『核時代の平和学』(日本平和学会編、時事通信社刊、 19760815)目次(抄)
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川田侃 |
まえがき |
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関寛治 |
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| Ⅰ |
核に覆われた世界の危険性 |
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進藤榮一・(討論者)白鳥令 |
国際危機と核抑止 |
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森利一・(討論者)西川潤 |
第三世界への核拡散 |
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丸山益輝・(討論者)袖井林二郎 |
平和的核開発の限界 |
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山田浩・(討論者)関寛治 |
米ソ核戦略の展開と批判 |
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D・ゼングハース・(討論者)鴨武彦 |
軍拡力学と軍縮 |
| Ⅱ |
核抑止論からの脱出 |
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木村修三・(討論者)増田祐司 |
核拡散防止条約体制を超えるもの |
|
岸田純之助・(討論者)小山内宏 |
非核武装地域の可能性 |
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R・フォーク・(討論者)田畑茂二郎 |
非核未来秩序計画 |
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文沢隆一・庄野直美(補論)・行宗一(討論者) |
被爆者の現状と問題点 |
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永井秀明・(討論者)浮田久子 |
平和教育の構造と平和研究の課題 |
| Ⅲ |
核軍縮と平和研究の課題 |
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坂本義和 |
核軍縮と平和研究の課題 |
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関寛治 |
報告・討論のまとめ-核時代の平和学における争点の展開 |
| 付録 |
D・ゼングハース |
欧米の平和研究の成果と課題 |
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R・フォーク |
非核世界の実現は幻想か |
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| 夏の核問題会議から |
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被ばく30年・広島国際フォーラム |
8月3日・4日 広島 |
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パグウォッシュ国際シンポジウム―完全軍縮への新しい構想 |
8月28日―9月1日 京都 |
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日本平和学会―核と平和 |
9月3・4日、広島 |
国連軍縮特別総会(1978)
(日本平和学会『平和研究 第4号』19790620)
| 加藤俊作 |
国連軍縮特別総会の経緯と展望 |
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<資料>国連軍縮特別総会における最終文書(外務省情報文化局提供仮訳) |
| 蔵田雅彦 |
<資料>NGOの日における六つの平和研究所の演説全文 |
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国際情報センター(米国) |
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世界経済国際関係研究所(市冷えと連邦科学アカデミー) |
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ウィーン国際平和研究所 |
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国際平和研究学会(IPRA) |
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スタンレー財団 |
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ストックホルム国際平和研究所 |
| 佐藤栄一 |
<報告>国際平和探求へのたゆみなき実践―ストックホルム国際平和研究所 |
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「平和運動の理論と行動」
(日本平和学会『平和研究 第4号』19790620
| 著者 |
タイトル |
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| 斉藤孝 |
社会主義運動と平和 |
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| 高橋進 |
<討論>後発の異質システム |
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| 宮田光雄 |
キリスト教平和運動の思想 |
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| 和田春樹 |
<討論>韓国におけるキリスト者の平和運動 |
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| 馬場伸也 |
戦前日本の平和運動と思想 |
|
| 栗原彬 |
<討論>日本型の平和の意味論 |
|
| 日高六郎 |
戦後日本の平和運動 |
|
| 北西允 |
