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「被団協」新聞に見る被爆者運動の動向1980年

「被団協」新聞に見る被爆者運動の動向1980年

M D NEWS1
01 23 被爆問題市民団体懇談会、会合.5月に全国行脚を実施することを決定.
01 24 ノーモア・ヒバクシャ訪米代表団巡遣委員会、よびかけ人会議を開催.
01 25 群馬県被団協など9団体、群馬県原水爆禁止懇談会を結成.
01 30 広島県被団協、代表者会議.
02 09 千葉県被団協、第2回研修会を白里町の民宿で開催(~10日).30名参加.
02 17 日本被団協、代表理事会.市民団体懇談会提唱の全国行脚に組織をあげて取り組むことを決定.
02 18 日本被団協代表など、衆議院議長に要請.
02 18 被爆問題市民団体懇談会、2月中央行動.衆議院議員面会所に400万人分の署名簿を積み上げる.
02 18 市民懇、2000万署名の経験交流会を衆院第一議員会館で開催.
02 19 日本被団協、参議院議長に要請.
02 20 自民党大塚衆議院議員、100万人分の請願署名の紹介議員として国会に請願書を提出.画期的前進.
03   日本被団協中央相談所肥田常務理事、スウェーデンの平和団体の依頼により被爆を語る1週間の旅.
03   日本被団協被爆者中央相談所、日本自転車振興会より1348万円の補助金を受ける.前年の補助額は450万円.
03 08 長崎被災協、第4回研修会を開催.70名参加.
03 08 日本被団協中央相談所、近畿ブロック相談事業講習会を大阪市で開催(~9日).
03 14 日本青年団協議会、原水禁運動と被爆者援護法制定署名をテーマとする研究討論集会を開催.150人参加.
03 19 日本被団協、日本キリスト教女子青年会より10円のカンパを受ける.
03 24 ノーモア・ヒバクシャ訪米代表団15名、出発.4月15日帰国.
04 03 大阪府被団協80名、広島に墓参.府の160万円の補助金により実現.
04 06 群馬の原水懇、埼玉県の丸木美術館などを見学.30名参加.
04 07 日本被団協・中央相談所、事務所を移転.
04 08 衆議院社会労働委員会、原爆特別措置法改正案を可決.
04 09 市民5団体代表、伊東官房長官に被爆者援護法制定について陳情.
04 13 神奈川県被団協、大船観音原爆慰霊碑前で県内網の目行進の出発式.50名参加.
04 13 東友会、東京行脚決起集会を開き都内行脚をスタートさせる.
04 13 神奈川県の県内行脚団、慰霊碑前から出発.
04 14 広島平和公園で全国行脚広島コースの出発集会.100名参加.
04 14 被爆問題市民団体懇談会、被爆35年・被爆者援護法即時制定全国行脚を沖縄・広島・札幌の3起点から出発させる.全国行脚は第4回目.市民懇主催は初めて.
04 19 被爆問題市民団体懇談会、被爆者援護法制定の街頭署名を新宿駅前で実施.40名参加.
04 21 被爆問題市民団体懇談会、会合.
04 24 岩手市民懇、秋田から行脚旗を受け取る.
04 25 岩手県被団協、県生協連とともに盛岡市を出発.
05 01 兵庫県の7団体、県民会館で折り鶴旗の歓迎集会を開催.
05 03 麻布の日活映画祭で原爆映画を上映.
05 10 岩手で原爆展(~13日).盛岡市民生協の主婦だけでも3000人が参加.
05 10 愛友会、名古屋市のYMCAで行脚引き継ぎ・愛知県行脚出発集会を開催.100人参加.
05 14 厚生省、公衆衛生局長名で健康管理手当などの認定に関する委員会を設置するよう各都道府県と広島・長崎両市に通知.
05 17 岩手市民懇、2000万街頭署名を実施.
05 20 原爆被爆者対策基本問題懇談会、開催.広島長崎両市長・日本被団協代表・今堀誠二などから意見聴取.
05 20 今堀誠二広島女子大学長、意見書
05 24 板橋みのり会など、原爆映画の上映(~25日).1000名が参加.
05 、被爆者援護法制定への賛同署名,全国938首長・810議長.
06   広島の青年、劇団「8時15分」を結成.
06 12 群馬市民懇、被爆35周年・広島・長崎原爆写真展を県内5郡市で開催(~7月21日).写真は広島平和文化センターより借用したもの.
06 12 日本生協連、第30回通常総会(~13日).平和を守る運動をより積極的にすすめることを決める.
06 14 日本被団協被爆者中央相談所、第3回定期総会.
06 15 日本被団協、第25回定期総会.
06 22 、慰霊祭を浜松市・竜雲寺で開催.
06 25 広島県被団協、第25回定期総会.70人参加.
06 28 原水爆禁止1980年世界大会準備委員会、結成.
06 30 被爆問題市民団体懇談会、会合.
07   10フィート運動のよびかけ.
07 01 新潟県原爆被害者の会など、県下15会場でヒロシマ・ナガサキ原爆写真展を開催(~8月10日).全観覧者数39614名,署名数10745名,会場募金総額900132円.
07 01 新潟県内の原爆写真展スタート.
07 22 日本被団協、代表理事会.
07 23 神奈川県・川崎市折鶴の会、結成15周年記念行事として川崎労音と協力し交響曲「炎の歌」演奏会を開催.
