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広島詩歌研究会

広島詩歌研究会

関係資料

同人代表:米田勝
機関誌『影と形』№.3  1962.6(伊木武三編)広島詩歌研究会
20220113173217340
 詩
大西 悟 夜の歌 3
讃岐増行 死腔 4
きよよし のぼる 胃袋と私 5土肥
清 再会 6
病身の異母に
伊木武二  蟻塚の寓話 10
冬村道之介 鎮魂歌Ⅳ<継承> 11
さかもと ひさし 鳥の橋 13
二月の野で
四月の野で
エープリル・フール
正田 篠枝  人生の日暮 14
エセー
未弘 忠節   “匂ひ”雑感 1
さかもと ひさし 世界の靉光・山路商 7
福井 芳郎    パリー日記Ⅲ 8
佐竹信郎     グランド・カンタータ
「人間をかえせ」を聞く 15
表紙・靉光(故) カット・福井芳郎

 

沖縄被爆連運動のあゆみ 1963年9月~1966年3月

沖縄被爆連運動のあゆみ

1963年9月~1966年3月

年月日  事項
1963年
09. 原水協が先島オルグ活動のとき八重山の一性から原爆症の訴えを受けたのをきっかけに、沖縄県原水協ではこの問題を重視、被爆者救援運動にのりだした。
10. 原水協常任理事会を開き被爆者の実態調査を全琉各市町村長に依頼、期間を2ケ月と決定した。
11. 各市町村を通じて依頼した調査の結果11月末日現在で36名の被爆者のいることが判明した。
11-12. 2ケ月間の調査の結果被爆者の数は59名と判明12月27日付で原水協えは被爆者救援について日本政府及び琉球政府の各関係へ要請書を提出した(被爆者名簿添付)
1964年
01. 日本政府厚生省は、沖縄在住被爆者救援について治療問題については「可能性がある」と見解を厚生局へ明るい回答がよせられた。
02. 本土の原水協から沖繩の被爆者59名に見舞金が送られ1人当り千円の割で5万9千円(162ドル55セント)が送られてきた。
03. 3、1ビキニデー被災11周年沖繩県集会を那覇市内の文化座で催し死の灰再び降らすまいとして映画「世界は恐怖する」を上映して原爆の恐ろしさを訴えた。
04. 被爆者の数78名となったので、常任理事会を開き大島事務局長を本土政府並びに国会へ直訴のため派遣することを決定5月4日被爆者の補償要請のため渡日した。要請の趣旨は被爆者健康手帳の交付、沖縄へ専門医の派遣、原爆病院への入院、医療費の支給等について5月11日から総理府、特連局、厚生省、南方援護会、衆参両議院各政党へ実情説明、陳情をなした。これに対し政府関係筋は「法律上は被爆者保護の国内法適用には無理がある。しかし政府としては米琉当局とよく話し合い対琉援助計画の中におりこんで早急に解決のため検討したい。」と好意的な態度を示した。
05.20 衆議院外務委員会で社会党の帆足計代議士が同問題をとりあげ質問答弁に起った。小林厚生大臣、野田総務長官もそれぞれ「これは人道問題であり日本政府として黙視出来ない早急に資料を集めて検討する」と答えた。
05.27 大島事務局長は被爆者救援問題折衝から「本土政府は非常に厚意的で見通しは明るい」ということで帰任した。
05.29 午後2時から常任理事会を開き東江厚生局長を訪れ被爆者救援問題について積極的に解決するよう促進方を要請した。
1964年4月厚生局は4日日本政府南連事務所長にたいし沖繩の被爆者も本土並みに国庫で治療の受けられるよう取計い方を依頼した。
07.12 沖繩在住原子爆弾被害者連盟を結成し初代理事長に金城秀一氏を選出した。結成総会で次のことを決議し各関係先へ要請した。要旨は次のとおりである。
原爆医療法の沖縄への適用、専門医の沖縄への派遣検診、沖繩原爆被害者への原爆手帳の交付、また近く国会で立法化される被爆者生活援護法の沖繩への適用、沖縄独自の原爆医療法の早期制定、また米国政府にたいして原爆使用国として被爆者の救援に積極的施策をこうじるよう要請、その他再び犠牲者を出さないために、原水協に加盟、原水禁運動に参加することを決議した。
08.06 金城理事長が広島、長崎大会に沖縄被爆者問題を訴えるため原水協代表として渡日参加した。
08.28 午後5時から来県中の臼井総務長官へ金城理事長他3名の理事が要請書を手交した。これにたいし「本土政府としても皆さんの要望を実現できるよう努力する」とこたえた。
08.30 原爆症治療のため広島の原爆病院へ屋部村の岸本久三氏を送り出す。検診の結果原爆症と判明入院治療す。
10.04 亀甲原水協理事長外4名の常任理事は厚生局長を訪れ原爆医療法の沖縄への適用もしくは準用、専門医による検診の早期実現方を本土政府に促進するよう要請した。
来県された社会党沖繩調査団へ被爆者の救援に関する要請書を手交した。
1965年
01.25 金城理事長他大島事務局長を含む代表者9名は2時から立法院、厚生局、南連事務所を訪れ要請書を手交した。これにたいし東江厚生局長は非公式であるがと、まえおきして次のように語った。「被爆者救援については、日米外交ルートにのせられているようで、米民政府も好意的である。従って近いうちになんらかのめどがつくものと思う。」と述べた。
02.02 午前10時から立法院文社委員会に金城理事長、大島事務局長が被爆者救援問題について参考人として招れ事情説明をなし医療対策について話合った。
02.04 松岡主席は午後4時から民政府のワーナー民政官と会見し沖縄在住被爆者救援問題について日本政府が5月に実施する被爆者の実態調査に沖縄も含めもし被爆者がいれば日本政府で治療するよう外交ルートを通じ折衝方を要請した。これにたいしワーナー民政官も「正式な外交ルートを通じ早速折衝したい」と答えた。
02.10 定例会見でワーナー民政官は沖繩の被爆者救援について「琉球列島に居住する者の専門的診断及びそれらの者の治療に閉する同意書」を発表した。
02.12 立法院は午後1時から本会議を開き沖繩在住の原爆被害者救援に関する要請決議を可決した。宛先は日米両政府へ。
