原爆被害者の会会則
1952.8.10
<会則>
一、この会は原爆被害者の会といい、原爆の被害者によってつくられます。
二、会員には被害者で趣旨に賛成の人なら誰でも入ることが出来ます。
三、会の事務所は広島市細工町原爆ドーム裏吉川記念品店におきます。
四、会は被害者が団結して多くの人々との協力のもとに、治療生活その他の問題を解決し、あはせて再びこの様な惨事のくりかへされないよう平和のために努力することを目的とします。
五、この会は目的実現のために次の事業を行います。
①原爆傷害者の治療援助を当局に要求し、その他種々の便宜をつくり出す。
②原爆による生活困窮者の就職、生活援助を会員相互の協力によって行う。
③各種の方法により平和のための事業を計画する。
④その他の目的実現のため、会の決定したこと。
六、会は、総会、幹事会、協力会を持ち運営していきます。
七、会の趣旨に賛成し、協力する意志のある団体並びに個人によって協力会をつくります。
八、会の役員は会員の中から会長1名、副会長1名、幹事若干名を選びます。幹事会は事務局を設けます。
九、会の財政は会費、寄付、事業収入でまかないます。
<組織>
1.会員組織
一、会員の会費は月20円、かわりに機関紙を無料配布します。
二、会員はそれぞれの地区で支部をつくることが出来ます。
三、現在の幹事会のメンバーは次の通りです。
吉川清(会代表者)、佐伯晴代、内山正一、上松時枝、峠三吉
当分の間、会長、副会長を決定せず、幹事の合議により運営していきます。
四、事務局は活動に応じて各部を設け、幹事会の決定を実行します。
2.協力会員組織
一、原爆被害者でなく、会の趣旨に賛成、協力する人は協力会員になっていただきます。会費は半年150円、かわりに機関紙を無料配布します。
二、協力会員の協力方法として次の様なことが望まれます。
①一定金額の定期的な資金援助、或は一時的な資金援助
②被害者の就職、内職あっせんの協力
③被害者のその他の生活要求に対する協力
④被害者の平和運動を発展させるための協力
⑤その他、会の決定した計画に対する人的物的な援助、協力
三、協力会員は各地、或は各職種別の協力会をつくることが出来ます。
四、現在の東京協力会の世話人は次の通りです。(イロハ順)
石田一松、大田洋子、神近市子、武谷三男、倉田本、布施辰治、赤松俊子
3.原爆の手記編纂委員会
一、この委員会は独立した組織ですが、会とは密接な関係にあり、相互協力の関係にあります。
二、この委員会は原爆の手記その他を通じて被害者の実態、その要求、或いは原爆の実態、本質を明らかにしていく仕事を行います。
<事業>
1.医療
原爆の惨禍は尚あとをたたず、現在でも原爆症により病床にふし、或は死亡していく人達がいます。又、生活に追われて傷害を治療することも出来ず、苦しんでいる人も数多くあります。これらの医療問題を解決するために、私達は国家予算による無料での診察治療の実施を要求しています。このため実態調査を行い、これを基礎にして陳情書を作り政府並びに国会に陳情する考えでいます。当面の対策としては次の諸活動を行ひます。
一、原爆傷害者の実態調査を行う。
二、市民病院での無料診断実施を要求する。
三、緊急に治療の必要ある患者のカルテをつくり、県並びに市にその治療費の全額負担を要求する。
2.生活
原爆被害者は一般にいって殆どが生活困窮者です。一日わづか7,80円の内職で毎日の生活費にもことかく人達がいます。適当な職がなくて困っている傷害者もいます。生活を転換しようにもその間の生活費がないため、弱い体を無理な労働に使っている婦人もいます。又周囲の冷たい態度に泣きながら、誰か親身になっていろいろな相談の出来る人はないかと求めている人もいます。私達はこれらの生活問題を解決するために、軍事費支出をやめて、その予算で社会保障制度を確立する必要があると考えます。これはただ被害者だけでなくすべての貧困者の問題ですから、そういう人達と共に運動していきたいと思っています。当面の対策としては次の諸活動を行います。
一、出来る限りの就職、内職のあっせんを行う。
二、資金を集め、生活転換その他の理由で必要とする生活資金の貸出しを行う。
三、法律的な保護が受けられるにもかかわらず、それが出来ない時は会が交渉する。
四、衣類その他の生活用品に困窮している人達には寄付を仰いで分配する。
五、その他の問題について相談しあい、相互に助けあう。
3.平和運動
原爆の惨禍は体験した私達が一番よく知っています。二度とこの様な悲劇がくりかへされない様、私達は平和のために出来る限りの努力をしなければなりません。
多くのまじめに平和を求める人々と手をとりあって地道な平和運動を進めようと考えています。
一、原爆写真展の貸出
二、手記編纂委員会に協力し、手記、記録、訴えなどをひろめる。(以下略)
三、その他
4.その他
一、クラブや文化サークルなどをつくり、互いに話合ったり勉強出来る機会をつくる。
二、図書室をつくる。
三、機関紙を発行する。
投稿者: ubuki
原爆被害者の会
原爆被害者の会 (1952年8月10日設立)
原爆被害者の会設立の経緯
峠三吉が中心となって活動していた原爆の詩編纂委員会(1952年9月,詩集 原子雲の下より』を発行)が原稿募集を終えた1952(昭和27)年6月末,同委員会は吉川清の訪問をうけた。これを契機に委員会のメンバー,とくに峠三吉・山代巴・川手健・野村英一の4人は,原爆乙女・原爆孤児といった限定された原爆被害者のみでなく,一般被害者の組織化の必要を感じ,吉川とともに被害者の会の準備をはじめた。
7月10日,ロケのために末広中であった新藤兼人・乙羽信子など映画「原爆の子」のスタッフを呼んで開いた懇談会の席上,会結成の提案を行い,組織づくりの第一歩をふみだした。また,8月6日には平和公園の原爆慰霊碑前で会員募集と資金カンパを訴えた。
結成式は,1952年8月10日,広島市の知恩会館でおこない,会則・事業計画を決定,幹事として吉川清・佐伯晴代・内山正一・上松時枝・峠三吉の5人を選出した。結成時の会員は数十人にすぎなかったが,同年12月14日の第1回総会において組織強化の方針を決定し,大衆団体としての体裁を整えた。結成から半年後の1953(昭和28)年3月頃には,300人の会員を擁するまでlこなっている(川手健「半年の足跡」,『原爆に生ぎて原爆被害者の手記』所収)。
関連資料
| 原爆被害者の会会則 1952.8.10 | |
| 中野懇談会の被爆者招請(1952年11月22日) | |
| 原爆被害者の会 「米国に対する損害賠償請求提訴の件について」 1953.4.5 | |
| 原爆被害者の手記編纂委員会編『原爆に生きて-原爆被害者の手記-』(三一書房、1953年6月25日発行) | |
| 原爆被害者の会の原爆裁判への対応 『芽生え』NO.2(原爆被害者の会事務局、1954年1月18日) |
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献花(5月)
献花(5月)
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| しゅろ(棕梠) 撮影日時 2018.5.4 撮影場所:実家 |
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| シラン(紫蘭) 撮影日時 2018.5.6 撮影場所:実家 |
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| ツルギキョウ 撮影日時 2018.5.6 撮影場所:実家 |
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| ポピー(芥子 けし) 撮影日時 2018.5.6 撮影場所:実家 |
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| アガバンサス 撮影日時 2018.5.6 撮影場所:実家 |
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| いちご(苺) 撮影日時 2018.5.6 撮影場所:実家 |
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| キソケイ? 撮影日時 2018.5.6 撮影場所:実家 |
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| ?? 撮影日時 2018.5.6 撮影場所:実家 |
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| アジサイ(紫陽花) 撮影日時 2018.5.6 撮影場所:実家 |
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| アイリス 撮影日時 2018.5.6 撮影場所:実家 |
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| やぐるまそう(矢車草) 撮影日時 2018.5.6 撮影場所:倉庫 |
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| アイリス 撮影日時 2018.5.9 撮影場所:自宅 |
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| サルビアとガザニア 撮影日時 2018.5.10 撮影場所:実家 |
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| しゅんぎく(春菊) 撮影日時 2018.5.10 撮影場所:実家 |
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| アガバンサス 撮影日時 2018.5.10 撮影場所:実家 |
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| 撮影日時 2018.5.14 撮影場所:実家と自宅の道路 |
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| 撮影日時 2018.5.14 撮影場所:実家と自宅の道路 |
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| 撮影日時 2018.5.16 撮影場所:実家 |
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| 撮影日時 2018.5.16 撮影場所:実家 |
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| 撮影日時 2018.5.16 撮影場所:実家 |
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| 撮影日時 2018.5.16 撮影場所:実家 |
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| 撮影日時 2018.5.16 撮影場所:倉庫 |
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| 撮影日時 2018.5.16 撮影場所:自宅 |
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| 撮影日時 2018.5.16 撮影場所:自宅 |
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| 撮影日時 2018.5.16 撮影場所:自宅 |
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| 撮影日時 2018.5.19 撮影場所:実家 |
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| 松 撮影日時 2018.5.19 撮影場所:実家 |
| 撮影日時 2018.5.19 撮影場所:実家 |
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| ホオヅキ 撮影日時 2018.5.20 撮影場所:倉庫 |
| 撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市) |
旅:「阪神・淡路大震災」関連
野島断層保存・北淡町震災記念公園 (1999年2月13日)
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神戸市内(2001年12月21日)
| 神戸港震災メモリアルパーク |
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| 神戸ルミナリエ |
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阪神・淡路大震災復興支援館(フェニックスプラザ)
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| 支援館のあゆみ http://www.sinsaikikin.jp/phoenix/
「平成8年7月20日開館」「平成14年3月31日閉館」「 阪神・淡路大震災復興支援館―フェニックスプラザ―は、阪神・淡路大震災からの本格的な復興に向けて、震災復興情報の発信、被災者自立支援情報の提供、また、交流や学習の場を提供することを目的に、兵庫県が平成8年7月から平成14年3月までの5年8ヶ月に渡り設置いたしました。」「当館機能の一部(情報発信等)を引き継ぎ、神戸東部新都心にオープンした、阪神・淡路大震災記念「人と防災未来センター」も引き続きご利用いただきますようお願い申し上げます。」 |
「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター 1995.1.17」(2018年4月8日)
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震災・地震(宇吹日誌より 1992~2016)
キーワード「震災」・「地震」(宇吹日誌より)1992~2016
| 年月日 | 事項[敬称略] |
| 19921130 | *から聞いた蔵本[原医研所長]の話=文部省の担当官と話してきた。原医研が強い社会的要請で出来たものであること、原爆の研究を続けるものと理解していた。名前の変更には拘っていない。地震研がピナツボ火山を研究対象にして改組、これは原医研でも応用出来る。資料センタ-に良い。 |
| 19930527 | 江戸東京博物館(墨田区横網)見学。*参与の説明を受ける。3月28日開館。多い時で2万人の入館者。参与は、都を退職するまで都の部長で、同館建設の実質的責任者。非常に親切。福山の誠之館出身とのこと。10時30分から館内見学。
感想=雑踏で落ちついて鑑賞できず。「おいらん」・関東大震災時の朝鮮人問題に、人権問題の配慮が感じられる。「収蔵庫からのメッセージ」に関心をもったが、浮世絵が入力されているだけ。図書は、「クウシュウ」で17件できたが、「ゲンバク」はゼロ。 感想=電算機はIBM。電算機の購入・運用に当たっては館の立場で考えてくれるコンサルタントを頼む。電算機・収蔵庫ともに贅をつくしている。知事部局の主導だからか。いずれにせよバブルがはじけた現在では、こうはいかないのではないか。 *にトータルメディアからの二人を含めて質疑応答。-3時半。演出は、トータルメディアによるもの。複製の製作費は莫大。 感想=博物館の担い手といえば、学芸員しか思い浮かばなかったが、同館では、研究者・学芸員・トータルメディアの3者。トータルメディアの存在は、私には胡散臭く感じられるが、これに主導されるのではなく、使いこなせるようにならなくてはいけないのだろう。 |
| 19930316 | *来室。ロスアンゼルスに地震の影響の調査に行くとのこと。 |
| 19950117 | *へ兵庫県の地震について見舞いの電話。*子の家は無事とのこと。 |
| 19950119 | 母の話=*が車で*子らを広島に連れて帰った由。本人は現場に泊まり込む予定。 |
| 19950120 | フェリス来所予定が地震のため中止。 |
| 19950122 | パソコン通信(ニフティ)で兵庫県南部地震の情報を見る。 |
| 19950125 | ニュースステーションの関西大地震の救護所に*[原医研助教授]が出演していた。 |
| 19950128 | 桜ケ丘の父母の家に:姉・*子母子・*が来る。水道が使用できるようになったので、今日、神戸に帰るとのことで、母がご馳走をする。私も相伴。*子の話=地震の場合、倒れただけでは火災保険が下りないが、焼ければ下りる。それで、火災の中には放火もあるのでは。 |
| 19950212 | 藤居より自宅に電話。年末より、エソで、情勢が充分掴めていない。「被爆者援護法」問題についての動きについて資料が欲しい。神戸震災と原爆との関係を考えてみたい。89%が家の下敷き。原爆の場合は、警戒警報の解除後だった問題。 |
| 19950215 | *の話=原田学長の昨日の話では、神戸の震災のため、本部事務局の西条への移転が2・3年遅れるとのこと。 |
| 19950218 | *の話=朝尾の[退官]記念会は、本人が関西大震災で親戚などの不幸があり、辞退しているので、中止になる可能性が大きい。 |
| 19950315 | 午前中、旧図書室の雑誌・新聞類の箱詰めを手伝う。午後1時からセンター全員で、移動作業。-4時。山田(会計)の話=24日までに工事は完了予定だが、阪神大震災の影響で入手できない資材がある。 |
| 19950521 | 沼田[鈴子]の話=昭和26?年ごろ、東京で被爆のことを話したら、関東大震災の被害を引き合いに出された。戦後、自分史の年表をつけている。宮崎安男との出会いで、妹の病気の認定を申請することになった。総合科学部の小林の講義で話しているが、学生はまじめに聞いている。 |
| 19950605 | *((朝日新聞社電子電波メディア局データベースセクション))の話=メディア局は、調査部門とデータベース部門が一緒になって設置された。東京本社の戦前の資料は、関東大震災と空襲で無くなっているので、戦後を中心に整備する。大阪本社の資料は、戦前のものも含め、膨大な量にのぼる。 |
| 19950729 | *(オランダ人、ENGLISH・SCHOOL・OF・OSAKA)、来所。13年日本にいる、芦屋在住、震災を経験、大変だった由。オランダ第2の新聞で「日本社会は原爆をどうとらえているか」を取り上げる。 |
| 19960928 | 墨田区両国・東京都慰霊堂参拝。関東大震災時の朝鮮人虐殺に対する反省は見られない。東京空襲の写真と原爆の写真に違いは無い。 |
| 19980411 | *先生を囲む会。於クレイトンベイホテル。参加者38名。*、*の話=工場を経営。ともに神戸製鋼の下請けとして成功。阪神大震災以来、親会社の締め付けが厳しい。 |
| 19990213 | 明石海峡大橋-淡路ハイウェイオアシス-道の駅「あわじ」-14時北淡町震災記念公園(野島断層保存館) |
| 19990506 | *(*新聞広島総局)来所。-5時半。2年間、県庁で取材。その前は神戸支局。阪神大震災を体験。広島の取材すべき人物の蓄積がないので、人を中心に取材を進めたいとのこと。 |
| 20001006 | 総合情報処理センター講演会。講師:たつみ北海道立札幌医科大学教授。於歯学部2階小会議室。-3時。途中、大きな地震。 |
| 20010324 | *・*とレガシイで大阪へ出発-8:30西条IC-9:30吉備SA(給油=サービスエリア3570円)10:00-この間、*が運転-11:30三木SA12:00-吹田IC-松原IC-近畿自動車道-1:30杉本町着。ハイウェイカード=3万円。*、腰痛と頭痛を訴える。*の携帯に入った友人からのメール「大丈夫?」がきっかけになって、広島での地震を知る。-17:40西宮名塩SA(給油2730円)-龍野西SA-20:00吉備SA-22:30帰宅。山陽自動車道の岡山以西が不通だったので、心配したが、タイミングよく通行可能となり、順調な帰路。 |
| 20010324 | 西宮名塩SA。テレビのニュースで、広島の地震の情報を得る。*の携帯は、友人とのメールがしばらく出来ていたが、つながらなくなる。Iモードの*の携帯には、初めからつながらず。公衆電話の列に並び、母、*、兄と連絡を取る。皆、無事なことを知り、一安心。龍野西S0324Aで、山陽自動車道の岡山-広島間開通を知る。 |
| 20010324 | 22時半、桜ヶ丘[の母]を見舞う。壁に掛けていた額が落ち、食器棚の食器がずれて、開かなくなったが、兄と一緒に直した、借家のモルタルが落ち、大変なことになった、庭の植木にも被害が出たが、手をつけていない、とのこと。自宅でも、花瓶・玩具・皿・本・CDなどが散乱。 |
| 20010325 | 研究室の地震被害を見るため出勤。3階の病理標本の被害を心配したが、水漏れなし。移動式書架の開いていた部分の雑誌が少し落ちていただけ。引越しの準備。持ち出せばよいだけの状態にする。-2時半。 |
| 20010325 | 桜ヶ丘の借家の落ちたモルタルの一部を、小雨の中片付ける。*・*宅の被害を、電話とメールで確認。 |
| 20010327 | *医学資料館事務長と地震で動いた展示資料を直す。壁に展示していた資料などが、落ちたりしたが、割れたものは無かったとのこと。娘が女学院の卒業生とのこと。昔は、広島大学の定年退職した事務系職員が、女学院に行っており、女学院の卒業生が、広島大学に沢山採用されていた由。 |
| 20010327 | **より電話。地震被害の見舞い。大会報告は、私の事情を汲んで、中止になった。来年度のことは保証できないが、雰囲気としては、来年送り。 |
| 20011221 | メリメリケンパーク-神戸港震災メモリアルパーク-15:00阪神・淡路大震災支援館(フェニックスプラザ)。ケンパーク-神戸港震災メモリアルパーク-15:00阪神・淡路大震災支援館(フェニックスプラザ)。 |
| 20060612 | 強い地震。目が覚める。呉地方は震度5とのニュース。 |
| 20080520 | *の話=*[中国人留学生]が四川省の地震被害などについて話す。 |
| 20110311 | 東北地方太平洋沖震災。東日本大地震。15:58*にメールを送る。16:40付の返信メール「大丈夫」が夜10時過ぎ?届く。 |
| 20110315 | 「東日本大震災 被災を覚える祈りの集い」。大学チャペル |
