記
1949年(昭24) 平和擁護広島大会/世界連邦運動/平和記念都市建設法/シュモー・ハウス/付記
1950年(昭25) ストックホルム・アピールの反響/付記
1951年(昭26) 作文集「原爆の子」/原爆問題研究発表の活発化/付記
原水禁運動興隆の時代・みんなが願った原水爆禁止
1952年(昭27) 原爆被害者の会/世界仏教徒会議/付記
1953年(昭28) 広島原対協/大学人の会/付記
1954年(昭29) 反核の叫び全国に広がる/広島県原水協/ドイツから平和の鐘
1955年(昭30) 第1回原水禁世界大会(広島)/広島の原点・原爆資料館/平和美術展/皆実原爆被害者の会/付記
1956年(昭31) 広島県被団協/日本被団協/原爆の子の像/広島原爆障害研究会/付記
1957年(昭32) 被爆者医療法/広島憩いの家/付記
1958年(昭33) ヨット「フェニックス」号/折鶴の会/付記
混迷の時代・努力を続ける人びと
1959年(昭34) 第5回原水禁世界大会(広島)/付記
1960年(昭35) 第6回原水禁世界大会(東京)/原水禁広島母の会/付記
1961年(昭36) 広島キリスト者平和の会/付記
1962年(昭37)
1963年(昭38) 第9回原水禁世界大会(広島)/原爆裁判の判決/付記
1964年(昭39) 世界平和巡礼/「原水爆被災白書」運動/付記
1965年(昭40) ワールド・フレンドシップ・センター/広島通信/付記
1966年(昭41) 原爆ドームの保存/付記
1967年(昭42) 広島平和文化センター/ベトナム戦傷孤児の救援/ヒロシマ研究の会/市民対話の会/付記
1968年(昭43) 原爆被災資料の収集/原爆被災全体像調査/被爆者特別措置法/付記
わたくしたちは何をしたらよいのか

 

 

核兵器全面廃絶国際デー(9月26日)

核兵器の全面的廃絶のための国際デー
(核兵器全面廃絶国際デー)
(9月26日)

年(回) メモ(記念行事など)
2014 制定日
2015(1) (9月23日)
2016(2)
2017(3)
2018(4)

「9月26日は、国連が定めた「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」です。これに合わせて核兵器廃絶日本NGO連絡会では、9月24日に東京・お茶の水の明治大学で記念イベント「核なき世界に向けて 被爆国の役割を考える」を開催します。このほか、国内のさまざまなNGOが関連行事を行います。ニューヨーク国連本部では、国際デーを記念するイベントと、核兵器禁止条約の署名・批准式がそれぞれ行われます。」
https://nuclearabolitionjpn.wordpress.com/2018/09/01/intlday/

2019(5) (9月26日)ハイレベル会合(開催場所:米ニューヨーク・国連本部)

(9月23 日)記念イベント 「核なき世界へ向けて -それって他人事? 自分事?」-(核兵器廃絶日本NGO連絡会(主催)・国連広報センター(共催)https://www.unic.or.jp/news_press/info/34664/

 

【関連資料】

・報道資料[PDF]
https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/11357/
2014年9月26日、国連は初の「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」を迎えます。
この国際デーを定めた総会決議68/32は、加盟国、国際システム、NGO、学術界、国会議員、マスメディア、個人を含む市民社会に対し、「核兵器が人類に及ぼす脅威と、核兵器の全面的廃絶の必要性に関する社会の認識を高め、教育を充実させることにより、この国際デーを記念し、普及させる」ことを求めています。
https://www.unic.or.jp/files/66e91069625f43abb2d8f87acd82c5da.pdf
・これまでの主な流れ[PDF]
・背景[PDF]
・国連事務総長による5項目の核軍縮提案[PDF]
・非核兵器地帯[PDF]
・「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」に寄せる事務総長メッセージ
プレスリリース 14-060-J 2014年09月26日
世界は長い間、核兵器の不使用を絶対的に保証できるものは核軍縮以外にないこと、そして、核兵器が使用されれば人道面で壊滅的な影響が生じることを認識してきました。
よって、核軍縮は理想主義者の夢ではなく、全人類の安全を真に守るために緊急に実現が必要な課題といえます。
国連総会が初めて、核兵器その他の大量破壊兵器の廃絶という目標を掲げてから、68年が経ちました。
そして、核兵器不拡散条約の発効により、その締約国が誠実な核軍縮交渉の開始を約束してから、44年が経過しています。
この交渉を始めるべき時期は来ています。核軍縮交渉が行われていないことで、国際的なコミットメントにおける軍縮と不拡散の間の微妙なバランスが崩れてきているからです。
私は6年前、核軍縮に関する5項目の提案を出しました。その中には、この目標を達成するために可能な2つの道として、相互補強的な個別協定の枠組みに関する合意と、確固たる検証システムに裏打ちされた核兵器禁止条約が掲げられていました。
最も重要なのは、どちらの道を選ぶかではなく、選んだ道が、核兵器の全面的廃絶という国際的に合意された目標の達成に向かうようにすることです。
今年の国際デーは、単に私たちが核兵器を制限したり、その射程距離を狭めたり、その配備を制約したり、安全保障政策におけるその役割を低下させたりすることを求める日にとどまりません。
それは、国際社会が安全の強化から資金と科学的資源の保全に至るまで、核軍縮によって生まれるはずの多くの恩恵についてしっかりと考える日でもあります。
それはまた、核の抑止力という危険で脆弱なドクトリンが崩れたとしたら、どのような影響が生じることになるのかを想像するための日でもあるのです。
すべての人々、そして将来の世代の平和と安全を守るため、核軍縮を再び国際的な最優先課題としようではありませんか。

