犬丸義一
| 没年 | よみ | 享年 | 備考 |
| 1928生
20151002没
|
いぬまる・ぎいち | 87 | 歴史研究者。1967年の歴史科学協議会の結成に参加、全国委員を務める。元長崎総合科学大学教授(1979年~1993年)。宇吹の学生時代、氏の長崎総合科学大学着任前後に面談。 |
著書
| 書名 | 発行所 | 発行年月日 | 備考 |
| 日本共産党の創立 | 青木書店 | 19821001 | |
| 第一次共産党史の研究―増補日本共産党の成立 | 青木書店 | 19930315 | |
止
犬丸義一
| 没年 | よみ | 享年 | 備考 |
| 1928生
20151002没
|
いぬまる・ぎいち | 87 | 歴史研究者。1967年の歴史科学協議会の結成に参加、全国委員を務める。元長崎総合科学大学教授(1979年~1993年)。宇吹の学生時代、氏の長崎総合科学大学着任前後に面談。 |
著書
| 書名 | 発行所 | 発行年月日 | 備考 |
| 日本共産党の創立 | 青木書店 | 19821001 | |
| 第一次共産党史の研究―増補日本共産党の成立 | 青木書店 | 19930315 | |
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広島民報 19650801-12号
| ”広島”をベトナムに、世界に、繰返させる 第11回原水爆禁止世界大会・輝かしい成果収める |
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| 核戦争阻止、核兵器禁止で 米帝国主義と対決 団結誓う1万4千人の代表<8月5日午後6時40分~ 広島市本川小学校校庭> |
| 被爆者と共に 広島から訴える(要旨) |
| 他人ごとでないベトナム侵略 じっとしておれぬ気持ち 広島大会被爆者特別報告 |
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| 米への怒り高まる 広島で 被爆者救援集会開く<6日午前8時~広島市平和公園 広島市主催慰霊祭、10時~日本原水協の慰霊行-喪章と花1輪-台風15号通過-。午後1時~広島市原水協・同被爆者団体協議会共催「被爆者救援集会」広島市公会堂。> |
| 共産党代表の献花<4日早朝、米原昶・西沢富夫ら> |
| 大会の成功支えた活動家 空白農村にも網の目行進 |
| <府中市の平和委員会、三次市の「被爆者友の会」、安佐郡安佐町小河内、豊平町、三次市の農民組合ほか> |
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| 300万人集会つみあげ大会参加 めざましい婦人の活動 新婦人、会場で献身的に奉仕する |
| 米の本質を痛烈に批判 インドネシア代表団員シバラニ氏 広島民報に風刺画を寄贈 |
| 支配者米・白昼生命も奪う 核基地化された沖縄 仲松全沖縄代表に実情聞く |
| 原爆病院入院患者を見舞う 共産党 米原・西沢中央委員 |
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| 不当な体育館使用拒否 県原水協が抗議声明を発表 |
| ”広島の怒り”を文学、芸術に 被爆20年 文化活動の新しい高まり |
| 深い感銘与えた”河”公演 |
| 最高の出品数の”平和美術展” |
| 被爆者の歌声も参加 |
| 内容ゆたかな”ひろしま”〈広島県文化会議総合文化誌〉 |
| 激励された「木の葉」2集 |
| 高い内容で評判の”武一騒動” |
| 3千部売切れ”平和詩集” |
| 文化を平和の武器に 文化人こんだん会開く |
止
『原爆ゆるすまじ』(広島県被爆者の手記編集委員会(編)、新日本出版社(新日本新書9)、19650705)
内容
| 頁 | タイトル | 著者 |
| 009 | あれから20年 | 大江 恵美 |
| 021 | 弟の日記 | 四国 五郎 |
| 043 | 空中に被爆して | (一被爆者(長野県) |
| 045 | 太陽のない朝 | はやみ ちかこ |
| 052 | 差別の壁をこえて | 金崎 是 |
| 068 | 父母を失って | 大倉 和子 |
| 083 | たたかいの20年 | 福田 須磨子 |
| 099 | 7歳の証言 | 山中 みちこ |
| 115 | 死中に生を得て―広島・長崎での二重被爆記 | 山口 彊 |
| 133 | 原爆とその後-短歌と日記- | 山下 寛治 |
| 153 | 過去の広島商人として | 温品 道義 |
