『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』(Chim↑Pom, 阿部謙一編、人島プロダクション、河出書房新社(発売)、20090325)
内容<作業中>
| 章 |
見出し・内容 |
備考 |
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誰かが広島の空を「ピカッ」とさせたらしい<2008年10月21日> |
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Chim↑Pomプロフィール |
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ブログ「”ピカッ”広島上空にナゾの巨大落書き!!」「解決!!巨大『ピカッ』の正体」 |
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はじめに 16 |
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資料「ヒロシマの空をピカッとさせる」にまつわる経緯 18 |
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| 01 |
ピカッとさせた。大騒ぎになった。そして、謝った 25 |
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小崎哲哉 Chim↑Pom展中止の顛末 26
会田誠 精読・2ちゃん某スレッド改めChim↑Pomの「ピカッ」 3 |
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| 02 |
爆心地から、「ピカッ」騒動を検証する-なされた行為とまだ見ぬ作品と 41 |
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椹木野衣 かつてエノラ・ゲイから見えた「空」-Chim↑Pomの「ピカッ」と、回帰する原爆投下者たちの窓 42
東琢磨 「ピカッ」という<出来事>-不快に感じたのは「ヒロシマ」の誰なのか 60
宇川直宏 「ピカッ」の深奥に見えた風景!!!! 73
楠見清 ピカとドン-閃光と爆音 あの雲について、蔡國強との対話から 88 |
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| 03 |
ヒロシマ再訪 105 |
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矢野美耶古、吉岡幸雄 核兵器は地球まで滅ぼす兵器なのだから、廃絶以外にない 107
坪井直 武器を持つような人間が、どうして平和を考えられるだろうか 123 |
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| 04 |
表現されたきた戦争と新しい戦争美術 145 |
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福住廉 軽やかに、無邪気に、そして一気に-新たな「原爆美術」に向けて 146
渡辺真也 ラッキードラゴンの視点から-近代の産物としての美術と原爆、そして表現者としてのChim↑Pom 156 |
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| 05 |
社会と表現、自由と公共性を巡って 167 |
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長谷川祐子 荒野のピクニック-Chim↑Pomのプロポーザル 168
松下学 戦時中!-「ピカッ」を巡るふたつの公共性の衝突 176
イーデン・コーキル 英語で記事を書こうとしたときの違和感 185 |
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| 06 |
それは芸術なのか、芸術なら許されるのか 191 |
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光田由里 Chim↑Pomの確信度とコミュニケーション過程の自立-ハンス・ベルメールと宮川淳のアシストによる 192
田中功起 後出しジャンケンをするつもりなら、俺はさきに手を見せる 204 |
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| 07 |
特別寄稿…政治と美術の関わり、思想と実践の挟間 213 |
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針生一郎 戦争画と原爆美術 214
インゴ・ギュンター 魔法使いの弟子-悪魔の代弁者のパースペクティヴ 218 |
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| 08 |
インタビュー/特別座談会…Chim↑Pomが聞く 227 |
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高橋賢 みんな同じ意見だと祭りになるし、それが楽しい 228
道面雅量 不謹慎と言われても、作りつづけてほしい 234
針生一郎×柳幸典×会田誠×卯城竜太 「ピカッ」は誰に向けた表現だったのか 240 |
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| 09 |
Chim↑Pomリーダー自ら、「ピカッ」騒動を振り返る 257 |
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卯城竜太 Chim↑Pomのピカッ騒動記 258 |
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| 10 |
広島市現代美術館とヒロシマ 281 |
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暮沢剛巳 ヒロシマの心-広島市現代美術館の戦争と平和に関する展示の変遷 282 |
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Comment on PIKA! |
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中沢啓治 40 いとうせいこう 104 山下裕二 166 ガブリエル・リッター 212 |
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あとがき 290 |
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執筆者紹介 293 |
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謝辞 295 |
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『広島 爆心地中島』(原爆遺跡保存運動懇談会編、 新日本出版社、20060806)
内容
| 頁 |
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備考 |
| 001 |
推薦のことば―改訂版刊行にあたって―(浅井基文) |
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第一部 爆心地 中島―あの日、あのとき―(元大正屋呉服店を保存する会・原爆遺跡保存運動懇談会編) |
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| 013 |
発刊にあたって |
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あの日、あのときを(諏訪了我・元) |
