後藤陽一
| ごとう・よういち |
20020317没 |
享年88 |
広大名誉教授 |
88 |
資料
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道重哲男「追悼「後藤陽一先生を悼む」 」 |
『芸備地方史研究』237号(2003.6) |
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「おのが自し郷土に生活の運命を託した幾世代もの人たちの人間的営み、喜びも悲しみも、悲願も嘆息も、あらゆる人間的な感慨をこめて生き抜こうとした人たちの現実の行為は今は確かにない。しかし一切のものは、その土壌に深く浸み透って清冽な地下水となり、不断の流れをたたえて今日を養ってくれる。郷土の歴史とはそのようなものではあるまいか」 (追悼文に紹介された後藤の言葉) |
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| 志賀賢治広島平和記念資料館館長 |
講演「記憶の継承」―次世代に引き継ぐ資料館を目指して |
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開催日時:2017年8月2日、会場: 広島大学東千田キャンパス> |
| 出典『平成29年度第1回広島大学平和科学研究センター主催国際シンポジウム「原爆体験・戦争の記憶の継承~託す平和遺産」 No.33 Editor: Institute for Peace Science, Hiroshima University 201804』 |
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原爆被害相談員の会からの報告(IPSHU研究報告シリーズ No.23 広島大学平和科学研究センター 1996年3月1 日)
| 著者 |
タイトル |
| 相良カヨ(原爆被害者相談員の会) |
被爆者とABCC |
| 三村正弘(広島県保険医協会) |
原爆被害者援護法と社会保障の一考察 |
| 若林節美(広島YMCA健康福祉専門学校) |
被爆者は今 |
| 船橋喜恵(広島大学総合科学部) |
原爆被害者相談員の会の歩み |
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『戦後ヒロシマの記録と記憶 小倉馨のR・ユンク宛書簡 上・下』(若尾祐司・小倉桂子編、名古屋大学出版会、2018年7月10日)
目次
| 上巻 |
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| ロベルト・ユンク「広島での出会い |
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| 第一編 共同作業に向けて-一九五七年五月末から同年末まで |
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概要
小倉書簡(一九五七年五月二五日~一二月三〇日)
解説1 浜井信三インタビュー
解説2 ロベルト・ユンクの動向(一) |
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| 第二編 反核平和運動の高まりの中で-一九五八年一月から同年五月まで |
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概要
小倉書簡(一九五八年一月八日~五月二七日)
補遺(一九五八年六月初旬~九月四日)
解説1 中央公論一九五八年八月号「ヒロシマ-その後十三年」
解説2 ロベルト・ユンクの動向(二) |
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| 第三編 被爆当時と後障害の究明-一九五八年九月から五九年一月まで |
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概要
小倉書簡(一九五八年九月八日~五九年一月二九日)
解説1 長岡省吾インタビュー
解説2 医師へのインタビュー
解説3 ロベルト・ユンクの動向(三) |
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| 下巻 |
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| 第四編 戦後の生活と性の現場へ-一九五九年二月から同年五月まで |
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概要
小倉書簡(一九五九年二月二日~五月二九日)
解説1 遊郭関係者へのインタビュー
解説2 ロベルト・ユンクの動向(四) |
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| 第五編 平和を求めて生きる人々-一九五九年六月から同年一〇月半ばまで |
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概要 486
小倉書簡(一九五九年六月三日~八月二四日と九月一五日~一〇月一三日)
解説1 河本一郎インタビュー
解説2 広島市観光課へのインタビュー
解説3 ロベルト・ユンクの動向(五) |
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| 付録 小倉馨の人と生涯 |
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1 小倉馨関係年譜
2 小倉桂子インタビュー
3 追記 |
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『広島市被爆70年史 あの日まで そして、あの日から 1945年8月6日』(被爆70年史編修研究会編、広島市刊、2018年7月28日)
目次
| 戦前編 |
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| 第1章 プロローグ |
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| 第2章 広島市の誕生 |
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| 第3章 日清戦争と軍部の形成 |
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| 第4章 近代都市への発展 |
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| 第5章 都市の変貌 |
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| 第6章 社会運動と市民文化 |