年表:この子たちの夏・夏の会

年表:この子たちの夏・夏の会

1985 07 05 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」(木村光一構成・演出)、全国公演始まる。
1985 07 15 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」(木村光一構成・演出)、中国地方公演(4市)始まる。27日広島市で上演。
1985 07 27 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏1945、ヒロシマ・ナガサキ」(木村光一演出)、
1985 07 29 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」東京で上演。
1986 07 01 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ ナガサキ」( 木村光一構成演出) 、新潟市で上演。全国での巡演開始(5日松江市、15日尼崎市など)。
1987 07 07 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマナガサキ」公演、青森県八戸市で開催(米子・松山・金沢東京などでも上演、8月10日まで)。
1987 07 18 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏~1945・ヒロシマナガサキ」、中国地方での巡演開始(28日まで)。18日米子市、19日鳥取市、他。
1987 07 24 朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマナガサキ」呉市で上演。
1987 08 09 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を水道橋アール・エヌホールで上演.
1988 07 03? 朗読劇「この子たちの夏―1945・ヒロシマ・ナガサキ」、因島市で上演(国際ソロプチミスト因島の企画)。
1988 07 11 朗読劇「この子たちの夏-1945ヒロシマ・ナガサキ」、芦屋市で上演。(7月中旬、  津市で100回公演を達成)。
1988 07 14 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」、佐世保市で上演。
1988 08 01 朗読劇「この子たちの夏」,金沢で上演.
1989 05 09 演出家木村光一の講演会、広島市で開催。原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」などについて。
1989 07 16 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏~1945 ヒロシマ ナガサキ」の中国地方での巡回公演、開始(28日まで)。17日岩国市、18日山口市、26日下関市、28日広島市。
1989 07 28 朗読劇「この子たちの夏~1945  ヒロシマ  ナガサキ」(演出木村光一)、広島市で上演。
1990 02 11? 岡山市の市民グループ、原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」公演への参加スタッフを募集。
1990 05 20 岡山市の市民グループ、原爆をテーマにした劇「この子たちの夏」の自主上演に向けて来広、被爆者らと懇談。
1990 06 03? 演出家木村光一、原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」の市民による上演を呼びかけ。
1990 07 03 朗読劇「この子たちの夏 1945・ヒロシマナガサキ」公演、開始(8月9日まで全国28会場で上演)。
1990 08 04 広島市の市民グループ、朗読劇「この子たちの夏」を自主上演。
1990 08 05 広島市のノートルダム清心高校手話部・演劇部、朗読劇「この子たちの夏」を自主上演。
1991 04 01 習志野市の英語学習サークルのメンバーら、来広し、平和学習。原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」上演に備えての事前学習。
1991 05 29? 山口県の長門大津原爆友の会や一般市民、8月5日に自主上演する「この子たちの夏」の練習を開始。
1991 07 06 朗読劇「この子たちの夏」(地人会)、岡山市で公演。8月9日まで全国各地を巡演。
1991 07 08 原爆をテーマにした朗読劇「この子たちの夏」、佐賀市で上演。13日まで九州公演、8月9日まで全国を巡演。
1991 07 27 「親子平和学習のつどい’91この子たちの夏-ヒロシマ・沖縄」、広島市の婦人教育会館でで開催(約50人が参加)。同会館で活動している市民グループが主催。朗読劇などを上演。
1991 08 03 瀬戸市内の主婦ら、朗読劇「この子たちの夏」を同市で上演。
1992 03 05 岡山県井笠主婦ら、朗読劇「この子たちの夏」を笠岡市での再上演を計画。
1992 03 16 広島市・亀崎小学校PTAの朗読サークル「きょうちくとう」、同校の5・6年生を対象に原爆朗読劇「この子たちの夏1945ヒロシマ」を上演。
1992 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏-1945・ヒロシマ・ナガサキ」を東京・有楽町朝日ホールで公演。-9日。
1993 07 19 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を米子市で上演。26日には尾道で。
1993 08 01 松江市の主婦ら、朗読劇「この子たちの夏」を上演。
1993 08 05 広島市の主婦でつくる朗読の会「はまゆう」、地人会の台本「この子たちの夏」の抜粋を広島市祇園西公民館で公演。7日には矢野公民館で。
1993 08 07 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を広島市婦人教育会館で上演。
1994 07 18 地人会、朗読劇「この子たちの夏1945・ヒロシマ・ナガサキ」を広島市内で上演。
1994 07 30 広島市倉掛公民館で平和について考える市民の集い。朗読劇「この子たちの夏」を上演。
1994 08 06 朗読劇「この子たちの夏」、東京・有楽町の朝日ホールで上演。-9日。
1994 08 11? 滋賀県長浜市の「この子たちの夏」の実行委員会、7月13日の公演の収益の一部を広島の朝鮮人・韓国人被爆者団体に寄付。
1994 09 03 大阪府豊中市立刀根山小学校の6年生児童・母親・教師、朗読劇「この子たちの夏」を同校体育館で上演。
1995 07 30 広島女学院、被爆50周年記念事業として「地人会」の朗読劇「この子たちの夏」を同学院ゲーンスホールで上演。
1995 07 24? 福岡市原爆被害者の会、地人会の「この子たちの夏」の上演会を市立少年科学文化会館で開催。約700人が参加。
1995 08 01 「徹子の部屋」(朝日系)で日色ともえが朗読劇「この子たちの夏」について語る。
1995 08 06 岡山県・里庄町立図書館で朗読ボランティアによる朗読劇「この子たちの夏」の上演。
1996 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を東京・有楽町朝日ホールで上演。-9日。
1998 07 14 地人会、朗読劇「この子たちの夏・1945ヒロシマ・ナガサキ」を長崎市内で上演。
1998 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏1945・ヒロシマナガサキ」を東京有楽町・朝日ホールで上演。-9日。
1998 08 12? 岡山県・井原市立図書館で朗読劇「この子たちの夏・1945・ヒロシマ・ナガサキ」を上演。
1999 07 20 長崎新聞「時の顔:日色ともえさん-朗読劇「この子たちの夏」にことしも出演する女優-原爆の実態訴え続ける」
1999 07 26 中国新聞「この人:日色ともえさん-朗読劇「この子たちの夏」に今年も出演する女優」
1999 08 06 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を東京・有楽町朝日ホールで上演。-9日。
2000 08 06 地人会、「この子たちの夏」を東京・有楽町朝日ホールで上演。-9日。
2000 08 06 「この子たちの夏」朗読会、北海道・苫小牧市で開催。約40人が参加。(北海道新聞)
2000 08 09 ABCテレビ「徹子の部屋」に朗読劇「この子たちの夏」の出演者、日色ともえ、山田昌、長内美那子が出演。
2003 08 02 地人会、朗読劇「この子たちの夏」を広島市内で上演。
2007 朗読劇「この子たちの夏」の全国公演を続けた演劇制作集団「地人会」解散。
2008 03 朗読劇「この子たちの夏」の出演者たちが「夏の会」を結成。新たな台本で活動を再開。
2009 07 10 「夏の会」、原爆朗読劇「夏の雲を忘れない 1945・ヒロシマ ナガサキ」を広島県廿日市市で上演。県内での公演は初。11日は福山市。
2010 11 07 第22回谷本清平和賞(主催:財団法人ヒロシマ・ピース・センター)授賞式。受賞者は、「夏の会」
2012 07 14 「夏の会」、原爆朗読劇「夏の雲を忘れない ヒロシマ ナガサキ1945」を広島市佐伯区で上演。
2014 07 12 なぎさ中学校(広島市佐伯区)、「夏の会」を招き、原爆朗読劇を観劇。
2015 07 25 「夏の会」、原爆朗読劇を広島県立美術館で上演。
2018 07 06 「夏の会」、原爆朗読劇を広島市安芸区民文化センターで上演。(『中国新聞』20180707)
2019 07 01 「夏の会」、原爆朗読劇を広島国際会議場で上演。(『中国新聞』20190702)

 

広島原爆とアメリカ人(谷本清著)

『広島原爆とアメリカ人 ある牧師の平和行脚 』(谷本清著、日本放送出版協会 、19760720)