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平和な世界を創るために(河瀬正利・) |
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| 019 |
原爆で消された繁華街 |
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| 025 |
一 ただ一つ残った建物、ただ一人の生存 |
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①元安橋西詰めに建つレストハウス…………………25
あのとき………………26
水の竜巻だ……………28 |
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| 033 |
二 駆けつけた人々の見た惨状 |
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②相生橋の東詰め、橋上から…………………………33
産業奨励館は、まだ燃えていなかった(午前九時ごろ)………33
一面火の海(午前一〇時過ぎ)……………………34
おびただしい遺体、積み重ね熱風を避ける(午後四時から夜に)………36
③中島本町、慈仙寺周辺………………………………39
上体は白骨化(正午ごろ)………………40
火を噴く慈仙寺(午後二時ごろ)………41
燃料会館の外枠だけ残る(午後二時ごろ)………42
焼け崩れて、踏み込めず(昼過ぎ)………………43
焼け跡に炎がゆらぐ(午後四時過ぎ)……………44
焼け残った燃料会館で(夜)………・……………45
パンク修理のままの姿で(七日朝)………………46
先生のまわりに子どもたちの骨が(七日朝)…………48
④本川左岸、元柳町一帯…………………………50
突然天井が落ちてきた(六日朝、八時一五分)………51
中学生がたくさん倒れている(九時ごろ)……………53
中学生や女学生の遺体が(七日朝)……………………55
⑤材木町………………57
焼け落ちて家の軒は一つも見えなかった(午後三時ごろ)…57
臨月だった妻の骨が、三人の子は行方不明(七日朝)………58
たくさんの骨がバラバラに砕けて(七日朝)…………………60
近所の人はみんな死んだ(七日朝)……………………………62
⑥天神町………………64
首のところだけ白骨化(七日朝)…………………………66
母の骨をさがして(七日夕方から八日朝)………………67 |
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| 073 |
三 全滅した建物疎開作業動員学徒・国民義勇隊 |
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建物疎開作業の経緯と中島地区の生徒の被害…………73
⑦新大橋界隈の県立二中生徒の被害…………………………76
血路は川だ(六日八時一五分)……………………………76
二〇〇〇人もが押しかける(被爆直後)…………………77
「水ッ。水をちょうだい」(一〇時ごろ)………………78
川の中に這い降りていく女学生(午後二時ごろ)………80
無数の死体(六日夕方)……………………………………80
散乱する焼死体(七日午後二時ごろ)……………………82
⑧新橋付近の市女生徒の被害…………………………………83
焦熱地獄が眼前に(六日昼ごろ)…………………………83
顔はふくれ上がり(夕方)…………………………………84
死体を山にして、つぎつぎ火葬に(七日昼過ぎ)………87
工事現場から、真っ白い二体の遺骨が(一九四七年夏)……89
⑨県立工業学校生徒の被害…………92
青い色をした光の玉……………92
⑩中国新聞社国民義勇隊全滅……………………99
皮膚はただれ、誰がだれかわからない(被爆直後)………99
川面を巻き上げる火焔竜巻(被爆直後)……………………101
⑪川内村国民義勇隊の被爆……………………103 |
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| 107 |
あとがき |
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第二部 働突の悲劇はなぜ起こったのか―その明暗を分けたもの― |
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| 113 |
はじめに |
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| 115 |
一 広島の建物疎開動員学徒の被害は全国最大 |
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(一)学徒動員………………115
(二)一、二年生への配慮………………115
(三)建物疎開……………115
(四)広島の建物疎開動員学徒の死亡者数は全国の半数以上……116 |
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二 なぜ、一、二年生が動員されたか |
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(一)七月初旬の出動会議―学校側の反対と軍部の強圧…………117
(二)「軍責任者」とは……………………119 |
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(三)○○中将とは…………………………120 |
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(四)藤井中将も秋吉内政部長も被爆死…………………122 |
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| 123 |
三 明暗を分けた教師の判断 |
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(一)七月下旬―再び教師が「無謀な計画」と反対…………123
(二)八月五日―その一―「非国民」と言われても…………126
(三)八月五日―その二―「教頭が責任を取ります」………129
(四)八月六日―学校長、軍命令を無視して教室待機を指示……134 |
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別表 |
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| 138 |
建物疎開の状況、作業場所 |
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| 140 |
当日建物疎開に出動していた学校・死亡者数 |
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| 143 |
おわりに |
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| 145 |
改訂版編集後記 |
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ISBN 4-406-03306-8
『山代巴 中国山地に女の沈黙を破って』(小坂裕子著、家族社刊、20040720)
内容
| 部 |
見出し |
備考 |
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はじめに |
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| 1 |
山代巴―中国山地に女の沈黙を破って |
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1.序章 |
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2.生い立ち |
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3.闘いの中へ |
