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原爆記念文庫所蔵原爆関係文献目録

『原爆記念文庫所蔵 原爆関係文献目録 昭和40年8月31日調』(原爆資料保存会、19651015)

 bk651015
 広島 長崎の体験を永久に伝える為に
人類の過ちを繰返へささぬ為に
ひたむきな平和への願いをこめて
尊い原爆記念文庫が広島に生まれました
みんな血と涙と訴へで綴られた記録です
この文庫の保存と成長へ御協力を
(原爆記念文庫標語)
 はしがき
1.原爆が投下されてからもう20年を経過した。本会は広島長崎の体験を永久に後世へ伝える為,昭和23年頃から苦難な道を歩みながら,文献の蒐集に力を注いで来た。これ等はみんな被爆当時の惨状そのままの記録や,学者の研究調査されたもので,世界平和推進の為極めて貴重なものである。
2.昭和40年8月31日迄に集めたものが2,000冊になつたが,まだまだ不足のものが多々ある。これは将来を期して完備したい。尚文献中には専門的のものも数多くあるが大半は大衆的のものである。これは大衆と共に考へ大衆と共に歩みたい文庫の使命に依るものである。
3.原爆の被害が余りも広大である為,学問的研究分野も多様であり,被害の処理も多方面に亘って居るので,全文献を整理分類することは困難である。依って本目録分類は正規の図書分類法に依らず,わかりやすい別記の10分類に整理して見た。御批正を乞う。
4.原爆20周年に当り,各方面の報道陣を始め,著書や雑誌に依って広島をアッピールされた事は感謝に堪えない,特に被爆者調査や,広大に原爆研究機関が設備される等,国家が直接広島と取組むことになった事は,おそまきながら嬉しい事である。
5.文庫開設(昭和40年6月6日)以来,A.B.C.C.や広島医師会を始め全国各地から個人で文献を寄贈されたものが160冊もある。寄贈者各位に対しここに深甚の感謝を致します。
昭和40年9月15日

日本国政府に対する要請(談和会 19641003)

日本国政府に対する要請
1964年10月3日

日本国政府に対する要請
談和会
私たちは日本国政府が、原水爆被害者の救援を効果的に行うとともに、日本国民および全世界に、原水爆戦争の恐ろしさを客観的に伝えることによって、核兵器をこの地上から永久に葬り去るため、さしあたり左の三点につき、積極的にとりくまれることを、要請いたします。

一、原水爆被災者の国勢調査
一九六五年は国勢調査の年に当りますが、その付帯調査として、一九四五年に広島・長崎で、一九五四年にビキニで、被害をうけた人々の、人口調査を行うことを要望いたします。この種の国勢調査は、一九五○年にABCCの要請で実施した先例があり、中間調査としては一九五八年に一部実施されていますが、被爆者援護の推進など、重要問題が山積している現在、全国的規模で完全な調査を行う必要性は、ますます増大いたしております。被災後、二十年たった今日こそ、こうした調査を客観的に実施できる、唯一かつ最後の機会だと思います。調査にあたっては、被災当時に遡って、被爆地に居住し、又はその直後に被爆地に入ったすべての人口、一九四五年九月以後、後遺症によって死亡した者、ならびに被爆者の児孫など、被害の全貌を明らかにすることが、大切であると思います。

なお、広島・長崎の被災者の中には、沖繩県民をはじめ、アメリカ・ロシア・中国・朝鮮・東南アジア各国人、ビキニの場合はマーシャル群島の原住民と外人宣教師が、相当数含まれていますので、琉球民政府および関係各国の協力を得て、国際的な規模での調査がなされるよう、希望いたします。