| 174 | 医師として | 杉原 芳夫 |
| 188 | まともな目 | 志水 禎吉 |
| 202 | たたかいの中で | 吉岡 幸雄 |
はしがき
この手記集の発行を広島県平和委員会(会長鈴木直吉)が計画したのは、昨年の秋であった。広島県平和委員会では、企画を検討決定し、各友誼団体に協力をもとめるとともに、ひろく原稿の公募をおこなった。
この広島県平和委員会の企画にたいして、広島県文学会議・原水爆禁止広島県協議会・広島県原爆被害者団体協議会が、それぞれ協力を申し出、その後は、四団体の共同事業として手記集の編集刊行をおこなうことになり、それぞれの団体から編集委員を選出して「原爆被爆者の手記編集委員会」をつくり、編集の実務にあたった。
被爆二十年、本手記集の刊行を企画したのは、第一に、二十年後の今日、なお被爆の実状を知らない多くの人がいるためであり、第二に、「被爆者」というと一般国民とは異なる生活環境のなかで生活している人のようにうけとり、「被爆者」が国民の一人として働き、平和のためにたたかっていることを十分に認識していない人がいるからであり、第三に、被爆者のなかから独立・平和のために積極的にたたかっている活動家が多数でていることを多くの人に知ってもらいたかったからである。
そのため、編集にあたっては、原子爆弾の惨禍を唄らかにするとともに、「原体験の尊重」を口実にして核兵器そのものが戦争の根源であるかのようにいうあやまった見解があることに注意しながら、被爆者が現実に生きぬき、たたかいつづけてきた二十年間の生活史・精神史をたどる手記になるように、きょくりょくつとめた。
現在、アメリカは、ベトナムをはじめとして、世界各地で、核戦争準備、核脅迫をつよめながら、侵略戦争を拡大している。また、原爆の被害国でありながら、アメリカの侵略戦争に加担することによって、加害国に転化しようとしている日本の現実がある。
戦争中、広島、長崎での悲惨な経験をもって出発した日本の平和運動・原水禁運動は、たびだびの分裂策動と当面しながらも、このような現実の戦争政策とたたかいつづけ、力強く発展してきた。今日それは、核戦争阻止・核兵器完全禁止を中心に、「原潜寄港」阻止、ベトナム人民支援、日本の核武装阻止、軍事基地撤去、沖縄返還の要求、被爆から二十年、なんらの救援措置もなく放置されている数十万の被爆者の救援運動の強化などをかかげている。
第十回原水禁大会の席上、被爆者の代表の一人は訴えた。
「私はどうしていままで生きることができたのでしょう。原水禁運動が平和を守り、平和が私を生かしてくれたからです。もし原水禁運動がなかったら、私もこうしていないだろうと思います。同時に十九年前、私のからだをこのようにした原爆をあえて投下した国が、現在おもにアジアで核戦争の危険をひきおこし、私と同じような犠牲者をつくりだそうとしていることはがまんができません」と。
ここにこそ、「核戦争阻止・核兵器完全禁止」をめざす、ふたたび広島・長崎をくりかえさないためのたたかいがある。なお、原稿のうち、県外在住の方の手記は、原水爆禁止日本協議会に集めていただいた。この手記集の編さんにあたって寄せられた多くの方がたの御協力にたいし、紙上をかって心から謝意を表させていただく。
この書を、広島・長崎ビキニの被爆死亡者の霊に捧げる。
原爆被爆者の手記編集委員会
石井金一郎 新宅直哉 世良寛 田辺勝 久枝昭義 深川宗俊 堀博自 三宅登、吉岡幸雄(五十音順)
止
被爆20年を生きて_『広島民報』(5回連載 1965年6月10日~7月20日)
| 回 | 掲載月日(号) | 見出しなど |
| 1 | 0610(7) | 美保基地闘争に参加して 平和の戦士に成長 6歳で被爆の上本君のたたかい |
| 2 | 0620(8) | ドン属性伊勝に 追い込んだのは”原爆”だ 平和への願いを絵にする殿敷さん |
| 3 | 0701(9) | 貧血症をおして 被爆者の会で活躍 福島町 岡虎一さん |
| 4 | 0710(10) | アメリカの原爆に苦しみ 米国資本にしぼられる 薬局いとなむ名王英雄さん |
| 5 | 0720(11) | なんら保護もない被爆者たち 病気かくして稼ぎ |
止
広島民報 19650801-12号<作業中>
| 20周年を迎えた被爆者 |
| 核戦争阻止・核兵器完全禁止・被爆者救援で統一しよう |
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| 広島県母親大会開く |
| 核兵器完全禁止のため 首脳会議を開けなど 大会宣言で12項の要求を決議 |
