こうの史代:女性漫画家、イラストレーター
代表作
『夕凪の街 桜の国』(双葉社、200408刊)
『この世界の片隅に』
『夕凪の街 桜の国』(双葉社、双葉文庫、20080420)
夕凪の街=被爆10年後の広島が舞台
桜の国=42年後~59年後の東京と広島が舞台
こうの史代:女性漫画家、イラストレーター
代表作
『夕凪の街 桜の国』(双葉社、200408刊)
『この世界の片隅に』
『夕凪の街 桜の国』(双葉社、双葉文庫、20080420)
夕凪の街=被爆10年後の広島が舞台
桜の国=42年後~59年後の東京と広島が舞台
『波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂』(金本邦夫著、財団法人富士社会教育センター刊、19960520刊)目次抄
| 章節 | |||
| 出版に寄せて | |||
| はじめに | |||
| 1 | 小さい頃と両親のこと | ||
| 2 | 小学校時代のこと | ||
| 3 | 青年団活動 | ||
| 4 | 大東亜戦争のこと | ||
| 4-12 | 原爆と終戦 | ||
| 5 | 音戸町体育協会のこと | ||
| 6 | 全力つくした町議会議員 | ||
| 6-1 | 戦後第1回統一地方選挙に出馬。<音戸町議員> | ||
| 6-2 | 戦争未亡人救済の町営授産場設立に努力 | ||
| 6-3 | 町立保育所の設立を実現 | ||
| 6-4 | 音戸高等学校誘致に死力をつくす | ||
| 7 | 呉造船労働組合時代 労働運動に生涯をかける決意 | ||
| 7-1 | 労働運動に入るきっかけ | ||
| 7-2 | 給料遅配に特別交渉委員。出征兵士見送り同様の壮行会で上京 | ||
| 7-6 | 全国初の厚生年金還元融資の串山住宅 | ||
| 7-7 | 中国労災病院呉誘致に一役買う | ||
| 7-9 | 呉造船独立と労働組合 | ||
| 7-10 | 生協売店市中進出反対デモの応対。本部建設に一役、音戸取次所を自宅に | ||
| 7-12 | 労働組合長に就任 | ||
| 7-13 | 年満者夫婦の招待慰安旅行の実施 | ||
| 7-16 | 組合特自の共済規定の実現 | ||
| 7-17 | 家族会の結成と家族相談室の設立 | ||
| 7-19 | 年満者引続き雇用を要求・遂に呉船産業株式会社設立を実現 | ||
| 7-20 | 毎日新聞全国版(1961年2月4日)に40代の顔として紹介される | ||
| 7-22 | 組合結成十五周年記念事業として十五年史発刊と会館建設を実施 | ||
| 8 | 広島全労議長として活躍 | ||
| 8-1 | 造船総連、総同盟等の上部役員 | ||
| 8-2 | 広島全労議長に就任 | ||
| 8-3 | 県関係の各種委員に任命される | ||
| 8-4 | 日本生産性本部米国派遣視察。労働者チーム十二名の団長として | ||
| 8-4-1 | 出発に郷里で見送り壮行会 | ||
| 8-4-2 | いよいよアメリカ、主要都市周辺のこと | ||
| 8-4-3 | 労働組合が国旗と組合旗を尊重 | ||
| 8-4-4 | 徹底している産業別組織の確立。大手鉄鋼会社で県出身二世課長の案内 | ||
| 8-4-5 | 組合大会を見学、幹部と懇談。働きすぎの日本におひやかされる | ||
| 8-4-6 | 日系人のこと | ||
| 8-4-7 | 手土産と家庭訪問 | ||
| 8-4-8 | 余話 | ||
| 8-5 | 最賃法裁判で基準局賃金課長を激励 | ||
| 8-7-1 | |||
| 8-6 | 憲法調査会の公述人として意見陳述 | ||
| 8-7 | 核禁会議の結成で原水協とテレビ対決 | ||
| 8-8 | 労済、労住、労福協の結成 | ||
| 8-8-1 | 植木仙次郎氏8-5の功績 | ||
| 8-8-2 | 広島県労働者共済生活協同組合の設立 | ||
| 8-8-3 | 広島県労働者住宅生活協同組合の設立10月 | ||
| 8-8-4 | 広島県労働者福祉対策協議会結成 | ||
| 8-8-5 | 結成周年記念式典の思い出 | ||
| 8-8-6 | 焼山政畝団地造成の思い出 | ||
| 8-8-7 | 音戸波多見竹田浜埋立団地に | ||
| 8-9 | 労働争議の斡旋、調停、指導 | ||
| 8-9-1 | 西美電気西光精機(現テンパール工業) | ||
| 8-9-2 | 府中町静養院の争議 | ||
| 8-9-3 | ニコニコバスの争議 | ||
| 8-9-4 | 日東製網の争議解決に努力 | ||
| 8-9-5 | 佐竹新労結成は暴力を排除して | ||
| 8-9-6 | 激しかった当時の労働争議 | ||
| 8-9-7 | 国鉄、電産のスト、労使に苦言 | ||
| 8-9-8 | 地労委としての私の基本的考えと携わった事件 | ||
| 8-9-9 | |||
| 8-9-10 | メーデー改善を訴える | ||
| 8-9-11 | 講演依頼やテレビ、ラジオの対談。常にマスコミの対象にされる | ||
