資料年表:鳩山一郎
はとやま・いちろう | 18830101生19590307没 | 自由民主党初代総裁(1954-56年) |
資料年表:鳩山一郎
年月日 | ||
1883 | ||
0101 | 誕生 | |
1951 | ||
0630 | 『私の自叙伝』(改造社) | |
1955 | ||
1122 | 第54代内閣総理大臣。~19561223 | |
1957 | ||
1020 | 『鳩山一郎回顧録』(文芸春秋新社、19571020) | U |
1959 | ||
0307 | 没 | |
止
資料年表:鳩山一郎
はとやま・いちろう | 18830101生19590307没 | 自由民主党初代総裁(1954-56年) |
資料年表:鳩山一郎
年月日 | ||
1883 | ||
0101 | 誕生 | |
1951 | ||
0630 | 『私の自叙伝』(改造社) | |
1955 | ||
1122 | 第54代内閣総理大臣。~19561223 | |
1957 | ||
1020 | 『鳩山一郎回顧録』(文芸春秋新社、19571020) | U |
1959 | ||
0307 | 没 | |
止
『朝鮮戦争は誰が起したか』(アメリカ民主的極東政策期成委員会、中川信夫訳、月曜書房、19520830)
内容
止
『レッド・パージとは何か 日本占領の影』(三宅明正著、大月書店、19940901)
内容
はじめに | |||
1992年アメリカ大統領選挙/ブラッティ文書とは何か | |||
Ⅰ | レッド・パージの概要 | ||
1 | どれだけの人がパージされたのか | ||
2 | パージされた人はどうしたのか | ||
3 | 一九五〇年だけではなかったパージ | ||
4 | 日本共産党の勢力はどの程度だったのか(1) | ||
Ⅱ | パージはどのように遂行されたのか(1)―初期の事例― | ||
1 | 報道機関―放送 | ||
2 | 結核予防会 | ||
3 | 日本通運のパージ | ||
4 | 初期のパージの特徴 | ||
Ⅲ | パージはどのように遂行されたのか(2)―各産業への広がり― | ||
1 | 石炭産業 | ||
2 | 金属鉱山 | ||
3 | 鉄鋼業 | ||
4 | 自動車産業 | ||
Ⅳ | パージはどのように遂行されたのか(3)―産別組織からの抵抗― | ||
1 | 銀行 | ||
2 | 私鉄 | ||
Ⅴ | レッド・パージには、誰がどう関与し、いかに対応したのか | ||
1 | GHQと日本政府 | ||
2 | 検察と警察 | ||
3 | 労働委員会の対応 | ||
4 | 経営者団体 | ||
5 | 政党と労働組合 | ||
Ⅵ | 抵抗者のその後―裁判闘争― | ||
1 | 裁判の様相 | ||
2 | 復職運動の高まり | ||
付録 | |||
付表(第1表~第9表) 参照文献目録 |
|||
止
『毛沢東研究序説』(今堀誠二著、勁草書房、19660925)
内容
止
『オバマの誤算-「チェンジ」は成功したか』(上坂昇、角川書店、20101210)
内容<作業中>
章 | 節 | |||
1 | オバマの苦悩 | |||
1 | 人種的アイデンティティの追求 | |||
黒人であることの確認/ニ人の女性とオバマの人種的アイデンティティ/オバマは黒人か、混血か/遅かった信仰への目覚め/神に導かれた瞬間 | ||||
2 | オバマたたき | |||
父親がらみの思想的批判/オバマは社会主義者か/オバマは隠れイスラム教徒だ/不況下での夏休みは贅沢だ/大統領の休暇/オバマ自身による人種発言/「ビア・サミット」での手打ち式/2人目のカーターとなるか/民主党階からの人種発言 | ||||
3 | 対立を乗り越える | |||
//// | ||||
4 | 黒人はオバマに何を期待できるか | |||
//// | ||||
2 | 反オバマのティー・パーティー運動 | |||
1 | キング牧師を利用する保守派の集会 | |||
//// | ||||
2 | ティー・パーティー運動の始まり | |||