07 23 被爆問題市民団体懇談会、全国行脚集結中央集会を衆議院議員面会所で開催.150名参加.2048名の地方自治体首長・議長の署名を集約.
07 27 石川県被団協、慰霊祭を金沢市・東別院で開催.
07 27 福井県被団協、慰霊祭を福井市・安養寺で開催.
07 27 愛知県被団協(愛友会)、原爆犠牲者愛知県追悼会を名古屋市・建中寺で開催.
07 31 美術家平和会議など、第28回平和美術展を都美術館で開催.25名の原爆犠牲者の肖像画を展示.
08   愛知県被団協(愛友会)佐屋支部、結成.
08 01 長野県被団協など、「人類生存のために!被爆者がかいた原爆の絵展」を県下10会場で開催(~10月2日).
08 01 長野県被団協など、県下10会場で原爆展(~10月2日).
08 02 原水爆禁止1980年世界大会(~5日).
08 02 石川友の会、県青連と石川県民平和統一行進を共催.
08 03 東京都被団協、慰霊祭を品川区・東海寺で開催.
08 06 広島県被団協、被爆35周年原爆死没者追悼法要を広島市・見真講堂で開催.
08 06 北海道被団協、原爆死没者36周忌北海道追悼会を札幌市・新善光寺で開催.200人参加.
08 06 鳥取県被団協、慰霊祭を鳥取市・丸山墓苑で開催.新慰霊碑への移転式.
08 06 第6回北海道灯篭流しを鴨々川で実施.100人参加.
08 06 新潟県被団協、新潟市庁舎外廊で原爆犠牲者追悼の行事を挙行.
08 08 長崎市民5団体、被爆者援護法即時制定をめざす長崎集会を長崎市グランドホテルで開催.
08 08 静岡県被団協など、原爆展を伊東市で開催(~12日).
08 10 東京都保谷市、市主催の原水爆禁止市民大会を開催.
08 11 日本被団協、11月行動総決起集会を国労会館で開催.
08 17 神奈川県被団協、慰霊祭を鎌倉市・大船観音で開催.
08 23 群馬県被団協(群友会)、第23回総会.
09   国連事務局、報告書「核兵器に関する包括的研究」を出版.
09 06 山口県被団協、慰霊祭を山口市・江良墓地で開催.
09 06 日本被団協、全国都道府県代表者会議を開催(~7日).「基本懇討議資料」で討議.
09 08 日本被団協、厚生省に要求骨子の実現を要請.
09 20 日本被団協中央相談所、東北ブロック会議を青森市で開催(~21日).40人参加.
09 20 岡山県原爆被害者会、原爆写真展を倉敷市・高梁市・津山市で開催(~10月10日).
09 23 故久保山愛吉追悼の26周年のつどい
09 29 被爆問題市民団体懇談会、会合.10月・11月を2000万人署名推進特別月間とすることを決定.
09 原爆写真展を東京各区市で開催.
10 06 被団協新聞号外、基本懇の討議内容を掲載.
10 08 被爆者援護法即時制定要求総決起集会を九段会館で開催.1200人参加.
10 08 日本被団協、10月中央行動(~9日).
10 09 政府、シベリア抑留補償についての質問主意書で「戦争犠牲は国民の等しく受忍しなければならなかったところである,国に補償する義務があるとは考えていない」との答弁書.
10 15 被爆者代表150人、夏目防衛庁官房長の「戦術核兵器は憲法上保有できる」との発言に抗議して防衛庁にデモ.
10 18 中野区被爆者の会など、原爆写真展を開催(~20日).参観者4800人.援護法署名1319人.
10 20 大原亨衆議院議員、衆議院議長あてに「原爆被爆者に対する「国家補償の理念」による援護法制定に関する質問主意書」を提出.
10 23 長崎被災協、拡大理事会を開催.
10 31 原水爆禁止連絡会、第2回会合.
11 01 日本被団協、11月行動成功をめざす首都圏代表総決起集会.
11 08 政府、大原議員の質問主意書に国に補償義務なしとの答弁書.
11 08 日本被団協中央相談所、相談事業講習会を金沢市で開催(~9日).50人参加.
11 18 日本被団協、11月行動(~22日).のべ3600人が参加.
11 20 被爆問題市民団体懇談会、被爆者と市民のつどいを東京弁護士会館で開催.250人参加.
11 29 、被爆者援護法はどうあるべきかシンポジウムを中退金ホールで開催.90人参加.
12 03 日本芸能実演家団体協議会(芸団協)、「炎の詩」を虎ノ門ホールで上演(~4日).
12 06 日本被団協中央相談所、九州ブロックの相談事業講習会を開催(~7日).70人参加.
12 09 栃木県被団協、厚生大臣に援護法制定の県民合意は成立していると伝え,即時制定を要請.
12 11 日本被団協、代表理事会を開催.怒りと抗議の声明と見解を検討し,記者会見を行う.
12 11 原爆被爆者対策基本問題懇談会、厚生大臣に答申
12 12 日本被団協、緊急12月中央行動総決起集会を開催.250人を超える全国代表が参加.13日,全政党に答申についての質問状を提出.
12 16 日本被団協、田中正巳自民党被爆者対策小委員長に要請.「答申はきびしくやりにくくなった」と回答.
12 16 長崎被被災協、基本懇答申報告会を開催.
12 17 新潟県被団協、原爆被爆者援護法実現要求緊急集会を新潟市福祉センターで開催.100名が参加.
12 20 愛友会、基本懇答申に抗議する緊急愛知県民集会を名古屋YMCAで開催.190名参加.
12 21 、被爆者援護法はどうあるべきか第2回シンポジウム,労音会館で開催.