| 20110316 | *大学謝恩会。宇吹:乾杯の音頭。東北地震・福島原発事故は長期の影響。社会的な転換が必要。我々は目前のことしか関われないが、皆さんは長期の変革で活躍できる。 |
| 20110324 | 前日から始めた東北・関東大震災の新聞の整理終了。 |
| 20120817 | NHKスペシャル「最後の笑顔~納棺師が描いた東日本大震災」。 |
| 20130311 | 東北大震災2周年。新聞5紙を購入。 |
| 20140314 | 震度5弱の地震。自宅・桜ヶ丘ともに異常なし。夕方、道路の枯葉を取り、温室北の畑に入れる。焼却炉が崩れていることに気付く。 |
| 20160414 | 熊本地震。益城町で震度7の地震。翌日、*から*、*ともに被害なしとのメール連絡。 |
| 20180408 | 「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター 1995.1.17」見学。 |
日本の原水爆禁止運動と被爆者の証言活動について(宇吹報告)
日本の原水爆禁止運動と被爆者の証言活動について
1989年2月28日 宇吹暁
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・Ⅰ 原爆被害の思想化 ・
・Ⅱ 原水爆禁止運動と原爆被害・
・Ⅲ 証言活動の歩み ・
・Ⅳ 被爆者証言の意義 ・
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Ⅰ 原爆被害の思想化
資料1)「終戦詔書」 1945.8.14
敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
資料2)アメリカ人記者の質問への東久迩宮首相返書(「朝日新聞」1945.9.16)
米国民よ、どうか真珠湾を忘れて下さらないか。われわれ日本人も原子爆弾による惨害を忘れよう。そして全く新しい、平和的国家として出発しよう。米国は勝ち日本は敗けた。戦争は終った。互いににくしみを去ろう。これは私の組閣当初からの主張である。
資料3)広島原爆体験者の反応(アメリカ戦略爆撃調査団のインタビューに対する回答 1945.12)
(主婦・29歳)原爆でやられてから、私は今こそ軍需工場へ働きに行くべきだと思った。原爆はひどかった。だれもが怪我をしているのを見ているので何の悪い影響を蒙らなかったのは百人に一人にすぎないように思える。息子はたとえ大きくなっても原爆のことは忘れないだろうと言っている。
(主婦・34歳)私は、アメリカらしいやり方だと思った。私はいつもアメリカは鬼畜だと思っていたので、彼らがあのような野蛮な行為をしたことを責めはしない。彼らは、焼夷弾や通常爆弾と同じように落とすことができた。原爆のようなものを落とすことができるのは鬼畜だけだ。
(女学生・16歳)四か月も経つのに、まだ火傷が治っていない人たちがいる。子供はみな回復したが、大人たちの多くはまだ回復していない。彼らはアメリカ人を心底軽蔑しているので、もし幽霊がいるとしたら、なぜアメリカ人に取り付かないのか、と言っている。
資料4)広島市の陳情団とGHQ情報・企画担当マンソン大佐との合意内容(「中国新聞」1945.12.6)
終戦を速めたのは実に原子爆弾の威力であってこの洗礼を受けたのが不幸広島市で従って広島市が今回の戦災を被ったことは世界平和をもたらす第一歩であると同時にこれに寄与するところ誠に大なるものがあると思考されるので、復興については絶対にその特異性を認め他の戦災都市よりも優先的に復興をはかりたい。
資料5)広島市議会議長のマッカーサーに対するメッセージ要請書 The NEW YORK TIMES 1947.8.6
平和祭は、8月6日が平和に到達した日であるとともに、広島市民が世界平和に貢献する決意を新たにする日として記憶される日付であるという考えにもとづき開催されるものです。
資料6)平和祭に対するマッカーサーのメッセージ(「広島市勢要覧 昭和22年版」)
あの運命の日の諸々は、凡ての民族の凡ての人々に対する警告として役立つ。それは戦争の破壊性を助長する為に、自然力を使用することは益々進歩して、遂には人類を絶滅し、現代世界の物質的構造物を破壊する様な手段が手近に得られる迄発達するだろうと云う警告である。これが広島の教訓である。
資料7)広島市原爆犠牲者遺族援護に関する陳情書
(広島市長・広島市議会議長 1951.11.24)
当時広島市は全市要塞化し市民及県下より動員されたものはすべて老幼男女の区別なく軍命令により義勇隊員として軍都広島市の守備に任じて戦場にあった旧軍人と同じ立場に置かれていた。(中略)
一、原爆により死没した義勇隊員の遺族に対して旧軍人軍属と同様の国家補償を与えられたいこと
二、学徒動員により死没した学徒の遺族に対して前項同様国家補償を与えられたいこと
三、前二項の犠牲者の霊を靖国神社に合祀すること
資料8)広島平和都市記念碑碑文(1952.7.22文案完成、8.6碑除幕)
安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから
(英文)Let all the souls here rest in peace
For we shall not repeat the evils
資料9)雑賀忠義(碑文作成者)の考え(「中国新聞」1952.11.11)
広島市民であるとともに世界市民であるわれわれが過ちを繰返さないと霊前に誓う-これは全人類の過去・現在・未来に通じる広島市民の感情であり、良心の叫びである。「広島市民が過ちを繰返さぬといっても外国人から落とされた爆弾ではないか。だから繰返さぬではなく繰返させぬであり、広島市民の過ちではない」とは世界市民に通じないことばだ。そんなせせこましい立ち場に立つときは過ちは繰返さぬことは不可能になり霊前でものをいう資格はない。
資料10)原爆被害者の会会則(1957.8.10)
一、この会は原爆被害者の会といい、原爆の被害者によってつくられます。
四、会は被害者が団結して多くの人々との協力のもとに、治療生活その他の問題を解決し、あわせて再びこの様な惨事のくりかえされないよう平和のために努力することを目的とします。
五、この会は目的実現のために次の事業を行います。
① 原爆傷害者の治療援助を当局に要求し、その他種々の便宜をつくり出す。
② 原爆による生活困窮者の就職、生活援助を会員相互の協力によって行う。
③ 各種の方法により平和のための事業を計画する。
④ その他目的実現のため、会の決定したこと。
資料11)原爆被害者数をめぐって
| 1945.11.30現在 | 広島県警察部調査 | 306,545 (戦災者) |
| 1950.10.1現在 | ABCC調査 | 158,597 (広島市に「現在」したもの)(283,508)(広島・長崎両市合計) |
| 1951.5 | 広島市調査 | 57,902 (死没者、1952.8慰霊碑奉納) |
| 1972.9.30現在 | 広島市内被爆二世 | 66,627 (住民基本台帳より) |
| 1978.3.31現在 | 外国人被爆者手帳所持者 | 4,353 (推定) 広島被爆 3,989 長崎被爆 364 広島市内居住 1,860 |
広島市原爆被爆者動態調査事業報告1988.8
| 内死亡 | 内生存 | ||
| 被爆当時広島市内居住被爆者 | 284,758 | 123,010 | 154,292 |
| 被爆当時広島市外居住被爆者 | 149,231 | 48,522 | 97,056 |
| 不詳 | 28,935 | 17,949 | 3,169 |
| 合計 | 462,924 | 189,481 | 254,517 |
| 1945末までに死亡 | 77,576 | ||
| 原爆医療法施行前に死亡 | 94,894 | ||
| 1957.4.1~調査時死亡 | 88,601 | ||
| 死亡時期不詳 | 5,986 |
パルの自己紹介
パルの自己紹介
| 年月日 | できごと |
| 19980502 | やっと自分の住処を得ることができました。 前の飼い主は、私のことをパルと呼んでいました。「キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル」という種に属しています。 年齢は3歳、人間では20歳代後半に相当するそうです。 標準体重は7キログラムだそうです。前の住処では何でも要求するものを食べることができました。家の中に閉じこもって歩くことがなかったので、肥えてしまいました。宇吹家にやってきたときは9キロとちょっと。 |
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| 宇吹家に来た直後 | |
| 19980530 | 室内犬なのに良く外を歩かされる。ダイエットの成果もあり、体重は現在8.6キログラム |
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| 19990104 | 宇吹家の住民の性格をやっと掴むことができた。粘り強く要求すれば、誰かが折れる。「餌くれー!」(注:目線の先に餌あり) |
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| 家族のみなさまは、帰ってきたらまずわたしをなでてくる。でも、今小学5年生のわたしのしもべは抱きついてくるので暑苦しい。 | |
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| 19990826 | ペットショップでシャンプーをしてもらいご帰宅 |
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| 20010213 | パルの突然の死 |
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戦争と平和の旅1993年1月
戦争と平和の旅1993年1月25日~30日[敬称略]
| 日 | 時間 | 事項 |
| 25 | 10:30 | 京都大学文学部博物館。事務長が常設展示(中国関係)を案内してくれる。広島大学の事務長(文学部**事務長?)が見学したとのこと。文学部の校費で運営しているので大変とのこと。学内を歩く。建物が新たに建築されており、構内が学生時代に比べ、狭苦しく感じられた。 |
| 25 | 13:00 | コープイン京都で報告。1.戦後初期の原爆体験記、原爆被害報告活動、2.記録に残っている「京大原爆展」、の2点について話す。-15時20分。**・*(機関紙共同出版)・*・*(工学部出身、元毎日新聞編集委員)・山辺昌彦(立命館大学)。 |
| 25 | 13:01 | *の話=蔵本淳は2級後輩。自分は岡山出身で近かったので良く知っている。真面目に研究に打ち込むタイプだった。蔵本が米軍基地でインターンをやったのは、当時はそこが最も適切な場所だったから。*は、いいかげんな教師だった。 |
| 25 | 13:02 | 蔵本が〔NHKの番組で〕被爆の証言をしたことと、現在原医研所長として活躍していることを、私が*に話すと驚いていた。謝礼として2万円貰う。 |
| 25 | 16:03 | 16:03京都発-18:39東京着。地下鉄東西線大手町-竹橋。出口を間違い、KKR竹橋まで雨の中を歩く。19時半到着。部屋は広く、バス付きで快適。レストラン芙蓉で夕食。最も安いメニューが2000円。少量で食べた気持ちがせず。 |
| 26 | 09:30 | 国立国会図書館。一般研究室の申込。 |
| 26 | 09:40 | 憲政資料室。*と会う。あちらが覚えていた。*がしばしば来て私の話をしているとのこと。慶応の学生が百数十枚GHQ資料のフィルム・シートをコピーして一応作業を終了した由。放影研からしばしば連絡がある由。 |
| 26 | 11:00 | 国会議事録。第85回臨時国会(~1978年10月21日)まで原医研資料センタ-で目録済み。第101回国会(1983年12月)以降、「発言者索引」と「事項索引」を電算化。第110回(1987年11月)以降テキストの電算化。 |
| 26 | 11:30 | JAPAN-MARK(国会図書館書誌情報)の検索。1969年以降電算化。遡及版(1969~1983年)、最新版(1984~1991年)・(1992年1~9月)。キ-ワード「原爆」、「平和」で検索。 |
| 26 | 12:00 | 新聞閲覧室。地方紙の1992年の8・6社説調査。 |
| 26 | 15:00 | 長崎日日新聞。1957年5月以降の調査。 |
| 26 | 17:00 | 雑誌論文目録で笹本征男「原爆初動調査における日本軍の役割」を調べる。しかし、雑誌論文のデ-タベースは利用できず、目録では掲載日・掲載書誌を捜し出すことが出来なかった。 |
| 26 | 20:00 | 「永田町-(半蔵門線)-九段下<夕食>-(東西線)-竹橋」のルートで宿に帰る。 |
| 27 | 08:00 | 竹橋-東京-川崎-(南武線)-武蔵小杉-(東横線)-元住吉-川崎市平和館(中原区木月住吉町・平和公園内)。 |
| 27 | 10:00 | 川崎市平和館。見学者なし。しばらくして、身体障害者のグループが入る。図書室では簡単なパソコンによる文献検索が出来るようになっていた。映画が2か所で見ることができる。空襲の体験談が空襲による焼け野原の写真をバックに語られる構成は良かった。 |
| 27 | 11:50 | 日本被団協。1992年の出版物調査。伊藤直子など3名の女性。12点の図書類(2700円)を入手。 |
| 27 | 13:00 | 国立国会図書館。地方紙社説調査。 |
| 27 | 20:30 | 大井町の地下街で夕食。一人での食事は見あたらず、帰りのサラリーマン同士のグループでごった返していた。しかし、九段下より食事のためには良い。 |
| 28 | 08:15 | KKR竹橋に宅配便を依頼。5.5キロ。約1400円。宅配便のランクは5、10、15キロ。明日には届くとのこと。 |
| 28 | 10:30 | 法政大学大原社会問題研究所。JR中央線西八王子駅より法政大学行きバス。最初に原爆写真を紹介した「婦人民主新聞」は、1948年8月「15日」では無く「12日」だった。孫引きの恐ろしさを改めて感じる。 |
| 28 | 10:31 | 受付の年輩の女性が、麻布分館時代(現地へは1986年移転)に私が通ったことを覚えており、書庫を案内してくれる。原水協関係の資料は1.5段で大したことは無かった。労働団体だけで精いっぱいで、大衆団体にまで手が回りかねるとのこと。資料2400円を購入。 |
| 28 | 13:00 | 新宿でバッグ(1800円)を購入。 |
| 28 | 14:00 | 国立国会図書館。長崎新聞1957年10月~58年3月調査。 |
| 29 | 07:30 | KKR竹橋を早く出発したので-千鳥ケ淵戦没者墓苑-靖国神社-神田の古書街(朝食)と散歩。 |
| 29 | 09:00 | 千鳥ケ淵戦没者墓苑(1959年竣工)。参拝者は皆無。靖国の国営版の感じ。 |
| 29 | 09:10 | 靖国神社。遊就館(1986年改修復元)を見学。1945年9月に死亡した中国軍管区勤務で山県郡出身の30才前後の女性の資料が展示されていたが、原爆についての言及は無し。 |
| 29 | 10:30 | 第103回平和科学研究センタ-運営委員会。出張中につき欠席。 |
| 29 | 10:30 | 神田古書街。永井隆全集(1971年8月28日刊)を文華堂で入手。1万円。南海堂に「原水爆時代上下」が3500円で出ていたが買わず。 |
| 29 | 12:00 | 大手町の「ていぱーく(逓信博物館)」を見学。パソコン通信についての展示を期待したが的外れだった。多くの小学生が見学。すぐに出る。 |
| 29 | 13:30 | 国立国会図書館。長崎日日新聞1958年4月-8月調査。 |
| 29 | 19:00 | 東京駅八重洲口地下街でみやげ物の買物。*=ヘアバンド。*=ドラえもんのゲームウォッチ。職場用と桜丘用のサブレ。 |
| 30 | 05:50 | KKR竹橋チェックアウト。一泊7000円で計39964円。DCカードで支払う。 |
| 30 | 06:16 | 東京発-08:58京都着。9:22市バス(50系統)-10:00立命館大学国際平和ミュージアム着。 |
| 30 | 10:00 | 立命館大学国際平和ミュージアム。現代史と平和学の最新の成果を取り入れており、新鮮な感動。全国の自治体名が入力され、非核自治体宣言を行っているかどうか検索できるシステムがあり、笑った。原水禁運動は、原水禁の資料はなく、原水協のみ。 |
| 30 | 10:30 | 一通り見終ったところで山辺昌彦と会う。館長室で話をする。途中、*課長が加わる。厚生省援護局・広島県・市・平和記念資料館が見学に来たとのこと。援護局も慰霊施設の建設を計画していることを初めて知る。県は、被服廠の保存策について日本開発銀行に調査を依頼。 |
| 30 | 11:44 | 京都駅発-12:00新大阪着-(地下鉄)-梅田-(環状線)-森ノ宮。 |
| 30 | 12:00 | 「ピースおおさか(大阪国際平和センタ-)」(大阪城公園)。販売図書を全部購入したら、7000円を超えた。 |
| 30 | 14:04 | 新大阪発-15:37広島着。原医研へのバスの中で、空と会う。師範学校の同窓会に出席し帰るところ。被爆50周年に向けて体験記の出版の話が出たとのこと。原医研に宅配便は届いておらず。 |
秦野裕子
秦野裕子
| 没年月日 | 読み | 享年 | 備考 |
| 19920417 | はたの・ひろこ | 1952年生。1975年広島大学教育学部心理学科卒業後、原医研資料センターに勤務。広島大学事務官。職場の同僚。 |
『新研ニュース No.11』(中国新聞労組新研部、1984年3月21日刊)


遺稿
広島大学原爆原爆放射能医学研究所附属原爆被災学術資料センタ-の新聞切り抜きの現状と課題
広大原医研 秦野裕子
広島大学原医研原爆被災学術資料センタ-(以下、センター)の新聞切り抜きは、1967年頃から始められた。当初は、地元の中国新聞を中心に、被爆者問題についての主要記事をピックアップしておく程度の収集だった。1975年からは、中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞の5紙を対象に、被爆者・被爆問題についての記事を網羅的に収集している。
原爆被爆以後、被爆者・被爆問題は、社会問題として、継続して報道されてきた。被爆者の個人情報から、国・地方自治体による被爆者対策、8月6日を中心にした慰霊行事、原爆ドームに代表される被爆遺跡問題、原爆をテーマにした映画・演劇などの文化活動、平和教育等々、様々な角度から取り上げられ、記事にされている。このような多岐にわたる
報道は、その「間口」の広さから、被爆問題を考えていく上での「入門書」としての役割を担うことができる。反面、新聞報道の性格上、その内容の詳細さなどの点では、いわゆる「第一次資料」には劣る。例えば、被爆者行政の当事者である国・県・市が作成する行政資料、あるいは原水禁団体が発行する原水禁大会資料などとは比較にならない。このようなことから、従来、新聞切り抜きの資料としての価値を低く評価する傾向があった。しかし、新聞記事は、それらの「第一次資料」の「索引」として有効に機能するものである。また、被爆問題は現在も進行中の社会問題であり、今なお日々新たに展開している。これらの新しい情報を得るには、新聞はまさに最適の情報源である。さらに、新聞は、報道記事にとどまらず、連載・企画記事として、「原爆・戦争・平和」について、夏場を中心に積極的に紙面に盛り込み、被爆問題についての世論喚起に大きな役割を果たしてきている。このように、新聞は、被爆問題を考えていく上で必要不可欠な資料である。
さて、広島市では資料センタ-以外にも、原爆問題に関心を持つ機関や図書館などで切り抜きを実施している機関がある。広島市平和文化センター・資料保存会・広島市中央図書館広島資料室・中国新聞社・放射線影響研究所・広島原爆障害対策協議会(原対協)などである。このうち、広島資料室は、1976年3月で収集を中止している。分類・保存については、資料保存会・広島資料室・放影研では内容別の分類はされておらず、切り抜き記事は日付順にスクラップブックに貼付されている。平和文化センター・中国新聞社・原対協では独自の分類表によって分類・整理している。対象にしている新聞は、資料保存会では中国・朝日の2紙、原対協では、各記事毎に、中国・朝日・毎日・読売のうちから適当な1紙を選び、採録するという方法をとっている。他機関では中・朝・毎・読と日経などを対象にしている。資料保存会・広島資料室では、個人が収集した新聞スクラップの寄贈を受け、それをもとに収集を開始している。しかし、これらの個人の資料は掲載紙名・日付などが不明のものが多く、資料としての有効性に欠ける。また、広島資料室以外の機関では、主として内部資料として収集・保存さ れており、一般利用者向けのレファレンスの態勢は整っていない。センターでも、切り抜き開始当時は内部資料として用いられていたが、1975年から系統的な収集が開始され、以来15年にも及ぶ収集によって、切り抜き資料の有用性は次第に高められており、外部からの利用も増加している。さらに、センターでは、切り抜き記事をもとに作成した「年表」を冊子にまとめ、広島市内外に配布するという情報サービスの態勢を整えている。また、後に紹介するように、被爆問題記事は地元のニュースとして、広島版に掲載されることが多い。新聞というマスメディアであっても、地方版となると、配布は県内・市内に限られており、他地域には届きにくい。各新聞社が発行している縮刷版でも、地方版は入手も困難である。このような観点から、センターでは、地元紙のほか朝日・毎日・読売から記事を収集している。加えて、同じ被爆地である長崎市の新聞も取り寄せ、長崎側の情報も収集し、より有用性の高い「資料」となることを目指している。広島市にある国立の機関として、被爆地であるという利点を最大限に生かして情報を細大漏らさず収集し、集まった情報を被爆地だけに閉じこめることのないよう に、他地域にも広く提供していきたい考えている。
以下に、センターの新聞切り抜き業務を紹介し、併せて、今後取り組むべき課題について整理してみようと思う。
-新聞切り抜き資料の紹介-
1.切り抜き資料の形態と分類
該当記事は、半年毎の切り抜き作業実施時にまとめて切り抜かれ、A4またはA3判の台紙に貼付される。台紙には切り抜き記事の掲載年月日・掲載紙名・分類番号が記入される。それらの切り抜きは、テーマによって分類され、バインダーにファイルされる。分類項目及び各項目の切り抜き枚数は、表1の通りである。