| 8-9-12 | 同盟会議結成の準備と全労議長退任 | ||
| 9 | 職場復帰で全力投球 社長表彰、更に営業で実績 | ||
| 10 | PTA活動と小、中学校の分離推進で中学校建設に献身 | ||
| 11 | 生涯民社党を貫く | ||
| 12 | 思い出深い選挙活動 | ||
| まえがき | |||
| 12-1 | 衆議院議員前田栄之助先生を支えて | ||
| 12-2 | 民社党結党直後の衆院選、私に出馬要請されるも遂に辞退 | ||
| 12-3 | 永野巖雄先生とのかかわり | ||
| 12-4 | 二区衆議院選に香河直祐氏。選対委員長を引受けて闘う | ||
| 12-5 | 山田節男先生と私。参議院選挙と広島市長選挙 | ||
| 12-6 | 浜田光人先生、衆院選擁立について | ||
| 12-7 | 保野健治郎先生の選挙 | ||
| 12-7-1 | 呉市長選擁立に社公民三党の話合い | ||
| 12-7-2 | 二回目の市長選は未曽有の激戦 | ||
| 12-7-3 | 衆院二区に擁立して健闘。事務長を引受ける | ||
| 12-8 | 小西博行先生擁立に主役。経緯と参院選 | ||
| 12-9 | 永末英一選対委員長来呉で二区衆院候補擁立について話合う | ||
| 12-10 | 全国初の公民協力、勝谷勝弘氏を支援 | ||
| 12-11 | 盟友玉野晃君と県会議員選挙 | ||
| 12-12 | 玉野君病で引退説得を依頼される。後任混乱。私は苦しみ抜き、党のため遂に候補受諾 | ||
| 12-13 | 次期県議候補に柳田稔氏を説得 | ||
| 12-14 | 参院地方区佐々木秀隆候補は呉支部党員 | ||
| 12-15 | 呉市議選につくした私の役割 | ||
| 12-15-1 | 組合長在任中二回の補欠選挙に勝利 | ||
| 12-15-2 | 出崎文三氏をわが社社員で市議へ | ||
| 12-15-3 | 榊原伍市議との交友 | ||
| 12-15-4 | 横田勝信市議とのこと | ||
| 12-15-5 | 民社の申し子、重盛親聖市議。永年の結びつきと選挙を思う | ||
| 12-15-6 | 組織外から森岡よし子氏擁立に一役。平成七年統一地方選に初の女性市議 | ||
| 12-15-7 | 成功しなかった市議選 | ||
| 12-16 | 川尻町長選に花田博幸氏、惜敗する | ||
| 12-17 | 音戸町長選(平成五年)を思う | ||
| 12-18 | 公職選挙法違反で留置場十九日。会社、団体等役員十九件を辞任 | ||
| 12-19 | 民社党候補者探しは私の役目として努力 | ||
| 13 | 会社設立し理想に向って | ||
| 13-1 | IHIを中途退職して外で行動 | ||
| 13-2 | 株式会社くれせん設立 | ||
| 14 | 家庭、家族のこと | ||
| 15 | 大東亜戦争戦没者慰霊碑建設と老人福祉施設の建設を希求して | ||
| むすびに | |||
| 金本邦夫略年譜 |
内 閣 総 理 大 臣 挨 拶
広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
六十三年前、幾万の尊い命と共に焦土と化した広島は、今や我が国有数の大都市に発展するとともに、国際的にも平和都市として名誉ある地位を占めています。私は、これもひとえに市民の皆様方が、廃墟の中から立ち上がり、街を復興するにとどまらず、被爆地として、平和の尊さを世界中に訴える努力を続けてこられた賜と考えます。
国としても、唯一の被爆国として、広島、長崎の悲劇を二度と繰り返してはならないと堅く決意し、戦後一貫して国際平和の途を歩んでまいりました。
広島は平和の象徴(シンボル)です。昨年から日本とアジアの青年たちが「広島平和構築人材育成センター」に集い、平和の大切さを実感しながら国際平和協力活動について学ぶ研修を始めています。
平和で安定した国際社会は、我が国の安全と繁栄にとってもかけがえのない財産であり、これを守り育てるためにも、我が国は「平和協力国家」として、国際社会において責任ある役割を果たしていかなくてはなりません。先の北海道洞爺湖サミットのG8首脳宣言では、初めて、現在進行中の核兵器削減を歓迎し、すべての核兵器国に透明な形での核兵器削減を求めました。
そして、本日、ここ広島の地で、改めて我が国が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます。
また、被爆により苦しんでおられる方々には、保健、医療並びに福祉にわたる総合的な援護策を実施してまいります。本年三月には、原爆症認定の新たな方針を策定し、できる限り多くの方を認定するよう努めています。さらに、六月には、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳の取得を容易にするための改正被爆者援護法が成立しました。今後とも、苦しんでおられる方を一人でも多く援護できるよう取り組んでまいります。
