被爆者問題国際シンポジウム広島準備会・生活史調査委員会(編) 『被爆者・この32年の苦悩
-相談援助制度と援護法を求めて-』
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白いチョゴリの被爆者
『白いチョゴリの被爆者』 (広島県朝鮮人被爆者協議会編、労働旬報社、1979年7月15日)
広島県朝鮮人被爆者協議会(朝被協)は1975年8月2日発足.本書には広島で被爆した18名の朝鮮人被爆者の証言を収録.他に、朝被協による朝鮮人被爆者実態調査結果も発表.
目次
肉声を聞く(松本清張) | |
スニのための鎮魂歌(許南麒) | |
Ⅰ | なぜこんな体になったか忘れんでほしい(李永淳) |
1 強制連行で炭鉱夫に いわれた次の日にはもう家族と別れ/膝をまげ首までまげて穴を掘りました 2 怪我人の列が一日中続いとった 3 原爆スラムにバラックをたてて |
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Ⅱ | 劫火のなかに息子の焼かれるのをみて-戦争は私の家族何人を奪おうというのでしょう(辛福守) |
1 『皇国臣民』につくりあげられて ”おしっこ”がいえずにおもらしする子供たち/日本に淡い期待をいだいてきたが 2 燃える体に学生服のボタンが三つ並んでいました 屍の間でかろうじて息をして/死なんぞ-子供二人につづいて夫も 3 重なる惨劇-黒人兵に射殺された弟一家と兄の死と 4生命あるかぎり |
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Ⅲ | 犬のように殺されてたまるか-連行・逃亡・拷問のはてに(鄭順南) |
1 ”鮮人”は豚以下だそうです 畑にトラックでのりつけ連行することも/幾度かの逃亡失敗/豚に食わせる砂糖があってもおまえにはやらん 2 川もぎっしり死体で埋められてました 3 日本人のあなたに考えてほしい |
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Ⅳ | 地獄絵のなかの差別-貴様!!朝鮮人のくせにギャアギャアいうな!(呉鳳寿) |
1 土地をとられて小作させてもらい 2 どこでも一番危ない仕事は朝鮮人 3 こんな目に遭うても-忘れられないあの言葉 4 一冊の本になるほどの苦難の末に 食べ物で二人の子を失い/朝鮮を二度と植民地にしない子に育った |
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Ⅴ | 売春婦に売られて(金末順) |
1 だまされて日本の遊かくへ 2 やっとつかんだ幸せを原爆に奪われて |
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Ⅵ | 日本人はわしらを人間と思うとらんかった(南貴浩) |
1 生きているのが不思議なくらいいじめられた 2 生き残ったのは部落の一割 3 朝鮮人は朝鮮へかえれといいよる-さんざこきつかっておいて |
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Ⅶ | 四六年間”楽しいこと”は一つもないです(鄭寿祚) |
1 一○歳で子守に出されました 2 人間かお化けか 3 植民地なんかなかったら 一人が泣いて四人を助けるつもりで/故郷へ帰って両親の墓まいりするまで生きたい |
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Ⅷ | 一瞬の黒い熱い大波におおわれて(呉乙鶴) |
1 被爆-空中から卵型みたいなのがピカッ 2 産まれる子供が次つぎと 3 私が非常に訴えたいこと 4 朝鮮人は死んでも灰も届けられない |
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Ⅸ | 雨が降っても学校に傘もってくるな-朝鮮ブタ朝鮮ブタとさげすまれ(権重判) |
1 炭鉱を脱走した一七歳年上の主人と結婚 2 人間がイワシのように並べられ-爆風で白いかたまりの被爆者も 3 苦しみの倍加-子供への民族差別 一家六人をかかえてヤミ米買い出し/学校でも就職でも |