内容

章節 タイトル 備考
序にかえて
1 原爆に生き残って
1-1 運命の八月六日
1-2 廃墟の中で
1-3 一牧師のビジョン
2 和解の旅
1948年9月~1950年1月(15ケ月間)、31州、256都市、472の教会その他の団体で講演582、聴衆約160000名、旅行距離約65800マイル
2-1 ピース・センターの構想
2-2 第一印象
2-3 メンジスト教会ミッション・ボードと私
2-4 本格的巡回始る
2-5 ピース・センター独自の途を歩む
2-6 被爆地ヒロシマをどうするか
2-7 平和請願運動
2-8 平和請願運動潰される
2-9 真珠湾記念日とヒロシマ・デー
2-10 東京裁判と死刑執行への反応
3 嵐の中の平和行脚
1950年9月~1951年7月(8ケ月間)、24州、201都市、242団体 講演295、聴衆約5600名、旅行距離約34500マイル
3-1 朝鮮戦争下のアメリカへ
3-2 講演の新内容を求めて
3-3 ニューヨーク入り
3-4 カズン氏は極めて多忙である
3-5 ヒロシマ・ピース・センター理事会
3-6 今回の巡回旅行の特色
3-7  嵐の中の平和運動
4 原爆乙女アメリカに往く
1955年5月5日~同年12月20日(7ケ月間)、26州、195都市、212団体 講演245、聴衆約47500名、テレビ・ラジオ・新聞64、行程約38100マイル
4-1 日本における原爆乙女治療始る
4-2 米国での治療運動始る
4-3 資金はどのようにして集められたか
4-4 ニューヨークの受容態勢
4-5 ホスト・ファミリー訪問とカウンセリング
4-6 原爆乙女の渡米はアメリカに何をもたらしたか
〇ヒューストン市の1週間
〇原爆悲劇に対する読みが深くなった
〇国際時局に対する読みも深くなった
〇募金活動の実情
〇協力を申し出る4つの病院
〇一日本人医師の批判とその影響
4-7 ピース・センターはどこへ行く
4-8  平和の営み
5 「傷痕」の伴をして
1975年9月25日~同年12月15日(80日間)、19州、89都市、105協会その他団体 講演148、聴衆約28800名、旅行約38400マイル
5-1 「傷痕」ダイジェスト
5-2 講演後の質問応答
5-3 核兵器使用に際して新しい倫理の確立が要請されている
5-4 「傷痕」のどこに感動したか
5-5 被爆者治療問題の隘路
5-6 被爆者の悩みは被爆者以外には判ってもらえない
5-7 アメリカ講演旅行の総括

 

 

平和・安全保障と軍縮に関する東京セミナー

国連大学主催「平和・安全保障と軍縮に関する東京セミナー」

発言者 演題
1回(19811207)A 地域の平和と共通の安全保障を考える
(会場) 高輪プリンスホテル
オロフ・パルメ(前スウェーデン首相) 独立委員会の仕事と共通の安全保障について
ラジニ・コタリ(インド) 専門家の研究と大衆運動を基盤にして
大石武一(国際軍縮促進議員連盟会長) 国際連合の精神と日本の役割
坂本義和 軍縮の新たな展望
永井陽之助 新たな「平和の構造」を求めて
宮崎繁樹 核兵器の違法性と非核地帯
アリ・アラタス(インドネシア) 東南アジア諸国連合の緩衝的役割の可能性
トー・カー・フーン(マレーシア) ASEAN諸国と日本への期待
ジャン=マリ・ダリエ(フランス) EC諸国の歩みと平和への道
関寛治 世界の軍事化の要因と新しいネットワーク  広島大学の研究プロジェクトから
アルフォンソ・ガルシア=ロブレス(メキシコ) 非核地帯条約の成立過程について
ヨセフ・チランキエヴィッチ(ポーランド) 非核地帯構想とポーランドの平和について
〔討議〕 アジアの非核問題と日本
 (発言者) オルセグン・オバサンジョ(ナイジェリア)、田英夫(参議院議員)、秦豊(参議院議員)、永井陽之助
 (19811208)B 被爆地・広島で平和を考える
(会場)広島平和記念館 広島会議
今堀誠二  広島・長崎の被爆研究の成果をもとに
荒木武 原爆の犠牲者に捧げた言葉とともに
本島等 核廃絶を訴える被爆者の心を伝えたい
〔被爆体験者の訴え〕
栗原貞子 2編の詩に寄せて
深堀義昭(長崎県被爆者手帳友の会事務局長) 被爆者の実態を知ってほしい
松重美人 爆心地を撮影したカメラマンとして
秋月辰一郎(長崎・聖フランシスコ病院院長) 医者として体験した被爆の姿
オルセグン・オバサンジョ(ナイジェリア) “ヒロシマ”体験は非核運動の原点だ
ガルシア=ロブレス(メキシコ) 国家元首に広島訪問を義務づけたい
森滝市郎 “広島以前”と“広島以後”で人類史は変った
庄野直美 シェルター論や放射線の遺伝問題にふれて
軍縮問題にみるネコとネズミ論争
宍戸ヒロシ(山口県・大島教会牧師) ネズミの軍縮会議にネコが議長である
オロフ・パルメ 二匹の猫と国連の役割について
ゲオルギ・アルバトフ 恐しいのは敵ではなく”無関心”だ
オロフ・パルメ この深い衝撃と感銘を世界につたえたい
2回(19821029-31)C 核時代の平和をもとめて
   (会場)国連大学
矢野暢 地域的安全保障とアジア
ライモ・バウルネン 核の悪魔にいかに対処するか
スミトロ将軍(インドネシア) 安全保障への地域的アプローチ
安川壮(元駐米大使) アジア・太平洋における日本の役割
エドムンド・オスマンチク(ポーランド) 地域安全保障に関するラパツキー案について
フランク・バーナビイ 超大国の軍事政策と新たな防衛政策
大西昭 軍備競争の軽減と経済的影響
栗野鳳(広島大学教授・平和科学研究センター) “平和的生存権”と日本
ブレークウェイ 普遍的な運動の努力を惜しまずに
〔討議〕パルメ委員会報告をめぐって
武者小路公秀 国連大学の性格について
〔討議〕平和研究機関としての国連大学の可能性
3回(19840415-17)
4回『1985』

出典:『核時代の平和をもとめて』(永井道雄著 、国際連合大学 発行、東京大学出版会発売、19840324)