<討論>原水禁運動の軌跡 |
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| 大田昌秀 |
<研究ノート>沖縄の平和思想について |
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| 鎌倉孝夫 |
<論稿>経済と軍事-一つの賞え書 |
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『平和研究』の中のヒロシマ=目次抄
| 号 |
タイトル |
備考(著者など) |
| 01 |
発行年月日19760405 |
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日本平和学会(PSAJ)設立趣意書 |
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特集:平和研究の方法 |
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「1974年度第2回大会でのシンポジウムの内容を基礎にしてこれを編集しなおしたもの」 |
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平和科学の一視点 |
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森祐二(広島大学平和科学研究センター) |
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<書評>『核放射せんと原爆症』(庄野直美・飯島宗一著 |
森一久 |
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<書評>『平和の探求』(岡蔵古志郎・丸山益輝・関寛治編) |
白鳥令 |
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<書評>試案「平和教育カリキュラム自主編成の手びき」 |
浮田久子 |
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原爆被災文献目録と解題の試み-資料・体験記・運動・文学の部 |
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長岡弘芳(原爆体験を伝える会会員) |
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| 02 |
発行年月日19770425 |
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巻頭言:平和価値と平和教育 |
山田浩之 |
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特集1:平和価値 |
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特集2:平和教育 |
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広島における平和教育の歩みと今日の課題 |
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大槻和夫(広島大学助教授=教育学) |
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戦後平和教育運動の歩み
第1期(1945~50年)知られざるヒロシマの怒りの時代
第2期(1950~55年)爆発するヒロシマの怒りの時代
第3期(1955~65年)ヒロシマの解消を迫られる時代
第4期(1965~今日)ヒロシマの復活と抵抗創造の時代 |
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「平和教育」への問題提起 |
山本満 |
|
日本と海外の平和教育の接点をさぐる |
浮田久子 |
|
平和のための平和を体した教育 それは可能か |
J・ガルトゥング |
|
<書評>創価学会青年部反戦出版委員会編<戦争を知らない世代ヘ>シリーズ |
江川潤 |
|
<書評>山田浩・関寛治・永井秀明・石田明・庄野直美 ヒロシマからの報告 |
川田侃 |
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草創期日本の平和研究者:比較的考察 |
森祐二 |
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| 03 |
発行年月日19780520 |
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特集: 日本国憲法ー国内体制と平和 |
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<海外学界動向> |
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IPRAの平和教育分科会に出席して |
浮田久子 |
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「『ハダシのゲン』の英訳本が、ヨーロッパでは意外に不評」 |
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<書評>NGO被爆問題国際会議広島専門委員会・広島平和教育研究所 共編 『ヒロシマで教える』―核時代の平和教育 |
松元寛 |
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<書評>読売新聞大阪本社社会部編 『 新聞記者が語りつぐ戦争』 第1巻~第5巻 |
山川雄巳 |
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| 04 |
発行年月日19790620 |
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特集1:平和運動の理論と行動 |
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特集2:国連軍縮特別総会 |
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| 05 |