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Ⅹ | だれのためになんのために-どうしてもいっておきたい就職差別(文七権) |
1 まるで強盗でした-ウュノムの仕うち 2 おまえは鮮人だから-日本での屈辱 3 追われて広島へ-被爆の苦痛 4 希望の子供らまで就職差別され-戦後も消えぬ苦しみと怒り |
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ⅩⅠ | おまえらみたいな奴 三厘でいくらでも手に入るんだ-逃亡生活・徴兵拒否のはてに(朴在寿) |
1 貧困と差別のなかで 2 逃亡生活 一年余の徴兵拒否の逃避行/徴兵検査-父連行の脅迫で 3 人間が木炭のように 4 日本人以下に扱われる理由はないのです |
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ⅩⅡ | ”新日本人”と口先ではいいながら(黄義錫) |
1 消えない思い出 2 戦争のために 朝鮮人は劣等人間だからつき合えばバカになる/ていよく日本政府の番犬につかわれて 3 どの人も裸同然でした 4 日本のためにのみ働かされてきたのに |
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ⅩⅢ | 広島の街が大地に叩きつけられたように(柳昌洙) |
1 太陽が黒くみえた 2 心のやすらぎがほしいんよね 3 子孫が二の舞をふんでは死にきれん |
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ⅩⅣ | 歴史の底で死んだ母(鄭文玉) |
1 どの家庭も食べ物をあさる生活 卑屈な運命をたどる旅立ち/夢を破られた父との再会 2 日本が手を上げるならもっと早ければ 3 せめて人権だけでも-新憲法下でも変わらない仕うち 4 いまも暗い歴史を背負い |
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ⅩⅤ | 子供らに希望を語りつづけて-朝鮮人被爆教師として(朱碩) |
1 故郷も生活を荒らしまくられて 2 死の行列はあとからあとからつづき 3 反戦・平和・民族教育の灯を守るために 4 父母たちはなぜ被爆したか、なぜ原爆は落とされたのかを教えて |
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ⅩⅥ | 土地・言葉・故郷・八人の肉親を奪われて |
1 全財産を奪われて 2 血のようなくやし涙-妻も兄も八人の肉親を失い けん命に生きる人間のすべてを奪った原爆/なぜ最も善良なものが最も過酷な運命を 3 放置された被爆者のために |
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ⅩⅦ | 顔をみて”つける薬はない”と無視しました-事実を互いの民族がみつめあってこそ(閔基鎬) |
1 一日も胸をはって生きられなかった少年の日日 2 原爆と空襲のなかで 気づかずに積みあげた死体の脇に寝て/むごい体験 3 日朝のほんとうの交流をつくるために |
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ⅩⅧ | この世に生まれた価値を失わないために |
ⅩⅨ | 被爆朝鮮人問題と「朝被協」(李実根) |
1 被爆朝鮮人の由来 | |
一 在日朝鮮人の形成 二 軍都ヒロシマ-朝鮮人ヒバクシャ |
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2「朝被協」の結成と活動 | |
一 その結成と足跡 二 在広朝鮮人被爆者の実態調査 |
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あとがき | |
表紙絵・文中カット四国五郎 |
NGO被爆問題国際シンポジウム報告書
『被爆の実相と被爆者の実情-1977NGO被爆問題シンポジウム報告』(ISDA JNPC編集出版委員会、朝日イブニングニュース社、19780915)
内容
頁 | ||
001 | シンポジウムの宣言 | |
004 | シンポジウムの宣言の原文(英文) | |
