全日本損害保険労働組合
| 全日本損害保険労働組合被爆20周年記念碑 建立年月日:1965(昭和40)年8月6日 場所:広島市・平和記念公園 |
| [正面上] なぜ あの日は あった なぜ いまもつづく わすれまい あのにくしみを この誓いを[正面前] 被爆二十周年記念之碑[裏面] 昭和四十年八月六日 全日本損害保険労働組合 |
| 現在は、移築された位置にある。 |
| 撮影日:2020年8月6日 |
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| 撮影日:2015年8月6日10:45 |
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全日本損害保険労働組合
| 全日本損害保険労働組合被爆20周年記念碑 建立年月日:1965(昭和40)年8月6日 場所:広島市・平和記念公園 |
| [正面上] なぜ あの日は あった なぜ いまもつづく わすれまい あのにくしみを この誓いを[正面前] 被爆二十周年記念之碑[裏面] 昭和四十年八月六日 全日本損害保険労働組合 |
| 現在は、移築された位置にある。 |
| 撮影日:2020年8月6日 |
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| 撮影日:2015年8月6日10:45 |
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動員学徒犠牲者の会原爆死没者追悼式
| 撮影日:20200806 |
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『ヒロシマ日記』(蜂谷道彦著、朝日新聞社 1955年9月25日)
広島逓信病院・原爆資料展(2000年6月7日)にて撮影
| 発行年 | 翻訳語 | |
| 1955 | 米HIROSHIMA DIARY,Translated & edited by Warner Wells, Copyright 1955 by The University of North Carolina Press. |
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| 1955 | イギリス | ![]() |
| 1955 | オランダ | ![]() |
| 1955 | イタリア | ![]() |
| 1956 | ドイツ | ![]() |
| 1956 | チェコ | ![]() |
| 1956 | スウェーデン | ![]() |
| 1957 | フランス | ![]() |
| 1957 | ラトビア | ![]() |
| 1957 | スロバキア | ![]() |
| 1958 | 英語普及版 | ![]() |
| 1959 | ポルトガル | ![]() |
| 参考文献 |
1)「広島の原爆雑話 その1~その12」(逓信医学2巻1号~4巻4号 1950年8月~52年11月) 2)蜂谷道彦など「{座談会}原爆の思い出を語る」(「郵政」1952年8月)(「広島原爆医療史」に再録) 3)中国電気通信局「広島原爆誌」(1955年8月6日) 4)広島市役所「広島原爆戦災史」第三巻(1971年10月6日) 5)「ヒロシマ日記」(法政大学出版局 1975年6月30日) |
原爆の絵 動員学徒の碑
| 場所:広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク |
| 撮影日:2021年7月5日 |
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『広島県の歴史』( 岸田裕之編、山川出版社、19991125)
内容
| 章節 | 見出し | メモ(執筆者など) |
| 風土と人間 境目の協同性 | 岸田裕之 | |
| うち「方言風土と広島県方言」(室山敏昭) | ||
| 1章 | 芸備の自然と地域の形成 | 西別府元日 |
| 1 | 環境変化のなかのハンターたち | |
| 海はるかの地に生きる 食の改革・器の創造 縄文の海きたる |
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| 2 | 稲作の開始と地域社会の形成 | |
| 分立する地域文化圏 [コラム]原始社会からのタイムカプセル・帝釈峡遺跡群 広島県域のムラとクニ 矢谷四隅突出型墳丘墓の登場 |
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| 3 | 芸備地方と大和政権 | |
| 古墳の登場と大和政権の浸透 国造制と部民制と塩やく民・鉄うつ民 |
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| 2章 | 古代国家と芸備の民衆 | 西別府元日 |
| 1 | 律令国家の誕生と芸備の人びと | |
| 安芸国・備後国の誕生 [コラム]謎の古代山城、常城・茨城 山の槫・鉄、海の塩 山陽道と内海の道 水切り瓦と国分寺 [コラム]地下に眠る文字資料・墨書土器 |
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| 2 | 芸備地方への回帰 | |
| 「国例」の時代へ 「海賊」問題と瀬戸の社会 古保利・青目寺の仏と芸備の神々 |
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| 3章 | 土着の領主と東からきた領主 | 岸田裕之 |
| 1 | 三篠川と太田川 | |
| 高田郡三田郷の伝領と源頼信 山県郡凡氏と佐東倉敷 材木資源と河川流通 |
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| 2 | 国衙と守護・地頭… | |
| 佐伯景弘と葉山頼宗 藤原親実と佐東の武田氏 [コラム]世界遺産 尾道と「悪党」 東からきた領主 |
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| 4章 | 境目地域の領主連合 | 岸田裕之 |
| 1 | 動乱の世相 | |
| 地頭領主の成長と地域信仰 「中国」の成立 安芸国人一揆 分郡主武田氏 |
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| 2 | 国人と大名 | |
| 国人領主の惣領権 守護山名氏の備後国支配 大内氏と東西条 [コラム]備後砂 [コラム]書違 |
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| 3 | 境目の盟主 | |
| 高橋氏の領域と性格 国人領主連合の発展 堀立直正と能島村上氏 [コラム]能島村上氏の過所旗 |
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| 5章 | 戦国時代の安芸・備後 | 秋山伸隆 |
| 1 | 毛利元就の登場 | |
| 天文十九年の毛利元就 戦国大名としての自立 [コラム]毛利元就の調略 織田政権との対決 戦国の合戦 |
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| 2 | 毛利氏領国の構造 | |
| 家中と国家 戦国大名毛利氏の軍事力 [コラム]中世遺跡へのアプローチ 散使と目代 |
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| 3 | 豊臣政権下の毛利氏領国 | |
| 「天下」と「国家」 広島築城 惣国検地と村請 [コラム]「八箇国御時代分限帳」を読む …155 |
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| 4 | 中世の生活と文化 | |
| 信仰と交流 『身自鏡』の世界 [コラム]戦国武士と『源氏物語』 |