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4.冬の底 |
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5.戦争反省 |
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6.呼び水 |
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7.女のネットワーク |
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8一語りの力、読む力 |
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9.家族幻想 |
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10.シスターフツド |
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11.男たちの山代論 |
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12.山代巴獄中手記書簡集 |
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13.山代巴とフェミニズム |
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| Ⅱ |
座談会「女たちの山代論」 |
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(出席者)駒尺喜美・加納実紀代・牧原憲夫・高雄きくえ(聞き手小坂裕子) |
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第3部 資料 |
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1.小西綾さんとの出会い(語り山代巴) |
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2.山代巴年譜 |
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3.参考文献 |
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おわりに |
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『せこへい 平和をつくる子どもたち』(世界の子どもの平和像を広島につくる会編、部落問題研究所刊、20020806)
内容
| 章部 |
見出し |
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私たちの反核平和アピール |
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| 第1章 |
せこへい誕生3 |
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| 1 |
せこへい誕生-世界の子どもの平和像が広島にできるまで4 |
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| 2 |
せこへいデザイン・コンペ26 |
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| 第2章 |
せこへいたちの夢31 |
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1せこへいの心、平和の心中本小百合/2スウェーデンとサダコとせこへい 池田かおり/3夢に向かって西原理乃/4平和って何?飯田和浩/5「せこへい」を始点として大井赤亥/6私にとっての「せこへい」熊谷篤/7命、平和、そして環境貝原史香/8せこへいストリー鈴木慎二 |
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| 第3章 |
せこへいにかける夢67 |
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| 第1部 |
インタビュー三題 |
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(1)大牟田稔さんに聞く68 |
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(2)秋葉忠利広島市長と子どもたちの会見録74 |
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(3)平岡敬さんインタビュー80 |
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| 第2部 |
サポーターたちの夢92 |
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好永良子/福島俊を/盆子原賢治/奥田秀樹 |
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| 第4章 |
現代の平和モニュメントを求めて大井健地103 |
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| おわりに |
澤野重男118 |
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| 機関誌『せこへい』 掲載内容一覧 |
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| No.1 |
20000501<発行年月日> |
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| No.2 |
20000801 |
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| No.3 |
20001101 |
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| No.4 |
20010310 |
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| No.5 |
20010610 |
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| No.6 |
20010806 |
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『年刊せこへい2005』(世界の子どもの平和像をつくる会ヒロシマ、2005/08/06)<23頁> |
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執筆者(50音順)
浅井基文
安斎育郎
池崎美代子
石井あみ
井上ひさし
大井健地
大原穣子
北浦葉子
きたがわてつ
黒坂黒太郎
こうの史代
澤野重男
谷光愛子
寺岡由樹
那須正幹
原健二
肥田舜太郎
福島俊を
盆子原賢治
M.イクバル
森住卓
森田俊男
吉田ルイ子
吉永小百合
好永良子
高校生の平和メッセージ |
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止
世界遺産 百舌鳥・古市古墳群 <作業中>

百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群-(令和元年度記載)
百舌鳥・古市古墳群は、古墳時代の最盛期であった4世紀後半から5世紀後半にかけて、当時の政治・文化の中心地のひとつであり、大陸に向かう航路の発着点であった大阪湾に接する平野上に築造されました。