結びに当たりまして、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展を心より祈念申し上げ、私のあいさつといたします。
平成20年8月6日
内閣総理大臣 福田康夫
広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式
内 閣 総 理 大 臣 挨 拶
本日、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。また、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞い申し上げます。
広島は、焦土から立ち上がり、国際平和文化都市として、大きく成長しました。今日まで、広島の復興と発展に尽力された多くの皆様に心から敬意を表します。
今から六十二年前の今日、原子爆弾がこの地に投下されました。広島の広範な地域で十数万ともいわれる尊い命が一瞬にして奪われ、多くの方々が傷つき、今も残る耐え難い障害に苦悶されています。
七万戸に及ぶ建物が破壊され、市民の財産の大半が灰燼に帰するなど、ここ広島の地は廃墟と化しました。
我が国は、戦後六十二年の間、ただひたぶるに国際平和への途を歩んでまいりました。広島、長崎の悲劇は、この地球上のいかなる地においても再び繰り返してはなりません。我が国は、人類史上唯一の被爆国として、この悲惨な経験を国際社会に語り継いでいく責任があるのです。
私は、犠牲者の御霊と広島市民の皆様の前で、広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならないとの決意をより一層強固なものとしました。今後とも、憲法の規定を遵守し、国際平和を誠実に希求し、非核三原則を堅持していくことを改めてお誓い申し上げます。
また、国連総会への核軍縮決議案の提出などを通じて、国際社会の先頭に立ち、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、全力で取り組んでまいります。
政府は、被爆者の方々に対して、これまで保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護施策を充実させてきました。本年四月からは、原爆特別養護ホーム「矢野おりづる園」を新たに開設したところです。今後とも、被爆者の方々の切実な声に真摯に耳を傾け、諸施策を誠心誠意推進してまいります。
終わりに、犠牲となった方々の御冥福と、被爆者並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展をお祈り申し上げます。
平成19年8月6日
内閣総理大臣 安倍晋三
広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式
内 閣 総 理 大 臣 挨 拶
本日ここに、被爆五十六周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が執り行われるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。そして、今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に対し、心からお見舞いを申し上げます。
今から五十六年前の今日、原子爆弾の投下により、幾多の尊い生命が一瞬にして失われ、この広島の地は廃墟と化しました。現在では市民の皆様の並々ならぬ御努力により、国際平和文化都市として、ますますの発展を遂げておりますが、現在の平和と繁栄の礎に、原子爆弾の惨禍による尊い犠牲があることを決して忘れることはできません。
人類史上唯一の被爆国である我が国は、平和憲法を遵守し、非核三原則を堅持するとともに、原子爆弾による惨禍が再び繰り返されることのないよう、核兵器の廃絶と恒久平和の実現を、国際社会に訴え続けてまいりました。
昨年十月の国連総会において、我が国は、包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効など、核軍縮・核不拡散のための具体的措置を盛り込んだ「核兵器の全面的廃絶への道程」と題する決議案を提出し、圧倒的多数の支持を得て採択されたところです。また、本年九月には、CTBT発効促進会議がニューヨークにおいて開催されます。我が国としては、これまでも様々な機会を通じてCTBT発効のための努力を行ってまいりましたが、この会議が成功するよう努力するとともに、更にこれを契機として、一層、積極的に各国への働きかけを行うなど、我が国は、今後とも国際社会の先頭に立ち、核軍縮・核不拡散の取組を押し進め、核兵器の廃絶に全力で取り組んでまいります。