二、被災白書の作製
終戦以来、総理府はじめ各官庁は、種々の白書を公表していますが、原水爆被災に関する白書は、一度も発表されていません。原水爆被害者については、当時の惨害はいうまでもなく、原子力で破壊せれた健康が、遺伝の問題をも含めて、どのように深刻な問題をはらんでいるかを、明らかにせねばなりません。さらに、被災によって生じた社会的条件を調査研究することも、被害者援護の問題点を明らかにする上において、大切なことだと思います。これには現代科学の精髄をつくした、綜合的な学術調査が要求されます。被災白書の作製は、今日の人類が、子子孫孫のために残さねばならない、人間としての義務であります。このことは、被爆者援護を決議した、国会両院の要請に答える道でもあると思います。

三、国連が原水爆被害調査報告書を作製するよう、国連総会に提案すること
原爆症を中心とする原水爆被害の科学的究明については、すでに多くの業績が発表されていますが、その間に見解の相違があり、調整を必要とする段階に来ています。また、その治療および社会医学に関する部門においては、研究にかなりの立ちおくれがあり、この方面の研究を推進することは、被害者の痛切な願いであります。国連がこうした点で調整および補充を行ない、原水爆被害の科学的研究を完成・発表するならば、単に被爆者の救援に役立つばかりでなく、核戦争のおそろしさを、全世界に伝える意味でも、重要な役割をはたすことと信じます。ウ・タント国連事務総長も、日本国政府から、こうした提案がなされるならば、全面的に協力したいという意見をのべられていますし、セラー国連原子放射能科学委員会事務局長も、この主旨に賛意を表されています。日本国政府が十一月の国連総会に、右の提案をなされるよう、要望してやみません。

以上の三点は、日本国民全体の願いを具体化したものであり、また世界全人類の願いでもあると思います。原爆被災二十周年を迎えんとするに当り、日本国政府が、全国民の支持と協力のもとに、自主・民主・公開の三原則にもとづいて、右の三事業の達成に努力されるならば、被災者の救援および核戦争の禁止のため、多大なる寄与をあたえられるぱかりでなく、「後世への最大のおくりもの」となると信じ、敢て要請するゆえんであります。

一九六四年十月三日

日本国民に訴える
私たち、広島・山口の大学人有志の研究団体「談和会」は、本月、日本国政府に対し、原水爆被害についての実態調査を行い、これを被災白書にまとめるよう、要請いたしました。その内容は、来年の国勢調査にあたり、付帯調査として原水爆被害者の調査を行なうこと、日本政府が責任ある被災白書を作ること、今秋の国連総会に際し、日本政府から、国連が完全な被爆調査報告書を作成するよう、提案することの三件であります。こうした要請は、全国民の強力な支持なしには、到底実現することができません。私たちは日本の各界各層の人々が、政府に対して右の三提案をとりあげるように、申し入れていただきたいと思い、敢てこの訴えを公にする次第であります。

「戦後は終った」という人もいます。たしかに原水爆被害者などを除けば、戦争の爪あとは、ある程度回復いたしました。また核戦争の危険性が強いという一点をのぞけば、泰平ムードは天下にみちあふれています。しかし、現代にとって大切なことは、いまだに解決し得ない、被爆の惨禍であり、新しい核戦争の危険性であります。普通の戦災とちがって、放射能禍におかされたものには、何の救いもないのです。人類が四六時中、核戦争がいつ始まるか分らない、恐怖にさらされている様では、戦後どころか、戦争そのものがまだ終っていないといわねばなりません。

敗戦の直後、日本政府の協力のもとに、学術研究会議の支援をうけた日本の科学者数千人は、総力をあげて原爆被害の総合調査にとりかかりました。しかし、この研究に対して、一九四五年十一月三十日に、占領軍がら禁止命令が出され、すべては水泡に帰してしまいました。その後、今日に至る迄、政府機関の手による調査は行なわれていません。被爆当時、亡くなった人の数さえ、正確に分っていないのです。