006 | 発刊にさいして | 三宅泰雄 |
008 | まえがき | アーサー・ブース |
019 | シンポジウムの背景・準備・経過・影響 | 川崎昭一郎 |
029 | 国際準備委員会の報告 | アーサー・ブース |
033 | 開会のあいさつ | ショーン・マクブライド |
037 | 歓迎のあいさつ | 飯島宗一 |
039 | 広島県知事のあいさつ | 宮沢弘 |
039 | 広島市長のあいさつ | 荒木武 |
039 | 長崎市長のあいさつ | 諸谷義武 |
041 | イラク共和国大統領メッセージ | アーマド・ハッサン・アル=バクル(アメル・アブドラー代表) |
042 | ユネスコ事務局長メッセージ | アマドゥ・マター・ムボウ |
042 | 日本学術会議会長メッセージ | 越智勇一 |
043 | メッセージを寄せた組織・個人一覧 | |
044 | 被爆者調査の概要報告 | 浜谷正晴 |
047 | 被爆者代表の訴え | 伊東壮 |
049 | 第I分科会「原爆の医学的遺伝的影響・後遺」の要約報告 | |
050 | 第II分科会「原爆の社会的影響、とくに被爆者問題」の要約報告 | |
052 | 第III分科会「情報の普及、宣伝、平和教育」の要約報告 | |
054 | 第IV分科会「核兵器の廃絶、放射能からの人類の防護(NGOの役割)」の要約報告 | |
058 | シンポジウム第2段階の報告書(採択文書) | |
061 | 長崎準備委員会のあいさつ | 秋月辰一郎 |
062 | 日本原水爆被害者団体協議会のあいさつ | 行宗一 |
063 | 閉会のあいさつ | フィリップ・ノエル=ベーカー |
071 | ラリーはじめに | 服部学 |
073 | 広島ラリーにおける第2段階総括報告メフ演説 | マリアン・ドブロシェルスキー |
075 | 広島ラリーのよびかけ | |
076 | 長崎ラリーへの長崎県知事のメッセージ | 久保勘一 |
077 | 長崎ラリーへの長崎市長のメッセージ | 諸谷義武 |
078 | 長崎ラリーへの国際準備委員会会長のメッセージ | ショーン・マクブライド |
079 | 長崎ラリーのよびかけ | |
080 | 1977年日本シンポジウムに関するプレスレリース | |
083 | 国際調査団報告書・作成文書 はじめに | 庄野直美 |
085 | 作業文書作成に協力した専門家名簿 | |
088 | 国際調査団自然科学グループの報告書 「広島・長崎原爆の物理的・医学的影響」 | |
092 | 国際調査団社会科学グループの報告書 「原爆の人間的意味と平和教育」 | |
099 | 国際調査団による作業文書Vの要約 | |
101 | 作業文書I「原爆による物理的破壊と死亡者数」 | |
109 | 作業文書II「原爆の医学的影響」 | |
124 | 作業文 III「原爆と人間」 | |
161 | 作業文書IIIの付属資料「在外、外国人被爆者について-在韓国被爆者の場合-」 | |
168 | 作業文書IV「平和教育とマスメディア」 | |
185 | 作業文書V「核兵器と地球環境の放射能汚染」 | |
213 | 作業文書Vの補遺「ビキニ核兵器実験とその影響」 | |
217 | 被爆者調査 はじめに | 田沼肇 |
219 | 原爆被害者一般調査の結果について | |
232 | (付属資料)一般調査票 | |
244 | 生活史調査の結果についての若干の予備的考察 | |
278 | (付属資料1)生活史調査の概要 | |
281 | (付属資料2)生活史調査 面接要領 | |
298 | 医学調査の中間要約報告 | |
316 | (付属資料3)医学調査・問診票 | |
339 | 被爆調査員名簿 | |
355 | シンポジウムの諸役員 | |
357 | 国際準備委員会の機構と役員 | |
365 | ||
358 | 国際スポンサー一覧 | |
359 | 国際調査団(第1段階)のメンバー | |
361 | 日本準備委員会の機構と役員 | |
365 | 広島準備委員会 | |
368 | 長崎準備委員会 | |
370 | シンポジウム推進団体連絡会議 | |
372 | 都道府県シンポジウム推進(支持)委員会 | |