//// | ||||
3 | 運動の拡大と人種差別的要素 | |||
//// | ||||
4 | ティ・パーティ運動の理念と現実 | |||
//// | ||||
3 | 難産だった医療保険制度改革 | |||
1 | アメリカにはなぜ皆保険がないのか | |||
//// | ||||
2 | 成立に執念を燃やしたオバマ | |||
//// | ||||
3 | 歴史的な勝利の裏にあるもの | |||
//// | ||||
4 | 早くも医療保険廃止の動き | |||
//// | ||||
4 | オバマの希望と不安 | |||
1 | 核のない世界を目指して | |||
プラハ演説の背景/核兵器のない世界の平和と安全/ノーベル平和賞と核のかい世界/ノーベル委員会の意図/3委員が反対だったオバマへの受賞/受賞についての国内での疑問/オバマの広島・長崎訪問/ルース大使の平和記念式典参加/原爆投下とアメリカの世論/退役軍人の立場/謝罪を求めるのは困難// | ||||
2 | オバマは歴史に残る大統領になれるか | |||
リンカンを意識するオバマ/ローズベルトとの比較/希望をもたらした大統領/クリントンから学ぶもの/オバマは「テフロン大統領」か「ベルクロ大統領」か/前政権のミスもオバマの責任とされる/「テフロン大統領」への変身が必要/ブッシュ減税の継続を強要する共和党/「アメリカとの誓約」による共和党の攻勢/オバマの今後の課題/教育による人材づくり/500万人のグリーン・ジョブ/1100万人の不法移民// | ||||
3 | オバマ民主党の敗北 | |||
中間選挙で歴史的敗北/中間選挙での注目すべき変化/オバマは共和党議会にどう対応するのか/ | ||||
あとがき | ||||
止
『原爆の証言 こゑ第45号』(若杉泰昭編・大久保武雄著、憲法研究会、19700530)
<作業中>
頁 | 見出し | メモ |
03 | 二十五年忌 | |
03 | 小磯総理に直言 | |
07 | 暁部隊と私 | |
10 | 原爆の朝 | |
11 | 福屋ビルの階段 | |
12 | 数珠は切れていた | |
13 | 原子爆弾炸裂 | |
16 | 幽霊の街 | |
20 | 黒い驟雨 | |
25 | 傷ついても母は強い | |
28 | 原子爆弾症にかかる | |
29 | 人影を石に灼きつける | |
31 | 生きていた仏さん | |
40 | 死の脱出 | |
42 | 悲運古山部長の死 | |
46 | ガスを吸うと助からぬ | |
50 | 生死の分かれ目 | |
55 | 終戦の放送 | |
60 | 暁部隊の解散 | |
64 | 原爆ドームに咲いたコスモスの花 | |
67 | 天に祈る | |
71 | その時の写生句 高浜虚子 | |
77 | 原爆忌 大久保橙青 | |
82 | 原爆ドーム | |
85 | あとがき | |
備考 奥付の書名:こゑ 第45号 | ||
止
渡部正
年月日 | |||
1946 | 誕生 | ||
?? | |||
1965 | |||
04 | 京都大学経済学部入学 | ||
1969 | |||
04 | 中国電力、入社 | ||
1975 | |||
0420 | 渡部正、結婚式。 | ||
1994 | |||
0424 | 渡部正(中国電力)より自宅に電話。電力需要見通しをやっているとのこと。 | ||
2008 | |||
1119 | 渡部正が今年春死亡したとの奥さんからのハガキが自宅に届く。 | ||
止
『ふるさとを訪ねて 広島 少年少女文学風土記9』(井伏鱒二編、泰光堂、19600925)
内容(作業中)
頁 | 著者 | タイトル | |
ずいひつ・紀行 | |||
賀川豊彦 | 瀬戸内の島々 2 | ||
福原麟太郎 | 松永二題 12 | ||
井伏鱒二 | 鞆ノ津付近 17 | ||
宮城道雄 | 鞆ノ津 30 | ||
熊田ムメ | 広島の味自まん 54 | ||
小野鉄之助 | 備後のたたみ表 59 | ||
林芙美子 | 田舎がえり 63 | ||