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| 戦中編 |
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| 第1章 戦時下の広島 |
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第1節 戦時体制の強化
第2節 銃後としての広島
第3節 広島の外国人
第4節 「決戦」命令の日々 |
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| 第2章 原爆被災 |
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第1節 グラビア 1945年8月6日
第2節 広島壊滅
コラム 原子爆弾の開発と投下 |
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| 戦後編 |
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| 第1章 廃虚からの出発 |
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第1節 子どもたちと原爆
第2節 原爆はどう報じられたのか
第3節 占領軍の展開と占領の諸相
第4節 廃虚の中の市民生活
第5節 海外からの復興支援
第6節 医療と衛生の復興
コラム ニつの平和記念日 |
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| 第2章 復興のつち音 |
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第1節 復興計画の立案と進展
第2節 平和記念都市建設法と平和記念施設
第3節 基町を中心とする公園・緑地・住宅計画
第4節 丹下健三と広島の都市デザイン
第5節 太田川改修事業
第6節 市民球団カープの誕生と発展
第7節 文化の復興
第8節 戦後の経済復興と商工業
第9節 原子力の「平和利用・展示」
コラム 町名から見る城下町広島 |
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| 第3章 民主化と労働運動の高まり |
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第1節 民主化と市民
第2節 労働運動の高まり
第3節 学校の復興と学制改革
第4節 広島の文芸と原爆文学
コラム 広島お好み焼の歴史 |
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| 第4章 被爆者とヒロシマの展開 |
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第1節 被爆者の実相の解明
第2節 被爆者の援護
第3節 被爆者の苦悩
第4節 核実験禁止・核兵器廃絶運動とヒロシマ
第5節 ヒロシマの継承
第6節 平和都市を担って
コラム エノラ・ゲイ号と原爆展示 |
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| 第5章 高度成長以降の都市の拡大 |
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第1節 経済と社会基盤整備
第2節 環境問題・環境対策
第3節 都市機能の「流出」-広島大学の統合移転と空港の移転
第4節 広島の大規模宅地・各種開発の歴史と課題
コラム 若者文化と広島フォーク村 |
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| 第6章 エピローグ |
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第1節 グローバル化と21世紀の平和都市像
第2節 被爆100年後の広島に向けて |
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| 特論 |
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| 特論1 広島・ヒロシマと美術 |
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| 特論2 広島と音楽 |
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| 特論3 映画と広島・ヒロシマ |
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| 特論4 スポーツ王国広島 |
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広島市被爆70年史 映像編目次
| 広島市の歴史 ~明治から現代 |
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Ⅰ -市誕生から被爆まで-
Ⅱ -被爆からの復興- |
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| 10人の証言集 記憶から紡ぐ あのころの広島 |
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「戦争に翻弄された少女の青春」 切明千枝子
「母が綴ったわが子への思い」 渡部定子
「迫る業火を逃げのびて」 竹内節子
「原爆乙女と呼ばれて」 笹森惠子
「麦畑の少年が見た広島の復興」 鈴木孝
「原爆と在日の二つの重みを背負って」 朴南珠
「広島復興の象徴、基町の再生」 中村和正
「被爆、そして原子力の平和利用」 伊藤薫
「ヤミ市から立ち上がった広島商人」 山西義政
「原爆にも負けないで、野球に打ち込んだ人生」 原田高史 |
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| ドキュメンタリー 幻の記録映画を追って 平和記念都市ひろしま |
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広島国際文化財団
1977年、中国新聞社と中国放送が広島の文化振興を目的に設立した財団法人
主な事業
| 年月日 |
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| 197807 |
街づくりシンポジウム(丹下健三、平山郁夫など) |
| 197811 |
デザイン会議1978広島 |
| 197904 |
ガウディ展 |
| 198008 |
増田勉ヒロシマシリーズ作品展 |