一九四九年以後、戦争は終っていたにもかかわらず、被爆者の中には、原爆症にかかっていることさえ知らされず、まして適切な治療も与えられないまま、空しく死んでいった人が、幾万人にのぼりました。原爆症という言葉が普及し、その救援活動が始まったのは、一九五八年以後のことです。今でも被爆の実体が正確にわかっていないために、救援活動は有効に組織されておりません。原水爆被害の完全な調査を行なうことによって、本当の対策が立てられるのでなければ、被災者は救われようがないわけです。

核兵器の全面禁止は、全人類の願いであると思います。しかし、実際には大小の核兵器およびその運搬手段の開発は日ごとに進み、核実験による死の灰の降下は、人類の生存に深刻な影響を与えるほどになっています。こうした矛盾が生ずるのは、原水爆戦争の本当の恐ろしさが、知らされていない結果、核戦争に反対する声が、全人類のものとなっていないためです。今こそ私たちは、被爆の全貌を明らかにすることによって、核兵器禁止の声を、すべての人の、心からの願いとし、また人類全体の大合唱としなければならないと思います。

一九六五年は原爆被災二十周年にあたります。石の上にも十年と中申しますが、日本の原水禁運動も二十年の風雪に耐えて来ました。今こそ大きく飛躍して、文字通り全国民を包む運動を展開し、被爆者救援と原水爆禁止の大目的を達成せねばなりません。その口火をきる意味で、私達は右の三つの提案を公表した次第です。

私たちは日本国民ががっちりとスクラムを組んで、右の三つの提案を実現するように、日本国政府に働きかけることを、希望いたします。原水禁団体・被爆者諸団体などが、こうした問題について、積極的な討論を起して下さることを、期待いたしております。婦人団体・青年団体・社会福祉団体など、多年この方面で努力を重ねてこられた諸団体が、さらに元気をふるい起して、国民運動の担い手となって下さるよう、頼みにいたしております。衆参両院をはじめ、県議会・市町村議会などは、選良としての叡智を発揮し、日本政府への要請を決議されるよう切望いたします。新聞・放送・言論界は、正しい輿論を育てるためのキャンペーンに、とりかかって下さるよう、特にお願い申し上げます。部落会・町内会およびすべての民主団体・社会教育団体・文化団体も、積極的に協力いただければ幸です。科学者・芸術家・宗教家・知識人とくに日本学術会議が、この運動の要の役割を引受けて下さるよう、仰望いたしております。原水爆被害者が先頭にたつことは、救援運動との結びつきからいっても、大いに意味があると思います。

私たちは運動の前途に横たわる困難を、知らないわけではありません。しかしビキニ被災の当時、だれがあの国民運動の大波が、起ることを予想したでしょうか。歴史の教訓は、正しい国民運動が、必ず勝利することを、証明しています。水の流れはどんなに小さいものでも、それが集まれば河となって、縦谷をうがち、横谷をきり開いて、千山万岳をつきぬけずにほおかないものです。

共通の目標に向って国民全体がいっしょに歩き出すことは、原水爆問題に関する限り、当然の命題です。日本国民は、世界から核兵器をとり除く使命をもっています。私たちのかかげた三目標は、政治上の利害や感情的な対立をのりこえて、皆が一致して要求し得るものと思います。

国際的には核兵器保有国のなかに、こうした運動を心よく思わない政治家がいます。彼らは自国民に対して、核兵器の恐ろしさを知らせたがらないからです。しかし、これらの諸国民も真実を知ることを希望していますし、私たちがその点でお役に立つことは国際的な友情の発露と申せます。世界の大部分を占める非核武装国が、日本の声を心から歓迎することは、申すまでもありません。国連の原水爆災害調査報告書は、全世界の輿論を、核兵器の全面的禁止に向ってもりあげるのに、大きな役割を果すことと思います。

私たちは何の力も持たない、弱い人間にすぎません。ただ無力な人間でも、みんなが団結して国民運動に立ち上るとき、世界の歴史を動かすことができます。一人一人の自覚が大切であり、勇気をもって当る行動が必要です。静かで力強い運動の中から、日本政府の方向が決定され、国連を通じて世界の動向を決定することができます。