分類表は、切り抜き開始当初から便宜的に用いていた分類をもとに、中国新聞社などの分類表を参考に作成したものである。利用者にとって、捜したいテーマに沿って分類されていれば都合が良いが、そういう場合ばかりではない。例えば、昨年1990年韓国大統領の訪日とともに話題になった韓国人原爆犠牲者慰霊碑の記事は、分類表のⅡ-25「朝鮮人被爆者」ではなく、Ⅱ-73慰霊祭・碑に分類されている。また、同年8月に、広島市在住の朱碩氏が「被爆朝鮮人教師の戦後史-歳月よ!アリランよ!」を出版したが、それもⅡ-25ではなくⅡ-83「出版」に分類されている。このように切り抜き記事の多くのものは、複数の分類項目に関連しており、そのうちの1つに分類するのは、無理な面もある。担当者としては、分類に優先順位を付け、それに従っているのだが、利用者には不便で、利用しにくい場合も多いと思う。被爆問題の大きな流れを把握するのに役立つ分類を念頭に、作業を進めたいと考えている。また、6.「利用・検索について」の項で紹介するように、パソコンによる複数の分類番号の入力・検索で、これらの分類の欠点を克服するよう努力している。
2.バインダーを開いてみると・・・
センターの切り抜きに対して、具体的イメージを持っていただくため、バインダーを開いて紹介してみる。例として、Ⅱ-13「遺骨」のバインダーを開き、ファイルされた切り抜き記事の日付・紙名・記事見出しを列挙してみる。
・1990. 8.23 被爆者の遺骨千体眠る?旧陸中国 軍馬焼却炉跡見つかる 似島
・1990. 8.23 似島の元陸軍馬匹検疫所 被爆者1000人の遺骨なお?・・ 朝日 広島版
・1990. 8.23 似島の原爆犠牲者遺骨 45年ぶり発掘調査へ 広島市 読売
・1990. 8.23 旧陸軍の焼却炉跡発 被爆者の遺骨1000人分眠る? 長崎
・1990. 8.24 被爆者遺骨調査へ 似島の旧陸軍検疫所跡 毎日 広島版
・1990. 9. 1 原爆犠牲者を発掘 似島で7日から 読売 広島版
・1990. 9. 3 1000人の遺骨埋まる? 7日から発掘調査 似島の陸軍検疫所跡 中国 広島版
・1990. 9. 4 似島の検疫所跡地で遺骨発掘へ準備作業 朝日 広島版
・1990. 9. 7 被爆者1000人の遺骨に「光」 広島市似島で発掘調査 朝日
・1990. 9. 8 骨片など40点発掘 被爆者遺骨調査始まる 中国
このように、見出しを追っていくだけで、被爆から45年を経た1990年の時点でも、被爆問題は決して過去の出来事、解決済みの事ではないことが判る。いわゆる「戦争を知らない世代」の人々でも、被爆問題に取り組もうとすれば、これらの切り抜きの集積から「現在の問題」としてのテーマを見いだすことができる。また、上記の切抜き10件のうち5件は広島版に掲載されたものである。先にも述べたように、原爆問題は、地元のニュースとして、広島版に掲載されることが多い。
3.「被爆問題年表」の作成
センタ-では、新聞記事をもとに、1977年より「被爆問題年表」を作成している。1986年9月からはパソコンによるデータ・ベース化を行なっている。年表は図1のような形式で、M=月、D=日、NEWS=事項、CODE=分類番号、PAPER=掲載紙名・掲載月日がそれぞれ入力される。「年表」は、1月毎にまとめられ、センター発行の冊子「資料調査通信」に収録される。
4.「被爆問題年表」紹介
以下に、「資料調査通信」91号に掲載した今年1月の「被爆問題年表」の一部を紹介する。
1991年
1. 4 中国新聞社、広島都市圏住民意識調査結果を発表。それによると、被爆都市の行動として、46%が「核兵器廃絶の訴え」、37%が「被爆者の援護と被爆者援護法の制定」を指摘。
1. 4 米ネバダ州ラスベガスで、核実験禁止国際集会開催(20カ国の海外代表を含め約1500人参加)。7日からの国連本部での部分的核実験禁止条約改定会議に向けて開催。
1. 5 「広島文学資料 新収資料展」、広島市中央図書館で開催(20日まで)。丸木俊の鉛筆画「峠三吉像」・峠三吉の詩「8月6日」などを展示。
1. 6 「中曽根句碑はいらない!広島連絡協議会」代表者会議、広島市で開催。句碑の撤去を求める署名が1万人に達したことなどを報告。
1. 7 朝日新聞社など、チェルノブイリ原発事故の被災者救援のため「朝日チェルノブイリ救援募金」を開始。被災者の受け入れには、広島県・市、広大原医研などが協力。
1. 8 韓国原爆被害者協会の辛泳洙会長、海部首相の訪韓に関連して声明を発表。日本政府が在韓被爆者援護のための拠出金40億円を一括無条件で支払うよう要求。
1. 9 北海道の江川善次教諭ら、来広し、平和教材作成のため取材を開始。「ヒロシマを語る会」の被爆者原広司の案内で原爆資料館などを見学。
1. 9 広島・長崎両市長、国連の部分的核実験禁止条約改定会議で、世界平和連帯都市市長会議の代表として発言。広島市長、自らの被爆体験を紹介し、核実験の全面禁止を訴え。
1.10 原爆被害者相談所、被爆者手帳交付申請のための被爆証人捜しの1人を公表。
1.10 長崎市長、米ワシントン市のホワイトハウスを訪れ、大統領の長崎訪問を文書で要請。
1.10 日本被団協、米とイラクの外相会談が不調に終ったのを受け、「武力行使はヒロシマ・ナガサキの悲劇につながり絶対反対」との電報を米・イラクなどに打つよう、全都道府県の被団協に要請。
1.10 原水禁国民会議、米・イラク外相会談が不調に終ったのを受け、「広島・長崎に原爆を投下した時と同じ論理が見える」と米を批判する緊急アピールを発表。
1.- 長崎市、北米在住被爆者を対象に実施している渡日治療を、南米在住被爆者にも実施する方針を決定。3月に1人を招請の予定。
以上、少し長くなったが、1991年1月10日までの事項の一部を紹介した。数の多さに驚かれたのではないだろうか。原水禁・平和運動、原爆文学、韓国人被爆者問題、平和教育、被爆証人捜し、平和都市、在米被爆者問題など、多岐にわたる事象が今なお生起している。また、記憶に新しい「湾岸戦争」を懸念する被爆地からの動きや、チェルノブイリ原発のヒバクシャに対するヒロシマからの救済活動など、従来の「被爆問題」の枠を越えた新たな展開も見られる。月別の事項の件数は表2に示した通りである。それによると、1986-1990年の5年間で、年間2000件前後の事項を採録している。このうち、慰霊行事・原水禁大会などが開催される7・8月の合計が、年間の約三分の一を占めている。
5.社説・投書等
社説・投書、コラム、連載記事についても「年表」と同様に、データ・ベース化を実施している。社説・投書・連載については一年分をまとめて「資料調査通信」で紹介している。社説・連載については中国・朝日・毎日・読売・長崎新聞の他、政党紙(自由新報・社会新報・週間民社・公明新聞・赤旗)についても調査し、公明・赤旗については必要記事を切り抜き・保存し、それ以外のものは原紙で保存している。さらに、広島・長崎以外の地域での「原爆報道」について探るため、1986年より国会図書館所蔵の全国主要地方紙50紙を対象に、7.8月掲載の社説・連載の調査を実施している。1986-1990年に掲載された連載記事の件数は表3に示す通りである。
6.利用・検索について
以上、紹介してきたように、資料センタ-の新聞切り抜きは、切り抜きファイルとパソコン入力データの二本立てで整理されている。ある特定のテーマについて調べる場合はファイルの利用が適しており、「年表」では時系列を追って被爆問題全般について概観できる。また、入力データでは、パソコン機能を利用した検索ができる。「年表」の事項には、3つの分類番号が与えられており、実際の切り抜きファイルへの分類は第1番目の分類番号によって分類されているが、パソコンでは第2番目、3番目の分類番号の事項も検索できる。また、事項の中に含まれる単語=キイワードでの検索もできる。複数のキイワードの組合せ、あるいは分類番号とキイワードとの組合せも可能である。例えば、Ⅱ-102「映画・演劇」とキイワード「黒い雨」を組み合わせると、映画「黒い雨」に関する事項を検索できる。このようにパソコン機能を利用すれば、従来のテーマ別分類の欠陥を補うことができる。但し、それらの事項を掲載した切り抜き記事を見ようとすれば、第1番目の分類番号と、年月日によって、切り抜きファイルから捜し出さねばならない。第2・3分類で検索した場合、あるいは分類番号と キイワードの組合せなどで検索した場合には、必ずしも同一分類番号のファイルに分類されていないこともあるので、現状では実際の記事を捜し出す作業が煩雑になるという欠点がある。
7.「資料調査通信」について
「資料調査通信」は1981年8月に創刊され、センターで受け入れた文献・図書資料と、「被爆問題年表」を中心に紹介している。新聞関係では、先に紹介した社説・投書、連載記事の他に、新聞記事ならではの今日的な話題を取り上げて、「トピック」として紹介している。例えば、「国連軍縮週間」(1981年10月号掲載)・「『老人保健法』と原爆医療法」(1981年12月号)・「反核・軍縮の決議・意見書・宣言を採択した途方議会一覧」(1882年3月号)・「ビキニ被災30周年-新聞記事によるビキニデーの変遷」(1984年3月号-5月号)・「厚生省の被爆者実態調査結果の報道」(1987年5月号)・「新聞記事による被爆韓国人・朝鮮人問題年表」(1990年2・3・4月号-7月号)などである。「通信」は、原則として毎月発行され、広島市内・外の120余の関係機関・個人に送付している。
-今後の課題-
1.資料整理に関して
「被爆問題年表」のパソコン入力は、1982年まで完了している。さらに、1977-1981年(「年表」は作成済み)については逐次入力していく予定である。1976年以前については、「年表」の作成から取り組まねばならない。センター所蔵の1967-1976年分の切り抜き枚数は約1万枚に上り、これらを年表化していく作業はかなりの人手と時間を要することから、現在まだ未着手の状態である。しかし、現在の資料を生かすためにも、今後はさらに過去にさかのぼって資料を整理していくことが大きな課題である。
次にそれらの資料の検索システムについても改善の余地がある。6.「利用・検索について」の項で言及したように、現在のシステムでは、入力デ-タと切り抜きファイルが必ずしもスムーズに対応しない場合がある。これに関しては、現在開発の進んでいる光ディスクの利用で、かなりの改善が期待できる。光ディスクに限らず、飛躍的に進歩している情報管理システムに対して、迅速に対応していく態勢を整えることも大きな課題として挙げられる。
また、切り抜きファイルは新聞記事を切り抜き、台紙に貼付したもので、台紙で補強しているため強度の面では現在にところ、十分使用に耐え得る。しかし、新聞紙は劣悪な紙質の再生紙であることから、長期にわたる保存は難しい。従って、将来的には切り抜きのマイクロ・フィルム化などの対策が必要となってくる。
2.利用面での改善
資料センタ-では、これまでのところ、一般の図書館のようなレファレンスやコピーサービスといったサービスシステムが確立されていないという状態であった。しかし、センターの設立の当たっては、被爆者・市民らの「広島に原爆被災の資料センタ-を」との世論が大きな役割を果たしたという経緯があり、センターとしては、これらの被爆者・市民の声に積極的に応えて行かねばならない立場にある。また、被爆問題の社会性という側面から、センター所蔵の資料は、大学内だけでなく、広く一般に活用されるものである。現在でも、6月から8月にかけて、マスコミ関係者、一般の研究者・学生など多数に利用されているが、今後はさらに、被爆地からの情報発信の場として、資料閲覧スペースの整備、コピーサービス・システムの確立などが望まれる。また、入力データについて、パソコンネットワークを利用すれば、より広範囲に手軽に情報の提供が行えることになる。このような機器の導入も併せて検討している。
[中略]
原爆遺跡年表
(原爆ドーム)
58 06 - 広島市が総理府などに依頼した観光診断の報告書がまとまる。それによると、原爆ドームは永久保存すべきと言明。
60 12 01 日本原水協主催の「原水爆禁止、被爆者激励大会」で、広島県・市原水協が原爆ドーム取り壊し反対の緊急動議を提出し、満場一致で採択。
60 12 02 日本原水協代表、原爆ドーム保存を広島市に要請。
61 08 - 建築学の京大名誉教授近藤泰夫、原爆ドームについて緊急に調査・補強工事をすべきであると警告。
63 10 - 広島商工会議所、同会議所新築工事に伴う原爆ドームへの影響調査を広大工学部に依頼。
64 04 11 広島市、原爆ドームが風化現象によって自然崩壊の危険が強いと、ドーム西側の民家1戸に立ち退きを指示。
64 06 - 丹下健三東大工学部教授、来広し、原爆ドームの保存策を考えて欲しいとコメント。
64 07 13 映画監督市川昆ら、東京オリンピックの記録映画撮影のため来広。国内でのトップシーンに原爆ドームを使うことを計画。
64 07 21 原爆ドームの存廃をテーマにしたラジオドラマ「ドームの歌」(NHK広島放送局製作)、放送。
64 12 22 社会・共産党系など11の平和団体代表、浜井広島市長に原爆ドームの永久保存を要請(分裂以来初の共同行動)。市長、保存の意向を表明。
64 44 26 広島市原水協、原爆ドームを永久保存すべきとの方針を決定。
65 01 01 広島折鶴の会、原爆ドーム保存募金運動を開始(15日まで)。
65 01 06 広島折鶴の会、原爆ドーム保存募金と署名簿を広島市長に提出。
65 02 11 広島市、原爆ドーム保存調査費100万円を計上。
65 03 29 京大名誉教授近藤泰夫、広島市長に、原爆ドーム保存を要請する要望書を提出。要望書は湯川秀樹ら8人の連名。
65 07 02 広島市、広大工学部に依頼して原爆ドームの基礎調査を実施。
65 08 06 テレビ番組「現代の映像“ドームの20年”」(NHK)、放送。
65 09 - ソ連の子供たちから、原爆ドーム保存を訴える手紙が広島市長に届く。
65 11 15 広大工学部佐藤重夫教授、原爆ドームは補強すれば保存できるとの中間報告を発表。
66 07 11 広島市議会、「原爆ドーム保存の要望」を満場一致で決議。
66 07 20 「原爆資料保存会」、広島市に、原爆ドーム保存募金約7万円を寄贈。
66 07 24 広島市被団協(田辺勝理事長)、広島市での被爆者集会で、原爆ドームは市費で永久保存の方策をとるよう要求する方針を決定。
66 07 - 広島市、原爆ドームを一般からの募金で保存することを検討中。
66 08 01 広島市、原爆ドームを保存し、工事費4000万円を募金でまかなうことを決定。6 08 02 高梁市の老人グループ、中国新聞社に原爆ドーム保存募金を寄託。
66 08 06 広島市、「原爆ドーム保存の訴え」を発表し、募金活動を開始。原爆ドーム保存募金事務局を設置。
66 08 16 広島市議会の共産党議員団、原爆ドームを市費で保存するよう広島市に申し入れ。
66 08 17 広島市長、市議会各派代表者会議で、原爆ドームの保存募金を決めた経緯について説明。
66 08 17 広島市議会で、市が決めた原爆ドーム保存募金について、議会側に説明がなかったなどの批判が続出。このため募金要領なども未定のまま。
66 08 22 女優吉永小百合ら、広島市に原爆ドーム保存募金を寄贈。
66 08 - 「広島折鶴の会」、東京で開催中の総評定期大会に、原爆ドーム保存募金に協力を要請するメッセージを送付。
66 08 - 広島市の原爆ドーム保存事務局の体制が整わず、募金体制が足踏み。
66 09 - 9月広島市議会で、原爆ドーム保存募金問題について論議されず、募金活動進まず。
66 10 06 広島市議会の各派代表者会議で、原爆ドーム保存募金に対する結論持ち越し。
66 10 17 インドの国際法学者パール博士からの原爆ドーム保存募金が、広島市に届く。
66 10 21 広島市長、11月1日から原爆ドーム保存募金を実施すると発表。
66 10 28 広島市議会、原爆ドームを文化財保護法による国の史跡指定を受け、永久に保存する運動を進めることを決議。
66 10 - 広島市、原爆ドーム保存募金への協力を呼びかける英文の趣意書を、国内に先立ち、26カ国に発送。
66 10 - 原爆ドーム保存募金として103件・86万円余が寄せられる。
66 11 01 広島市の原爆ドーム保存募金、開始。67年2月末まで、目標額4000万円。
66 11 05 総評、原爆ドーム保存募金について、広島市長らと協議。1000万円の募金を約束。
66 11 07 実践倫理宏正会、原爆ドーム保存募金に100万円を寄付。
66 11 11 原爆ドーム保存の街頭募金スタンド、市役所など4ヵ所に設置。
66 11 13 原水禁国民会議の代表、インドでの「戦争の危険に反対する国際会議」で原爆ドーム保存募金への協力を呼びかけ。
66 11 14 自民党県連、原爆ドーム保存募金に10万円を寄付。自民党県議団48人も一人1000円ずつ募金。
66 11 21 米のヒロシマ・ピースセンター協力会から、原爆ドーム保存募金18万円が届く。海外からの募金第一号。
66 11 22 世界平和アピール七人委員会、建設相に原爆ドーム保存募金への政府の協力を要請。
66 11 25 広島市で開催中の世界連邦西日本大会で、原爆ドーム保存募金への協力を付帯決議。
66 11 25 呉市の呉港高校生徒会、原爆ドーム保存募金に協力。この他、油木町の中学生、呉商業高校生徒、賀茂郡入野中学校生徒・島根県大和中学校生徒、船越小学校生徒、安佐郡原小学校生徒、尾道工業高校、三原東高校生徒らも協力。
66 11 28 広島市、自民・社会・民社・公明等150団体を招いて、原爆ドーム保存募金の趣旨説明をし、協力を要請。
66 12 03 日本原水協、原爆ドーム保存募金運動に積極的に参加することを決定。
66 12 06 日本原水協代表、広島市長に、原爆ドーム保存募金運動への協力を申し入れ。
66 12 09 社会党、党大会で、原爆ドーム保存決議を満場一致で採択。
66 12 19 中国新聞社、原爆ドーム保存募金に金一封を寄付。
66 12 - 原爆ドーム保存募金に、497件500万円余が寄せられる。
66 12 - 広島市、国からの公園整備補助を断念し、原爆ドーム保存の補修費を、全額募金で集めることを決定。
67 01 27 中国国税職員組合、原爆ドーム保存募金に寄金(約9万円)。
67 01 30 広島市長ら、原爆ドーム保存の街頭募金を実施(1時間で約3万円)。
67 01 - 元NHK会長、英紙タイムズに、原爆ドーム保存募金への協力を要請。
67 02 13 広島市長、上京し、平和アピール7人委員会に、ドーム保存募金への協力を再要請。
67 02 19 広島市のボーイスカウト・被爆者団体など(130人)、ドーム保存の街頭募金を実施(23万円余)。広島市長も参加。
67 02 25 島根大学平和委員会など、ドーム保存の街頭募金を実施。
67 02 25 広島市長、上京し、都内で、ドーム保存の街頭募金を実施(27日まで)。43万円余が集まる。
67 02 26 ドーム保存募金、2000件、1300万円。
67 02 27 広島市、2月末で終了する予定だったドーム保存募金を、目標額の4000万円が集まるまで延期することを決定。
67 02 28 広島市、ドーム保存募金を集計。2680件、1666万円余。
67 02 - 東京都の会社員、ドーム保存のための社内募金を実施 。
67 02 - 社会奉仕グループ「広島国際青少年協会」、ドーム保存の街頭募金を毎日実施(3月2日までで、募金額90万円を越える)。
67 02 - ドーム保存募金、低調。2月末までの目標額4000万円に対して、現在高は1000件、800万円。
67 02 - 原爆ドーム保存募金に、連日100万円以上の寄付が届く。
67 03 02 広島県婦協、ドーム募金65万円を広島市に寄付。この他、国泰寺高校・高田郡の老人クラブ・安佐郡の児玉病院などからも寄付。
67 03 03 広島市、市議会に、原爆ドーム保存第一期分補強工事費3000万円を追加提案。
67 03 03 広島市、原爆ドーム保存のための第一期補強工事費3000万円を広島市議会に提案。
67 03 05 尾道ロータリークラブ会長、ドーム保存募金に10万円を寄付。
67 03 05 府中市の青年ら、同市内で、ドーム保存の街頭募金を実施。
67 03 06 原爆ドーム保存募金、3000万円を突破。
67 03 08 広島県知事、県議会で、ドーム保存募金に対して、募金運動の成功を念願するとの態度を表明。積極的関与の考えは無し。
67 03 08 岩国市東小学校生徒ら、ドーム保存募金に寄付。この他、賀茂郡の酒造会社・御調中学校生徒・三次市十日市小学校生徒・竹原市竹原中学校生徒・山県郡の殿賀小学校生徒・世羅郡の西大田中学校生徒・賀茂郡の高屋中学校生徒らも。
67 03 09 広島市、ドーム保存の補強工事を前に、接着剤の注入テストを実施。建設省建築研究所部長ら、視察。
67 03 11 テレビタレント永井智雄ら、東京で、ドーム保存の街頭募金を実施(4万6千円余)。
67 03 12 広島県原水協・県被団協など、平和記念公園で、ドーム保存の街頭募金を実施(1万7千円)。
67 03 13 原爆ドーム募金、目標の4000万円を達成。14日、募金を終了。
67 03 14 浜井広島市長、原爆ドーム募金が目標の4000万円に達したので募金を終了すると発表(7364件、4025万円)。
67 03 - 松江市、原爆ドーム保存募金に協力し、市民に一人一円募金を呼びかけ。
67 03 - 国会議員の一部、原爆ドーム保存募金に協力することを決定。
67 08 05 原爆ドーム保存工事、完成し、完工式開催(山田広島市長ら約500人参加)。
67 08 05 広島市の原爆ドーム補強工事の完成式、開催(山田広島市長ら、約500人参列)。全国からの募金額は668万円(目標額4000万円)。
68 12 02 広島市、原爆ドーム保存募金運動の母体となった「原爆ドーム保存協力会」(会長、山本広島商工会議所会頭)を解散することを決定。
70 04 05 原爆ドームの設計者である故ヤン・レツルの血縁者から、ドームの写真を送ってほしいとの手紙が広島折鶴の会に届く。
72 08 - 広島市の藤本為吉、原爆ドームの噴水口の人面像を保管。
75 08 05 原爆ドーム(旧産業奨励館)、建設以来60年を迎える。85 07 - 岡山大学近藤義郎教授、原爆ドームを国の史跡として保存するよう呼びかけ。
86 02 - 日本考古学協会、原爆ドームを国の特別史跡に指定するよう求める運動を開始。100団体に賛同署名を求める文書を送付。
86 03 08 広島折り鶴の会、日本考古学協会の原爆ドームの特別史跡指定運動に呼応して、広島市で署名運動を開始。