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米国記者招請計画(アキバ・プロジェクト) |
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Voices from Hiroshima
a symposium November 28-29, 1990
Student Center Ballroom Annex Centra l Connecticut State University
New Britain, Connecticut
資料
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| 宇吹暁 『アメリカ(コネチカット州・ニューヨーク)旅行の記録 1990.11.27-12.3(5泊8日)』 |
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玉川忠太
| たまがわ・ちゅうた |
19870903生19701031没 |
享年73 |
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広島県立医学専門学校講師。後日入市。広島で被爆遺体を解剖。[学研調査]。[広島大学] |
資料
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| 企画展案内:『病理学者、原子野をゆく―広島大学医学部教授・玉川忠太の原爆症への挑戦』(広島大学医学部医学資料館、2018年8月3日~9月20日) |
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| ひづめ・しのぶ |
19940102没 |
享年91 |
広島県被団協理事。1955年皆実原爆被害者の会会長。原水爆禁止広島母の会の活動、機関紙「ひろしまの河」。 |
日詰忍年表
| 1955 |
02 |
10 |
日詰しのぶ(広島市皆実町)、ロンドン医師会代表ホレース・ジュールスから体験談を聞きたいとの招待状を受け取る。 |
| 1955 |
02 |
16 |
森滝日記=夜、世界平和集会世話人会。日詰忍夫人がロンドンの医師団体(代表ホレース・ジュール博士)に招かれて原爆被災の体験談をすることになったので、その支度金カンパにつき相談うける。(目標五万) |
| 1955 |
02 |
20 |
原爆被害者の会、日詰忍の渡英壮行会を事務所で開催。会員13人が参加。(「めばえ」NO.7) |
| 1955 |
02 |
22 |
森滝日記=午後2時半、日詰さん安芸で立つ。渡辺、佐久間氏らとともに見送り。 |
| 1955 |
03 |
06 |
日詰しのぶ・居原貴久江(長崎被爆者)・山本杉・岡本彰祐、英国へむけて羽田を出発。 |
| 1955 |
03 |
13 |
日詰しのぶ・居原貴久江・山本杉、ロンドンに到着。(日本経済夕刊) |
| 1955 |
03 |
23 |
原爆被害者の会、渡英中の日詰忍の第1報を入手。(「めばえ」NO.6、NO.7) |
| 1955 |
04 |
05 |
山本中国新聞社長のもとに渡欧中の日詰忍から詳しい報告と感想が届く。 |
| 1955 |
04 |
19 |
原爆被害者の会幹事日詰忍、英国から帰国。(「めばえ」NO.6) |
| 1955 |
05 |
03 |
日詰しのぶ(原爆被害者の会)、渡英の旅から広島に帰る。 |
| 1955 |
08 |
07 |
日詰忍、原水爆禁止世界大会第4分散会(農協ビル)に参加。 |
| 1956 |
02 |
20 |
広島県被団協代表の市川千代子・山田静代・日詰忍、国会の原水爆禁止決議へのお礼のための上京を終え帰広。(朝日新聞) |
| 1959 |
11 |
21 |
「冷戦終結推進・安保改訂打破日本平和大会」、東京で開催。-23日。広島県平和委員会から日詰(皆実)・村上(婦民)・板倉(書記局)など6名が参加。 |
| 1994 |
01 |
02 |
日詰忍(広島県被団協理事)、死亡。4日のお別れ会には300人が参加。 |
資料
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| 案内状「第7回先人を語る会(慰霊と講話)海外で最初の被爆証言~日詰忍さんを語る会~」(主催:広島市原爆被害者の会、日時:2018年10月13日、場所:広島平和記念資料館) |
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| 投稿タイトル |
掲載書誌 (発行年月日) |
| 7年の記 |
原爆に生きて-原爆被害者の手記(19530625) |
| 欧州に招ねかれて |
開拓者(195508) |
| 一枚の服 |
めばえ(19560501) |
| (アンケート特集への回答) |
平和(広島平和をきずく児童・生徒の会)(19570805) |
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| 座談会・被爆体験と今日私たち |
ひろしまの河NO.2(19610801) |
| 署名 |
ひろしまの河NO.2(19610801) |
| 被爆体験と平和憲法 |
ひろしまの河NO.4(19611201) |
| みちのくのたび |
ひろしまの河NO.4(19611201) |
| 勲章について一言 |
ひろしまの河NO.11(19650101) |
| うた[短歌] |
ひろしまの河NO.12(19650801) |
| 日詰忍 |
ひろしまの河NO.13(19660301) |
平和の時計塔
建立年月日:1967(昭和42)年10月28日
場所:広島市中区中島町・平和公園
[正面]
平和の時計塔
PEACE CLOCK TOWER
核原子力の出現により、人類はいま生か、死か、破滅か、繁栄かの岐路に立っている。
ひろい世界を同じ心で一つに結ぶ、全世界のライオンズ会員が平和実現のために果す役割は大きい。
原爆ドームの永久保存に呼応し、人類が初の原爆の洗礼を受けた時刻、8時15分に、毎日全世界に向けこの時計塔のチャイムが「ノーモアヒロシマ」を強く訴え、人類の高級平和実現の一日も早からんことを祈り、この時計塔を建設し、市に贈るものである。昭和四十二年十月二十八日
チャーター伝達十周年を記念し
広島鯉城ライオンズクラブ
資料
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| 「ライオンズを探せ!@広島県・広島 村上薫元国際会長のテーマを伝えるピープル・アット・ピースの碑」(『LION 日本語版 2015年10月号』https://www.thelion-mag.jp/emag/201510/index_h5.html) |
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