03.01 3・1ビキニ被災11周年原水爆禁止沖繩県集会で日米両政府へ1日も早く被爆者の救援対策を講じられるよう再要請した。
04.06 待望の専門医が来県され4月8日から20日まで長崎班、広島班は17日から24日までの両班に分れて被爆者の検診が始められた。検診の結果は次の通り発表された。
検診者184人の内原爆医療法の規定により被爆者と認められる者172人(広島62人長崎110人)その内訳は治療上特別の措置を要するもの14人。一般的治療を要するもの43人。経過観察を要するもの25人。治療効果の期待できないもの48人。症状のないもの36人。時間の関係などで充分検診を受けられないもの6人である。
04.17 午後2時から教育会館ホールで沖繩在住全被爆者大会を開催、次のことを決議し各関係先へ要請した。また来県中の日本自民党沖繩調査団長、床次徳次氏へ要請書を手交した。要請書の内容は本土政府にたいし原爆医療法の沖縄への適用。被爆者の実態調査の対象に沖繩の被爆者も含めていただきたい。これまでの医療費を本土政府で負担していただきたい。琉球政府には単独法として独自の原爆医療法の立法要請をした。
05.11 原爆被爆者医療審議会は午前10時から審議会を開き沖縄の被爆者検診結果について審議し13人は適切な治療が必要であると発表した。
06.05 原水協常任理事小牧喜(?)一氏が本土政府関係先へ被爆者救援について陳情要請のため渡日した。
06.07 原水協、被爆連で被爆者救援カンパ運動を展開街頭カンパ始める。6月11日までのカンパ類は次のとおりである。
街頭$224.66、職域$1,048.00で計$1,272.66である。
08.02 被爆連理事、真喜志津留子氏被爆20周年原水爆禁止世界大会参加のため被爆者代表として渡日し広島、長崎大会で沖縄被爆者の実情を訴えた。
08.06 被爆20周年原水爆禁止沖繩県集会で被爆者救援について決議し要請書を日米琉三政府宛送付する。
08.16 本土政府から沖繩の原爆被爆者13人の受け入れ体勢が出来ているので事務を進めてほしいとの連絡が厚生局へ届いた。
原爆死の遺族から弔慰金の支払について訴えがあり早速原水協常任理事会で検討関係当局へ照会し、その結果次第で問題にとっくむことに決定した。
08.20 戦後20年間も放置された沖縄事情を視察のため来県された佐藤総理、鈴木厚相へ被爆者救援について要請書を手交した。
08.25 沖繩違憲訴訟対策委員会弁護士団の金城睦弁護士来県9月9日東京地裁へ提訴の資料募集のため訴訟団と懇談し今後の運動について特別対策委員と話し合った。原爆訴訟では丸茂つる、謝花良順、真喜志津留子、真喜志ウト、翁長生氏の5氏が代表として原告として法務大臣(国)を被告として原爆医療法にもとずく医療費等請求の事件である。一方同日から11月本土で実施される被爆者の実態調査の予備調査として原水協、被爆連で実態調査及び死亡者調査を実始した。
08.22 原水協亀甲理事長本土の全逓大会参加を兼ねて本土政府並に関係先へ沖繩被爆者救援について陳情要請のために渡日した。
08.28 被爆者第2回定期総会開催沖縄会館ホールにて次の議件を審議可決した。1965年度運動の基本方針について、規約の一部改正について、役員選任について、被爆者救援金の配分について、1965年度予算定めについては役員会への一任。役員選任については金城秀一氏を理事長に再選し従来の役員5名を10名としその後世界大会に参加した真喜志津留子より報告があり次に宣言決議をなし関係当局へ送付した。
09.23 午後6時より沖縄会館ホールで広島、長崎の原爆病院へ治療のため出発する11名の被爆者の結団式と激励会を開いた。
09.24 正午ひめゆり丸にて11名の被爆者が本土での治療のため出発、原水協加盟団体、厚生局、南連その他一般民多数が見送った。広島病院へ9名長崎病院へ2名
10.05 日本社会党沖繩調査団長赤松勇氏外4名の代議士へ被爆者救援について陳情要請書を手交した。同日年後2時から沖縄教職員会館会議室で社会党代議士川崎寛冶氏を囲み遠憲訴訟の経過、今後の運動方針について原告、特別対策委員会金城理事長、原水協代表を交へて懇談した。
10.06 東京地方裁判所民事第2部中川幹郎裁判長のもとに歴史的な違憲訴訟裁判初公判始まる「憲法によって保障される基本的人権は人類固有の天賦の権利である貴職の公正なる裁判を乞う」の電報を打電した。同日より厚生大臣への被爆者健康手帳交付申請書作成並に医療費支払要請を開始した。
12.08 沖縄違憲訴訟第2回公判開かる。
1966年
01.26 本土のマスコミ安彦氏、小粥氏が沖縄の被爆者の実態調査のため来県し先島、本島をくまなく調査し被爆者の実際を見知された。
02.06 日本テレビ局員と沖縄被爆者との懇談会を沖繩会館ホールで開催、各個人的な生活状況を訴えていた。
02.18 違憲訴訟の件で日本弁護士団土井氏を囲んで原告、特別委員会、原水協代表と今後の対策について懇談した。
02.18 被爆者、石原愛子さんの請願による生活保護申請を那覇市福祉事務所へ申請し許可を得る。
02.22 被爆連の幹事会を沖縄会館にて催し、違憲訴訟の運動を強力におし進める。被爆者の貧困家庭に対する対策、日本政府並に琉球政府に対する要請、3・1ビキニデー沖繩県集会においての被爆者の活動について審議した。
02.23 全国活動家会議沖縄県集会に被爆者代表も参加して研究発表を行った。
03.01 3・1ビキニ国民統一沖繩県集会において被爆者代表として真喜志津留子さんが意見発表を行い被爆者救援を訴えた。
03.05 原水協代表が3・1ビキニ国民統一行動沖繩県集会において決議された「沖縄在住被爆者救援に関する要請書」を主席、立法院議長、厚生局長に手交した。また3月6日立法院より本土に派遣される知花議員、浜端議員、坦花議員、岸本議員に本土政府に沖繩被爆者救援問題を訴えていただくよう要請し資料を提出した。
日本政府厚生大臣宛に南連事務所を通じ「原爆被害者健康手帳の交付申請書」を依頼した。