87 01 22 広島市、原爆ドームを20年ぶりに補修することを決定。
87 07 11 「原爆ドーム保存調査技術検討委員会」、原爆ドームの保存調査を開始。
87 11 04 「原爆ドーム保存調査技術検討委員会」、一部補修の必要があるとの調査結果を発表。
88 01 20 「原爆ドーム保存調査技術検討委員会」、原爆ドーム補修工事の工法などを決定。
88 03 - 外務省、日本が批准の準備をしている「世界の文化遺産・自然遺産保護条約保護条約」の指定遺産として原爆ドームを検討中。
88 08 - 「広島折鶴の会」、原爆ドームの設計者ヤン・レツルのめいに被爆写真集などを寄贈。
88 10 06 広島市、1989年秋に原爆ドーム補修工事を実施することを決定。補修費用を全国募金で調達することを検討中。
(原爆遺跡)
69 01 17 広島市の堀川町の久保田本店の煙突、取り壊し工事、開始。煙突上部は広島平和記念資料館に保存。
69 03 - 広島市の「縮景園」に薬草園、開園。被爆したエノキも同園で保存。
70 06 - 広島市教委、基町地区の再開発で破壊される恐れのある旧陸軍輜重隊倉庫・陸軍病院門柱などを、保存するよう広島市に要請。
71 01 25 広島市の住友銀行広島支店、老朽化で取り壊し工事を開始。同支店の「死の人影」は、切り取られて広島平和記念資料館に移設。
71 12 - 広島市基町で、旧護国神社の鳥居の礎石の1つを発見。
72 02 - 広島郵政局局舎(昭和8年建設、広島市東白島町)、建て替えの検討を開始。
72 09 - 旧被服支廠(出汐町)の赤レンガべい、原爆資料館に移設。
73 03 13 御幸橋(昭和5年建設)、取り壊し工事開始。
73 03 - 常盤橋(昭和2年建設)、取り壊し工事開始。
73 04 - 中国郵政局の建て替えで、同局の被爆アオギリ、広島平和記念公園に移植。
73 05 11 相生橋(昭和7年建設)の架け替え、決定。
73 07 30 元安橋、欄干の親柱・石灯ろうなどが欠落したまま放置される。
74 02 - 山陽記念館(昭和9年建設)、荒れ放題のまま放置され、改築の見通しも立たず。
74 07 - 旧燃料会館(大正年間に建設、中島町平和記念公園内)、老朽化のため取り壊しが決定。
76 01 - 旧陸軍被服倉庫、周辺住宅の除去で全容を現し、存廃についての論議が始まる。
76 04 30 基町住民による「基町明治会」、旧陸軍被服倉庫と柳の木の保存を、広島市に要請。
76 06 23 広島市、旧陸軍被服倉庫の保存問題について検討を開始。
76 06 - 広島県被団協(森滝市郎理事長)、旧陸軍被服倉庫の保存運動に乗り出すことを決定。
76 07 - 映画監督楠木徳男ら、旧陸軍被服倉庫を記録する映画の撮影を開始。
76 09 - 広島市、市営アパート建設の計画を練り直し、基町大クスの木の保存を決定。
76 09 - 広島逓信病院の旧病棟(昭和10年建設、東白島町)の取り壊し、開始。
77 01 13 広島市、旧陸軍被服倉庫の撤去を決定。「被爆当時と外形が異なり被爆の惨状を残す建物としての保存は適当でない」との見解。
77 04 - 広島城公園のユーカリ(樹齢80年)、異常寒波で葉枯れ。
77 08 06 舟入公園の老松3本(樹齢60ー70年)、護岸工事のため切り倒し。
77 10 12 相生橋の架け買え工事、開始。
77 11 - 広島市、相生橋の親柱を保存することを決定。
78 07 - 広島地方貯金局、移転に伴い、取り壊しが確定。
78 04 - 広島市役所本庁舎外壁のケロイドの塗り替え工事、開始。
79 04 - 広島市、原爆遺跡選定会議を設置。
78 06 01 旧陸軍被服倉庫の取り壊し、開始。
79 01 - 広島市基町太田川沿いの大エノキ(樹齢約100年)、河川改修工事のため切り倒し。一部は原爆資料館で保存。
79 06 - 広島市立基町小学校児童ら、基町本川沿いのエノキの保存運動を開始。
79 09 17 広島市の「原爆遺跡選定会議」、初会合(原田東岷・庄野直美ら市民代表14人出席)。
79 10 16 広島市の原爆遺跡選定会議、原爆遺跡説明板設置予定地7ヵ所を選定(島病院・広島駅・万代橋・御幸橋など)。
80 01 - 旧被服廠(出汐町)の保存検討中。
80 01 28 原爆遺跡選定会議、「原爆遺跡」として説明板を設する10ヵ所を最終決定(島病院・旧革屋町・広島駅・元安橋・旧中国軍管区司令部・広島赤十字病院・広島大学本部・袋町小学校・原爆ドーム・市役所)。
80 06 10 広島市、架け替え工事中の相生橋のデザイン募集を開始(130点が応募、一席作品は該当無し)。
80 08 08 広島市が、似島に、レクリエーション施設を建設する計画を進めていることが判明。
80 08 20 広島県原水協、広島市に、似島の原爆遺跡保存を要望。
80 09 - 自治体問題研究所・広島研究会、広島市の似島へのレクリエーション施設建設計画について批判。
80 09 - 相生橋の記録映画「生まれ変わる相生橋」(中国地方建設局製作)、完成。
80 09 05 公明党広島県本部など、広島市の似島へのレクリエーション施設建設計画に対して、充分な事前調査を広島市に要望。
80 09 09 社会党広島市議団など、似島のレクリエーション施設建設予定地を視察。
80 09 15 平和を語る青年の集い、似島の原爆遺跡などを見学。
80 12 02 広島市、市役所本庁舎の建て替え計画で、新庁舎のデザインをコンペ方式で採用することを決定。
81 01 27 広島市、「原爆被災説明板」第1号を設置し、原爆ドーム前で除幕式(広島市長ら約50人参加)。
81 04 23 広島市、新庁舎の入選設計を決定。原爆遺跡として玄関石段などを保存することを決定。
81 06 25 新庄の宮神社のクスノキの枝、切り落とし。
81 07 25 旧相生橋の橋げたの一部、被爆資料として広島原爆資料館で展示。
81 11 20 広島市、原爆被災説明板を新たに10ヵ所設置することを決定(1980年に続く第2弾)。
81 11 21 元安橋の欄干の一部、元安川左岸で36年ぶりに発掘。
81 12 28 万代橋の架け替え工事、終了。旧橋の親柱を橋のたもとに保存。
81 12 19 相生橋の新橋のデザイン、決定。
82 01 - 袋町小学校の校舎(大正11年建設)の壁の塗り替え、実施。
82 02 - フコク生命ビル(昭和11年建設)の取り壊し、開始。
82 04 - 旧広島中電話局の庁舎(昭和3年建設)の取り壊し、開始。電通遺族会、被爆タイルの保存・慰霊碑建立などを要望。
82 05 - 広島市の矢野公民館、旧広島中電話局の被爆タイルを用いて平和教育活動を計画。中国電通局・電通遺族会も協力。
82 06 23 中国電通局、旧広島中電話局の跡地に、被爆タイルを用いて慰霊碑を建立することを決定。
82 07 08 旧広島中電話局の被爆タイル、広島原爆資料館に寄贈される。
82 08 04 相生橋の平和記念公園に通じる連絡橋の架け替え工事が終了し、開通。
82 09 - 広島市、旧陸軍糧秣支廠(明治44年建設、宇品)を郷土資料館として保存することを決定。
82 09 11 広島市教委、解体修理中の広島東照宮(1648年建立、二葉の里)について、市民向け説明会を開催。
82 09 18 「似島平和遺跡を保存する会」、似島の原爆遺跡の保存などを広島市に要望。
83 02 03 広島市の新庁舎建設に伴い、庁舎の取り壊し作業開始。
83 08 20 旧陸軍糧秣支廠の改修工事、開始。
83 09 - 牛田浄水場の予備ポンプ室(大正13年建設)が、「水道資料館」として保存されることが決定。
83 11 02 相生橋の架け替え工事、終了し、完成式開催(約400人参加)。
83 10 - 山陰合同銀行広島支店(昭和11年建設、立町)、老朽化のため取り壊し決定。
83 10 26 横川橋(大正12年架橋)の架け替え工事、開始。
84 03 - 旧相生橋の親柱、平和記念公園内に復元し、説明板を設置。
84 10 - 広島市役所の桜の木、新庁舎完成後も現在の場所に残されることが決定。。
84 05 17 御幸橋(昭和6年建設)の架け替え工事、開催。
84 04 - 工兵橋(明治22年建設)の改修、決定。
84 05 - 広島県、旧広島県港湾事務所の保存問題について検討中。
84 08 - 原爆資料館、被爆樹木の選定・保存方法の検討などを開始。
84 08 - 広島市中区役所、被爆樹木についての情報収集に協力を呼びかけ。
84 08 21 基町の被爆エノキ(旧第二陸軍病院跡地)、台風で倒壊。同エノキは、基町小学校生徒らが平和学習の一環として保存運動を推進。
84 08 24 広島市、台風で折れた基町のエノキの保存作業を開始 。折れた幹は平和教育教材・研究資料として提供。
84 09 03 安田女子高校生徒ら、広島城内の被爆ユーカリの保存策を求める要望書を広島市に提出。
84 09 - 鶴見橋のヤナギ(樹齢約120年)、台風で亀裂が入り南区役所が保護作業を実施。
84 09 - 広島県高校生平和ゼミナール、台風で倒れたエノキの枝などを全国の平和資料館などに送付。
84 09 - 大阪府の小学生から、台風で倒れたエノキを見舞う手紙が届く。同小学生らは、5月に修学旅行でエノキを囲んで平和学習。
84 12 20 中国電力本店2号館(昭和4年建設、小町)、老朽化ため取り壊し開始。
84 10 - 広島市中区役所へ、被爆樹木26本の情報が寄せられる。
84 10 - 被爆翌年に広島城跡にあった被爆ヒイラギが、大竹市で保存されていることが判明。
84 12 04 広島県被団協(佐久間澄理事長)など、被爆遺跡である現庁舎を保存するよう求める陳情書を提出。
85 01 25 広島市役所の本庁舎の取り壊し、決定。
85 01 26 広島県原水協など、広島市役所本庁舎の取り壊し決定に対して、広島市に抗議。
85 02 - 広島市平和文化センター、被爆建物の写真撮影作業を実施中。
85 03 - 広島市役所の被爆桜、新庁舎の建設に伴い移設され、残された1本が開花。
85 05 11 旧陸軍糧秣支廠を改造した広島市郷土資料館、完成し開館。
85 04 30 広島市議会、現本庁舎の部分的な保存方法を検討する協議会を発足させることを決定。
85 05 16 広島市役所の新庁舎、完成し、定礎式開催。
85 05 16 広島市、旧庁舎の一部を平和学習教材として全国の小・中学校に寄贈することを決定。
85 05 20 広島市原水協、新本庁舎の定礎箱に被爆資料を入れることや、現庁舎の保存などを要望。
85 05 - 広島市立基町小学校生徒ら、1984年に台風で倒れた被爆エノキの新芽を確認。
85 05 28 広島市、旧慈仙寺の墓石に、「原爆遺跡」であることを示す説明板を設置。
85 06 - 広島東照宮の石積みに、被爆経緯を記した「原爆誌」が設置される。
85 06 12 広島市議会の庁舎検討委員会、初会合。
85 07 - 広島市役所の桜、新庁舎建設のため、一時移転。
85 07 21 広島市役所本庁舎親子スケッチ大会、開催(「市庁舎を保存させる会」主催、約80人参加)。
85 08 15 広島市議会の旧庁舎検討協議会、旧庁舎を取り壊し、正面玄関の石段と地下室の一部のみを保存することを決定。
85 08 19 千葉県我孫子市被爆者の会代表、広島市役所旧庁舎の被爆敷石を展示するため、広島市に譲渡を申し入れ。(兵庫県美方郡なども申し入れ。)
85 08 - 広島電鉄、被爆電車156号を全面修理し、動態保存する方針を決定。
85 08 30 広島市、旧本庁舎の壁の一部を切取り保存・展示することを決定。
85 10 07 広島市役所旧本庁舎の解体工事、開始。
85 09 - 広島地方気象台の移転に伴い、気象台本館の保存を求める声が高まり、陳情・署名運動など開始。
85 11 09 横川橋の架け替え工事、終了し、開通式開催(広島市長ら450人出席)。
85 11 28 広島市役所旧庁舎の敷石、我孫子市の被爆者団体と兵庫県美方郡温泉町などに寄贈。(このほかにも、譲渡の申し出が相次ぐ。)
85 12 10 広島市、市役所新庁舎の玄関前広場の整備計画を決定 。旧庁舎の地下室を被爆資料展示室とすることなどを計画。
86 07 02 構内整備のため、倉掛小学校に一時移植していた広島市役所の被爆桜、同構内に植え戻し。同小学校には被爆桜の苗木を寄贈。
86 05 06 工兵橋の改修工事、終了し、開通。
86 09 11 御幸橋の取り壊し作業、開始。広島市、親柱と飾り柱の保存を決定。
86 10 - 「中区の文化を考える会」日本銀行広島支店を保存し、文学館などに利用するよう求める運動を開始。
86 11 - 「頼山陽先生遺蹟顕彰会」、頼山陽記念館を復元することを決定。
86 11 - 比治山のクロマツ(樹齢約300年)、枯死。
86 12 27 御幸橋の被爆石、東京都葛飾区に寄贈され、平和モニュメントにされることが決定。
87 01 - 広島市、広島気象台を「気象資料館」保存することを決定。
87 02 - 広島市、元安橋の架け替えを計画。
87 04 - 広島市役所の被爆桜、移植後初めて市役所構内で開花。
87 04 08 旧広島文理大の被爆タイル壁、説明板を付けて広大理学部正面玄関に設置。
87 04 25 旧中国逓信局のアオギリ(1973年に平和記念公園に植え替え)の枝が折られているのが発見される。
87 06 11 広島市立本川小学校の東側校舎(昭和3年建設)の解体工事、開始。校舎の一部を保存し、「平和資料室」として利用する計画。
87 06 - 広島市、旧燃料会館(現在の平和記念公園レストハウス)の建て替えを検討中。
87 06 27 旧逓信局のアオギリが、枯死寸前であることが判明。
87 08 - 広島逓信病院の庭で被爆したヒマラヤ杉、健在。
87 08 - 広島城跡発掘調査で、被爆の跡を残す礎石などを発見。
87 09 21 広島市、広島地方気象台の被爆庁舎の保存について検討する委員会を開催。
87 12 - 国前寺本堂・庫裏(1656年建立)、広島市の重要文化財に指定される。
87 12 - 広島地方気象台、新庁舎へ移転。現庁舎は気象資料館として利用することを計画。
88 03 - 旧中国逓信局で被爆したアオギリの二世作り、広島市植物公園で実施。
88 09 28 広島銀行銀山町支店(昭和12年建設)、建て替えのため解体作業を開始。
88 04 - 旧広島市庁舎の被爆石、1989年にオープンする市現代美術館の玄関前広場に敷設。
88 04 - 広島市平和記念公園の被爆アオギリ、広島県の「花と木の百選」に選定される。
88 05 - 広島駅構内のこ線橋(大正14年建設)が被爆遺跡であることが判明。
88 06 - 鶴見橋の被爆ヤナギ、同橋の架け替えのため一時移植される。
88 09 - 日本銀行広島支店の移転、決定。
88 05 - 基町の被爆エノキ、新芽が出ず枯死の心配される。福岡県の小学生ら、エノキを切らないよう広島市に手紙を送付。
88 09 - 旧広島地方気象台の建物を活用した「気象資料館」の基本構想、決定。
88 10 - 御幸橋の欄干のデザイン、決定。旧橋を模したデザインで飾り柱などを復元。
88 10 - 料亭「佐々木別荘」(明治の建築)、都市再開発のため建て替えが決定。
88 11 11 「中区の文化を考える会」、日銀広島支店の保存を求めて署名運動をすることを決定。
88 11 28 旧広島貯金支局(昭和12年建設)の解体作業、開始。被爆タイルなどは原爆資料館に寄贈。
原爆遺跡年表[解題]
秦野裕子(広大原医研)
新聞は、「原爆遺跡」について、様々な機会に多種多様の報道をしてきた。広島大学原医研資料センター所蔵の新聞資料によって作成したのが「原爆遺跡年表」(1958年ー1988年)である。この年表をもとに、「原爆遺跡」について概観し、取り組むべき課題などについて考えてみたい。
(ドーム保存について)
広島市で「原爆遺跡」について考える場合、まず第一に挙げられるのが「原爆ドーム」であろう。1989年のドーム保存募金の全国的な盛り上がりは記憶に新しい。しかし、このドームにしても、初めからこのような「遺跡」の代表として確固たる位置を占めていた訳ではない。以下に新聞報道によるドーム存廃の論議を紹介していく。
1958年に、ドーム存廃について、「市民の意見は半々 撤去論“悲劇を売物にするな” 保存論“忘れられない象徴”」(中国)という見出しで特集記事を掲載している。同記事では撤去論として「あのままドームを残して原爆の威力を伝えるにはあまりにも貧弱だ。外国人にもあの程度の被害かと誤認されたくない。」との当時の広島市議会議長任都栗司の意見を紹介している。また、広島財界の指導者の意見として、「ドームを観光の一助にするという考えは悲劇を売物にするのと同じことだ。」との意見を紹介している。さらに、60年には「存廃論議される“原爆ドーム”」(中国・夕)との見出しで特集されている。撤去論として上記の他に、「いつまでも不快な記憶を留めたくない。」「市の美観をそこなう。」などの理由を挙げ、被爆者の中にも撤去論者は多いようだと報じている。これに対する存置論として、「平和のシンボルとして置くべきだ。」「戦争の惨禍を忘れないためにも必要。」との意見を紹介している。さらに、田宮虎彦、大江健三郎、ロベルト・ユンクら著名人の存置論も紹介し、「存置論者 外部関係に多い」との見出しを付している。このような中で、浜井広島市長は、「積 極的に壊す気はないが、存廃はすべて世論にしたがって決める。」との見解を表明し、補強費1000万円のねん出も困難と財政面での苦労も訴えている。この時点では、広島市さえも、ドーム保存について確固たる方針を持っていなかった訳である。しかし、1960年12月1日には、広島市で行なわれた日本原水協主催の「原水爆禁止、被爆者激励大会」で、原爆ドーム取り壊し反対の緊急動議が満場一致で採択されている。これを受けて翌日、日本原水協代表は、広島市に保存を訴える要請書を提出したが、市側は、「検討中」とのみ回答している。
京大近藤泰夫名誉教授は、翌年1961年8月に来広し、原爆ドームが「非常に危険状態に陥っている。」と指摘している。「一日も早く専門的な調査をし補強工事をすべき」で、「これ以上放置できない限界にきている。」と警告を発したが、市は、危険防止のため周囲に金網をめぐらしてあることや、工事費に多額の費用を要するとの理由で、依然、調査にさえ着手しない。
1963年10月、電車通りをへだてた向いの広島商工会議所のビル新築に伴って、同会議所が、原爆ドームへの工事の振動の影響調査が実施される。この時にも浜井広島市長は、「ドームにはサクが張ってあるので大丈夫ではないか。」とのんきな意見を吐いている。さらに、「私としてはドームを補強してまで保存する価値はないと思う。」とコメントしている。ところで、同月6日のコラムはドームについて、「永久保存」・「即刻取り壊し」・「成行き任せ」の3つの意見があると紹介している。遺跡の存廃論議において、「成行き任せ」というのは、何とも奇妙な意見だが、同コラムは「複雑な両論にはさまれていずれにも決めかねている。」と広島市の「成行き任せ」論を説明し、振動の影響調査では、一応崩壊の心配はないとの結論を得ている。しかし、64年4月には、ドーム西側の民家に自然崩壊の危険が強いと立ち退きを指示た。
・保存への動き
1964年11月に広島市原水協(会長・浜井広島市長)は、原爆ドームは永久保存すべきとの方針を決定し、県原水協総会に、1965年の被爆20周年記念行事としてドーム保存運動を起こすことなどを提案する。翌月12月には分裂以来初めて、社会党・総評系、共産党系、保守・民社党系の3原水禁団体を含めた11の平和団体が大同団結し、広島市にドームの永久保存を要請した。これに対して、浜井広島市長は、「来年度予算案に調査研究費を計上して専門家に保存方法を研究させる。」と答えている。広島市は、被爆後19年にして初めてドーム保存の意志を表明した訳である。被爆20周年に当たる65年には、1月から広島折鶴の会がドーム保存を訴える署名と募金運動を開始する。また、広島市観光協会も、同月広島市に、ドーム保存の要望書を提出している。このような動きの中で、市はやっとドームの強度調査費100万円を計上する。この時点でのドームの保存状態は「昨年春には降り続いた春雨がしみ込んで正面4階部分のヒビが大きく割れ、近くでビル工事も始まったため、内部に30数本のワイヤーや補強サクを取り付けて自然崩壊を防いだ。」(65.2.12中国)という状態で、崩壊寸前だったことがうかが える。3月は、
1961年にもドーム保存について早期補修を進言した京大近藤泰夫名誉教授が、再び来広し、広島市長にドーム保存の要望書を提出する。要望書は湯川秀樹・丹下健三ら8名の連名であった。同教授は、「小っちゃな地震でもすぐこわれるほど危険な状態になっている。」と、ドーム補修が緊急を要することを強調た。さらに、同教授は中国新聞に「原爆ドームの保存を訴える 建築学上もむずかしくない」(4.30)との一文を寄せた。その中で、西ベルリンの戦災を受けた教会の修復の例を引き、ドーム保存の意義を訴え、また、建築学の専門家として、ドーム補修が技術的に可能であると発言している。新聞投書欄に、「原爆ドーム撤去せよ」(65.5.4)との投書が掲載されたのがきっかけで、7・10・12・13日とそれに対する反論が次々と掲載され、投書欄にも「5月1日以降、原爆ドーム保存を求める投書8通。撤去を求める投書は既掲以外にはありません。」(5.13)という状況で、保存を求める意見が主流となっていく。
こうして、65年7月に、市の依頼を受けた広大工学部が基礎調査を開始するが、市は、この調査結果によって、存廃についての結論を出す考えであった。広大佐藤重雄教授は、接着剤で固めれば半永久的に保存でき、費用は約4000万円と報告した。これを受けて、広島市長は、「保存することになろう。」と発言している。
・保存決定と募金運動