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広島民報 19650720-11号<作業中>
| 第11回原水禁世界大会を成功させよう |
| 核戦争阻止・核兵器完全禁止・被爆者救援で統一しよう |
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| 原水爆禁止運動の歴史と伝統 |
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広島民報 19650425-2号
| 米の毒ガス・ナパーム弾使用を 被爆者は断じて許せない! |
| 岩国を侵略基地にするな 今日もベトナムに飛びたつ |
| ベトナム侵略に手をかす 佐藤内閣へ抗議の行動を! 病床から原爆症患者は訴える |
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| 南小一(原爆病院患者)、宮田幸子(新婦人の会広島支部)、南雅子(歌人)、深川宗俊(詩人)、金崎是(福島町被爆者の会会長) |
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| 広島民報 創刊おめでとう |
| 日朝協会広島支部、広島県平和委員会、日本民主青年同盟広島県委員会、福島病院、原田法律事務所、広島商工会 |
| ベトナムー日本 連帯の絵葉書(広島県アジア、アフリカ連帯委員会) |
止
『婦人のあゆみ80年』(日本婦人団体連合会編、刊、19600315)
内容
| 頁 | 見出し | ||
| 口絵写真 | |||
| 003 | はじめに 櫛田ふき(国際民主婦人連盟評議員、日本婦人団体連合会会長) | ||
| 007 | 日本の婦人のあゆみ | ||
| 008 | /夜明けを迎えて////// | ||
| 027 | /国際婦人デーはじまる《3月8日》///// | ||
| 057 | /戦後の婦人のあゆみ | ||
| 066 | /占領下の日本の労働者の生活とその斗い | ||
| 070 | /日本婦人団体連合会の誕生 | ||
| 071 | /世界婦人大会の運動 | ||
| 075 | /三たび、ビキニの被災 | ||
| 077 | /企業合理化と婦人運動 | ||
| 079 | /立ち上がる主婦層 | ||
| 081 | /婦人の戦線統一すすむ | ||
| 083 | /母親運動おこる | ||
| 085 | /沖縄をめぐる斗い | ||
| 087 | /働く婦人の大集会と主婦のていけい | ||
| 088 | /民主教育を守る斗い | ||
| 090 | /百里カ原基地の斗い | ||
| 091 | /日本婦人の政治的成長 | ||
| 093 | /安保改定阻止をめぐって | ||
| 095 | 婦人解放運動史年表 1868―1960年 日本婦人団体連合会編 | ||
| 097 | はじめに(松島栄一) | ||
| 099 | 第1部 1968年~1945年8月 | ||
| 183 | 第2部 1945年8月~1960年1月 | ||
| 267 | 戦後婦人問題文献目録 | ||
| 283 | あとがき(日本婦人団体連合会教育宣伝部 19600308) |
止
沖縄本土復帰50年報道(2022年5月15日)
| 新聞名(面) | 見出し | 備考 |
| 中国新聞 | ||
| 1面 | 観光の陰続く基地負担 沖縄復帰きょう50年 | |
| 《コラム》天風録 | ||
| 3 | 岸田首相にとっての沖縄 平和希求と米国重視 | |
| 3 | 米軍弾薬庫 共同使用案 嘉手納など 自衛隊の能力向上へ | |
| 3 | 「ひろしまの塔に献花 首相、就任後初の訪問 | |
| 3 | 各党談話 | |
| 3 | 基地のない生活 みんなで考えて 1000人が平和行進 | |
| 3 | 首里城 正殿復元 11月着工 | |
| 4 | 全面特集 沖縄復帰50年 | |
| 4 | 元広島投手 安仁屋宗八さん 人の優しさ前面 そのままでいい | |
| 4 | 米国文化濃く残る 基地問題生活に影 | |
| 4 | 日本 復帰の前と後 沖縄 | |
| 7 | 《社説》沖縄復帰50年 「本土並み」実現せねば | |
| 16 | 《全面広告 政府広報/内閣府》 | |
| 31 | 沖縄復帰50年 基地の残存「屈辱的」 平和行進参加の元教員 | |
| 毎日新聞 | ||
| 1 | 迫る 辺野古闘う前名護市長/余禄 | |
| 2 | 識者が語る当時の体験 | |