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「被団協」新聞に見る被爆者運動の動向1979年

「被団協」新聞に見る被爆者運動の動向1979年

M D NEWS1
01 12 被爆問題市民団体懇談会、被爆者援護法要求2000万署名国民大運動を記者発表.
01 21 広島県被団協、広島市内で第1回街頭署名行動.第2回は2月25日,第3回は3月25日に実施.
01 22 日本被団協、2000万署名への協力を求めるアピールを発表.
01 29 社会保障制度審議会、原爆二法を再検討する専門機関の設置するよう厚生大臣に答申.
02 17 東友会、渋谷駅頭で署名宣伝行動を実施.
02 19 日本被団協、2月国会要請行動を市民団体の応援を得て実施(~20日).303名参加.
03 11 石川県被団協、臨時総会.
03 17 新潟県被団協、新潟市で街頭署名.394名の署名を集める.
03 17 新潟県議会、原子爆弾被爆者援護法の制定に関する意見書を採択.
03 19 栃木県被団協、定期総会を日光で開催(~20日).
03 19 被爆問題市民団体懇談会、初の国会陳情行動を実施.
03 25 愛媛県被団協、第11回原爆死没者墓前祭を開催.
03 28 米国スリーマイル・アイランド原子力発電所で事故.
04 01 広島県被団協事務局次長高橋昭博、広島原爆資料館館長に就任.
05   肥田舜太郎・谷口稜曄、日本原水協の訪独団に加わって西ドイツの16都市をまわる.
05 02 被爆問題市民団体懇談会、会合を開き,2000万署名運動の到達点の分析と今後の運動の進め方を協議.
05 08 日本被団協、5月行動を実施(~9日).
05 16 市川房枝・中野好夫など21人、「5・16合意文書=原水爆禁止運動の前進のために」を発表.
05 24 愛友会、県内被爆者行脚を開始(~6月4日).
05 26 長崎被災協、第16回定例評議委員会.
06 06 日本被団協、機関紙「被団協」(1976年5月31日創刊)第6号を発行(以後月刊となる).
06 08 原爆被爆者対策基本問題懇談会、第1回会合.メンバー=大河内一男,緒方彰,茅誠司,久保田きぬ子,田中二郎,西村熊雄,御園生圭輔
06 09 日本被団協中央相談所、第2回定期総会.
06 09 大学生協東京地連、被爆者援護法と原水禁運動についての学習会を開催.
06 09 愛媛県松山各界連絡会議、伊方の原発調査をおこなう.
06 10 日本被団協、第24回定期総会を開催.
06 12 被爆問題市民団体懇談会、開催.
06 15 日本被団協、中国ブロック会議を鳥取県で開催.
06 17 東京被団協、第22回総会.
06 17 静岡県被団協、第21回定期総会と創立20周年記念式典を開催.
06 29 原水爆禁止1979年世界大会実行委員会、発足.
07 04 原爆被爆者基本問題懇談会、第2回会合.
07 06 日本被団協代表委員行宗一、日本科学者会議第14回定期総会で来賓として挨拶.
07 07 平和のつどいを都留文科大学で開催.
07 13 日本弁護士連合会人権部会、被爆者問題特別委員会を設置.
07 19 山梨県の被爆者など、御坂町でちょうちん行列をおこない,その中で被爆の実相と援護法を訴えるスライドを上映.30人参加.
07 24 原爆被爆者基本問題懇談会、第3回会合.
07 31 原水爆禁止1979世界大会(~8月9日).、
07 静岡県被爆者の会など、広島・長崎原爆写真展を清水市で開催.
08   アキバ記者、初めて広島を取材.
08   愛媛県原爆被害者の会松山支部、市内居住の被爆者とその子弟に対する実態調査を実施(~9月).670人に調査表を送り162人分回収.
08   東友会事務局長田川時彦、ヒロシマ・ナガサキの被爆写真パネルとともに東欧へ平和を訴える旅.
08 01 世界大会国際会議,「被爆者の実相の普及,被爆者の援護連帯,援護法実現」をテーマとした第2分科会を開催(~2日).
08 05 日本被団協、東ドイツ平和評議会から「砂時計」と題する少女像を寄贈される.国際連帯の初の実りとして事務局に保管.
08 05 世界大会・広島で「被爆者援護連帯をめざして」の討論集会を広島市・見真講堂で開催.800人参加.
08 06 北陸放送、石川県被団協の動向を中心に4つの番組を放送.石川県では画期的事件.