66年7月11日、広島市議会は、「原爆ドーム保存の要望」を満場一致で決議する。その内容は、「原爆ドームを完全に保存し後生に残すのは、原爆でなくなった20数万の犠牲者と世界の平和を願う人たちにたいして広島市議会が果たす義務の1つである。ドーム保存について万全の措置をとるようにすべきだ。」というものであった。市長は、同月「一般募金で、保存工事に着手する方法を検討する。」と発言している。さらに、8月1日には、市幹部会議で、ドーム保存と、工事費を募金でまかなうことを決定する。その理念として、「戦争のない世界にする反省の起点としてドームを保存し、これを平和な未来建設の出発点とする。」とし、「その意味で一般募金は意義がある。」としている。この時点では、浜井市長は、「原爆ドームは時点を高くし、視野を広げれば保存するのが当然ということになる。募金は私の責任でする。募金方法はもう少し検討するが、十円募金は協力団体がしてくれれば別だが市がする考えはない。」との見解を披露している。市は、当初8月6日からの募金開始を企図していたが、議会側から募金実施について事前に相談がなかったことや募金計画がずさんであるとの批判が相次 ぎ、趣意書の作成や発送などもできず、運動は凍結されたまま2カ月余が空費された。この間の市と議会との確執は、「宙に浮く原爆ドーム保存 一部に募金中止論 市長選とからませて」(9.30中国)、「感情的対立の様相」(10.5同)などの見出しで報道されている。このような対立の中で、市長は議会の意志決定を待たず、11月1日から募金開始を決定し、趣意書の発送なども開始する。開始時にはこのようなつまずきがあったが、総評・平和七人委員会・自民党県連・日本原水協・社会党など幅広い層からの支持を得て、期限の2月末を13日延長したものの、3月13日に目標の4000万円を達成した。浜井市長は、14日に募金終了を発表するが、以後も募金が相次ぎ、結局目標を大きく上回る6800万円余(68.2.22)が集まった。保存工事は4月10日に着工し、8月5日に完工式を挙行した。浜井前市長は、同式の中で、「募金が目標を達成できたのは、ヒロシマを繰り返すなという悲願が世界に燃え続けていることを証明した。このドームは戦争の悲惨な事実を刻みつけている。」と述べている。
・20年後の再補修
広島市は、1967年の補修から20年を経て、87年1月にドーム再補修を計画し、同年設置された「原爆ドーム保存調査技術検討委員会」の調査結果をもとに、89年秋にドーム補修工事を実施することを決定する。2億円の工事費について、市長は、募金で行なうことは「昭和42年当時、募金をした人の気持ちに反することでもあると思う。」と、消極的な姿勢を示していた。しかし、市民団体などの募金実施の要望を受けて、89年2月には2億円のうち1億を市費で、残り1億を募金でという折衷案を打ち出す。募金は5月1日にスタートし、初日には、当初募金に消極的だった荒木市長も街頭に出て募金を呼びかけた。12月25日の締め切りまでに募金総額は3億7000万円を超え、市長は「今後ともドームの永久保存に努める。」とのコメントを発表する。
・67年から87年
1967年にドーム保存を決定するまでは「原爆被害の過小評価になりかねない。」・「思い出したくない」など、様々な理由でドーム撤去を唱える人もいた。それらの意見も、一概に否定されるべきものではなく、それなりの根拠を持つものであった。しかし、87年の再補修の際には、ドームの永久保存は前提で、少なくとも撤去論を持ち出す人はいなかった。これは、20年の間に、ドームが撤去論を乗り越えるだけの働きをしてきたことを証明する。広島市民はもとより、平和学習の修学旅行生、内外の観光客・政治家・文化人らに、ドームは、その被爆体験を言葉を越えて語りかけ、戦争・平和について考えるよすがとしての役目を果たしてきたのである。そのようなドームを、今後も永久に保存していこうと、広島市民のみならず日本国内また海外の人々が決意を新にし、その熱意が89年の補修募金4億円となって結実した。しかし、我々は、67年当時には、ドームすら、撤去しようとしたことがあることを忘れてはなるまい。また、その論拠をも思い返してみる必要がある。美観・経費・原爆被害の過小評価・・・等。現在、我々は再び、そのような理由を挙げて、残り少ない「原爆遺跡」を取り壊そうとし ているのではないか。
もし、67年の時点でドーム撤去を決意していたとしたら・・・。その跡地に近代的ビルを建てていたとしたら・・・。平和都市ヒロシマの役割を我々はドームなしで果たせていただろうか。
次に、「原爆遺跡年表」を見ていく。この年表で、取り壊し・撤去が確認されたのは、「死の人影」のあった住友銀行・中国郵政局・御幸橋・常盤橋・相生橋・旧陸軍被服倉庫・舟入公園の老松・「生めましめんかな」の舞台になった旧広島貯金支局・広島市役所・万世橋・フコク生命ビル・旧広島中電話局・山陰合同銀行広島支店・横川橋・中国電力本店2号館・本川小学校東側校舎・広島銀行銀山町支店など17件にも及ぶ。銀行などの企業、官公庁の建物、橋などが次々に広島市街から消されていった。この時期は、ほぼドームの第1回の補修から第2回補修が実施されるまでの期間に当たる。次々に建て替えられていく多くの建物・橋などは、被爆後補修を重ねながら、使用されてきており、「原爆遺跡」であると同時に銀行・学校などの建物であるという二面性を待っているわけである。老朽化した建物は居住性・美観などの面で劣り、時には危険ですらある。「遺跡」という側面を無視して、建物・橋としての機能を優先させれば、「老朽化」-「建て替え」ということになってしまう。そのような例として、「市役所」の例を検討してみる。
(市役所の場合)
広島市は、1980年12月に、昭和3年に完成した市役所本庁舎を、手狭で老朽化が激しいとの理由で、取り壊し・建て替えることを決定する。この決定がなされた時にも、「また消える“被爆証人”」(80.12.3朝日)との記事の中で、「被爆の事実をかき消すかのような新しがり屋には怒りさえ覚える。」と、詩人栗原貞子の批判が取り上げられている。81年4月にはコンペ方式による新庁舎のデザインの入選作が決定され、原爆遺跡として正面玄関の石段・縁石などを保存することが計画されている。83年2月には、東側の三階建ての庁舎が取り壊され、新庁舎の建設が始まる。84年、新庁舎の建設が進むにつれて、老朽化の激しい本庁舎の存廃が話題にされる。新聞報道にも、「保存か撤去か 原爆“証人”ぜひ いや美観損なう」(84.4.21)との見出しで取り上げられている。その中で、撤去論として「全部取り壊した方がすっきりする。」との美観重視論、「原爆遺跡としては原爆ドームがあるので、金をかけてまで保存しなくても・・・」との意見などを紹介している。それに対して、「傷ついた市民も避難した場所。利便性や美観論だけで壊さないで欲しい。」との職員OBの意見、「古い本庁舎は、市 役所を訪れた外国人らの目にも奇異に映るはず。そこで荒木市長が残した意味を話せば、世界平和の訴えも説得力を増す。」との社会党議員の保存論を紹介している。この時点では、市も「保存にかかる費用や利便性、市民感情などを総合的に判断し、本年度中に存廃に着いて結論を出したい。」と態度を保留している。同年12月に広島県被団協(佐久間理事長)などの市民団体が、広島市に庁舎保存を陳情した際には、市は補修費が高額(13億円)であることなどを理由に、保存に消極的な態度を表明している。翌年1月25日に、広島市長は、本庁舎は取り壊し、玄関石段など被爆の傷跡を明確に残す部分だけを保存する方針を発表する。これに対して、市民団体は、翌日、「被爆地の市長自らが原爆遺跡の破壊を決めたことは、世界の反核・平和の世論に水をさし、市の基本方針である“被爆の実相の普及”に矛盾する」との抗議文を提出している。さらに、2月28日には、市議会で、自民党議員が市側に再考を求めている。このような声を受けて、市は、庁舎の正面玄関石段などの部分的保存を検討し、5月には庁舎の一部を被爆遺跡として全国の平和団体・学校などに寄贈することを発表する。この時には、 すでに庁舎の9月取り壊しが決定されている。県被団協などは5月20日に、3回目の庁舎保存の申し入れをする。
6月には、市議会の「旧庁舎検討協議会」が、①正面玄関の石段・敷石を残す(経費3800万円)、②石段と地下室の一部を残す(同1億1800万円)、③一階部分を縮小して保存する(9300万円)の3案を提示した。8月に、結局②案の採用を決定し、10月には、庁舎の解体工事が開始される。ところで、市が、5月に庁舎の一部譲渡を発表して以来、全国の小中学校・自治体などから申し入れがあり、平和学習教材や平和の碑建設に利用されることになった。翌年1986年2月までには、約30件の申し込みが寄せられ、被爆都市の庁舎への全国的な関心の高さを示している。
このように、市役所庁舎は、結局取り壊されてしまった訳である。これは、市側が、「原爆遺跡」としてより庁舎としての機能を優先させた結果であるが、この他にも市民団体などによる保存運動がドームの時ほど盛り上がらなかったことが指摘される。庁舎保存を申し入れたのは県被団協などの限られた団体で、ドームの場合のような禁・協・保守団体の大同団結は見られなかった。また、市が本庁舎の取り壊しを決定した1985年1月から取り壊し工事の開始される10月までに中国・朝日・毎日・読売各紙に寄せられた庁舎保存を求める投書は1件のみであったことは、市民の関心の低さをうかがわせる(「広島市本庁舎永久保存を望む」1.29中国)。
市庁舎取り壊しに関しては、逆に、市側の対応に目新しいものがあった。調査の石畳などの寄贈呼び掛けである。北海道から九州まで約30件の申し込みがあり、兵庫県美方郡で、「夢千代日記」の被爆二世夢千代像の台座、千葉県八千代・野田両市、東京都中野区の平和記念碑などの他、平和教育教材・展示資料として譲渡された。市の関係者は、「反核を願う動きが広がっているあかし」とコメントしている。
市庁舎は、謂わば市の「表玄関」である。広島市を訪れる内外の政治家・要人を迎えて、その表玄関に「原爆遺跡」を配することは、市が発する平和への提言を単なる美辞麗句で終わらさず、その影響力を高めた筈である。また、外来者だけでなく、被爆の記憶が年々薄らいでいく我々広島市民に対してもその存在は重い警鐘となり得たのではないだろうか。保存に多額の費用を要するとの理由で庁舎を撤去したのは正しい選択だったのだろうか。保存に要する費用13億円は、85年に開館した広島市郷土資料館改修費と同額である。政令指定都市広島にとってその額は無理な額であったのだろうか。被爆40周年だった1985年に、市民の間に庁舎保存についての論議がいま一つ盛り上がらなかったことが悔やまれる。
(「原爆遺跡」の転用-旧陸軍糧抹支廠・旧広島地方気象台・日銀広島支店)
次に、「原爆遺跡」を改修し、転用した例をみていく。
広島市は、82年9月に、旧陸軍糧抹支廠を改修し、郷土資料館として保存することを決定する。同支廠は明治44年の建物で、れんが造りの外壁をそのまま残し、市重要文化財にも指定されている。85年5月には、江戸以降の歴史・生活資料など約300点を展示して開館した。建設費は約13億円であった。
広島地方気象台は、1987年の移転が決定され、「江波地区社会福祉協議会」・「中区の文化を考える会」が、1985年に「平和学習ができる博物館施設として、市が跡地を取得して整備してほしい。」と、市に陳情した。市は、これを受けて、「広島市博物館資料調査収集検討委員会」で検討を開始する。同委員会の広島大工学部鈴木充教授は、「被爆の証人として極めて貴重だ」と発言している。87年1月には「気象資料館」として保存されることが決定され、1990年に、開館している。
これらは、被爆建物を補修し、「資料館」に転用した例であるが、いずれも「原爆遺跡」としての意義を特に強調している訳ではない。また、展示内容も、それぞれ郷土の歴史資料や気象に関する資料と、直接原爆をテーマにしたものではない。(但し、気象資料館の一室は、被爆の被害をそのまま残し、平和学習用として利用されている。)他都市には見られない貴重な被爆建物を再生したのだから、その意義を際立たせる工夫がなされてもよいのではないだろうか。例えば、日本銀行広島支店の場合である。前出の「中区文化を考える会」は、88年10月、同支店の保存を求めると同時に峠三吉などの原爆文学を中心にした文学館としての利用を提唱している。これに対して、日銀は、「跡地は売る方針」としながらも、「市民らの署名運動が起これば県や市と相談しなくてはならないだろう」との見解を表明している。もし、これが実現すれば、「原爆遺跡」を再生・利用した初の原爆文学を中心にした資料の展示館として、内外の注目を集めることになるだろう。これは、遺跡の保存という観点からだけでなく、原爆をテーマにした文学・演劇・映画・絵画などの芸術分野にとっても重要な課題である。 被爆以来、我々は、原爆をテーマにした創作活動から多くの成果を得ている。峠三吉・井伏鱒二・原民喜らによる文学作品、「原爆の子」・「はだしのゲン」・「黒い雨」などの映画、平山郁夫・増田勉・丸木位里・俊らの絵画、東松照明・福島菊次郎らの写真、細川俊夫・芥川也寸志らの音楽作品など、枚挙に暇がない。さらに、毎年8月6日を中心に放送される原爆番組も数多い。このように分野は様々だが、一貫して原爆をテーマにした作品群がある。「原爆遺跡」とともに、これらの芸術分野の作品の収集・整理・保存なども、我々の責務である。このような多くの作品が、一堂に集められ、展観できるとしたら、その迫力は個々の作品の持つ力を倍加するに違いない。また、それらの作品群の「容れ物」として、日銀広島支店のような「原爆遺跡」が使われるとしたら、それは被爆地ヒロシマが誇り得る「モニュメント」になるに違いない。
(被爆樹木と平和教育)
「原爆遺跡年表」に見られるように、広島市には被爆した樹木が残されている。広島市は、79年に河川改修工事のため、そのうちの1本である太田川左岸堤防の大エノキを切り倒す。しかし、皮肉なことに、それがきっかけとなって基町小学校の生徒らによる別のエノキの保存運動が開始されることになる。同校生徒が世話をしているエノキの前の立て札には、「原爆は罪のないエノキまで見苦しい姿にした きょうまでほんとによく生きてきた 生命の力強さと尊さを知ったかわいそうなエノキ 基町に住む私達はこの木を守っていく義務がある 基町小学校児童会」と記されている。84年には、台風でエノキが倒壊し、台風シーズンを前にせん定を怠っていた市の姿勢に批判の声が起き、市は、遅ればせながら、エノキの保存作業を開始する。折れたエノキの幹の部分は、平和教育教材や研究資料として提供され、寄贈を受けた県高校生ゼミナールはそれらを全国6カ所の平和施設に送付する。また、修学旅行で来広した大阪などの小学生らは、このエノキをめぐって基町小学校生徒と交流を続けている。
倉掛小学校では、同校庭に一時移植されていた市役所の被爆桜を植え戻す際には、同校生徒らの要望で、接き木した桜の“二世”を贈っている。同小学校でも、木の根元に被爆の由来を書いた立て札を立て、平和教育の教材として活用されている。88年には、同小学校で、初めて“二世”の桜の花が咲いたことが報道されている。
平和記念公園に移植されていた被爆アオギリは、被爆の語り部沼田鈴子らによって、修学旅行生らに感銘を与えてきたが、87年には木が弱り始め、市は、植物公園で“二世”作りを開始している。88年7月には、二世アオギリの誕生が確認され、市は修学旅行生らに苗木を贈ることを計画中である。
このように、被爆樹木は平和教育に活用され、広島は勿論、広島を訪れる全国の修学旅行生が平和に着いて考えるきっかけとなっている。しかし、先の基町のエノキも、89年2月には枯死が確認されるなど、その数はだんだんと減っていくことが予想される。また、被爆樹木であることが知られていなかったり、個人の所有の樹木もあるため、保護されていない場合もある。行政による被爆樹木の総点検と、樹木の保護・二世作りなどがなされる必要がある。
新聞記事デ-タベースと原爆情報
新聞記事デ-タベースと原爆情報(抄読会レジメの抄録)
1992.1.13 宇吹 暁
Ⅰ)新聞記事デ-タベースの現状把握の必要性
.1991年5月29日、秦野裕子氏入院。新聞切抜き作業を代行してみて、かなり重労働であることを知る。切抜きを止めることができるなら、止めたいと考えるようになる。
経緯(敬称略)[1988年9月~91年11月]
| Y M D T(年月日時間) | 事項 |
| 88 09 02 14:30 | 中国地区デ-タベース推進協議会・標準化部会。中国電力本社。初会合 |
| 09 16 13: | 標準化部会第1回分科会。合同庁舎。 |
| 88 11 22 13:30 | 第2回標準化部会。中国経済クラブ。 |
| 88 12 22 15: | 標準化部会分科会第2回会議。中国経済クラブ。 |
| 89 01 18 13:30 | 中国地区デ-タベース推進協議会主催「図書館情報デ-タベースに関する講演会」。講師:熊田淳美(国会図書館)。 |
| 89 01 27 13: | 第3回標準化部会分科会。中国経済クラブ。 |
| 91 02 25 10:30 | 抄読会(宇吹)。「原爆文献・手記関連デ-タベースの紹介」。 |
| 91 07 08 10:00 | 池内よりパソコン通信の打ち出しを貰う。 |
| 91 07 15 09:30 | 池内からNEC-C&CVANの朝日新聞「被爆者」を打ち出したものを貰う。 |
| 91 07 20 11:15 | 池内よりNECデ-タベースの打ち出しを貰う。 |
| 91 08 17 09:50 | 有定久雄(原対協)来所。新聞切抜きについて話す。カナによる記事見出しの電算化は意味が無い。 |
| 91 08 28 08:20 | 池内から朝日新聞デ-タベースなどの打ち出しが届けられていた。 |
| 91 09 25 13:30 | 田坂(中国新聞デ-タベース部)来所。瀬戸内図書館連絡協議会委員の就任依頼。今年度中に3回ほど会議を開催の予定。パソコンネットワークについて3時過ぎまで話す。中国新聞のデ-タベースのモニターになることを勧められる。 |
| 91 09 27 11:30 | 田坂(中国新聞)より中国新聞社記事デ-タベース・モニターの申込書など関係資料が速達で届く。 |
| 91 09 30 10:00 | 抄読会。池内。中国新聞社記事デ-タベースのモニターの件について相談する。内線は使わず専用回線を引いた方が良い。 |
| 91 09 30 16:30 | 中国新聞デ-タベース部。池内・松浦と中国新聞記事デ-タベースの見学。6時半まで。使い勝手は良い。モニターの件、予算措置が出来てから申し込みたい旨伝える。 |
| 91 11 18 13:20 | 池内とOAシステムプラザ広島店でオムロンのモデム(27800円)とマイトーク(19800円)を購入。5万弱。 |
| 91 11 18 17:00 | 中国新聞社へ記事デ-タベース・モニター申込書と瀬戸内圏郷土資料整備連絡協議会委員就任承諾書を発送。 |
| 91 11 18 24:00 | 自宅のPC,中国新聞社記事デ-タベースとつながる。 |
| 91 11 19 20:00 | 中国新聞社デ-タベースで「新空港」AND「イノシシ」を検索。 |
| 91 11 22 17:40 | 有定来所。中国新聞データベースの資料を届けてくれる。 |
Ⅰ)主な新聞記事デ-タベース
朝日新聞記事デ-タベース(1985年~)
読売新聞記事デ-タベース(1986年9月~)
毎日新聞記事デ-タベース
共同通信連動記事デ-タベース
中国新聞記事デ-タベース(1990年7月~)
Ⅱ)朝日新聞記事デ-タベース
1)概要
【朝日新聞記事情報】
朝日新聞東京本社発行の最終版記事と地方版の一部地域を含む記事[注]を提供致します。昭和60年1月からの蓄積量は年間約150,000件に達します。
政治・経済・情報通信・労働・文化・宗教・化学科学・社会・福士・世相風俗・事件・事故等、収録されている記事は広範囲です。検索は思いついた言葉で検索出来る自由語検索で記事中の名詞の殆どがキーワードとなります。更に、約1000語の分類語を用意しており、希望情報の分類コードを入力することによって不要な情報を排除し、検索時間の短縮が計れます。
< 朝日新聞記事情報サービス >
1.朝日新聞 87年分(85.01.01~87.12.31)
2.朝日新聞 88年分(88.01.01~88.12.31)
3.朝日地方版 88年分(88.06.01~88.12.31)
4.朝日新聞 89年分(89.01.01~89.12.31)
5.朝日地方版 89年分(89.01.01~89.12.31)
6.朝日新聞 90年分(90.01.01~90.12.31)
7.朝日地方版 90年分(90.01.01~90.12.31)
8.朝日新聞 91年版(91.01.01~91.12.31)
9.朝日地方版 91年版(91.01.01~91.12.31)
[注]地方版は、大阪・名古屋・西部各本社のニュース面のほか、関東1都6県、関西2府2県の地方版記事を採録。
2)朝日新聞の検索例1
【1】
記事コード T880816M04–02
見出し-- よみがえるか「死の島」ビキニ 米政府の浄化・再生調査開始
年月日-- 880816
本文--- 880816(火),朝刊
かつての米国による原水爆実験の地であり、現在も「死の島」となっているミクロネシア・マーシャル諸島のビキニ環礁がようやくよみがえろうとしている。「浄化・再生に関する調査」がこのほど始まった。計画通りいくと、7年後の1995年には残存放射能処理作業が完了する見通し。いまなお疎開生活を強いられている旧ビキニ島民たちにとって、約半世紀ぶりに悲願の帰島の夢が実現することになる。(土井全二郎編集委員)[以下略]
分類語-- 547,54,5,944,94,9,
国名--- C5117,C51,C5,C4101,C41,C4,
自由語漢字 島,ビキニ,米政府,浄化・再生調査開始,米国,原水爆実験,ミクロネシア・マーシャル諸島,ビキニ環礁,浄化・再生,関,調査,7年後,1995年,残存放射能処理作業,見通し,疎開生活,旧ビキニ島民,半世紀,悲願,帰島,夢,土井全二郎編集委員,ビキニ島,エニュー島,資材運搬船用,船着き場,電力施設づくり,米議会,委託,科学者グループ,ビキニ環礁再生委員会,
自由語カナ シマ,ビキニ,ベイ,ベイセイフ,セイフ,カイシ,ジョウカ,ジョウカサイセイ,ジョウカサイセイチョウサ,サイセイ,サイセイチョウサ,チョウサ,ベイ,ゲンスイバク,ゲンスイバクジッケン,ジッケン,ミクロネシア,ミクロネシアマーシャル,ミクロネシアマーシャルショトウ,マーシャル,マーシャルショトウ,ビキニ,ビキニカンショウ,カンショウ,ジョウカ,ジョウカサイセイ,サイセイ,カン,チョウサ,7ネン,1995ネン,ザンソンホウシャノウ,ザンソンホウシャノウショリ,ザンソンホウシャノウショリサギョウ,ホウシャノウ,ホウシャノウショリ,ホウシャノウショリサギョウ,ショリ,ショリサギョウ,サギョウ,ミトオシ,ソカイ,ソカイセイカツ,セイカツ,キュウビキニ,キュウビキニトウミン,ビキニ,ビキニトウミン,トウミン,ハンセイキ,ヒガン,キトウ,ユメ,ドイ,ドイゼンジロウ,ドイゼンジロウヘンシュウイイン,ゼンジロウ,ゼンジロウヘンシュウイイン,ヘンシュウイイン,ビキニ,ビキニトウ,エニュー,エニュートウ,シザイ,シザイウンパンセン,ウンパンセン,フナツキバ,デンリョク,デンリョクシセツ,デンリョクシセツヅクリ,シセツ,シセツヅクリ,ベイ,ベイギカイ,ギカイ,イタク,カガクシャ,カガクシャグループ,グループ,ビキニ,ビキニカンショウ,ビキニカンショウサイセイ,ビキニカンショウサイセイイインカイ,カンショウ,
3)朝日新聞の検索例2
<<< 朝日新聞記事情報サービス(88年地方版) >>>
コマンド? S CL=942
01 16件 CL=942
コマンド? D
項目名? DT
項目名? TI
項目名?