沖縄在住被爆者第1回本土治療者

 

氏名 生年月日 現住所 症状 行先
大13.9.18 那覇市 肝機能障 広島
明40.2.7 那覇市 ケロイド 広島
明33.6.3 那覇市 ケロイド 広島
大6.4.1 宜部湾市 ケロイド 広島
昭10.7.20 宜部湾市 ケロイド 広島
昭6.3.14 コザ市 ケロイド 広島
明43.8.10 本部町 ケロイド 広島
大6.10.11 下地町 貧血 広島
大12.12.10 石垣市 異物残留 広島
10 大11.5.13 浦添村 異物残留 長崎
11 大13.4.16 南風原村 甲状腺腫症 長崎

 

1965年第1回検診結果

検診者 184人の内原爆医療法の規定による被爆者と認められる者172人で、広島62人長崎110人、その内訳は下記のとおりである。

 

治療上特別の措置を要する者 13人
一般的な治療を要する者 43人
経過観察を要する者 25人
症状のない者 36人
時間の関係で充分検査を受けられない者 6人
治療効果の期待できない者 48人
172人

 

出典:原水爆禁止沖縄県協議会『基地沖縄の全貌』(1966年12月)

沖縄在住被爆者訴訟に対する国の答弁書 1965年12月1日(抄)

沖縄在住被爆者訴訟に対する国の答弁書(抄)

1965年12月1日

被告の主張

 原告らは、本件訴訟において原爆医療法14条に基づいて医療費の支給を請求されるが、同法は、沖縄および沖縄に居住するその住民に適用されていないから、原告らは同法に基づく請求権を有しない。

以下その理由を説明するとともに、併せて沖縄に居住する原子爆弾被爆者に対して日本国政府のとっている救済措置の概略にもふれることにする。

1.沖縄および沖縄住民の地位

日本国との平和条約3条によれば、沖縄を国際連合の信託統治制度のもとにおく提案が可決せられるまで、合衆国は、沖縄の領域及ぴ住民に対して、行政立法及び司法上の権力を行使する権利を有する趣旨が定められている。この結果、沖縄は、依然日本国の領域に留まり、その住民は、日本国民ではあるが、これらの地域および住民に対しては合衆国が施政権を行使することとなった。従って、日本国は、潜在主権を有するにすぎず、これらの地域および住民は、日本国の施政権の行使の対象から外されるに至ったのである。

2、原爆医療法は、沖縄に居住する沖縄住民に通用されない。

沖縄は上に述べたように日本国に潜在主権はありながらその施政権は合衆国に属するという特殊の地位にある地域であるため、わが国の法律が沖繩に居住する沖繩住民に適用されるか否かは、それぞれの法律の定める内容に応じて決定されなければならない。

そして法律のうちには、当該住民の居住地におけるわが国の施政権の存在を必ずしも前提としていないと認められる内容のもの(たとえば、国籍法など)については、反対の明文の規定のない限り沖縄に居住する沖繩住民にも適用があるといえようが、他方、そのような内容の法律ではなくわが国の施政権の存在を前提とする事項を定めるような法律(特に行政関係法規)については、当該法律が特に沖縄住民にも適用する趣旨で制定されたもの(たとえば、戦傷病者戦没者遺族援護法など)でない限りその適用がないものと解さざるを得ないのである。ただし、平和条約3条により沖縄及びその住民に対する行政、立法及ぴ司法の権力、つまり施政権は合衆国に属し、日本国はこれを有しないことと定められているのであるから、日本国の法律は、沖繩に対する施政権を前提としない性質のものであるか或いは特に沖縄住民に通用を及ぼす趣旨で制定されたものでない限り、その適用を否定せざるを得ないことは当然のことだからである。

しこうして原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(以下原爆医療法という)には特に沖縄居住する沖繩住民にも適用する旨の規定がなく、また規定の趣旨、体裁からしても上のような趣旨で制定されたものと解することはできないのである。かえって同法は、日本国の施政権の及ぶ地域に居住する者に対してのみ適用する法律(属地法)であると考えるべきである。即ち、原爆医療法は、広島市および長崎市に投下された原子爆弾の被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ、国が施政権の及ぶ地域内に居住する「被爆者」に対し健建康診断、それに基づく指導および医療を行なうことにより、その健康の保持および向上をはかりもって日本国の施政権の及ぶ地域内に成立している地域社会の福祉の維持、増進を目的とする社会保障法であるというべきである。

以上のことは

① 同法が居住地もしくは現在地の都道府県知事に申請して、被爆者健康手帳の交付を受けた「被爆者」(同法2条3条1項)のみを健康管理および医療の対象としていること。従って、日本国の施政権の及ぶ地域内に居住もしくは現在しない者は、同法にいう「被爆者」になり得ないこと。