発行年月日19800910 |
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特集1:現代日本の平和保障 |
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<論稿>反核証言運動の思想的展開 |
鎌田定夫 |
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特集2:現代日本の平和教育 |
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<1979年度春季シンポジウム平和教育部会報告> |
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全国高校の平和教育実践事例から |
森下弘 |
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沖縄・広島・長崎をつなぐものは何か-証言運動にみる体験の思想化と継承の問題 |
鎌田定夫 |
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<書評>広島県朝鮮人被爆者協議会(朝被協)白いチョゴリの被爆者 |
小寺初世子 |
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| 06 |
発行年月日1982515 |
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特集1:国際紛争の構造と解決 |
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特集2:アジア平和研究国際会議 |
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<学界動向>「核戦争の危機と人類生存のための条件-ラッセル・アインシュタイン宣言の現代的意義を探る」の概要 |
岡倉古志郎 |
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<学界動向>平和研究の新しい一方向-1980年春期日本平和学会シンポジウムの報告から |
森祐二 |
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<書評>森利一・山田浩編 平和学講義 |
百瀬宏 |
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| 07 |
発行年月日19821127 |
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<巻頭言>平和研究と平和教育の接点を求めて |
城戸一夫 |
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特集1:生活様式と平和 |
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特集2:平和教育学への展望 |
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平和教育実践の総括と展望 |
森下弘 |
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特集3:非軍事化の探求 |
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核兵器禁止地域設定の問題点 |
前田寿 |
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市民運動と軍縮-欧州の反核・平和運動についての暫定的な報告 |
高柳先男 |
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<海外学界動向>核兵器と軍縮に関する国際公聴会 |
岡本三夫 |
| 08 |
発行年月日19831112 |
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特集:新国際軍事秩序を解剖する |
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<書評>婦人平和委員会 平和への願いをこめて,創価学会青年部反戦出版委員会 戦争を知らない世代へII |
橋本説子 |
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| 09 |
発行年月日19841101 |
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<会長挨拶>栗野鳳 |
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ヒロシマ・ナガサキの平和秩序の探求 |
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特集1:戦後史におけるヒロシマ・ナガサキ |
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原爆情報の疎外 |
福島新吾 |
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核戦争の危機と民衆-西ヨーロッパ平和運動の再生要因 |
立花誠逸 |
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ヒロシマとナガサキ-その意味を考える視角 |
松元寛 |
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平和と開発-「広島・長崎・沖縄」の意昧 |
西川潤 |
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特集2:アジアの平和秩序のために |
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非核アジア・太平洋への接近 |
前田哲男 |
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特集3:平和研究の現段階と平和学の課題-『平和学-理輪と課題』をめぐる誌上討論 |
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平和運動の一実践者として |