【1】年月日-- 881127
見出し-- 修学旅行で広島訪問、被爆者の体験談聞く 柏中央高の2年生[以下略]
4)朝日新聞の検索例3
朝日新聞の記事分類コード別記事件数
地方版
CODE 件名 85-87 88 89 90 91 88L 89L 90L 91L
54 原子力 1406 821 938 802 1018 104 133 105 199
540 原子力一般 420 226 140 105 98 16 27 12 17
541 原子力開発 136 72 139 51 64 4 7 2 2
542 核燃料 164 162 180 116 132 28 22 10 10
543 原子炉 220 255 391 258 436 33 60 38 46
544 原子力船 30 46 76 94 43 6 8 21 24
545 平和利用 138 80 13 13 10 0 3 0 0
546 原子力事故 781 274 296 264 548 21 39 35 101
547 放射線 365 124 131 180 101 22 31 11 23
925 核実験 228 73 73 42 86 0 1 0 4
926 核実験停止 240 31 33 11 32 0 0 0 0
927 核武装 1309 487 412 272 741 45 62 35 31
928 軍縮 2059 560 486 375 414 5 2 2 4
930 平和運動一般 222 163 211 169 475 101 80 69 430
931 反核軍縮運動 614 205 294 173 111 118 106 112 116
932 原水禁運動 94 46 50 56 43 8 6 3 14
940 被爆一般 19 7 10 10 7 2 0 1 3
941 広島長崎 216 121 287 261 236 33 42 87 72
942 被爆者 146 58 188 213 173 16 15 28 39
943 原水爆作品 43 26 34 27 75 20 17 15 37
944 核実験被害 19 11 9 19 21 1 2 0 2
9611 国連軍縮委 0 9 0 1 2 0 0 0 0
96616国際原子力機関 76 38 0 26 170 0 0 1 0
Ⅳ)読売新聞記事デ-タベース概要
【読売新聞記事情報】
読売新聞東京本社発行の昭和61年9月以降の最終版記事全てを提供致します。
1日の記事件数約250件、年間蓄積量は約70,000件に達します。
検索は、記事中の名詞をキーワードにする自由語検索、記事中にない言葉でも内容を
示す言葉であればキーワードに出来る中間概念検索、記事分類コードでのテーマ別検索
、掲載年月日検索、朝刊・夕刊等での紙誌名別検索、記事ページ検索、各数値データ検
索等多彩で豊富となっております。
Ⅴ)中国新聞記事デ-タベース
1991年の総記事数 12万7276件
1)中国新聞デ-タベースの検索例1
キ-ワード「原爆」の月別件数 「被爆者」の月別件数
1990年
7月 292件
8月 446
9月 141
10月 150
11月 132
12月 139
1991年 1878件 873件
1月 138 76
2月 127 63
3月 110 49
4月 135 54
5月 120 66
6月 143 80
7月 229 130
8月 369 159
9月 106 39
10月 118 55
11月 125 30
12月 158 72
2)中国新聞デ-タベースの検索例2
主要なキ-ワードの1991年中の件数
平和 5442件
国連 3172件
核 2148件
原発 659件
ヒロシマ 937件
核兵器 914件
被爆 850件
原子力 737件
広島大学 665件
平和記念公園 462件
放射線 367件
放射線 367件
放射能 360件
原子力機関 283件
核実験 247件
非核 234件
反核 225件
原爆資料館 212件
原爆慰霊 202件
原水禁 200件
原子力発電所 197件
原爆投下 190件
原爆慰霊碑 190件
核軍縮 172件
原子炉 171件
被爆地 170件
核戦争 164件
被爆体験 160件
平和大通り 152件
核兵器廃絶 150件
原爆病院 142件
原爆ドーム 141件
核拡散 138件
平和都市 135件
被曝 133件
平和文化センター 131件
被爆者援護法 128件
平和公園 124件
核拡散防止 121件
核開発 118件
原爆被害者 114件
原爆被爆者 113件
平和運動 112件
原爆犠牲者 105件
平和祈念式 103件
放射線影響 102件
平和教育 100件
放射線影響研究所 98件
平和記念館 98件
原爆死没者 96件
国連軍縮 94件
核戦争防止 89件
核廃絶 85件
原爆放射能 85件
放射能医学 84件
原爆放射能医学 83件
放射能汚染 82件
放射能医学研究所 79件
平和宣言 74件
反核市民 72件
原水爆 66件
原爆犠牲者慰霊 56件
原爆被害 55件
被曝者 53件
3)中国新聞デ-タベースの検索例3[以下略]
WELCOME TO C&C-VAN
<<< PC-VAN >>>
*** ご利用実績 ***
92/01/12 17:34:51
ID: (宇吹 暁 様)
下記料金には、消費税は含まれておりません。
従量制
番号 年/月 課金時間 料金(円)
2. 91/12 3:00:52 5,205
1. 92/01 3:17:55 8,912
*** 月間利用実績(明細) ***
月/日 LOG-IN 月/日 LOG-OUT 内 訳 時間/件数 料金(円)
12/10 23:04:08 12/10 23:08:56 - 00:02:06 14
23:12:27 23:18:52 - 00:04:50 32
12/11 21:06:02 12/11 21:16:13 - 00:06:14 41
(*) 00:01:28 9
110円/ 3分(スポーツ ) 00:01:01 37
12/13 23:31:56 12/13 23:42:06 - 00:06:28 43
30円/ 3分(天気予報 ) 00:01:44 17
23:53:21 23:57:39 - 00:00:23 2
12/14 21:01:03 12/14 21:30:15 - 00:08:33 57
30円/ 3分(DB接続基本) 00:14:10 141
210円/ 3分(朝日新聞記事) 00:02:26 170
12/15 22:02:41 12/15 22:08:43 - 00:01:14 8
30円/ 3分(DB接続基本) 00:00:12 2
22:10:33 22:37:20 - 00:21:07 140
(*) 00:02:50 18
22:43:35 22:45:43 - 00:01:33 10
30円/ 3分(DB接続基本) 00:00:25 4
22:47:06 22:49:46 - 00:00:58 6
110円/ 3分(スポーツ ) 00:01:27 53
12/17 22:37:59 12/17 22:58:29 - 00:02:24 16
12/17 30円/ 3分(DB接続基本) 00:02:54 29
210円/ 3分(朝日新聞記事) 00:09:13 645
23:10:36 23:25:09 - 00:01:15 8
30円/ 3分(DB接続基本) 00:02:54 29
210円/ 3分(朝日新聞記事) 00:10:15 717
12/22 14:39:48 12/22 15:13:38 - 00:06:46 45
30円/ 3分(DB接続基本) 00:04:31 45
210円/ 3分(朝日新聞記事) 00:18:29 1,293
17:11:05 17:25:40 - 00:01:08 7
30円/ 3分(DB接続基本) 00:02:50 28
210円/ 3分(朝日新聞記事) 00:10:30 735
12/23 8:06:33 12/23 8:08:53 - 00:00:10 1
12/29 23:44:56 12/30 0:00:18 - 00:12:38 84
30円/ 3分(DB接続基本) 00:00:13 2
12/31 9:14:35 12/31 9:30:17 - 00:04:49 32
12/31 30円/ 3分(DB接続基本) 00:01:05 10
210円/ 3分(朝日新聞記事) 00:09:39 675
1/01 0:27:02 1/01 0:37:38 - 00:06:14 41
30円/ 3分(DB接続基本) 00:00:12 2
0:39:02 0:50:02 - 00:09:58 66
1/03 12:11:52 1/03 12:20:37 - 00:06:05 40
30円/ 3分(DB接続基本) 00:01:17 12
1/03 210円/ 3分(読売新聞記事) 00:01:12 84
12:22:08 12:26:40 - 00:03:33 23
110円/ 3分(skier ) 00:00:49 29
1/05 16:55:36 1/05 17:21:01 - 00:13:20 88
30円/ 3分(DB接続基本) 00:01:29 14
210円/ 3分(読売新聞記事) 00:07:35 530
19:48:49 19:54:16 - 00:03:53 25
(*) 00:01:21 9
19:57:47 20:03:21 - 00:03:21 22
1/07 20:44:56 1/07 20:47:04 - 00:00:41 4
110円/ 3分(スポーツ ) 00:01:07 40
20:48:40 20:53:56 - 00:05:03 33
1/08 23:35:40 1/08 23:45:35 - 00:00:34 3
30円/ 3分(DB接続基本) 00:02:18 23
210円/ 3分(朝日新聞記事) 00:06:35 460
1/08 23:48:24 1/08 23:52:03 - 00:01:59 13
1/09 21:21:38 1/09 21:51:02 - 00:03:03 20
30円/ 3分(DB接続基本) 00:05:07 51
210円/ 3分(朝日新聞記事) 00:14:48 1,036
210円/ 3分(読売新聞記事) 00:03:57 276
22:30:23 22:39:11 - 00:02:54 19
30円/ 3分(DB接続基本) 00:01:33 15
210円/ 3分(朝日新聞記事) 00:04:13 295
1/11 8:52:54 1/11 9:47:14 - 00:19:56 132
30円/ 3分(DB接続基本) 00:07:09 71
210円/ 3分(朝日新聞記事) 00:15:00 1,050
210円/ 3分(読売新聞記事) 00:10:25 729
21:24:54 22:01:03 - 00:11:16 75
630円/ 3分(日外アシスト) 00:16:20 3,430
30円/ 3分(DB接続基本) 00:01:42 17
1/11 210円/ 3分(読売新聞記事) 00:01:56 135
1991年朝日・読売・中国各紙のキ-ワード別記事数比較[未整理]
| 朝日 | 読売 | 中国 | |
| 原爆 | 958件 1879 | ||
| ゲンバク | 605件 250 | ||
| 被爆者 | 8519件 873 | ||
| ヒバクシャ | 269件 107 | ||
| 核兵器 | 914 | ||
| カクヘイキ | 870件 878 | ||
| 放射線 | 367 | ||
| ホウシャセン | 225件 144 | ||
| 核実験 | 247 | ||
| カクジッケン | 151件 49 | ||
| 原発 | 659 | ||
| ゲンパツ | 1026件 | ||
| チェルノブイリ | 258件 112376 |
C&C-VANデータベース (C&CDB)
NICHIGAI ASSISTは、あなたが検索するデータベースです。
@ *** 日外ASSISTゲートウェイ ***
@ 1.WHO (¥: 210円/分)
@ 2.BOOK (¥: 210円/分)
@ 3.マガジン (¥: 210円/分)
@ 4.PRIZE (¥: 210円/分)
@ 5.- 準備中
@ 6.マネージメント (¥: 210円/分)
@ E.ゲートウェイメニュー終了
@ 番号またはコマンド(E)=2
>検索式を入力して下さい。または、 E.終了
?ゲンバク
245件ありました (\1)
@ 番号またはコマンド(E)=3
>検索式を入力して下さい。または、 E.終了
?ゲンバク
204件ありました (\1)
>それでは、表示(出力)形式を番号で指示して下さい。
(1.ヒヨウジユン 2.シヨウサイ )
?1
*NICHIGAI-ASSIST* BOOK 92.01.11
# 1
標 題 記者たちの日米戦争 木村栄文著
角川書店 ’91.12.8
197p 19cm(B6) ¥1,400(本体¥1,359)
備 考 ISBN4-04-883304-9 【B9133224】
[中略]
# 18
標題 戦争批判―日本人が映画で原爆に触れると(小野耕世の“文化”巷談 )
著者 小野 耕世
出典 公明 352 ’91.5 p100~101
抄録 海外からの記者たちの質問は、「長崎をけしからんというが、真珠湾はどうなんだ」という質問ばかりです。
情報提供者:日外アソシエーツ【M0908526】
# 19
標題 「8月の狂詩曲」の黒沢明さん―潔癖なヒューマニズムが戦争と原爆を描き出す(表紙の人・坂田栄一郎のオフカメラ)
出典 AERA 4(19) ’91.4.30・5.7 p91
情報提供者:日外アソシエーツ【M0908021】
# 20
標題 黒沢明監督までが集中砲火を浴びた日本人の「相互許し合い」感覚の欠如(世界の読み方〔467〕)
著者 竹村 健一
出典 週刊ポスト 23(16) ’91.4.19 p80~81
情報提供者:日外アソシエーツ【M0901515】
# 21
標題 映画『八月の狂詩曲(ラプソディ)』を公開するアカデミー特別名誉賞受賞監督・黒沢明―原爆による戦争はまだ終わっていないということを“じわっ”と表現したかった(人物四季報)(インタビュー)
著者 黒沢 明
出典 SAPIO 3(7) ’91.4.11 p42~43
情報提供者:日外アソシエーツ【M0900301】
# 22
標題 山木戸道郎―毒ガスは原爆をこえる(グラビア・現代インサイド)
出典 現代 25(4) ’91.4
情報提供者:日外アソシエーツ【M0896194】
献花(4月)
献花(4月)
![]() |
| ぼけ(木瓜) 撮影日時 2018.4.2 撮影場所:実家 |
![]() |
| むすかり 撮影日時 2018.4.2 撮影場所:実家 |
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| スノーフレーク 撮影日時 2018.4.2 撮影場所:実家 |
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| さくらそう(桜草) 撮影日時 2018.4.2 撮影場所:実家 |
![]() |
| ?? 撮影日時 2018.4.2 撮影場所:実家 |
![]() |
| ふきのとう 撮影日時 2018.4.2 撮影場所:実家 |
![]() |
| スイセン(水仙) 撮影日時 2018.4.2 撮影場所:実家 |
![]() |
| チューリップ 撮影日時 2018.4.2 撮影場所:実家 |
![]() |
| イチゴ(苺) 撮影日時 2018.4.2 撮影場所:実家 |
![]() |
| サンシュユ(サンシュユ) 撮影日時 2018.4.2 撮影場所:実家 |
![]() |
| タンポポ(蒲公英) 撮影日時 2018.4.2 撮影場所:実家 |
![]() |
| さくら(桜) 撮影日時 2018.4.2 撮影場所:実家 |
![]() |
| さくら(桜) 撮影日時 2018.4.2 撮影場所:実家 |
![]() |
| レンギョウ(連翹) 撮影日時 2018.4.2 撮影場所:実家 |
![]() |
| スミレ(菫) 撮影日時 2018.4.5 撮影場所:実家 |
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| はなにら 撮影日時 2018.4.5 撮影場所:実家 |
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| カラスノエンドウ(烏野豌豆) 撮影日時 2018.4.5 撮影場所:実家 |
![]() |
| ダイコン(大根) 撮影日時 2018.4.5 撮影場所:実家 |
![]() |
| ?? 撮影日時 2018.4.5 撮影場所:実家 |
![]() |
| ハナズオウ 撮影日時 2018.4.5 撮影場所:実家 |
![]() |
| ヤマブキ(山吹) 撮影日時 2018.4.5 撮影場所:実家 |
![]() |
| ヤマブキ(山吹) 撮影日時 2018.4.5 撮影場所:実家 |
![]() |
| ショカツサイ(諸葛菜) 撮影日時 2018.4.5 撮影場所:実家 |
![]() |
| ショカツサイ(諸葛菜) 撮影日時 2018.4.5 撮影場所:実家 |
![]() |
| アスパラ 撮影日時 2018.4.5 撮影場所:実家 |
![]() |
| スナックエンドウ(豌豆) 撮影日時 2018.4.5 撮影場所:実家 |
![]() |
| もも(桃) 撮影日時 2018.4.5 撮影場所:実家 |
![]() |
| つつじ(躑躅) 撮影日時 2018.4.7 撮影場所:実家 |
![]() |
| つばき(椿) 撮影日時 2018.4.7 撮影場所:実家 |
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| サクラソウ? 撮影日時 2018.4.7 撮影場所:実家 |
![]() |
| ??撮影日時 2018.4.12 撮影場所:実家 |
![]() |
| モクレン(木蓮) 撮影日時 2018.4.12 撮影場所:実家 |
![]() |
| ナノハナ(菜の花) 撮影日時 2018.4.12 撮影場所:実家 |
![]() |
| 撮影日時 2018.4.12 撮影場所:実家 |
![]() |
| シャガ 撮影日時 2018.4.12 撮影場所:実家 |
![]() |
| ボタン(牡丹) 撮影日時 2018.4.12 撮影場所:実家 |
![]() |
| ?? 撮影日時 2018.4.12 撮影場所:実家 |
![]() |
| ** 撮影日時 2018.4.15 撮影場所:呉市・灰が峰 |
![]() |
| ** 撮影日時 2018.4.15 撮影場所:呉市・灰が峰 |
![]() |
| ジャスミン 撮影日時 2018.4.19 撮影場所:自宅 |
![]() |
| 君子ラン 撮影日時 2018.4.19 撮影場所:自宅 |
![]() |
| スズラン?撮影日時 2018.4.19 撮影場所:自宅 |
![]() |
| チューリップ 撮影日時 2018.4.19 撮影場所:自宅 |
![]() |
| ハルノノゲシ() 撮影日時 2018.4.19 撮影場所:自宅付近 |
![]() |
| ビワ(枇杷) 撮影日時 2018.4.19 撮影場所:実家 |
![]() |
| ?? 撮影日時 2018.4.19 撮影場所:実家 |
![]() |
| ?? 撮影日時 2018.4.19 撮影場所:自宅付近 |
![]() |
| ?? 撮影日時 2018.4.19 撮影場所:自宅付近 |
![]() |
| オダマキ 撮影日時 2018.4.22 撮影場所:自宅 |
![]() |
| つつじ(躑躅) 撮影日時 2018.4.22 撮影場所:実家 |
![]() |
| 撮影日時 2018.4.22 撮影場所:実家 |
![]() |
| ボタン(牡丹) 撮影日時 2018.4.22 撮影場所:実家 |
![]() |
| こでまり 撮影日時 2018.4.23 撮影場所:実家 |
![]() |
| ふじ(藤) 撮影日時 2018.4.23 撮影場所:実家 |
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| モッコウバラ 撮影日時 2018.4.25 撮影場所:自宅 |
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| ナルコラン(鳴子蘭) 撮影日時 2018.4.25 撮影場所:実家 |
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| ミニトマト 撮影日時 2018.4.25 撮影場所:実家 |
| 撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市) |
2018(日録・回顧)
日録(2018年1月)
| 日 | 事項 |
| 1日 | ヒロシマ遺文開設。作成のため利用するWordPressの基礎を理解するために約1週間かかる。 |
| 1~ | ヒロシマ遺文の カテゴリー(目次のようなもの)の構築へ挑戦。とりあえず過去に作成・公開していたデジタルデータを投稿。 |
| 20 | 木村逸司さんの中国文化賞を祝う会。 |
| 25 | 第25回広島平和記念資料館展示検討会議(最終回) |
| 25 | 広島原爆被爆からの日数26470日(「地球平和監視時計」情報) |
| 25 | 地球滅亡まであと2分(米科学誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」発表の「終末時計」情報) |
| 25 | 平和公園取材(原爆慰霊碑など撮影) |
| 26 | 「投稿」原稿作成途中でWikipediaが充実してきていることを知る。一般的な項目は、Wikipediaの紹介に譲り、ヒロシマ遺文では、自分史との関連で取り上げることとする。 |
| 27 | 広島市内千田町・大手町取材(原爆慰霊碑・被爆建造物など撮影) |
| 28 | スマホ(VAIO)購入。明日からフェイスブックやヒロシマ遺文への画像投稿作業が容易になることを期待。 |
| 29~ | 1月分の新聞(3紙)の切り抜きと整理。最近1年間に受贈した本の整理。 |
回顧:年中行事・事件(1月)
| 日 | 年1* | 年2** | 年中行事・事件 | 備考 |
| 01 | 2005 | 2015 | 一人一輪千人献花(場所:平和公園原爆慰霊碑前) | 主催者:NPO法人「HPS国際ボランティア」。HPS=Hiroshima Peace Station。 |
| 01 | 1995 | 2012 | はだし供養 | 平和公園(広島)。靴を脱いで慰霊碑を巡る。出前講談師緩急車雲助(本名・久保浩之)の呼びかけ。 |
| 08 | 1995 | とんど祭(主催:広島市観音学区子ども会育成協議会、場所:観音小学校) | 平和記念公園の「平和の灯」で点火。1995年で20回目。 | |
| 10 | 1961 | 2018 | 広島県母親大会 | (第1回)、場所:国鉄職員会館。100名参加。2018年開催日=5月13日、会場=本川小学校(広島市) |
| 12 | 2018 | 歌会始の儀 | 場所:皇居宮殿。読み上げられた入選歌の一首「広島のあの日を語る語り部はその日を知らぬ子らの瞳の中」(広島県 山本敏子さん(73)) | |
| 15 | 2018 | 朝日歌壇賞紙上発表 | 2017年(第34回)。馬場あき子選の中の2首「サーローさん核は絶対悪と説く心の叫びに会場総立ち」、「美智子妃の思いは深し広き視野ICANの受賞を祝い給えり」 | |
| 15 | 寒中水泳大会 | (主催:神伝流広島游泳同志会、場所:原爆ドーム前の元安川)1996年で48回目。 | ||
| 17 | 1995 | 阪神・淡路大震災 | ||
| 18 | 1990 | 本島等長崎市長銃撃事件。 | ||
| 19 | 1968 | エンプラ、佐世保入港。 | エンプラ=米海軍原子力空母エンターブライズ。1993年1月19日佐世保市民の会、米海軍原子力空母エンターブライズ入港から25年目のデモを実施(『長崎新聞』1993.1.20)。 | |
| 21 | 1996 | 2018 | ひろしま男子駅伝(天皇盃 全国都道府県対抗男子駅伝競走大会) | |
| 23 | 2018 | 世界経済フォーラム | ~26日。会場:スイス・ダボス。 | |
| 27 | 2006 | ホロコースト犠牲者を想起する国際デー | 国連総会決議60/7(2005年11月1日)。国連の「国際デー」の一つ(注1) | |
| 27 | 2018 | 1.27ネバダ・デー核実験全面禁止核兵器廃絶を求める市民行動(主催者:原水禁など、場所:平和公園・原爆慰霊碑前) | 1951年27日、米国がネバダ州で初めて核実験実施。 | |
| 27 | 2018 | 2018 | 平和大通り芸術展(主催:広島市、広島観光コンベンションビューロー) | ~3月4日。(『中国新聞』2018.1.27) |
| *発生年月日、開始日など、**確認できた最終年。(注1)国連の「国際デー」http://www.unic.or.jp/activities/international_observances/days/ | ||||
************************************
日録(2018年2月)
| 日 | 事項 |
| 02 | 「01月忌(一覧)」、「 02月忌(一覧)」を作成。 |
| 03 ~ | 過去のデジタルデータを順次投稿。 |
| 07 | ~8日。 広島平和文化センター編『平和事典』(1985年)を読む。目次(広島平和記念資料館「平和データベース」からダウンロード)に読んだ項目の執筆者を記入。 |
| 09 | 「「平和事典」執筆者」を投稿。 |
回顧:年中行事・事件(2月)
| 日 | 年1* | 年2** | 年中行事・事件 | 備考 |
| 11 | 1967 | 建国記念の日(国民の祝日) | ||
| 11 | 1978 | 1992 | 広島県高校生平和ゼミナール | 第1回(1978年)。1992.2.08(第15回) |
| 11 | 2018 | ヒロシマ革新懇デー「日米「軍事同盟」の光と闇」 | 記念講演:孫埼享(元外務省国際情報局長・防衛大学校教授)場所:生協けんこうプラザ。連絡先:平和・民主・革新の日本をめざす広島の会。 | |
| 13 | 広島・長崎宗教者平和会議 | 広島・長崎で交互に開催。5回(13日、長崎)、6回(13日、広島 | ||
| 18~ | 1937 | 重慶爆撃 | ||
| 19 | フランクリン・D・ルーズベルト大統領「大統領令9066号」に署名。 | 「軍が必要がある場合(国防上)に強制的に『外国人』を隔離する」ことが可能となる。 | ||
| *発生年月日、開始日など、**確認できた最終年。 | ||||
日録(2018年3月)
| 日 | 事項 |
| 05 | 「03月忌」に「内田恵美子」を投稿。 |
| 09 | 「02月忌(一覧)」「03月忌(一覧)」を投稿。 |