② 同法は、「被爆者」に対する医療給付とともに都道府県知事の毎年行なう健康診断およびその結果に基づく指導等被爆者の健康管理の措置を定めているのであるが(同法4条、6条、7条)、これら都道府県知事の行なう健康診断および指導は、日本国の施政権の及ぶ地域に居住もしくは現在する者に対してのみ行なうことが可能であること。

③ 同法は、前記の如き諸権限を直接都道府県事の権限と規定しているほか、厚生大臣の権限と定めているものについても都道府県知事にのみ委任することができる旨規定し(同法21条)、その他の者(たとえば琉球政府の当局)に委任することは認めていない。従って、たとえば、医療の給付を受けようとする者は、あらかじめ当該負傷または疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を受けることを要することになっているが(同法8条)、これもいうまでもなく日本国の施政権の及ぶ地域に居住もしくは現在する者にしてはじめてなし得ることである。

等よりみても明らかであると考える。

以上述べたとおり、原爆医療法は、沖縄に居住する沖繩住民には適用されないのであるから、原告らは、同法に基づく健康管理および医療を受け得ず、従って本件医療費の支給の請求権を有しないものといわねばならない。

3、原告らは、具体的医療費請求権を有しない。

原告らは、本件訴訟において被告に対して直接医療費の支払いを請求されているが、原告らが原爆医療法に基づく健康管理および医療を受けるか否かの点はしばらく措くとしても、原告らは、いまだ右金員の支払いを求める権利を有しない。即ち、原爆医療法による医療費請求権は、同法2条により被爆者健康手帳の交付を受けた「被爆者」が、同法8条の定めるところにより当該負傷又は疾病が原子爆弾の復害作用に起因する旨の厚生大臣の認定を受け、しかも、緊急その他やむを得ない理由により指定医療関係以外の者から同法7条2項各号に規定する医療を受けた場合において、所定の手続により医療費の支給を請求し、厚生大臣が必要があると認めて支給決定処分をしてはじめて具体的な金銭債権として発生するものであって、かような手続を経る以前においては、「被爆者」といえども直接被告に対して医療費の支払いを請求する権利を有しないのである。原告らは、本件請求に依る受療当時はいずれも被爆者健康手帳の交付を受けた「被爆者」ではなく、まだ当然当該負傷又は疾病につき同法8条の厚生大臣の認定を受けておらず、従ってまた厚生大臣の医療費の支給決定を受けていないのである から、被告に対して直接医療費の支払いを求める原告らの本訴請求は、この点においても失当といわなければならない。

4、沖縄に居住する原子爆弾被爆者に対して日本国政府のとっている救済措置

以上は、原爆医療法の解釈について述ぺたのであるが、日本国政府としては、沖縄に居住する原子爆弾被爆者に対して原爆医療法に基づく健康管理及び医療を受け得ないからといって、そのまま放置して無駄に過ごしてきたわけではない。即ち、日本国政府は、昭和39年1月沖縄住民から原子爆弾被爆者救援の要請もあったので、爾来外務省を通じて合衆国政府と折衝を続けたところ、昭和40年4月5日日本国政府総理府特別地域連絡局長、同厚生省公衆衛生局長および米国民政府の承認を受けた琉球政府校正局長との間に沖縄在住原爆被爆者の医療問題に関する了解覚書が成立した。この了解は、沖縄住民であって日本本土に居住するならば、原爆医療法による給付を受ける資格のある者(以下申請者という)の要請に応ずるためになされたものであって、大要次の如きものである。

① 日本国政府が沖縄に対して行なう毎年の技術援助計画の一部として、日本国政府は、適当な人数の医療専門家である医師および補助員を派遣し、申請者の充分な医学的調査を実施する。

② 申請者が日本国政府、琉球政府間の協議により原爆医療法に定める「被爆者」である旨決定され、かつ、医学的調査の結果同法の適用地域において同法7条1項の適用を受けうる者であるときは、その者を必要な治療を受けさせるための患者として日本本土に送る。

③ 日本国政府は、患者が送られるぺき医療施設を決定し、同法に規定されている入院加療を含む必要な医療を供給し、患者に対する医療費および必要な医療手当を支給する。そして各医療手当等は、日本本土に居住する患者に与えられるものを下回らないものとする。

④ 日本国政府は、右患者の沖縄、日本本土間の往復の旅費を支給する。

日本国政府は、右了解覚書に基づいて、昭和40年3月30日から4月29日までの間沖縄において行った原子爆弾被爆者に対する医学的調査の結果に基づき、原爆医療法7条1項に該当する患者に相当するものと認められた13名のうち、本土で治療を希望する原告丸茂つる、同謝花良順を含む11名の患者を日本本土の病院で治療することになり、同人らは、同年9月26日広島または長崎原爆病院に収容されたが、これらの者のうち7名は、すでに軽快および治癒退院し、現在4名が入院加療中である。

また、日本国政府は、右措置に加えて、さらに沖縄に居住する原子爆弾被爆者全員を対象として日本本土の「被爆者」に対すると同様の取扱いが沖縄においてもなされるようその具体的手続、方法等について目下米国民政府及び琉球政府と協議を行なっており、合意が得られ次第実施に移す予定である。

出典:原水爆禁止沖縄県協議会『基地沖縄の全貌』(1966年12月)

基地沖縄の全貌 

『基地沖縄の全貌 基地資料』(原水爆禁止沖縄県協議会編・刊、1966年12月)