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| 6章 | 幕藩制下の芸備地方 | 中山富広 |
| 1 | 大名権力と芸備の民衆 | |
| 福島氏の入国と改易 広島藩と福山藩の成立 「泰平」の実現と開発の時代 |
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| 2 | 百姓の世界と村 | |
| 領主の理念と近世村落 村人の世界 [コラム]山内の生活 村の生活と年中行事 |
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| 3 | 城下町の成立と芸備の都市 | |
| 城下の町割を読む 町と町人の形成 /門前・港町の繁栄 |
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| 7章 | 幕藩体制の成熟と民衆 | 中山富広 |
| 1 | 進む経済社会化 | |
| 芸備特産地帯の形成 行き交う人びとと船舶 経済の発展と「民力」 |
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| 2 | 豪農商=「資本」家の登場 | |
| 土地と金融 豪農商立ちの社会事業 [コラム]たくましい女性の姿 城下町の光と影 |
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| 3 | 近代への試練 | |
| 開国とその影響 長州戦争と広島・福山藩 「御一新」と芸備地方 |
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| 8章 | 教育・文化の展開と宗教 | 頼祺一 |
| 1 | 武士教育と民衆教育 | |
| 広島藩・福山藩の学者の登用 竹原町人の学問の受容 修道館と誠之館 菅茶山と廉塾 |
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| 2 | 朝鮮通信使との文化交流 | |
| 朝鮮通信使の来日 広島藩における通信使との文化交流 [コラム]安芸門徒と講中 備後国における通信使との文化交流 |
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| 9章 | 近代の広島 | 児玉正昭 |
| 1 | 広島県の成立 | |
| 明治四年の大一揆 広島県の成立 地租改正と太政菅官布告 啓蒙思想家窪田次郎 [コラム]青年団育成の母山本滝之助 |
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| 2 | 軍事県広島の成立と発展 | |
| 第五師団と呉鎮守府 山陽鉄道と広島大本営 日露戦争と広島 |
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| 3 | 移民県広島 | |
| 出稼ぎの風土 海外への移民 産業の発達 |
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| 4 | 大正デモクラシーと広島 | |
| 共同苗代反対運動から憲政擁護運動 [コラム]銘醸地広島の基礎をきずいた三浦仙三郎 米騒動と民衆運動の高揚 教育の普及 軍事県と移民県 |
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| 10章 | 戦争と平和の時代 | 宇吹暁 |
| 1 | 十五年戦争と広島県 | |
| 郷土部隊の行動 大久野島毒ガス工場 県内への空襲 原爆被爆 [コラム]スミソニアン原爆論争 |
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| 2 | 廃墟からの出発 | |
| 復員・引揚げ・帰国 占領下の戦争被害者 原爆被害者と大久野島毒ガス障害者 |
||
| 3 | 核兵器廃絶をめざして | |
| 占領期の平和運動 原水爆禁止運動 国際平和都市をめざして [コラム]戦争遺跡 |
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| 付録 | ||
| 索引/年表/沿革表/祭礼・行事/参考文献 | ||
叢書名 県史 , 34
原爆遺跡後世に伝えて―『赤旗』1992年8月6日
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ゲーンス先生(広島女学院)墓碑
| 撮影日:2021年7月5日 |
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| 撮影日:2002年3月7日 |
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| 撮影日:2003年5月17日 |
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大森正信<作業中>
資料年表:大森正信
| 日本科学者会議広島支部事務局長 | |
| 原水爆禁止日本協議会 | |
| 2002 | |
| 0131 | 撮影日:2002年1月31日![]() |
| 2015 | |
| 1217 | 大森正信 広島県原水協筆頭代表理事・佐久間邦彦広島県被団協理事長ら4人、原爆被爆者養護ホーム「舟入むつみ園」と「矢野おりづる園」を訪問、全国から寄』せられた被爆者への「見舞金」あわせて300人分を届ける。<『原水協通信 On The Web』> |
広島赤十字病院慰霊碑
| 建立年月日:1959年12月8日 |
| 所在地(建立当時):広島市千田町・広島赤十字病院 |
| 所在地(現在):広島県広島市中区千田町2-5-64 |
| 撮影年月日:2021年7月5日 |
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| (正面)(原文左横書)慰霊 (裏面) 昭和三十四年十一月吉日建之 日本赤十字社 |
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| 〔説明板〕(仏文略)
死はこの市に住む人々をも その後人類は一体となって 赤十字はこの福祉の業に |
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広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク
| 所在地:広島県広島市中区千田町2-5-64 |
| 撮影日:2021年7月5日 |
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| (資料) https://www.hiroshima-med.jrc.or.jp/brandnew/page2.php |
| メモリアルパークの移設について病院敷地の東端に以前ありました被爆遺跡(歪んだ窓枠)等のモニュメントを移設し、平成25年7月2日に「広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク」がオープンしました。当日は日本赤十字社名誉副総裁である高円宮妃殿下によるご供花が行われ、多くの方々にご参列いただきました。モニュメントが設置されていた一帯に新棟を建設する計画となったことから、検討を重ねた結果、移設先は今後の病院の建て替え等で長期に亘り影響の出ない日本赤十字社広島県支部の敷地となりました。平和と人権尊重の重要性を語り継いでいく役割を担っているメモリアルパークを、平和教育の一環としても継承していきたいと考えています。また、既存メモリアルパークが466.0㎡であるのに対し約600㎡に面積を拡張させ、毎年8月6日に行われる慰霊式では、より多くの方に参列して頂けるよう配慮しています。 |