年表:国連大学とヒロシマ

年表・国連大学

80 12 08 広島大学平和科学研究センター・国連大学、広島市で合同研究会開催。テーマ「平和と開発」(9日まで)
81 02 25 広島市長、国連大学学長らと懇談、「平和問題検討委員会」の設置を提案。
81 12 04 、パルメ委員会を東京・国連大学で開催(~6日).
81 12 07 国連大学・広島大学など共催軍縮と国際安全保障に関する研究討論集会の東京集会、開催。パルメ委のメンバーら、参加。
81 12 08 広島市・広島大学・国連大学、「軍縮と安全保障に関する独立委員会(通称:パルメ委員会)を平和記念館講堂で開催。
82 10 29 国連大学主催「平和・安全保障と軍縮に関する東京セミナー」、東京で開催。(31日まで)。広島・長崎両市長、特別講演。
84 03 26 シンポジウム「アジア・太平洋地域における平和と変革」(国連大学など主催)、横浜市で開催。(29日まで)。
84 04 17 広島・長崎市長、国連大学主催の第三回東京セミナー(於東京)に出席、講演。広島市長、軍縮・平和のための首脳会議を広島で開催すベきだと提案。
84 05 99 国連大学の第1回・2回「東京セミナー」(1981・1982年)の報告書「核時代の平和をもとめて」刊行。長崎市長、被爆者らの発言も収録。(B6、236P)
85 02 04 「核の危機に関する東京セミナー広島セッション」(国連大学・広島市共催)、広島市で開催(6日まで)。海国から11カ国28人が参加、原爆資料館など見学。
85 03 25 ミンポジウム「アジア・太平洋地域におれる平和と自立」(神奈川県、国連大学など共催)、横浜市で開催。
85 06 03 「世界平和を考える大阪会議」(大阪府主催、七月開催予定)の顧問に、国連大学学長スジャトモコが内定。
86 10 24 「国際平和年世界会議」(国連大学主催)、大阪市で開催(26日まで)。25日、記念シンポジウム開催。
92 11 14 長崎総合科学大学長崎平和文化研究所、平和文化講演会を開催。武者小路公秀前国連大学副学長が「アジア・太平洋の平和と変革」と題して講演。
92 12 04 広島市、平和問題調査会を東京・国連大学で開催。14人が出席。1993年8月に開催予定の第3回平和連帯都市市長会議の進め方や被爆50周年の取り組みなどについて意見を聴取。
93 12 02 広島市、平和問題調査会を東京・国連大学本部で開催。委員18人が出席。
98 10 27 「軍縮問題を考えるエコノミストの会」(ECAAR)日本支部、「どうなるアジアの安全保障と経済」を東京・国連大学で開催。インド・パキスタンの核実験を取り上げる。マクナマラ元米国防長官とグジュラル前インド首相が講演。

国連大学広島誘致期成同盟会

国連大学広島誘致期成同盟会

年月日 事項
1969年 ウ・タント国連事務総長、年次総会で、「真に国際的な性格を有し、国連憲章が定める平和と進歩のための諸目的に合致した国際連合大学」の設立を提案。国連総会はこのような大学の実現可能性を検討するため、ユネスコと緊密に協力して調査を行う専門家委員会を任命。https://jp.unu.edu/
19720818 山田広島市長、ベルギー・ブリュッセル大学で開催された第15回先生会連邦大会の最終日本会議で「国連大学の広島設置」を提案。23か国代表の全員賛成で決議。
19720916 広島県・広島市・広島大・経済界が広島商工会議所で「国連大学広島誘致期成同盟会」結成大会。永野厳雄県知事を会長に選ぶ。
19720726 広島市議会、国連大学誘致に関し決議。(「平和の推進」)
197209 国連大学の設立を検討する委員会、国連経済社会理事会に報告書を提出。https://jp.unu.edu/
197212 国連総会、国連大学の設立を認める。https://jp.unu.edu/
197312 国連総会、国連大学の設立委員会が提出した大学憲章と決議案を採択。https://jp.unu.edu/
19750120 初代国連大学理事会および学長のジェイムス・M・ヘスター博士の就任式、東京の暫定本部施設で開催。https://jp.unu.edu/
197509 東京の本部施設および 寄付基金設立に向けて寄付金1億ドルが日本政府の好意により提供され、国連大学の研究活動スタート。https://jp.unu.edu/
19780605?  国連大学広島誘致期成同盟会、誘致の構想まとまらず運動中断。

世界平和連帯都市市長会議

世界平和連帯都市市長会議 1982年6月24日発足

2001年8月5日、「世界平和連帯都市市長会議」から「平和市長会議」に、2013年8月6日に「平和首長会議」に名称変更。

 

平和問題調査会

平和問題調査会=広島市長の諮問機関。1981年5月14日設置。

開催年月日 議題など
01 19810514  ①委員長の選出②会の名称、構成メンバー、事務局の決定③昭和56年会議開催計画等について説明④基本的問題と事業計画一軍縮シンポジウムの開催/市民講座・特別講演会の開催/国際的平和研究機関の誘致
02 19810724  パルメ委員会の東京招致及び広島ワークショップについて
03 19810907  ①パルメ委員会及びワークショップの開催について一東京、広島での準備状況
04 19811130  ①パルメ委員会を迎え、ジャパンワークショップ東京、広島セッション開催の事前検討について
05 19820128  ①パルメ委員会ジャパンワークショップの結果報告並びに今後の対策について
06 19820223  ①第2回国連軍縮特別総会への対応策について―ワーキンダ・グループの検討結果報告
07 19820517  ①第2回国連軍縮特別総会に対する広島・長崎両市の対応について
08 19820702  ①第2回国連軍縮特別総会の報告②パルメ委員会最終報告書に基づいた平和、安全保障と軍縮に関する東京セミナーについて
09 19821001  ①平和と安全保障と軍縮に関する東京セミナーの開催について一パルメ委員会報告を受けて
10 19840217  ①国連大学主催東京セミナーについて②広島市が行う平和推進活動について
11 19820218  ①第1回世界平和連帯都市市長会議(広島市・長崎市主催)について②東京セミナーについて
12 19870319  ①第1回世界平和連帯都市市長会議の報告②昭和61年は国際平和年に当たり、この取組みとして、国際平和サミット、平和シンポジウム等の実施計画を説明。
13 19880318  ①国際平和年事業の報告②被爆42周年への取組み③世界平和都市連帯推進事業④国連大学・国連大学協力関係プロジェクト
14 19880216  ①国連大学学長及び各委員紹介②昭和62年度実施事業報告③昭和63年度平和推進事業説明④6か国首脳会議帰国報告⑤第3回国連軍縮特別総会(広島・長崎両市長出席)へ向けての提言
15 19890217  ①昭和63年度実施事業②平成元年度実施事業③第3回国連軍縮特別総会への出席④国連軍縮広島講演会の開催⑤第9回核戦争防止国際医師会議世界大会の開催⑥第2回世界平和連帯都市市長会議⑦平和・軍縮研究機関の設置構想案
16 19900222  ①平成元年度主要平和関連事業実施状況②平成2年度主要平和関連事業計画案の概要③「平和に関する国際的な研究機関」の設置について
17 19911112  ①広島市の平和の取組み②新委員を含む委員の自己紹介及び意見交換。
18 19921204  ①広島市の平和の取組み概要②国連軍縮広島会議の報告③第3回世界平和連帯都市市長会議の検討④アジアにおける広島の役割⑤被爆50周年記念事業
19 19931202  ①「広島市の平和行政」について①原爆ドームの「世界遺産一覧表」への登録について③「第3回世界平和連帯都市市長会議」の報告④広島市の平和の取組み概要
20 19941219  ①被爆50周年を迎えての広島市の平和への取組み①米国スミソニアン協会・国立航空宇宙博物館における特別展③国際司法裁判所における核兵器使用の違法性の審理①原爆ドームの「世界遺産一覧表」への登録⑤|世界平和連帯都市市長会議アジア太平洋地域会議⑤広島市の平和の取組み概要
21 19950329  ①アメリカ社会における核廃絶の認識を高める方途について
22 19960321  ①被爆50周年以後の平和行政について。広島市平和問題調査会は、この会合を以て解散した。
『広島平和文化センター20年誌』(19970331刊)