内容

20220113084151166
沖縄県原水協並に被爆連関係資料
20220113085032581
 沖縄県原水協並に被爆連関係資料(270~337頁)
1.原水爆禁止沖縄県協議会会則
2.1965年度運動の経過(総括)
3.1966年度運動目標、役員
4.1965年度活動日誌
5.第11回定期総会決議
6.違憲訴訟について(被爆者関係)
7.沖縄原子爆弾被害者連名規約
8.被爆連結成宣言
9.被爆連のあゆみ
10.被爆者救援運動を展開して

 

沖縄県原子爆弾被害者連盟結成総会

沖縄県原子爆弾被害者連盟結成総会

1964年7月12日

宣言決議

 きょうここに集った私たちは、19年前の8月6日、9日、広島、長崎においてあのおそろしい原子爆弾によって被害を受けた者です。

私たちは九死に一生を得て生きのこったもののその中には原爆症ではないかと思われる病気で死亡しだ人、あの時の傷痕がまだのこっている人、現在原爆症ではないかと思われる病気でねている人、更に今健康状態は良好であるが、将来放射能害が出てきはしないかと気にかかり毎日不安な生活を送っている人さまざまであります。私たちはこれまでこのような十字架を背負いながらそれを訴えるすべや解決の道を知らず19年間も悩みつづけて参りました。幸いこのたび沖縄原水協の誠意ある御努力によって沖縄在住被爆者の調査がなされ琉球政府、本土政府への救援方が要請されました。その結果本土政府も沖縄の被爆者問題について誠意をもって解決していただくという明るい見通しがつきました。

私たち被爆者にとってこれにまさる喜びはありません。思えばあの時のおそろしさ、そして19年間の不安と悩みそれはその当事者でなくてはわからぬものがありました。それにしても琉球政府本土政府のこれまでのこの問題に対する無関心さと、不誠意、私たちの力の足りなかったことがくやまれてなりません。

私たちはここに沖縄原子爆弾被害者進盟を結成するにあたり私たちの問題が、1日も早く解決されまたもう二度とあのような惨禍によって私たちのような人々が出ないよう原水爆禁止による世界の平和確立のために積極的な運動をおこすよう宣言し次のことを決議します。

1、沖縄在住の被爆者に本土の「原爆医療法」を適用させよう。

1、沖縄独自の原爆医療法を立法させよう。

1、米国政府に対し施政権者の立場から自ら投下した原爆による被害者の医療に積極的施策をこうじさせよう。

1、人類に私たちの苦難と犠牲をくり返させないため原水爆を全面禁止する国際協定を結ばせよう。

1964年7月12日

沖縄県原子爆弾被害者連盟結成総会

1965年運動基本方針

一、原水爆禁止運動

1、全面核停、核武装反対、軍備全廃促進のための諸運動
2、被害体験の訴え、体験記の募集。
3、研究会、学習を盛んにする。

二、原爆医療法の獲得運動
1、原爆医療法の沖縄適用のための強力な運動
2、琉球政府、民政府による医療措置運動
3、日本被団協と提携して生活援護法のかくとく
4、友好団体との協力

組織

1、役員

理事長 金城秀一
役員  丸氏つる、真喜志津留子、岸本久三、与みね、赤嶺高三、大域和恵、仲間呂美夫、吉本毅、久高政英

沖縄被爆連運動のあゆみ(1963年9月~1966年3月)

出典:原水爆禁止沖縄県協議会『基地沖縄の全貌』(1966年12月)

衆議院 原爆被爆者援護強化に関する決議 1964年4月3日

原爆被爆者援護強化に関する決議

衆議院会議録第21号 1964年4月3日

原爆被爆者援護強化に関する決議

 広島・長崎に原子爆弾が投下されて18年余を経たが、今日なお白血病その他被爆に起因する患者、死亡者の発生をみており、その影響が存続していることは憂慮に耐えないところである。

原爆被爆者に関する制度としては、昭和32年に原子爆弾被爆者の医療等に関する法律が制定され、被爆者の健康管理及び医療措置が行なわれているが、原爆被害者に対する施策としては、なお十分とは認めがたい。

よって政府は、すみやかにその援護措置を拡充強化し、もって生活の安定を図るよう努めるべきである。

右決議する。

提出者趣旨弁明(松山千恵子)

 御承知のとおり、昭和20年8月、広島、長崎に投下されました原子爆弾は、両市民のうち約10万人を死に至らしめ、行くえ不明その他重軽傷者約8万人、罹災した者20数万人を数え、生存者においても、白血病、原爆性ケロイド等の特異な症状にさいなまれ、今日なおこれに起因する死亡者があとを断たないところであります。

この対策としては、昭和29年より3カ年間、これが治療方策を確立するため、予算を計上して治療方法の調査研究が行なわれ、その結果に基づき、昭和32年3月、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律が制定され、被爆者の医療並びに健康管理を中心に、その施策が進められてきたところであります。その後、被爆者の実情並びにわが国経済力の成長と相まって、その援護についても、年々強化をはかり、39年には特別被爆者制度を設けて、健康障害の可能性の強い特定の被爆者については、ほとんどすべての医療を公費をもって行なうこととするとともに、原爆症の治療を受けている者に医療手当を支給することとし、さらに2回にわたって特別被爆者の範囲を拡大する等、数次にわたって改善が重ねられました。今日まで30数億円の国家予算により、26万人に及ぶ被爆者の把握、延べ65万人の健康診断の実施、15万人の特別被爆者の登録、約5000人の原爆症患者の治療等が行なわれており、昭和39年度においては、これら被爆者援護のため、13億円の予算が計上され、その対策が推進されるところでありまして、被爆者のために、いささか心の安らぐものがあるのでございます。

しかしながら、原爆被爆者が今日なお置かれている特別な状態に対応する援護措置は必ずしも十分とは言いがたく、より一そうの健康管理並びに医療の強化はもとより、就職、結婚等における原爆被爆者の社会的遊離の解消等に対しては、医学上の正しい見解に立脚して、この問題の打開につとめることが必要であり、また、被爆者の老齢化等、今日における被爆者のさらに正確な現状の把握につとめ、実情に即した援護措置を強化することが、今後に残された問題であります。

