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碑いしぶみ(二中)

『碑 いしぶみ(人類の記録シリーズ)』(広島テレビ放送編、ポプラ社刊、1970/06/20)

内容

見出し 備考
<口絵>広島二中の慰霊碑
<口絵>原爆の子の像
<図>広島市原爆被災地図
はじめに
009 その日の朝
020 河本君の日記から
034 本川土手の集合
038 爆発の瞬間
050 川の中で
058 脱出から再会へ
083 郊外へ
088 その夜
104 お寺の救護所で
111 寄宿舎から平良村へ
118  寝られぬ両親
123 あくる朝
141 避難する途中で
185 ゆくえのわからない生徒たち
198 そして全滅した
206 あとがき 薄田純一郎(「碑」プロデューサー)
212 原爆死亡者の名簿
214 <絵>小林勇作「原爆傷者の滝」(1954年)

 

ゆうかりの友

『ゆうかりの友』(広島県立一中被爆生徒の会編・刊、1974/05/01)

内容<作業中

<詩>ゆうかりの友 原邦彦
<写真>追憶之碑
<写真>
<写真>慰霊祭
<図>広島一中生徒職員罹災状況一覧 附罹災場所
<図>広島県立第一中学校平面図
はしがき 原邦彦(級友の一人)
005脱出生徒の記録
048先生による記録
056ご遺族からのアンケート
314生き残った生徒の手記
322広島一中一年生寄宿舎の思い出
342原爆犠牲者の名簿 教職員(計15名)
生徒(計354名)

 

 

 

星は見ている 全滅した広島一中一年生・父母の手記集

『星は見ている 全滅した広島一中一年生・父母の手記集』(秋田正之編、鱒書房、1954/08/03)

タイトル 備考
口絵
原爆爆心地周辺要図
旧広島一中鳥瞰図
広島周辺要図
はじめに 秋田正之(広島一中遺族会長)
009
転がっていたおむすび 益田美佐子 9
お母ちゃん、顔が見えない 渡辺重子 20
腕白で元気だった弟 長幸子 28
見つからない死体 佐々木乃文江 36
辿りついて十四時間の命 平野逸三 41
ゆるせない 藤尾久 44
熱い、体が焼ける 堀輝人 46
幽霊を追って 三保綱太郎・妻 58
苦しい、殺して 岩井国次郎 61
一籠のトマトでも 檀上竹男・妻 62
浄土に羊羹はあるの? 山本康夫 70
茶碗酒 高橋忍 77
読み上げられた死亡者名簿 川村三子 78
死のうわごと 大土省三 81
焼けついた学帽 秋田正之 86
楽しかった水浴びの日 花谷本六 90
眼鏡サック 片山誌子 97
一夜だけの看護 服部園 98
なくなったユーカリの樹 岡田佐美子 103
担架で微かに歌う校歌 須子剛 108
笑顔で死んでいった子 正木生虎 110
二郎は眼鏡をかけた丸顔の子 藤野君子 126
骨片 信濃俊次郎 128
豆タンクの大関 宇都信 131
屍に乳房をふくませて 池田武夫 136
悲しみの母 法貴みさる 138
焼けた弁当箱 上野平嘉太郎 142
お下がりの洋服 大西堅子 148
遺骨を蚊帳の中に 柳武 152
うどん 白川初美 159
頭髪もなく状袋一枚 岡田三郎 162
もう帰ってこない 吉富秀子 166
君は見ている 藤野としえ 168
読後感
安倍知二 作家
荒垣秀雄 朝日新聞論説委員
石垣綾子 評論家
石川達三 作家
植村環 日本YWCA会長
長田新 日本教育学会会長・子供を守る会会長
中島健蔵 文芸評論家
中野好夫 評論家
波田野勤子 児童心理学者
古谷綱武 評論家
森戸辰男 広島大学学長

 

 

袋町国民学校

袋町国民学校

 『広島原爆戦災誌』(第4巻)64頁
 学校再開の状況
疎開児童たちは、広島市内の各家庭が破壊されたままであったから、帰広させる訳にもゆかず、その目安もつかないままに、疎開先で日を過した。しかし、こうしているうちに縁故者が疎開地を訪れ、ほとんどの児童を引取っていった。
九月も終るころ、引取手のない児童を内田常吉訓導が引率して帰広することになった。しかし、この引揚げも容易ではたくて、芸備線は水害のために寸断され、徒歩連絡するところが多く、朝、三次駅を出発して、広島駅に到着したのは、夕方電灯のともるころであった。
 昭和二十一年六月になり、やっと開校の運びとなった。当日登校した児童は三七人、教職員は三人である。開校を知らせる方法は、教職員が自宅から持参した紙に開校する旨を書き、弁当の一部を糊の替りにして、焼け石や塀に貼りつけて連絡方法とした。登校児童が少ないのは、学区内に居住者がごく僅少のためであるが、後には、市周辺部に寄寓している児童も開校を知って、遠くから通学するようになり、次第にその数を増した。教職員が少ない理由は、生存者の少ないことは無論ながら、市内に教職員が居住しようにも住む家がないのと、教職員各自の事情によっては、勤務する学校を何処に選んでもよいという内諾を、当局から得ていたため、市内の学校に奉職するものが少なかったためである。
いざ開校はしたものの、教室は荒れ放題で、教具・教材は一物もなく、その日から教職員の努力で、すべてを造り出さなければならなかった。各自が硯・墨・筆を持ち寄り、板を探してきて墨を塗り、焼釘を石で打つなどして黒板を作り、ムシロを敷きつめ、その上に石炭箱を並べて、机の代用とするといった急造教室を造り上げた。
 2015年8月1日
 第39回袋町地区原爆死没者慰霊祭 同慰霊夏祭り
  出典:『被爆70周年記念事業 原爆死没者慰霊式典の記録』(広島市、2016年1月)