| 17 | 似島(広島市南区)原爆碑・原爆遺跡調査。 |
回顧:年中行事・事件(3月)
| 日 | 年1* | 年2** | 年中行事・事件 | 備考 |
| 01 | 1919 | 「3・1運動」(韓国) | 日本からの独立を求めるデモ | |
| 2018 | 「3・1運動」記念式典 | 西大門刑務所歴史館(ソウル市内刑務所跡)主催。文在寅(ムン・ジェイン韓国大統領)が演説。同地での開催は初。 | ||
| 01 | 1954 | 第五福竜丸水爆被災事件 | 「 3・1ビキニデー2018」(投稿) | |
| 01 | ||||
| 08 | 国際女性デー | 1904年にアメリカ、ニューヨークでの婦人参政権を要求したデモが起源、1975年に国連が制定。 | ||
| 08 | 1948 | 国際婦人デー広島大会 | 場所:中国配電ビル講堂。広島大会としては初。 | |
| 2018 | 2018国際女性デーひろしま実行委員会主催講演会 | 講師:藤森俊希(日本被団協事務局次長)。2018年3月11日、広島市男女共同参画推進センターで開催。参加者約150人。 | ||
| 10 | 1945 | 東京大空襲 | ||
| 2018 | 「慰霊碑・哀しみ東京大空襲」での法要。 | 2018年3月9日開催。。碑は2005年に建立(東京都台東区内)。 | ||
| 10 | 2018 | 東京大空襲を語り継ぐつどい | 東京大空襲・戦災資料センター主催。講師:窪島誠一郎無言館館主。 | |
| 10 | 2018 | 東京大空襲犠牲者追悼集会(31回目) | 東京大空襲犠牲者追悼・記念資料展実行委員会主催。場所:東京都台東区・言問橋たもとの碑前。参加者:120人。 | |
| 11 | 2011 | 東日本大震災 | 死者1万5895人、行方不明者2539人、震災関連死3647人。 | |
| 11 | 2011 | 東京電力福島第一原発事故 | ||
| 11 | 2018 | フクシマを忘れない! さよなら原発ヒロシマ集会 | 同実行委員会主催。場所:原爆ドーム前。参加者:約300人。 | |
| 2018 | 東日本大震災7周年追悼式 | 政府主催。会場:東京都千代田区・国立劇場、参列者:秋篠宮夫妻・安部首相・遺族など約820人。 | ||
| 11 | 1951 | 原民喜死亡 | ||
| 13 | 2018 | 原民喜「碑前祭」の中で被爆柳案内板除幕。 | 広島市中区橋本町京橋川河岸緑地。 | |
| 13 | 1968 | ソンミ村虐殺事件 | (ベトナム中部クアンガイ省) | |
| ソンミ村虐殺50年追悼式典 | ||||
| ベトナム戦争中の1968年、無抵抗の民間人504人が米軍部隊に殺害される。同村と交流を続ける元ベトナム従軍米兵も出席。ベトナムの非営利団体「ソンミ平和基金」が、広島・長崎を参考にした平和公園の建設計画を発表。(しんぶん赤旗20180317) | ||||
| 21 | 1975 | 神戸市議会核積載艦艇拒否決議 | ||
| 2018 | 非核「神戸方式」決議43周年記念のつどい | 記念講演講師:安斎育郎立命館大学名誉教授。場所:神戸市内。参加者340人。 | ||
| 21 | 1982 | 1991 | 3・21平和のためのヒロシマ行動 | 1991年=9回目。 |
| 23 | 1989 | ヒロシマ賞(広島市主催) | 第1回=三宅一生 | |
| 29 | 1985 | ヒロシマ国際平和マラソン(広島青年会議所など主催) | 1990年3月18日=第10回 | |
| 31 | 1990 | 少年少女ヒロシマの旅(日本生協連主催) | 1990年3月31日4~4月2日=第3回 | |
| *発生年月日、開始日など、**確認できた最終年。 | ||||
日録(2018年4月)
| 日 | 事項 |
| 02 | 実家と自宅で花を撮影。「ヒロシマ遺文」に投稿。 |
| 0 2 | ~3日。『広島県現代文学事典』(岩崎文人編、勉誠出版、2010.12.20刊)を読む。 |
| 05 | 「ヒロシマ遺文」 に、「秦野裕子」を「人物」に投稿、「講座ヒロシマ20020929戦後政治と原爆被害者の動向-原爆死没者追悼と政府の対応」を「その他」に投稿 |
| 06 | 「ヒロシマ遺文」 に,「戦争と平和の旅1993年1月25日~30日」を投稿 |
| 08 | 「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター 1995.1.17」見学。 |
| 14 | My little concert(私のコンサート)<被爆ピアノによる演奏・伴奏>鑑賞。会場:旧日本銀行広島支店。 |
| 20 | 「大阪空襲を語り継ぐ平和ミュージアム=ピースおおさか」見学 |
| 20 | 「阪急古書のまち」で記念切手「広島平和記念都市建設(バラを持つ女性)」(1949年8月6日発行)購入。 |
| 27 | 『灰墟の光 甦るヒロシマ』(ロベルト・ユンク著、原田義人訳、文芸春秋、1961年2月10日刊)を読み始める。 |
回顧:年中行事・事件(4月)
| 日 | 年1* | 年2** | 年中行事・事件 | 備考 |
| 07 | 1945 | 戦艦大和爆沈。 | 米軍の攻撃により鹿児島県沖・東シナ海で。 | |
| 2018 | 戦艦大和戦没者之碑前で追悼式。戦艦大和会主催。場所:呉市・長迫公園。参列者:約300人。 | |||
| 07 | 1975 | ヒロシマ国際アマチュア映画祭 | 『広島県大百科事典』に紹介項目。 | |
| 14 | 2016 | 熊本地震 | ||
| 15 | 1986 | 広島平和文化センター「ヒロシマの証言~被爆者は語る」収録開始。 | ||
| 16 | 2016 | 熊本地震 | ||
| 26 | 1986 | 旧ソ連チェルノブイリ原発事故 | ||
| 2018 | 原爆慰霊碑前座り込み | 広島県原水禁・県平和運動センター主催、場所:広島市・平和公園。約80人が参加。『中国新聞』2018.4.27 | ||
| 27 | 1991 | ピース・ラン’91<広島―東京コース>広島平和公園スタート。 | 2年おきに実施し今回が3回目。 | |
| *発生年月日、開始日など、**確認できた最終年。 | ||||
日録(2018年5月)
| 日 | 事項 |
| 1 | 新聞切り抜きと記事の分類整理。 |
| 9 | ヒロシマ遺文 の「出来事―年表(テーマ別)」に「メーデー(広島)年表」を投稿 |
| 10 | ~12日。広島県史編さん室勤務時の資料を整理。 |
| 14 | NNNドキュメント「南京事件Ⅱ~歴史修正を検証せよ」を視聴。0 |
| 18 | 原爆放射線医科学研究所 附属被ばく資料調査解析部を訪問。 |
| 20 | 「風のように炎のように-峠三吉追悼集」の詳細目次を作成にヒロシマ遺文に投稿 |
| 22 | ヒロシマ遺文 の「出来事」に「編年資料:ヒロシマ」(1945年~1960年分)を投稿。過去に収集した資料のタイトルを年ごとに目録化したもの。 |
| 23 | 『日本労働年鑑 大原デジタルライブラリー』(大原社会問題研究所)を読み始める。http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/index.html |
| 25 | フェニックス広島号の冒険(アール・レイノルズ著) を読む。 |
| 26 | 森滝日記の新聞連載のデータを整理。 |
| 28 | 「特別調査一件(広島県総務部地方課) 」を読む。 |
回顧:年中行事・事件(2018年5月)
| 日 | 年1* | 年2** | 年中行事・事件 | 備考 |
| 1 | 1889 | メーデー | ||
| 1886年5月1日アメリカの労働者(約35万人)が「1日8時間労働」を要求してストライキ。国際組織(第2インタナショナル)が1989年、5月1日を8時間労働制を求める国際デモンストレーションの人決め、各国に広がる。日本では1920年5月2日、東京・上野公園での開催が初。 | ||||
| 2018 | 第89回広島県中央メーデー | 主催:連合広島など。会場会場:広島市。参加者:約7100人。 | ||
| 2018 | 広島県中央メーデー集会。 | 主催:広島県労連など。会場:広島市。参加者:約800人。 | ||
| 3 | 1948 | 憲法記念日 | 1947年5月3日に日本国憲法施行。1948年に公布・施行された祝日法によって制定。 | |
| 2018 | 5.3ヒロシマ憲法集会 | 場所:広島市・ハノーバー庭園。参加者約1800人(主催者発表) | ||
| 3 | 1977 | ひろしまフラワーフェスティバル | 「ひろしまFF」と略称。3~5日の3日間、広島市の平和大通りを会場に開催。 | |
| 2009 | 折りづるひろば・折りづるみこし連 | 広島女学院大学の学生が「ひろしまFF」の中で設けるブースで折り鶴を集める。折りづるみこしでパレードに参加。2018年が10回目。 | ||
| 5 | 1958 | 原爆の子の像(除幕式) | ||
| 2018 | 原爆の子の像碑前イベント | 広島女学院大学の学生が集めた折りづる1万8000羽を像に奉呈。 | ||
| 6 | 2018 | 原水爆禁止国民平和大行進(東京―広島コース)出発集会 | 場所:東京都・夢の島公園・第5福竜丸展示館前。参加者約800人。 | |
| 16 | 広島市の原爆死没者名簿の「風通し」 | 場所:広島市平和公園原爆慰霊碑前。 | ||
| 22 | 広島市平和宣言文案を考える懇談会 | 場所:市役所。 | ||
| 27 | 2016 | オバマ米国大統領の広島訪問 | ||
| 2018 | 訪問の意義を考えるトークイベント | 2018.5.25 於:広島市内・カフェ「ハチドリ舎」。 | ||
| 1985 | 広島国際アニメーションフェスティバル | 隔年開催で2018年は17回目。 | ||
| 28 | 2018 | 選考審査の結果・上映日公表。上映日:8月23日~27日。会場:JMSアステールプラザ。http://hiroanim.org/index.php | ||
| *発生年月日、開始日など、**確認できた最終年。 | ||||
************************************
日録(2018年6月)
| 日 | 事項 |
| 1 | ヒロシマ遺文への投稿。「広島県労働年鑑」を読む。5月分の新聞切り抜き作業。 |
| 1 | フタバ図書(県内各店舗)で被爆70年史の予約を開始。販売時期:7月28日。 |
| 2 | 夜の散歩中、実家の川沿でホタル3匹確認。 |
| 2 | 「平和記念式典」関係資料の整理。ヒロシマ遺文への投稿。 |
| 3 | 『中国新聞』14~17面に大学徹底研究「広島県の大学へ行こう」(企画特集・PRのページ)。これによると、県内には「ヒロシマ」を学べる大学がない。私の見落としか? |
| 6 | ~8日。ヒロシマ遺文への投稿。「原爆報道」 |
| 9 | ヒロシマ遺文への投稿。「国連」。「科学者会議」。「自治研」など。 |
| 10 | ヒロシマ遺文への投稿。「国際シンポ」など。 |
| 11 | ヒロシマ遺文への投稿。「ヒバクシャ―ともに生きる」など |
| 12 | 呉市立図書館へ。早朝、ネットで予約した「地域社会福祉史入門」(田代国次郎著)を受け取るため。窓口では、すでに昭和図書館に移動中なので、こちらには無い、昭和図書館に届くのは11時以降とのこと。 |
| 12 | ヒロシマ遺文への投稿。「ヒバクシャ―ともに生きる」など。 |
| 13 | 町内のコンビニへ。米朝首脳会談を一面で掲載している新聞を購入。 |
| 15 | ヒロシマ遺文に福祉関連の事項を投稿。 |
| 16 | ヒロシマ遺文にNPT再検討会議関連の事項を投稿。 |
| 18 | ヒロシマ遺文に「広島・長崎の証言の会」、「NPT再検討会議」などを投稿。 |
| 19 | ヒロシマ遺文に投稿。「平和記念式典」など。 |
| 20 | ヒロシマ遺文に投稿。「核兵器禁止条約・平和式典参加状況表など。 |
| 21 | 原爆資料館。福島学芸員と広島情報の発信情報につき意見交換。『患者と福祉』、『平和のために市民の対話をすすめる会・会誌』を閲覧。 |
| 21 | 広島平和会館。前田耕一郎広島県被団協事務局長と会ヒロシマ関係資料の収集・保存体制につき意見交換。 |
| 21 | 広島市公文書館。安藤福平氏と私の所蔵するヒロシマ関係資料につき意見交換。 |
| 22 | ヒロシマ遺文に投稿。「若い広島の会」 |
| 23 | ヒロシマ遺文に投稿。「昭和天皇実録」「忘れてはならない4つの日」 |
| 24 | ヒロシマ遺文に投稿。「原水爆禁止大会・平和集会(2017年)」 |
| 27 | 「 12・11基本懇意見書にこだわる被爆者問題講演会」(2017年12月2日 広島市総合福祉センター)の講演要旨をまとめ、原爆被害者相談員の会事務局に送付。 |
| 28 | ヒロシマ遺文の「回顧:年中行事・事件」用のデータ整理。6月分の新聞切り抜きと分類整理。 |
| 29 | ~30日。ヒロシマ遺文の「祈り―月忌(一覧)」の整備。 |
| 30 | 『呉海軍工廠の形成』(千田武志著)を語る会。呉阪急ホテル。 |
回顧:年中行事・事件(2018年6月)
| 日 | 年1* | 年2** | 年中行事・事件 | 備考 |
| 08 | 2018 | 原爆死没者名簿の記帳 | 6月8日~8月5日 | |
| 09 | 2018 | こどもピースサミット | 平和記念式典の「平和への誓い」を読むこども代表を決定 | |
| 13 | 1959 | 2018 | 原子爆弾後障害研究会 | 13―14日、於広島市平和記念館。 |
| 1990 | 2018 | ジュノー博士記念祭(第1回) | ジュノー顕彰碑」1979年9月建立)(広島平和記念公園横の緑地帯)。マルセル・ジュノー=1969年6月19日没。 | |
| http://www.hiroshima.med.or.jp/jigyo/junod.html | ||||
| 14 | 2017 | ロンドン高層住宅(グレンフェル・タワー)火災(2017年06月30日=日本時間撮影) | ![]() |
|
| 18 | 2018 | 大阪府北部を震源とする地震 | ||
| 23 | 1945 | 沖縄戦で日本軍の組織的戦闘が終結。 | ||
| 1974 | 沖縄県慰霊の日を定める条例 | (1974年10月21日 条例第42号) | ||
| 25 | 1950 | 朝鮮戦争(開戦) | ||
| 2018 | 朝鮮戦争68年式典 | 韓国政府主催。場所:ソウル。 | ||
| 26 | 1968 | 小笠原諸島返還 | ||
| 2018 | 小笠原諸島返還50周年記念シンポジウム | 5月24日。場所:東京都議会議事堂1階 都民ホール | ||
| 小笠原諸島返還記念日式典 | 6月30日。場所:大神山公園お祭り広場(父島) | |||
| *発生年月日、開始日など、**確認できた最終年。 | ||||
************************************
日録(2018年7月)
| 日 | 事項 |
| 01 | 12時15分、町内放送の呼びかけで1分間の黙とう(呉空襲犠牲者慰霊・恒久平和祈念の日) |
| 01 | ~2日。 カテゴリー(このサイトでは目次に相当)の再検討 |
| 02 | 雨の合間を縫って「7月の草花」 を撮影。投稿。 |
| 03 | 受贈した本の整理 |
| 04 | 台風7号の暴風で倒れた倉庫のヘチマなどの支柱を補強。 |
| 05 | カテゴリー「組織」の再検討。組織のエクセルデータ(600件超)の重複削除などの整備に着手。 |
| 06 | 夜から豪雨~8日。呉―焼山を結ぶ幹線道路(平谷線)が不通となり焼山町は孤立状態。避難指示が発令されたが自宅で過ごす。 |
| 09 | 午前6時過ぎ町内放送。幹線道路(平谷線)が開通し、広電バスが運行開始とのこと。 |
| 11 | WHOデータの死亡月別への再整理。「月忌」データとして利用するため。 |
| 13 | WHOデータの死亡月別への再整理、終了。 |
| 14 | 7月6日以降の新聞切り抜き。 |
回顧:年中行事・事件(2018年7月)
| 日 | 年1* | 年2** | 年中行事・事件 | 備考 | |
| 1952 | 合同慰霊式 | ||||
| 2018 | 戦没者戦災者及び旧呉鎮守府管内非戦闘員殉職者合同慰霊式(6月30日) | ||||
| 05 | 2017 | 九州北部豪雨 | 6日にかけて福岡県・大分県を中心に発生。40人死亡、2人行方不明。 | ||
| 2018 | 福岡県朝倉市主催追悼式。約400人が参列。 | ||||
| 07 | 2017 | 核兵器禁止条約採択 | |||
| *発生年月日、開始日など、**確認できた最終年。 | |||||
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日録(2018年8月)
| 日 | 事項 |
| 04 | 合同授業「ヒロシマ」(関西学院大学・広島女学院大学)に参加。 |
| 06 | 広島市平和記念式典に参列。 |
| 06 | 「広島への原爆投下からの日数 26663日」(出典:原爆資料館「地球平和監視時計」) |
| 09 | 11:02 町内放送の呼びかけで黙とう(長崎原爆の日) |
| 11 | ひろしま盆ダンス。旧広島市民球場跡。 |
| 12 | 「この世界の片隅に」マンガ原画展(呉市立美術館、7月22日~9月9日)。入船山記念館。 |
| 12 | 自宅のネットの速度を上げるためルーターを新調。 |
| 15 | 12:00 町内放送の呼びかけで黙とう(終戦記念日)。 |
| 16 | 慰霊碑関係資料・被爆建物関係資料の整理に着手。 |
| 21 | ヒロシマ遺文に投稿。「原爆被爆者対策前史資料集」の一部。 |
| 25 | 第24回平和のための広島の戦争展。会場:県民文化センター(広島市)。 |
| 25 | 広島市映像文化ライブラリー「映画『平和記念都市ひろしま』とその時代」。 |
| 25 | パソコンソフト「読取革命」(11620円)を購入。 |
| 26 | 「読取革命」を自宅のパソコンにインストールし、使用方法の確認。 |
| 27 | 眼科医院。6年前の白内障手術後の状態は良く、目・視力等は正常とのこと。点眼の薬を処方される。 |
| 28 | ヒロシマ遺文のカテゴリーの体系の再検討。~30日、大幅変更。 |
| 31 | 過去の『ヒロシマ通信』のデータや女学院勤務期に作成したデータの確認作業。ヒロシマ遺文に掲載したい事項多数あり。 |
回顧:年中行事・事件(2018年8月)
| 日 | 年1* | 年2** | 年中行事・事件 | 備考 |
| 06 | 1947 | 広島市平和祭 | ||
| 06 | 2018 | 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式 | ||
| 09 | 1948 | 長崎市文化祭式典 | ||
| 09 | 2018 | 被爆73周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典 | ||
| 11 | 2018 | ひろしま盆ダンス(第1回)。(中国新聞社主催、会場:旧広島市民球場跡)。 | ||
| 11 | 2018 | ピースマッチ=サンフレッチェ広島対V・ファーレン長崎(後援:平和首長会議・広島市・長崎市・広島市教育委員会・広島平和文化センター。場所:エディオンスタジアム広島) | ||
| 15 | 2002 | 「原爆詩・反戦詩の屋外朗読会」(仮称) | ||
| 15 | 2018 | 「8・15 反戦・原爆詩を朗読する市民のつどい」(「広島文学資料保全の会」(土屋時子代表)など主催) | ||
| 15 | 1963 | 全国戦没者追悼式(日比谷公会堂、1964年靖国神社、1965年~日本武道館で開催) | ||
| 15 | 2018 |
全国戦没者追悼式(政府主催、日本武道館。参列者約7000人) |
||
| 2005 | 青少年国際平和未来会議(同実行委員会) (International Youth Conference for the Peace in the Future, IYCPF) |
|||
| 報告書:『青少年国際平和未来会議ヒロシマ2005報告書 被爆60周年記念事業 -未来を築く子どもたちのため』(20060301) | ||||
| 2018 | 8月20~26日、ドイツ・ハノーバー市で開催(『中国新聞』20180817) | |||
| *発生年月日、開始日など、**確認できた最終年。 | ||||
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日録(2018年9月)
| 日 | 事項 |
| 01 | 過去の『ヒロシマ通信』のデジタルデータをヒロシマ遺文に掲載するための準備作業。 |
| 03 | 今年になってからの葉書・手紙類の整理。 |
| 04 | 過去の葉書・手紙類の整理。~7日。 |
| 08 | エクセルデータWHO(人物)の整備作業と「月忌」(ヒロシマ遺文)への投稿。 |
| 09 | ヒロシマ遺文「月忌」への追加作業。 |
| 10 | 広島大学文書館発行の所蔵目録を参考に、ヒロシマ遺文「月忌」への追加作業。~12日。 |
| 13 | 所蔵する追悼集を参考にヒロシマ遺文「月忌」への追加作業。~13日。 |
| 16 | ヒロシマ遺文のカテゴリーの再検討とそれに基づく新聞切り抜きの分類整理。~17日。 |
| 18 | たまたまNHKで放映されていたBSプレミアム『二十四時間の情事』を観る。広島の風景を繰り返し。 |
| 19 | 呉市民劇場.こまつ座公演「マンザナ、わが町」。呉市文化ホール。日系アメリカ人強制収容所問題の顛末がわかりやすく描かれていた。 |
| 21 | 天皇夫妻、広島県呉市の天応地区を見舞う。家族からヘリコプターで降り立った二河球場から被災地に向かう天皇に出会った様子を聞く。 |
| 22 | 広島県立図書館で「若い広島の会第1号」を部分コピー。県立文書館で今堀誠二資料目録の閲覧。 |
回顧:年中行事・事件(2018年9月)
| 日 | 年1* | 年2** | 年中行事・事件 | 備考 |
| 05 | 2002 | ならコープ「ヒロシマの旅」 | ||
| 05 | 2018 | ならコープ「ヒロシマの旅」(ならコープ組織部)5~6日。(18回) | ||
| 舟入むつみ園、平和記念公園碑めぐり、資料館、平和記念式典見学など。出典:『ヒバクシャ―ともに生きる― 第35号』 | ||||
| 1964 | 広島県母親大会 | 7月26日。会場:広島市段原小学校 | ||
| 23 | 2018 | 広島県・広島市母親大会 | 会場:広島県西区民文化センター | |
| 出典:大会用プログラム所収「広島県母親大会のあゆみ」 | ||||
| 30 | 1999 | 東海村 JCO臨界事故 | ||
| *発生年月日、開始日など、**確認できた最終年。 | ||||
日録(2018年10月)
| 日 | 事項 |
| 4 | 修学院離宮から詩仙堂に向かう途次、 圓光寺(京都市左京区一条寺)の門前を通る(同寺には、広島で被爆した南方特別留学生の墓あり)。参照:サイド・オマール |
| 12 | 『戦後ヒロシマの記録と記憶』出版記念パーティー。会場:広島市内。 |
| 13 | 「広島への原爆投下からの日数 26731日」(出典:原爆資料館「地球平和監視時計」) |
| 13 | 大 学生10人を引率して平和公園フィールドワーク。 |
| 21 | グリーンヒル郷原「秋の収穫祭」。<売上の一部は「原爆ドーム保存募金」に寄付されます>とのキャッチコピーに惹かれ<「ヒロシマPEACE」バナナ>を購入。 |
| 29 | 鹿児島県原爆犠牲者慰霊平和祈念碑(鹿児島県鹿児島市照国町城山公園内 探勝園)を取材。 |
日録(2018年11月)
| 日 | 事項 |
| 04 | 世界遺産関係記事の新聞切り抜きを整理。~5日。 |
| 06 | 『広島財界今昔物語』を斜め読み。 |
| 08 | 広島市現代美術館。特別展「丸木位里・俊 ―《原爆の図》をよむ」コレクション展「2018-Ⅲ コレクション・ハイライト+特集「顔のような」」。『原爆の図』(1953年 新星映画社 17分 白黒 16㎜)( 監督/今井 正、青山通春 撮影/浦島 進 解説/赤木蘭子)。図録を購入。 |
| 11 | 自宅書庫から追悼集・遺稿集などを抜き出す。 |
| 14 | 「世界の子どもの平和像・京都」( 京都府教育会館前)を撮影。 |
| 15 | 滋賀県大津市取材。<三井寺観音堂(西国第14番)=「天台寺門宗総本山園城寺(三井寺)で毎年八月六日原爆犠牲者慰霊追悼」(出典:『日本被団協50年史 本巻』416頁)> |
| 15 | 京都府原爆被災者の会「京都府原爆死没者慰霊碑」(京都東山霊山観音教会)を撮影。 |
| 19 | 実家書庫から追悼集・遺稿集などを抜き出す。 |
| 20 | 母屋北側の書庫の本の整理。抜き出した追悼集・遺稿集などを自宅に持ち帰る |
| 22 | 追悼集・遺稿集をもとに、デジタルファイル”WHO”の校訂作業。 |
| 23 | 桜が丘母屋の母の書斎から豊田清史・火玄関係の刊本を自宅に持ち帰る。追悼集・遺稿集をもとに、デジタルファイル”WHO”の校訂作業。 |
| 24 | 追悼集・遺稿集をもとに、デジタルファイル”WHO”の校訂作業。自宅の書斎に「月忌」順に配列。 |
| 25 | 桜が丘の母の書斎から短歌の本を自宅に持ち帰る。 |
| 27 | WHO(人物)関係資料の整理。~29日 |
| 30 | 原爆資料および情報ネットワーク委員会関係のデジタル資料をやっと見つけ出す。一部を「ヒロシマ遺文」に投稿。 |
回顧:年中行事・事件(2018年11月)
| 日 | 年1* | 年2** | 年中行事・事件 | 備考 |
| ? | 2009 | 第1回ダマー映画祭inヒロシマ | 2009年12月開催。 | |
| 第5回(2013年11月)まで。2014年から 「広島国際映画祭2014」と名称変更http://hiff.jp/archives/4961/ | ||||
| 23 | 2018 | 広島国際映画祭2018 | ||
| *発生年月日、開始日など、**確認できた最終年。 | ||||
献花(3月)
献花(2019年3月)
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| サクラソウ 撮影日時:2019年3月1日 撮影場所:自宅 |
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| サンシュユ(山茱萸) 撮影日時 2019.3.1 撮影場所:実家 |
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| ? 撮影日時 2019.3.1 撮影場所:実家 |
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| 菜の花 撮影日時 2019.3.1 撮影場所:倉庫 |