政府は、今後、健康管理、医療の徹底を期するとともに、日常生活における被爆者の不安の解消、社会的理解の増進等に努力し、また、各種福祉制度の十分な活用をはかり、もって被爆者 を心身両面においてあたたかく援護し、その生活の安定に役立つようつとめられたい。これが本決議案の提案趣旨であります。何とぞ各位の御賛同をお願い申し上げます。

討論(河野正)

 私は、自由民主党、日本社会党並びに民主社会党3党を代表いたしまして、ただいま提案せられました原爆被爆者援護強化に関する決議案に賛成の討論を行なわんとするものであります。

思えば昭和20年8月、広島、長崎両市に投ぜられた原子爆弾は、両市民の大半のとうとい生命を奪い、また、その被爆者の数は実に29万余に及んだのであります。わが国医学史上かって経験をせざる特異な障害を残し、その惨状は全く筆舌に尽くしがたく、今世紀最大の悲惨事であったのであります。

御承知のごとく、原子爆弾による障害は全く特異的なもので、特に熱風、爆風、放射能障害は、肉体的にも精神的にもきわめて深刻なものがございます。すなわち、外部障害者は、幾度かの手術も効果なく、ケロイドは暑さ寒さに耐えがたき疼痛を覚え、人間としての気力を失い、醜い自分の姿に人生の希望を失いつつあるのであります。また、放射能による血液疾患に対しましては、医学上いまだ完全な治療方法が発見されず、遠い海外からの慰問や激励にもかかわらず、千羽ツルの塔の悲願もむなしく、毎年数十人が死亡している現状であります。さきにも申し述べたごとく、その被害の深刻さは、外部障害者より一そう悲惨なものであります。

しかるに、投爆後20年をけみした今日も、なお30万に近い被爆者は、ある者はその苦痛に呻吟し、ある者は死の恐怖におびえ、またその家族は常に不安にかられているのであります。中でも、身寄りをなくした60歳以上の原爆孤老のみじめな姿は言語に絶するものがあるといわれております。もちろん、今日、広島、長崎両市に投下された原子爆弾の被爆者に対し、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律によりまして、その健康の保持及び向上がはかられてはいるのでありますが、医療手当をはじめとし、その実態はまことに微々たるもので、全く不十分なものと断ぜざるを得ないのであります。同時に、それらの被爆者に肝要である生活保障の面が等閑に付されていることは、まことに心外に存ずるものであります。

昭和38年12月7日の東京地方裁判所におきます広島、長崎原爆判決は、その判決文の中で、広島、長崎に対する原爆投下は国際法に違反するものと断定し、さらに判決文は、国家は、みずからの権限とみずからの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、傷害を負わせ、不安な生活に追い込んだ、しかも、その被害の甚大さはとうてい一般災害の比ではない、したがって、国家が十分な救済策を講ずべきであると指摘いたしておるのであります。さらに、高度の経済成長を遂げたわが国において、国家財政上、これが不可能であるとはとうてい考えられない点も強調いたしておるのであります。

かくのごとく、原爆被爆者援護の問題は、単に長崎、広島という特定地区の問題でなく、原水爆禁止問題とともに、国民すべての重大問題なりと確信いたすものであります。

戦後20年の歳月をけみした今日、農地補償や在外補償等が終戦処理の一環として論及される中で、いまなお人道上放置することのできない原爆被害者に対する十分な施策が実現されなかったことをわれわれは心から遺憾に感じておったのであります。しかるに、本日、ここに決議案が上程されましたことは、まことに喜ばしく存ずるのであります。

特に、この際、今日までの医療法が援護法として、東京裁判にもあるごとく、高度成長経済にふさわしい原爆被害者全般に対する補償、救済措置が一日もすみやかに実現されることを強く要望いたしますと同時に、当面医療手当の増額、制限の撤廃あるいは特別被爆者の範囲制限の撤廃拡大、さらに、医師の認める被爆者のための精密検査施設の設立あるいは被爆者の医療の裏づけとなります生活保障、同時に、治療あるいは保養に際しての鉄道運賃等の減免制度の確立、不幸死没者に対しましては弔慰金、葬祭料の支給、さらに死没者の遺家族の生活の実態を十分調査し、援護対策を樹立するための原爆被害者対策審議会の設立等、直ちに制度化されることの緊要たることを重ねて主張し、本決議案に賛成の意を表するものであります。何とぞ諸君の絶大なる御賛同を心からお願い申し上げるものであります。

参議院 原爆被爆者援護強化に関する決議 1964年3月27日

原爆被爆者援護強化に関する決議

参議院会議録第13号 1964年3月27日

原爆被爆者援護強化に関する決議

 広島・長崎に原子爆弾が投下されて18年余を経たが、今日なお白血病その他被爆に起因する患者の発生をみており、その影響が存続していることは憂慮に耐えないところである。

原爆被爆者に関する制度としては、すでに昭和32年に原子爆弾被爆者の医療等に関する法律が制定せられ、被爆者の健康管理及び医療の措置が進められているところであるが、被爆者の置かれている状況にかんがみ、政府は、すみやかにその援護措置を改善し、もって生活の安定に役立つよう努めるべきである。

右決議する。

発議者代表提案趣旨説明(藤野繁雄)