377 | シンポジウムのプログラム | |
379 | シンポジウム(第2段階)への招請状 | |
380 | NGO軍縮特別委員会第21回会議の原爆被害者に関する決議 | |
380 | NGO軍縮特別委員・・3回会議の議事録(抜粋) | |
381 | 日本シンポジウムの発展・意義・支持 | アーサー・ブース |
385 | NGO国際軍縮会議における日本代表の演説 | 渡辺千恵子 |
387 | 国連軍縮徳別総会の NGOデー における日本代表の演説 | 田中里子 |
389 | 経過の日誌 |
止
広島原爆医療史
『広島原爆医療史』(広島原爆障害対策協議会、1961年8月6日刊)
目次
章 | 節 | 見出し | メモ | |
発刊のことば | 松坂義正 広島原爆医療史編集委員会代表 広島原爆障害対策協議会副会長 |
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序 | 中山マサ 厚生大臣 | |||
祝辞 | 尾村偉久 厚生省公衆衛生局長 | |||
序 | 大原博夫 広島県知事 | |||
序 | 浜井信三 広島市長 | |||
序 | 武見太郎 日本医師会会長 | |||
1 | 広島市防空救護対策の概要 | |||
1 | 戦局の様相 | |||
2 | 防空対策 | |||
3 | 救護対策 | |||
2 | 原子爆弾投下と救急救護 | |||
1 | 原爆投下 | |||
2 | 原子爆弾と障害作用 | |||
1 | 原子爆発の原理 | |||
2 | 広島における原子爆弾の爆発 | |||
3 | 爆発による諸現象と障害作用 | |||
3 | 被害 | |||
1 | 人的被害 | |||
2 | 建築物の被害 | |||
3 | その他の被害 | |||
4 | 救急救護活動 | 一、指揮系統の壊滅と応急措置、二、陸海軍およびその医療組織の活動、三、各大学医学部の活動、四、県下救護組織の活動、五、県外よりの来援 | ||
3 | 地元における救護活動の実相--座談会の記録-- | |||
1 | 県衛生課関係 | |||
2 | 市役所関係 | |||
3 | 警察および警防団関係 | |||
4 | 学校救護所関係 | |||
5 | 県下医師会関係 | 一、当時の県医師会長を囲んで、二、市医師会関係、双三郡医師会関係、四、高田郡医師会関係、五、その他各郡市医師会関係(尾道市医師会、山県郡医師会、安佐郡医師会、賀茂郡北部医師会、甲奴郡医師会、豊田郡医師会、神石郡医師会、呉市医師会、三原市医師会、世羅郡医師会、比婆郡医師会、御調郡医師会) | ||
6 | 在広病院関係 | 一、広島赤十字病院、二、広島逓信病院、三、広島三菱造船所病院 | ||
7 | 市歯科医師会関係 | |||
8 | 市薬剤師協会関係 | |||
9 | 市看護婦会、市助産婦会関係 | |||
4 | 占領下原爆障害の医療と調査研究 | |||
1 | 救護所の閉鎖と医療機関の復興 | |||
2 | 市民生活の窮乏と原爆医療 | |||
3 | 調査研究の困難性 | |||
4 | 文部省学術研究会議その他 | |||
5 | ABCCの開設 | |||
5 | 占領解除後の原爆後障害対策 | |||
1 | 原対協の発足と初期の活動 | 原対協の発足、二、発足前後のいきさつ(座談会)、三、治療活動の開始、四、治療資金の確保、五、治療対策の進展 | ||
2 | ビキニ水爆と原対協の動き | 一、広島市建設促進協議会の活動、二、政府、国会への陳情と関係者の視察、三、市民署名運動の展開、四、原爆資料展の東京開催、五、政府予備費支出(昭和二十九年度)、六、政府、調査研究費を予算計上(昭和三十年度)、七、治療研究の成果、八、「原爆乙女」の渡米治療、九、原爆病院の設立 | ||
3 | 原対協の強化と活動 | 原対協の法人化、二、予算増額運動(昭和三十一年度)、三、被爆者調査と精密検査、四、国民健康保険実施と被爆者いっせい調査、五、研究治療部の実績、六、治療資金の概況 | ||
4 | 原爆後障害調査研究の概要 | 一、原子爆弾症の問題、二、「原子爆弾後障害症治療指針」の作成、三、学会その他の動き | ||