世界でも独特な、墳長500メートル近くに達する前方後円墳から20メートル台の墳墓まで、大きさと形状に多様性を示す古墳により構成されています。墳丘は葬送儀礼の舞台であり、幾何学的にデザインされ、埴輪などで外観が飾り立てられました。
本資産は、土製建造物のたぐいまれな技術的到達点を表し、墳墓によって権力を象徴した日本列島の人々の歴史を物語る顕著な物証です。
百舌鳥・古市古墳群は、古墳時代の最盛期であった4世紀後半から5世紀後半にかけて、当時の政治・文化の中心地のひとつであり、大陸に向かう航路の発着点であった大阪湾に接する平野上に築造されました。
世界でも独特な、墳長500メートル近くに達する前方後円墳から20メートル台の墳墓まで、大きさと形状に多様性を示す古墳により構成されています。墳丘は葬送儀礼の舞台であり、幾何学的にデザインされ、埴輪などで外観が飾り立てられました。
本資産は、土製建造物のたぐいまれな技術的到達点を表し、墳墓によって権力を象徴した日本列島の人々の歴史を物語る顕著な物証です。
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世界遺産 文化遺産オンライン (nii.ac.jp)
『部落問題と原爆の町 ふくしま百年のあゆみ』(田阪正利編、部落問題研究所、20000501)
内容
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若い人たちへの贈り物 |
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苦楽をともにしたあゆみ |
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推薦の辞 |
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序にかえて 軍都・広島と庶民 |
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一 軍都・広島の形成 15
1 鎮西鎮台第一分営/2 鉄道と港湾の整備/3 専制的権力の確立
二 兵役と暮らし 22
1 日本の軍事行動/ 2 兵役と労働力/ 3 戦争犠牲者と国の責任
三 戦費調達と県民の生活 31
1 戦費/ 2 戦争と県民の生活
四 軍備拡張の思想 36
1 日清戦争・その後/ 2 軍備拡張の思想 |
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| Ⅰ |
わが町「ふくしま」 |
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一 広島市と福島町-地勢と産業 41
1 デルタの町/ 2 軍需/ 3 川田村から福島町へ
二 底辺の暮らし 50
1 缶詰工場/ 2 年季奉公/ 3 乳幼児死亡
三 戦前の福島の活動1 組織的活動 60
1 福島町民一致協会の活動/ 2 県水平社福島支部の活動
四 戦前の福島の活動2 課題別活動と町民有志の活動 67
1 夜学校と福島小学校/ 2 青年団と子供会活動/
3 福島の医療機関/ 4 福祉・医療及びその他の活動
五 総括 79
1 戦前、福島の解放運動のあゆみ/ 2 戦前から戦後の活動へ/
3 福島町と「解同」 |
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| Ⅱ |
福島の原爆災害 |
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一 被害者と加害者 91
1 弔いと祈り/ 2 終戦の詔勅/ 3 アメリカの良心
二 劫火 98
1 学徒動員/ 2 救護活動/ 3 それから
三 若い人たちに伝えたい-未解放部落被爆者の手記 105
1 差別と貧乏/ 2 若い人たちに伝えたい
四 福島町の被害 113
1 建物の被害/ 2 人的被害/ 3 総括 |
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| Ⅲ |
原爆症 |
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一 原爆症の解明へ 123
原子爆弾災害調査研究特別委員会の結成
二 菊池日記 127
1 菊池日記/ 2 遭難/ 3 巡回診療
三 米軍による原子爆弾障害調査 134
1 リボーの日記/ 2 原爆による人体影響の調査/
3 調査資料の収集と加害調査
四 原爆行政 142
1 原爆行政/ 2 プレスコード/ 3 原爆傷害調査委員会(ABCC)
五 被爆者とともに1 151
1 ブラックボックス/ 2 治療研究体制の再建/ 3 死の灰/
4 原水爆禁止署名運動
六 被爆者とともに2 159
1 負の遺産/ 2 原子爆弾後障害研究会/
3 被爆者運動の発足/ 4 NGO被爆問題シンポジウム |
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| Ⅳ |
福島の被爆者 |
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一 福島被爆者の会の活動 173
1 福島被爆者の会の結成/ 2 福島被爆者の会の活動/
3 運動の発展/ 4 手記集『壁』の発行
二 貧困と被爆の後遺 182
1 老人実態調査から/ 2 病院のカルテから |
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| Ⅴ |
戦後、福島の解放運動 |
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一 戦後の福島 190
1 戦後の福島/ 2 太田川放水路改修反対闘争
二 「住みよい町づくり」の運動 195
1 診療所・病院建設と生協運動/ 2 子ども会活動/
3 住環境の整備とその影響/ 4 高齢者福祉の運動/5おわりに |
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参考資料 |
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あとがき |
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『ヒロシマ・アメリカ 原爆展をめぐって』(直野章子著、溪水社、19971001)
内容
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本書の公刊に寄せて |
大牟田稔(広島平和文化センター理事長 ) |
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はじめに-過去を振り返る日本とアメリカ |
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| 1 |
アメリカと原爆 |
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| 2 |
原爆展開催への序幕 |
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| 3 |
厚い壁-原爆展開催準備- |
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| 4 |
原爆展開催 |
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| 5 |
広島平和セミナーの旅 |
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おわりに |
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『原爆の図 描かれた「記憶」、語られた「絵画」』(小沢節子著、岩波書店、 20020725)
内容
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はじめに |
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| Ⅰ |