 原子爆弾が残した放射能障害は、一生その人々につきまとい、これがため、白血病、貧血症等の発病の不安に常時おののきながら勤労しなければならないことが、被爆者のすべてに通ずる社会的活動におけるマイナスとなっているのであります。さらに被爆者のうちには、あるいは原爆熱線による、みにくいケロイドの痛ましい傷痕のゆえに、悲歎にくれている人々があります。あるいは放射能に起因する白血病、肺臓、肝臓その他のガン、白血球減少症、悪性貧血症等にさいなまれて、病床に呻吟している人たちがあります。また、原爆おとめのみならず、外形上何らの傷を持たないおとめの中にも、結婚を敬遠されている若い女性群があるのであります。そして、これらの原爆症による死亡や精神的不安に基づく厭世観による自殺者が相次いでいるという現実を、われわれは忘れてはならないと考えるのであります。

これらの悲しむべき不幸の原因が、当時予測もできなかった悲惨な原子爆弾の被爆に基づくものであることにがんがみ、昭和32年4月、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律が制定され、主として原爆症を中心とした医療について特別措置がなされたのであります。しかし、近時、わが国の経済力回復に伴って、戦争犠牲者に対する救済の立法が次々となされております。さらに今国会には、旧金鵄勲章年金受給者に関する特別措置法案が提案されております。このような戦後処理の措置が次々と講じられつつある情勢にかんがみまして、原爆被爆者に対する措置も、その健康面及び精神面の特殊な状態に適応すべく一そうの拡充がはかられるべきであると考えるのであります。

この趣旨を実現するためには、まず第一に、被爆者に対する健康管理の徹底が期せられるべきであります。そのためには、新たに被爆者ドックを設けて、現在の健康診断のほかに、徹底的な精密検査をも実施し、それに基づいて健康維持上必要な指示指導がなさるべきであります。さらに健康診断の受診に伴い、被爆者には、日本国有鉄道を無料で乗車することができるよう措置することが望ましいのであります。次に、発病の不安におののき、焦燥にかられている被爆者は、全身倦怠、疲労感を覚え、常人のような勤労に従事することは不可能でありますので、絶えず休養をとり、かつ栄養補給をしながら勤労する以外に道はないのでありますから、これらの被爆者に対しても特別な手当を考慮さるるべきであります。なお、現在実施されております医療の充実のために、原爆症患者完全収容病棟の建設、原爆放射能医学研究所の拡充、医療内容の充実及び医療手当の増額と支給条件の緩和をはかるほか、特別被爆者の範囲を拡大して、爆心地より3キロから4キロ以内にあった者及び原爆投下の直後の救護整理にあたり、強烈な第2次放射能を受けた者を加うることについても、考慮が払わるべきでありま す。次に、被爆者の福祉の向上につきましては、広島平和記念都市建設法及び長崎国際文化都市建設法があるにもかかわらず、いまなお、公園、緑地等に数千戸のバラック住宅が残されておるので、その解消につき、また、原爆孤老のための被爆者老人ホームの建設につき、さらに被爆者福祉センター、被爆者レクリエーション・センターの建設、被爆者相談所の設置等が緊急の措置として必要と考えられます。その他、被爆者に身寄りの少ない者が多い実情にかんがみ、原爆による死亡者に対する弔慰の道を講ずることも必要かと考えられるのであります。以上がこの決議案の趣旨でありますが、政府においては、今後も医療の進歩等事態の推移に応じて、決議を待たずとも、逐次検討を加え、一そうの改善をはかる心がまえを切に要望いたしたいと存ずるものであります。私は、ここまで提案の趣旨を説明してまいりますと、長崎に原爆が投下されました当日、長崎におりまして、九死に一生を得、また、多数の肉親と知己を失い、その惨状をよく承知しておりますから、私は、ことばで言いあらわすことのできない当時の悲惨な状況が、ありありと私の目の前にあらわれてまいりました。何とぞ各位の御賛同 をお願い申し上げる次第であります。

賛成討論(藤田進)

 私は、日本社会党を代表いたしまして、ただいま議題になりました原爆被爆者援護強化に関する決議案に賛成いたすものであります。わが党は、原爆投下以後、終戦以来、原爆被爆者に対する援護についていろいろ努力をしてまいりました。この間、いわゆる原爆医療法が制定せられてまいりましたが、これとても満足すべきものでございませんので、特に最近本院における院議として決議をし、政府において善処されるべく、特に、当院議院連営委員会、なかんずく議運委員長はじめ理事会においていろいろ折衝をしていただきました。また、関係社会労働委員会におきましても、委員長ほか皆さんの熱心な御折衝をいただいたのであります。その間紆余曲折をいたしまして、私ども特に提案者同様、原爆被爆地出身者といたしましても、非常に心配をいたしておりました。幸いに、その第一歩を画します本院の意思として、ここに決議が日の目を見ようといたしております点、努力していただきました各会派皆さんに対して、まず深く敬意を表し、お礼を申し上げたいと思います。かかる事情に徴しましても、政府は、即刻これが提案にございましたような事例を含めた、立法的、予算的措置を講じていた だきたいと思うのであります。顧みますと、昭和20年8月、広島市及び長崎市に投ぜられました原子爆弾による被害は、今世紀最大の悲惨事でありまして、わが国医学史上かつて経験せざるものであったことは、いまさら申し上げるまでもございません。運命の両市におきまして、この原子爆弾の犠牲に供せられた被害者の数というものは、原爆投下のその日に市民の半分が即死いたしております。あるいはまた、残りの約3割5分というものは、100日を出でないうちに、その後、命を失っているのであります。また、爆心地から4キロ半径以内におりました者はもちろんのこと、爆発から2週間以内に焦土に足を踏み入れたというだけで、ことごとく第二次放射能の影響を受けたのでありますが、その数は実に30万人と数えられております。18年余を経た今日もなお、放射能による特異な障害が残され、あるいは障害の苦痛に呻吟し、また、死の恐怖におびえているという、きわめて重大なる状況を呈しております。中には困窮の生活に当面をいたしまして、日々まことに不安な生活を送っているという気の毒な実情にあるのであります。このことは、すでに18年をけみしておりますために、単に原 爆といえば、広島、長崎に限定されるような印象を受けますけれども、私の調査では、日本全土に普遍的にこれら被爆者は在住している事実があるのであります。