5 | 原爆医療法制定のいきさつ | 一、原爆障害者援護法制定への動き、二、原爆医療法政府提案に決定、三、原爆医療法関係予算の内示、四、「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律案」可決 | ||
6 | 原爆医療法の施行と原対協の事業 | |||
1 | 原爆医療法の施行 | 一、原爆医療法の概要と行政機関、二、被爆者健康手帳の交付、三、被爆者の健康診断と医療 | ||
2 | 原対協の事業 | 一、原爆医療法の施行と原対協の事業目的、二、原爆障害者生活援護の実施、三、原爆後陣書治療研究の助長、四、保健文化賞受賞と記念事業 | ||
3 | 諸団体の援護活動 | 一、中国新聞社会事業団、二、「広島憩いの家」、三、キリスト教広島被爆者福祉センター、四、その他の団体 | ||
4 | 原爆被爆者福祉センターの建設 | 一、お年玉つき年賀葉書寄付金配分団体に指定、二、建設の着手と利用計画 | ||
5 | 原子爆弾後障害研究会 | |||
7 | 原爆医療法の改正 | |||
1 | 法律改正のいきさつ | |||
2 | 改正原爆医療法 | 一、特別被爆者と一般疾病医療費の支給、二、原爆障害者と医療手当の支給 | ||
8 | 被爆者対策の諸問題 | |||
1 | 原爆医療総合研究機関の設立 | |||
2 | 被爆者医療保障の前進 | |||
3 | 被爆者生活援護の確立 | |||
編集を終えて | ||||
資料篇 | ||||
平和と学問を守る大学人の会会報第26号
平和と学問を守る大学人の会会報第26号
1960年2月20日
原爆被害の実相と被害者の苦しみ
『原爆被害の実相と被害者の苦しみ』 日本原水爆被害者団体協議会 1959年8月6日発行
目次
序 筆者紹介 まえがき 1 原爆によってどのような物理的被害を受けたか 1 原爆が爆発した瞬間の被害 2 残留放射能による被害 2 原爆症とはどのような病気か 1 原爆症の統計的研究 2 放射線は被害者の身体にどんな変化を与えているか 3 被爆者の生活にはどのような苦しみがあるか 1 被爆者の家庭生活のなかの苦しみ 2 被爆者の職業生活のなかの苦しみ 3 被爆者の苦しみと要求 4 被爆者の社会意識 4 被害者の救援はどこまで進んでいるか 1 医療法はどこまで役に立っているか 2 完全な医療保障と生活保障の実現のために むすび-救援運動と原水爆禁止運動とのむすびつきを深めるために 付「被爆者を囲む懇談会」への被害者代表の訴え 執筆者紹介
1 庄野直美 広島女学院大学助教授・物理学 佐久間澄 広島大学理学部教授・物理学 小川修三 広島大学理学部助教授・物理学 2 杉原芳夫 広島大学医学部助教授・病理学 3 山手茂 広島女子短期大学講師・社会学 4 石井金一郎 広島女子短期大学助教授・政治学 まえがき(抄)
被爆者の現状についての社会科学的な研究は、今までに極めて乏しかったので、今年初め日本原水協・被団協の依頼によって組織した「広島・長崎原爆被爆者調査団」がおこなった、431名の被爆者の面接調査および救援活動、救援機関の調査の結果を参考としてまとめている。
単行本となった放送番組(NHK)
単行本となった放送番組(NHK)
単行本となった新聞連載(朝日新聞)
単行本となった新聞連載(朝日新聞)
単行本となった新聞連載(中国新聞)
単行本となった新聞連載(中国新聞)
広島通信
広島通信 1966年6月創刊 第1号~19号(1970年2月)広島県詩人協会刊、 第20号(1970年4月)~第68号終刊号(1983年7月31日)「広島通信の会」刊
1989年3月1日、「ヒロシマ・ナガサキを考える会」が復刻(「広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版」)
M | D | ZASSIMEI | TITLE | AUTHOR | |
66 | 06 | 広島通信創刊号 | 創刊号によせて-文学は何ができるか | 栗原貞子 | |
66 | 08 | 広島通信2 | 被爆の証人“原爆ドーム”の保存を | 松元寛 | |
66 | 08 | 広島通信2 | ある建築の美しさについて | 荏原肆夫 | |
66 | 08 | 広島通信2 | 1966年夏-広島からの告発 | 栗原貞子 | |