08 08 長崎被災協、全国の被爆者と語り合う「交流の夕べ」を開催.30人参加.
08 08 世界大会・長崎で「被爆の実相の普及・被爆者援護法実現のための集会を開催.「国民への訴え」を発表.長崎市民体育館に1260人参加.
08 09 佐賀県被団協、被爆体験を語る会を佐賀市内の観光ホテルで開催.40人の被爆者が参加.同会としては初めての試み.
09   茨木市原爆被害者の会、原爆展を開催.2日間で1万人近くが入場.
09   静岡被爆者の会焼津支部(志友会)、原水爆展を市内繁華街で開催.
09 02 安芸地区被団協、創立23周年大会を矢野町公民館で開催.550名参加.
09 08 日本被団協、代表理事会を開催(~9日).基本懇の意見聴取にそなえるための対策委員会を設置.
09 15 山口県被団協など、基本懇メンバー緒方彰をゆだ苑に招いて懇談.
09 21 神奈川県藤沢市議会、援護法制定促進を決議.
09 23 原水爆禁止運動の統一をめざす静岡県民準備会、久保山愛吉「追悼のつどい」を焼津市で開催.
09 25 神奈川県茅ケ崎市議会、援護法制定促進を決議.
09 29 「三宅泰雄科学論集」全4巻の完結を祝う会を日本青年館で開催.
09 29 茨木市原爆被害者の会、原爆展を開催(~30日).1万人が入場.
09 29 核兵器禁止を願う科学者フォーラムなど、NGO被爆問題シンポジウム2周年記念合同研究会を日本青年館で開催.100人参加.
09 30 神奈川県大和市議会、援護法制定促進を決議.
10   愛知県被団協豊橋支部、豊橋まつり(20~21日)の協賛行事として空襲を記録する会や生協などと「平和都市をめざす豊橋市民展」を開催.
10   ヒロシマ・ナガサキ原爆展,宮城県内を巡回.
10 08 佐賀県被団協、長崎原爆写真展を佐賀市内のデパートで開催.写真展は県内初.
10 11 原爆被爆者基本問題懇談会、第4回会合.
10 18 静岡県原水爆被害者の会浜松支部、原爆写真展を市内のデパートで開催(~24日).3500人が入場.この写真展は5月から県内10市1町で開催されたものの最終展示会.12回の入場者は2万6781人.
10 20 東京被団協、研修・交流集会を神奈川県大山で開催(~21日).27人参加.
10 23 神奈川県議会、被爆者援護法制定促進の意見書を採択.
10 26 鳥取県被団協、県被爆者対策課・医療関係者との3者懇談会を倉吉保健所で開く.14人参加.
10 28 千葉県原爆被爆者友愛会、原爆犠牲者慰霊碑を千葉市猪鼻公園内に建立.
11 02 ヒロシマ・ナガサキ原爆展岩手県実行委員会など、原爆展を盛岡市など5市で開催(のべ28日間).入場者27991人.
11 08 東独記録映画班、広島入り.「ヒロシマ」を撮影.
11 15 安芸地区被団連13人、長崎を訪問.
11 17 日本被団協、第128回代表理事会を開催(~18日).援護法要求骨子の改定版を作成することを決定.
11 17 日本弁護士連合会、第22回人権擁護大会を福岡市で開催(~18日).国家補償原理の被爆者援護法制定促進の決議を採択.
11 23 日本YWCA、第20回全国総会(~25日).被爆者援護法制定推進などの方針を決定.
11 27 被爆問題市民団体懇談会、会合.
12   日本弁護士連合会、被爆者援護法に関する報告書を作成.
12 02 石川県原爆被災者の会松任支部など、原爆写真・体験画展を市民会館で開催(~4日).入場者900人.
12 04 原水爆禁止1979年実行委員会、国家補償の精神にもとづく被爆者援護法の早期実現を大平首相などに要請.
12 06 原爆被爆者対策基本問題懇談会、第5回会合.広島市長荒木武・日本被団協伊東壮・広島県被団協森滝市郎・伊藤サカエ・長崎県被災協葉山利行から意見を聴取.
12 08 東友会など、浅草で援護法制定2000万人街頭署名を実施.
12 12 北大西洋条約機構(NATO)合同理事会、核装備強化のため新型ミサイル・パーシング2の配備を決定.
12 15 日本弁護士連合会被爆者援護法に関する調査研究委員会、報告書を発表.
12 19 原水爆禁止1979年世界大会実行委員会、被爆者援護法制定をめざす国民集会を赤坂の都市センターで開催.500人参加.
12 31 神奈川県原爆被災者の会、2000万人署名の自主目標7万を突破.