 

河本一郎

河本一郎

かわもと・いちろう 1929生20010607没 享年72 「原爆被害者の会」設立、「広島折鶴の会」結成に奔走。谷本清平和賞(第13回=2001年没後)受賞。

資料年表:河本一郎

年月日
1929**** 南米ペルーで誕生。
1938**** 父の死去に伴い、父の実家、広島県安芸郡坂村(坂町)に里帰り。
1942**** 母が病死。13歳で孤児に。
<以上は「第8回先人を語る会」配布資料より>
1955
0224
1995
0507 小野増平「検証 ヒロシマ 1945~95 <16> 原爆ドーム 孤高貫く「平和の黒子」 「折り鶴の会」の河本一郎さん」(『中国新聞』)
2001
0607 死亡。享年72歳
0928 薮井和夫「ヒバクシャ活動の歩み 段ボール32箱分 広島折鶴の会世話人故河本一郎さんの遺品 募金名簿やフィルム」(『中国新聞』)
2002
11 濱本康敬(広島平和記念資料館学芸担当)「河本一郎氏資料の受入と整理」(『広文協通信』2号)
2015
0714 宇吹 暁『ヒロシマ戦後史の中の広島女学院~河本一郎の足跡を中心に~
広島女学院大学第 48 回原爆講座―8・6 の意味するもの― 2015 年 7 月 14 日 於砂本記念講堂
2018
0710 菊楽忍「解説1 河本一郎インタビュー」
『戦後ヒロシマの記録と記憶』(若尾祐司・小倉桂子編)
2019
1019 河本一郎を語る―第8回先人を語る会(慰霊と講話)』会場:広島原爆資料館
1215 原爆ドームと楮山ヒロ子 ヒロ子の日記と原爆ドームの保存』(寺田正弘・中村秀次・吉村勝文著、原爆ドームと楮山ヒロ子の会、20191215)

 

 

 

佐々木優秋

佐々木優秋

ささき・ゆうしゅう 19451011生20051103没 享年60歳 音戸高校勤務期の先輩。1985年8月4日~11日、被爆40周年核兵器全面禁止・被爆者国際遊説団(日本原水協)の一員としてニュージーランドへ渡航。

資料年表:佐々木優秋

年月日
1945
1011 誕生。
作業中
1971
0523 佐々木優秋・**富貴子結婚祝賀会。媒酌人:久留島恵一夫妻。会場:呉造船保健会場。
1985
08 宇吹宛残暑見舞い
ニュージーランド訪問(8月4日~11日)
2005
1103 没。享年60歳。

 

 

佐々木優秋b
リンク:核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説(1985)
佐々木優秋c
左端が佐々木氏
出典:『核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説の記録』

核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説(1985)

核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説(1985)

 被爆40周年の1985年2月、日本原水協をはじめ世界12力国の反核・平和運動組織(アメリカ、イギリス、オランダ、スウェーデン、東ドイツ、イタリア、キューバ、オーストラリア、ニュージーランド、ベトナム、アルジェリア、日本)が、広島につどい協議し、「核兵器全面禁止・廃絶のためにヒロシマ・ナガサキからのアピール」を発表しました。
日本原水協は、「アピール」支持署名の日本国民の過半数を目標にとりくみました。
さらに、ヒロシマ・ナガサキの被爆の実相をつたえ、核戦争の阻止、核兵器廃絶の世論をたかめ「アピール」支持署名を広げるために、世界各地に被爆者を含む遊説代表団を送る活動をすすめました。
遊説団の訪問先は、1985年4月にフィリピン、6月オランダ、7~8月イギリス、アイスランド、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、10月スイス、11月イタリア、そして86年1月にオランダ、ベルギー、2月にラオスとのべ12力国におよびました。
遊説代表団員の総数は、121名。25班にわかれて訪れた都市は約250、大小集会に約300回参加し、のべ1000回近くマスコミで報道されました。
出典:『核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説の記録 Hibakusha Peace Tour(原水爆禁止日本協議会、19860806)』

 