66 | 08 | 広島通信2 | 1966年夏、広島からの告発 | 栗原貞子 | |
66 | 10 | 広島通信3 | 胎内被爆小頭症 | 志水清 | |
66 | 10 | 広島通信3 | 小頭児に幸あれ | 畠中国三 | |
66 | 10 | 広島通信3 | ひそかな啓示―小頭症におもう | 文沢隆一 | |
66 | 10 | 広島通信3 | 今、すぐに救護を―美農綾子さんを見舞う | 栗原貞子 | |
67 | 02 | 33 | 広島通信4 | 運命の日より21年を生きて | 西土 万合枝 |
67 | 03 | 広島通信5 | 特集:広島の川 | ||
67 | 03 | 広島通信4 | 私はこう信じる-重藤文夫原爆病院院長訪問 | 重藤文夫 | |
67 | 06 | 広島通信6 | 原民喜特集 | ||
67 | 10 | 広島通信7 | ケロイド | 原田東岷 | |
67 | 11 | 広島通信8 | あの頃の広島 | 北畠隆 | |
68 | 02 | 広島通信9 | 告発する街として | 浜野千穂子 | |
68 | 06 | 広島通信10 | 原爆慰霊碑文再読 | 松元寛 | |
68 | 08 | 広島通信11 | 地の塩への期待 | 安井郁 | |
68 | 11 | 広島通信12 | 広島の声 | 高橋三郎 | |
69 | 02 | 広島通信13 | さらば広島 | バーバラ・レイノルズ | |
69 | 04 | 広島通信14 | 原爆記録映画全面公開運動のいきさつ | 庄野直美 | |
69 | 06 | 広島通信15 | 排安易 | 田淵実夫 | |
69 | 08 | 広島通信16 | 人類は生きねばならぬ-アトムかアトマか | 森滝市郎 | |
69 | 10 | 広島通信17 | 世界の中のヒロシマ | 関屋正彦 | |
69 | 12 | 広島通信18 | 沖縄とヒロシマ | 袖井林二郎 | |
70 | 02 | 広島通信19 | 被爆二世 | 杉原芳夫 | |
70 | 04 | 広島通信20 | 観光客から巡礼者へ | 山崎与三郎 | |
70 | 06 | 広島通信21 | 中国・アメリカ平和巡礼 | 今堀誠二 | |
70 | 06 | 広島通信21 | ヒロシマを語る者として-アメリカへの出発を前に | 大原三八雄 | |
70 | 07 | 広島通信22 | 70年とヒロシマ-ヒロシマの風化に抗して | 森滝市郎 | |
70 | 07 | 広島通信22 | アメリカ通信 | 大原三八雄 | |
70 | 10 | 広島通信23 | アメリカの孤独 | 大原三八雄 | |
70 | 12 | 広島通信24 | 広島のひろい空の下 | 山田かん | |
70 | 12 | 広島通信24 | 山田かん氏を囲んで-長崎と原爆詩の関わり | ||
71 | 02 | 広島通信25 | ヒロシマの思想の亀裂 | 大牟田稔 | |
71 | 02 | 広島通信25 | 第二の生きがい-アメリカ・東西南北記 | 大原三八雄 | |
71 | 04 | 広島通信26 | きうずれぬへいわをへいわをかえせ | 寒川道夫 | |
71 | 06 | 広島通信27 | きうずれぬへいわをへいわをかえせ(その2) | 寒川道夫 | |
71 | 06 | 広島通信27 | アメリカ人の社会的連帯性 | 大原三八雄 | |
71 | 08 | 広島通信28 | 挽歌-マルチン・ルーサー・キングの墓所で[詩] | 大原三八雄 | |
71 | 10 | 広島通信29 | 京浜地帯の原爆意識を中心にしておもう | 前川和子 | |
71 | 12 | 広島通信30 | アウシュビッツとヒロシマ | 小谷鶴次 | |
71 | 12 | 広島通信30 | 国連というところ | 大原三八雄 | |
72 | 02 | 広島通信31 | ヒロシマと中国の核・人 | 森下弘 | |
72 | 04 | 広島通信32 | 被爆朝鮮人救援の動き | 平岡敬 | |
72 | 06 | 広島通信33 | 「水ヲ下サイ」特集 | ||
72 | 08 | 広島通信34 | ヒロシマに捧げる詩特集 | ||
72 | 08 | 広島通信34 | あの夏からこの夏までの間 | 小倉馨 | |