「被団協」新聞に見る 被爆者運動の動向1976~78

「被団協」新聞に見る被爆者運動の動向1976~78

作業中

Y M D NEWS1
76 01 24 山梨県原水爆被害者の会など、ヒロシマ原爆の記録展を甲府市内・岡島デパートで開催(~28日).25000人が入場.2200の援護法署名が集まる.
76 03 04 愛知県被団協、県内被爆者行脚を実施(~16日).1967年から実施.
76 04 14 日本被団協、厚生大臣に被爆者の健康管理に万全を期すよう要望書を提出.
76 04 24 茨城県原爆被害者協議会、第2回総会を開催.
76 05 11 広島地裁の石田原爆訴訟、結審.
76 05 20 参議院社会労働委員会、野党4党提案の被爆者援護法案を審議.継続審議となる.
77     三友会松阪支部結成.、
77     日本被団協、美術家平和会議と原爆犠牲者肖像画事業を開始.
77     三重県原水爆被災者の会(三友会)、結成.
77 03 14 NGO被爆問題シンポジウム長崎準備委員会、結成.
77 06   日本弁護士連合会、被爆者問題調査報告書を作成.
77 06   日本弁護士連合会、被爆者問題調査報告書を発表.
78     長野県松本市で市民が描いた原爆の絵展.
78 03 15 日本被団協、全国行脚(第3回)(~4月).
78 03 30 最高裁、孫裁判で判決.
78 03 30 社団法人日本被団協被爆者中央相談所、認可される.
78 05 23 日本被団協、国連軍縮特別総会(5月23日~7月1日)に代表38名を派遣.
78 07   中央相談所、被爆者のしおりを作成.
78 07 10 日本被団協など5団体、広く呼びかけて核兵器完全禁止・被爆者援護世界大会実行委員会を結成.
78 07 15 長崎「原爆問題」研究普及協議会、結成.
78 08   神奈川県被団協、被爆者相談センターを開設.
78 08 05 日本被団協、被爆の実相の普及・援護法実現のための集会を見真講堂で開催.1000人参加.
78 08 06 78核兵器完全禁止・被爆者援護世界大会(~9日).これを機に被団協・日青協・地婦連・生協連・宗教NGOの連携が生まれる.
78 09   日本被団協中央相談所、相談事業講習会を広島市で開催.
78 10   鳥取県被団協、各支部に相談役を配置.
78 10   日本被団協中央相談所、東海ブロックの第1回講習会を開催.
78 10 24 日本被団協、国連軍縮週間の初日に外務省首脳との懇談をおこなう.席上,省内会議で援護法がの話が出たことが明らかにされる.
78 11   弁護士・法学者など、被爆者援護法研究会を結成.
78 11 14 被爆問題市民団体懇談会、被団協・日青協・地婦連・生協連・宗教NGOに主婦連・婦人有権者同盟・矯風会・WILPF・看護協会・YWCAを加えて発足.
78 11 14 日本被団協など、被爆問題市民懇談会を結成.
78 11 14 被爆問題市民団体懇談会、発足.
78 11 23 日本被団協、第7回被爆者援護法制定研究集会.100人参加.終了後被爆者中央相談所の創立祝賀会.
78 11 24 朝日新聞社、原子爆弾の記録展を長野市の長野東急デパートで開催(~29日).
78 12 10 日本被団協、第121回代表理事会.
78 12 17 日本被団協専門委員高橋健、日本青年団協議会常任理事会の学習会で被爆者援護法の意義について講演.
78 12 21 長野県被団協など、原爆の記録展を松本市の信濃ギャラリーで開催(~25日).

 

「被団協」新聞に見る 被爆者運動の動向

 「被団協」新聞に見る被爆者運動の動向

作業中

日本原爆被害者団体協議会の機関紙「被団協」は、同協議会結成後1976年5月1日に「全国各地の被爆者組織や被爆者と日本被団協をつなぐ」(「創刊にあたって」)ことを目的として創刊された。同紙は、その後、79年6月号(第6号)より月刊化し今日に至っている。同紙は、タブロイド版4面ないし8面の小さなものであるが、原爆被爆者の動向あるいは原爆被害を基盤として国内外で展開された諸運動に関する情報量は、一般紙のそれを大きく上回っている。

ここに紹介するのは、「被団協」の紙面から可能な限り事項を拾い出して作成した年表である。同紙から拾える事項は、それ以前にもさかのぼることができるが、情報量の価値からみて、省略した。「被団協」が月刊化した79年6月は、ちょうど厚生大臣の委嘱により原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇と略称)が設置された時期と重なる。その点からみれば、この年表は、基本懇以後の原爆被害をめぐる諸動向を被爆者運動の立場からの整理として読むことができる。

 

1976(昭和51)年~1978(昭和53)年 1979(昭和54)年
1980(昭和55)年 1981(昭和56)年 1982(昭和57)年

(追記)

政府の被爆者対策は、被爆30周年(1975年)後、予算面では大きな前進を示した。その背景には、米国返還資料展(73年~)・市民の手で原爆の絵を展(75年~)などの盛況に見られた原爆被害に対する世論の関心の高まり、74年12月以降の野党共同の被爆者援護法案の国会提出攻勢(保革伯仲を背景とした)、石田・孫訴訟の原告勝利判決(76年7月・78年3月)などを指摘することができる(宇吹「予算からみた原爆被爆者対策の変遷」・ヒバクシャ-ともに生きる・所収)。一方、日本の被爆者運動も、1977年のNGO被爆問題シンポジウムや翌78年の第1回国連軍縮特別総会および原水爆禁止1978年世界大会を契機に大きな盛り上がりを見せた。こうした社会状況の中で、設置されたのが基本懇である。

追加

 

1983(昭和58)年 1984(昭和59)年 1985(昭和60)年 1986(昭和61)年
1987(昭和62)年 1988(昭和63)年 1989(平成元)年 1990(平成2)年
1991(平成3)年 1992(平成4)年 1993(平成5)年 1994(平成6)年
1995(平成7)年 1996(平成8)年 1997(平成9)年 1998(平成10)年
1999(平成11)年

 

三重県原水爆被害者の会

三重県原水爆被害者の会

1977年9月11日

『アカハタ』(一九五六年五月十二日)