被爆者国際遊説団名簿

遊説先 氏名 所属
●フィリピン 19850406~15
大久保忠一 埼玉県熊谷原水協・埼玉民医連
岡広 三重県・日本AALA連帯委員会
緒方義孝 全港建労働組合神戸地本
河原直孝 国公労連
久保美津子 被爆者(広島)広島新婦人
児玉三智子 被爆者(広島)千葉県船橋市南診療所
斉藤君子 新婦人神奈川県本部
津川計子 日本民医連東神戸病院
土居賢一 全司法労組
浜島勇 原水協担当常任理事・日高教
宮田昌幸 全商連・宮田印刷
酒井伊津子 通訳
辻山昭三 事務局
安田和也
草地康子
●オランダ 19850625~0708
A班
小島光雄
中谷恒男
村上経行 被爆者(広島)
萩原信宏
和田美昭
篠原敏美
酒井伊津子
B班
林正道
伊谷周一 被爆者(広島丿鳥取県原水協
津田光男
坂入博子
秋元恵子
宮沢彰一
高草木博
●イギリス・アイスランド 19850801~11
佐藤裕
本間三郎
木村昭六
栗栖主税 被爆者(広島)
大森幹男 広島原水協
信政ちえ子 広島原水協
有光登一 被爆者(広島)愛媛県原爆被害者の会
仁木義雄
長谷部栄祐
渡辺孝三 被爆者(広島)奈良県原爆被害者の会
中島宏 被爆者(広島)香川県被爆者の会
出島艶子 被爆者(広島)東友会
中沢憲一
柏木文代
柏木文代
 岡村利男 被爆者(広島)高知県被爆者の会
渡辺政成
 田中重光 被爆者(長崎)全動労長崎支部
深町君江
志賀さゆり 通訳
 トモヨ・マクドナルド
 辻光枝
●アメリカ合衆国 19850724~0813
中西部◆
浅野哲人 被爆者(広島)大阪しろきた市民生協
安藤広司 被爆者(広島)長野県原水爆被災者の会
佐藤岑夫 三重県原水協
 大山済世 通訳
南東部◆
 三輪博志 被爆者(長崎)
福本宏支 被爆者(長崎)徳島県原爆被害者の会
藤岡忠治
藤野雅美 通訳
中部大西洋岸◆
丸岡文麿 被爆者(広島)京都原水協
 森本テル 被爆者(長崎)
石黒三沙子
 朝戸理恵子 事務局
北東部◆
栗栖洋 被爆者(広島)高校教諭
 高井栄 被爆者(広島)神奈川原爆被災者の会
中田鉄太郎
酒井伊津子
ニューヨーク◆
土田康 被爆者(広島)神奈川原爆被災者の会
伊藤吉紀
 セッコ・サーロー 在米被爆者(広島)
 ハラシマ・トシコ 通訳
西海岸◆ 19850724~0812
奥野栄 被爆者(長崎)
 堀田シズエ 被爆者(広島)・埼玉
桜木早苗
堀田義裕
 南西部◆
 吉崎幸恵 被爆者(長崎)福岡市原爆被害者の会
 田邊俊三郎 被爆者(広島)東友会
門倉武則
谷捷子通訳
●スイス・西ドイツ 19851019~31
山口勇子 被爆者(広島)日本原水協代表理事
早川耐子 被爆者(広島)
花井透
中尾元重
 高草木博 事務局
 下田文子 通訳
●NGO会議・ベルギー・オランダ 19860118~30
佐藤裕
浜島勇
 渡辺千恵子 被爆者(長崎)
 渡辺順子 (渡辺同行者)
 村田忠彦 被爆者(広島)
堀口士郎
米田実
山川新一郎
炭谷巴之助
松下賢次
川添政彦
升井登女尾
城ゆき
 高草木博 事務局
 下田文子
 キエ・ホアン  通訳
  ●イタリア 19851012~19
  中南部◆
石井あや子
 市岡正憲 被爆者(広島)
熊久保朝正
辻山昭三
  北部◆
 米沢進 被爆者(広島)広島県原水協
 世良豊子 被爆者(広島)
 皆川恵史 広島市原水協
 上野幸子 通訳
  ●オーストラリア 19850801~06、ニュージーランド 19850807~13
  A班◆
 鶴岡正雄
 屋敷一字  広島医療生協
 佐々木優秋  呉原水協
 安賀昇
 川后宏
 堺谷一郎
 反納清史  被爆者(長崎)
  高橋マサ子 被爆者(広島)埼玉県原爆被害者協議会
 亀井和子 通訳
  B班◆
 寺本敏夫
 高倉金一郎
 嶺本治代
 村井明美
 住田哲
 溝浦勝  被爆者(長崎)
 米田進  被爆者(広島)
 菅頭康夫
  土田弥生 通訳
●ラオス
片桐隆三 被爆者(広島)
辻山昭三 事務局

国際連合訪問の経緯(1975~76年 )

国際連合訪問の経緯(1975~76年 )
出典:『国連訪問レポート-1976 ヒロシマ・ナガサキ 核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請 』(広島市・長崎市編 ・刊、19770331 )
概要
昭和50年、ちょうど原爆投下後30年目の記念にあたり、広島と長崎両市は、姉妹都市の提携を結び、しっかり手を組んで核兵器のもたらす悲劇を進んで世界に知らせることを誓い合った。
その第一歩として昭和51年度に、まず現存する国際機構のもっとも確立されている国際連合に、核兵器の廃絶と全面軍縮を訴えることを決意した。
両市とも広く市民の賛同を得、市議会の賛同を得て、国連事務総長に会う準備を始めたが、この事業を進めるに当って考えなくてはならないことは、国連という場へ地方自治体が臨めるかどうかという点であった。
もともと国際連合は、世界146力国が加盟している組織で、日本もその加盟組織の一単位に過ぎない。各都市は、国連に対しては直接的には関係がない存在である。
そこで両市は、まず外務省の国連局を通じて手続きを始めるのが順序となる。そのためには十分な根まわしが必要で、外務省の指導と自治省の了解を求める必要があった。
つぎに国連側の事務局との連絡は、東京の出先機関として東京に駐在している国際連合広報センターと折衝した。
幸いなことに国連事務次長で、事務総長の下で広報活動をする部の長である赤谷源一氏(外務省から出向している大使級で、国連広報センターの直接上司)が、たまたま、神戸に帰国した機会をとらえて、ワルトハイム事務総長との連絡を依頼した。
赤谷氏の好意的な尽力により、事務総長との会見日が12月1日と決定されたのは8月23日であった。
この段階で、訪問の今一つの大きな内容である主要国代表部の大使との会見、すなわち核保有国、核保有の可能性のある国および核反対を表明している国の大使こ直接訴えることが考えられた。そこで、会見の希望を伝える書簡を14カ国に送った。また、現地での日時設定は、ニューヨークの日本政府国連代表部に依頼した。

 

1975(昭和50年)8月1日

国際連合に対するアピールについて審議
荒木市長は昭和50年度第2回平和文化推進審議会(広島市平和文化センター所管)で「平和宣言の精神を基調として具体的行動を考えたい。それにはまずヒロシマを世界に広めるため、国連にアピールすることを思っている
が、これについて各委員の意見を伺いたい。」と発言した。
同審議会は小委員会を設置して検討を始めることとなった。
小委員会の委員はつぎの通りである。
今堀誠二(広島大学総合科学部長)
岡崎怒一(弁護士)[岡咲恕一]
小谷鶴次(広島大学教授)
坂田修一(元広島市助役)
原田東岷(原田外科病院院長)
丸山益輝(広臭大学教授)
森脇幸次(中国地方経済連合会専務理事)


1975(昭和50年)9月2日

平和文化推進審議会小委員会の各委員に対し、ヒロシマ・アピールに関する意見書の提出を依頼した。
各委員の意見の要点はつぎのとおりである<以下未入力>

1975(昭和50年)9月9日

平和文化推進審議会小委員会の開催
協議要旨は、つぎのとおりである。
<以下未入力>

1975(昭和50年)10月31日

<未入力>

1976(昭和51年)2月4日

<未入力>

1976(昭和51年)2月19日

<未入力>

1976(昭和51年)2月27日

1976(昭和51年)3月8日

1976(昭和51年)3月17日

1976(昭和51年)3月30日


1976(昭和51年)4月1日

広島市平和文化センター局、財団法人広島平和文化センターとして発足する。

1976(昭和51年)4月16日

1976(昭和51年)4月26日

1976(昭和51年)4月28日

1976(昭和51年)5月8日

1976(昭和51年)5月10日

1976(昭和51年)5月11日

1976(昭和51年)5月12日

国連訪問支持決議<内容未入力>

広島憩いの家原爆被災者の会一同(代表 田辺耕一郎)