米紙The New York Timesの原爆裁判報道

米紙The New York Timesの原爆裁判報道(1953年2月~1963年12月)

年月日 事項
1953.2.13 Hiroshima Ponders a Suit
[広島の法律家、原爆訴訟を検討]
HIROSHIMA, Japan, Feb. 12 (Reuters) – A legal committee here is studying international law to see if the city can claim damages from the United States for the 1945 atomic bomb attack. The Civic Bar Association passed a resolution yesterday setting up the committee.
1953.6.9 Reuters TOKYO 6.8
[ルーズヴェルト夫人、トルーマン大統領の原爆投下命令は正しかったと語る。]
1954.1.10 ATOMIC VICTIMS TO SUE
Japanese Plan to Name Truman in plea for Indemnity
[11人の日本人弁護士、今日、トルーマン大統領とアメリカ合衆国に対し、原爆被害者に対する損害賠償請求を行うと発表。]
TOKYO Jan. 9 (Reuters) – Eleven Japanese lawyers announced today that they would sue former President Harry S. Truman and the United States Government to gain compensation for every victim killed or wounded in the atomic attacks on Hiroshima and Nagasaki.
The lawyers, most of whom defended Japanese war criminals at post-war trials, alleged had violated both international and American domestic law. They gave no details as to where they would bring suit.
A spokesman for the group, known as the Atomic Bomb Compensation Federation, said it would demand about $3,000 compensation for every fatality, to be paid to relatives of the victims, and $600 for every survivor.
1955.4.4 1955.4.4
AP TOKYO 4.26
[広島の3人の原爆被害者、昨日、日本政府に原爆被害の賠償を提訴。]
1963.12.7 TOKYO COURT RULES ’45 A-BOMBS ILLEGAL
[東京地裁、原爆投下は国際法違反との判決を下す。]
TOKYO Saturday, Dec. 7 (AP) – A Japanese civil court declared today the United States violated international law by dropping atomic bombs on Hiroshima and Nagasaki in August, 1945, just before the end of World War Ⅱ.
The opinion by Judge Toshimasa Kozeki of Tokyo District civil court, on Pearl Harbor day, was in the case of five atomic bomb victims who sued the Japanese Government for $555 to $833 compensation each for their injuries. The court turned down their suit, ruling that neither national nor international law gave individuals the right to claim war compensations from the state.
The legal declaration condemning the atomic bombings was the first of its kind in Japan. Prof. Kaoru Yasui of Hosei University, director of the Japan Council against Atomic and Hydrogen Bombs, said the ruling had a “profounded significance and constituted a great encouragement to the ban-the-bomb movement in the world.” He said he regretted the court did not recognize the survivors’ claims.

 

1977年原水爆禁止世界大会記録

『1977年原水爆禁止世界大会記録』(原水爆禁統一実行委員会、19771101)

77年
見出し 備考
口絵
17 序(新村猛)
18 目次
21 <名称><主催><テーマ><世界大会の日程>
統一77d
21 名称一九七七年原水爆禁止世界大会
主催
原水爆禁止統一実行委員会
テーマ
1 核兵器絶対否定の道をともに歩むために、一九七七年八・六広島―八・九長崎から、何をよびかけるべきか。
2 核兵器の廃絶と被爆者の援護のため、われらいま何をすべきか、何をすることができるか。
21

 