また、被爆者の方々に対しましては、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」に基づき、保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護施策の充実を図ってまいりました。今後とも、高齢化が進む被爆者の方々の実状を十分に酌み取りながら、援護施策の推進に誠心誠意努めてまいります。さらに、来年度開館する予定の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館につきましては、原子爆弾による死没者の方々の尊い犠牲を銘記するとともに、永遠の平和を祈念し、原子爆弾の惨禍を全世界に伝えるための施設となるよう努めてまいります。
ここ広島において、本日の式典に臨み、私は平和への思いを新たにし、原子爆弾による惨禍が二度と繰り返されることのないよう、恒久平和の実現に全力で取り組んでいくことを御霊の前にお誓い申し上げます。
終わりに、亡くなられた方々の御冥福と、御遺族並びに被爆者の方々の今後の御多幸を心からお祈りし、併せて参列者並びに広島市民の皆様の御健勝を祈念申し上げます。
平成十三年八月六日
内閣総理大臣 小泉 純一郎
広島平和記念式典における内閣総理大臣(1997年)挨拶
本日ここに、被爆五十二周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が挙行 されるに当たり、原子爆弾により尊い命を奪われた数多くの方々の御霊に対し、謹 んで哀悼の誠を捧げます。そして、今なお原爆の後遺症に苦しんでおられる方々に 対し、心からお見舞い申し上げます。また、廃虚の中から立ち上がり、今日の百十 万人の人口を擁するこの広島を見事に築かれました市民の皆様の半世紀にわたる並 々ならぬ御努力に対し、深い敬意を表するものであります。
核兵器のない世界の実現は、人類史上唯一の被爆国である我が国の悲願でありま す。我が国は、広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならないという固い決意の下、 日本国憲法を守り、非核三原則を堅持するとともに、現実的かつ着実な国際的努力 による核兵器の廃絶と恒久平和の確立を全世界に訴えてまいりました。
昨年から今年にかけての一年間は、核軍縮における歴史的な成果をあげた年であ り、我が国が永年希求しておりました包括的核実験禁止条約が昨年九月の国連総会 で採択されるに至りました。私は、その重要性を深く認識し、その署名式には自ら 出席し、また、他国に先駆けて締結すべく、先の通常国会で御承認を頂いた次第で あります。こうして我が国は、条約発効のために批准が必要とされている四十四カ 国中で最初の締約国となりましたが、これが他国の条約締結の呼び水となることを 期待するとともに、各国に同条約の早期締結を働きかけることにより、同条約の発 効を早期に実現させたいと考えます。今後とも私は、核軍縮、核兵器の不拡散、更 には、核兵器の全廃と戦争のない世界の実現に向けて一層の努力を重ねてまいりま す。核軍縮における次の課題は、核兵器生産のための核分裂性物質の生産禁止に関 するいわゆるカットオフ条約の作成ですが、その条約交渉の早期開始に向け、積極 的に努力してまいりたいと思います。
また、被爆者の方々に対しましては、平成六年十二月に制定されました「原子爆 弾被爆者に対する援護に関する法律」に基づき、特別葬祭給付金の支給を始め、保 健、医療、福祉にわたる総合的な被爆者援護施策の充実を図ってまいりましたが、 今後とも高齢化の進行など被爆者の方々の実状を十分汲み取りながら、被爆者の方 々に対する援護施策の充実に向けて誠心誠意努めてまいります。
終わりに、本日の式典に臨み、平和への決意を新たにするとともに、亡くなられ た方々の御冥福と、御遺族並びに被爆者の皆様の今後のご多幸を心からお祈りし、 併せて参列者並びに広島市民の皆様の御健勝を祈念いたしまして、私のあいさつと いたします。
平成九年八月六日 内閣総理大臣 橋本 龍太郎
内閣総理大臣のメッセージ
1953(昭和28).8.6
メッセージ
本日ここに,広島市原爆死没者慰霊式並びに平和記念式を厳修されるに当り,謹んで諸霊の冥福を祈ると共に,平和都市建設の理想を実現されつつある,広島市市民諸君の御努力に対し,深甚の敬意を表すものであります。
世界の平和を目指して,民主主義に基く文化国家を建設することは,わが国憲法の理想とするところであり,われわれ国民の進むべき目標であります。新しい広島市の建設も,この意味においてわが国の理想を世界に闡明せんとするものであり,広島市の成長は平和的文化的の日本国家の成長を表徴するものであります。身を以て尊い平和の礎となられた地下の諸霊も民主日本の成長発展をのぞみ見らるるものと信してうたがいません。
この式典にあたり,私は謹んで原爆死没者各位の冥福を祈り,またその遺家族諸子の労苦に対し深く同情の意を表し,再びかかる大いなる不幸の繰り返されることのないよう祈念するものであります。
昭和二十八年八月六日
内閣総理大臣 吉田茂
〔広島市役所蔵〕
広島平和記念都市建設法の制定の当時を振り返って-関係者による座談会(広島市公文書館編、広島市公文書館刊、19870806)
目次
| 1- | 座談会記録 | |
| 座談会資料: 広島平和記念都市建設法制定関係年表 | ||
| 2 | 参考資料 | |
| 2-1 | 広島平和記念都市建設法公布書 | |