伊東壮 |
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『草の根』のための活用を |
行宗一 |
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平和研究は「学」化を急ぐべきか |
鈴木沙雄 |
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平和学-“技術による平和”ヘの疑問 |
高榎 堯 |
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平和と芸術-対談:『平和学』をめぐって |
元永定正・川端正久 |
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| 10 |
発行年月日19851109 |
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特集1:日本の“平和保障”を求めて |
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特集2:平和と地域-アフリカの飢えと国際政治- |
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<論稿>平和学講座-四国学院大学の場合- |
岡本三夫 |
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| 11 |
発行年月日19861115 |
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特集1:日本型管理社会と労働 |
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特集2:核時代の平和と第三世界 |
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特集3:アパルトヘイト |
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| 12 |
発行年月日19871107 |
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特集1:エスニシティ問題 |
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特集2:地域と平和 |
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特集3:大学における平和教育の現状と課題 |
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| 13 |
発行年月日 |
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| 14 |
発行年月日 |
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| 15 |
発行年月日 |
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| 16 |
発行年月日 |
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発行年月日 |
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| 18 |
発行年月日 |
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| 19 |
発行年月日 |
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| 20 |
発行年月日 |
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発行年月日 |
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発行年月日 |
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発行年月日 |
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発行年月日 |
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発行年月日 |
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発行年月日 |
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発行年月日 |
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| 29 |
発行年月日 |
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| 30 |
発行年月日 |
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| 31 |
発行年月日 |
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| 32 |
発行年月日 |
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| 33 |
発行年月日 |
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発行年月日 |
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発行年月日 |
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発行年月日 |
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発行年月日 |
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発行年月日 |
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| 39 |