世界大会の日程
8月3日4日=国際会議(国際ホテル及び広島YMCA)
8月5日=午前中の平和行進・集会などの成功にむけて可能な参加をよびかける。
=11:30~12:30 1977年原水爆禁止世界大会(県立体育館武道場)
=13:30~16:30 NGO被爆問題シンポジウムラリー(大衆集会)県立
体育館)に参加。
8月6日
=9:00~13:00 統一実行委員会の関連行事として原爆犠牲者追悼碑めぐり、資料館見学およびオープン・フォーラム
=14:00~16:00 1977年原水爆禁止世界大会(県立体育館)
22 主催者あいさつ(新村猛)
27 国際会議開会総会
28 国際会議開会総会
29 開会あいさつ(草野信男)
30 国際会議諸役員の選出
31 議長団代表あいさつ(ジョージ・ウォールド)
34 NGO被爆問題シンポジウム」からのあいさつ(ショーン・マックブライド)
40 被爆者の訴え(千田数雄-広島)
42 海外代表のあいさつ(フィリップ・ノエルーベーカー)
46 海外代表(ジョージ・ウォールド博士)のプロフィール
47 分科会とフォーラム 8月3日 広島(広島YMCA 広島国際ホテル)
 49  国際会議閉会総会
 50
 51  閉会あいさつ(森滝市郎)
 54  海外代表(フィリップ・ノエルーベーカー卿)のプロフィール
55
56  海外代表(ペギー・ダフ)のプロフィール
 57  開会集会
  58
59  開会のことば(田中里子)
 60  議長団代表あいさつ(草野信男)
61  主催者のあいさつ(新村猛)
63  海外代表あいさつ(イーデス・バレンタイン)
64  国際会議からの報告(ペギー・ダフ)
66  被爆者の訴え(被爆者の訴え)
68  閉会のことば(嶋田清隆)
70  海外代表(ファン・アイン教授)のプロフィール
71  1977年原水爆禁止世界大会
73  開会のことば(高桑純夫)
74  議長団代表あいさつ(森滝市郎)
 75  主催者あいさつ(新村猛)
76  国際会議報告
76  第1分科会まとめ報告(ペギー・ダフ)
79  第1分科会まとめ報告(久保文)
80  フォーラムー原発核エネルギー問題(猿橋勝子)
 81  海外代表あいさつ(ファン・アイン)
83   海外代表あいさつ(ジョージ・ウォールド)
84  各界代表あいさつ(富塚三夫)
86   各界代表あいさつ(小笠原英三郎)
 88  被爆者の訴え(森下弘)
90   被爆者の訴え(田中熙巳)
91   被爆者の訴え(李実根)
92  閉会のことば(吉田嘉清)
94  海外代表あいさつ(バーバラ・レイノルズ)
 95  世界大会文書
96  アピール
98  決議
 100  付属文書
 105  大会総括
 106  1977年原水爆禁止世界大会の総括 1977年11月7日 原水爆禁止統一実行委員会
111  海外メッセージ
112  国家元首メッセージ
113 ベトナム
113 ラオス
115  キプロス
115 トンガ
 116  メキシコ合衆国(ホセ・ロペス・ポルティーリョ)
 117  キューバ共和国
117 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国(ヨシプ・ブロス・チトー)
118  カタール国(シャイク・カリフビン・ハマド・アルタニ・アミイル)
120  ガーナ国(I・K・アチャポン)
 120  各国個人からのメッセージ
120 サラフ夫婦夫婦からのメッセージ
122 R・オールドリッジ氏
123 ポール・パーリン氏
124 国際組織・各国メッセージ
127  原水爆禁止統一実行委員会実行委員名簿
128  原水爆禁止統一実行委員会実行委員名簿
 129   原水爆禁止統一実行委員会幹事会名簿
130  大会役員
132  参加海外代表リスト(36カ国16国際組織・142名)
 137  日誌(5・19―11・17)
 156  山高しげり先生をしのんで
157  参考資料
 広島・長崎アピール(五者アピール)158
 核廃絶をめざす運動とその展望(五者アピール別紙)
 日本共産党と総評との合意事項(総共合意書)161
 宗教者アピール162
  地婦連・日青協の声明163
 5月19日合意書164
 日青協・地婦連見解165
 拡大世話人会の確認事項(6・13申し合わせ)166
声明(被団協声明)167
呼びかけ168
国際招待状169
アメルシンゲ氏への手紙170
生存のための動員(日米共同記者会見での声明)171
 焼津アピール172
 よびかけ(広島ラリー)174
 長崎より世界のひとびとへ(長崎ラリー)175
 大会の成功を保障するための申し合わせ177
 非同盟諸国調整ビューローの見解(骨子)178
 国連に核兵器完全禁止を要請する署名推進要項
 181  署名運動推進連絡会議申し合せ
 183  NGO軍縮委の軍縮会議への代表派遣についての呼びかけ
 186  日本国民統一代表団派遣について
 188  編集をおわって(太田誠一 日本青年団協議会)