| 5 | 《社説》沖縄復帰から50年 続く不条理を放置できぬ | |
| 14・15 | 半世紀の歩みと変化 | |
| 24 | 《全面広告 政府広報/内閣府》 | |
| 26 | 県民ら願う島の未来像 | |
| 27 | 84歳、孫に託す思い | |
| 朝日新聞 | ||
| 1 | 復帰50年 基地はなぜ動かないのか/天声人語 | |
| 2 | 海兵隊維持 求めた日本政府 | |
| 5 | 写真で振り返る1972年5月15日 | |
| 6・7 | いちからわかる 沖縄の復帰50年 本土と沖縄の米軍基地 | |
| 8 | 《全面広告 朝日大学》 | |
| 10 | 《社説》沖縄復帰50年 いったい日本とは何なのか/《オピニオン&フォーラム》沖縄本土復帰50年 | |
| 11 | 《フォーラム》沖縄復帰50年に考える | |
| 14・15 | 《意見広告》命どう宝 沖縄を再び戦場にするな! 沖縄意見広告運動 | |
| 18 | 《全面広告 政府広報/内閣府》 | |
| 25 | 復帰後の沖縄に生まれた表現者 | |
| 27 | 結婚祝いの「憲法手帳」いまも | |
| 赤旗 | ||
| 1 | 潮流 | |
| 2 | 主張 沖縄本土復帰50年 不屈のたたかいが歴史動かす/ 志位委員長が談話 沖縄復帰50周年にあたって | |
| 3 | 復帰50年 沖縄県民のたたかい | |
| 読売新聞 | ||
| 1 | 沖縄きょう復帰50年/山内昌之「地球を読む」/編集手帳 | |
| 3 | 《社説》沖縄復帰50年 自立と安定の未来像を築きたい 国と県が協力し基地負担減らせ | |
| 4 | 沖縄復帰50年 研究拠点 経済にも影響 /与野党が声明・談話 | |
| 16・17 | シンポジウム「半世紀の沖縄と日本の未来」 | |
| 21 | 《全面広告 政府広報/内閣府》 | |
| 29 | 沖縄復帰50年 自立への期待葛藤の道 | |
| 日本経済新聞 | ||
| 1 | 春秋 | |
| 2 | 《社説》沖縄の重み再確認する復帰50年に | |
| 5 | 沖縄復帰50年 米識者に聞く/各党が談話 | |
| 14・15 | 復帰50年 沖縄の自画像(3)琉球漆器 時代の激動映す | |
| 16・17 | 沖縄本土復帰50年広告特集 「未来へ」 | |
| 22・23 | 沖縄復帰50年 消えぬ危機基地負担なお/国際リゾート荒波に挑む | |
| 26 | 《全面広告 政府広報/内閣府》 | |
| 31 | 沖縄復帰きょう50年 中高生、討議や現地実習 | |
| 産経新聞 | ||
| 1 | 沖縄復帰50年の軌跡2/産経抄 | |
| 2 | 《主張》沖縄復帰50年 協調と発展の道を進め 県は抑止力の大切さ認識を | |
| 3 | 沖縄対中安保「最前線」 変わる戦略環境 増す重み | |
| 5 | 沖縄本土復帰50年 各党談話の要旨 | |
| 10 | 《全面広告 政府広報/内閣府》 | |
| 23 | 拳闘の島 沖縄復帰50年(14)100年に1人の天才 具志堅用高 | |
| 27 | 沖縄復帰50年 故郷に誇り 文化の橋渡し役 若者ら本土就職 高度成長期に生きた | |
止
吉川徹忍(浄土真宗本願寺派僧侶)『「遺骨奉還宗教者市民連絡会」と壱岐への朝鮮人遺骨移管―壱岐での深川宗俊氏らによる遺骨発掘に関わって』(『非核の政府を求める広島の会ニュース』第117号20190205~)
| 号(年月日)回 | ||
| 117(20190205)1 | ||
| はじめに | ||
| 1 壱岐での朝鮮人被爆者追悼 | ||
| 2 深川宗俊氏らによる追跡調査 | ||
| 3 深川宗俊氏らによる壱岐での遺骨発掘 | ||
| 4 本願寺広島別院から遺骨を金乗院へ | ||
| 118(20190325)2 | 前回のあらまし | |
| 1 北海道から韓国への遺骨奉還 | ||
| 2 未解決の遺骨問題(金乗院)浮上―全国遺骨問題情報・意見交換会 17年6月9日 | ||
| 3 未遺骨問題浮上背景―金乗院・天徳寺の意向と森俊英氏らの取り持ち 17年1月31日 | ||
| 119(20190601)3 | 前回のあらまし | |
| 1 金乗院での会合と厚労省との意見交換会 17年12月 | ||
| 2 遺骨奉還宗教者市民連絡会結成と韓国市民運動との連携 18年 | ||
| 120(20190920)4 | 前回のあらまし | |
| 1 金乗院から天徳寺(壱岐)への遺骨の移管実現(2)―東アジアの和解と平和に向けて | ||
| おわりに | ||
| 【参考内容】 | ||
止