浜崎左髪子 | 広島のお国なまり 67 | ||
青木茂 | 鞆の鯛網 70 | ||
後藤陽一 | 北前船 73 | ||
末田克美 | 春の瀬戸内海 90 | ||
谷本清 | 原爆と広島 94 | ||
浅野長武 | わがふるさとの記 108 | ||
中野王吉 | 「広島人気質」ということ 125 | ||
若林茂 | ユニバース・アポロ号と呉 140 | ||
田淵実夫 | 牛を飼う村 156 | ||
田淵実夫 | 広島のわらべ唄 177 | ||
佐々木順三 | 芸北の神楽 183 | ||
加藤武三 | 芸北と備北の山と谷 182 | ||
192 | 新藤久人 | 囃し田 | |
197 | 石井淡笑斎 | 広島県のお菓子 | |
200 | 松崎寿和 | 備北の古墳見学記から | |
歴史・伝記・民話 | |||
葛原勾当 葛原しげる 24 人柱・甚五郎 宇野吉富 42 伊沢蘭軒 森鴎外 46 おさん狐 薄田太郎 104 唐黍の根はなぜ紅い 吉田文五 112 頼山陽 山崎久史 119 厳島合戦 朝野長諄 129 土生玄碩 米重忠一 161 |
|||
詩・小説 | |||
早春 木下夕爾 22 暗夜行路(抄)志賀直哉 37 ちいさい子 峠三吉 88 山彦(抄)鈴木三重吉 99 故郷山河 中村憲吉 154 荷車の歌(抄)山代巴 166 |
|||
作文 | |||
どんど祭り 大福茂経 77 五月の鞆 森山泰充 79 温泉のある矢野の人たち 馬場邦枝 82 宮島 川西誠 85 汐干狩り 丸本幸司 143 「ハッサー・クーサー」と 「宇津かんのん」 伊本由喜枝 古川行洋 145 わが家の乳牛 元木定子 148 |
|||
ふるさとの思い出 | |||
少年少女のころ 大塚節治 瀬越憲作・横山美智子 205 作品について 210 広島県の生いたち 後藤陽一 211 |
|||
スケッチ・版画 | |||
鞆の津風景(妹尾正雄) 31 とんど祭り(版画・小6・三島博) 77 水くみ(版画・小6・大下小波) 82 瀬戸内海風景(妹尾正雄) 92 平和公園・慰霊塔(佐伯輝一) 96 広島城(岡田竹男) 109 原爆ドーム(佐伯輝一) 126 冬の日(版画・小6・前原富利) 145 大根干し(版画・小6・中尾敏) 148 備北の山村風景(岡田竹男) 158 かきのからむき(新田稲美) 178 瀬戸内の海(扉絵・妹尾正雄) |
|||
止
広島県市町公文書等保存活用協議会(略称:広文協)
<作業中>
『広文協通信』(広島県市町公文書等保存活用協議会)
号 | 年月日 | 頁 | |||
1 | 1 | 道重哲男(協議会会長) | 「広文協の発足にあたって | ||
4 | 広文協設立までの歩み | ||||
5 | 広文協会員登録機関名簿 | ||||
2 | 1128 | 8 | 濱本康敬(広島平和記念資料館学芸担当) | 会員短報 河本一郎氏資料の受入と整理 | |
止
資料年表:石垣重信<作業中>
年月日 | 事項 | ||
1920 | |||
**** | 賀茂郡志和町にて誕生。 | ||
**** | 広島県立商業学校卒。 | ||
1956 | |||
07 | 『芸備地方史研究17・18号』(芸備地方史研究会) | ||
石垣重信 「人物広島史 労農運動を斗った人たち―高津正道とその他の人々―」 | |||
1966 | |||
11 | 『芸備地方史研究62・63号』(芸備地方史研究会) | ||
石垣重信 「頼山陽の歴史的階級的背景について」 | |||
1969 | |||
0211 | 『芸南史話』(石垣重信著) | ||
著者略歴<抄>敗戦後中国配電(株)本社総務部を経て、現在竹原営業所勤務。戦後、労働運動のかたわら、民主主義科学者協会歴史部会に属し、地方史研究をおこなう。 歴史学研究会会員、歴史研究会会員、歴史科学者協会会員、芸備地方史研究会会員、中国電力労働組合本部執行委員 |
|||
1976 | |||
0331 | 『広島県史研究 1』(広島県史編さん室) | ||
石垣重信 「県史の窓 広島県史刊行への期待」 | |||
止