あの忌まわしい、のろわれた日から今日まで、いまなお白血病やガンなどによる死亡者が絶えず、放射能による血液疾患に対する完全な治療方法が発見されず、その被害の深刻さは、まことに凄惨なものがあるのであります。これは、人道上からもとうていこのまま放置することができないのでありまして、30万人余の被爆死亡者と、さらに30万人余の被爆者及び遺族に対する補償救援の諸政策を確立をいたしますことは、世界ただ一つの被爆国として当然の責務といわなければなりません。

特に、指摘いたしたいことは、昨年の12月7日、東京地方裁判所の判決は、広島、長崎における原爆投下が、「国際法からみて違法な戦闘行為である」と解し、「戦争災害に対しては当然に結果責任に基づく国家補償の問題が生ずるが、現行の原子爆弾被爆者の医療等に関する法律、この程度のものでは、とうてい原子爆弾による被害者に対する救済救援にならないことは、明らかである。」と判示いたしまして、「原爆被害者全般に対する救済策を講ずることは、立法府である国会及び行政府である内閣において果さなければならない職責である。」と結んでいるのであります。

人類の歴史始まって以来の大規模かつ強力な破壊力を持ちます原子爆弾の投下によって、今日もなおその影響が存続し、被爆者の置かれている現状を見るならば、心から同情の念を抱かないものはないはずであります。今日、終戦後18年余を経て、高度の経済成長を遂げたわが国において、原爆被爆者に対する救援対策が、わずかに限られた医療給付に尽きるということは、政治の貧困を言われてもやむを得ないところであります。放射能による特殊性を認められた、いわゆる原爆症の医療目的を達するためには、国の責任による社会保障が不可欠であるばかりでなく、今日、公務、すなわち軍人軍属あるいは戦犯や引き揚げ者に対する社会立法との均衡から見ましても、被爆者の家族及び遺族に対する国家的援護は当然であると言わなければなりません。この際、私は、このような悲惨な原爆被爆者を将来一人もつくらないということを念願いたしますと同時に、すみやかに現行の原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の内容を改善するということが一つ、さらに原子爆弾被爆者援護法の制定についても、具体的な施策を講ずべきであると信ずる次第であります。

広島県議会意見書 原爆記念行事を厳粛荘厳に挙行することについての要望

広島県議会

原爆記念行事を厳粛荘厳に挙行することについての要望

1964年

意見書

一、原爆記念行事を厳粛荘厳に挙行することについての要望

理由

廻りくる原爆投下による惨害の厄日は広島県市民の悲運と、また極まる感情は世代をかえても消えることはない。

十九年を経て原爆の後遺症は、医学的研究により広く影響を増している事実を立証している。

等しく健康と平和の社会を創造して生きる歴史的民族の誇りを傷つけてはならない。

昨年の八月六日は、原爆禁止大会の名のもとに、広島県民の感情をよそに慰霊碑前広場は赤旗にうまり、政治闘争と怒号に明け暮れ左右激突の危機をはらみ、数千の警官を動員する事態をみたことは、広島県民として許すべからざる心情にある。

国の如何なる援護に接してもかかる醜態を目のあたりにして何が犠牲者の援助であろうか、今年こそは地下に眠る多数犠牲者を心から慰め、原爆病のため呻吟する人々の安らか保養を願い世界の恒久的平和が確立されるよう、この日こそ「静かな祈りの日」にすることを強く念願するものである。

よって、当局は、原爆被爆者の援護対策を一層充実するとともに、十九度廻りくる本年の八月六日を期して永遠にこの日を「祈りの日」として、厳粛にして真実のある原爆記念行事が催されるよう、関係方面に適切な措置を講ぜられたく要望する。

提出者〔三六名略〕

原爆医療法の拡大強化と被爆者救援に関する決議案 1963年9月28日

原爆医療法の拡大強化と被爆者救援に関する決議案

1963年9月28日

決議案第二号

原爆医療法の拡大強化と被爆者救援に関する決議案

 吾々は夙に被爆者救援の急を訴え、紆余曲折を経て原爆医療法の特別立法をみるに至った。然しなお多くの問題が残されている。

すなわち、特別被爆者としての距離の制限撤廃、及び入市者救済をその対象とすべきことは、科学的にまた臨床医学的にも立証された多くの資料を有する今日、政府は同法の拡大に踏み切るべきである。

また被爆者の救援に関しては生活援護、栄養補給並びに優遇措置等しばしば訴えつづけて来たが、いまだにその実現をみないことは甚だ遺憾である。

よって速かにこれが対策について予ねて主張してきた要旨に関し、適当な対策を樹立されたい

市当局また被爆者の本質とその実態にかんがみ救援に必要な予算措置を講ずぺきである。

右決議する。

昭和三十八年九月二十八日

広島市議会

広島県議会意見書 核実験停止協定締結要請に関する決議 1962年12月22日

広島県議会意見書 核実験停止協定締結要請に関する決議

1962年12月22日

核実験停止協定締結要請に関する決議

アメリカとソ連は、現在なお核実験を続けています。核実は、現在将来にわたって人類の生命と健康に害を与えます。

広島県議会は、従来しばしば決議要請してまいりましたがすぺての国の核実験をやめさせるために何度でもくりかえし反対し、一刻も早く停止協定を結ばせなければなりません。

ここに広島県民を代表して、すべての核保有国は来年一月一日を期して核実験停止協定を締結されるよう要請します。

右決議する

昭和三十七年十二月二十二日

広島県議会