1976(昭和51年)5月10日

1976(昭和51年)5月13日

1976(昭和51年)5月15日

1976(昭和51年)5月21日

1976(昭和51年)5月27日

1976(昭和51年)5月29日

1976(昭和51年)5月31日

国連訪問支持決議<内容未入力>

広島県原爆被害者団体協議会 理事長 森滝市郎

1976(昭和51年)6月1日

1976(昭和51年)6月9日

1976(昭和51年)6月14日

1976(昭和51年)6月16日

1976(昭和51年)6月17日

1976(昭和51年)6月24日

国連訪問支持決議<内容未入力>

明るい釈迦づくり広島県民大会 宮沢弘

1976(昭和51年)6月25日

第5回6月定例長崎市議会において、ナガサキーヒロシマ国連アピール準備委員会に対する負担金220万円を予算計上する。

1976(昭和51年)6月26日

林田国際文化会館館長 広島市へ出張する。 (広島市側国連アピール資料編集専門委員会委員選定の件、広島市長国連訪問支持決議の件)

1976(昭和51年)6月29日

佐野外務省事務次官、同政治課長らに国連訪問の主旨および折衝経過等を説明し、協力を要請する。(荒木市長、諸谷市長、広島・長崎両東京事務所長ほか)

1976(昭和51年)6月30日

第1回国連アピール市民懇談会の開催(世話人=岡咲恕一、小谷鶴次、原田東岷、広瀬ハマコ、丸山益輝、森脇幸次の在広各氏)
市長への要望事項
1、核兵器と戦争廃絶のために世論の流れを変える努力をして来てほしい。
2、核兵器を過少評価する動きがある。広島の生の声をぶっつけて来てほしい。
3、在米市民運動団体にも働きかけてほしい。

1976(昭和51年)7月1日

長崎市国連アピール資料編集専門委員会委員を選任する。

1976(昭和51年)7月3日

国連アピール資料編集専門委員会初会合協議内容
アピール内容は、事務総長へ要請する事項と被害資料とする。被害資料は物理的破壊、身体的障害、社会的破壊および今後の課題の4部とし、すべて歴史的事実に基づいて執筆することを申し合わせた。
構成メンバーは、つぎのとおりである。
顧問  飯島宗一 広島大学学長
貝島兼三郎 長崎大学学長委員長 今堀誠二 広島大学総合科学部長
〔広島側〕
副委員長 原田東岷 原田外科病院々長
委員   石田定  広島原爆病院内科部長
岡本直正 広島大学原爆放射能医学研究所長
庄野直美 広島女学院大学教授
湯崎稔  広島大学原爆放射能医学研究所助教授
〔長崎側〕
副委員長 秋月辰一郎 聖フランシスコ病院医長
委員   市丸道人 長崎大学医学部教授
岡島俊三 長崎大学医学部教授
島内八郎 長崎原爆資料協議会副会長
西森一正 長崎大学医学部教授
宮城重信 長崎原子爆弾被爆者対策協議会医療部会長
国連訪問医師  大内五良広島県医師会長

 

 

参考資料:『ヒロシマ・ナガサキ 核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請』(広島市・長崎市 1976年10月)』
無題
<上記の抄録> 専門委員会は,今年7月上旬に発足以来,今回の問題に関心ある諸方面と連絡をとりながら、熱心な討議を重ね短期日の間にこの要請書並びに資料編を作成し。国連事務総長への要請項目の起草は、当初から,広島・長崎の被爆者を中心とする市民とくに被爆者団体と平和運動団体の代表者の意見を受けてまとめられた。またこれには財団法人・
広島平和文化センター」の理事会の意見も反映されている。
特にその資科編『原爆被害の実態-広島・長崎』の作成にあたっては、「原爆による物理的破壊」および「原爆による身体的障害に閔する原案を、庄野直美氏が石田田定氏の協力で起草し、また、「原爆による社会的破壊」の原案は湯崎稔氏が起草し宇吹暁氏(広島大学助手)の協力を得た。これらの原案に基づき.専門委員全体で検討を加えて資料編が完成された。
この要請書並びに責料編の英文翻訳にあたっては、「財団法人・放射線影響研究所(旧ABCC)の協力を得た。

 

1976(昭和51年)8月24日(宇吹メモ)
 19760824

1976(昭和51年)7月5日

国連訪問支持決議<内容未入力>

日本原水爆被害者団体協議会 代表委員 行宗一

1976(昭和51年)7月13日

1976(昭和51年)7月19日

1976(昭和51年)7月16日

1976(昭和51年)7月22日

1976(昭和51年)8月2日

外務省政治課長と打ち合せる。(広島市東京事務所長)
国連広報センターと打ち合せる。(同)

1976(昭和51年)8月3日

 広島市側国連アピール資料編集専門委員会第一回会合の資料の送付を受け、長崎市国連アピール資料編集専門委員に配布する

1976(昭和51年)8月6日

  広島三十一年目の「原爆記念日」
参拝した三木内閣総理大臣に対し、「国際連合訪問に関する要望書」を提出(荒木市長)
提出した要望書の全内容
人類史上初の被爆体験をした広島市民は、この凄惨な体験をみつめながら、ひとたび核戦争がはじまれば人類の滅亡と文明の終えんは明らかであることを予見し、一切の悲しみと憎しみを越えて、ヒロシマを再び繰り返さないよう、全世界に訴え続けてきました。
しかしながら、世界における核軍備の情勢は、全人類をせん滅して余りある巨大な量の核兵器が蓄積されつつあり、人類の安全にとって危険な兆候にあります。
広島市民は、こうした危険な事態を憂慮し、このうえは国際連合に対し、核兵器の廃絶を訴えなければならないとする機運が盛りあがってまいりました。
もちろん、国際連合および政府における核軍縮へのご努力は、広島市民としてまことに喜ばしいことではありますが、この際、ヒロシマーナガサキの立場において、国際連合総会が議決した核兵器の使用禁止・核拡散防止・核実験停止に関する諸決議の目ざす核兵器廃絶への具体的措置が早急に実現されるよう要請いたしたく、広島市民の総意と支持のもとに、長崎市長と共に、今秋国際連合に赴くことを決意した次第であります。
国際連合訪問計画および要請事項等については、現在、外務省当局のご指導を得ながら進めておりますが、政府におかれても、非核三原則の国是に立脚され、別添の要望事項について絶大なご指導とご協力を賜わりたく、お願い申しあげます。
昭和五十一年八月六日
広島市長 荒木武
内閣総理大臣 三木武夫殿
(別紙)国際連合訪問に関する要望事項(未入力)

1976(昭和51年)8月9日

  長崎三十一回目の「原爆記念日」
参拝した三木総理大臣に対し、広島市長が提出したように「国際連合訪問に関する要望書」を提出する。(諸谷市長)
内容は広島市とほぼ同一のため省略