原水爆禁止世界大会記録(第22回)1976年

原第21回水爆禁止世界大会の記録(1976)(広島)<作業中

22回2 22回1

 

記録1
01  第22回原水爆禁止世界大会の記録
02 第22回原水爆禁止世界大会国際予備会議(8月1日) 東京学士会館
03  開会あいさつ(田沼肇)
 03  主催者あいさつ(草野信男)
 04  被爆者代表あいさつ(伊東壮)
05  海外からのメッセージ
 06
07 第1分科会報告
08  特別報告
08  吉田嘉清
09  ロバート・C・オルドリッチ
11  平野義太郎
13  山田英二
14  服部学
16 エデイヌ・バレンタイン
16  芝田進午
 19  第2分科会報告
20
20 特別報告
20 本条嘉久雄
21  ペギー・ダフ
23 陸井三郎
25 ハットソン(オーストラリア)
 28  海外代表団名簿 (23カ国、8国際組織、ゲストオブザーバー3人、合計71人)
 32  国際予備会議役員名簿
<以下(報告2)に収録分>
 国際予備会議(第一分冊のつづき)112~124
 広島・長崎の被爆の実相と後遺および核実験による被害の実情、核兵器使用の非人道性、犯罪性と国際性。被爆者への援護・連帯 112
 被爆体験を中心に 113
 胎内被爆者として 114
 被爆者 115
 峯健一君の教師として 116
 代々木病院MSW 117
 ミクロネシア 117
 誌上参加(北アメリ九大陸における被爆者の実態 118)
 国連事務総長への報告 119
 イギリス・ICDP議長 120
 被爆者からの報告 120
 被爆者の報告 122
 123  被爆二世の立場
 スリランカ共和国 123
 東京原水協(新日本婦人の会)124
 海外代表と第五福竜丸 125
 海外代表名簿の追加と海外からよせられたメッセージリスト 126
 世界大会本会議役員名簿 127
 国際予備会議・特別報告リスト 127
 記録2
02 日本原水協報告
11 本会議開会総会
11 日本原水協報告
13  国際予備会議の報告
  15  来ひんあいさつ(国連要請国民代表団派遣中央実行委員会・行宗
  16  日本共産党・金子満広 16/日本山妙法寺・藤井日達 18/
アメリカ、マディソン市長・ポール・ソグリソ 18)/
18  メッセージ(広島市長・荒木武 )
 19  報告と訴え(国民平和行進に組織をあげて参加して・長谷川善久 /日本原水協組織の確立・河野怜子 20/
 21  被爆者の訴え・石田明
 22  海外代表あいさつ(ベトナム社会主義共和国 22/アメリカ 24/IPB 25/南アメリカ 25)
26  平和行進の報告
  28  海外代表とヒロシマ
  28   平和記念碑献花と原爆資料館訪問
 28  原爆病院訪問
 28  被爆者との懇談会
  30 平和行進
30  広島の声を世界に-文化の夕-
  32  一九七六年八月六日の広島、6・9行動
 33  国内メッセージの紹介
 分散討論会 34~52
 第一分散会~第十分散会 34/第十一分散会~第二十分散会 42/第二十一分散会~第二十五分散会 49
 行動分科会(岩国・呉)53
 分科会 55~63
 核兵器完全禁止国際共同行動 55
 各国人民のたたかいと相互支援 56
  57  被爆者の運動と援護・連帯運動
 原水爆禁止と平和運動 58
 原水爆禁止運動と被爆二世運動 57
 原水爆禁止運動と学生運動 60
原水爆禁止運動と高校生 61
原水爆禁止運動と文化運動 62
原発・むつ問題と原水爆禁止運動 63
原水爆禁止少年・少女のつどい 64
被爆者家庭訪問 67
本会議閉会総会 70~81
海外代表あいさつ(キューバ 70/ギリシャ 72/オーストラリア 73)/
諸行動の報告 73
分散討論集会のまとめ 74
分科会、行動分科会まとめ 75
報告と決意(少年・少女のつどい引率者代表 77
少年・少女のつどい参加者 78
被爆二世代表 78
高校生代表 79
アメリカー79)
終了にあたり(スリラソカ 80/アラブ法律家連盟 81)
閉会あいさつ 81
第二十二回原水爆禁止世界大会諸文書 82
第二十二回原水爆禁止世界大会決議 82
国際連合への要請 84
第五回非同盟諸国首脳会議への書簡 85
日本代表団決議 86
東京大会 88~99
日本原水協のあいさつ 88
メッセージ(東京都知事 90/埼玉県知事 90)
来ひんあいさつ(日本被団協・田川時彦 90
日本共産党・紺野与次郎 91
海外代 のあいさつ(国際平和ビューロ 92
ルーマニア社会主義共和国 93
ラオス人民民主共和国 94
ベトナム社会主義共和国 95
たたかいの報告(ヒロシマ・アピール支持運動 96
被爆者援護・連帯運動 96
ロッキード疑獄と核基地撤去 97
第五福竜丸 98
東京大会の決意 99
 長崎大会開会総会 100~106
開会総会 100/
 /来ひんあいさつ(日本共産党・立木洋 101
 日本科学者会議・長崎支部・東幹夫 102
 海外代表あいさつ(ニュージーランド 102/イギリス 103/
ベトナム 103/アメリカ 104)
 被爆者の訴え 104
 長崎大会の問題提起 105
 メッセージ(長崎市長・諸谷義正 106)
 長崎大会閉会総会 106~111
 海外代表意見(ラオス 106/アメリカ 107/カナダ 607/
IPB 107/ベトナム 108/分科会まとめ報告 108
 長崎大会の決意 109/決意表明(鹿児島原水協 111/
大分原水協 111/宮崎原水協 111)