前史二人の画家 |
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| 1 |
丸木位里水墨の自由 |
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生い立ち―絵の世界との出会い/自己表現の術を求めて-社会主義運動への参加/水墨の発見とシュルレアリスム |
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| 2 |
赤松俊子 自己実現の物語 |
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促される自立とセクシュアリティ/「女流画家」への道/ミクロネシア体験の意味/位里との出会いとモスクワ再訪 |
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| 3 |
戦時下の画家夫婦 |
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相互の影響とそれぞれの画業/太平洋戦争下の絵本 |
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| Ⅱ |
生成原爆の表象 |
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| 1 |
広島へ、広島から |
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八月六日からの「距離」/「新しい時代」の政治と美術/裸体と群像-よみがえる記憶 |
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| 2 |
二 描かれた被爆体験『ピカドン』と初期「原爆の図」 |
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「体験」の集積(1)生者と死者の記憶/「体験」の集積(2)山端庸介の写真/記憶の器―小さな絵本と大きな絵本/破綻する構成と「リアリズム」 |
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| 3 |
表現の力 |
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裸体と女・子ども/小さきものへのまなざし/共同制作の意味 |
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| Ⅲ |
旅 人びととの出会い |
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| 1 |
「逆コース」のなかの全国巡回展 |
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|
巡回展の実態/メディアとしての「原爆の図」/巡回展の担い手たち |
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| 2 |
語りのはたらきと「原爆の図」の大衆性 |
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語りと祈り/「焼け死んだややこ」の話/母子像と少女像の浮上/せめぎあう大衆意識 |
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| 3 |
平和運動と中期「原爆の図」 |
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|
占領の終結と「原爆の図」の変化/消された富士山―迷走するナショナリズム/批判と共感 |
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| 4 |
世界巡回展の光と影 |
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|
ミッシング・リンクとしての世界巡回展/旅路の果て-母の死 |
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|
| 終 |
展開二 十世紀の体験を描く |
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|
「原爆の図」の帰国と制作の再開/アメリカ展の衝撃/後期「原爆の図」の物語/世紀を超えて-「原爆の図」の発見 |
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註 |
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あとがき |
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III …143
『原爆体験 六七四四人・死と生の証言』(濱谷正晴、岩波書店、20050607)
内容
| 部章 |
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| はじめに |
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未完の課題/被爆者調査40年/被爆者の苦しみは「被爆者であること」それ自体です/原爆とのつばぜり合い/原爆被害を受忍させる国/比類なき「証言」資料/原爆体験の重さと深さを測定する/分析対象としての6744人/<心の傷>と<体の傷>、そして<不安>/<反原爆>思想の人間的必然性 |
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| 1 |
「あの日」・・・・・・・・・・・1 |
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| 1-1 |
〈心の傷〉・・・・・・・・・・・3 |
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1「これが人間か?!」・・・・・・・・・4
2「あの日」の証言・・・・・・・・・・13
3〈子ども・女・年寄り〉―絶滅の対象・20
4 極限状況下の〈母と子〉・・・・・・32
5〈無感動〉・・・・・・・・・・・・・53
6〈心の傷〉・・・・・・・・・・・・・80 |
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| 2 |
「それから」・・・・・・・・・・85 |
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| 2-2 |
〈体の傷〉・・・・・・・・・・・87
1〈持続する死〉―原爆死没者の推移・・87
2〈直後の死〉・・・・・・・・・・・・90
3〈その後の死〉・・・・・・・・・・・95
4 原爆の傷害作用―外傷・熱傷および急性放射線傷害・・102
5 その後の健康状態・・・・・・・・・110
6 複合する健康被害・・・・・・・・・116
7〈体の傷〉がもたらした苦しみ・・・・121
8〈体の傷〉―「病気がちになったこと」・・129 |
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| 2-3 |
〈不安〉・・・・・・・・・・・・135
1 被爆者であるために〈不安〉なこと・135
2 被爆者はなぜ、〈不安〉を抱くのか?―〈体の傷〉との関係を中心に・・138
3〈心の傷〉が〈不安〉をつのらせる・・148
4〈生きる苦しみと不安に満ちた生〉・・152 |
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| 3 |
生きる・・・・・・・・・・・・・165 |
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| 3-4 |