「[津市通信員発]三重県平和委員会はさきごろ常任委員会をひらいてつぎのことをきめた。

▽六月上旬広島原爆被災者二名をまねいて伊勢、松阪、四日市、尾鷲、上野、桑名各市で懇談会を開く▽いま伊勢、松阪、尾鷲、津各市ですすめられている原水爆被災者救援募金運動を八月六日の世界平和行動デーを目標に全県下にひろげる▽「原爆の図」世界行脚後援募金運動を全県下でおこなう▽・・・」

 

『アカハタ』(一九五六年八月八日)

「三重県松阪市の平和を守る会では七月二十日から九回にわたり松阪駅前、信用ビル前の街頭で原水爆禁止、被爆者救援の寄金をよびかけ、昨年の八倍約四万二千円をあつめた。」

 

『アカハタ』(一九五六年八月八日)

「三重県四日市市の中部婦人会(会長小林けい子さん)は、二日午後、約九百名の会員がもちよった新古衣類約八千点を広島市水主町共助会をつうじて原爆被災者におくった。

 

『中国新聞』(一九五六年八月九日)

「”被爆困窮者に差し上げて下さい”との手紙とともに三重県四日市中部婦人会(会長小林けい子さん)から、中古衣類十三コウリ、約八千点が八日広島市水主町三二一、温品康子さん(四五)=広島原爆被害者の会会長温品道義氏夫人=のもとへ送られてきた。

これは康子さんら被害者代表二名が三重県平和を守る会の要請で去年六月、三重県を訪れ、原爆被害者の体験、悲惨な生活状況を訴えて回ったところ、これに心打たれた四日市中部婦人会の人々が中心となり半月余りの間に全県下から約八千点余りの中古衣類を集めたもの。・・・」

24 三重
三重県原爆被災者の会(19950701、20001130、20050601)

三重県戦後50年体験文集発行委員会(199607?)

愛知県原水爆被災者の会

愛知県原水爆被災者の会 1957年2月日<作業中

56 12    黒川良康・増田小太郎・豊島一之・中村信之・宮地勝義(愛知県在住の被爆者)、第1回「原水爆被災者の集い」を開催。(「愛友会30年のあゆみ」880202)

 

23 愛知
愛知県原水爆被災者の会(愛友会)(20030528、20070527、20110906、20120106、20140406)
愛知県原水爆被災者の会婦人部(850815、860815、870715、880806、 890720、900720、910720)
愛知県原水爆被災者の会豊橋支部(豊睦会)(901202)
名古屋市北区被爆者懇談会(651233、660501)
一宮市原爆被災者の会(830806)
愛友会犬山支部(199604)

名古屋YMCAひろしま・ながさきを伝える会(830720)
「被爆者の手記」出版西区の会[名古屋](920802)
「原爆、忘れまじ」を世界に広める会[名古屋](920301)
愛知自分史の会(20081130)

岐阜県原爆被爆者の会

岐阜県原爆被爆者福祉会、1961年結成

作業中

 