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| ? 撮影場所:実家 撮影日時:2019.3.9 |
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| ? 撮影場所:自宅から実家へ向かう路傍 撮影日時:2019.3.11 |
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| ? 自宅から実家へ向かう路傍 撮影日時:2019.3.11 |
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| ? 自宅から実家へ向かう路傍 撮影日時:2019.3.11 |
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| スノードロップ 場所:実家 撮影日時:2019.3.16 |
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| クリスマスローズ 場所:実家 撮影日時:2019.3.16 |
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| ハナニラ 場所:実家 撮影日時:2019.3.16 |
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| ? 場所:実家 撮影日時:2019.3.16 |
| 撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市) |
献花(2018年3月)
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| うめ(梅) 撮影日時 2018.3.1 撮影場所:自宅 |
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| クリスマスローズ 撮影日時 2018.3.24 撮影場所:実家 |
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| しだれざくら(枝垂れ桜) 撮影日時 2018.3.26 撮影場所:実家 |
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| タラの芽 撮影日時 2018.3.26 撮影場所:実家 |
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| ハクモクレン(白木蓮) 撮影日時 2018.3.26 撮影場所:実家 |
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| サンシュユ(山茱萸) 撮影日時 2018.3.26 撮影場所:実家 |
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| スミレ(菫) 撮影日時 2018.3.26 撮影場所:自宅 |
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| シンビジウム 撮影日時 2018.3.26 撮影場所:自宅 |
| 撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市) |
献花(2月)
献花(2月)
| 2019年 |
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| プリムラ・マラコイデス 撮影日:20190202 場所:自宅 |
| 撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市) |
| 2018年 |
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| 小菊 撮影日・場所:2018/2/5 実家 |
| 撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市) |
献花(1月)
献花(1月)
| 2021年 |
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| ロウバイ(蝋梅) 撮影日:5日、場所:実家 |
| 2019年 |
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| ウメ(梅) 撮影日:7日、場所:自宅 |
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| ロウバイ(蝋梅) 撮影日:1日、場所:実家 |
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| キク(菊) 撮影日:1日、場所:実家 |
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| ハボタン(葉牡丹) 撮影日:1日、場所:実家 |
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| センリョウ(千両) 撮影日:1日、場所:実家 |
| 撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市) |
| 2018年 |
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| 棕梠の実 撮影日:21日、場所:実家 |
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| ろうばい(蝋梅) 撮影日:5日、場所:実家 |
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| 蕗の薹(ふきのとう) 撮影日:2日、場所:実家 |
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| すいせん(水仙)撮影日:2日、場所:実家 |
| 撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市) |
3月忌(一覧)
3月忌(一覧)
| 日 | 没年 | 氏名 | 読み | 享年 | 備考 |
| 01 | 19610301 | 手塚良道 | てづか・よしみち | 72 | 広島文理科大学教授(漢文学)の時被爆。「奇怪な火焔」<被爆場所:爆心より2000米、当時の住所:白島中町72-1、広島文理科大学教授、55歳>(『原爆体験記』広島市民局社会教育課編、広島平和協会刊、19500806)pp.81-85。 |
| 01 | 20030301 | 藤田進 | ふじた・すすむ | 参議院議員5期、第2代総評議長、大阪工大摂南大学総長・理事長。 | |
| 01 | 20040301 | 飯島宗一 | いいじま・そういち | 81 | 広島大学学長(1969~1977年)。追悼記=庄野直美(『中国新聞』20040305)、来栖武士郎(『中国新聞』20040327)、高木新(『朝日新聞』20040330)。 |
| 01 | 20110301 | クラウス・ルーメル | 94 | 1937年に来日。イエズス会の長束修練院<広島市安佐南区>で被爆。 | |
| 01 | 20140301 | アラン・レネ | 91 | フランス・ヌーベルバーグとなった映画監督。「24時間の情事(ヒロシマ・モナムール)」(1959年) | |
| 01 | 20180301 | 佐藤行通 | さとう・ぎょうつう | 99 | 日本山妙法寺僧侶、社会運動家。『日本中が私の戦場 平和を求める宗教者の手記』 (東邦出版社、1970730) |
| 01 | 20190301 | 大井健二 | おおい・けんじ | 72 | [退任教員の履歴と業績]大井健二(『広島国際研究 2012』第18巻、広島市立大学国際学部、2012/11/30) |
| 02 | 19800302 | 安井郁 | やすいかおる | 72 | [原水爆禁止世界大会日本準備会事務総長]。日本原水協顧問。『道-安井郁 生の軌跡』(「道」刊行委員会編、法政大学出版局、1983/08/06) |
| 03 | 19890303 | 岸本吉太 | きしもと | 広島市で写真店経営(被爆者)。被爆直後から被爆の惨状を撮影し続け、1981年に原爆資料館に写真を寄贈。広島原爆被災撮影者の会のメンバー。 | |
| 03 | 20000303 | 伊東壮 | いとう・たけし | 70 | 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員、元山梨大学学長。広島市生まれ。広島一中3年の時、動員先の兵器工場で被爆。東京・国立被爆者の会の結成に参画、東京都原爆被害者団体協議会事務局長、日本被団協事務局長などを歴任。江種則貴「評伝」(『中国新聞』2000.3.6)、本田雅和「惜別」(『朝日新聞』2000.4.12) |
| 03 | 20090303 | 伊藤明彦 | いとう・あきひこ | 72 | 長崎の入市被爆者。長崎放送記者だった1968年、担当したラジオ番組をきっかけに被爆者の声の証言の収録を始める(高見浩太郎=共同「この人」『中国新聞』20080621)。石井みちこ「伊藤元記者をしのぶ」(『中国新聞』20090308投書欄)<参照:原爆ジャーナリスト> |
| 04 | 19870304 | 北村西望 | きたむら・せいぼう | 102 | 彫刻家。長崎市の「平和祈念像」の制作者。 |
| 04 | 20170304 | 長友啓典 | ながとも・けいすけ | 77 | グラフィックデザイナー。2010年に「ヒロシマ・アピールズ」を制作。参照:HIROSHIMA APPEALS ARCHIVES http://hiroshima.jagda.or.jp/appeals.html |
| 05 | 19710305 | 山本正房 | やまもと・まさふさ | 72 | 中国新聞社長(1958年9月~)、同会長(1969年11月~)。『山本正房追悼録』(1971.8.15) |
| 05 | 19720305 | 神田周三 | かんだ・しゅうぞう | 78 | 洋画家。広島で被爆。広島平和美術展設立に参加。(『広島県大百科事典』岡本隆寛・記) |
| 05 | 19780305 | 島本正次郎 | しまもとしょうじろう | 92 | 広島県被団協理事。『理容生活六十五年』(島本正次郎、1966/08/06) |
| 05 | 19910305 | 内田恵美子 | うちだ・えみこ | 広島大学原医研事務官。職場の同僚<投稿> | |
| 06 | 19730306 | バック、パール・ | ばっく、ぱーる | 80 | アメリカの小説家。[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。<投稿> |
| 06 | 20050306 | 栗原貞子 | くりはら・さだこ | 92 | 詩人・歌人・評論家。『広島県現代文学事典』(川口隆行・記)。広島原水禁常任理事 http://www.gensuikin.org/gnskn_nws/0505_1.htm<投稿> |
| 06 | 20240306 | 児玉正昭 | こだま・まさあき | 広島県史編さん室勤務時期の宇吹の上司。 | |
| 06 | 20240306 | 五百籏頭眞 | いおきべ・ まこと | 80 | 政治学者 、 歴史学者 (日本政治外交史)。防衛大学校長(第8代)。広島大学勤務期<経学部助教授、広島大学法学部助教授>に面識あり。 |
| 07 | 19840307 | 浅田常三郎 | あさだ・つねさぶろう | 85 | 物理学者。『町人学者 産学連携の祖 浅田常三郎評伝』(増田美香子編、毎日新聞社、20080419) |
| 08 | 19960308 | 下江武介 | しもえ・ | 92 | 広島県被団協理事。<投稿予定> |
| 08 | 20010308 | 田畑茂二郎 | たばた・しげじろう | 89 | 京大名誉教授。原爆投下は国際法違反と鑑定。 |
| 08 | 20180308 | 大田萩枝 | おおた・はぎえ | 96 | 1942年、広島県立病院勤務。核戦争防止国際医師会議(IPPNW)第9回世界大会(広島)で被爆体験を語る。西本雅実「大田萩枝さん死去 被爆医師 救護に奔走」『中国新聞』20180402)。 |
| 09 | 19520309 | 松田重次郎 | まつだ・じゅうじろう | 77 | 梶山季之著『松田重次郎』(時事通信社、1966/02/25)<投稿> |
| 10 | 19530310 | 峠三吉 | とうげ・さんきち | 36 | [52広島平和問題談話会](新日本文学会広島支部長)。[原爆被害者の会幹事]。広島県西条国立療養所で死亡。(『広島県大百科事典』大原三八雄・記)『広島県現代文学事典』(川口隆行・記)<投稿> |
| 10 | 19920310 | 久保仲子 | くぼ・なかこ | 64 | 愛媛県原爆被害者の会会長。藤居平一聞き書きに登場。原爆死没者慰霊碑 |
| 11 | 20190311 | 諏訪了我 | すわ・りょうが | 85 | 浄土真宗本願寺派浄寶寺前住職。<投稿予定> |
| 12 | 19720312 | モリス、アイラ | もりす・あいら | 68 | フランス在住の米国人作家。「広島憩いの家」の生みの親。妻エディタとともに広島市特別名誉市民(1967年4月)。(『広島県大百科事典』田辺耕一郎・記) |
| 12 | 19840312 | 渡辺嶺男 | わたなべみねお | 63 | 元広島大学原医研から鳥取大学医学部教授。コンピューターによる被爆者の疫学研究。1976年12月、78年11月、79年12月、81年12月に原医研で講義。ネットワークの概念について学ぶ。 |
| 13 | 19510313 | 原民喜 | はら・たみき | 45 | 詩人・小説家。『広島県現代文学事典』(岩崎文人・記)1919年広島高師附中入学。慶応義塾大学に進む。千葉から郷里の広島に疎開中被爆。東京・西荻窪で鉄道自殺。広島市本通り商店街の商店で原時彦氏(民喜の甥)に被爆時民喜が所持していた手帳を閲覧させていただく。 |
| 13 | 19930313 | 渡辺千恵子 | わたなべ・ちえこ | 63 | 長崎原爆乙女の会を結成。映画「生きていてよかった」に藤居平一に抱かれて外出した映像あり。 |
| 14 | 19960314 | 木村一治 | きむら・もとはる | 『核と共に50年』(木村一治、築地書館、1990.10.18)<投稿> | |
| 14 | 20010314 | 芝田進午 | しばた・しんご | 70 | 哲学者。反核文化論を提唱。広島大学教授(1976~93年)。担当する平和科目での講義(2コマ)を依頼される。<投稿> |
| 15 | 19880315 | モリス、エディタ | もりす・えでいた | 小説家・平和活動家。夫アイラとともに広島市特別名誉市民(1967年4月)。『広島県現代文学事典』(植木研介・記) | |
| 16 | 19890316 | 太田司朗 | おおた・しろう | 85 | 元広島大学助教授。元エリザベト音楽大教授。広島平和記念公園の「平和の時計塔」から流れる「平和の時計塔の歌」の作詞・作曲者。 |
| 17 | 19980317 | 下程勇吉 | したほど・ゆうきち | 1904年10月6日 – 1998年3月17日 広島県安佐郡戸山村生。1924年3月広島県立第一中学校(現:広島県立広島国泰寺高等学校)卒業。1927年3月広島高等学校(文科乙類)卒業。 1930年京都帝国大学文学部哲学科卒。1937年京都府立医科大学予科教授。1947年、京都大学助教授、「天道と人道 二宮尊徳の哲学」で、文学博士(京都大学)を取得。1948年京都大学教授。教育学部創設に参加し1951年から学部長。「京大原爆展」調査の中で名前を知る。その後親族の結婚式で面識。 |
|
| 17 | 20020317 | 後藤陽一 | ごとう・よういち | 88 | 広島大学名誉教授。恩師・道重哲男の恩師(投稿) |
| 18 | 19940318 | 天野卓郎 | あまの・たくろう | 68 | 広島県史編さん室。職場の上司。(投稿) |
| 19 | 20170319 | 今田洋子 | いまだ・ようこ | 73 | 1歳の時、母に背負われ入市被爆。広島平和記念資料館でピースボランティア。「シュモーに学ぶ会」代表。「今田洋子さん死去 シュモーに学ぶ会代表 私が広島の思い伝えなければ」(『朝日新聞』20170321 岡本玄・記) |
| 20 | 19650320 | 峠和子 | とうげ・かずこ | 56 | 峠三吉の妻。 |
| 20 | 20170320 | 肥田舜太郎 | ひだ・しゅんたろう | 100 | 被爆当時、広島陸軍病院所属の軍医。日本原水爆被害者団体協議会原爆被爆者中央相談所理事長などを歴任。(投稿) |
| 21 | 19980321 | 竹内千代 | たけうち・ちよ | 90 | ワールド・フレンドシップ・センターの創立メンバー。平和を願う友の会代表。 |
| 21 | 20020321 | 高木昌彦 | たかぎ・まさひこ | 76 | 元大阪大学医学部。カザフスタンで医療ボランティア活動。 |
| 21 | 20180321 | 吉田嘉清 | よしだ・よしきよ | 92 | 平和運動家。元原水爆禁止日本協議会代表理事。『人間銘木 藤居平一追想集』に寄稿。 |
| 22 | 20050322 | 丹下健三 | たんげ・けんぞう | 91 | 建築家。 |
| 23 | 19930323 | 芹沢光治良 | せりざわ・こうじろう | 96 | 小説家。『広島県現代文学事典』(村上林造・記) |
| 23 | 20170323 | 佐古美智子 | さこ・みちこ | 85 | 原爆による心身の傷を歌った「ほほえみよ還れ」の作詞者。渡米治療。(出典『中国新聞』20170324) |
| 24 | 19930324 | ハーシー、ジョン | はーしーJohn Hersey | 78 | 広島のルポルタージュ「ヒロシマ」の著者。2002年の広島市の平和宣言(秋葉市長)に著書『ヒロシマ』が取り上げられる。『広島県現代文学事典』(植木研介・記)。<投稿> |
| 24 | 20140324 | 新堀 通也 | しんぼり・みちや | 92 | 教育学者・社会学者。「大学研究者の履歴書 」、「新堀通也(しんぼりみちや)先生【全6回】(広島大学・武庫川女子大学名誉教授)」、『新堀通也、その仕事』(新堀通也先生追悼集刊行委員会編 東信堂、2015) |
| 25 | 20140325 | シェル、ジョナサン | しぇる、じょなさん | 70 | 2000、2007年に広島を訪問。パネリストを務める。2002年の広島市の平和宣言(秋葉市長)に著書『地球の運命』が取り上げられる。 |
| 26 | 19940326 | 山口誓子 | やまぐち・せいし | 92 | 俳人。『広島県現代文学事典』(山下航正・記) |
| 26 | 20190326 | 萩原健一 | はじわら・けんいち | 68 | 俳優・歌手。広島大学原爆放射能医学研究所でロケしたNHKドラマ「されど、わが愛」(19950805放映)に出演。撮影当日(19950419)、宇吹の研究室が彼の休憩所になる。 |
| 28 | 19850328 | 河村郷四 | かわむら・さとし | 82 | 第23代広島商工会議所会頭。『河村郷四追想録』(河村郷四追想録編纂委員会、19860315) |
| 30 | 19950330 | ダーリング、ジョージ | だーりんぐ | 89 | George B. Darling. 1957年~1972年原爆傷害調査委員会(ABCC) 所長。米国学士院が招聘した時、エール大学の人類生態学教授。http://www.rerf.or.jp/glossary/darling.htm |
| 30 | 20140330 | 四国五郎 | しこく・ごろう | 89 | 『広島県現代文学事典』(西原大輔・記)。広島市広報課所蔵の写真調査でお世話になる。 |
| 31 | 19900331 | 山田信蔵 | やまだ | バーバラ・レイノルズに日本語を教えたのが縁で、1964年に第2回世界平和巡礼に参加。 | |
| 31 | 20020331 | 川本義隆 | かわもと・よしたか | 69 | 広島平和記念資料館館長(1983年4月~1993年3月)。<資料年表:川本義隆> |
| 31 | 20190331 | 久保田訓章 | くぼた・のりあき | 86 | 広島東照宮名誉宮司。<投稿> |
3・1ビキニデー2018
2018年の「3・1ビキニデー」関連イベント一覧
| 月日 | イベント | 主催者 | 場所 | 備考 |
| 0224 | 被災64周年3・1ビキニデーヒロシマ集会 | 広島県原水協 | 広島市南区民文化センター。 | 講師:山下正寿太平洋核被災支援センター事務局長。約60人。 |
| 0224 | 集い:未来へと伝えたい~核の被害を乗り越える | 第五福竜丸平和協会 | 東京・日本青年館 | 証言者:大石又七(元福竜丸乗組員)アブルック・タカラ・ブラハム(マーシャル諸島共和国エニウェトク環礁在住) |
| 0227~0301 | 被災64年2018年3・1ビキニデー集会 | 実行委員会(原水協など) | 静岡市・焼津市 | |
| 今年の共通テーマ「核兵器禁止条約を力に、核兵器のない世界、非核平和の日本の実現を」 | ||||
| 0227 | 日本原水協全国集会/国際交流会議 | 日本原水協 | 静岡市 | |
| パネリスト:アメリカ、フィリピン、韓国、マーシャル諸島共和国、日本からの5人。130人が参加 | ||||
| 0228 | 日本原水協全国集会/全体集会 | 日本原水協 | 静岡市 | 参加者:約850人。 |
| 0228 | 日本原水協全国集会/分科会 | 日本原水協 | 静岡市 | |
| 分科会「禁止条約に参加する政府を―『ヒバクシャ国際署名』をひろげよう」、「被爆者とともに―被爆体験と被爆実相普及を」、「9条会見を許さず、沖縄と連来旨、非核政府の日本を」、「北朝鮮と核問題 非核平和のアジアをめざして」 | ||||
| 0228 | 第20回ビキニ被災の全容解明をめざす全国交流集会 | 静岡市 | 講演:星正治広島大学名誉教授。 | |
| 0228 | 被災64年3・1ビキニデー集会 | 日本宗教者平和協議会 | 焼津市 | 講師:和田征子(日本被団協事務局次長)。 |
| 0301 | 「第五福竜丸」の乗組員、久保山愛吉氏墓参行進 | (共催) | 焼津駅前~弘徳院 | 被災64年2018年3・1ビキニデー静岡県実行委員会、日本宗教者平和協議会(共催) |
| 0301 | 久保山愛吉氏墓前祭 | 日本宗教者平和協議会 | 焼津市・弘徳院 | |
| 0301 | 2018年3・1ビキニデー集会 | 焼津市 | ||
| 0301 | 3・1ビキニデー全国集会 | 原水禁国民会議など | 静岡市 | 講師:川崎哲核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)国際運営委員。約250人参加。 |
| 0304 | 核兵器禁止条約の批准と核被災者への支援を求める高知のつどい | 太平洋核被災者支援センター・ビキニ核被災検証会(共催) | 高知市 | 基調報告:山下正寿太平洋核被災支援センター事務局長。シンポジウム:田中てるみ・川崎哲・聞間元。 |
内田恵美子
内田恵美子
| うちだえみこ | 1942年 | 19910305没 | 広島大学原医研事務官。 |
| 内田恵美子著 |
| 「図書・資料紹介 原爆被災資料総目録第四集=占領期文献の発刊」(『ヒロシマ・ナガサキの証言第13号 ’85冬』広島・長崎の証言の会1985.2.20) |
| 『図書館反核平和通信』準備号No.2 1985.9.14<下記> |
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| 追悼文 |
| 宇吹暁(原爆放射能医学研究所)「内田恵美子さんの御逝去を悼む 」(『広大フォーラム』23期2号No.289 1991.5.20) |
広島市と長崎市が設置した「ヒロシマ・ナガサキ平和アピール推進委員会」からの受託事業
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被爆体験継承普及事業(一覧)
平和と交流 2016 年版(平成 27 年度事業)目次
| No. | 事業名 | 開始年・備考 |
| 01 | 修学旅行生への被爆体験講話等 | |
| 被爆体験証言者(本財団所属)名簿 | ||
| 02 | ヒロシマ・ピ-ス・ボランティア事業 | |
| 03 | 被爆者証言ビデオの制作 | |
| 04 | 被爆体験証言者交流の集いの運営 | |
| 団体別被爆体験証言実施状況 | ||
| 05 | 平和文化センターインターンシップ事業 | |
| 06 | ヒロシマ・ピースフォーラムの開催 | |
| 07 | 国内原爆写真展用資料の普及・活用 | |
| 08 | 中・高校生ピースクラブの開催 | |
| 09 | 平和学習講座 | |
| 10 | 平和記念資料館学習ワークブック等の作成 | |
| 11 | 国内原爆展の開催 | |
| 12 | 原爆展・平和学習用資料の普及・活用 | |
| 13 | 英語で伝えようヒロシマセミナー | |
| 14 | 被爆関連映像資料のアーカイブ化【新規】 | |
| 15 | 旧日本銀行広島支店での平和記念資料館収蔵品の展示【新規】 | |
| 16 | 広島平和記念資料館の企画展等の実施 | |
| 17 | 被爆体験伝承者による伝承講話の定時開催【新規】 | |
| 18 | 平和記念資料館再整備事業 | |
| 19 | 平和・戦争に関する博物館等とのネットワ-ク | |
| 20 | 展示・収蔵資料等の調査・研究 | |
| 広島平和記念資料館資料調査研究会会員の研究発表会の開催 | ||
| 21 | 被爆体験講話会の定時開催 | |
| 22 | 次世代と描く「原爆の絵」 | |
| ◇ | 被爆建物等保存・継承事業 | |
| ◇ | 原爆被災説明板及び被爆建物表示板の設置 | |
| ◇ | 被爆樹木の樹勢回復措置 | |
| ◇ | 原爆罹災者名簿の公開 | |
| ◇ | 折り鶴デ-タベ-スの記録保存 | |
| ◇ | 折り鶴に託された思いを昇華させるための取組の推進 | |
| ◇ | 被爆体験伝承者の養成 |





















































































































