1976(昭和51年)8月10日

1976(昭和51年)8月11日

1976(昭和51年)8月13日

1976(昭和51年)8月16日

1976(昭和51年)8月18日

1976(昭和51年)8月21日

1976(昭和51年)8月23日

1976(昭和51年)8月24日

1976(昭和51年)8月26日

1976(昭和51年)8月27日

1976(昭和51年)8月31日

1976(昭和51年)9月3日

1976(昭和51年)9月4日

1976(昭和51年)9月6日

1976(昭和51年)9月8日

1976(昭和51年)9月10日

1976(昭和51年)9月13日

1976(昭和51年)9月14日

1976(昭和51年)9月15日

1976(昭和51年)9月16日

国連訪問支持決議<内容未入力>

日本ペンクラブ会長 石川達三

1976(昭和51年)9月18日

1976(昭和51年)9月24日

1976(昭和51年)9月27日

1976(昭和51年)9月29日

1976(昭和51年)9月30日

1976(昭和51年)10月1日

1976(昭和51年)10月2日

1976(昭和51年)10月4日

1976(昭和51年)10月5日

1976(昭和51年)10月7日

1976(昭和51年)10月15日

国連訪問支持決議<内容未入力>

財団法人広島市連合母子会長 栗栖ミツヨ、財団法人安佐連合未亡人会長 西山春子

1976(昭和51年)10月24日

国連訪問支持決議<内容未入力>

第25回広島市民生委員・児童委員大会会長 宮本福松

1976(昭和51年)10月25日

国連訪問支持決議<内容未入力>

広島市地域婦人団体連絡協議会会長 藤野考子

1976(昭和51年)10月30日

1976(昭和51年)11月1日

国連訪問支持決議<内容未入力>

日本自動車産業労働組合連合会日産プリンス販売労働組合(中国・四国地区長沖実)

1976(昭和51年)11月4日

1976(昭和51年)11月5日

1976(昭和51年)11月8日

1976(昭和51年)11月9日

1976(昭和51年)11月10日

1976(昭和51年)11月13日

国連訪問支持決議<内容未入力>

(長崎)世界平和祈念旬間行事実行委員会

1976(昭和51年)11月14日

1976(昭和51年)11月15日

1976(昭和51年)11月17日

国連訪問支持決議<内容未入力>

広島ユネスコ協会総会

1976(昭和51年)11月19日

広島市渉外課長先発する。
同日
外務省および国連広報センターに渡米あいさつ回りをする。(広島市渉外課長)
同日
外人記者クラブに英文資料を提供する。(同)

1976(昭和51年)11月23日

荒木市長、大内県医師会長は渡米報告のため慰霊碑に参拝。同日夕刻、荒木市長広島を新幹線で出発。出発に先立ち、広島駅で壮行会を開催する。
511123(昭和51年11月23日)
諸谷市長一行は、杉本長崎原爆遺族会長、宮城原対協医療部会長、江角原爆老人ホーム理事長ら関係者多数の見送りと激励を受けこれに対し市長は「核廃絶の声が、国際世論となるよう全力を挙げて来たい」と決意をひ歴し、出発する。

1976(昭和51年)11月24日

大内県医師会長は広島空港から上京する。

1976(昭和51年)11月25日

両市長は、「スタジオ102」に出演したのち、東京を発ち、ニューヨーク経由でワシントンに到着した。
511125(昭和51年11月25日)
ブリュセルで開かれた第六回国際自由労連執行委員会は、両市長の国連に対するアピールをとりあげ、これを支持することを決定し、つぎのようにワルトハイム事務総長に打電した。

 

国際連合訪問の状況(日程順)

第1部 国際連合訪問の状況(日程順)

1976年11月
25日 ワシントン到着
26日 日本大使館を表敬訪問
米国務省軍縮局を訪問
国立公文書館を訪問
ウイリアム・ペン・ハウスで平和の集いを開催
27日 アーリントン墓地参拝
米国科学者連盟事務所を訪問
ウイルミントン到着
ウイルミントン大学学長主催夕食会に出席
28日 ウイルミントン市長主催朝食会に出席
ヒロシマ・ナガサキ記念文庫を訪問
ニューヨーク到着
29日 日本代表部を訪問
国連広報担当事務次長補を訪問
クリスチャン・センターを訪問
オーストラリア代表部を訪問
30日 カナダ代表部を訪問
フランス代表部を訪問
アメリカ代表部を訪問
1976年12月
1日 ワルトハイム国連事務総長と会見
イギリス代表部を訪問
内外新聞記者団と会見
イスラエル代表部を訪問
アメラシンゲ国連総会議長と会見
ニューヨーク市長を表敬訪問
赤谷次長補主催のレセプションに出席
ノーマン・カズンズ氏と懇談
2日 ソビエト代表部を訪問
インド代表部を訪問
東ドイツ代表部を訪問
西ドイツ代表部を訪問
日本協会主催のレセプションに出席
3日 ニュージーランド代表部を訪問
ノルウェー代表部を訪問
国連第1委員会(軍縮)を傍聴
4日 訪問10日目に休養日
5日 ロサンゼルス空港到着
広島・長崎両県人会主祭歓迎夕食会に出席、在米被爆者と懇談
6日 ロサンゼルス市長を訪問
大内会長ら、被爆者と医療相談
ロサンゼルス市議会を訪問
日本総領事官を訪問
シティー・ビュー病院を訪問
ロス郡医師会の昼食会に出席
日系老人ホームを視察
7日 ロサンゼルス郡参事会で発言
内外記者会見で両市長共同声明
トーマス・野口事務所を訪問
ロサンゼルス発
サンフランシスコ着
広島・長崎両県人会主催歓迎会に出席
8日 サンフランシスコ市長を訪問
オークランド=ベイ地区を見学広島・長崎両市長主催夕食会開催
9日 サンフランシスコ発、東京へ
10日 東京羽田着
12日 荒木広島市長、慰霊碑に帰国報告
13日 諸谷長崎市長、記念像に帰国報告

出典:『国連訪問レポート-1976 ヒロシマ・ナガサキ 核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請 』(著者:広島市・長崎市編、 刊 19770331 )

 

 

国連訪問レポート(1976)

『国連訪問レポート-1976 ヒロシマ・ナガサキ 核兵器の廃絶と全面軍縮のために-国連事務総長への要請 』広島市・長崎市編 、刊、19770331)

事項
国連訪問を終えて
1 国際連合訪問の状況(日程順)<詳細リンク
2 国連事務総長への要請・要望事項および原爆被害の実態に関する資料
3 国際連合訪問の経緯
概要
1975年8月1日~1976年11月25日
編集後記

原爆ドーム(世界遺産)

原爆ドーム(世界遺産)Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome)

The Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome) was the only structure left standing in the area where the first atomic bomb exploded on 6 August 1945. Through the efforts of many people, including those of the city of Hiroshima, it has been preserved in the same state as immediately after the bombing. Not only is it a stark and powerful symbol of the most destructive force ever created by humankind; it also expresses the hope for world peace and the ultimate elimination of all nuclear weapons.

Date of Inscription: 1996  Criteria: (vi)