発行年月日 |
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| 40 |
発行年月日 |
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| 41 |
発行年月日 |
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| 42 |
発行年月日 |
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| 43 |
発行年月日 |
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| 44 |
発行年月日 |
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| 45 |
発行年月日 |
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| 46 |
発行年月日 |
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| 47 |
発行年月日 |
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| 48 |
発行年月日 |
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| 49 |
発行年月日 |
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| 50 |
発行年月日 |
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| 51 |
発行年月日 |
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| 52 |
発行年月日 |
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| 53 |
発行年月日20191230 |
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日本平和学会 設立日:1973年9月10日
機関誌:平和研究(19760405創刊号)
ホームページ https://www.psaj.org/
創立前後の動向(抄)(出典:「平和研究に関する国内のおもな動き」(『平和研究』創刊号、p.201))
| 年月日 |
事項 |
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| 1966 |
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| 02 |
日本平和研究懇談会(初代会長・川田侃) |
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| 1967 |
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| 03 |
Peace Reseach In Japan(日本平和研究懇談会英文機関誌)発刊 |
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| 1972 |
|
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| 07 |
日本学術会議、平和問題研究連絡委員会(委員長・岡倉古志郎)設置 |
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| 08 |
日本平和教育研究所設立 |
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| 09 |
日本平和研究懇談会内に「平和教育研究グループ」(部会長・浮田久子)組織 |
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| 0912 |
PSSI日本支部設立準備大会開催 |
|
| 1973 |
|
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| 0528 |
日本平和学会設立準備委員会発足 |
|
| 0903 |
「日本平和学会設立」についての記者会見 |
|
| 0910 |
日本平和学会設立総会および研究会。~11日 |
|
| 1974 |
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|
| 03末 |
会員数104名になる |
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| 1975 |
|
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| 06 |
広島大学「平和科学研究所」設置 |
|
| 08 |
被爆30周年国際核フォーラム |
|
| 08 |
パグウォッシュ会議シンポジウム |
|
| 0903 |
日本平和学会第5回研究大会(広島大学)~4日 |
|
| 1976 |
|
|
| 02 |
会員数245名となる |
|
| 03 |
学会機関誌「平和研究」創刊号発刊 |
|
2020年6月(日録)
| 日 |
事項 |
| 01 |
自宅にある過去の写真の整理。 |
| 04 |
MよりiPadが届く。YとともにMから使用法の説明を受ける。 |
| 07 |
ヒロシマ遺文への投稿=「2020年5月(日録)」、「2020年6月(日録)」。 |
| 09 |
K(*新聞記者)来宅。広島県被団協資料について。 |
| 11 |
書斎と書庫の資料整理。講義の準備。 |
| 12 |
広島大学・広島女学院・県立大の講義関係資料の整理。 |
| 13 |
自宅の平和研究関係資料を整理。 |
| 14 |
自宅の広島大学平和科学研究センター関係資料を整理。 |
| 15 |
平和教育・平和研究・創価学会関係の本3箱を桜が丘の倉庫から自宅に持ち帰る。 |
| 16 |
ヒロシマ遺文への投稿=「日本平和学会」 |
| 17 |
ヒロシマ遺文への投稿=「『平和研究』の中のヒロシマ」、「『平和運動の理論と行動」、「国連軍縮特別総会(1978)」、「核時代の平和学』(目次)」。 |