Y M D NEWS1
51 11 08 岐阜大学農学部で文化祭。-11日。自治会主催の原爆展が開催される。(「連盟通信」第116号)
61 13 岐阜県原爆被爆者福祉会、結成.
78 04 18 岐阜県恵那市の中学生、修学旅行で来広。ヒロシマ学習。
78 05 10 修学旅行で来広した岐阜県の中学生、感想文集を発行。
78 05 12 岐阜県恵那市の中学生、修学旅行で来広。
78 08 17? 岐阜県の中学生、広島への修学旅行で学んだ平和学習成果をまとめ文集発行。
79 08 06 岐阜県恵那市の小学校で「平和デー」を設け、平和学習。
79 08 08 岐阜県の女性グループ、長崎市訪れ、平和祈念像に千羽ヅルをささげる。
82 02 22 日本青年団協議会、軍縮・反核を求める署名運動の推進のためフォーク・コンサートを伊勢市で開催。(その後、岐阜・愛知・長崎・広島などで開催)。
82 03 24 岐阜県議会、「核兵器および軍縮問題に関する要望事項」を採択。
82 06 06 愛知・岐阜・三重・静岡の東海ブロック4県の県評青年・婦人協議会主催「6・6反核・平和集会」、名古屋市で開催。
84 03 28 岐阜市の藍川中学校生徒、来広し平和学習。
84 08 01 広島市の舟入高校演劇部、全国高校演劇コンクール(於岐阜県)で、原爆をテーマにした「おさん幻想」を上演。(優秀賞受賞)。
84 08 04 岐阜県高教組恵那支部の教師ら原水禁世界大会平和祈念式に高校生(3名)を派遣。
84 08 10 岐阜県教委などが県立恵那北高校生徒らの広島市での平和学習を中止させたことが判明。
85 05 28 岐阜県立益田南高校の生徒ら修学旅行で来広、平和学習。生徒ら、被爆者にと寄金。
85 06 16? 岐阜市の作曲家藤掛広幸、原爆をテーマにした鎮魂曲の作曲のため来広し、被爆体験など聴取。
86 08 04 広島市役所旧庁舎の被爆石を贈られた岐阜県の展示館、被爆石に供えられたお金を広島市に寄付。
87 07 29 岐阜県恵那郡の石の展示館、同館に展示している被爆石の前に置かれた浄財(約16万円)を、広島市に寄贈。
87 11 17 岐阜市の富田女子高校生徒、修学旅行で長崎市を訪れ、平和学習。平和集会・被爆体験聴取など。
88 04 15 岐阜県のランナ-ら、被爆地広島・長崎市を結ぶ「広島-長崎国際ウルトラマラソン」の準備のため長崎市を訪問、同市長に協力を要請。
89 08 05? 岐阜県の主婦田中ツヤ子、反核平和人形2400体を広島市の被爆者竹内千代に送付。人形は原水禁大会参加者らに配布。
90 01 14 臼井一二・岐阜県原爆被爆者福祉会会長、死去。76歳。
90 06 09 岐阜県立益田高校生徒、修学旅行で来広し、平和学習。被爆者支援募金(4万円余)を県被団協に寄贈。
90 07 08 日本被団協中央相談所、「被爆者健康・生活相談会」を岐阜県で開催。700人以上が参加。
90 07 18? セラミックスペーパーで折った千羽づるが、岐阜県土岐市から広島市の小学校に届く。
90 07 31 岐阜県各務原市の市長、来広し、市民の折った折りづる42万羽を「原爆の子の像」に供える。6月の同市の「平和の日」の定着を図るため、市民に折りづる作成を呼びかけたもの。
90 08 01 岐阜県土岐市の小学生ら、来広し、セラミックスペーパーで折った千羽づる1200羽を広島市に寄贈。一部を「原爆の子の像」に供える。
91 05 19 岐阜県在住被爆者約80名、岐阜県原爆被爆者の会の再建総会を開催。
91 08 09 岐阜県の博石館(旧広島市役所庁舎の被爆敷石を展示)、入館者が寄せた浄財14万円を広島市に寄付。同館では1986年から被爆敷石を展示。[被爆石]
93 02 01 日本被団協中央相談所、東海・北陸ブロック相談事業講習会を岐阜県・下呂温泉で開催。-2日。80名が参加。
93 08 03 広島市の旧庁舎被爆敷石を展示している博石館(岐阜県恵那郡蛭川村)、広島市に約17万円を寄付。
93 08 13 岐阜県可児郡御嵩町・同町教育委員会、「世界の恒久平和を願って-平和記念展」を同町中央公民館で開催。-15日。被爆資料など展示。
94 11 09 パリのユネスコ本部敷地の建造物に使用される広島の被爆石(旧元安橋の欄干)、広島市の保管場所から運び出される。岐阜県の工場で加工後、年明けにユネスコ本部に送られる予定。[原爆遺跡]
95 05 02? 岐阜県在住のドイツ人芸術家ステファン・クーラー、8月6日に広島市の元安川に岐阜の伝統工芸品である和傘1000本を浮かべる芸術イベントを計画。
95 08 01 岐阜県原爆被害者の会(岐朋会)、原爆絵画のパネル展を岐阜市民ギャラリーで開催。-2日。
95 08 06 岐阜県原爆被害者の会(岐朋会)、慰霊祭を岐阜市内で開催。約70人が参列。
95 08 15 岐阜平和美術展、岐阜県美術館で開催。-20日。
95 09 14? 岐阜県のシンガーソングライター南修治、フランスの核実験に抗議する「ムルロアの環」を作曲。
96 01 30? 陶芸家の回顧展「<地←→人>鯉江良二展」、岐阜県美術館で開催。-2月25日。広島・長崎を念頭においた「証言」シリーズも展示。
96 11 09 岐阜県被団協・岐朋会東濃西部支部、広島・長崎の被爆者が描いた絵画・写真展を開催。-10日。
97 02 16 岐阜県被団協、被爆者相談会を下呂温泉で開催。40人が参加。斉藤紀福島生協病院院長が講演。
98 01 08 岐阜県の小学校教諭、文部省の米国派遣事業で派遣された米国の小学校の生徒から託された千羽鶴を、原爆の子の像に供える。
98 07 19 空襲・戦災を記録する会全国連絡会議、第28回大会を岐阜市内で開催。-20日。
98 11 15 岐阜県被団協、相談会を開催。-16日。40人が参加。
99 07 10 コープぎふ、「99年平和フェスティバル」を岐阜市内で開催。「原爆と人間展」パネルを展示。
a0 02 20 岐阜県原爆被爆者の会(岐朋会)、平成11年度第2回相談会を岐阜市内で開催。53人が参加。
a0 08 14? 岐阜県御嵩町・中山道みたけ館、「本の中の原爆展」を開催。-27日。(中日新聞)
a0 10 06 日本弁護士連合会、第43回人権擁護大会を岐阜市で開催。原発の段階的廃止などを求める決議を採択。
a0 11 09 日本被団協、東海北陸ブロック講習会を岐阜県で開催。155人が参加。

岐阜新聞

年月日 タイトル 紙名
850806 原爆投下40年目の視座 岐阜日日新聞
860806 運動の枠を超えた反核へ 岐阜日日新聞
910807 平和に貢献できる道は 広島・長崎の被爆から46年
950806 新たな平和運動形成をー核廃絶への道はなお遠い 岐阜日日新聞
960806 なし 岐阜日日新聞

 

岐阜県原爆被爆者の会(19950801、19960928、19970410)

2024年12月(日録)

2024年12月(日録)