 

原水爆禁止世界大会記録(第21回)1975(広島)

原水爆禁止世界大会記録(第21回)1975(広島)<作業中

 

記録1  21回1
01 広島・長崎被爆30周年 第21回原水爆禁止世界大会の記録
02 第21回原水爆禁止世界大会国際予備会議(8月1日) 東京学士会館
03  開会あいさつ(田沼肇)
 04  議長団代表あいさつ(フィリップ・J・ノェルベーカー卿)
 05  海外からのメッセージ
 07  日本原水協報告(草野信男)
 08  各国代表の報告
 14  <特別報告>太平洋におけるアメリカの核戦争システム
 17  被爆者の訴え(安永美恵子)<長崎>
 18  <特別報告>最高の第一攻撃用兵器、トライデント
20  <特別報告>ブラッドフォード提案と軍縮会議について(アーサー・ブース)
 21  <特別報告>広島原爆の実相・原爆投下の論理と倫理(佐久間澄)
23  <特別報告>アジア太平洋地域の核基地について
 25  イギリス(ペギー・ダフ)
 27  平和と友好の東京宣言
 28  海外・国際団体参加名簿
 24カ国11国際組織、3オブザーバー組織、合計72人。
 32  国際予備会議役員名簿
記録2  21回2
 wc22
011  第21回原水爆禁止世界大会
 8月5日午後1時 広島県立体育館
 012  開会あいさつ(吉田嘉清)
 014  メッセージ(クルト・ワルトハイム国連事務総長〈代読〉)
014  日本原水協報告(佐久間澄)
016  国際予備会議の報告
 017  来賓あいさつ
 018  日本科学者会議
 018  日本共産党(瀬長亀次郎)
19  平和行進報告(渋谷正利)
 20  訴えと報告
 20  被爆者の訴え(山瀬明)
22  海外代表報告
 25  海外代表とヒロシマ(8月4・5日)
 平和記念碑献花
 原爆病院訪問
 原爆資料館
 被爆者との懇談会
26  平和行進
 27  被爆30年広島国際フォーラム 8月4日
 28  あの日から30年*8月6日の広島
 28  6・9行動
 30  分散会 30会場
52  動く分散会 岩国・呉基地
 54  分科会 6会場
 60  原水爆禁止少年少女のつどい
 63  被爆者とともに文化の夕
 65  灯ろう流し
 66  被爆者・市民訪問
 69  連帯集会 3会場
 73  階層別集会 6会場
 77  慰霊碑めぐり
 78  第21回原水爆禁止世界大会閉会総会 8月7日 午後1時半 県立体育館
 83  分散会・分科会のまとめ
 89  議長団代表あいさつ
 90 第21回原水爆禁止世界大会文書 1975年 広島