| 18 |
ヒロシマ遺文への投稿=「『核の傘に覆われた世界』目次」、「被爆30年広島国際フォーラムの記録」、「『核と平和 日本人の意識』」、「「核意識構造の実態研究」グループ(庄野直美)」、「平和をねがう科学者の意見調査委員会ごあいさつ」 |
| 19 |
吉川清関係資料の整理。 |
| 20 |
吉川清・川手健・山下義宣関係資料の整理。 |
| 21 |
「閃光を背負って “原爆第一号”の足跡」(『毎日新聞(広島版)』連載 19890816~0906。担当:小松健一記者)の整理。 |
| 22 |
ヒロシマ遺文への投稿=「平和のともしび 原爆第一号患者の手記」、「「原爆一号」といわれて」 |
| 23 |
「令和2年沖縄全戦没者追悼式」(沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園)。<テレビ・新聞の報道を検討> |
| 23 |
ヒロシマ遺文への投稿=「増岡敏和」 |
| 26 |
広島市公文書館―原爆資料館―ブックオフ―広島市文化振興課―NHK |
| 27 |
広島へ。ピカ資料研究所(ピカ研)関係資料の整理。 |
| 28 |
自宅でピカ研資料の整理。 |
| 28 |
広島大学「平和と人間D」および「平和と人間C」の準備作業。翌日、大学に講義用資料のPDFファイルを送付。 |
| 29 |
自宅でピカ研資料の整理。 |
| 30 |
K(*新聞記者)来宅。広島県被団協資料について |
| 30 |
ヒロシマ遺文への投稿=「被爆者救援活動を強化するための決議」 |
2020年5月(日録)
| 日 |
事項 |
| 01 |
安浦の故西岡喜美子(私の母の短歌の先生)宅へ。甥と関係者5人と一緒に遺された蔵書・資料の仕分け。短歌社機関誌「火幻」・呉の郷土史関係資料<段ボール7箱+数束>を倉庫に持ち帰る。目録化してヒロシマ遺文で紹介することを約束。 |
| 02 |
新聞の切り抜き作業。4月10日~18日分。 |
| 03 |
新聞の切り抜き作業。4月19日~30日分。 |
| 04 |
切り抜きの分類「原爆報道」・「WHO<人物>」の整理。 |
| 05 |
切り抜きの分類「WHO」の整理。 |
| 06 |
切り抜きの分類「WHO」の整理。ほぼ終了。 |
| 07 |
切り抜きの分類「原爆報道」の整理。 |
| 07 |
ヒロシマ遺文のTOP頁を更新。 |
| 09 |
切り抜き分類「原爆報道」の整理。 |
| 10 |
学生時代の手帳・日記の情報をテキストファイル「日記」に加える。 |
| 10 |
ヒロシマ遺文への投稿=「2020年5月(日録)」 |
| 11 |
*よりスカイプでの連絡の申し出。スカイプの利用が鳴能なYのパソコンを借り、2階書斎でスカイプ利用の環境を整える。 |
| 11 |
学生時代の手帳・日記の情報をテキストファイル「日記」に加える。 |
| 16 |
桜が丘へ。広大原医研資料3箱を自宅に持ち帰る。 |
| 17 |
桜が丘へ。広大原医研資料2箱を自宅に持ち帰る。 |
| 18 |
自宅で広大原医研資料の内容検討と分類整理。 |
| 20 |
桜が丘へ。 藤居資料1箱を自宅に持ち帰る。 |
| 22 |
原爆手記掲載書一覧関係のデータをまとめる。 |
| 24 |
桜が丘へ。女学院時代の資料1箱を自宅に持ち帰る。 |
| 28 |
M・Tに電話。静男の入隊年、出征地、復員日などを聞く。 |
| 28 |
S(広島女学院大学)よりメール。、「ヒロシマと平和」の夏季集中講義中止の連絡。 |
| 29 |
Kよりメール。原水協への中ソからの資金提供について。 |
| 30 |
地元老人会資源回収。本を中心に大量に出す。 |
| 30 |
兄より電話。*病院から連絡=見舞いの許可。条件付=入口で検温、火・金曜日、13時~17時。15分以内. |
|
|
戦傷病者戦没遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議(参議院社会労働委員会、1967年7月11日)
(一) 原爆被爆者援護については、既に昭和三十九年衆参両院において「原爆被爆者援護強化に関する決議」がなされていることにかんがみ、政府は、すみやかに、原爆被爆者援護に関する法的措置を促進するため、関係者を含む特別の審議会を設置して、両院決議の実現をはかること。
(二) 政府は、原爆被爆者以外の各種の戦争犠牲者の援護についても、未だ適当な処遇がなされていない者に対しては、公平な処遇があまねく行なわれるよう努めること。
日本学術会議原子力特別委員会原爆被災資料に関するシンポジウム-発言要旨- 1967年7月1日

原爆被災資料懇談会記録
日時 昭和42年7月1日 午前10時より
場所 広島大学6階大会議室
地元出席者 22名
<委員長挨拶>
今日の懇談会の主なるテーマは、被爆関係資料に関する問題を主に、その他放射線影響研究の将来計画の問題、核拡散防止問題などについて協議を進めたい。司会を三好委員と志水所長にお願いする。
<三好委員>
原爆被災資料に関する問題や、既成の資料が昨今のニュースが伝える通り返還されつつあるが、それらに関連して、付随する問題について討議して欲しい。原爆関係資料に関しては既成の資料のみでなく、新しい資料も作らねばならない時期に来ていると思う。そのためにはどのような方法をとるか、学術会議のこの委員会がこの時期において、はっきりしたみとおしを立てねばならぬ時期と思われる。その意味でこの会の進行を行いないので、十分意見を出して欲しい。
<志水所長>
原爆に関する学術資料が散逸しつつあり、その一部は国外にも持出されている状態で早く蒐集の機を持たねばならないかと思う。医学的資料については自分の立場からみてもかなりの資料の集積も行われているが昭和26年以前のものについては占領下のことで国外に持出され研究開発の基礎的資料が不足し、その制約のため不明な点が多い現状であるが、それぞれの立場からご意見を出していただいて討議していただきたい。
<今堀委員>
原爆白書推進委員会の立場から発言させてもらうが、新しい資料を作るためにも被爆者の総数を明らかにする事が必要である。そのために昭和45年度国勢調査には是非とも付帯調査を実施して生存者をも含めた人口調査が重要と思う。白書委員会としては次の点を政府に要望し申し入れている。
(一)ABCCの調査した各種の資料の学術的なリストを作製する。ABCCから研究結果は発表されているがその研究素材が我々には不明である。学術的に利用できるよう明らかにして欲しい。
(二)種々な被爆関係資料の保存公開。
[例]日映の被災記録映画-完成されたものばかりでなく、ラッシュについても重要なものが含まれていると思うので検討しなければならない。