できごと
01  () ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止世界大会第2日(<1955年>8月7日)第五分散会
 02  ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止世界大会第2日(<1955年>8月7日)第六分散会
03   ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止世界大会第3日(<1955年>8月8日)本会議」、「原水爆禁止世界大会各地(長崎・関西・東京・鎌倉)の大会(<1955年>8月10日~15日)」、「」
 04
05    ヒロシマ遺文への投稿=「滋賀県被爆者友の会」、「京都府原爆被災者の会」、「大阪府原爆被害者団体協議会」、「兵庫県原爆被害者団体協議会」、「」、
 06  ヒロシマ遺文への投稿=「奈良県原爆被害者の会」、「和歌山県原爆被災者の会」、「島根県原爆被爆者協議会」、「岡山県原爆被爆者会」、「山口県原爆被害者団体協議会」、「広島県原爆被害者団体協議会」、「徳島」、「香川県原爆被害者の会」、「愛媛県原爆被害者の会」、「高知県原爆被爆者の会」、「福岡県原爆被害者団体協議会」、「佐賀県原爆被害者団体協議会」、「熊本県原爆被害者団体協議会」、「原爆被害者大分県協議会」、「宮崎県原爆被害者の会」、「鹿児島県原爆被爆者協議会」、「沖縄県原爆被爆者協議会」、
 07  ヒロシマ遺文への投稿=「長崎原爆戦災誌」、「長崎原爆戦災誌 第一巻 総説編」、
08 )アジア・太平洋戦争開始の日。
ヒロシマ遺文への投稿=「長崎原爆戦災誌 第ニ巻 地域編」、「長崎原爆戦災誌 第三巻 続・地域編終戦前後編」、「長崎原爆戦災誌 第四巻 学術編」、「長崎原爆戦災誌 第五巻 資料編
 09  ヒロシマ遺文への投稿=「長崎原爆被災者協議会評議員会資料」、
10 ヒロシマ遺文への投稿=「谷口稜曄」、「渡辺千恵子」、「」<作業中>
10  ノーベル平和賞受賞式
11
12
13  ヒロシマ遺文への投稿=「広報ながさき 原爆関係特集号 被災地復元」、「あすへの遺産 長崎被災協結成35周年記念誌
 14   ヒロシマ遺文への投稿=「長崎市原爆資料目録
15 )ヒロシマ遺文への投稿=「平和を願う長崎市民の皆様へ‼」、「炎と影 被爆者二十周年の手記」、「原子野のうた声 被爆作曲家の手記」、「長崎の証言ニュース
16
 17  ヒロシマ遺文への投稿=「長崎の平和運動と原水協」、「被爆二世は青年と共に
18  ヒロシマ遺文への投稿=「小佐々八郎」、「原水爆関係新聞記事索引
19  ヒロシマ遺文への投稿=「あの日から23年 長崎原爆被災者の実態と要求」、「原爆前後(白井秀雄・相原秀次編)
20  ヒロシマ遺文への投稿=「長崎の原爆 閃きのあと
21   ヒロシマ遺文への投稿=「浦上の原爆の語り 永井隆からローマ教皇へ
22
23  ヒロシマ遺文への投稿=「福田須磨子
24   ヒロシマ遺文への投稿=「福田須磨子詩碑
25   ヒロシマ遺文への投稿=「具島兼三郎」、「炎の中から-被爆衛生兵の証言」、「原爆を見た聞こえない人々 長崎からの手話証言」、「少年少女ヒロシマの旅・少年少女ナガサキの旅
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 31
 ヒロシマ遺文への投稿=「」

 

静岡県原水爆被害者の会

静岡県原水爆被害者の会<作業中>

結成総会 1959年7月26日

 

第五福龍丸乗組員(二三人)の組織化

 

『朝日新聞(夕刊)』(一九五五年八月三日)

[焼津発]ビキニ退院患者二十二人で結成されている”福龍会”は、来る六日から広島市で開かれる原水爆禁止世界大会への出席問題につき二日話合った結果、元第五福龍丸漁業長見崎吉男さん(二九)=焼津市鰯ケ島=を患者代表として送ることを決めた。

『朝日新聞』(一九五五年八月四日)

見崎の大会参加は取りやめ

 

ビキニ水爆実験被災者と原水爆禁止運動の出会い

 

55 08  17 静岡県の広島大会参加者ら30人と県評・母親大会準備会の代表ら、会合を開き、原水爆被災者救援運動を起こす、この会を原水爆禁止静岡県連絡協議会として存続す

るなどを決定(アカハタ)。 122 06   H 0826

 

杉山秀夫『核兵器廃絶の日まで』(一九八五年)三五-三六頁

昭和三十二年の第三回原水爆禁止世界大会に高教組の代表として参加出来た。

第四回の世界大会の参加のときは、自ら被爆者であることを名乗り、県評の目にとまり、県内に被爆者組織をつくる発起人を引受けたのである。この時、県評は既に百人以上の被爆者名簿を入手していた。

その中から数名の発起人を選び、三十四年三月十五日に、被爆者十七名(広島十二名、長崎一名、ビキニ四名)が集まり、第一回準備会を開き、結成へむけて大きくすべりだしていった。そして四月には日本被団協と県原水協の協力のもと、県内五四五名被爆者の内、名簿の明かな者二九七名(ビキニ被災十一名を含む)に対して実態調査を行い、五月末迄に一五七通の解答を得た。