原水爆禁止世界大会記録(第20回)1974(広島)

原水爆禁止世界大会記録(第20回)1974(広島)<作業中

20回1 20回2

 

記録1
01 第20回原水爆禁止世界大会記録
02 原水爆禁止世界大会国際予備会議(8月2日) 東京・労音会館
03  海外メッセージ
 06  広島・長崎は訴える
 08  日本原水協報告
 09  海外代表の報告
 18  原水爆禁止世界大会東京大会(8月2日) 東京・労音会館
24  東京大会の決意
 25  国際予備会議第2日(8月3日) 東京・労音会館
記録2
 dc1794-20-120

原水爆禁止世界大会の記録(第19回)1973年(長崎)

原水爆禁止世界大会の記録(第19回)(長崎)<作業中

記録1
19回1
見出し
1 第19回原水爆禁止世界大会 核兵器全面禁止へのさけび
2 原水爆禁止世界大会国際予備会議(8月4日) 学士会館
16 第19回原水爆禁止世界大会東京大会(8月4日)
30 海外・国際団体参加名簿
記録2
19回2
 01  第19回原水爆禁止世界大会 17年ぶり、長崎で本大会
 02  日本原水協の一般報告

 

原水爆禁止世界大会の記録(第18回)1972年

原水爆禁止世界大会の記録(第18回)1972年<作業中

記録1
18回1
見出し 備考
1 国際予備会議第1日(8月3日)
43 国際予備会議第2日(8月4日)
記録2
18回2
1 第18回原水爆禁止世界大会開催総会(8月5日) 東京・小石川運動場
2 本会議開会総会(8月5日)
25 集中平和行進(8月5日)
26 原水爆死没者追悼集会(8月6日)
27 1万人討論集会(8月6日) 100会場
84 1万人行動(8月7日)
101 第18回原水爆禁止世界大会文書
108 原水爆禁止世界大会広島大会(8月6日)
120 原水爆禁止世界大会長崎大会(8月9日)
129 原水爆禁止世界大会沖縄大会(8月14・15日)

原水爆禁止世界大会の記録(第17回)1971年

原水爆禁止世界大会の記録(第17回)1971年<作業中

記録1
17回1
見出し 備考
1 東京大会(7月31日)
13 国際予備会議第1日(8月1日)
37 国際予備会議第2日(8月2日)
59 国際予備会議第3日(8月3日)
記録2
17回2
1 広島大会第1日(本会議開会総会)(8月5日) 広島県立体育館
20 海外代表とヒロシマ(本会議2日目)(8月6日)
94 広島大会第3日(本会議閉会総会)(8月7日)
109 長崎大会(8月8日)
121 71年第17回原水爆禁止世界大会文書
127 国際予備会議第3日(第1分冊のつづき)(8月3日)
135 大会主要役員名簿