72 | 10 | 広島通信35 | 懐しい日本の皆さんに | バーバラ・レイノルズ | |
72 | 12 | 広島通信36 | 地球時代・平和の新処方箋 | 加藤新一 | |
73 | 02 | 広島通信37 | 「原水爆被災資料センター」設立の意義 | 湯崎稔 | |
73 | 04 | 広島通信38 | 私の広島日記 | 佐々木雄一郎 | |
73 | 06 | 広島通信39 | ABCC特集 | ||
73 | 06 | 広島通信39 | 原爆死体解剖NO.1の山科清元軍医にきく | 山科清 | |
73 | 08 | 広島通信40 | 特集:ベトナムは終わったのか | ||
73 | 10 | 広島通信41 | 28年目のヒロシマ | 藤枝良枝 | |
73 | 12 | 広島通信42 | 原爆の印象と記憶 | 縄田二郎 | |
73 | 12 | 33 | 広島通信42 | 縄田 二郎 | |
74 | 03 | 広島通信43 | 公害防止と平和への意志 | 田中公雄 | |
74 | 04 | 広島通信44・45 | 特集:いまは亡き4人の原爆詩人たち | ||
74 | 08 | 広島通信46 | 知られていない原子力発電の問題点 | 佐久間澄 | |
74 | 12 | 広島通信47 | 特集:原子力平和利用 | ||
75 | 02 | 広島通信48・49 | 特集:韓国原爆被爆者と日本人 | ||
75 | 08 | 広島通信50 | 特集:ヒロシマとベトナム | ||
76 | 01 | 広島通信51 | あの体験の<意味> | 小久保均 | |
76 | 05 | 広島通信52 | 特集:今なお続く核実験 | ||
76 | 08 | 広島通信53 | 特集:平和と私との距離 | ||
76 | 12 | 広島通信54 | 特集:被爆体験は風化するか | ||
77 | 05 | 広島通信55 | 特集:被爆者の医学的諸問題 | ||
77 | 12 | 広島通信56 | 特集:世界にとってヒロシマはなにか | ||
78 | 04 | 広島通信57 | 特集:朝鮮人被爆者 | ||
78 | 07 | 広島通信58 | 特集:ヒロシマと地方との連帯性 | ||
78 | 12 | 広島通信59 | 特集:核時代の文学 | ||
79 | 06 | 広島通信60 | 特集:ヒロシマは核時代に非戦の力となりうるか | ||
79 | 12 | 広島通信61 | 特集:原爆と原発 | ||
80 | 06 | 広島通信62 | 特集:廣島・広島・ヒロシマ | ||
80 | 06 | 広島通信62 | 遅い出発 | 豊永恵三郎 | |
80 | 06 | 広島通信62 | 原爆と原発 | 小林正一 | |
80 | 06 | 広島通信62 | 江波分院のことなど | 岡崎澄衛 | |
80 | 06 | 広島通信62 | 「ヒロシマ」シリーズ作品展開催の意味 | 増田勉 | |
81 | 01 | 広島通信63 | ある被爆者の死-主人唯一のこと | 栗原貞子 | |
81 | 07 | 広島通信64 | 特集:非戦の戦い | ||
81 | 12 | 広島通信65 | 特集:ローマ法王ご来広の軌跡 | ||
82 | 08 | 広島通信66 | 特集・ヒロシマのこころ | ||
82 | 08 | 広島通信66 | 生きる原理を | 石田明 | |
82 | 08 | 広島通信66 | 播かぬ種は生えぬ | 岡崎澄衛 | |
82 | 08 | 33 | 広島通信66 | 石田 明 | |
82 | 12 | 広島通信67 | 特集:ヒロシマに捧げる詩 | ||
83 | 07 | 31 | 広島通信68 | ヒロシマの継承-「広島通信」終巻号 | |
89 | 03 | 01 | 広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版 | 西土 万合枝 | |
89 | 03 | 01 | 広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版 | 縄田 二郎 | |
89 | 03 | 01 | 広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版 | 石田 明 |