| 2-2 | 広島平和記念都市建設法案(第1次案) | |
| 2-3 | 広島平和記念都市建設法案(英文・確定案) | |
| 2-4 | 昭和24年5月10日衆議院会議録抜粋 | |
| 2-5 | 昭和24四年5月11日参議院会議録抜粋 | |
| 2-6 | 広島平和記念都市建設法の住民投票における浜井市長・任都栗市議会議長の訴え | |
| 2-7 | 『ヒロシマ平和都市法』(寺光忠著 昭和24年 中国新聞社刊)の金森徳次郎の序文 | |
| 3 | 資料目録(関係分) | |
| 3-1 | 寺光忠氏寄贈資料目録 | |
| 3-2 | 藤本千万太氏寄贈資料目録 |
広島市平和式典(1952年)における吉田茂式辞(代読)
八月六日を迎えるに当り,遙かに想いをはせて,戦災犠牲者の冥福を祈ると共に、苦難に充ちた過去の陰影を払拭して着々と,平和郡市建設の理想を実現せられつつある広島市民諸君の努力に対し,心から深甚なる敬意を表するものであります。
世界の平和を目指して,民主々義に基く,文化国家を建設することは,わが国憲法の理想とするところであり,われわれ国民の進むべき目標であります。新しい広島市の建設も,この意味においてわが国の理想を世界に闡明せんとするものであり,広島市の生成は,平和的文化的なる日本国家の成長を表徴するものであります。身を以て尊い平和の礎となられた地下の霊も民主日本の成長発展をのぞみ見らるるものと信じてうたがいません。この式典に当り,私は謹んで原爆死没者各位の冥福を祈ると共に,市民諸君が更に決意を新たにし,理想達成への途に邁進せられんことを切望して已みません。
〔広島市役所蔵〕
内閣総理大臣とヒロシマ・ナガサキ
| 年月日 | 訪問など |
| 1955 | 鳩山一郎首相の広島・長崎訪問 |
| 1971 | 佐藤栄作首相の広島市平和式典参列 |
| 19600911 | 池田勇人首相、首相就任後初のお国入り。15 広島市の原爆慰霊碑を参拝、広島原爆病院を慰問。 |
| 197406 | 田中角栄首相の長崎平和祈念像(4日)と広島原爆慰霊碑への参拝(8日) |
| 1976 | 三木武夫首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
| 1977 | 福田赳夫首相の広島(8月22日)・長崎(9月18日)訪問 |
| 1981 | 鈴木善幸首相の広島市平和式典参列 |
| 1982 | 鈴木善幸首相の長崎市平和式典参列 |
| 1983 | 中曽根康弘首相の広島市平和式典参列 |
| 1984 | 中曽根康弘首相の長崎市平和式典参列 |
| 1985 | 中曽根康弘首相の長崎市平和式典参列 |
| 19860701 | 中曽根康弘首相の広島訪問、原爆慰霊碑参拝。 |
| 1986 | 中曽根康弘首相の長崎市平和式典参列 |
| 1987 | 中曽根康弘首相の広島市平和式典参列 |
| 1988 | 宇野宗佑首相の広島市平和式典参列 |
| 1989 | 宇野宗佑首相の広島市平和式典参列 |
| 1990 | 海部俊樹首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
| 1991 | 海部俊樹首相の広島市平和式典参列 |
| 1992 | 宮沢喜一首相の長崎市平和式典参列 |
| 1993 | |
| 1994 | 村山富市首相の広島市平和式典参列 |
| 1995 | 村山富市首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
| 1996 | 橋本龍太郎首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
| 1997 | 橋本龍太郎首相の広島市平和式典参列 |
| 1998 | 小渕恵三首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
| 1999 | 小渕恵三首相の広島市平和式典参列 |
| 2000 | 森喜朗首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
| 2001 | 小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
| 2002 | 小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
| 2003 | 小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
| 2004 | 小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
| 2005 | 小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
| 2006 | 小泉純一郎首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
| 2007 | 安倍晋三首相の広島市・長崎市平和式典参列 |
| 2008 |