 

 

原爆少年サッカー魂 W杯サッカー日本の礎

『原爆少年サッカー魂 W杯サッカー日本の礎』(今子正義著、南々社、2014/05/25)

内容

まえがき
1 原爆後の高校サッカー王国広島への苦闘 11
原爆で一瞬にして壊滅した広島市の中心部 12
九死に一生を得て地獄を見た原爆少年たち 13
ピカドンから逃れた蹴球少年・長沼健 14
中学2年生の被爆体験・下村幸男 16
神が生かしておいた蹴球少年 21
被爆体験のあるサッカーの名選手たち 22
被爆から17年後に樹立した栄光の記録 27
2 サッカーを絞技とした名門ライバル校の復活 29
終戦・日本が無条件降伏 30
広島の名門校の被害状況 31
再起から授業再開 34
原爆少年たちの胎動 35
蹴球班の再建 36
ないない尽くしの練習 39
3 高校サッカー広島の黄金時代幕開け 47
中等学校のサッカー大会再開 48
学制改革で全国高等学校蹴球選手権大会となる 49
原爆後のサッカーライバル校の戦績 50
〈年次別>1946年(昭和21)~1963年(昭和38) 50
〈学校別〉①広島大学附属高校 ②国泰寺高校 ③修道高校 ④山陽高校 58
4 ライバル4校の全国大会熱戦記 63
広島大学附属高校 64
国泰寺高校 97
修道高校 104
山陽高校 162
5 原爆少年の生い立ち 175
長沼 健 177
渡辺 正 180
宮本輝紀 185
小城得達 190
森 孝慈 196
6 メキシコ・オリンピック奇跡の銅メダル 209
監督と主力選手4人は原爆少年たち 210
日本代表選手レギュラーメンバーのプロフィール 212
銅メダルへの戦績 213
手記/宮本輝紀 森 孝慈 219
7 日本サッカー協会殿堂入り 223
日本サッカー殿堂 224
殿堂入りした5人の原爆少年たち 225
各人の掲額肖像レリーフと人物史 225
8 戦前の広島サッカーライバル校 231
文武両道の名門校の歴史、伝統、遺産 232
広島一中/蹴球部創設者 松本寛次 233
広島高師附属中/蹴球部創設者 出射栄 234
修道中/初代部長 秋山元英 235
山陽中 236
広島サッカーの偉大な先輩たち 238
広島一中/野津謙 山崎芳樹 小畑実 渡部英麿 重松良典 福原黎三 238
広島高師附属中/手島志郎 野沢正雄 長沼健 244
修道中/藤田正明 銭村健次 下村幸男 248
9 広島サッカー功労者のメッセージ 253
広島県サッカー協会 小城得達会長 254
広島県サッカー協会 重松良典顧問 266
参考文献・資料 270
あとがき 274
備考

 

移民 中国新聞創刊100周年記念企画

『移民 中国新聞創刊100周年記念企画』(中国新聞「移民」取材班著、中国新聞社、1992/09/20)

内容

タイトル 分担
はじめに
1 ハワイ編 島津邦弘
ハワイ 「真珠湾」半世紀のうずき 4
ビッグアイランドの盛衰 20
日系社会のきずな 40
2 北米大陸編
アメリカ 田城明
ピクチャーブライド 56
強制収容を免れて 71
土に生きて今 87
3世の時代 102
カナダ 西本雅実
故郷パウエル街 124
日系再生へ 147
3 中南米編
ブラジル 西本雅実
 デカセギ 166
「赤い土」に挑んで 188
もう1つのニッポン 204
ペルー 小野増平
混迷いつまで 226
パラグアイ 小野増平
沼隈移住団の35年 250
アルゼンチン 小野増平
パンパに生きる 274
ドミニカ 高本孝
夢破れ募る望郷 290
メキシコ 高本孝
流浪・再移住 辛苦の軌跡 298
4 アジア・オセアニア編
旧満州 佐田尾信作
「王道楽土」の幻 306
祖国はいずこ 320
フィリピン 井上浩一
ニューカレドニア 田城明
コロニーの忘れ形見 336
オーストラリア 田城明
 白豪主義を超えて 360
鉱山の島の1世紀 376
5 ニッポン編
ニッポン
遠来の隣人たち 398
「ガイジン」と呼ばれて 413
デカセギ引受人 429
絆求めて 443
あとがき 455
資料編 460
人名索引

 

広島県立第二中学校慰霊碑

広島県立第二中学校慰霊碑

 

建立年月日:1961(昭和36)年8月6日
場所:広島市・平和記念公園
[正面]慰霊碑
[正面右下]
戦災並に原爆にて戦没された、元広島二中職員生徒三百五十二名のなつかしい名簿を此の碑の裏面に記し、永久の思い出と慰霊のよすがと致したいと思います。

昭和三十六年八月六日遺族一同

 

 

 

広島県立第二中学校歌碑

広島県立第二中学校歌碑

建立年月日:1953(昭和28)年8月6日
場所:広島市・平和公園
正面
なくさめの言葉
なけれはたた泣かむ
汝かおもかけと
いさをしのひて
元広島二中校長 古田兵衛
裏面
嗚呼 昭和二十年八月六日
学徒動員作業中戦災並に原爆により教官七名生徒三百四十三名平和の礎となる
昭和二十八年八月六日
広島県立第二中学校
遺族一同建之