〈原爆〉にあらがう・・・・・・・167 |
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1〈生きる意欲〉・〈生きる意味〉の喪失・・168
2“自死”―〈生きる意欲喪失〉の極限・178
3 苦しみが重なるとき・・・・・・・・184
4〈生きる支え〉・〈生きる糧〉・・・・194
5 原爆被害者の層化
総括表が語りかけること・・200
6 死者に思いを馳せ、仲間とともに歩む・・205 |
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| 3-5 |
戦なき世を―むすびに代えて・・・219 |
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1 原爆被害の〈反人間性〉を問う・・・219
2「助けず逃げた」―罪の意識が物語るもの・・225
3 原爆体験の全体像を再構成する ―データベース・・250
4「受忍」と「沈黙」を強いる社会をのりこえる・・254 |
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おわりに 263 |
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『被爆二世の問いかけ 再びヒバクシャをつくらないために』(全国被爆二世団体連絡協議会・原水爆禁止日本国民会議編、新泉社、20010715)
内容
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はじめに3 |
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広島からのメッセージー10 |
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長崎からのメッセージー12 |
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| Ⅰ |
被爆二世問題の理解のために 15 |
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被爆二世問題とは何か 16 |
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<コラム>被爆体験をどう継承してゆくか 22 |
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被爆二世の体験と願い 24 |
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夕力ちゃんが死んだ日 24 |
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語らなかった父 31 |
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今なお続く健康不安 35 |
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<コラム>三世はどうなるのでしょうか 40 |
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このような思いを二度としないですむ世の中に 42 |
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被爆二世の誇り 44 |
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二世運動に参加するまで 47 |
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被爆二世運動の今後の課題 52 |
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韓国被爆二世の思い 56 |
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<コラム>日韓被爆二世の交流 62 |
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<コラム>「韓日被爆二世シンポジウム」共同宣言 64 |
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| Ⅱ |
放射線の遺伝的影響 67 |
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放射線の遺伝的影響 68 |
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<コラム>「韓日被爆二世シンポジウム」共同宣言 64 |
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放射線の次世代への影響 86 |
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| Ⅲ |
被爆二世健康影響調査の問題点 119 |
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放射線影響研究所と被爆二世健康影響調査 120 |
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だれにとっての、何のための調査か 125 |
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| Ⅳ |
被爆二世問題の解決に向けて 135 |
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被爆二世運動の現状と課題 136 |
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<コラム>共和国の二世との初めての出会い 146 |
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資料 |
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(1)被爆二世運動の概要 148 |
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(2)被爆者援護法に基づく被爆者対策 150 |
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(3)被爆二世健康診断 154 |
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(4)被爆二世・三世の要求 156 |
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(5)国の見解と被爆二世団体の主張 157 |
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(6)被爆二世健康影響調査(二世調査) 161 |
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(7)各自治体の被爆二世対策 165 |
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被爆者からのメッセージ173 |
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<コラム>被爆体験をどう継承してゆくか 22
<コラム>三世はどうなるのでしょうか 40
<コラム>日韓被爆二世の交流 62
<コラム>「韓日被爆二世シンポジウム」共同宣言 64
<コラム>「韓日被爆二世シンポジウム」共同宣言 64
<コラム>共和国の二世との初めての出会い 146 |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。