被爆者個人の手記、日記、追憶など-当人が死亡すれば消え去る可能性が非常に強い。
テレビ、ラジオその他マスコミで作成記録した録音、録画など-多年経過したものは処分されているのが現状で、これらを早急に保存する必要がある。
原爆関係の印刷された文書、刊行物など文献の保存も必要である。
役場、学校、会社、その他各種団体などの被爆関係の公文書記録の集録、保存も重要である。
被爆者の死亡診断書。
これら資料を学問的大家の下に蒐集保存しなければならないし、資料は学術的見地からの利用を考慮してもらいたい。
資料に関連した生存者が健在のうちに、例えば映画などについては正しい解説をつけて残すように図らなければならない。
なお今後地元で発掘される資料も残さなければならないので、学術的体系の下に整理、保存、利用できるようにしなければならない。
またアメリカの国会図書館に相当な資料が保存されているというが、このように持出された資料についての返還は協力に推進しなければならない。
<田畑委員>
政府に勧告したとのことであるがこの点に関して政府の反応はどうか。
<今堀教授>
茅学長を通じ、当時の官房長官愛知揆一氏(彼も推進委員の一人だが)をまじえて佐藤首相にも数回会い、申し入れてある。首相もその都度「わかった、わかった」とは言っているが、その後何ら具体的措置はすすめられていない。
<志水所長>
この点に関連して申し上げるが、昭和42年度予算で厚生省が約500万円計上した。しかしこれは大蔵省の段階でカットされた。
次に理学関係を代表して前川先生にご意見をお願いしたい。
<前川先生>
私より佐久間氏の方が適当と考える。
<佐久間氏>
当委員会がABCC問題を重視され、かつ被爆に関しての貴重な資料を被爆者の治療や対策のために活用しうるよう関心をもたれていることはよろこばしいし、このことは被爆者の福祉に貢献するところが大きいと思う。
ABCC問題について、
(一)ABCCは設備、経費、スタッフが揃い、すぐれた研究を行っているので、ABCCの研究に対する被爆者の関心は深いものがある。しかし、受診する者の中に診察を受けた結果が戦争に関連し、軍事面に利用され、核戦争に役立つのではないかとの懸念をもっているものが非常に多い。
(二)ABCCで発表された貴重な貴重な資料が積重ねられているようにも思われるが、被爆者の治療や疾病の基本的問題にとって、最も重要な資料ともなるような調査の結果が率直に発表されていないように思われる。また重要な問題についても明らかにしていない。例えば二次放射能の問題なども総合報告においては不当に軽く扱われている。ABCCの初期において資料が米軍の関係を通じてアメリカに送られ軍事的期間に保存されているということは、現在問題となっている米軍と学術研究の例からみても軍事的研究に必ずしも関連がないといえないことを予想させる。
(三)これらの点に関して日本側から反論が行われていない。これは被爆者の健康管理の面から考えても重要な問題と思う。
(四)ABCCの存在そのものも問題である。
これらの問題解決のため、ABCCを日本の手にもどし、日本人が主体的に被爆者の治療、医療のために研究をすすめる方向について、この委員会で討議してもらいたい。これによって被爆者も安心するし、健康管理にも効果が大きく、被爆者にとっても大きなプラスになると思われる。
<金井氏>
(一)原爆被災は非戦闘員を含めた無差別攻撃による被害に特色をもっている。この無差別の意味の中には時間的無差別も含まれる。当時、非戦闘員であった者まで20数年経過した現在においても種々な疾病におかされている。また、被爆者は、差別待遇による被害をうけていて、被爆者に対する誤解も根強く、また未知による被害も無差別に加えられている。
すなわち、①生活上で結婚、就職の問題に関して差別をうけ、②補償の上でも差別待遇をうけ、三つの大きな差別をうける。非戦闘員と言うことで現行の法令では何らの補償が行われていないし、また被爆者に対する一般の態度も対話を伴わない同情論で終っている。
(二)保障、補償問題について、医療面では、わずかながら行われているが、現在のところ、特につぐないの意味での補償は行われていない。外地よりの引揚者に対しては非戦闘員に対しても行われるが、被爆者に対しては行われない。
被爆者自身、自分たちにとって戦争は終わっていないと言う痛切な感じをもっている。例えば小頭症、胎内被爆児は21世紀まで原爆の証人として生きねばならぬ。このことからも時間的無差別な被害となり得る問題を有している。
戦後の社会保障の未整備のために、その間被爆者には多くの問題が含まれ、無残な死に方をした者が多いし、にがにがしい結果を多く残している。
また、被爆者の中には健康な人もあるが、一般にそれはすぐれた素質を持った人といわれている。このような元気な人についての資料を集める事も必要であり、その意味では全面的な資料調査の必要性をもっている。
生活の上で追いつめられたというような問題が、被爆者の問題の特色ともなっているのであり、現行の戦闘員を中心に補償の序列が考えられている以上、全面的な調査を行わないと、遺族に対する補償の問題も浮かびあがってこない。
<志水所長>
いろいろ具体的な問題が提起されたと思うが、委員の方々で、これまでの御意見に対してご質問はないか。
<永積委員>[省略]
<佐久間氏>[省略]
<永積委員>[省略]
<今堀教授>[省略]
<松坂氏>[省略]
<文沢氏>[省略]
<森下氏>[省略]
<重藤院長>[省略]
<竹下教授>[省略]
<前川氏>[省略]
<志水所長>[省略]
<永積委員>[省略]
<志水所長>[省略]
<福島委員>[省略]
<本城委員>[省略]
<委員長挨拶>[省略]
戦傷病者戦没遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議(衆議院社会労働委員会、1967年6月8日)
政府は、左記事項につき速やかに実現するよう検討、努力すること。
(一) わが国経済成長の実情にかんがみ、援護の最低基準を大巾に引き上げ、公平な援護措置が行なわれるよう努力すること。
(二) 満州開拓青年義勇隊員の募集の実情及び課せられた任務等の実態にかんがみ、昭和二十年八月八日以前の死没者の遺族の援護は勿論、その他の場合においても必要な援護措置を講ずること。
(三) わが国が世界唯一の原爆被爆国である事実にかんがみ、原爆被爆地において、旧防空法等による国家要請により、防空等の業務に従事中死亡又は身体に障害をこうむった者に対し、昭和四十三年度を目途として援護措置を講ずること。
なお、被爆地以外の地域についても必要な措置につき検討すること。
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